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検索対象: 演劇界 2016年10月号
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1. 演劇界 2016年10月号

国立劇場の思い出 半世紀を振リ返る 通し上演を 特長どしてスタート 国立劇場の半世紀を振り返ると、さまざまな思い出が 甦る。 こ《はるなぎおきっしらなみ 歌舞伎の本公演は、今年一月の「小春穏沖津白浪』 が第二百九十八回となる。開場当初は松竹の歌舞伎と は違った歌舞伎を上演するという明確な方針があった。 具体的には見取りの狂言立ての松竹の歌舞伎に対して、 通し上演をする方針である。二か月にわたる開場記念 すがわらでんじゅてならいかがみ なるかみふどうきたやま 公演の「菅原伝授手習鑑』に始まり『雷神不動北山 ざくら さくらひめあすまふんしよう さくらぎみんでん てんがぢややかたきうち 桜」「桜姫東文章」「佐倉義民傳』『天下茶屋の敵討』 3 開場から五十年の間に上演された数々の舞台や劇場に ついての思い出などを、識者の方々にうかがいました。 「雷神不動北山桜」二代目尾上松緑の鳴神上人、 中村福助 ( 七代目芝翫 ) の雲の絶間 ( 昭和 42 年 1 月 ) ⑩ かがみやまごにちのいわふじ ひこさんごんげんちかいのすけたち 『加賀見山再岩藤』『彦山権現誓助剱』と続き、四十六 へいけによごのしま 年四月の第四十回公演までは一回 ( 第五回の『平家女護島』 『鑓の権三重帷子』の二本立て ) を除き、すべて通し狂 言一本を上演した。上演を重ねてきた有名狂言以外は必 ず外部の専門家が監修、演出などの名で加わり、上演の 絶えていた場面の復活や補綴を行った。 この時期を振り返るといくつかの特色が見られる。四 十二年一月の『雷神不動』で成功した一一代目松緑が、以 後、平成元年までほば連続して正月に出演し、そのなかで そうひき うわなり 歌舞伎十八番の『象引』『七つ面』『不破』『関羽』『嫐』 を含む江戸の荒事狂言を復活したこと。一一代目鴈治郎、 十一一一代目仁左衛門、三代目延若ら関西歌舞伎勢や、十四 代目勘弥、八代目三津五郎、四代目雀右衛門ら当時の東 京歌舞伎の傍流の俳優が多くの狂言で主役を演じたこと 『義経千本桜』で「四の切」の忠信を演じた猿之助 ( 現 猿翁 ) の宙乗りが大きな話題をよび、以後、彼の売り物 になったこと。玉三郎が花形女形として急速に台頭したこ と。大佛次郎、字野信夫、北條秀司、一一一島由紀夫らが新 作を書き下ろし、新作歌舞伎の花を咲かせたことなどで ある。国立劇場の開場は、歌舞伎界の興行形態にも大き な影響を与えた。従来の劇団制が崩壊して、公演ごとに 一座を組むのが常態になった。 四十六年五月の第四十一回公演から一一本ないし三本立 よしつねせんばんざくら やりごんざかさねかたびら ななめん かんう 0 文落潔 ( 演劇評論家 ) ての公演が増えてきた。この月は「岡本綺堂傑作集」と むろまちごしょ とうきようむかしはなし 題して『室町御所』と「東京の昔話』、翌六月の公演は 三本立てであった。方針変更にはいくつかの理由があっ た。通し上演をするに足る狂言が一段落したこと、知名 度の低い狂言は入りが薄いこと、新歌舞伎や舞踊には短 い作品が多く、それらを上演しようとすると複数の狂言 立てになることなどである。いちばん大きな理由は主役 級の俳優が次第に高齢化し、復活狂言より自分の当り役 を完成したいと思うようになったことであった。通し狂 言の泣きどころは、上演を重ね演出が練り上がっている 場面に比べて、筋通しのため復活や補綴した場面はどう しても水つほく、苦労の割に評価されないことである。 しかし四十八年以降、また徐々に通し狂言の一本立て が多くなる。これには二つ理由があって、一つは開場 当初は出演に消極的だった六代目歌右衛門 ( 四十四年 いもせやまおんなていきん 六月『妹背山婦女庭訓』のお三輪で初出演、次が四十六 年十月『本朝廿四孝』の八重垣姫と道行の薬売濡衣まで飛 ぶ ) が、国立劇場で通し狂言に挑むようになったこと。 一一つには開場の頃は若手世代だった俳優が成長して、主 役を演じるようになったことである。歌右衛門でいえば いにようばうそめわけたづな 『恋女房染分手綱』の重の井、『妹背山』の定高、「仮 なでほんちゅうしんぐら おくにごせんけしようのすがたみ 名手本忠臣蔵』の戸無瀬、『阿国御前化粧鏡」の阿国御 はととぎすこじようのらくげつ 前、『沓手鳥孤城落月』の淀の方などを演じた。若手で ほんちょうにじゅうしこう か E 、 GEK ー KAI. 2016.10 38

