のである。 小説が書かれようとしていた。「彼 ( 注・漱石 ) が、こんなふう ところが、三四郎は上京後、広田先生に親しく会うようにな に社会全体を展望しようといふ気持を見せたことは、それ以前豊 るのだが、 富士山を見るのを忘れている。東京のどこからも富にも以後にもなかった」と丸谷は惜しむのである。 湯 士山はよく見えるはすなのに、東京では富士山が語られなくな そして『三四郎』は、冒頭の亡国の予言をさえ含む堂々たる る。それはなせか、というのが丸谷才一の問いかけである。丸風格は薄れてゆき、「日本の状態」小説は恋愛小説めいたものに 谷の答は、『三四郎』はもともと「日本の状態」小説が意図され変わる。 ていたのだが、 三四郎と美禰子の恋愛的関係に話が移り、「日本 理由として、当時の良家の風俗に縛られて、三四郎にも美禰 の状態」を描くことが放棄されたか、不可能になった、という子にも積極的な行動をとらせられなかったこと、さらには視点 のである。だから、日本への批判の象徴であった富士山がおのを三四郎にしばったため、恋愛小説がドラマを欠いてしまった ずと語られなくなった。 ことを挙げている。要するに、「社会が成熟してゐないのにその では、「日本の状態」小説とは何か 未熟さを題材に取って『日本の状態』小説に挑むのは」漱石に 十九世紀半ばから二十世紀初頭にかけて、イギリスでは「英とってさえ、きわめて難しいことだった、というのが丸谷の『三 国の状態」問題というべきものがあった。産業革命による経済四郎』論の中心にある論旨である。 的成長の結果として、都市の人口が急増し、住居、衛生、雇傭、 『たった一人の反乱』も、じつは「日本の状態」小説を意図し 貧困などの諸問題が発生した。こうした「英国の状態」問題に たものであった。そして「社会が成熟してゐないのにその未熟 何らかのかたちでふれているのが「英国の状態」小説である。 さを題材に取って」意図を実現するのにはさまざまな困難があっ 「英国の状態」小説のいちばん早い例としてデイケンズの『荒たことも、漱石が直面したことに似ている。あえていえば、視 涼館』があり、少し下ってはヘンリ 1 ・ジェイムズもコンラッ点を馬淵英介にしばったことも、小説的ドラマを欠いてしまっ ドも政治小説を書いている。しかし、「英国の状態」小説の代表た原因ということさえできるかもしれない。しかし、『たった一 は、やはり・・フォースターの『ハワーズ・エンド』 ( 一九人の反乱』には、ドラマのかわりに、日本社会の浅さを見せる 一〇年刊 ) ではないか。ここでは中流上層と中流下層の階級ドラ カ 1 ニヴァル的なひっくり返しがある。豊かな混乱がある ? そ マが展開し、さまざまな「英国の状態」問題の反映が見られる、 う考えることができるのではないだろうか というのだ。 さて、「三四郎と東京と富士山」には、もう一つ、きわめて重 いつほう『三四郎』では、丸谷が絶賛する小説の冒頭で、職要かつ新しい指摘がある。漱石は、特に初期の漱石はモダニズ 工の妻らしい女が三四郎を誘惑しようとする有名な場面、さら ム作家であると主張しているのだ。とりわけモダニズムの色調 には広田先生とのやりとりを含めて、明らかに「日本の状態」 が強いのが都市小説である『三四郎』である、という。 みねこ
