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検索対象: 小説トリッパー 2014年秋季号
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1. 小説トリッパー 2014年秋季号

「僕が誰かの血を吸うようになる前に、何とかしなくちゃ [ 錯綜する新旧の線は、だまし絵のようである。 暗い声で返した。 はたしてここは二車線なのか、三車線なのか 隣の車種を横目で確認しながら、運転する。小型中型が揃う 度だけ、彼の車に同乗して隣町までついて行ったことがあとすぐに三台は横並びになり、道は三車線となる。低速で前を る。 行くバスやトラックに近づいていくと、小型中型は大急ぎでそ まだ薄暗いナポリからすぐ高速道路に乗るはずが、なかなかの間を器用にすり抜けて、前へ出ていく。コマネズミが全速カ 普通道路から抜け出せない。道の両側には、びっしりと路上駐で逃げていくようだ。すると今度は車線が一本減り、バスとト 車の列である。寝ばけ眼で車窓からその車の列を見ているうち ラックと並ぶ二車線へと変わる。 に、おやと思う。車ばかり見えて、道路沿いには建物がない。 車線は確かに引いてあるが、あり過ぎて、いったいどれが正 対向車もいない。 しいのかわからない。 友人は慣れた様子で、車を走らせている。 運転手が各々に近づく車両と車幅を見て、自分たちで一一車線 「さてと、ここからやっと全速力だな」 か三車線かを瞬時に決めていくのだった。既存の規則に忠実な それまで、一般道路だと信じていたところは、もうすでに高運転手が生真面目一辺倒の運転を続けると、高速道路上での臨 速道路なのだった。入ってすぐの路上に、翌朝高速に乗って出機応変のきまりが乱れ、渋滞を生む。事故になる。 かける人たちが前の晩から縦列駐車していたのである。 自然渋滞が緩むや否や、我れ先に追い越し車線へと車が集中 ちょっと邪魔だけれど、と友人は苦笑いするが憤慨はしない。 する。それで追い越し車線が詰まり始めると、一番端の低速用 規則があっても、どうせ次の瞬間には破られてしまうのだ。 の車線から真ん中の車線に走り込んできて、追い越しをかけて くる。 しかし入り口での驚きなど、序のロだった。 隣町まで距離にして二十キロ足らずだが、高速道路に乗らな 私たちの車は、三車線の真ん中を走っている。左右から同時 いと到着はいつになるのか知れない。余裕を持って早朝に出て に二台の車が路線変更して、真ん中の前方に入ってくるのがサ きたのにもかかわらず、まもなく自然渋滞に巻き込まれてしまっ イドミラ 1 に映る 〈追い越し車線から真ん中に戻ってこようとしている車がある 路面をよく見ると、補修工事のために三車線のところを二車から、あんたはちょっと待って ! 〉 線に変更して引いた臨時車線が、工事後もまだ消されずに残っ 〈今、真ん中の車線に下りてきては駄目よ ! 低速車線から入っ ている。工事後に引かれた色違いの新しい車線が、臨時車線の てこようとしているのと、ぶつかる ! 〉 間を通る 私は助手席から左右の車線に向かって、叫ぶ。 内田洋子 270

