か。どこも同じだと言っただろう。結城 藤太は、風に吹かれて飛んできた紅葉はすでに一枚の枯れ葉ではなくなってい つま が足利の遺児を抱え込んだのは金になるの葉を摘み上げた。葉は枝から落ちて随る。ひょっとこと出会えた今日という日 からに決まっている。誰も彼もが生臭い 分と日が経っている。地面の上で年を越を表す、大切なものに変わっていた。 利にありつこうと目の色を変えている し赤茶色に変色した葉が、風に舞い上げ「その枯れ葉は、今日お主に会えた印だ」 ほほえ まともな殿様は絵物語の中にしかいない」られて飛んできたらしい。冬を越えた葉藤太は微笑んだ。 伽那の前だとわかっていても、つい の先が縮こまっている。何が面白いのか、 またも小五郎は自分が呟いたのではな 五郎の口から愚痴がこばれた。藤太は何その枯れ葉を藤太は眩しそうな目で眺め いか、と思った。自分が考えていたこと ている も言わずに庭を眺めた。日が傾き、 を藤太が言葉にする。それだけだろうか、 だいだいいろ 橙色の日差しが庭とその先の畑を照らし ただの汚れた葉だ、と小五郎は訝しんと思わずにはいられなかった。そうでは ている。藤太の視線につられて小五郎も あるまい、と思った。 だ。何が珍しいのだろう。 庭の向こうに目を向けた。腰の曲がった 「ここから見える風景は何もかもが美し 小五郎は腹の底が震え出すのを感じた。 農夫が背丈よりも長い鍬を担いで家に帰 いな」 ひょっとこに似た藤太の顔を笑ったから るところだった。この辺りの田畑は荒れ 藤太は手にしていた紅葉の葉を小五郎ではない。小五郎は身体が震えるほどに 果てている。それでも己の食べる分だけ に差し出した。思わず小五郎は手のひら興奮していた。 を細々と作っているのだろう。畦道を歩に受けた。 このひょっとこは、おれをわかってく ゅうひ く農夫の姿がタ陽に染まった森を背景に れる。 「お主に会えて嬉しい」藤太は笑った。 いろあ 小さな影になっていく。色褪せた風景だ、 おう、と小五郎は声を上げたいほどに と小五郎は思う。この地で育った小五郎驚いた。 「春には結城の城が落ちる。次は古河だ。 は、子供の頃からこの風景を眺めている。 変わった。 春が終わると、おれたちが死ぬ季節が来 人も景色も疲れ果てたように寂しい。も 色褪せた枯れ葉だったはすのものが、 る」 うすぐ、と小五郎は思った。日が暮れる。藤太が小五郎の手に落とした瞬間に目の 小五郎は、つい感傷的な言葉を使った。 「日が暮れるな」と、藤太が言った。 覚めるほどに鮮やかな別のものに変わっ彼は、藤太に対して奇妙な感情を抱き始 小五郎は軽い驚きを覚えながら藤太をた。そう思った。もちろん小五郎の手にめている。 見た。藤太の言葉を、たった今自分が呟あるものは相変わらず一枚の枯れ葉に過 まるで身体の一部がつながっているか ごと いたような気がしていた。同じ事を考えぎない。変わったのは、それを見る小五の如くに言葉が通じる。春、という言葉 ているのか、と心が騒いだ。 郎のほうだろう。小五郎にとって、それも、死ぬ、という言葉も、針の先ほどの あせみち いぶか もみじ 吉来駿作 48
かえで きく、荷を持ったひょっとこの足が地面 伽那はひょっとこの背中から降りると、 伽那と小五郎が台所を覗き込むと、台 なかす 下女のはるを呼んで、お腹が空いたと言っ に沈むほどに重い。それを地面が窪んで所の隅に座り込んだひょっとこが握り飯駿 来 、」 0 穴のようになっている場所へ置いた。 を食べていた。見ているこちらの腹まで 吉 せわ 「雷様もよ」 「お主、何を運んでいるのだ ? 」小五郎減ってくるような、忙しげな食べ方だっ が近づいてきた。 伽那はじっとひょっとこを見つめた。 た。握り飯を食べ終えたひょっとこに、 さゆ まるで視線で捕らえられたかのように ひょっとこは無言で小五郎を見た。