したことから、そういう政治ドラマになる。政治が洪という人 、、。第一、丸谷自身の「文学は孤立して存在するのではない」 という考えに合わない 間の心に食い入ってくる苛酷な姿があざやかに描かれたことは、 すでに詳しく述べた。そこでは政治は少し距離を置いて語られ そんなふうに思いをめぐらせながら、『たった一人の反乱』を 読み直していたとき、ふと頭に浮かんで、ずっと離れることが るのだけれど、小説の視点である梨田の手の及ばないところに あるのだから、それは仕方がない なかったのが、夏目漱石だった。正確にいうと、丸谷才一の『闊 丸谷才一は、「純文学書下ろし特別作品」という箱入りの本の歩する漱石』の、とりわけ「三四郎と東京と富士山ーと題され 裏側に、「つまりこれは非政治的人間の書いた政治小説である」た『三四郎』論を思い出していたのである。 と書きつけている。そして、政治的人間でない人間にこそ、政 なお、その後に、辻原登が丸谷全集第三巻 ( 「たった一人の反乱』 治は襲いかかってくるものだ、という意味のこともいっている。 収録 ) の解説でこの「三四郎と東京と富士山」に触れているのを 思えば梨田も、そして洪 ( 大統領 ) さえも、じつは非政治的人読み、その先見の明に驚いたことを、ここに特記しておかなけ 間なのであった。 ればならない。私の以下の記述は辻原の所論に支えられている ともい、んる 『裏声で歌へ君が代』は、二つの特徴をあわせもつ、まったく 新しい、カのある小説の試みであった。 丸谷の『闊歩する漱石』が刊行されたのは二〇〇〇年七月、 さらにいうと「三四郎と東京と富士山 [ は「文藝春秋ー一九九 九年四月号に掲載されている。『たった一人の反乱』また『裏声 で歌へ君が代』からもずいぶん時間の経っている漱石論なのだ 『たった一人の反乱』は従来の日本文学にはなかったような「俗けれど、それだけにいっそう丸谷に対する漱石の影響をためら 物、を主人公にし、従来の日本文学にはなかったようなユーモわずに論じることができるとも考えられる ラスなエピソードを積み重ねてゆく。そういうふうに書かれた、 丸谷才一は、『三四郎』には「日本の状態」小説とも呼ぶべき 新しい文学なのである。さらには、国家と市民についての議論局面がある、という。これには、二つの方向からの説明が必要 だろ、つ。 が延々とつづいて議論小説と呼びたくなるような『裏声で歌へ む 君が代』。このような小説も、日本の近・現代文学のなかで類例 『三四郎』の冒頭、三四郎は上京する汽車のなかで、後に広田 を見つけるのが不可能だった。系譜をたどるということができ先生とわかる男に出会う。広田先生は、日本で誇れるのは富士を 才 山だけだが、 その富士山は天然自然のもので日本人が作ったも 谷 丸 しかし、丸谷才一の小説がいかに新しい書き方がされている のではないのだから仕方がない、という。つまり、広田先生の としても、それが突然出現したというふうには考えないほうが明治末期 ( 日露戦争後 ) の日本社会への批判の象徴が富士山な
山村は眉根を寄せた。 「山村君、店に着いたらまっ先に説明してあげなさいよ。今夜 「もう、頭取じゃないよ。その呼び方は勘弁してくれ。なんだ の酒の肴はその話になるからね」 か座り心地が悪い 八神は岸川の慌てる様子が嬉しいのか、声を出して笑った。 八神は言葉に反して、まんざらでもないというように薄く笑っ 4 「それではどうお呼びしていいか分かりません。まさか八神さ んとも言えませんし : ニ〇一三年六月ニ十六日 ( 水 ) 午後七時一五分 ( 六本木の料理 「山村君の言う通りです」 岸川が言った。 「そうするとなんですか ? , また割を食ったってわけですか ? だっさい 「顧問でもなんでもいいよ。そんなことより食事に行く前に、 岸川が獺祭をグラスに注いだ。 今、ちょっと問題が起きているんだろう ? 獺祭は山口県の酒だ。日本のロマネコンティと海外の日本酒 八神は、身を乗り出してきた。 愛飲家から呼ばれるほどの人気を博している。そのためだろう 「それでは顧問と呼ばせて頂きますが、さすがです。もうお耳か。この酒を飲む時は、ワイングラスを使う。 に入っていますか ? 」 「そういう見方もあるな」 山村が真剣な表情になった。 八神はグラスを差し出した。