人気テレビドラマ オリジナル小説 碇ィの 卯密 人室 「そのお二人のおかげです。長州萩の毛うかがってもよろしいか」 話は聞いていたが、ここまで興隆して 毅三も興味深げな目を左門に当ててい 利さまで柳生新陰流を教えていらしたお いるとは考えたことはなかった。先ほど せいれんかん まで左門たちがいた清練館道場は、宏壮二人がさらにここ福岡にいらっしやり、 やざえもん な縄張を誇る福岡城のすぐ西側に位置し柳生新陰流は当地でも花開いたのでござ「小西弥左衛門どのでござる」 ためらうことなく左門は答えた。その ていたし、門人は二百人をはるかに超えるよ」 名を聞くや、作右衛門と毅三が顔を見合 ているというのだ。板張りの道場は広く、 左門は、その二人に会ったことはない。 活気にあふれ、すがすがしい空気が満ち二人とも相当の強さを誇ったことは、松わせた。すぐさま作右衛門が左門にきく。 ていた。 右衛門が柳生の姓を名乗ることを石舟斎「小西弥左衛門どのというと、小西摂津 ありちくらのじよう おおのまっえもん 守のご子息のことでござろうか」 から許されたことから知れる。 「大野松右衛門さま、有地内蔵允さま、 「さよう。ご存じか」 ひとしきり柳生新陰流について話した というお二方を左門どのはご存じでござ 「存じております」 あと、作右衛門がたずねてきた。 るかー 「今どちらにいらっしゃいますか」 「なにゆえ左門どのは、福岡にいらした 顔をわずかに寄せ、作右衛門がきいて 首をかしげ、作右衛門がなおも問う。 きた。 のでござるかー 「左門どのは、なにゆえ小西どのを捜し この問いは、左門にとってありがたかっ 「大野松右衛門どのは、我が祖父上であ せきしゅうさい ていらっしやるのでござろう」 る柳生石舟斎の高弟でいらっしゃいますた。話のよいきっかけになる。 「聞きたいことがあるのです」 ね。有地内蔵允どのは、大野どのの高弟「人を捜しています」 「聞きたいこととおっしやるとー 「ほう、人を。どなたをお捜しなのか、 とうかがっています」 杉下右京の元に届いた、 推理ゲームへの招待状。 しかし、それは、 現実の殺人事件を 引き起こし・・ 杉下右京が、 密室殺人の 謎に挑む ! 込引新 望 1 判は 碇卯人 定四お る。 書き下ろし 0 日新・土・ 料 5 柳生左門雷獣狩り
なんというべきか、左門は迷った。 禄は千三百石だという。なかなかの大した。毅三が旅籠まで送りましよう、と 「それがし、上さまの命で動いているの禄である。おそらく血筋だけでなく、人 いったが、 夜風に当たりながら帰りたい です [ 物も認められているのだろう。だからこ ものですから、と左門は断った。 声に厳しさをにじませて告げた。 そ作右衛門は、当家を奉公先に選んだ、 「しかし左門どの」 「えつ、将軍家から」 という言い方をしたにちがいない。 大吉の店先で、作右衛門が呼びかけて きた。 さすがに作右衛門も毅三も驚きを隠せ 「小西どのにお目にかかることはできま ない。左門は言葉を継いだ しよ、つか」 「うちにお泊まりくだされば、よかった 「天下の大事ゆえ、これ以上のことはい 真摯な口調で左門はたずねた。眉間に えませぬ。小西弥左衛門どのがどちらに しわを寄せ、作右衛門がただす。 「ご厚意かたじけない。しかし、それが いるのか、教えてくださいますか」 「将軍家の命で動いているとおっしやっ しは旅慣れた身です。旅籠のほうが、最 作右衛門が軽く咳払いする。 たカ、小西どのはなにか将軍家の癇に障近ではよく眠れるようになってしまった 「当家です。当家にいらっしゃいますー るようなことをされたのでござるか」 のです」 ちょうちん 「えつ」 「いえ、今のところは話を聞くだけです。 大吉の名が黒々と入った提灯を借り、 我ながら間の抜けた声を出したな、と天下分け目の関ヶ原の合戦が終わってす一人、人けの絶えた夜道を歩いた。福岡 左門は思った。 