小 はるは白湯を出した。はるの手が震えて こら ひょっとこは動かなかった。伽那が先に五郎の顔が緩む。ひょっとこの顔を見て いるのは笑いをんているからだ。ひょっ 動いた。弾けたように笑うと。軽やかな いると小五郎はどうしても笑い出してしとこは何も言わすに頭を上げ、白湯を飲 まう。笑いながら聞いた。 んだ。 笑い声を残して屋敷の奥へ駆け込んでいっ 「砂金でも盗んできたか ? 」 「お主、名は ? 小五郎は聞いた。 ひょうどうとうた 「ほう、ほう」庭にいた武士がひょっと「土だ」ひょっとこは答えた。 ひょっとこは顔を上げた。「俵藤藤太」 こを見た。「おれは、生きたひょっとこを「土 ? ・小五郎は信じない。馬に土を積と答えた。 んで旅をする者など、聞いたこともない。 見ておるわいー 「ひょうどう ? ー伽那は首を傾げている。 ひょっとこは黙ったまま、その男を見 ひょっとこは馬をつなぐと屋敷のほう 「雷様じゃないのね」 、」 0 に歩き出した。残った小五郎は刀を抜い 「名までひょっとこに似ている」小五郎 「おい、ひょっとこ。馬の手綱は入り口てひょっとこの荷の袋を少しだけ裂いた。 は噴き出した。「そう言われたことがある んろ、つ ? ・ 本当に土が入っていた。 の外にある鉄輪につなげ うなず ひょっとこは男の言葉を無視した。庭 ただ、奇妙なほどに白い。 「ああ」ひょっとこは頷いた。「子供の頃 ひをとこ を見回すと、屋敷から一番離れた場所に は、俵藤をもじって火男と呼ばれた」 楓の木があった。すでに葉は落ちて寒さ「雷様は ? 」 「そうであろう」小五郎は膝を打った。 の中で枝が縮こまっている。その楓まで 食事を終えて新しい着物に着替えた伽「みんな、考えることは同じだ」 馬を引いていくと、そこに馬をつないだ。那は、小五郎に聞いた。 ひょっとこは、じろりと小五郎を睨ん その様子を庭にいる武士たちが眺めてい だ。が、その顔にすらおかしみがある。 「座敷かとー た。小五郎や七郎太も混じっている 「いないのよ」 あるどころではない。小五郎は腹を抱え すると下女のはるが、台所でございまて笑い転げている。 ひょっとこは馬の背から振り分けの大き な荷を下ろした。ひとつが米俵ほどに大すよ、と言った。 しばらくして笑い止んだ小五郎は、す かなわ
小五郎には信じられない。が、違うと 郎でさえ時に息を呑むような気持ちにさの背中がまだ笑い続けている。 もう一人の武士は小五郎の同輩で名をは言えない。伽那は姫君である せられることがある。伽那に見つめられ あおたしちろうた 「不思議な話でございますな」 て、ほんの一瞬、ひょっとこが慌てたよ青田七郎太といった。小柄で痩せている すご 「雷様は凄く強い ? が、真っ黒に日焼けしていて牛蒡に似て うに見えた。 のそ 「しかし、この者は雷様には見えません」 いる。牛蒡も笑っていた。白い歯を覗か 「小五郎。刀を納めなさい」ひょっとこ 「あら . に負ぶさったまま、伽那は言った。「私をせながら、七郎太はひょっとこの背中か 伽那は小五郎を軽く睨みつけた。 ら伽那を下ろそうとした。 拐かしたのは鎌倉管領の家来たちです。 おひと 「じゃあ何に見えるの ? 」 伽那は首を振った。 この御人は私を助けてくれました」 小五郎は正面からひょっとこの顔を見 「このまま」 「これは御無礼をいたした」 このまま、ひょっとこに背負われて館た。答える前に笑い出した。 小五郎は刀を鞘に納めると、ひょっと 「どうしたのよ、小五郎ー に帰りたい、とい、つことらしい この顔を眺めた。目を吊り上げていた小 ひょっとこの背中に揺られながら、伽 「お主はどうだ ? 」小五郎は笑いを噛み 五郎の顔が途端に綻んだ。だけでなく、 那は小五郎を睨んだ。 