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検索対象: 世界 2016年12月号
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1. 世界 2016年12月号

9 7 このオバマケアと呼ばれる法律が施行されてもう少しで丸 「およそ百年にわたる試みの末に、一年にも及ぶ討論を経 七年になる。しかしオバマケアをめぐる政治的争いは未だ続 て、今日、すべての票が投じられた後、とうとう医療保険改 いている。 ・ : この国を愛する人 革がアメリカ合衆国で法律となった。・ このような大掛かりな政策は、成立する過程では激しい政 びとはそれを変えることができるということを信じてくれ た」。一一〇一〇年三月に患者保護および医療費負担適正化法治的対立を引き起こすが、時が経過して受益者が増えていく にしたがって、反対派の声は少しずつ小さくなっていくとい (patient p 「 otection and Affo 「 dable care Act: 通称オバマケア ) が成 ~ 並した うことがしばしば起きる。一九三五年に高齢者向け公的年金 際のバラク・オバマ大統領の言葉である。 を導入した時も定着するまでに時間がかかった。一九六五年 オバマ大統領の言葉からも滲み出ているように、オバマ大 のメデイケア ( 高齢者向け ( 後に障がい者が加わる ) 医療扶助制度 ) 統領は法案が成立するために様々な障壁を乗り越えなければ やメデイケイド ( 貧困者向け医療扶助制度 ) の成立の時も同様で ならなかった。共和党の全議員が反対し、民主党からも造反 あった。 議員がでた。それでもオバマ大統領は政治的資源を投入しつ しかし、これまでのオバマケアをめぐる政治的争いを見る づけた。なぜならば、皆保険の実現はリべラル派の長年の夢 と、過去のケースとは少し様相が異なっているようである。 であり、オバマケアはオバマ政権の「レガシー」の一つにな 本稿では、まずオバマケアを含むアメリカの社会保障制度 ると信じていたからである。 マイアミでオバマケア加入を訴えるオバマ大統領 ( 201 6 年 1 0 月 20 日 AP / アフロ ) ィヾ悩 山岸敬和 やまきし・たかかず南山大学外国語学部教授。ジョ ンズ・ホプキンス大学博士課程修了 (P h. D. ( Po 一三 c a 一 Science))0 主要業績】「アメリカ医療制度の政治史 ニ〇世紀の経験とオバマケア」 ( 名古屋大学出版会、ニ〇一四 年 ) 、「ポスト・オバマの アメリカ』 ( 大学教育出版、 ニ〇一六年 ) ( 共編著 ) 世界 SEKAI 2 0 16. 1 2