2. 小説トリッパー 2014年秋季号

植え付けることなんかできない 「ね、話題にしてくれるだけでいいから」 光村さんは、本気だった。縋るような眼差しを向けてく 「いや、でも、それは困るし : : : 」 「ちょっと、うるさいんだけど」 山科さんが唇に指を当てて、あたしと光村さんを見やっ 、」 0 「音が耳に入らないでしよ。静かに」 あたしは肩を竦め、光村さんは唇を突き出して、黙り込 もしかして、助けてくれた ? 長身の山科さんをそっと見上げる。 山科さんは手元の楽譜に視線を落としている。先輩の演 奏を聴きながら、譜読みをしているのだ。 あたしも、目の前に楽譜を広げてみる。 音が途切れた。 藤原さんが振り向く。 「もう一度、第一楽章の練習番号を繰り返します。一年 生で一緒にやってみたい人は参加して」 ざわっ。空気が動いた 木管群が十六分音符を吹くところだ。流れにちゃんと乗っ て吹かないと遅れてしまう。テンポをとるのが難しい 「上手に吹こうなんて考えなくていいよ。音程やリズムも む。 る。 すが 気にしなくていい。ともかく、やってみようって気持ちさ えあれば、どうぞー 藤原さんが促すように、身体をずらした。 「お願いします」 山科さんがすっと、藤原さんの横に入って行った。胸に フルートを抱いている。抱えているんじゃなくて、そっと 抱いているのだ。 「あたしもー 競うように、光村さんが前に出る 藤原さんと目が合った。 おいでよ、相野さん。 眼鏡の奥の目がそう誘っている。 あたしはピッコロを胸に押し当て、山科さんの隣に立つ。 譜面台に楽譜を広げる。深呼吸してみる。 「では課題曲、吹奏楽のための組曲第一番。練習番号。 最初からいきます」 藤原さんの落ち着いた低音がパソコン教室に響いた。 「なるほど。やつば、フルートってのは経験者が多いんだ な」 菰池くんが、、つんうんと頷く。 あたしたち、あたしと菰池くんと久樹さんはいつものよ うに、三人でバス停まで歩いていた。 あたしは一一停留所先の戸倉病院前、菰池くんと久樹さん あさのあっこ 134

3. 小説トリッパー 2014年秋季号

市内を車で三十分ぐらい回り、空港へ向かう途中の道でガル んをこの町へ連れてきたの : ・ 太 シアは車を止めさせた。シャッタ 1 の下りた商店の前に女の子 話によれば、歯並びの悪い女の子は地方の農家で生まれ育っ が三人かたまって何かを話しており、そのうちの一人が小さな たそうだ。だが、 一一年前に父親が病気で死亡し、家と住宅を売井 赤ちゃんを抱いていたのだ。 り払わなければならなくなった。母親は仕方がなく娘一一人を連 ガルシアは周辺に車の通りが多いのを確認してから私たちをれてテグシガルバへやってきたものの、家を借りるお金もなく、 つれて近づいていった。彼女たちはそれに気がっき、怯えたよ路上で寝起きして過ごすようになった。 うな表情をした。一人は十歳ぐらい、もう二人は中学生ぐらい そんなある夜、母親が突然交通事故で死んでしまった。路上 で、そのうち歯並びの悪い女の子が赤ん坊を抱いていた。赤ん で寝ていたところ、ギャングが麻薬を吸引しながら車を暴走さ 坊は十カ月といったところだろ、つか せて、頭部を轢かれてしまったのだ。娘二人は泣きじゃくりな 「この赤ちゃんは、君たちの子 ? ーとガルシアが尋ねた。 がら母親が絶命するのを見守ることしかできなかった。 歯並びの悪い女の子が赤ん坊を抱きながら首を横にふった。 しばらくして姉妹は路上で知り合った別の二人の女の子たち 「お姉ちゃんの子 : : : 」 と一緒に生きていくことにした。彼女たちも最初は親とともに 「そうなんだ。お姉ちゃんはどこにいるの ? 路上生活をしていたものの、母親が流れ弾に当たって死亡した 「いない」 り、両親が蒸発してしまったりしていたのだ。路上ではギャン あまた 「いない ? 今どこに ? 」 グの抗争や麻薬常用者の襲撃など危険が数多あるため、できる 女の子は赤ん坊を抱きしめたまま歯を食いしばった。言いた だけ大勢で集まって暮らした方が安全だということで一緒になっ くない事情があるのかもしれない たのである。 三人の女の子はみなかなり痩せていた。足や腕は枝のようで、 私は一通り話を聞くと、赤ん坊のことについて尋ねた。 関節の骨が浮き出ている。ストリ 1 トチルドレンの中には栄養「この赤ちゃんはお姉さんの子なわけだよね。お姉さんの旦那 失調によって生理不順に陥り、妊娠できない体になっている子さんはどこにいるの ? 」 も少なくないかもしれないと思った。 歯並びの悪い女の子は首をかしげた。後ろにいる同じぐらい 私はガルシアを介して女の子たちに質問を投げかけた。 の年齢の子は、黄色いリポンを指に巻きながらじっと様子を窺っ ている 「いっから君たちはここで暮らしているの ? 「二年前」と歯並びの悪い女の子が答える。 「赤ちゃんのお父さんが誰かわからない ? 」 「自分の意思で来たの ? 彼女はまた首を傾げるだけだ。ガルシアが私にそっと言う。 「ちがう。お父さんが死んだから、お母さんがわたしとお姉ちゃ 「きっとレイプされたか、行きすりの関係で妊娠したんだよ。 おび