殺しながらひょっとこに聞いた。 小太りの身体を震わせるようにして笑い 出した。 伽那を負ぶったまま、ひょっとこは無 伽那の住む館は、渡良瀬川からほど近 言で歩き出した。 「左様であろう」喋りながらも笑った。 い葛西の森のそばにあった。 古河の城から南へ半里ほど離れている。 「小五郎」 すぐにわかった。いやあ、無理だ」 ひょっとこに背負われながら、伽那は広い庭があり、母屋の他に五つの棟があ 語尾が笑い声に呑み込まれた。そうい る。伽那の実の父親は伽那が七つのとき う小五郎を、ひょっとこは無言で眺めてそばを歩く家来に声をかけた。 に死んだ。母親は伽那を連れて矢部義基 いる 「何でございましよう」 そばめ の側女になったが、伽那が十二の時に亡 「この御人は、雷様よ」 「いや、すまん。口が滑った」 くなっている。それ以来、伽那は母親が 小さな声で言った。無論、背負ってい 小五郎は慌てて自分のロを手で覆った。 るひょっとこに聞こえている 住んでいた矢部義基の別邸に暮らし続け 「言っておくが、お主の顔がひょっとこ ていた。屋敷には小五郎を含めた義基の 小五郎にはわからない 「雷様とは ? に似ているなどと言っているのではない 家来五人と下働きをする男女三人が住み 「鎌倉の家来たちに雷を落としたの , ぞ。そんなことは考えたこともない 込んでいる。 そう言うと小五郎は背中を向けた。そ「それは」 「その顔では悪事はできん。顔を見れば、 さや しゃべ ごば、つ かさい こが わたらせ 43 火男
太い首をぐるりと回して、自分の家来ら流れ出してしまうことに、小五郎は慌 「あれが、安重様だ」小五郎は藤太に囁 てた。だがロが閉じない。「ここを捨てて を呼び集めた。 他へ行けと言いたいのだろうが、どこへ 「今夜、商家を襲うぞ。兵糧と砂金はい 安重は、藤太を見つけると縁側から立 行こうが同じよ」 ち上がった。体格の割に動きが良い。異くらあっても足りん」 小五郎は大げさに首を振った。 矢継ぎ早に家来に命じてから、安重は 様なことに身体の大きさに比して足がひ あるじ 「今の主を離れて、今度は安重様の家来 どく短かった。腰を下ろして反つくり返っあからさまな作り笑いを顔に貼りつけて になるか。それで何が変わる。おまけに ているときには巨漢だが、立ち上がると藤太を見た。 「戦える者は歓迎するぞ。よく来てくれ家族を押さえられている。逃げ出すわけ 存外に背が低い にもいかん」 「お主が、ひょっとこか ? 言葉が愚痴になった。小五郎はロを閉 そう言い残して離れていった。おれの 安重は笑いながら藤太の顔を覗き込ん だ。下唇が舌で舐め回したように濡れて甲冑を持ってこい、と怒鳴っている。そじた。 「風は、あの山から吹くのか ? 」藤太が いる の声は藤太にかけた声とは別人のように 口を開いた。今の話題とは別のことを聞 激しかった。 藤太は黙ったまま、安重を眺めた。 小五郎は、藤太に済まなそうな表情を 「おい」安重は小五郎を睨んだ。「ひょっ 小五郎は顔を上げた。 「山 ? 見せた。 とこはロが利けんのか ? 」 いつの間にか強い風が吹き出していた。 「この御方は、俵藤殿です . 小五郎が紹「この城では誰が山賊で、誰が武士なの 空の高いところをちぎれ雲が流れていく。 か区別がっかぬ , 介した。「大変な遣い手です」 藤太は無言で遠ざかる安重の背中を眺藤太は目を細めて風上を見ていた。薄墨 「ほう」安重の目が針のように細くなる。 で描いたように日光連山が並んでいる。 今度は本当に笑ったようだ。「お前よりもめていたが、巨体が館の陰に消えると小 五郎に顔を向けた。黙っている。が、そ「この地を吹く風は乾いている」右手を 遣えるか ? 