芸を云々する観客が少なくなり、文楽という芸の形態や 物語を楽しむ人が増えたのである。つまり文楽は芸を楽 しむ演劇から教養の対象に変わったのだ。最近の十年間 でいえば、東京の文楽公演の観客入場率は歌舞伎のそれ を遥かに越えている。この間も、四代目越路太夫や初代 玉男の死去や住太夫の引退があったが、客席はほば満員 の状態が続いているのだ。 文楽とともに上方の芸能が数多く国立劇場で紹介され るようになり、その結果、上方の芸能が評価され、それ に携わっている人々が顕彰されるようになった。歌舞伎 の坂田藤十郎、落語の三代目米朝、文楽の住太夫が文化 勲章を受章し、上方舞の吉村雄輝、文楽の初代玉男、簑 助が文化功労者に選ばれた。昭和の時代には考えられな かった現象である。国立劇場が生んだ功績の一つで、大 阪生まれの私にはうれしい 養成事業も国立劇場の大きな仕事であった。伝統芸能 の後継者の養成だけではない。新しい観客を生み出すこ とも養成にあたると私は思う。開場三年目の四十三年か ら夏に「青年歌舞伎祭」が行われた。まだ若手だった今 の大幹部たちが、それぞれ会をつくって参加し大きな役 に挑戦した。菊五郎、辰之助 ( 一一一代目松緑 ) の「あすな 「塩原多助一代謎十代目坂東三津五郎の 塩原多助 ( 平成幻年 10 月 ) ろう会」、團十郎の「荒磯会」、幸四郎、吉右衛門の「木 を脇から支えている。また、何人かの俳優は幹部に昇進 の芽会」、松嶋屋兄弟 ( 我當、秀太郎、仁左衛門 ) の「若 した。指導の中心的役割を果たしたのは一一代目又五郎で、 松会」、玉三郎の「若草座」、十八代目勘三郎、歌六、 その功績は大きい。歌舞伎音楽研修も、竹本は五十一年、 又五郎らの「杉の子会」などである。そのほかに脇役た 鳴物は五十六年、長唄は平成十一年に始まった。文楽研 ちの勉強会もあり、四十七年から国立劇場歌舞伎俳優研修は四十七年に始まり、現在、文楽の三業 ( 太夫・三味 修の修了生による「稚魚の会」が始まった。御曹司たち 線・人形 ) の半数以上は修了者で、この事業がなかっ の会は彼らの成長とともに消えていったが、「稚魚の会」 たら歌舞伎も文楽も危機に立っていただろう。劇場の最 大の功績はこれら養成事業であったと思う。 は幹部俳優に直接入門した名題・名題下俳優たちによる 「歌舞伎会」と合同する形で現在まで続いている 新しい観客を生み出すため四十一一年から「歌舞伎鑑賞 歌舞伎俳優研修は四十五年に始まった。脇役俳優の不 教室」、四十四年から「文楽鑑賞教室」が始まった。歌 足が深刻になり、一般から公募して歌舞伎俳優を養成す 舞伎は五十三年から年に一一か月となり、各月「歌舞伎の ることになったのだが、 今ではその修了者たちが歌舞伎 みかた」という解説と初心者向きの狂言を一本上演。文 楽は一か月で、観客はどちらも高校生が主体である。違 うのは、歌舞伎の出演者は中堅若手俳優が多いのに対し て、文楽はトップクラスの人が出演することだ。歌舞伎 は世代の近い俳優が出演したほうが親近感をもたれると いう発想で、文楽の場合は初心者にこそ最高の舞台を見 せるべきだという考え方によっている 調査研究も国立劇場に課された使命で、公演ごとに刊 行している『上演資料集』のほか、さまざまな文献、『近 代歌舞伎年表』『義太夫年表』などを刊行してきた。いす れも国立劇場でないとできない仕事で優れた功績である。 個人的には舞踊、邦楽、声明、民俗芸能など貴重な芸 能が鑑賞できたことが贅沢な体験であった。さらに私的 なことでは、私が初めて劇評を書いたのが開場公演だっ た。演劇雑誌の『テアトロ』が開場を機に大劇場公演の 評を掲載する欄を設け、私が担当させてもらったのであ る。十年間連載した。 私にとって長いようで短く、短いようで長い半世紀 だった。 「江戸宵闇妖鉤爪」市川染五郎の恩田乱学、松本錦吾の目明かし恒吉、松本幸四郎の明智小五郎、 市川春猿の明智の女房お文、市川高麗蔵の同心小林新八 ( 平成年 11 月 ) 41 E 、 GEK ー KAL2016.10