2. 演劇界 2016年10月号

2 ロ 絶品の阿古屋は、古い言い方だが「満 での稽古から深夜の打ち合わせに、慣 れない国立劇場のスタッフがよく対応 都の歌舞伎ファン」の注目を一身に集 めた。その舞台は玉三郎という稀有な してくれたと思う。実に他の公演とは 才能の真の開花に大きな貢献をしたも 異なる制作の連続だった。 いもせやまおんなていきん の、と思っている 十一・・十二月は『妹背山婦女庭訓』 三十周年記念公演は、国立劇場開 の通し上演。十一月は三代目鴈治郎 ( 現坂田藤十郎 ) の太宰後室定高、幸場の折のプログラムに「国立劇場にお ける歌舞伎公演はどんな方針で行な 四郎の大判事清澄、時蔵の久我之助、 われるか」として記された七つの方針 芝雀 ( 現雀右衛門 ) の雛鳥で、「花渡 の六か条までを実現しようとしたもの し」から「吉野川」を中心に。十二月 だった。「原典尊重」と「通し上演」「復 は、四代目雀右衛門のお三輪、吉右衛 門の鱶七、菊五郎の猟師芝六、羽左衛 活上演」は『妹背山』と『四天王』で 門の蘇我入鹿、田之助の求女、芝雀 ( 現 行えた。「適材適所の配役」は『妹背山 が好例で、「上演演目の親しみ易さと、 雀右衛門 ) の橘姫、辰之助 ( 現松緑 ) の淡海といった配役で、「芝六住家」 丁寧な脚本」は『壇浦』で実現した。「演 ねがいのいとえにしのおだまき 「願絲縁苧環」「一一一笠山御殿から奥殿・ 出の統一」は『妹背山』で狙ったもので、 奥庭」という、一一か月での完全通し上 最後の七番目に挙げられた「新作 ( 創 だんのうらかぶとぐんき 演。正月公演は『壇浦兜軍記』で、戦 作 ) 歌舞伎」ができなかったのが残念 だったが、 後東京では歌右衛門以外での上演のな それでも開場以来の国立劇 い「阿古屋琴責」に、前後に山田庄一 場の理念をなんとか通せたのではない だろ、つか、と自負している 補綴台本をつけての上演で、團十郎の 三十五周年の平成十三年は芸能部 悪七兵衛景清、玉三郎の阿古屋、梅玉 に籍を置いていないので詳しく述べ の秩父庄司重忠、片岡我當の岩永左衛 られないが、十月には『大願成就殿 一年前の正月、休演中の歌右衛門 さんを岡本町のご自宅に訪ね、玉三郎 下茶屋聚が吉右衛門の安達元右衛 、富十郎の東間三郎右衛門・片岡造 での上演を許していただいた経緯が 酒頭、梅玉の早瀬伊織・人形屋幸右衛 あった。歌右衛門の阿古屋に長く憧れ ・鵤幸右衛門で、富十郎の監修によ ていたというだけあって、若い玉三郎 がちややむら いかる たいがんじようじゅてん 肪周年記念「大願成就殿下茶屋聚」 中村吉右衛門の安達元右衛門 中村梅玉の早瀬伊織 ( 平成年川月 ) 2 り上演。十一月には團十郎の忠信・知 盛・権太で『義経千本桜』の通し上演、 十二月には幸四郎の和尚、梅玉のお坊、 染五郎のお嬢による『三人吉三廓初 買』、翌一月には菊五郎の小狐礼三で こはるなぎおきっしらなみ 『小春穏沖津白浪』が上演された。 四十周年の真山青果の『元禄忠臣 蔵』は八代目幸四郎で全篇通し上演を 目論んでいたが、高麗屋の病気のため に頓挫していた企画だった。一一十周年 の『仮名手本』が成功裏に終わった直 後から企画として温めていたもので、 ともかく『元禄忠臣蔵』の全幕上演と いう史上初めての企画に挑んだ。昭 さんにんきちさくるわのはっ 和九年の『大石最後の一日』から十六 せんがくし 年の『泉岳寺の一日』 ( 二代目左團 次が前年亡くなって、この場の内蔵助 は初代猿翁が勤めた ) まで、左團次一 座が連続上演してきた全幕をともかく 時間軸を並べて上演したいと考えた。 十部作、一一十四幕四十三場に及ぶ大長 編戯曲をすべて上演するのは無理では あるが、場面やセリフのカットはとも かくとして、できうるかぎり全幕の上 演を試みようとした。十八年十月は 「刃傷」から「第一一の使者」が中心で、 内蔵助は吉右衛門十一月は「伏見撞 木町」と「御浜御殿」「南部坂雪の別れ」 肪周年記念「義経千本桜」 十二代目市川團十郎の新中納言知盛 ( 平成年Ⅱ月 ) 2 おおいしさいご E 、 GEKIKAI.2016.10 36