」 持ち上げた藤太は、手のひらで風を受け の目は話しかけるように小五郎を見てい 「鎌倉の斥候三名を一人で倒しました」 止めるような仕草をした。 小五郎の言葉に安重は尻餅をつきそ、つる。藤太に見つめられると、今の小五郎 目の ごの季節、総州の空は特に高い。 は黙っていられなくなる。舌が勝手に喋 なほどに慌てた。藤太の剣の腕に慌てた 覚めるほどに青い のではない。鎌倉の斥候が来たことに驚り出してしまう。 あかぎ 「風は赤城の山から吹くと聞くが いていた。 「お主が聞きたいことはわかる」話そう ほんのわずかな会話でも、小五郎は藤 か、どうしようかと迷う前に言葉が口か 「ついに来たか」 51 火男
「お主ー爺様は目を細めて藤太を眺めた。爺様は知らぬ振りをしてくれた。 見た。なおも我慢している。 爺様の顔は目鼻などの個々の造作は立 「相当遣うな」 「見たことのない顔だ」 かろうじて、それだけを言った。言葉 藤太は黙って茶を飲んでいる。爺様は派だが、生気がなく濁っている。この世 を上手く生きられぬ己のふがいなさが爺 数が増えると笑い出してしまいそうにな鷲の嘴のような鼻を小五郎に向けた。 るのだろう。だが黙り込んでいると無礼「この、ひょっーとまで言って、慌てて様の顔をどろりと濁らせている。小五郎 にはわかる。そ、つい、つ者ばかりか、この に当たると思ったのか、笑いを堪えなが言葉を呑み込んだ。「ひょっとしたら、と 城に集まっている。おれの顔も、と小五 ら無理矢理に言葉を舌に載せた 言おうとしたのだ」 郎は腹の底で笑った。端から見れば同じ なんとか言い繕ったと爺様は真っ赤な 「この城では見かけぬ顔だ」 かんろく ように映るに違いない。爺様は、それを 老いてはいるが貫禄のある爺様が慌て顔で息を吐いた。 ている様を、小五郎は好ましく眺めてい 「ひょっとしたらだ」爺様はなおも繕お察してくれたのだろう。 る。人が良く、腕も立つ。こういう男が うと大きな声で繰り返した。「この者に剣「総州に来て嬉しいことがある」 うつむ 浪人になり、安重のような男が城の主に 爺様は喋り続ける。いつもは俯いて静 を持たせたら、この城で相手になる者は ゆが かに茶を飲んでいる爺様が、藤太と会っ なる。こういう世の中の歪みに触れるた びに小五郎は身体が地面に沈み込むよう 「それほどの遣い手か ? 」小五郎は改めて軽い興奮を覚えている。藤太と会うと な気持ちに襲われる。 て藤太を頭から爪先まで眺めた。どうも誰もが饒舌になるらしい 「旨い」藤太は茶を飲んだ。 小五郎には、藤太が剣を遣えるとは思え 「傑物に出会える」爺様は言った。 その姿に小五郎は笑みを誘われた。実ない。 「誰のことです ? ーと小五郎は聞いた。 二人いる、と爺様は言った。「一人は此 「野田様も、そこそこの剣を遣う。だが、 に旨そうに飲む。ふっと身体が軽くなる 気がした。爺様も嬉しそうに藤太を眺めこの者には及ぶまいー爺様は白い髭をひ度の鎌倉の大将、上杉憲信だ」 ている。 くつかせた。 「憲信に会ったのですか ? 」小五郎は思 うじむし 「で、あろう」我慢のくびきから解放さ「野田様は」小五郎は、己の言葉に蛆虫わず身を乗り出した。 を踏み潰したときに似た嫌悪が混じるの 「一一年ほど前に一度、遠目に見た。大きな れたように爺様は白い髭を振るわせて笑っ 男だ。身体も大きいが頭も大きい。その を抑えられない。「腕は良いが質が悪い 頭に鬼の角と恐れられる兜を被っていた」 この爺様も時に商家に押し入ることはおれは嫌いだ」 うわさ 「憲信の兜は噂では三尺もあると言いま ある。だが金も女も取らない。必要な量「まあ、強さは大事さ」 さと の茶しか取らなかった。 その嫌悪を爺様に覚られた気がしたが、すが」小五郎は確かめずにはいられない。 たち はた かぶと 53 火男