4. 小説トリッパー 2014年秋季号

「それでは部長、この次のご予定が : ・ 実績に執行役から常務執行役への昇格を果たしたのだ。 しくら上手く化けて 織田は、柳井に退席を勧めた。柳井は、、 「君を支店長にしたいと思ったが、どうも人事部がね」 支店長は顔をしかめた。 も銀行員ではない。このまま調子に乗って話し続ければ、いす れポロがでないとも限らない。顔見せだけが役割だった。それ 「人事部がどうしたんですか ? 私は充分に貢献をしていると が済めばさっさと退出させるに限る。 思うのですが」 「おお、忘れてしまうところだった。それでは君枝様、よろし 織田の表情が険しくなった。 くお願いいたします」 「私は、そう思っているよ。しかしね、離婚したり、生活がど 柳井は、芳江の手を優しく握り、笑みを浮かべた。 うも派手じゃないかって : : : 。君、自由が丘支店時代にあまり 「はい、 承知しました。織田さんによくお話を伺いますー あくまで噂だよ。噂。 よくない人と付き合っていたって : 芳江は騙されているとも知らず上機嫌だった。審査部長とい どうもそれがネックになっているらしいね。まあ、審査役とし う大物がわざわざ時間を割いて挨拶をしてくれたのだ。悪い気て巻きかえしてくれたまえ。応援しているから」 はしないだろ、つ。 自由が丘支店と聞き、織田は愕然とした。今から二十年ほど 「とにかく金さえ集めてしまえば後はなんとかなる。その時は、 前のことだ。 こんな銀行、いつでも尻をまくって辞めてやるから , あの頃、柳井と知り合い、彼から金を受け取って、それなり 織田は、自分の背後にそびえ立っミズナミ銀行の本店ビルを に派手な生活をしていた。その結果、離婚もした。 見上げた。 柳井から金をもらっているのではないかと疑われ当時の支店 織田の目には憎しみに近い光が宿っていた。 長から事情を聞かれたことがあった。柳井にも調査が入った。 しかし、織田は徹底して否定し、柳井も否定した。疑いは疑い 出世させない銀行を恨む前に自分の実力のなさを恨めって : ・ のまま解明されず、織田は処分を免れた。 よく言いやがる。織田は、銀行に入ればせめて支店長にはなれ 織田は、自分を守ってくれた柳井に感謝と恩義を感じ、その ると思って努力してきた。そしてようやくその資格を得たが、 後も関係を保っていたが、表だって仕事上の繋がりは断ってい 日本橋の副支店長止まりで審査役のポストを与えられた。支店た。 長に出て行くための踊り場だと思っていた。ところが審査部に 柳井は、織田に定期的にコンサルタント料ですよ、と数十万 転出する間際、支店長から言われた一言が怒りに火をつけた。 円の金を提供してくれた。銀行の規則では許されないことだと 支店長は、上を見ているばかりの男で、織田に言わせれば自分は知っている。しかし、一度、吸った甘い汁は、枯渇すると以 たちを追い詰め、働かせ、見せかけの成績を上げさせ、それを前に増して欲しくなるものだ。織田は、柳井が提供する金を断 江上剛 162