2. 世界 2016年12月号

〇〇八年から ) 。道路建設などの復興支援を担う施設部隊だっ 南スーダンの資源問題と紛争 ロ たが、昨年、法が改正されたことで、今年一一月に派 南スーダン政府はもともと部族を背景とするいくつもの武 遣される部隊から「駆け付け警護」の運用が始まる可能性が 装勢力の連合政府の性格をもっていた。内戦時の反政府勢力 しかし、冒頭に指摘したように、新たな任務を付与するか は、最大の部族であるディンカ族を中心とする南スーダン人 否かの前に重要な議論が欠落している。紛争状態にある南ス 民解放軍トリト派のほかに複数の勢力があり、二 ーダンに自衛隊がとどまっていいのかという議論である。 〇〇五年の包括的和平合意の前後に各勢力が合流した。こう 政府は一一〇一三年以降の状況を「武力紛争に該当する事態 した政府の背景と長い内戦、豊富な石油資源という条件が相 ではない」と言っている。七月の戦闘についても、紛争では 俟って、南スーダン政府は各勢力が自然資源の利権を争う舞 なく「発砲事案である」と明言している。だが、現在の事態 台の様相を呈していた。国家の財政収入は石油に大きく依存 を単なる「発砲事案」とするのは、現実を捻じ曲げるものと しており、独立時で九八 % 、二〇一四年でも七〇 % にのばる。 言わざるをえない。 自然資源にまつわる紛争や人権侵害について調査・提一言を行 現在の南スーダンの状況は、派遣五原則にある「紛 っている国際 Z 0 のグローバル・ウィットネスによると、 二〇〇一年の独立から一四年までに七三億ドルの石油収入が 争当事者間の停戦合意の成立」、「紛争当事者の 0 派遣へ ありながら、国民の貧困レベルは二〇一一年の四四・七 % か の同意」が満たされていない。政府は紛争状態を紛争状態で 務 任はないと強弁することで現実を都合のいいように解釈してい ら一四年の五七・二 % に悪化している。 サルバ・キール大統領は二〇一二年の時点で四〇億ドルが る。百歩譲って昨年の和平合意以前の事態が武力紛争でない ととしても、昨年八月には両派が交渉のテープルにつき、和平国庫から強奪されたとして政府役人を非難している。二〇一 本合意に達した。すなわち両派は国際法でいう紛争当事者に他五年八月の大統領派と副大統領派の和平合意では、和平の実 の ならない。また紛争状態の任地で駆け付け警護をするという 現のみならず、石油収入の管理のあり方が主要な合意項目に ことは、紛争当事者である政府軍か武装勢力、つまり「国お 挙げられている。法律で定められた預金口座以外の実態の分 ン からない複数の預金口座を閉鎖するという条項もある。政府 一よび国に準ずる組織」に武器を使用することになる。これは や軍の各派リーダーが石油収入に群がり、愛顧のネットワー 南憲法で禁止されている武力行使にあたり、違憲となる。

3. 世界 2016年12月号

「モルダヴィアの花束を持ってきたね、って医者が言うわ チェルノブイリ原発事故から一一一 0 年 け。どういう意味か分かる ? いろんな病気を抱えています 連載第 3 回 ( 最終回 ) ね、ってことさ。モルダヴィアはソ連時代からワイン造りで 有名だけど、いろんな種類のブドウを合わせて造っていたか 「英雄」という悲しみ ~ , ン , 第まらね。まあ俺たちだけの、秘密のジョークだけどね」 ロシア人は困難にぶち当たると冗談まじりの小話、アネク ドートを作って状況を笑い飛ばそうとする、なかなかタフな 精神の人たちである。 ここで自分の病像をジョークにしているのはオレグ・カシ ェッキー ( 五六歳 ) 。私と三歳違いのこの長身、細面のナイス ガイとは、もう二三年の付き合いになる。 腕利きの炭鉱労働者だったカシェッキーはチェルノブイリ 原発事故直後の一九八六年五月一四日に「志願」して現地に 入り、事故で破壊された四号炉の真下にトンネルを掘った。 黒鉛火災を鎮火したあとも熱したウラン燃料の塊が沈下し、 地下水と接触すると巨大な水蒸気爆発が起こると懸念され、 トウ 1 ラ市内にあるチェルノブイリ死亡者の名を刻んだ「記億の壁」。 事故処理作業者の慰霊碑 事故から三 0 年後の四月一一六石未盟直径一・八メードル、長さ一七〇メートルのトンネルを掘っ 、」 ~ キャンドルが灯された た。冷却用に液体窒素を注入するためだった。 ( 撮影【筆者、本文の写真も ) ななさわ・きよし入局後、ディレクターとしてきコ彼の住むロシア連邦トウーラ州からは四七〇人の炭鉱労働 、物 ~ ( っ ~ 呶チェルノブイリ、東海村、福島の原子力事故を取材。テレ 者が参加、一一週間交代で、のべ一カ月半に及ぶ被ばく労働の ビ番組に「チェルノブイリ・隠された事故報告」 ( 一九九四 年 ) 、「ネットワークでつくる放射能汚染地図」 ( ニ 0 一一年 ) 、 結果、三〇年後の今日までに全員が身体障害者となり、三分 著書に『テレビと原発報道の 年」 ( 彩流社 ) など。現在、 z 磐 の一にあたる一五〇人が死亡した。労働者の多くは当時二〇 放送文化研究所上級研究員。 代の若者で、死亡時の平均年齢は四〇そこそこ。六四といわ 七沢潔