でに四十年近くがたっており、父親のこ という地はにぎやかではあるが、やはり 「まことですか」 とで責められるようなことも、むろんあ江戸よりもだいぶ夜は早いようだ。 まさか黒田家にいるとは、考えたこと りませぬ」 ふと左門は足を止めた。なにやら、 もなかった。 さようか、と作右衛門がいった。 ゃな雰囲気の風が前から流れてくる。 「では、小西どのは黒田さまに仕えてい 「承知いたしました。だが左門どの、即 その風がやんだ瞬間、ふらりと家の塀 るのですかー 答はできかねます。まずは上の者に聞い の陰から黒いものがにじみ出た。見守る 「さよう」 てみることにいたしましよう」 うちに、すぐさま人の形となり、一左門め 間を置かずに作右衛門が説明する。 「それでけっこうです。よろしくお願い がけて突っ込んできた。 「小西どのは肥後加藤家にかくまわれた いたしますー なにやっ のち、肥前有馬家に仕えられた。その後、 作右衛門に任せておけば、きっと小西 提灯を投げ捨てるや左門は刀を抜き、 ひゅうがの・ヘおかてんほう 有馬家が日向延岡に転封になった際、当弥左衛門と会えよう。 正眼に構えた。影は、ほんの一間ばかり 家を奉公先に選ばれたのでござるよ」 厚く礼をいって、左門は大吉をあとに の間合を残して足を止めた。 かんさわ はたご 鈴木英治 446
をら名 た。松平伊豆守を家光以上の者であるとではおらんか。あの男、難儀が立ちはだ なければなりません」 考えておられるのだ。 かれば立ちはだかるほど勇み、喜びを覚「九州のどこにいるか、存じているか」 ちくせん えるたちではないか。 だが家光という男は、そんなに甘くは 「筑前でございます」 ない。忠長が生きていると最初に見抜い 本当に我がせがれにしたいものよ。今 「なにをしに左門は筑前へ来た」 こにしせつつのかみ たのも、実は家光なのではないか。その の時代にはもったいないような男だ。 「筑前において、おそらく小西摂津守の 命を受けて左門は動いているのだろう。 左門の顔を脳裏に浮かべ、心中で菜右末子について調べを進めようとしている 知恵伊豆を殺す際、本当に柳生左門の衛門はにんまりとした。 のではないかと、推察いたします。九州 邪魔立てはないのだろうか。いかに左門 「ー楙留屋ー の中で筑前黒田家は柳生新陰流が特に盛 といえども、一揆が起きるのを防ぐ手立 いきなり頭の中に忠長の声が入り込んんな家にございます。ゆえに、左門にと てはもはやないかもしれないが、いざ知だ。はっとしたが、 菜右衛門はその思い り、探索の端緒を開くに恰好の地といえ 恵伊豆を亡き者にしようとするときに、 を顔に出すことなく忠長に目を向けた。 るのではないでしようか , あらわれはしないだろうか 「いま左門がどこにいるか、存じておる 「そのほうのいう通りだ。筑前福岡でや 左門のことだ、必ず嗅ぎつけるような つは、なんらかの手がかりを得られると 気がしてならない 「ここ九州におるものと」 思、つか」 いや、知恵伊豆のことなどどうでもよ 間髪を容れずに菜右衛門は答えた。 「さて、いかがでございましよう」 い、と菜右衛門は考えを新たにした。 「ほう、よく知っておるな」 忠長の言葉に含みを感じて菜右衛門は、 わしは、むしろ柳生左門の活躍を望ん 「あの男の動静には、常に目を配ってい 目を光らせた。 銀の島・ 山本兼 石見銀山を死守せよをま サビエルが 1 日本にもたらしたものは 迫りくるホルトガル「大艦隊ゞ〕黐 ~ 迎え撃つは薩摩の安次郎と倭寇の 大海賊・王直船団「一展開はいかに : ☆定価 1 、 995 円。 ( 税込 ) 、 四六判上製一 SBN978 ・ 4 と 2 も 50865 ・ 2 一一龜 A S A Ⅲ お求めは書店、 ASA ( 朝日新聞販売所 ) てどうそ。朝日新聞出版 443 柳生左門雷獣狩り