5. 小説トリッパー 2014年秋季号

芳江は微笑んだ。 芳江は、まるで独りごとのように呟いた。 その微笑みに力を得たのか、弥生は少し元気になり、小さく 弥生が、意を決したように顔を上げて、芳江を見つめた。 頷いた。 「奥さま、黙っていて申し訳ございません。私は、織田さんと 芳江は、弥生の真剣さを見て、織田と付き合っていると悟っ お付き合いをしております。二人ともいい年ですので正式に式 た。織田は、離婚し、今は独身でいる自分の妹と暮らしている を挙げるかどうかは分かりませんが、結婚をしたいと思ってお と聞いたことがある。弥生も独り身だ。大人の二人に男女の関ります。今回の仕事が無事、終われば一緒に暮らそうと言われ 係があっても何も不思議なことはない。 ております。その際には、この家から出て行くことになります しかし、と芳江は夫のことを思った。 が、その決心がなかなかっかなくて : 良くして頂いている 芳江の夫は、彼女に一切、金の心配をかけなかった。事業に 主な登場人物 行き詰まり、資金繰りに苦労したこともあるに相違ないが、妻 橋沼康平 : ・ : ミズナミ銀行コンプライアンス統括部総括次長。旧 大洋産業銀行出身 に金の心配をさせないことを信条にしているかのようだった。 倉品実 : ・ : ミズナミ銀行常務兼コンプライアンス統括部部長。旧 それに一抹の寂しさを感じることはあったが、夫の男らしさだ 大洋産業銀行出身 と尊敬をしていた。 塚田令子・・ : ミズナミ銀行コンプライアンス統括部員 織田が弥生に金の心配をさせていることに、どこかひっかか 北沢敏樹・・ : ミズナミ銀行コンプライアンス統括部次長。自宅マ りを覚えないでもなかった。 ンション前で何者かに刺殺される。旧扶桑銀行出身 だらしないわね。芳江はひそかに思った。しかし、それは織 八神圭太郎・・ : ミズナミ銀行前頭取。システム障害の責任を取り 退任。扶桑開発顧問、旧扶桑銀行出身 田が余程、困っている証しなのだろう。そして自分の夫が特別 大塚正雄・・ : ミズナミ銀行頭取。旧大洋産業銀行出身 だったのだと思いなおした。 岸川徹・・ : ミズナミ銀行前システム担当常務。システム障害事故 「ねえ、立ち入ったことを聞いて失礼だと思うけど、織田さん の責任を取って八神と一緒に退任。旧扶桑銀行出身。旧扶桑銀行 とはお付き合いしているの ? の取引先企業社長に天下る 芳江は優しく問いかけた。 藤沼カ : ・ : ミズナミフィナンシャルグループ ouo 。旧日本興産 弥生は視線を避けるように俯いた 銀行出身 西前隆夫 : : ・ミズナミフィナンシャルグループ元社長。旧扶桑銀 「言いにくければ答えなくてもいいけど。でもそれだけのお金 行出身 の相談をするんだから、特別にお親しくしているのかと思った 齊藤弘一 : : : 警視庁組織犯罪対策部第一課捜査係長。橋沼の良き のよ。織田さんにはあなたを紹介してもらったり、なにかとお 相談相手 世話になっていますからね : : : 」 143 抗争ーー巨大銀行が溶融した日