4. 世界 2016年12月号

む法案を法制審議会に諮問し、一一〇〇三年には政府は共謀罪 一一年九月、平岡秀夫氏が法務大臣に就任し、一一月七日、 法案を国会に提案した。この段階では、国連の立法ガイドは 法務省の関係部局に対して、共謀罪に関する状況調査 ( 条約 できておらず、日本政府はこれを見ないで、条約の文言をほ 交渉の経緯、条約締結に向けての各国の対応、「条約の留保」の可能性 とんどそのまま法律とする過ちを犯してしまったのである。 等 ) と、共謀罪法案に関する立法方針の検討を指示した。 界 一一〇〇六年、民主党は長期五年の刑期を超える犯罪を対象 二〇一二年に自公連立政権が発足し、二〇一三年一二月の 世 とし、対象犯罪を約三〇〇に減らし、準備行為を要件とし、 特定秘密保護法の成立直後や二〇一五年一一月のフランス・ 犯罪の越境性と組織犯罪集団の関与を要件とする第一一次修正 テロ事件などの際に、政府高官が共謀罪法案の早期成立を主 案を提案した。六月一日には、自民党がこの民主党案を丸呑張したが、政治情勢上の考慮から今日まで法案は国会に提案 みする方針を明らかにしたが、 それまで、条約上不可能とし されなかった。そして、この八月、前記の通り各報道機関は、 てきた修正を受け容れるものであったため、民主党は過去の 政府が、共謀罪創設規定を含む法案の再提出を検討している 質問主意書における政府答弁を修正すべきであると主張した。 と報ずるに至ったのである。 直後に、自民党よ、、 。しったんは民主党案を丸呑みするものの、 共謀罪問題において政府に問われていることは、ある条約 批准後に修正する意図であることが、細田国対委員長の発言 を批准するために、どこまで国内法を事前に改訂する必要が などによって発覚し、与野党の合意は成立しなかった。会期 あるのかという点にある。日本政府は、国際人権条約に関し 末には、与党は第三次修正案を会議録に添付したが、その後 ては、明らかに条約に反する国内の制度があっても、平気で は共謀罪法案の審議は一度も行われていない。二〇〇七年一一 批准してきた。これは、ある意味では正しい方向性である。 月に自由民主党の法務部会「条約刑法検討に関する小委員 何度も改善を勧告されても全く対応しないのは考えものだが、 会」は共謀罪をテロ等謀議罪に改称することなどをその内容少なくとも批准しないよりはいい。 とする提案を了承したが、この案では犯罪を一四〇にまで減 ところが、この条約については、日本政府は異常なほど律 らした案が示されている。 儀に条約の文言を墨守して、国内法化をしようとした。むし 二〇〇九年、民主党は「マニフェスト 2 0 0 9 」において、 ろ、一部の法務警察官僚は、過去にないような処罰範囲の拡 共謀罪法案を成立させることなく国連越境組織犯罪防止条約大の好機ととらえたようだ。世界各国の状況を見る限り、日 を批准する方針を示し、総選挙で政権交代を実現した。一一〇本の政府案のような極端な立法をした国はほとんど見つけら