よろい は、いかが相成っておりますか」 ぬ。目に見えぬ鎧をまとっているといっ気持ちなのでございますな」 」よ、つ 菜右衛門は新たな問いをぶつけた。脇治 たらよいのかそのような鎧の持ち主に、 「そういうことだ」 うなずいて忠長が沈思する。 息にもたれていた忠長が目を開けた。 もし迅八郎を倒されたらと思うと、なか 「やはり迅八郎は、そのときまで取って 「家光の右腕をもぐ手立てか。着々と進 なか踏ん切りがっかぬのだー おくことにしよう。迅八郎に左門殺しをんでおる。樟留屋、なんら案じずともよ 畳に目を落とし、菜右衛門は柳生左門 の風貌を思い起こした。いわれてみれば、命ずれば、やるというに決まっているが、 今は避けたほ、つかよかろ、つ。左門には、 笑みを浮かべて、忠長が自信たつぶり 左門は得体の知れないなにかを身にまとっ に答えた。 ているような感じがしないでもない。 ほかの刺客を送るしかあるまいー ぎよろり、と目玉を動かし、忠長が菜「左門の邪魔立ては、ないものとお考え 「果断さで知られる大納言さまにしては、 にございますか」 珍しいことでございますな」 右衛門をにらみつけてきた。 いえみつ そ、つい、つことだ、と忠長が顎を引いた 「もし迅八郎を失ったら、家光を殺すこ 「愚策と思うかー とができなくなるやもしれぬ。慎重にも「とんでもない。柳生左門といえども人「九州に限っていえば、やつがなにをし よ、つと、もはやできることは一つとして なろうというものだ」 の子。必ずや隙を見せることがありましょ う。とにかく間断なく刺客を送り続ける 忠長たちが行おうとしている策がどう なかろう。一揆が暴発さえしてしまえば、 ことこそ、肝要でございましよう。息をそれでよいのだからな」 いうものだったか、菜右衛門は思い浮か 「では、一揆は近いのでございますな」 継がせず狙い続ける。あまりの苛烈さに 「家光さまを殺すのは、最後の最後でごやつが音を上げたときこそ、柳生左門最「今は埋み火になっておるが、そこに油 り・よ、つげん 期のときでございましよう」 を注ぎ込み、炎を落としてやれば、燎原 ざいますな」 「その通りよ。家光のまわりには、それ「なるほど、執拗に狙い続けることが肝の火のごとく一気に燃え広がろう。天下 心か。下手に間を空けたら、やつに息継を揺るがす大乱になるのは必定。知恵伊 こそ腕に覚えを持つ者がそろっておろう。 ぎのときを与えることになる。人を溺れ豆と呼ばれる男が、やってこぬはずがな そのときこそ迅八郎の出番よ。迅八郎な らば、その者らを斬って斬って斬りまく死にさせるのには、とにかく頭を押さえ い。そのとき松平伊豆守を殺してしまえ ることができる。他の者ではそうはいかつけて息をさせぬことだ。肝に銘じておば、よいのだ。知恵伊豆がいなくなれば、 家光の亡き後、なんとでもなる。余の思 こ、つ」 ぬ」 、つかままよ」 点頭して忠長が目を閉じた。 「家光さまを亡き者にするそのときまで、 まつだいらいすのかみ つまり大納言さまは、と菜右衛門は思っ 迅八郎どのを温存しておきたいというお「大納言さま、松平伊豆守を殺す手はず 、」 0 そく
第三章 きつい口調でいわれて菜右衛門は、や 「確かに、あまり敵に回したくはない男 やさおとこ んわりと微笑を返した。 でありますな。一見、優男に見えますが、 「手前は、人殺しを商売にしているわけ腕はひじように立つ上、頭の巡りも決し ではございません」 て悪くありません。なにより、一人でい 顔をゆがめ、忠長がにらみ据えてくる。 ることをまったく恐れません。これは、 「それが返事か」 柳生左門の強みといえましよう」 「御意」 「留屋。一人でいることを恐れぬのは、 「人殺しのための道具はいくらでも用意よいことか」 するが、自らの手は汚さぬか」 吐息が流れた。 「守ってくれる者がおらぬのに、それを そのせいでもあるまいが、行灯の炎が「手前は商人でございますから」 気にかけぬというのは、腹が据わってい 揺れ、かすかに煙があがった。 さらりといって菜右衛門は畳に両手をるだけでなく、おのれに相当の自信を抱 さいえもん あかし ちらりと煙を目で追って、菜右衛門はっき、忠長を見つめた。 