6. 小説トリッパー 2014年秋季号

なからい、つ そんなこと起こらないわよね 「だよね : ・ どうかしている。廊下には、たくさんの死体が転がって いるし、耐えられないほどの死臭が充満しているのだ。ば くたちの周りは、死で一杯なのに。 「あたし : : : まだ夏休みの宿題出してないんだ。今年の夏 休みは、おじいちゃんが亡くなったし、お母さんも病気で、 家の手伝いをしなきゃならなかったから。ドリルも半分し かできなかったし : : : あっ、朝顔 : : : どうしたつけ 「マュちゃんの朝顔は、あたしが持って帰ったよ」スズネ ちゃんがいった。でも、それはウソだ。三日前の「保健室 前での戦いーのとき、敗走する「 4 年 2 組ーのやつらが、 べランダにあった朝顔の鉢をみんな蹴り倒していった。そ のとき、マュちゃんの朝顔の鉢も壊されたのだ。 「ありがとう。気に : ・・ : なってたんだ。お母さん : ・・ : それ から、お父さんに、もう一度会いたいなあ。みんな、どう しているかなあ : : : 」 ばくたちは顔を見合わせた。どういっていいのかわから なかった。でも、マュちゃんに、ほんとうのことをいって も、意味なんかないことぐらい、ばくたちにもわかった。 「遠足とか : ・・ : 運動会とか : : : 入学式とか : ・・ : あったよね え」 「うん。あったねーユウャくんがマュちゃんの手を握りし めながら、小さい声でいった。「なんだか、みんな、大昔の ことみたいー そうだ。なにもかもが、みんな大昔のことみたいだった。 そして、ばくたちには、それを取り戻すやり方がわからな かった。 マュちゃんは、そうやって、静かに死んでいった。弾に 撃ち抜かれて即死するよりは、ましだったのかもしれない それほど苦しまずに死んだのだから、幸せといってもよかっ たのかもしれない マュちゃんの胸の動きがほとんどなくなり、呼吸が止まっ たように思えたけれど、また、少しだけ動いた。そして、 また止まり、しばらくして、またほんの少し動いた。そし て、マュちゃんは動かなくなった。動かなくなったマュちゃ まふた んの、閉じた瞼の間から、少しだけ涙がこばれた。そして、 マュちゃんは死んだのだった。 ☆ ズシンと腹の底から響くような音が洞窟の中に谺すると、 少女たちは身をすくめた。 「すごいジャン、カンボウシャゲキ」ひとりの少女がいっ 「ヤバイよ。いろんな意味で」 「マジむかっくよね、ここまでやんなくていいジャン。も う、うちらしか生き残ってないんだしー別の少女がいった。 こだま 高橋源一郎 178

7. 小説トリッパー 2014年秋季号

私にもわからない。仲間に恵まれたのか : : : あるいはさらに現 忍足は告げた。 役時代よりも腕を上げたか〉 〈今回は大仕事かもしれんが、それでも任務の一過程に過ぎな 忍足の声は相変わらず冷静だった。しかし、もっとも困惑し 。すみやかに完了させる。いずれ汐見が我々の前に立ちはだ かるだろう。玄羽兄弟との相討ちも考えられるが、姿を現す可ているのは彼かもしれなかった。 玄羽兄弟による報告では、汐見は徐々に現役の勘を取り戻し 能性も否定できない〉 つつあったという。それでも、連れていた若者と仲間割れをす 〈汐見というのは、何者なんですか〉 るなど、沼津での戦いでは玄羽兄弟を呆れさせている。 伊志嶺は思わず訊いた。噂話ではさんざん耳にしていたにも ぶき かかわらず。 若者は伊吹理事長の息子で、それなりに腕には自信があった 忍足チ 1 ムの後継者となるはずだった男。・実力者に決まってようだが、むやみにプライドが高く、汐見には反抗的だったと 言われている。彼の命令をまともに聞こうともせす、チ 1 ムワー いるが、五年も田舎で隠遁生活をしていた人間に、あの現役の クもなにもあったものではなかったらしい 玄羽兄弟が討たれるとは。百人単位の助つ人でも、用意したと しか思えなかった。いや、いくら人数なんかを揃えても、よほ 玄羽兄弟は、汐見と決着をつけるために庄内へと向かった。 どのプロでもないかぎり、あの兄弟の前ではただのカカシと化巽会の息がかかったヤクザたちが待ち構えていたが、しよせん す。 彼らにとっては敵の数には入らない 汐見と対決するため、彼と親しくしていた母子を人質に取っ 〈信じられねえ : : : 〉 ソレイアが呆然とした口調で言った。 た。それがチームへの最後の連絡となった。汐見らを上回る実 爆発物の扱いに慣れたソレイアだったが、腕つぶしもまた相 あらすじ 当なものだった。腕相撲をさせれば部隊で勝てる者はなく、天 暴力団巽会のトップである江澤恒久は、忍足チームという「暗 性の格闘技術も持ち合わせており、兵隊時代は総合格闘技 (ä 殺」を請け負う集団に依頼して、事実上の支配者である伊吹理事 (<) やボクシングの経験を持っ兵士をさせている。 長を殺害する。江澤は理事長殺害のすべてを忍足チームに押し付 そんなカ自慢のソレイアだが、腕相撲でもストリ 1 トファイ けたため、彼らは日本中の極道から命を狙われることになる。汐 もとなり 見凌は、かって忍足チームに所属していた。だが足を洗い東北 トでも玄羽元就にはかなわなかった。さらに、もっとも危険人 の港町で静かに暮らしていた。しかし楙という男に居場所を突き 物である兄も行動をともにしていた。 止められてしまう。そして弱みに付け込まれ、忍足チームの処分 忍足が答えた。 を強要されるのだった。相棒は、楙がよこした伊吹理事長の息子 〈私にもわからん。五年前のあの男なら熟知している。あのこ だった。ニ人はぶつかり合いなからも共闘していく。 ろのままなら、玄羽兄弟には勝てなかっただろう。今の汐見は 283 ショットガン・ロード