じ、五十六年の十五周年には『菅原』を再演し、十三代 目仁左衛門の菅丞相が絶賛された。六十一年の一一十周年 には二か月にわたって『仮名手本忠臣蔵』を通し上演し、 十三代目仁左衛門、歌右衛門、十七代目勘三郎、七代目 梅幸、十七代目羽左衛門らが出演、これが戦後歌舞伎を 支えてきた俳優たちの最後の大顔合わせになった。 復活から新作まて 多彩な作品を上演 昭和から平成に元号が変わり、歌舞伎界も一挙に世代 交替が進んだ。一一年から歌舞伎座は、年間を通して歌舞 伎を上演するようになる。歌舞伎人気を牽引したのは 十八代目勘三郎らの世代であった。以後の国立劇場の歌 舞伎も次世代の俳優たちが中心になっていく。平成元年 れいげんかめやまほこ には吉右衛門が『霊験亀山鉾』を復活した。一一年には五 だいがんじようじ物てんがちややむら 代目富十郎の『殿下茶屋 ( 大願成就殿下茶屋聚 ) 』、菊五 こくせんやかっせん 郎の『再岩藤』、十一一代目團十郎、富十郎の『国性爺合戦』、 三年の『千本桜』では團十郎が知盛、菊五郎が権太・忠 「彦山権現誓助剱」中村児太郎 ( 現福助 ) のお菊伜弥三松、 うきょづかひょくのいなづま 信を演じた。五年の『浮世柄比翼稲妻』は團十郎の不破・ 三代目實川延若の毛谷村六助 ( 昭和犯年川月 ) ⑩ 長兵衛に十八代目勘三郎が権八を演じている。六年の『け はまのまさ ) 」 てんいちばうおうぎびようしおおおかせいたん は菊之助 ( 現菊五郎 ) が「天一坊 ( 扇音々大岡政談 ) 』 いせい浜真砂』は歌右衛門から受け継いで鴈治郎 ( 現坂 けさかけまつなりたのりけん あさがおにつきしよううっしあさがおばなし 田藤十郎 ) が主演し、七年の『かさね ( 法懸松成田利剣 ) 』 「朝顔日記 ( 生写朝顔話ご、染五郎 ( 現幸四郎 ) が ほりかわなみつづみ の通しは團十郎の与右衛門、菊五郎のかさねであった。 「堀川波の鼓』、辰之助 ( 三代目松緑 ) 、孝夫 ( 現仁左 むらいちょうあん かみかけてさんごたいせつ 八年の十一月に国立劇場は三十周年を迎え、十月から 衛門 ) 、玉三郎が『盟三五大切』、吉右衛門が『村井長庵 かんせんちょうあくのぞきがらくり 翌年の正月まで四か月にわたり記念公演を上演した。十 ( 勧善懲悪覗機関 ) 』を演じている。『三五大切』『村井 月は猿之助 ( 現猿翁 ) が出演し鶴屋南北の顔見世狂言 長庵」は小劇場での上演で、以降、断続的であるが小劇 してんのうもみじのえどぐま 『四天王楓江戸粧』を復活した。古例に倣って脇狂言、 場での本公演が行われていく。 五十一年の開場十周年記念には一一か月にわたり「千本序開きから上演する企画で猿之助歌舞伎の集大成の舞 台になった。十一・十二月は『妹背山』の通しで「吉野 桜』を通し上演して一一代目松緑が知盛・権太・忠信を演 ゞ第一豆 ・第 「桜姫東文章」八代目坂東三津五郎の釣鐘の権助、 四代目中村雀右衛門の桜姫 ( 昭和 42 年 3 月 ) ⑩ 房長 女井 童、 岡持 代の 話 5 昔守年 の 京四和 練 + 昭 川」は坂田藤十郎が定高、幸四郎が大判事、「芝六住家」 は菊五郎が芝六、「御殿」は四代目雀右衛門がお三輪、 だんのうらかぶとぐんき 吉右衛門が鱶七を演じた。正月は『壇浦兜軍記』で團十 郎が景清、玉三郎が阿古屋を演じた。