山村がデカンタ 1 を傾けて酒を 「そりやここにいてもミズナミフィナンシャルグル 1 プのこと注いだ は手に取るよ、つに分かるさ」 八神と岸川、山村の三人は、岸川が馴染みだという六本木の 八神の得意げな顔と反対に岸川が険のある表情で「なんです裏通りにある会席料理「小の半」に来ていた。店は古い日本家 日 た か ? 何が起きたんですか ? , と聞いた。 屋で落ち着いた雰囲気を釀し出しており、その周囲は、住宅や し 融 「岸川君の耳には届いていませんか ? 社長のお仕事が忙しい 小さな公園に囲まれ通りからの喧騒は一切聞こえてこない。ミッ んでしよう」 ドタウンや六本木ヒルズが近くにあるとは信じられないほど静 八神がからか、つよ、つに一言った。 かだ。料理は本格的な日本料理で、材料もいい。何よりも八神銀 巨 岸川は、旧扶桑銀行の取引先企業の社長に天下っていた。 が大好きな日本酒が数多く揃っているのが良い 「意地悪言わないでください。なあ、山村君、早く教えてくれ 山村は、旧扶桑銀行出身の北沢敏樹が、今日の早朝に自宅マ 抗 ンションを出たところで何者かに刺殺されたという事実を話し 岸川は隣に座る山村に言った。 店 ) としき
安閑とした暮らしか、毎瞬が車線変更のような波瀾万丈か 私は、筋縄ではいかない旧友との道行きのほうを選んだ。 来日したのが、二十人だったか、三十人いたのかもうよく 覚えていない。イタリア人が三人集まると、日本人十数人分の 仕事はなかった。 賑わいである。ごく単純なことが、イタリア人にかかるとみる 当時日本で知られていたイタリアは限られていて、百貨店で みる複雑になり、問題に発展すると皆、揃って生き生きとした。 の物産展であり、ときどき公開されるネオレアリズム映画だっ 団体で行動できない彼らは、頭からまとめていると脇から一 たりした。 人漏れ、また二人抜けていく。四方八方へ好き勝手に散らばる ョ 1 ロッパの主流といえば、フランスかイギリス、ドイツで羊たちを、先手に走り回っては群へと追い込むシ 1 ブドッグに あり、イタリアは少し離れたところを行く傍流という感じだっ なった気分だった。 分刻みの予定は遅れ、変更を繰り返した。何度も旅程は崩壊 就職活動に乗り遅れた私は、学生課でアルバイトの募集を見しそうになったが、寸前には見事に帳尻を合わせるのだった。 つけては、面談に出かけた。競合相手はいなかった。皆すでに 「心配することはなかったでしよう ? 就職を決めて、卒業旅行に発ったり里帰りをしたりしていたか わざと事態をややこしくさせて、日本側が慌てふためくのを らだ。 面白がっているのではないか、と思うほどだった。 一週間のツア 1 は、一瞬のうちに終わった。彼らと別れたあ イタリアの誇るファッションや建築といった分野では、学生 レベルのイタリア語など、はなからあてにはされていなかった。 と、私が訪れたのは日本の名所ではなく、移動中のバスで交わ 商談はタフだ。すべて英語。イタリア語での募集は少なかった。 した雑談の中にある、さまざまなイタリアだった、と気がつい ナポリ訛など、何のアピ 1 ルにもならなかった。 ある日、珍しくイタリア語指定で日本観光ガイドのアルバイ ト募集があった。 〈楽しい旅行でした。ありがとう。もしイタリアに来ることが 「べテランの主任通訳がいるから、その荷物持ちのつもりで来あれば、ぜひ連絡をください〉 てもらいたい , しばらくして、グル 1 プの一人から礼状を受け取った。 張り切って出かけていった私に、面接担当官は私のイタリア ナダ。ナポリ近郊に住む、五十代後半の女性だった。私のイ 語の優劣など気にかけることもなく、早々に採用を決めて、そタリア語に強いナポリのアクセントがあるのを聞きつけて、 、つ告げた。 「こんな極東で、わが故郷に会うなんてー イタリアからの団体客を連れて、日本の名所旧跡を回るとい 彼女はひどく喜び、現場に慣れない私を何かと助けてくれた。 275 イタリアからイタリアへ