3. 演劇界 2016年10月号

三月公演「伊賀越道中双六』 息・師泰の立廻りがある「広間」や、原今回は、原作の趣向をいかして、過去峙する執権・鳥山豊後之助と菊地家の忠 臣たちの苦心と活躍を描きます。歌舞伎、 作のク財布の焼香をアレンジした「柴の劇化作品や講談などを参照しながら、 部屋本懐焼香」も上演します。大団円の新たに台本を作成します。蜘蛛の妖術でならではの娯楽性に富む華やかな舞台を、 「花水橋引揚げ」で、本懐を遂げた塩冶筑前菊地家への復讐を図る豊後大友家の尾上菊五郎の豊後之助ほかの配役でご覧 浪士は、若狭之助に見送られて、亡君の遺児・若菜姫。変幻自在の若菜姫に対いただきます。 菩提寺へ向かいます。松本幸四郎の本蔵、 一月公演「しらぬい譚」 中村梅玉の由良之助ほか興味深い配役で 平成ニ十九年三月 お楽しみいただきます。 通し狂一 = ロ『賀越道中双六』 義太夫狂言の名場面といわれながら戦 平成ニ十九年一月 後の上演が一一回しかなかった「岡崎」。平 通し狂言『しらぬい譚』 成二十六年十一一月国立劇場で、四十四年 ぶりに待望の上演が実現しました。初代 江戸時代の庶民に親しまれた絵入り長 中村吉右衛門がたびたび勤めた唐木政右 編小説「合巻」。その最長編が全九十編 しらぬいものかたり 衛門を当代の吉右衛門が継承し、「岡崎」 に及ぶ『白縫譚』です。江戸時代初期に を物語のクライマックスとする場割によ 起きた筑前黒田家の御家騒動を主要な題 り、通し狂言として上演しました。この 材にしています。初編の刊行から四年後 公演は劇界で大きな話題となり、好配役 の嘉永六 ( 一八五三 ) 年、河竹黙阿弥の による舞台は各方面で絶賛されました。 脚色による『志らぬひ譚』が初演されて その成果が認められ、歌舞伎の作品で初 好評を博し、続編も上演されました。ま めて「読売演劇大賞」大賞・最優秀作品 た、明治七 ( 一八七四 ) 年、初代市川右「 賞を受賞しました。 團次 ( 斎入 ) が得意のケレンをいかせる しきもようしらぬいものがたり この優れた舞台をひとりでも多くの皆に練り上げ、より深い感動の舞台を目指 ように、勝諺蔵が『四季模様白縫譚』と 様にご覧いただきたく、「岡崎」を中心します。通し狂言の上演や途絶えた作品・ 題して劇化しました。以来、両作品がさ まざまなアレンジで上演されました。国 にした通し上演を再演します。中村吉右場面の復活に努めてきた国立劇場。開場 衛門の政右衛門をはじめ、前回出演した五十周年記念公演の掉尾を飾るにふさわ 立劇場では昭和五十一一年三月に、通し狂 言として七十六年ぶりに復活しました。 俳優陣が再び結集し、台本や演出をさらしい珠玉の舞台に ) 」期待ください はもの、れをり いカごえどうちゅうすごろ 25 E 、 GEK ー KAL2016.10 錦絵・写真提供 / 国立劇場

4. 演劇界 2016年10月号

兀禄忠臣蔵』 ( 昭和年Ⅱ月 ) ⑩ 右八代目松本幸四郎 ( 初代白鸚 ) が大石内蔵助を勤めた初日の 写真。吉右衛門の羽倉斎宮。左【吉右衛門の大石内蔵助 助を白鸚さんに代わって演じられました。 だけで降板とは考えておら 実父が初日だけ出演し、一一日目から私が代わりました。す、何日間かは出演できる , ) れも思い出深い公演です。実父は四十四年から国立劇のではないかと思っており ました。それでもとにかく 場で『元禄忠臣蔵』の全幕上演に取り組み、四十五年、 五十三年と順を追って演じてきていました。この時は体初日までには覚えようと、 調がかなり悪かったのですか、「内蔵助をやり遂げた 私は徹夜をいたしました。 」という当人の強い希望で舞台稽古に臨みました。で代わってからは無我夢中 すが初日でカ尽きてしまいました。 でした。しかもあまり上演 初日の三日前ぐらいこ こ、「ちょっと危ないから覚 , ん されない、「伏見撞木町」 ておいてくれ」と実父に言われましたが、まさか初日の場もありましたから、稽 古での実父の演技を真似 て演じるしかありませんで 「周年記念公演」では十一月に『仮名手本忠臣かか問題になります。私が勤める場合は、初代の演技を 蔵』「七段目」の大星由良之助を勤められます。 もとにします。調べますと「岡崎」でもいろいろな通し 冫、に ) ッれ峯 : っ 方をしております。資料も部分的にしか残っておりませ 独参湯といわれる素晴らしい作ですが、今回のように 通し上演でありながら、前段を演じることなく、「七段んので、それをどう芝居に取り入れるのか。またそれを 目」の山良之助たけで、「敵を欺くための酔態で仇討の特徴的に入れないと、播磨屋の復活した通し狂言という 心を腹にもっている」ということを示すのはなかなか難ことにはなりません。 しいです。 特に「岡崎」は役者を選ぶ、役者次第というと , ) ろが また同じく記念公演で、来年三月に『伊賀越道中あります。上手いに越したことはありませんが、それぞ す、 1 ろく 双六』が上演されます。平成一一十六年十一一月に国立劇場れの役に、柄に合った俳優が出ているかどうかですいぶ で上演し、四十四年ぶりとなる「岡崎」を含め、優れたん違ってしまいます。 舞台成果を上げ、話題になった公演でした。吉右衛門さ 一昨年の「岡崎」は、吉右衛門さんの政右衛門はも んは初役で唐木政右衛門を演じられました。 ちろん、中村歌六さんの幸兵衛、中村雀右衛門 ( 当時芝 長い作品で、大昔は書かれたとおりに、朝から日か暮雀 ) さんのお谷、尾上菊之助さんの志津馬と、それぞれ れるまで上演したのでしようか、現代ではそうはまいり が好演されました。 ません。時間的制約があるなかで、どの場面を上演する 私の知っている志津馬で印象深かったのは、訥升時代 伊賀越道中双亠 0 唐木政右衛門 ( 平成年肥月 ) ⑩ かなでほんちゅうしん いか、一・んどうちゅう