5. 世界 2016年12月号

0 2 である。のプルトニウムを全撤去する政策決断をした ことは、今後の議論の前例となろう。英国政府が提案してい 2 る、「英国内にある外国籍のプルトニウムの所有権を引き受 ける」提案も、一考に値する。プルサーマルがプルトニウム 世削減に必要だ、ということは事実であるが、その使用済み 0* 燃料を再処理しては意味がない。プルトニウム削減には、 再処理は不必要どころか、かえって在庫量を増やしてしまう。 既存の在庫量をまず着実に削減することに優先順位を置くこ とが、いま求められている。プルサーマルに代わる代替案と して、廃棄物と混ぜたり、セラミックとして安定化させ、地 注 層処分する技術開発をすることなども検討に値する。プルト ニウム在庫量に悩んでいるのは、日本だけではない。核兵器 解体から回収されたプルトニウム処分に悩む米国、民生用プ ルトニウム在庫量を抱える英国・フランスなど、同じ悩みを 持つ国々と国際協力を進める方法もある。 プルトニウムはもはや世界にとって負債であり、着実に削 減すべく日本もリーダーシップをとるべきではないだろうか。 原子力委員会「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」、 昭和三一年九月六日。 2 原子力委員会「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」、 昭和四一一年四月一三日。 3 原子力委員会「原子力政策大綱」、平成一七年一〇月一一日。 4 原子力規制委員会、文部科学大臣への勧告文、平成一一七年一一月一 5 詳細は、原子力委員会「今後の原子力研究開発の在り方について」 6 原子力委員会「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会」 座長報告、「核燃料サイクル政策の選択肢に関する検討結果について」、 平成二四年六月五日。 7 長崎大学核兵器廃絶研究センター、市民データ・ヘース、分離プルト ニウムの保有量。 8 内閣府原子力政策担当室「我が国のプルト一一ウム管理状況」、平成 二八年七月二七日。 ーグ核セキュリティ・サミット、コミュニケ ( 日本語仮訳 ) 、二 〇一四年三月二五日。 間「世界的な核物質の最小化への貢献に関する日米首脳による共同声 明」、平成一一六年三月二四日。 「民生用原子力協力に関する日米一一国間委員会第一一回会合」、ファク トシート ( 仮訳 ) 、平成二五年一一月五日。 このあたりの米国側の反応についての分析は、猿田佐世、鈴木達治 郎編『アメリカは日本の原子力政策をどうみているか』岩波ブックレッ ト、二〇一六年一〇月を参照。 核情報ウエプサイト「米元政府高官ら原子炉での軍事用余剰プルト 一一ウム処分計画中止要叩ーー日本の再処理計画中止の働きかけにも役立 っと」。 4 The 6 一 4 Pugwash Confe 「 ence on Science and Wo 「 ld Affairs, Statement 0 「 the Pugwash Council, Novembe 「 20 一 5. 猿田、鈴木 ( 二〇一六 ) 参照。 フランク・フォンヒッペル、ゴードン・マッケロン、「 0 利用 に代わる道【分離済みプルトニウムの直接処分オプション」。 三日。 ( 見解 ) 。