8. 小説トリッパー 2014年秋季号

かす のだが、 分厚い闇に隔てられ、そんな心強い気配は微塵も伝わっ 会みたいに、幽かで柔らかな無数の輝きをひとところに掻き集 あわだ てこなかった。 めたように見えた。鋭い粟立ちが足もとから沸き起こり、きり 意を決し、そろそろと足を踏み出していった。道が左に向かっ きりと痛いほどに背すじを這いのばった。おかしい : : : ます思っ て弧を描いていることはわかっていた。綱わたりでもするよう たのがそれだ。覚えたのは感動ではなく、むしろ不気味さであ にゆっくり進んでゆけば、やがて眼が慣れてばんやりと道の輪る。いつもの原つばではないところへ出ようとしているのだろ 郭がっかめてくるが、それでも足もとは闇そのもの、まるで深うか、一瞬そんな道理の通らない疑いが兆した。道は一本しか ひやっぺん 淵の上を歩くようだ。ふと、死体が転がってたら踏んづけちゃ ない。百遍この道を通れば、百遍あの原つばに辿りつく。しか うね、という酒井の言葉が記憶の底からぞくりと背すじを撫でし百万遍通ればどうだろう。一遍ぐらいは別な場所に出てしま あげてきた。行く手を遮るように横たわる青白い死体の画が浮 うこともあるのではないか。その一遍が今なのではないか。 かんだ。踏んだらどんな感触だろう。猫のようにぐにやりとし 急に原つばのほうからそよ風が吹きはじめ、肌をひんやりと ているのだろうか。それともごりごりと骨が押しかえしてくる撫でながら通りすぎていった。その風が瞬く間に強まると、竹 のだろうか 林がざわありざわありと波打つように騒ぎだし、ただならぬ気 突然、恐怖が真っ黒な頭をもたげ、刺すような暗闇のなかに 配を掻き立てはじめる。か、引きかえすという考えは頭をかす 丸裸で立っている気がしてきた。思わず駆け出しそうになっためもしなかった。光の正体をこの眼で確かめないことにはもは 瞬間、眼の前をちかりと光が横切った。蛍だ、と思った。こんや居ても立ってもいられず、引きずられるようにふたたび足を なところからもう蛍がいる。いつもなら原つばの手前まで行か前へ動かしはじめた。 なければ蛍は現れないが、きようはよほどたくさん出ているの 一歩進むごとに光が厚みを増してゆく。それに連れて、本当 か、竹林のなかにまで溢れ出していた。そう思って見わたすと、 に蛍だろうかという一抹の疑念も綺麗に消えていった。やはり いつもの原つばだ。しかしそのいつもの原つばが、眉間を突き そこかしこにちかちかと微細な輝きが舞いはじめている。破裂 しかけた恐怖がにわかにしばみ、気持ちも落ちついてきた。醜押してくるような夥しい蛍火に満ち満ちていた。蛍の季節に何 い死体の上を美しい蛍が飛ぶはずがない、不思議とそんな感覚度ここを訪れたか知れないが、これほどまでに数多くの蛍を一 が寄り添ってきた。 夜のうちに眼にしたことはなかった。原つばが百年分の蛍を一 原つばへの出口が見えてきた。あれ、と訝りつつも数歩進ん夜のうちに吐き出し、今夜、眼の前で燃え尽きようとしている だが、やはり立ちどまってしまった。へんに明るい。いや、明かのようだ。 るすぎる。懐中電灯の光かとも思ったが、そんな身もふたもな 竹林を歩き抜け、いよいよ原つばの入口に辿りつくと、しば ぶしつけ い不躾な明るさではなかった。字宙から見おろした夜更けの都し呆然と立ち尽くした。ほんの鼻先を、何十匹とも知れない蛍 いぶか 119 明滅