5. 演劇界 2016年10月号

作 の ( 八代目澤村 ) 宗十郎のおにいさんです。つつころばのではないかと思います。 弥 一一十五年十一一月には『弥作の鎌腹 ( いろは仮名四十百 しのようで、悪者にすぐにやられてしまう感じのナョナ ョした色男でした。この間の菊之助君はまったくの男で七訓 ) 』の弥作をなさいました。『忠臣蔵』の外伝物です鎌 作 が、こちらも初代の当り役ですね。 演じました。どち、らかど , つかはわかりませんか、いろし 弥 訓 初代の当り役を選んだ「秀山十種」のひとつで、どこ ろなやり方がごさいます。 かでやりたかったのですが、歌舞伎座などでは、地味で四 前回が大変に評価を得て、記念公演に入れていただけ 名 仮 ました。来年三月の公演を成功させなければいけないの上演しづらい狂言です。国立さんにお願いしたら、「ま 月 で責任は重いですが光栄です。さらに手を加え、よりおあいいでしよう」という , ) とになりました ( 笑 ) 。考え しろいろやらせていただいての年 客様に楽しんでいただけるようにしようと考えています。てみれは、国立さんでは、、 しんれいやぐちのわたし いますね 一一十七年十一月の『神霊矢ロ渡』の通し上演も、初 平 むらいちょうあんかんせんちょうあくのぞきいらくり 『村井長庵 ( 勧善懲悪覗機関 ) 』 ( 昭和五十四年八 代が兵庫之助を勤められて以来、百年ぶりの「由良兵庫 れいげんかめやまほこ 国立劇場 ) 。今は膝の具合か悪いので、なんとか工夫し 月 ) 、『霊験亀山鉾』 ( 平成元年十一月 ) 、『佐倉義民伝』 之助新邸」の上演などが話題になりました。 てんいちやや おうしゅうあたちいはら ( 十年十月 ) 、『奥州安達原』 ( 十三年一月 ) 、『殿下茶屋てと考えております。 初代の演技を書きとめた「見たまま」か、ちょこっと むら 通し上演をすいぶんなさってい 佐倉義民伝』は、満員御礼になりました。木内宗吾 残っているので、それを手かかりに、手探りで書かれて聚』 ( 同年十月 ) ・ から仏光寺住職光然まで四役を演じ、ほとんど全場を通 ます。『村井長庵』はその後、上演自体がないですね。 いることを再現し、具象化しました。なんとか成功した しました。よくできたと思います。これも、も , ついっへ 上演当時、興味深く拝見した んやりたいです。 言憶かあります 今後なさりたい 作品はおありでしようか 村井長庵』は長庵と紙屑 身、よ・つ′、 2 ( 物 0 」め。 0 イ、 侠客春雨傘』 ( 福地桜痴作 ) は初代が当てたもので 買久八の一一役を演じるのがど ①ソですし、長時間の上演になすので、通しで演じたいです。それと『忠臣蔵』の外伝 月 えもん りますから、面白い作品です物の鳩の平右衛門』 ( 河竹黙阿弥作 ) ですね。 年 か再演は難しいですね。 成 挑戦できる場で 平 『奥州安達原』は、中村屋 あってほしい 助のおじさま ( 十七代目勘三 之 国立劇場にはどうあってほしいとお考えですか 兵郎 ) のように、「一つ家」の 歌舞伎座は松竹という会社が運営しておりますので、 由 ~ 婆 ( 老女岩手 ) も演じたいん どうしても商売ということを考えなければなりません。 神 いました ( 昭和五十三年四月対して国立は歌舞伎という舞台芸術を高める場であると、 一。 00 」、 00 〔 0 、 0 3 やさく さくらぎみんでん はとへ 15 ENGEKIKAI.2016.10