6. 世界 2016年12月号

処理に懸念を示す理由は大きく次の三点に絞られる。 念が一九八八年に合意された日米原子力協力協定に与える影 第一に、日本をはじめ民生用再処理が継続されることで、 響である。一九八八年協定では、長い交渉の結果、三〇年間 プルトニウム在庫量がさらに増加していくことへの懸念であ の「事前包括同意」を得ることができたため、六ヶ所再処理 る。特に核セキュリティの観点から、発電所でプルトニウム 工場やプルサーマルも継続することができるのである。しか し、二〇一八年にはこの協定が期限を迎える。いわば二〇一 世が利用されるとなると、大量のプルトニウム輸送も必然とな 八年問題と言われているもので、米政府が再交渉を提案すれ るため、プルトニウムの盗取などのリスクが増大することに 対する懸念が強い。 ば、「包括同意」が継続されない可能性もあるからだ。 第二に、日本がプルトニウム生産 ( 再処理 ) を継続するこ 二〇一六年になってから、その可能性も指摘されるように とで、他国の再処理も奨励することにつながる可能性につい なった。二〇一六年三月二七日、上院外交委員会公聴会にお ての懸念である。特に、北東アジアでは、隣国韓国が再処理 いて、前述のトーマス・カントリーマン国務次官補は、日米 を「国家主権」として主張し始めており、現実に米韓原子力 原子力協定の更新について触れ、その決定の前に再処理問題 協定では、この点が最大の交渉課題となった。 について「共通の理解を持っことが重要だ」と述べた。 第三に、経済合理性のない再処理を日本が継続することを 実は、前述の「再処理拠出金法」が米国核不拡散専門家の 米国が承認することにより、他国の再処理を抑えようとする 間でも大きな懸念を呼んでいる。この法案には、プルトニウ 米国の努力に水を差すことへの懸念である。韓国のみならず、 ム・バランスを考慮するような項目が一行もなかった。国会 イランとの交渉でも、この点が懸念されたわけである。この での付帯決議により、経産大臣の認可条件として組み込まれ、 再処理に対する米国の懸念は、日本だけに向けられているの 原子力委員会の意見も聞くことが、付け加えられた。しかし、 ではなく、米国は日本と以外については再処 この付帯決議は法的拘東カを持たない。 この付帯決議をどの 理を奨励しない政策をとってきている。米国の核不拡散政策ように実現していくかは、日本の抱えるプルトニウム在庫量 の根本にもつながることであり、この懸念は根強いと考えて の見通しに大きく影響をあたえ、ひいては、二〇一八年改訂 おく必要がある。 を控えた「日米原子力協定」の今後にも大きな影響を与える ■日米原子力協定 ( ニ〇一八年問題 ) への影響 可能性がある。 日本の政策決定者が一番恐れていることは、こういった懸 日本の核燃料サイクル政策が現状のまま進み、大量に抱え

7. 世界 2016年12月号

の ZCO やモザンビーク全国農民連合 (DZ<O) の要請によ 慎ましく暮らしてきた途上国の人々から奪うしかない。 って始められた事業開始に向けての対話が、農民組織やモザ 世界中で起こっている紛争や土地収奪は資源争奪競争の結 ンビーク市民社会を分断する形で進められている。そのため 果である。国際 ZCO のオックスフアムの調査によると、二 DZ<O と日本の ZCO は、この対話プログラムに対しても 〇一一年の土地収奪に絡む事件は一一〇〇〇年とくらべて約一 界 中止を申し入れざるを得ない事態に至った ( 「三カ国市民社会に 〇倍にもなっている。グロ 世 ーバル・ウィットネスの報告では、 よるプロサバンナ事業に関する共同抗議声明・公開質問ーー政府文書の 一一〇一五年は土地収奪に抵抗して殺害された活動家が歴史上 公開を受けて」二〇一六年八月二七日 ) 。 最も多い年になった。 現地ではプロサバンナ事業に対する抵抗運動が反政府活動 デビッド・・ナイバ ートは著書『動物・人間・暴虐史 の文脈で語られる恐れがある。今年一月プロサバンナの問題 ″飼い貶し〃の大罪、世界紛争と資本主義』 ( 新評論、二〇一六 で活動しているある ZCO のもとに、政府系メディアの記者 年 ) で企業の推し進める「肉」「乳」「玉子」の消費拡大によ からメールが届いた。プロサバンナの反対運動は、野党を政 って土地、水、森林資源が見境もなく浪費される実態を告発 権の座へつけるためフレリモ党を政権から引きずり降ろそう している。そしてこれに対する抵抗運動、正義の要求を抑え とするものだという意見があるがコメントしたいか、という 付けるための軍事力や暴力の行使に警告を発している。ナイ ものであった。いっか、抵抗運動が「テロ」の文脈で語られ バートは同書の中で、資源の枯渇と食料危機、紛争の関係が たとき、日本が対テロ支援を名目に自衛隊を派遣しないと言 アメリカの軍や情報機関によってっとに認識されていること えるだろうか を指摘する。以下が同書で引用されている二つの報告書の一 部である。 資源争奪競争・紛争・市民社会 「世界銀行は人口の増加や豊かさの向上、西洋食を好む中 地球上の化石燃料や鉱物資源、水、森林、土地などの自然 間層の増加などにより、食料需要が二〇三〇年までに五〇バ 資源は枯渇に向かっている。その一方で経済成長を先進国と ーセントの伸びを見せると試算する」 競う新興国が資源争奪に登場してきた。希少化する資源の争 「今から二〇二五年までのあいだに世界はエネルギー枯渇 奪は今後さらに加速するであろう。だとすればどうなるか。 と食料不足の回避を迫られるであろうが、これからは競争と 各国が武力を用いて奪い合うか、自然資源を生活の糧として 紛争を生みながら、対応困難な課題の連鎖反応を引き起こす ロ