東の武士とは違う専業の武士である。対ろうが」 「それを持っている者にはたいしたこと して城に籠城するのは二万騎に過ぎない。 小五郎は、ちらと伽那を見た。伽那のがなくても、持っていない者には大変な ( し力ない。 その二万の中に、鎌倉から見れば武士と前で殿の悪口を言うわけによ、、 価値があるように見えるものらしい。嫁 は言えない者が多数を占めている。だが伽那は笑みを浮かべたまま、父は変わりを持つ者は女を鬼のようだと言うが、嫁 思いの外に攻城戦が長引き、年を越した。者ですから、と言った。 を持たない者は女を天女のように思い込 しかし、結城城は落ちる。誰もがそう 「殿は城を持っことに執着がある。いつむ」藤太は顔を伏せたまま、言った。「お 考えている。結城が落ちれば、次に憲信かは城の主になりたいという執念で凝りれは嫁を持ったことがないが」 が古河城の制圧に向かうのは間違いない。 固まっている」 「それだろう」小五郎にも無論わかって てんじく 小五郎が藤太を仲間に引き入れようと 「城にそれほどの値打ちがあるのか ? いる。「殿は城を天女か天竺のように思い するのは、当然のことながら兵の数が足藤太は聞いた。 込んでいる」 きまま りないからである。足りないどころでは 「おれにはわからん」 「私には気儘がそういうものに思える」 つぶや ない。古河城に籠もるのは三百に過ぎな 「人といのは」藤太は腕を組んだ。 伽那が呟いた。「気儘に旅ができる人が羨 い。さらに言えばその者たちは、刀より そのとき、藤太がちらと目の端で伽那 くわ も畑仕事で鍬を振るうほうが得意な者やを見たのが小五郎にはわかった。日の出 伽那は藤太に熱い眼差しを向け続けて 山賊野伏ばかりである。戦にもなるまい。 を見るような眩しげな視線だった。 いた。それに対して藤太のほうは伽那の 「それが手に入らないとなると無性に欲視線を外そうと汗を掻いている。そのこ 「おれは逃げるしかないと思うが」小五しくなるらしい」藤太の声は低く、耳に とが小五郎には愉快だった。このひょっ 郎は腕を組んだ。「殿は籠城すると言い 心地良い とこは、と思った。風を追いかけて走る 張っている」 伽那は黒々とした目を藤太に向け続け少年のようだ。 小五郎の言葉に藤太は驚いたらしい ている。何気なく伽那に向けた藤太の視「古河の城は義基殿のものではないのだ ひょっとこに似た顔が、ますます滑稽に線が伽那の視線と絡んだ。慌てたように な」伽那の視線に息苦しくなったのか、 なった。滑稽な顔だが目に邪気がなく、 藤太は顔を伏せた。 藤太は小五郎に話を向けた。 まぶ 小五郎を見て眩しそうに目を細めている。 うぶな男だ、と小五郎は胸の中で笑っ 「殿のものではない。殿と共に籠城して その視線が小五郎には心地良かった。 た。笑ったが、嫌な気はしなかった。主 いる安重様の城だ」 「お主の考えていることはわかる。どう の義基とは随分に違う。姿が良い。眺め 「では義基殿のものにはなるまい」 して殿は逃げないのか、ということであていて気持ちが良かった。 「そうでもない、と殿は考えている。安 吉来駿作 46
鬼の角と呼ばれる憲信の兜は戦場のど「爺様には見えぬ。まだ十分に若い . 藤も会えない。 「城で見たいところがあるか ? 」小五郎 こからでも見えると聞いている。兜を見太は生真面目に答えた。 「いやいや。おれは老いた。以前は爺様は藤太に聞いた。 たら、敵も味方も慌てて逃げ出すという。 と呼ばれると苛ついたが、今はそれが当「この土は ? 「まことに奇っ怪な兜だ。こう」爺様は 藤太は、土塀の脇に積み上げられた土 自分の頭の上に手を持ち上げて、指を天然と思うようになった。そう呼べ。その やり の山に指を触れた。粘土質で色が黄色い に向けた。「頭のてつべんが槍のように上ほうが落ち着く きんばく 「抜け穴を掘っている」 「では、爺様」 に伸びて、先端に金箔が貼られていた。 