6. 演劇界 2016年10月号

宵闇妖鉤』→乱噂鉤鴈一 ) として上演したことも記 作品の江戸の古狂言を復活上演してきた。 十八年の四十周年記念では十月から三か月にわたって 憶に残る。 げんろくちゅうしんぐら こうして半世紀を回顧すると、国立劇場の開場によっ 真山青果の「元禄忠臣蔵』を全編上演し、十月は吉右衛門、 て歌舞伎の演目が実に多彩になったことがわかる。また、 十一月は坂田藤十郎、十一一月は幸四郎が内蔵助を演じ た。そのほかに目立った公演としては坂田藤十郎、富十 この劇場の方針であった通し上演が次々世代に受け継が おぐりはんがんものがたり れていることもわかる。大きな功績であろう。 郎らの上方式演出「小栗判官譚』、仁左衛門が吉右衛門 とは違う台本で演じた「霊験亀山鉾』、猿翁一門による とみがおかこいのやまびらき はでくらぺいせものがたり 『競伊勢物語』、菊五郎一門による「富岡恋山開』 伝承者ど観客の - かいがさやぎゅうしつき かねてきくやなぎさわそうどう とおやまざくらてんはうにつき 三蓋笠柳生実記』『噂音菊柳澤騒動」「遠山桜天保日記』、 養成も大きな功績 しおばらたすけいちたいき 十代目三津五郎の「塩原多助一代記』、染五郎の『乳貰 はなふぶきこいのてかがみ づかむかしがたりうぐいすづか 歌舞伎以外の公演にも触れたい。新派公演は昭和 ( 花雪恋手鑑 ) 』「うぐいす塚 ( 昔語黄鳥墳 ) 』の復活 四十七年の『滝の白糸』から始まった。初代水谷八重子 がある。絶えていた場面の復活としては吉右衛門が「神 れいやぐちのわたし を中心にした一座でゲストに歌舞伎の花形が加わるこ 霊矢ロ渡』の「由良兵庫之助新邸」、翫雀 ( 現鴈治郎 ) せおんどこいのねたば とも多く、『婦系図『日本橋』『白鷺』『不如帰』など、 が「伊勢音頭恋寝刃」の「太々講」を復活している。坂 五十四年の初代八重子没後も六十一一年まで十四回の公演 田藤十郎の「忠臣蔵』七役早替りや、染五郎が一一年にわ をもった。以後中断して、良重の一一代目八重子襲名の翌 たって江戸川乱歩の「人間豹』を新作歌舞伎 ( 『江戸 「浮世柄比翼稲妻」中村勘九郎 ( 十八代目勘三郎 ) の名古屋山三元春、 中村時蔵の茶屋女房お時、十二代目市川團十郎の不破伴左衛門 ( 平成 5 年 4 月 ) ⑩ えどの ちちもら しん 「小春穏沖津白測澤村田之助の三浦屋傾城深雪、 尾上菊五郎の八重垣礼三郎実は小狐礼三 ( 平成 14 年 1 月 ) 「霊験亀山鉾」中村芝雀 ( 現雀右衛門 ) の芸者おつま、 片岡仁左衛門の隠亡の八郎兵衛 ( 平成年月 ) 2 年、平成八年から十三年までに五回、その後また中断し ていたが今年久々に復活した。 文楽は歌舞伎と並ぶ中心の公演で、開場以来小劇場で 年四回の公演を続けてきた。原作尊重・通し上演が方 針で、開場公演に続く翌年三月には「伊賀越』を通し 上演したが、東京の観客には文楽自体の馴染みが薄かっ たため不入りで、六、九月は見取りの狂言立てに切り替 えた。ところが四十三年の文楽初のパリ公演で上演し そねざきしんじゅう た『曽根崎心中』が現地で絶賛されたことで状況が一変 した。若い観客が急に増え始めたのである。そのため再 び通し上演が復活し『妹背山」「廿四孝」「千本桜」「菅 原』などの大作を上演した。一方で五十六年に一一月公演 を「近松名作集」と題して三部制にするなど ( この企画 は六十三年まで続き、以降も断続的に行われている ) 、観 客動員を図る企画を模索した。しかしそんななか、名手 が次々に逝ってしまった。開場翌年に十代目若太夫が逝っ たのをはじめ十年間に八代目綱太夫、三代目春子太夫、 一一代目紋十郎、六代目寛治、一一代目栄三、松之輔が次々 に亡くなった。今思、つと、名手が立て続けに世を去った この時期を境に、文楽の鑑賞法が大きく変わったと思う。 E 、 GEK ー KAL2016.10 40