け身のなかにとどまらなくてはならない。受け身であることは、 くても、社会をかきまわす力ーニヴァルは存在する。とりわけ 女たち ( 歌子やお豊やツル、それにユカリを入れてもいいが ) 彼の第二の属性である。 が動力になったカーニヴァルは、花やかで楽しくて、それを出 そして市民がそこに属する「公」の部分である会社社会では 現させるためには、英介のような市民代表である俗物の存在が なく、「私」の部分である家庭のなかで大小さまざまな波風が押 必要であった。 し寄せてくる。彼を取りまく人物たちが、それぞれに小さな「反 乱」をかかえながら。そういう人物たちが混りあい重なりあい ながら、最後にはカーニヴァル的ドタバタ劇が出現する。 それにしても馬淵英介のような俗物そのものが、長篇小説の 語り手兼主人公になるというのは、日本文学ではまことに稀有 馬淵英介自身は、防衛庁への出向を拒否して民間会社に転身 なことである。英介が俗物であるゆえんは、言動のいちいちにするという「反乱」を自分なりにやってはいるが、その後の成 自己保全があり、自己肯定があるからである。しかし自己保全り行きはさまざまな小さな「反乱に囲まれて、対応するのが も自己肯定も欧米型市民の市民性の一面であることを考えてみ精一杯という趣きになる。 ると、英介はやはり日本の戦後社会の市民代表の一人と数えて それでも、彼は物語の語り手なのだから、最後まで語りつづ もいいのかもしれない けなければならない。寝とられた男 ( コキュ ) になり、結果と さらに俗物についての思考を少しずらして、考えてみよう。 しては何事もなかったように妻が戻ってきたことを、平然と ( あ 俗物とは何か。求道的でないこと、自分の探究などを試みない くまで受け身に徹して ) 語ってみせるのである。もっともこの ことが、その特性である、とひとまずしてみよう。日本の近・ ことは、カーニヴァル的クライマックスの後では、わりと小さ なエピロ 1 グと受けとめられるのだけれども。 現代小説では、求道的で自己探究者こそが、ふつうは主人公を っとめた。馬淵英介は、日本の小説の系譜から外れている主人 私はそのように『たった一人の反乱』の構造と物語の流れを 公なのである。三浦雅士はその点を鋭く提えて、この小説は、 提えたうえで、これは野心的な反「市民小説ーではないか、と 考えた。 日本の文壇に対する「たった一人の反乱 . なのだといった ( 先に も言及した講談社文芸文庫版解説 ) 。ふつうの読者は、そんなこと この場合の反は、反対の反ではない。反対する、もしくは反 を意識して小説を読むわけではないだろうが、これはまさに正対の側に位置する、という意味ではない。市民小説の姿を想定む 鵠を射ている発言ではある。 しながら、どうしてもそこに至らない事情もしくは状況を小説を 才 丸谷才一は、従来の小説ではとうてい考えられないような人 にしてみる。とすると、反「市民小説」の反には、市民小説に 物を主人公にした。彼が十分に俗物であるためには、何事かを裏側から接近しようとする意思が働いている。つねに実現され丸 実現するために社会に打って出る人物ではなく、自己肯定の受ない市民小説が想定されているという意思を孕んでいる「反ー
丸谷一を読む 湯川豊 - 、 ( 会 ( byYukawaYutaka # 2 反乱・カーニヴァル・国家 「日本の状態」小説