9. 小説トリッパー 2014年秋季号

遊ばなかったのだ。頭の片隅に押しこんだ約東とも言えない約の定、夕飯のあとに母が蛍を見にゆこうと言い出した。朱音は 東にいっしかうっすらと埃が積もりはじめ、やがてすっかり埋すぐさまいい返事をしたが、私は行くなら友達と行くと言って もれてしまった。今や私のなかには果たすべきだった事柄が疼面倒くさげに断った。すると母が、また酒井を誘ったらどうか きを伴って数多く埋もれているが、十三の時に交わした酒井と と言った。 のあの些細な約東が、もっとも深い暗がりに横たわっており、 「前に行った時、あの子、ずいぶん喜んどったやないのー いまだに薄目をあけてこちらを見あげている気がするのだ。 そんなことはわかっていた。が、それはおととしの話だ。今 ゃあの原つばは蛍の瞬く美しい場所と言うより、酒井が外崎に 二年に上がる際のクラス替えが、酒井にとっての大きな、そ殴られた場所であり、私が殴られる酒井を助けなかった場所だっ して唯一の希望だったかもしれない。酒井は一年間をやっとのた。しかし母と朱音が出てゆくと、静まりかえった家のなかで、 あお 思いで生き抜き、念願叶って外崎や菊池や鮎川とは別のクラスその静寂に煽られるように、今こそ酒井を誘うべきではないの ふく になった。あれこれ噂が立っていたから、一応は学校側の配慮かという思いが急に胸中に膨らんできた。しばらく前にまた遊 が働いたのだろう。が、きっと根本的なところでは何も変わら ばうと声をかけたこともやはり気にかかっており、蛍というロ なかったのだ。悪縁は根深く、断ち切ることが出来なかった。 実でもなければ、もう二度と誘えないのではという気がしてき たのだ。 これがあと二年も続く : : : そんな骨も凍えるような絶望感がひ しひしと酒井を取り囲んだのかもしれない やがて母と朱音が嬉々とした様子で帰ってき、きようはたく 五月も半ばを過ぎ、また蛍の季節が巡ってきた。中学一一年、 さんいた、今年一番じゃないか、ぜひ見にゆくべきだ、と口々 だからなんだという斜に構えた気持ちが確かに芽生えていた。 に言い、しつこかった。私はそれに押しきられる体を装い、廊 餓鬼じゃあるまいし。蛍なんかもう飽きるほど見たじゃないか 下に出、電話の前に立った。受話器を上げる手がなかなか出な しかしそれ以上に、去年あの場所で菊池たちと出くわしたこと かった。どれぐらいぶりに酒井の家に電話をかけるだろう。今 が気にかかり、抜けない刺のようにまだしくしくと痛んでいた。 さら酒井を蛍見物に誘うなんて、まったく見当違いのことをや それはみなも同じだったのだろう、毎日のように学校で顔を合 ろうとしているのではないか。この歳で蛍もないだろうという わせていたが、大久保や入江から蛍の話はついに出なかった。 せせら笑いを聞くことになるのではないか。あれこれ余計な勘 私が最後に酒井を眼にしたのは学校ではない。六月二日、あぐりが来ては去ったが、私は結局、電話をかけたのだ。 けぶ れは日曜だった。昼過ぎにあたりが暗く煙るほどのにわか雨が 「もしもし酒井でございます」 降り 月カ濁流となってひとしきり暴れ、やむととたんに蒸し 冴子さんが出た。知っていたはずの声の調子が以前にも増し と 暑くなった。今晩あたりたくさん出そうだと考えていたら、案てつるりと冷ややかに感じられ、「あの、清水ですけど : てい 117 明滅