いている証でございましよう。過信でな ただなが 忠長に瞳を戻した。 「大納言さまは、柳生左門がさほどにおく、自分に自信がある者は強うございま す。それに、常に一人でいる以上、なに 気にかかりますのか」 「どうされました、大納言さま」 「かかる。かかってならぬ。あの男にすごとも一人で考え、一人で決断し、一人 両手を膝にそろえ、たずねる。 べてを台無しにされるような気がしてなで動くことを習い性にしております。下 「ずいぶんと難しい顔をされていらっしゃ 手な軍議を行ってときを潰すようなこと るではありませんか」 らぬ」 顔を上げ、忠長が厳しい目を当ててく 「ほう、柳生左門がそこまでの男だと思 はありません。すべて迅速に自分がした る。 われますか」 いよ、つに行、んます。このことは、まちが 「当たり前よ。余は、あの男が目障りで 「そのほうはどう思う」 いなく強みといえましよ、つ」 身を乗り出し、眉根にしわを盛り上が 唇を噛み締めて、忠長がわずかに苦い 仕方ない。うっとうしくてならぬ」 やぎゅうさもん 顔をした。 らせて忠長が問う。 「柳生左門のことでございますな」 むう、と忠長がうなる。 「そのほうは何度か、やっとは会ってい 「べた褒めではないか」 るのであろう」 「べた褒めにもなりましよう。敵ながら 「その名を聞いただけで、虫酸が走るわ。 たるどめ 会っております、と菜右衛門は首を縦あつばれな男でございます。手前にも、 いらいらしてならぬ。樟留屋、そのほう、 あのようなせがれがほしゅうございます」 あの者を始末できぬか」 に動かした。 あんどん あきんど 鈴木英治料 0
とうせん だいきち のは、大吉という料亭だった。師範代を おう、と道場内からどよめきが起きた。 「もしや、すでに餌は撒いてあるという たがわたけぞう 治 っとめる田川毅三も一緒である。 「そこまで」 ことでございますか」 左門は酒を飲まないが、作右衛門と毅木 審判役をつとめる師範から、鋭い声が 「むろんよ。打てる手は打ってあるー 三もたしなむことはないそうだ。 そういって忠長が薄く笑った。その笑かかった。 「こういう客はいやがられるでしようね」 次に控えていた者がすっくと立ち上が 顔は、行灯の灯を受けて妙に白く見えた。 苦笑まじりに作右衛門がいった。 る。穏やかな目で師範がその者を見やっ 「この手の店は、酒で儲けを出すところ さかまき も多いそうですから。しかし、この店は 「坂巻、下がっておれ」 料理の味もよろしいですぞ」 坂巻と呼ばれた男が戸惑う。 すさまじい気合とともに、一気に踏み 力いしゅう 海が近いということで、魚が主の膳だ。 込んでくる。 「今日はも、つ終わりだ。五人全員が鎧袖 いっしよく 微動だにしない目で相手を見つめ、左一触も同然にされ、一人として竹刀に触刺身はとにかく身が引き締まり、ぶりぶ ることもできなんだ。だが、さすがに柳りしている。歯応えが抜群で、ほのかな は引くような真似をするつもりはない。 刀尖をわずかに上げ、すり足で前に出た。生どのも疲れておろう。なにより、長旅甘みが感じられた。 一瞬で間合に入る。顔をめがけて落ちのあとに立ち合っていただいたのだ。柳「これはうまい」 ふくろしない 生どのの強さは十分すぎるほど伝わった 左門は感嘆の声を上げた。 てきた袋竹刀を、思い切りはね上げた。 そのあまりの打撃の強さに、相手の両腕であろう。坂巻、明日、改めて相手をし「それがし、こんなにおいしい魚は生ま れて初めてです」 が力なく上がり、左脇に大きな隙ができていただくがよい 「そんなに喜んでいただけると、こちら 左門自身は、あと何人と竹刀をまじえ も、つれしくなりますな」 そこを見逃さず、左門は袋竹刀を胴にても平気だが、少し腹が減っている。こ こで終わってもらえるのは、ありがたかっ 作右衛門がにこにこと笑う。 振っていった。