小五郎は藤太を穴まで案内した。北側 「何だ」 二尺はゆうにある見事なものだ」 の塀の手前にある小屋の中に抜け穴の入 「茶のお代わりを所望したい。かほどの 「どんな男です ? 「男ではない。怪物よ , 爺様は繰り返し茶を、おれは生まれて初めて飲んだ。実り口がある。山崎の爺様の進言で金掘り の者を掻き集めて去年の夏から掘らせて た。「あれに攻められては結城の城が可哀に旨い そう いる。抜け穴は二十町ほども伸びて、城 「この茶がわかるか」爺様の表情が蕩け 想だ」 すずめ の北西にある雀神社の森に抜ける仕組み 「では、もう一人は ? 」小五郎は身を乗た。 り出した。 小五郎が見るところ、爺様はすでに心 だ、と言った。小屋の底を一間ほど深く まで蕩かされている。が、爺様自身はま掘り下げ、そこから横に掘り抜かれてい 「もう一人は、ここにいるひょっ」 だ気づいていない。目尻を口元まで下げる。穴の内部は杉板を並べて天井と壁を 慌てて爺様はロを閉じた。藤太がじっ るほどに相好を崩して笑うと、火鉢に掛支えていた。穴を覗き込んだ藤太は周囲 と見つめている。小五郎は笑いを堪えな すく の板を拳で軽く叩いた けた鍋から熱い湯を掬った。 がら爺様を眺めた。 「何だ ? 」小五郎は聞いた。 「ひょっとしたら、だ」わしは今、そう 「悪くはない」藤太は、さらに叩いこ。 今日は、城内に義基の姿が見えない。 言おうとしたのだ、と爺様は唾を飛ばし 「おれの爺様は穴掘りの名人だった。こう て怒鳴った。「ひょっとしたら、この」 「どこだ ? した穴をいくつも掘った」 そう言って藤太を指さした。「お前が傑 小五郎は同輩を探して聞いた。 藤太は壁を叩きながら穴の奥に入り込 「伽那様のお屋敷に」同輩の顔が歪んだ。 物だ」 んでいく。姿が見えなくなった。しばら 「またか」 「義正様 , 藤太は、ようやく口を開いた。 小五郎は足を止めた。主の義基が娘のくすると穴の奥から低く響く声が小五郎 「爺様で良い。ここにいる連中の大半が、 おれの名を知らん」 屋敷へ行く理由はわかっている。急いでに届いた。 かわい とろ 吉来駿作 54
おっしゃ てならなくなっている ないとも仰っていた。だから焦っている」 重様は鎌倉勢の大軍に浮き足立っている。 「父の言うことなんか聞かすに逃げちゃ いずれ城を捨てて逃げ出す、と殿は見て 「上杉の大軍は、足利の遺児が起こした いる。今の世は何が起こるか誰にもわか反乱を鎮圧するのが目的だ。この地を攻えば良いのに」伽那は子供が怒ったとき とど にするように口を尖らせた。 らない。踏み留まっていれば城が手に入め滅ばすために来るわけではない。つま 「そんなことをしたら家族親族が殺され るかもしれぬ。つまり安重様が逃げ出すり我らが籠城するからこそ攻めてくる。 までは、何があっても殿は城に居続ける」城を捨てて散り散りになれば、鎌倉が攻ます」小五郎の顔が強張った。 家来たちの親族は渡良瀬川の川向こう 藤太は静かに耳を傾けていた。時折、 める理由がなくなる。城が空になれば、憲 に集まって暮らしている、と小五郎は説 眩しそうに小五郎を見る。その度に小五信は大軍を引き上げて鎌倉に帰るだろう」 明した。義基は、そこに実弟と十人ほど 「籠城することがまずいのだな」藤太は 郎は自分の言葉が海綿に染み込む水のよ の兵を残している。もし家来が反旗を翻 うに藤太の身体に吸い込まれていく気が短く言葉を挟んだ。 した。小五郎は、こんな風に自分の言葉「お主の御先祖が務めていたという検非したら、義基の弟が兵を引き連れて家族 を聞いてくれる者に会ったことがなかっ 違使と同じだ。夜盗が商家に押し込めば、親族を皆殺しにするだろう。 じようぜっ 「今の総州はな、そうでもしなければ家来 た。