十三年の三十五周 年記念も四か月行われ、十月は富十郎、吉右衛門、梅玉 の『殿下茶屋』、十一月は團十郎が三役を演じた『千本 桜』、十二月は幸四郎の和尚、梅玉のお坊に染五郎がお さんにんきちさくるわのはつがい 嬢を演じた『三人吉三廓初買』、正月公演は菊五郎の出 演で黙阿弥の『小狐礼三 ( 小春穏沖津白浪 ) 」を復活し た。菊五郎は十八年から現在までの正月公演で、この 『小狐礼三』と二十三年十月に四十五周年記念として上 演した曲亭馬琴原作『開幕驚奇復讐譚』を含めると、九 こぎつねれいざ かいまくきようきあだうちものがたり 「恋女房染分手綱」二代目中村鴈治郎の 竹村定之進、六代目中村歌右衛門の重の井 ( 昭和絽年 3 月 ) ⑩ 39 E 、 GEK ー KAk2016.10
8 月号定価 : 本体 1 , 343 円 + 税 2015 年 ツ 。歌舞伎の戦後七十年 ク 戦時下の歌舞伎と復興への道のり 「阿弖流為」特別鼎談 ナ 市川染五郎 x いのうえひでのり x 中島かすき 若手花形インタピュースペシャル ン 中村歌昇 x 尾上右近 x 中村種之助 を ロングインタピュー中村橋之助 9 月・号特別定価 : 本体 1 , 667 円 + 税 2015 年 ぎ 歌舞伎の今一前篇ー スペシャルインタビュー坂東玉二郎 未来を支える俳優の育成 中村時蔵・市川團蔵 / 中村梅玉・片岡秀太郎ほか 市川染五郎『阿弖流為』制作日記 [ 叫最新歌舞伎俳優名鑑 10 月号定価 : 本体 1 , 343 円 + 税 2015 年 F 巻 お 歌舞伎の今一後篇ー A 末 し スペシャルインタビュー市川猿之助 では のが込 歌舞伎舞踊の今藤間勘十郎 x 尾上菊之丞ほか おきみ 市川染五郎「ラスベガス公演報告記」 申色方 話題の舞台「あらしのよるに』 / 「ワンピース』 ”ロングインタピュー中村東蔵 込利 を村 み用 新装刊八周年記念特別インタビュー中村吉右衛門 可だ Ⅱ 月号定価 : 本体 1 , 343 円 + 税 2015 年 でい す 名脇役の花と実 ン スペシャルインタビュー澤村田之助 タ 中村梅花丈を語る中村歌女之丞 x 中村芝喜松 ネ 私が愛した脇役たち / 師匠番の存在ほか ツ ト 中村歌昇・中村種之助「双蝶会」 電 ロングインタビュー中村扇雀 話 12 月号定価 : 本体 1 , 343 円 + 税 2015 年 送 。歌舞伎謎解戯場 料 かぶきなぞときげきじよう 俳優篇、登場人物篇、舞台・小道具篇の ホ電 お クイズを解きつつ歌舞伎の知識が身につぐ 話問 特別インタピュー尾上松緑 0 若手花形インタビュー中村種之助 ジ せ ロングインタビュー市川團蔵 先 2 1 月 - 号特別定価 : 本体 1 , 574 円 + 税 2016 年 101 1 當る申年◆年男 , 福をよぶ年男の俳優二十六人が登場 ! 1 吉右衛門 / 仁左衛門 x 孝太郎 / 田之助 x 竹三郎 / 又五郎 x 彌十郎 尾上右近 x 菊十郎 / 廣太郎 / 團子 / 橘三郎 / 歌江ほか A 代 ぜ特別付叫 2016 年小道具ものがたりカレンダー 区 神 2 月号定価 = 本体 1 , 343 円、税 2016 年 神 二〇一五年歌舞伎総ざらい ! 