相手はあわてて袋竹刀を 、」 0 「それにしても 下げようとしたが、 左門の斬撃のほうが 魚の切り身の吸い物を喫して、左門は はるかに速かった。 納戸で着替えを終えた左門に、師範の うちかわさくえもん 胴を打つ小気味よい音が響き、相手が内川作右衛門が、タ餉をいかがでござる軽く首を振った。 か、と誘ってきた。これ以上ない申し出「江戸から二百五十里以上も離れた地で、 後ろに吹き飛んだ。尻餅をつき、背中か ら倒れ込む。起き上がろうとしたが、そで、左門は快諾した。 柳生新陰流がこれほどまでに盛んだとは れはかなわず、目を白黒させている。 作右衛門に連れられて暖簾をくぐった夢にも思いませんでした」 、」 0 ゅ、つげ のれん
「そのほう、子はおらぬのか。なんならでいたであろう。いや、今も進みに支障「おらぬことはないが、やつを倒せるか はないが、 樽留屋、今からでもっくればよいではな 余にとってはどこか滞ってい どうかとなると、ちと心許ない」 るように感じられるのだ。ー留屋、 むう、と忠長がまたもうなり声を発し 「いえ、今からではさすがに無理でござやつをこの世から除くによい手立てはな さいづち きむらじんばちろう いましような。仮にできたところで、あ いか。その才槌頭からひねり出してくれ「やはり木村迅八郎を使うしかないか」 のような者は得られますまい 「紀州徳川家きっての遣い手として知ら すけくろう 「樟留屋、そのほう、いくつになった」 眉を少し曇らせて、菜右衛門は頭をなれる木村助九郎どのの弟御でございます 「七十三でございますー でさすった。それから、両手を膝に当てな」 「ふむ、我が偉大なる祖父上も、最後のて忠長を見る。 「兄譲りの腕前だ。いや、兄より上とい お子は六十三のときだったか。それにし「手前には、なんとも申し上げかねます。う者もおる」 たまぐすり ても、そのほう、相変わらず若々しく見玉薬、鉄砲、大筒はいくらでも供給でき「それだけの腕前ならば、柳生左門に後 えるな。謎めいたところもまったく変わるのでございますが、いざこの手で人をれを取ることはございますまい らぬー 殺す手を考え出すとなると、そちらのほ 「それはわかっておるのだが、余には危 すぐさま忠長が真剣な顔をつくる。 、つはど、つにもさつばりでございます」 惧があるのだ。迅八郎が負けるはずがな 「とにかく、余はやつを殺さねばならぬ。 忠長の目にかすかに失望の色が浮いた。 いとは頭では解しておるが、柳生左門と そうせねば、余が征夷大将軍になるなど、 説明のつかないも 「そうか。そうであろうな。修羅場をく いう男には、なにか、 ; 夢のまた夢ということになろう」 ぐってきているとは申せ、そのほうはやのが備わっておるように感じられてなら 「柳生左門という男が、大納言さまには はり商人に過ぎぬ」 そこまで脅威に映っているのでございま 息をついて忠長が顎に手を当てた。独 すなあ」 り・一言のよ、つにい、つ 菜右衛門が慨嘆するようにいうと、首「手立ては問わぬ。毒殺、飛び道具、女。 を横に振り、忠長が息を漏らした。 なんでもよいのだ。やつを殺したい」 「認めたくはないが、その通りよ。やっ 「ご配下に、闇討ちに長じたお方はいらっ は、上州高崎において、余が生きておるしゃいませんのか」 ことを見抜きおった。もし見抜かれずに 菜右衛門が言葉を投げかけると、忠長 おれば、こたびの策はもっと順調に進んが顔を向けてきた。 寛永十四年七月。柳生左門のもとに、 将軍・徳川家光からの手紙が届けられた。 そこには、家光自身が四年前に自害させ た弟・忠長の生死を確認し、万一、生存 か判明した場合には、斬るようにと書か れていた。隠密裡に捜索を進める左門は、 遂には九州にまで足を延ばすことになる。 441 柳生左門雷獣狩り