つい饒舌になった。 それを捕まえるのが検非違使の仕事だ 「殿にとっては何よりも城だ。そのこと夜盗が商家に居座り続けたら、検非違使に寝首を掻かれる有様だ。どこの殿様も に関しては家来の言葉など聞く耳を持た は商家を取り囲み夜盗を捕まえようとす同じだ。雇う者も雇われる者も命がけよ」 おれにはそんな野心はないがな、と小 ぬ。城が手に入るかもしれぬのだから最る。だが夜盗が姿を消せば、検非違使は 後まで城に残る、と鼻息が荒いー いつまでも商家を囲んではいるまい。他五郎は寂しげに笑った。 ちやわん 「おれは人の下で働くのが性に合ってい はるが差し出した茶碗の白湯を小五郎の夜盗を捕まえに行くだろう。そういう ことさ る。人からこうしろと言われれば身を粉 は飲んだ。その間も藤太は無邪気と言い にして働けるが、自分で事を始めること たいくらいの生真面目さで自分を見つめ 小五郎の言葉が弾む。 てくる。自分の言葉を待っているのがわ 「ただし城に籠もり続ければ、最後の一がどうにも苦手だ。ようやくに今の殿に 雇うてもらえたところでな。家族を養う かる。そのことが小五郎を躍り上がるほ人が死ぬまで攻めてくる」 には、そうそうには逃げ出せぬ どに嬉しがらせた。 「そうまでしても義基殿は城が欲しいか」 「他にも主はいるだろう」藤太は聞いた。 「無論のことだが、城を捨てれば鎌倉勢「執着している。此度のことが城を手に は来ない」 入れる好機だと考えているようだ。これ「この総州にか」小五郎は笑った。「安重男 小五郎は、藤太に話をするのが楽しくで城を手にできなければ二度と手にでき殿に仕えよと言うか。それとも結城の城 こたび が
“すけ鍼 ささや きた」七郎太は小五郎に囁いた。「三名の 返し眺めた風景が、生まれて初めて見る 誤解もなく藤太の胸に染み込んでいく。 どうまるこて みずみす 武士が死んでいた。胴丸や籠手の拵えは 景色のように瑞々しく映り始めていた。 小五郎の言葉が血に溶けるようにひょっ と、も とこの身体に吸い込まれていく。何を話遠くに小さく灯った家々の明かりが満天この地では見かけないものだ。間違いな 鎌倉勢の斥候だろう」 の星のように煌めいている。長い鍬を背く しても受け止めてくれる気がする。 七郎太は、小五郎の隣に座っている藤 恋をしている相手が嬉しそうに自分の負った農夫が遠ざかっていく。家族の待 話を聞いてくれるときの幸せは、比べるつ家に帰るのだろう。そこには温かい食太に青黒い顔を向けた。 かわい たの 「お主が殺したのか ? ものがないほどに愉しい。まさにそれと事と可愛い孫が待っているに違いない 「そうです。雷様がお一人で」藤太の代 同じように小五郎は多弁になった。喋り笑い声があり、愛する者がいる とうの昔に色褪せたと思い込んでいたわりに伽那が答えた。「雷様はもの凄く強 たくてうずうずしている自分に気づいて いのよ」 驚くと共に、そういう自分に声が上ずる風景が、小五郎の目に美しく輝き出して 「しかしー七郎太は額を手のひらで拭っ いる。かっ愛おしかった。 ほどに喜んだ。こ、ついう相手に向かい合 た。冬だというのに汗を掻いている。「人 うのは幼い頃の父以来ではないか、と思っ の手で殺したとは思えない死に様ですぞ」 行灯に火を灯そうかという頃合いに、 た。川向こうに残している奥や幼い息子 にすら、こういう感情を抱いたことはな七郎太が部屋に入ってきた。痩せて日焼「どういうことだ ? 」小五郎は聞いた。 これほどに垣根のない相手に初めてけした牛蒡のように黒い顔がほのかな灯・「顔が石榴のように割れている 「斬ったのではないのか ? りの中で青ざめている。 巡り会えた、と思った。 「まるで違う。こう」七郎太は自分の顔 小五郎の目に、今まで飽きるほど繰り「伽那様からお聞きした場所を確かめて 鍼一本、灸ひとっーー人助け、世直しいたします′・ 江戸は深川蛤町で鍼灸師を営む染 谷は、腕の確かさでクッポ師なの異 名をとるほどの名手。世直しに奔 走する日々を描いた長篇時代小説。 定価 609 円 ( 税込 ) 【朝日文庫】 296 頁一 SBN978 ー 4 ー 02 ー 264576 ー 0 山本一カ あんどん きら 山本一カ こしら ASAHI お求めは書店、 ASA ( 朝日新聞販売所 ) でどうそ。朝日新聞出版 49 火男