10. 小説トリッパー 2014年秋季号

そこまで : 「弥生さん : ・ 織田は弥生を見て、眉根を寄せた。 「すみません。織田さんの話は難しくてよく理解できなかった ものだから、つい 弥生が辛そうに目を伏せた。 「いいのよ。私で役に立っことなら。それに織田さんの話なら 信用できるしね。夫が亡くなってから、いろいろな人が言い寄っ てきたけど、どれもこれも信用できる話じゃなかったわ。でも 私一人じやどうにもならなかった。あなた方がいてくださった おかげで夫の遺してくれた財産をなくさずに済んでいるんだも のね。私は、財産を増やしたいとは思っていないのよ。生活だっ て慎ましいしね。ねえ、弥生さん ? 芳江が弥生に同意を求めた。 「ええ、その通りですわ」 弥生は、少し苦笑いをしながら、織田を一瞥した。 「本当はね、夫が亡くなった時、全部、国に寄付してしまえば よかったのよ。でも不安が先に立ってね。それができなかった。 だから私が死んだら、みんな国に寄付するつもりなのよ。それ は夫の遺志にも適うことなの。夫は、子どもがいなかったせい で、財産は国のものだってよく話していたから。だから財産は 増やしたくはないけど、減らしたくもないの。ちゃんと夫の遺 志を実現したいから」 芳江は一語、 一語確かめるように言った。その都度、亡き夫 の面影を偲んでいるようだった。 「まことに素晴らしいお考えです . 「では織田さんのお話を伺うことにしましようか ? なんとか しの ニ 0 一三年六月ニ十一日 ( 金 ) 午後一 0 時三 0 分 ( 新宿のホテ 「本当にケチなんだからね」 弥生は、織田に向かって思い切り煙を吐いた 「おいおい、煙いよ」 織田は、手で顔の前を払った。 弥生は、べッド脇に放置してあった浴室のガウンを素肌の上 からはおり、窓際に立った。両手を伸ばし、カーテンを開ける と、新宿の夜景が眼下に広がっている。 弥生は、窓に向かってガウンの前を広げた。窓を閉め切って いるため、夜風が吹き込んでくるわけではないが、なんとなく 火照った身体が冷やされていくようで心地よい 「おい、外から見えるぞ。 織田は、裸でべッドに横たわったまま、弥生の後ろ姿を眺め ていた。 先ほどまで汗がでるほど絡み合っていたために身体全体にけ だるさが残っている。胸のあたりを触ると、まだ弥生の唾液の ぬめりが残っていた。 「見えるわけがないじゃないの。ここ三十階よ できるといいんだけどね 芳江の言葉に促され、織田は腰を浮かせ、芳江に身体を近づ 「お聞きくださいますか」 江上剛 146