胆相照らす仲であることは知っている。学問もでき、有能だが、 とする宿願を妨げる魂胆じゃな」 へき ともらした。江戸城で溜間詰となる大名の格式は高く、老中それだけにひとを見下す癖があった。 ていかんのま 「渋田見を家老といたそうとすれば蔵人らは何と申すかな」 は溜間詰から出る。帝鑑間詰から老中になった大名はいない。 忠固はうかかうように出雲の顔を見た。 忠固が帝鑑間詰から溜間詰への昇格を老中たちに働きかけて 「おそらく不満を言い立てましようが、それを押し切ってこそ、 きたのは、溜間詰となったうえで老中となり幕政を動かしたい 殿の溜間ご昇格がなせるのではございますまいか。国元で騒ぎ という野望があってのことだった。 それだけに忠固の帝鑑間詰昇格にかける思いは深く、それを わかろうとしない家臣たちへの怒りは大きかった。 主な登場人物 ふらち 「まことに不埒な者たちじゃ、きつく咎めねばならぬ。いかか いたす所存じさ 吉乃 : : : 九州豊前・小倉の書院番頭・杉坂監物の三女。新六を 慕いつつも菅源太郎に嫁ぐ 忠固はこの年、四十五歳。面長で鼻と耳が大きく顎が丸い。 印南新六 : : : 勘定方。杉坂家の親戚。一時、杉坂家に厄介となる。 忠固に問われて出雲は膝を乗り出した。 夢想願流の使い手 「畏れながら、かかる無法の行いをなしたる者はかっての大甘 犬甘兵庫 : : : 小倉藩家老。新六を自派に引き入れる。農民騒動の 派に相違ございません。しかも、ただいま国元では大甘派の上 責任を問われ、家老職を解任の後に幽閉され、没する くらんど 原与市が、老臣の小笠原蔵人始め、伊藤六郎兵衛、小宮四郎右 小倉藩江戸屋敷側用人。兵庫とは若い頃からの友 菅三左衛門 そそのか 人 衛門、二木勘右衛門らを唆しておるのでございます . 菅源太郎 : : : 菅三左衛門の嫡男。旧大甘派の中心 「さようなことはわかっておる。さればいかなる手を打つかと 小笠原出雲 : : : 藩の大物。失脚していたが、農民騒動を策動させ 訊いておるのだ」 兵庫を追い落とし家老に返り咲く。新六に対立する旧大甘派の動 忠固はこめかみに青筋を立てて苛立った表情になった。出雲 きを密かに探るよ、つ命じる は落ち着きはらって言葉を継いだ。 伊勢平右衛門 : : : 藩の重役。出雲派 しぶたみしゅぜん 「されば、お側用人の渋田見主膳を家老に昇進させてはいかが 伊勢勘十郎 : : : 平右衛門の嫡男。酔った勢いで吉乃に狼藉を働く が、寸でのところで新六が吉乃を助ける。後の御前試合で新六に でしようか 挑むも、逆に肩を砕かれてしまう 出雲は国元の重臣であり、かねてから親しい主膳の名をあげ 上原与市 : : : 儒学者。源太郎の友人。旧大甘派 直方円斎 : ・ : ・剣客。源太郎の友人。旧大甘派 「渋田見かー」 早水順太 : : : 宝蔵院流の槍の遣い手。旧大甘派 忠固はやや首をかしげた。主膳は出雲と同年でかねてから肝 とカ 253 風花帖
明るい陽射しが斜めに入り込み、畳に あいだを空けずに、左門はすぐに本題「いえ、存じませぬ」 日だまりを作っている。 に入った。 やはりな、と左門はった。これはど その光がわずかに当たる端のほうに、 、つい、つ一」 A 」ろ、つ 「お呼び立ていたしたのは、小西どのに 左門は座していた。 お話がききたいからです」 考えてみれば、と左門は思い起こした。 道場ではもう稽古がはじまったようで、 弥左衛門が首をひねる。 湖西屋に忍び込んだとき、あまりに調子 門人たちの気合や竹刀が激しくぶつかり 「はて、どのようなことでござろう」 よく湖西屋の二子のことが夫婦の話に出 合う音が聞こえはじめた。その様子を、 いきなり核心を突いてもよいだろう、 てこなかったか。 この座敷を快く貸してくれた師範の作右と左門は判断した。 まるで俺が忍び入ったのを見計らって 衛門は見守っているのだろう。 「小西どのは、駿河大納言をご存じか」 いたような頃合だった。 「お待たせした」 「駿河大納言といわれると、徳川忠長さ いや、きっと知られていたのだろう。 静かに襖を開け、男が入ってきた。一 まのことでござろうか」 どうして忠長一派はわざわざ、湖西屋 礼して、左門の前に正座する。