ジされたものだ。でもそれを「不実な美 している。古くからある「不実な美女かでやる。分業体制だ。しかも何十人とい 女ーとはいえないだろう。釈迦が説いた う規模だったらしい。鳩摩羅什はグル 1 貞淑な醜女か」という問題も。おっと、 本質は伝わっているのだから。そこがべ これは米原万里のエッセイ集のタイトルプリ 1 ダ 1 でありプロデューサ 1 みたい ンヤミンも指摘する翻訳というもののお ( 新潮文庫 ) 。本書に出てくるのは「不実なもの。まずグル 1 プリーダーがサンス もしろさだと思、つ。 な美女ーという言葉だけだ。つまり原文クリット語のお経を読む。読むというか 中国語にない概念を伝えるために鳩摩 諳誦する。書かれたテキストじゃなくて、 に忠実とはいえないけれどもいい文章 ( い わゆる「超訳」 ) はどうなんだという話で覚えているテキストなのだ。それをサン羅什や玄奘たちはずいぶん苦労した。現 ある。 スクリットの音のまま漢字に写す。意味代のばくたちも使っている「縁起ーとか は関係ない。ャンキーの「夜露死苦 , み「世界」とか「輪廻 , という言葉は、仏典 船山徹『仏典はどう漢訳されたのか』 を漢訳するときにつくられた。翻訳とい たいな感じか。次に意味の通じる漢語に を読んで考え込んでしまった。仏教はイ うのは、新しい文化や概念を伝えること ンドで生まれ、原典はサンスクリット語変える。さらに語順を換えたりして整っ た漢文にする。アカデミ 1 出版の「超訳」でもある。 などインドの言葉で話されたり書かれた 日本の場合、仏教伝来の次にやってき りした。中国に伝わると、それが漢訳さみたい。ちなみに「超訳は同社の登録 た大きな波が幕末維新だった。こんどは れた。漢訳された仏典はアジアの漢字文商標だ。 サンスクリット語の仏典と漢訳された西洋から。清水康行の『黒船来航日本 化圏に伝わった。日本もそうだ。だから 日本のお経は漢字で書かれている。じゃ 仏典はどれくらい違うのか。中村元・紀語が動く』は、外交交渉で条約文をつく る過程を追いながら、新しい日本語がで あ、インドの言葉からどうやって漢訳し野一義訳註の『般若心経・金剛般若経』 たの、というのがこの本のテーマである。 ( 岩波文庫 ) を開いてみた。この本は右きてくる瞬間を提える。徳川時代の公的 くまらじゅう ペ 1 ジの上段に玄奘の漢訳、下段に書き文書は「候文。で書かれることが多かっ 漢訳の大物というと、鳩摩羅什である。 たのに、アメリカとの条約文書は「、べ 鳩摩羅什は今の新疆ウイグル自治区に生下し、左ペ 1 ジにサンスクリット語から まれた。お父さんはインド人、お母さんの日本語訳という構成になっている。ずし文になっていく。こうした変化は日 本語全体にも及んでいく。言語というも いぶんと違う。 は国王の妹。机の片側に原典のお経を積 日本の仏教は、インドの原典が鳩摩羅のがとても流動的だとわかる。「正しい日 んで、もう一方の側に辞書を置いて、翻 本語をつかえ」「言葉が乱れていてけしか リ書いていく鳩摩羅什の姿什や玄奘らのチ 1 ムによって超訳され、 訳文をバ を思い浮かべる : : : が、船山によるとぜさらにそれが海を渡って伝わり、空海やらん」などと目くじらを立てるのがいか にナンセンスか んせん違うようだ。まず漢訳はグル 1 プ法然や道元や日蓮や親鸞によってアレン 329 翻訳について考える 10 冊
榎本秋◎行年生まれ。文芸評論家。著書 てしなき渇き』で「このミステリ 1 がす ごい ! ー大賞受賞。著書に「デッドクルー に「身につまされる江戸のお家騒動』『天永江朗◎年生まれ。フリ 1 ライタ 1 著書に『セゾン文化は何を夢みた』『広辞ジング』『ダブル』『アウトバ 1 ン』『アウ 使と悪魔大全』ほか。 苑の中の掘り出し日本語』『いい家は「細トクラッシュ』『アウトサイダー』ほか。 小田雅久仁◎年生まれ。作家。的年『増部」で決まる』『新宿で年、本を売ると 藤谷治◎年生まれ。作家。著書に「い いうこと』『おじさんの哲学』ほか。 大派に告ぐ』で日本ファンタジ 1 ノベル 大賞受賞。