7. 演劇界 2016年10月号

十七代目市村羽左衛門らによるク昭和最演出で始まります。また、高師直、塩冶判て、通称梅と桜クともよばれています。 十・十一・十ニ月 後の大忠臣蔵ともいうべき名舞台は、官、桃井若狭之助などの衣裳の色彩が後半は本蔵の「松切り」。昭和六十一年 『板名手本忠臣蔵 現在も語り継がれています 各々の性格を表現し、歌舞伎特有の美意所演では、七代目市川團十郎の若狭之助 全段完全通し上演 それから三十年。開場五十周年を記念識が舞台効果を高めます。一一段目の前半で初演された改作の「建長寺」でしたが、 国立劇場は、さまざまな上演形態でして、十月から三か月にわたり全段を上は、大星カ弥が判官の使者として若狭 忠臣蔵』を取り上げてきました。昭 和演します。しかも、昭和六十一年所演で之助の館を訪れる「カ弥使者」。カ弥と 四十八年から三年連続で十一一月に、十段はカットされた場面も取り上げ、現在上加古川本蔵の娘小浪との初々しい恋を描 目「天川屋」以外の場面を、テーマごと演可能な場面をすべて網羅し、ク完全通き、一一人をたとえた詞章の表現に山来し に分けて上演しました。赤穂浪士の討入し上演クでご覧いただきます。物語の全 り事件から三百年に当たる平成十四年容を見ることができる貴重な舞台は、歌 + 月公演 十一月は、上方式の演出による通し上演舞伎の歴史に新たな一頁を加えることに下【「四段目」中村梅玉の塩冶判官⑩ なるでしよ、つ で、三代目中村鴈治郎 ( 現坂田藤十郎 ) が主要な七役を勤めました。 特に、昭和六十一年十月から三か月 開場五十周年記念の歌舞伎公演の先駆 にわたる開場一一十周年記念公演の全段通けとなる十月【第一部】は大序から四段 てんのうだちさが し上演は、劇界の注目を集めました。六目まで。口上人形、「天王立下り羽」と 代目中村歌右衛門、十七代目中村勘一一一郎、 いう音楽での幕開き、七五三置鼓の演奏 七代目尾上梅幸、十三代目片岡仁左衛門、や東西声など、大序「兜改め」は荘重な これぞ国立劇場の通し狂言 , かなでほんちな・つしんぐら この十月から始まる、ク国立劇場開場周年記念の歌舞伎公演。 各月の見どころを、国立劇場制作部歌舞伎課による紹介てご案内いたします。 文Ⅱ国立劇場制作部歌舞伎課 23 E 、 GEKIKAI.2016.10

8. 演劇界 2016年10月号

さまざまな角度から開場五十周年特集を展開してきましたが、最後に、 意外と知られていない国立劇場の側面や歴史をご紹介しましよう。 国立劇場 昭和四十一年、第一回公演の筋書には、 国立劇場の歌舞伎公演はどのような方針 で行われるか、を伝える「七つの方針」が 掲げられている。長文で書かれたその七項 目からは、さまざまな意味で、国立劇場 としての特色を出したいという思いが読 演劇史上 河竹第俊修・ - 月日等 始時社 2 品朝当為朝 なるほど事典 術第・加賀山直三補 」又昭 山の場 の 0 七つの方針 団 み取れる。 「いわば国立劇場の憲法というべきもの」 と語る織田紘二氏に、その「七つの方針」 を要約していただいた。 「当時、河竹繁俊先生をはじめとする 方々が文部省の会議のなかで検討された ものをまとめられました。そのひとつが、 月 歌舞伎の財産を増やそうというものでし た。つまり、上演されていないものの復活 昭 を図ろう、そして、全体を通してわかりや タ ス すくしよう、ということだったのです」 すがわらでんじゅてならいかがみ の 演 開場公演『菅原伝授手習鑑』の一一か月通 公 念 し上演では、河竹繁俊監修、加賀山直三補 1 三ロ 開綴・演出で、歌舞伎では長くかけられてい ロ 国立劇場七つの方針 ( 第回筋書より要約 ) 歌舞伎を一般大衆に親しみやすくす ①極力原典を尊重しその研究を進め、 出来るだけ原典の内容を活かした演 るよう心がけ、広く啓蒙したいと考 えている 出に努力したい。 ロ脚本の研究に努力して、なるべく全 3 配役は適材適所を旨とし、脚本に描 かれた役にびったりした配役をする 体の筋がわかるような補綴を考え、 ように努力していきたい。 通し狂言に近づくように努力する 3 研究次第で復活可能なものも相当あ 3 演出の統一を図るため、必す演出家 ると思われるので、適当なものを選 を設定し、統一ある演出方針に従う よう工夫したい。 び、脚本とその演出に研究を加えて 極力古典作品の復活上演を図ることプ伝統的な歌舞伎の技法を基盤とした に努力したい。 戯曲の創作を奨励し、歌舞伎を現代 に活かすことも忘れてはならない 観客にわかりやすくするように努め、 なかった「大序」を復活させた。 最初の五年間はほとんどの歌舞伎本公 演で、復活通し上演が行われた。いかに劇 場が「七つの方針」を真面目に守っていた かかわかる 「六つ目の、必す演出家を置くとい、つの も大事なことでした。台本を整理する、演 出の細部にわたる配慮をするーーーー国立で なければできなかったと思います」 七つ目の「歌舞伎の伝統に根ざした新作 をつくる」という点では、多くの新作が上演 された。ことに最初の十年は、大佛次郎、 三島由紀夫らの作者たちがいた 「郡司正勝、戸部銀作、利倉幸一など、 E 、 GEKIKAI.2016.10 46