8. 世界 2016年12月号

いると推定される。九〇年には世界に広がるウチナーンチュ ネットワークの構築を目的に「第一回世界のウチナーンチュ 大会」が開催され、五年に一度の大会も今年で六回目を数 世界の えることとなった。私も過去の大会でベルーから来た親戚世 ウチナ 1 ンチュが に初めて会う機会を得た。私と同じラストネームを持つ、 私にそっくりの顔をした、しかし言葉の通じない県系三世 見た の彼女と片言のスペイン語と片言のウチナーグチでなんと 辺野古・高江親川志奈子 か対話し、彼女が地球の反対側でウチナーンチュとして誇 りを持って生きていることを知った。ウチナーグチを学び、 ェイサーを踊り、ウヤファーフジ ( 祖先 ) を敬い、遠く離 琉球処分から二〇年後、二六人のハワイ移民団を乗せた れたベルーの地でルーツのある沖縄への「ウムイ ( 想い ) 」 船が那覇を出港したのが沖縄移民の始まりだと言われてい を強く持ちながら生きている彼女、対して沖縄生まれ沖縄 る。沖縄からの移民は一九〇五年には日本全体の移民総数育ちでありながら日本人としての教育を受け沖縄の歴史や の一〇 % を占め、一九二五年には住民一万人当たりの出移 言語・文化をほとんど知らないまま大人になった私。私た 民数統計全国第一位となった。その頃の県歳入総額におけ ちの持っ沖縄へのウムイの温度差から多くを学んだ。 る移民送金額は実に六五 % を超えており、沖縄の経済は海 同じような経験をした若者たちが二〇一一一年「世界若者 外移民によって支えられた。また、戦後は焦土と化した沖ウチナーンチュ大会」を立ち上げたのはものすごくうれし 縄に届けられた世界のウチナーンチュからの救援物資が戦 いニュースであった。世界に飛び立った先人たちのウムイ 後復興を支えた。移民政策は米軍統治下の琉球政府におい を引き継ぐべく若いウチナーンチュが集まり、沖縄や移民 ても維持され ( 米軍基地として土地を取られたということも関係し 先の歴史を学んだり交流を通して未来のウチナーンチュに た ) 、「復帰」の翌年一九七三年まで続けられた。 ついて語り合う「若者の祭典」はこれまでにプラジル、米、 現在、世界各国に県系人とその子孫四〇万人が居住して 独、フィリピンで開催されてきたが、五回目の今年は、第