年『本にだって雄と雌があ らか棺桶はやってくる』『船に乗れ ! 』『ば くらのひみつ』「ヌれ手にアワ』『我が異 ります』で w 一 tt 文学賞国内部門第 1 位。中山七里◎礙年生まれ。作家。四年『さ 邦』『花のようする』『世界でいちばん美 よならドビュッシ 1 』で「このミステリ 1 神林長平◎年生まれ。作家。四年『狐がすごい ! 」大賞受賞。著書に『おやすしい』『こうして書いていく』ほか。 と踊れ』でハヤカワ・ ()0 コンテスト佳みラフマニノフ』『連続殺人鬼カエル男』 作入選。防年「一一口壺』で日本大賞、 『魔女は甦る』『贖罪の奏鳴曲』『切り裂き松井今朝子◎年生まれ。作家。年「仲 蔵狂乱』で時代小説大賞、年『吉原手 年『いま集合的無意識を、』・で星雲賞日本ジャックの告白』『七色の毒』ほか。 引草』で直木賞受賞。著書に「円朝の女』 短編部門受賞。著書に『麦撃機の飛ぶ空』 縄田一男◎年生まれ。文芸評論家。『壺中の回廊』「師父の遺言』ほか。 『膚の下』『アンプロークンアロ 1 』「ばく らは都市を愛していた』ほか。 年『捕物帳の系巴で大衆文学研究賞 ( 研 究考証部門 ) 受賞。著書に『「宮本武蔵 . 三羽省吾◎年生まれ。作家。年『太 陽がイッパイいつばい』で小説新潮長篇 高橋源一郎◎年生まれ。作家。年、 とは何か』ほか。 新人賞受賞。著書に『厭世フレ 1 『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫 賞、年『日本文学盛衰史』で伊藤整文火坂雅志◎浦年生まれ。作家。年「天「イレギュラ 1 』「タチコギ』『公園で逢い 学賞、肥年『さよならクリストファー 地人』で中山義秀文学賞受賞。著書に『上ましよう。』 fJunk 』『傍らの人』ほか。 ロビン』で谷崎潤一郎賞受賞。著書に杉かぶき衆』『墨染の鎧』『真田三代』『常 村田喜代子◎菊年生まれ。作家年「望介 日間で「名文」を書けるようになる方法』在戦場ー家生豕臣列伝』『気骨稜々なり』 潮」で川端康成文学賞、的年『龍秘御天者 『非常時のことば』『ばくらの文章教室』 歌』で芸術選奨文部大臣賞、川年『故郷執 『銀河鉄道の彼方に』『還暦からの電脳事 深町秋生◎年生まれ。作家。年『果のわが家』で野間文芸賞、年「ゆうじよ 始』ほか。 ソナタ
漱石が文部省留学生としてロンドンに滞在したのは、ちょ、つ紀文学への接近、それでいて小説表現の多様性と新しさの追究 というようなモダニズムの特性が、すべて見落とされている。 ど世紀の変わり目だった。一九〇〇年十月にロンドンに着き、 一九〇二年十二月にロンドンを去っている。イギリスの小説家丸谷は『闊歩する漱石』のなかで、初期の漱石文学の特質を、 とか評論家の誰彼とっきあったのではなく、下宿にこもって本イギリス文学への接近の仕方からていねいに捉え直している。 たとえば、『坊っちゃん』に見る、フィールディング『トム・ ばかり読んでいた。個人教師についてシェイクスピアの講読は ジョ 1 ンズ』 ( 一七四九年刊 ) の強い影響。あるいは、「吾輩は猫 したけれど、それ以外に学者とのつきあいもない である』に見る、スタ 1 ンの『トリストラム・シャンデイ』 ( 一 しかし、文学にまともに取り組んでいた以上 ( 神経袞弱にな るほどまともに ) 、時代の流れを当然のことながら認識すること七六〇、六七年 ) と同様の反小説性。そういう流れのなかで、『三 になる。世紀の変わり目は、ヴィクトリア朝小説からモダニズ四郎』は「日本の状態」小説が意図された、と丸谷はいうので ム文学への変わり目でもある。ちょうどモダニズム文学が形成ある。 丸谷才一の最後の文藝評論集『樹液そして果実』三〇一一年 される時期に、漱石はロンドンに居合わせた。