9. 演劇界 2016年10月号

五段目と六段目「勘平腹切」の勘平の演一一が、前半の見どころ。後半では、武家の 今回は原作に則して上演します。三段目 出における東京式の規範は、五代目尾上義理と娘への親心との間で葛藤する本蔵 は、「進物」と「松の間刃傷」に加えて、 を中心に、本蔵・由良之助両一家の交流 早野勘平とおかるの恋模様を綴る「文使 菊五郎によって定着した音羽屋型です。 あさぎ 浅葱色の紋服への着替え、縞の財布を確を通して、人間味豊かなドラマが展開し い」「裏門」も上演します。三段目の全編 上演は、六十三年一月大阪中座以来一一十 認する演技など、緻密に組み立てられたます。十段目「天川屋」では、塩冶浪士 八年ぶりです。三段目には、物語の大き 第。一 ~ ~ 一演出が勘平の複雑な心理を巧みに表現しの討入りの武具類を調達した堺の商人・ ています。七段目「一カ茶屋」では、討天川屋義平の義侠心を描きます。「天川 な柱であるク三つの死ツの伏線が盛り 入りという大望を秘めながら遊興に耽る屋義平は男でござる」の名せりふは聞き 込まれています。四段目「塩冶館」では、 由良之助が、会話の相手に応じてさまざどころです。「泉水」の立廻りでお馴染 「花献上」を五十年十一一月国立劇場以来 まな表情を見せます。その演じ分けのエみの十一段目「討入り」。カ弥と師直の子 四十一年ぶりに上演します。刃傷事件の 遠因となった判官の妻顔世の悲しみが 夫に俳優の個性を垣間見ることができま す。遊女になったおかると実兄の寺岡平 伝わります。「判官切腹」は、厳粛な雰囲 右衛門のやりとりも大きな見どころです。 気を尊重して上演中の観客の出入りを差 尾上菊五郎の勘平 ( 五・六段目 ) 、中村吉 し止めたク通さん場ッとよばれる場面。 右衛門の由良之助ほか華やかな顔ぶれで 由良之助と判官の対面に悲しみと無念 + 一月公演 右】「六段目」尾上菊五郎の早野勘平⑧ ご覧いただきます が入り混じります。九代目市川團十郎が左】「七段目」中村吉右衛門の大星山良之助⑧ 工夫した肚芸による由良之助の演技。 「送り三重」という三味線の音楽で由良昼夜一一部制の通しでは昼の部の最後に上通し上演を締め括る十二月【第三部】 は、八段目「道行旅路の嫁入」から始ま 之助が引っ込む「城明渡し」の幕切れま演しますが、今回は勘平・おかるの悲劇 で、見逃せません。松本幸四郎の由良之の序曲として取り上げます。五段目「鉄ります。山科へ向かう本蔵の後妻戸無瀬 助、中村梅玉の判官ほか適役揃いの配役砲渡し」で、猟師になった勘平が雨宿りと小浪の道中を義太夫節の名曲で綴りま です の最中に笠を上げて顔を見せる件は、一一す。屈指の大曲である九段目「山科閑居」。 枚目ぶりが際立っ幕開きです。「二つ玉」昭和六十一年所演と同様に、由良之助が 開場満五十年と歌舞伎公演三百回とい は、初代中村仲蔵が考案した斧定九郎の祗園の廓から帰宅する「雪転し」から丁 う節目が重なる十一月【第一一部】。三段演技が印象に残ります。また、闇のなか寧に上演します。戸無瀬と由良之助の妻 目「裏門」を書き替えた清元の所作事「道で起きる勘平の悲劇を、写実と様式美がお石によるせりふの応酬や、生さぬ仲ゅ + 二月公演 右】「九段目」松本幸四郎の加古川本蔵⑩ 、んに互いを思いやる一戸無瀬と小浪の恩愛左【「九段目」中村梅玉の大星由良之助⑧ 行旅路の花聟」。現行の東京式における融合した歌舞伎独特の表現で描きます はなむこ くだり を、 GEK ー KAL2016.10 24