太と言葉を交わせることが楽しい しかった。商家を襲うが滅多に人を斬ら男は人が恋しいのかもしれん」と小五郎 「お主も風が好きか ? 」 ない。小五郎と七郎太の二人が家来たちは付け足した。 「好きだ」藤太は答えた。 を統率し、最低限の規律を守らせていた。 「おれもだ」小五郎は勢いよく返事をし五十人のうち、小五郎他五人は伽那の屋 野伏の中にも、わずかながら真っ当な 敷に寝泊まりしている。また別の十人は者がいる。 やまざきさぶろうよしまさ 藤太は首を振った。 義基の警護をしていた。 山崎三郎義正が、それだ。義正は疱瘡 「違うのか ?. 他に何がある、と小五郎 残りを占めているのは野伏の百五十人の流行により、主家を失い、次に仕えた は聞いた。 だ。彼らは数人、あるいは十数人の小さ家も潰れた。それ以来、主を持たない。 、つ ) 」、つ 「焚き火が良く燃える」藤太は答えた。 な集団が寄り集まった鳥合の衆で、全員歳は五十一一。この時代、すでに老齢と言っ を統率する者がいない。その筆頭と言えて良い。弓が得意で、大柄な身体に筋肉 じすけ 城に籠もった三百の兵は、その素性のるのが遠見の治助だった。遠見という土を巻きつけた太い腕を持つ。顔の真ん中 わしくちばし ままに三つに分かれている。 地の出で、四十代半ばだが虫歯であらか に鷲の嘴のような立派な鼻がついている。 安重の家来は百名ほどで、武士の格好たの歯を失っている。黙ると皺だらけの鼻の下に生やした髭が白い。年齢よりは じいさま をしているが中身は山賊と変わらなかっ老人の顔になった。口を開くと鼻を摘み若く見えるが、周囲からは爺様と呼ばれ た。主従関係も薄い。家来たちが安重に たくなるような臭いが漂う。それゆえ周ている。 たやす 従っているのは、そうしていれば容易く囲の者から忌むように嫌われている。そ 小五郎が藤太を紹介すると、藤太の顔 商家に押し入り、金や食べ物を奪い取れういうことは本人が一番に感じ取るらしを見た途端に爺様の目がまん丸になった。 るからにすぎない。京鎌倉に対する反抗 く、栗のイガのように敵意を剥き出しに生きたひょっとこが歩いてきたと思った 、いも、結城に立て籠もった足利の遺児に して歩いている。人を苛むのを好み、商に違いない。が、笑わなかった。我慢し けん 対する同情もない。大義という言葉とは家を襲えば必ず人を殺し、女を犯す。喧た。そのために顔が真っ赤になった。 対極の、ただの盗人と言って良い。彼ら嘩上手で、どんなに汚い手でも勝てば良「茶は ? ーと白い髭を震わせながら藤太 は盗賊をするために安重の家来になって いと考えているために戦うと強い。ロ臭に聞いた。そばに茶の用意がある。 いる を我慢して付き従うものが二十名ほどい 藤太は軽く頭を下げて爺様の隣に腰を ふたつ目の集団が小五郎の主である義るのは、治助が稼ぐものを稼ぐと律儀に下ろした。小五郎も切り出した石のひと 基の家来である。総勢は五十余り。人数給金を払うからだった。 つに座った。手早く茶を淹れた爺様は平 は少ないが、この集団がもっとも武士ら「人に嫌われている分だけ、治助という らな石に茶碗を置いた。また藤太の顔を た。「風に吹かれると気持ちが良い , とおみ さいな しわ 吉来駿作 52