同時代人であり、 刊 ) には、「王朝和歌とモダニズム」が収められているが、この 文学を志していた漱石はある意味では当事者といってもよい そうではあっても、漱石がモダニストだという説は、かんた論考で丸谷は自分がモダニズム文学の徒であり、また体現者で んに受け入れられないだろう、と丸谷は自ら認めている。それあることを、生涯の終り近くにもう一度宣言するように述べて いる はモダニズムについて、日本では碌でもない既成概念があって、 夏目漱石を日本で奇蹟的にも存在したモダニズム小説家とし 何やら軽佻浮薄なもの、アヴァン・ギャルド的な実験的文学と て捉えながら、自分がまっすぐに漱石につながり、その後継者 いうものとして提えられているからである。 ( 第二回了 ) そうした既成概念においては、伝統の尊重と見直し、十八世であるのを意識していたに違いない 311 丸谷才ーを読む
が二つの世界にすうっと乖離してゆくような、日く言いがたい 白で、しかも慄然とするほど不可解だった。原つばが照らし出 感覚に引きこまれてゆく。 される一瞬間は確かに酒井はそこに見えるのだが、闇に包まれ どうもおかしい、頭がばうっとする、そう自覚しはじめた時、 る一瞬間は跡形もなく消えてしまうのだ。暗闇に紛れてしまう 妙なものを見た。人影だ。誰かが小道の先で原つばを見わたすわけではない。完全にそこにいなくなるのだ。どういうわけか、 ように横を向き、佇んでいる。酒井だった。普段ならその姿は あの時の酒井は蛍が輝く瞬間にしか存在していなかった。 暗闇に埋もれ、正体がわからなかったろう。しかし一瞬ごとに とにかくもっと酒井に近づいてみよう、本当にそこにいるの あたりを領する蛍の輝きが、酒井のやや背をまるめた立ち姿を、 か確かめよう、そう考え、足を踏み出したとたん、膝にまるで そしてすり落ち気味の眼鏡と尖った顎の線を、仄かではあるが力が入らず、操り人形のようにくたっとその場にくすおれてし 見紛いようもなく照らし出していた。 まった。なせだろう、慌てて膝もとに視線を落とした。息を呑 とっさに声が出なかったのは、事態を怪しむ気持ちがなお張んだ。自分の脚が見えなかった。いや、見えるには見えたが、 りつめたままだったからだろう。ついさっきまで確かに人影な 私の脚は暗闇に埋もれた影としてしか存在していなかった。酒 こっぜん どなかったのに、十メ 1 トルほど前方だろうか、小道に忽然と井とは逆に、私は蛍が輝く一瞬間、完全に姿を失っていた。っ 酒井の姿が出現した。酒井は私の存在に気づいていないらしく、 まり酒井は光のなかだけにおり、私は闇のなかだけにいこ。 夢うつつの境を行きっ戻りつしているような、ばんやりした面たちは交互に訪れる光と闇の二つの世界に引きはなされ、存在 持ちで原つばに視線を漂わせている。 の根底からすれ違っていた。 最初、私はその姿のどこが異様であるのかはっきりとっかめ しかし完全にすれ違っていたわけではなかったのかもしれな なかった。が、いったん気づいてしまえばそれはあまりにも明 い。なぜなら、私には光のなかに佇む酒井の姿が見えていたか 発掘された日本列島 2 。 14 新発見考古速報一文化庁編一瞿 2013 年の新発見遺跡、東日本大震災復興発掘の紹介のほか、囲周年記念特集展示「日本発掘」 では国宝・重要文化財となった遺物、三内丸山遺跡、吉野ケ里遺跡、キトラ・高松塚古墳壁画、史跡柳之 御所遺跡など、各時代の主要史跡を紹介する。東北歴史博物館、江戸東京博物館など 5 都府県巡回。 かいり 発掘された 日本列島 文化庁を 、 ; ! 考古遠、朝 、 ~ 日本掘 復興のための支化カ ・定価 1 , 800 円 ( 税込 ) B5 判 ISBN 978 ・ 4-02-251180-5 A S A 印 お求めは書店、 ASA ( 朝日新聞販売所 ) でどうそ。朝日新聞出版 121 明滅