10. 演劇界 2016年10月号

じ、五十六年の十五周年には『菅原』を再演し、十三代 目仁左衛門の菅丞相が絶賛された。六十一年の一一十周年 には二か月にわたって『仮名手本忠臣蔵』を通し上演し、 十三代目仁左衛門、歌右衛門、十七代目勘三郎、七代目 梅幸、十七代目羽左衛門らが出演、これが戦後歌舞伎を 支えてきた俳優たちの最後の大顔合わせになった。 復活から新作まて 多彩な作品を上演 昭和から平成に元号が変わり、歌舞伎界も一挙に世代 交替が進んだ。一一年から歌舞伎座は、年間を通して歌舞 伎を上演するようになる。歌舞伎人気を牽引したのは 十八代目勘三郎らの世代であった。以後の国立劇場の歌 舞伎も次世代の俳優たちが中心になっていく。平成元年 れいげんかめやまほこ には吉右衛門が『霊験亀山鉾』を復活した。一一年には五 だいがんじようじ物てんがちややむら 代目富十郎の『殿下茶屋 ( 大願成就殿下茶屋聚 ) 』、菊五 こくせんやかっせん 郎の『再岩藤』、十一一代目團十郎、富十郎の『国性爺合戦』、 三年の『千本桜』では團十郎が知盛、菊五郎が権太・忠 「彦山権現誓助剱」中村児太郎 ( 現福助 ) のお菊伜弥三松、 うきょづかひょくのいなづま 信を演じた。五年の『浮世柄比翼稲妻』は團十郎の不破・ 三代目實川延若の毛谷村六助 ( 昭和犯年川月 ) ⑩ 長兵衛に十八代目勘三郎が権八を演じている。六年の『け はまのまさ ) 」 てんいちばうおうぎびようしおおおかせいたん は菊之助 ( 現菊五郎 ) が「天一坊 ( 扇音々大岡政談 ) 』 いせい浜真砂』は歌右衛門から受け継いで鴈治郎 ( 現坂 けさかけまつなりたのりけん あさがおにつきしよううっしあさがおばなし 田藤十郎 ) が主演し、七年の『かさね ( 法懸松成田利剣 ) 』 「朝顔日記 ( 生写朝顔話ご、染五郎 ( 現幸四郎 ) が ほりかわなみつづみ の通しは團十郎の与右衛門、菊五郎のかさねであった。 「堀川波の鼓』、辰之助 ( 三代目松緑 ) 、孝夫 ( 現仁左 むらいちょうあん かみかけてさんごたいせつ 八年の十一月に国立劇場は三十周年を迎え、十月から 衛門 ) 、玉三郎が『盟三五大切』、吉右衛門が『村井長庵 かんせんちょうあくのぞきがらくり 翌年の正月まで四か月にわたり記念公演を上演した。十 ( 勧善懲悪覗機関 ) 』を演じている。『三五大切』『村井 月は猿之助 ( 現猿翁 ) が出演し鶴屋南北の顔見世狂言 長庵」は小劇場での上演で、以降、断続的であるが小劇 してんのうもみじのえどぐま 『四天王楓江戸粧』を復活した。古例に倣って脇狂言、 場での本公演が行われていく。 五十一年の開場十周年記念には一一か月にわたり「千本序開きから上演する企画で猿之助歌舞伎の集大成の舞 台になった。十一・十二月は『妹背山』の通しで「吉野 桜』を通し上演して一一代目松緑が知盛・権太・忠信を演 ゞ第一豆 ・第 「桜姫東文章」八代目坂東三津五郎の釣鐘の権助、 四代目中村雀右衛門の桜姫 ( 昭和 42 年 3 月 ) ⑩ 房長 女井 童、 岡持 代の 話 5 昔守年 の 京四和 練 + 昭 川」は坂田藤十郎が定高、幸四郎が大判事、「芝六住家」 は菊五郎が芝六、「御殿」は四代目雀右衛門がお三輪、 だんのうらかぶとぐんき 吉右衛門が鱶七を演じた。正月は『壇浦兜軍記』で團十 郎が景清、玉三郎が阿古屋を演じた。十三年の三十五周 年記念も四か月行われ、十月は富十郎、吉右衛門、梅玉 の『殿下茶屋』、十一月は團十郎が三役を演じた『千本 桜』、十二月は幸四郎の和尚、梅玉のお坊に染五郎がお さんにんきちさくるわのはつがい 嬢を演じた『三人吉三廓初買』、正月公演は菊五郎の出 演で黙阿弥の『小狐礼三 ( 小春穏沖津白浪 ) 」を復活し た。菊五郎は十八年から現在までの正月公演で、この 『小狐礼三』と二十三年十月に四十五周年記念として上 演した曲亭馬琴原作『開幕驚奇復讐譚』を含めると、九 こぎつねれいざ かいまくきようきあだうちものがたり 「恋女房染分手綱」二代目中村鴈治郎の 竹村定之進、六代目中村歌右衛門の重の井 ( 昭和絽年 3 月 ) ⑩ 39 E 、 GEK ー KAk2016.10