刀を自身 左門はじっと見ていたが、弥左衛門の の二子が九州に行っていることを教えた の右側に置いた。 顔に動揺の色はない。 のか 男は五十半ばという見当か。ややしわ 「お名はもちろん存じていますが、お目 もしや、と左門は思った。この俺に九 深い顔をしている。細い目は鋭いが、柔に かかったことはござらぬ 州に来させかったのか 和さも宿しており、穏やかな性格である 「一度もですか」 、どうしてそんな真似をする必要 のが左門に伝わってきた。 「一度もありませぬー があるのか 謀議を凝らしそうな者には見えない さようか、と左門はいった。この男は 左門にはわけがわからない。 むしろ、誠実さと頭の巡りのよさを感じ こたびの謀略に荷担しておらぬ、とすで わからずともよい、と断じた。 させる。中肉中背で、剣の遣い手という に判断している。どんなにとばけよ、つと、 俺にできるのは、とにかく前に進むこ 感じはない。かりに刀で斬りかかられた悪事に加わっていれば、卑しさが顔に出とだけだ。 としても、無手で十分に倒せる自信があっ るものだ。小西弥左衛門にはそれがない。 前に進むことで、真相を暴き出す。 こさいや 「湖西屋という店をご存じか そして忠長を倒す。 「それがし、柳生左門と申すー 「湖西屋でござるか」 上さまの頭上に広がる憂慮の雲を、こ 丁寧に名乗り、左門は頭を下げた。小 少し考えたようだが、 弥左衛門はかぶの俺がきれいに取り払ってやるのだ。 西弥左衛門も名乗り返してきた。 りを振った。 ( 第十六回了 ) 鈴木英治 448
「それでは家中がおさまりません」 源太郎は主膳に続いて立ち上がると、玄関まで見送りに出た。 「むしろ渋田見殿を罷免なさるべきでございます」 玄関先には主膳の供ふたりが控えていた。 「出雲様のなされように不満を持っ家中の者は多いのでござい 主膳は玄関先で刀を差し、出ていこうとしたが、ふと、振り まする」 向いた。 蔵人たちは大広間で忠固に相次いで言上した。 「本日はまことにありがたきお話をうかがえた。これからのこ 忠固は黙って家老たちの言い分を聞いていたが、話が一段落 とを思うと、まことに心丈夫でござる。菅殿とそれがしはこれ すると、吐き捨てるように言った。 から同志であるとお思い願いたい、 「主命に逆らうとは、まことに不忠の者たちであるな」 なめらかな口調で主膳は言った。 げんち 忠固の言葉に家老たちは凍りついたようになった。不忠の臣 源太郎ははっとした。主膳の誘いに対して、何の言質も与え とまで言われては 0 これ以上の諫言はできない てはいなかった。だが、主膳は供の前で声を高くしてあたかも 黙り込んだ家老たちを見据えた忠固はこめかみに青筋を立て 源太郎との間で約東事ができたかのように振舞って見せたのだ。 た癇性な顔つきで、 「渋田見様ー」 「そなたらの申し条は相わかった。それ以上、聞きとうはない 源太郎はあわてて声を発したが、主膳は重々しく、 ゆえ下がれ」 「大事ござらぬ。菅殿の心中、よくわかり申した」 きびす と言った。 と言って踵を返し、背中を向けた。主膳は呆然としている源 「仰せではござりまするが」 太郎を残して、そのまま蒸し暑さが増した陽射しの中へと出て 蔵人がなおも言上しようとすると、忠固は腹立たしげに立ち いった。 上がった。 「もはや、聞かぬと申したのが、わからぬか」 小笠原出雲は家老たちと話し合いを行った後、あわただしく 厳然とした言葉に家老たちは、言葉もなくうなだれるしかな 江戸へと戻っていった。 家老たちとの協議はととのわないままで、家中にはしこりのかった。 小笠原家中の対立はもはや抜き差しならないものになろうと ようなものが残った。 していた。 九月に入って、藩主忠固が帰国した。 渋田見主膳を家老とすることをあらためて告げられた小笠原 蔵人や伊藤六郎兵衛、小宮四郎右衛門、一一木勘右衛門らはこぞっ て反対した。 263 風花帖