9. 世界 2016年12月号

世界 SEKAI 2 0 1 6 . 1 2 ー 2 2 6 ムルゲイ・アルドヒ やっていたんです」 ヒ ドム ( 五七歳 ) は、 生徒たちは三〇年も前の話をまんじりともせず聞いている。 刃チェルノブイリ事 「寝泊まりするのはテントでした。服装は萩色の軍人の制 服と緑色のマスク。仕事が終わると着替えて体を洗って、そ レ母校の教壇に立ち、 の洋服を捨てて車で帰りました。車も途中で測定され、何回 生徒五〇人を前に も何回も洗われていました」 皐要話事故処理作業者と およそ一か月後セルゲイはトウーラに戻る。そして一年後 室して働いた自分の に病気が始まった。最初は風邪にかかりやすくなり、のどが の経験を話した。 痛む程度だったが、八九年ごろから頭痛になり肝炎や脳炎を 母バスの運転手を発症、九四年にオプニンスクの放射線研究所の病院に入院し していたセルゲイ た。そして三年後、身体障害者と認められた。 ここで意外だったのは、生徒たちの反応だ。講師への感謝 の辞を述べた男子生徒は高揚した声で、 〕一 4 故から九日後の一 九八六年五月五日 「三〇年前に私たちの末来を救ってくださった先輩にお礼 に徴兵委員会に召集され、予備役兵としてチェルノブイリに を申し上げたいと思います」と述べた。講演後にインタビュ 向かった。最初は原発から三〇キロ離れた農村で、家の周り ーするとこの生徒はこんな言葉も口にした。 の土を掘りだし、液体をまくなど、除染作業に従事した。や 「目撃者から自分の国の歴史を聞くのは大事です。国の歴 がて六月になると、こわれた四号炉のすぐそば、一〇メート 史を知らずに愛国者とは呼べませんから。僕たちも彼らのよ ルから二〇メートルの地点でコンクリート板を敷く作業に駆 うに必要な時に英雄的な行動ができるようになりたい」 り出される。最初は志願者だけがやっていたその仕事が命令 女子生徒の中にも、心なしか、うっとりとした眼差しでセ による強制に変わったからだという。 ルゲイの話を聞く集団がいた。こうした時の、日本の中学生 「すごく放射線量が高かったので、一日に一五分か二〇分たちの白けぶりからずると、その熱意は驚きだった。 働くともう終わりになりました。たくさんの人がいて交代で

10. 世界 2016年12月号

世界 SEKAI 2 0 1 6 . 1 2 ー 2 2 4 「この人もいな 「この薬がないと生きられない。だけどこの痛み止めはも 。この人もいな う最近あまり効かなくなった。弱いんです」 放 。この人もいな カシェッキーはいまもチェルノブイリに行ったことは思い も 出さないようにしているという。 。この人もいな まし まし」 「今回も、あなたたちが来なかったら思い出さなかったで 薬老眼鏡をかけて しよう。電話がかかってきたときは、ああそうか、もう三〇 眺める写真は一九 年かと思った。思い出すと神経質になる。けしていいことじ 九三年の番組取材 ゃない」といいながらも、こう付け加えた。 時に撮ったスナッ 「でも、国の方が私たちを忘れているのは許せない。たと プ。写真に写る五 えばロシアで同じような事故が起こったら、誰が ( 事故処理作 人の元炭鉱労働者 業を ) 志願するだろうか。あまりにも人間というものが存在 のうち四人はもう として無視されている。政権によって無視されているから、 他界したのだとい 誰も志願しないでしよう」 う。もちろん氷山 カシェッキーのこの言葉は、事故後の一九九一年に制定さ の一角だ。事故後れた法律 ( 通称チェルノブイリ法 ) で保証されていたサービスや 一〇年くらいまでは心臟発作などの突然死が多かったが、最 特権、補償金などが、度重なる法改定の結果、著しく減った 近は胃腸や肺のがんで死亡する仲間が増えたという。 事実を指している。 カシェッキーも相変わらず、「モルダヴィアの花東」のよ カシェッキーたち病気を抱える事故処理作業者たちにとっ うな数多くの痛みに悩まされている。来るたびに見せてもら てとりわけ深刻なのは、当初はすべてが無料であった医療費 う薬の入った引き出し。一〇年前、三〇種類まで膨らんで驚 や薬代が、二〇〇五年以降は政府の定めるリストに載ったも いたが、いまはさらに増えたという。 のに限定されたことだ。一人平均で六種類もの病気を抱える 「特に手放せないのは何か」と聞くと、睡眠薬と、痛み止 人々の高額な医療費は自己負担となった。また点滴の薬がイ めをあげた。 ンフレでかっての四倍になるなど、薬代の高騰も事態に追い