東京・関西・中京から九州の各地の一年 / 1 13 極私的歌舞伎大賞 / 二〇一六年の襲名ほか 0 演 新春浅草歌舞伎インタピュー 松也・巳之助・新悟・米吉・隼人・国生 / 錦之助 出 ロングインタピュー市川右近 9 社 3 月号定価 = 本体 1 , 343 円、税 2016 年 初芝居ーー壽申歳戯場国賑 ことほぐさるどしかぶきのにぎわい 歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、 浅草公会堂、大阪松竹座ーーー東西五座の 二〇一六年初春公演を誌上で楽しむ ! ロングインタビュー中村歌六 4 月号定価 = 本体 1 , 343 円、税 2016 年 襲名五代目中村雀右衛門 ロングインタピュー五代目中村雀右衛門 / 友右衛門・廣太郎・廣松 / 雀右衛門の代々ほか 生誕二百年河竹黙阿弥の魅力 話題の舞台スペシャル『ワンピース』 インタピュー猿之助 / 横内謙介 / 巳之助 x 隼人 ロングインタビュー坂田藤十郎 5 月号定価 : 本体 1 , 343 円 + 税 2016 年 五代目中村雀右衛門 襲名披露開幕 ! 話題の舞台スペシャル「明治座四月花形歌舞伎」 インタピュー菊之助 / 勘九郎 / 七之助 報告スペシャル「システィーナ歌舞伎」 愛之助 x 水口一夫 [ 嘔画 ] 「演劇界』温故知新 6 月号定価 : 本体 1 , 343 円 + 税 2016 年 長谷川伸の世界 「股旅」の意味するもの / 長谷川伸先生のこと 名作七撰紹介 / 六代目菊五郎との交流 新国劇の長谷川伸 / 記憶に残る名舞台 スペシャルインタピュー尾上松也 歌舞伎来た道・行く道中村寿治郎 追悼初代中村歌江 ・ 7 月号定価 = 本体 1 , 343 円、税 2016 年 ' 渋谷・コクーン歌舞伎 インタビュー串田和美 / 中村扇雀 座談会中村獅童 x 中村勘九郎 x 中村七之助 対談笹野高史 x 片岡亀蔵 勘三郎の種子コクーン歌舞伎の足跡と意義 染五郎の歌舞伎摩訶不思議「日替り戯隈二十六顔リ 今月の話題中村雀右衛門 8 月号定価 : 本体 1 , 343 円 + 税 2016 年 忘れ得ぬ名優たち 二代目松緑 / 三代目延若 / 十三代目我童 三代目権十郎 / 九代目宗十郎 十七代目羽左衛門 / 五代目富十郎 染五郎の歌舞伎摩訶不思議ラスベガス公演報告記 対談市川染五郎 x 尾上菊之丞 勉強会に挑む三人中村歌昇 x 中村種之助 x 尾上右近 話題の舞台片岡仁左衛門 9 月号特別定価 : 本体 1 , 667 円 + 税 2016 年 東西花形対談 市川猿之助 x 坂東巳之助 片岡愛之助 x 中村壱太郎 「やごの会」欧州歌舞伎公演インタピュー坂東彌十郎・新悟 話題の舞台市川九團次 小村雪岱の美人画入り 特別付録 観劇手帳 & チケットホルダー 初芝居 壽中歳戯場国 剿坂川藤ー郎 河黙 . 魅力 石代いすれロ 人いまに ーのお知らせ 襲中れ 4 名村代 披雀Ⅱ 露行 開衛 坂東・ : 郎 之助 2 1 歌舞伎謎角 寿年男ス尽ン ) し、 はれ得ぬ名優たち 市川桑な駕 79 E 、 GEKIKAI.2016.10
テレビ・ラジオ放送ガイド 放送内容は、追加・変更になる場合があります。月の記載がないものは 9 月です。 衛星劇場・ホームドラマチャンネルの放送時間詳細は、各ホームページでこ認ください。 衛星劇場 = http: 〃 www.eigeki.com/( 問い合わせは谷 03-5250-2323 ) ホームドラマチャンネル = http://www.homedrama-ch.com/( 問い合わせは谷 03-5250-2330 ) NHK 教育 毎週金曜日 23 時 ~ 23 時 54 分 「にっぽんの芸能」 ( 再放送は翌週月曜日 12 時 ~ 12 時 54 分 ) 9 日「釣狐」に挑む ~ 狂言の奥義を見つめる ~ 16 日没後 120 年・樋口一葉の世界を舞踊で 23 日恋する女たち ~ 井原西鶴の世界 ~ 30 日演奏家の肖像・野坂操壽 25 日 ( 日 ) 21 時 ~ 23 時 20 分 「古典芸能への招待」 能を楽しむ ~ 芸の真髄・能楽の名人幽玄の花 ~ 衛星劇場 《ステージアワー》 特選歌舞伎 ~ コクーン歌舞伎 ~ コクーン歌舞伎「三人吉三』 五代目勘九郎 ( 十八代目勘三郎 ) ・橋之助・獅童・ 七之助・勘太郎 ( 現勘九郎 ) ・亀蔵・彌十郎・ 福助 ( H13.6 ) コクーン歌舞伎「桜姫』 十八代目勘三郎・橋之助・七之助・亀蔵・ 山左衛門・笹野高史・彌十郎・扇雀 ( H21.7 ) コクーン歌舞伎 「東海道四谷怪談 ~ 南番』 ( 前・後編 ) 十八代目勘三郎・橋之助・七之助・ 亀蔵・笹野高史・彌十郎・扇雀 ( H18.4 ) 特選歌舞伎 『人情噺文七元結』 菊五郎・時蔵・松緑・梅枝・ 尾上右近・團蔵・左團次・玉三郎 ( H27.10 ) 「音羽嶽だんまり』 松也・梅枝・萬太郎・尾上右近・児太郎・ 権十郎 ( H27.10 ) 125 を、 GEK ー KA 2016.10 新之助 ( 現海老蔵 ) ・扇雀・宗之助・松也・ 「源平布引滝 ~ 実盛物語』 扇雀・福助・十代目三津五郎 ( H20.8 ) 勘太郎 ( 現勘九郎 ) ・松也・亀蔵・彌十郎・ 十八代目勘三郎・七之助・橋之助・ 「野田版愛陀姫』 「保名』七代目芝翫 ( H15. I) 松緑・萬次郎・亀蔵・友右衛門・團蔵 ( H16.1 ) 「義経千本桜 ~ 鳥居前』 十代目三津五郎 ( H18. II) 「源太・願人坊主』 「関三奴』鴈治郎・勘九郎・松緑 ( H28.3 ) 初代幸右衛門・亀治郎 ( 現猿之助 ) ・ 左團次 ( H15.12 ) 「芦屋道満大内鑑 ~ 葛の葉』 種之助・隼人・歌女之丞・桂三・錦之助・又五郎・ 吉右衛門・芝雀 ( 現雀右衛門 ) ・菊之助・歌昇・ 「井伊大老』 七代目芝翫 ( H19.4 ) 亀蔵・錦吾・松江・門之助・歌六・東蔵・ 梅玉・三代目歌昇 ( 現又五郎 ) ・福助・家橘・ 「頼朝の死』 魁春・錦吾・初代歌江・門之助 ( H18.10 ) 「越前一乗谷』 歌六 ( H26.11 ) 十代目三津五郎・十八代目勘三郎 ( H19.8 ) 七之助・松也・新悟・市蔵・高麗蔵・彌十郎・ 福助・橋之助・勘太郎 ( 現勘九郎 ) ・亀蔵・ 「平家女護島 ~ 俊寛』 ホームドラマチャンネル 「デジカメ☆ニュース」 右之助・勘太郎 ( 現勘九郎 ) ・左團次 ( H14.11) 正之助 ( 現権十郎 ) ・由次郎・十蔵 ( 現市蔵 ) ・ 仁左衛門・十代目三津五郎・秀調・ 『松浦の太鼓』 亀蔵・高麗蔵・秀調・扇雀 ( H18.8 ) 十代目三津五郎・染五郎・彌十郎・巳之助・新悟・ 『たのきゅう』 尾上右近 ( H24.12 ) 十代目三津五郎・亀三郎・亀寿・宗之助・萬太郎・ 『奴道成寺』 三代目歌昇 ( 現又五郎 ) ・段四郎 ( H18.1) 吉右衛門・福助・染五郎・二代目吉之丞・ 『奥州安達原』 左團次 ( H18.9 ) 幸四郎・染五郎・芝雀 ( 現雀右衛門 ) ・歌六 『鬼一法眼三略巻 ~ 菊畑』 七之助・笹野高史・亀蔵・彌十郎・扇雀 ( H20.11 ) 十八代目勘三郎・橋之助・勘太郎 ( 現勘九郎 ) ・ くシネマ歌舞伎 > 『隅田川続俤 ~ 法界坊』 彦三郎・梅玉 ( H21.1) 幸四郎・芝雀 ( 現雀右衛門 ) ・染五郎・歌六 吉右衛門・多岐川裕美ほか ( H3 ~ 4 ) 「鬼平犯科第 3 シリーズ BSII ◆ : ・毎週水曜日 20 時 ~ 20 時分 庶民を熱狂させたスキャンダル 7 日幕府公認遊郭「吉原」の表と裏 「尾上松也の古地図て謎解き ! にっぽん探究」 14 日 21 日 28 日 「真田家」分裂の複雑な事情 ドラマで描かれない妻たちの真実 「千利休切腹」秀吉激昂の理由とは 徳川三代の参謀・天海の虚実 徳川綱吉大将軍と呼ばれた男 戦国時代にとどめを刺す江戸大改革 BS -TBS 毎週水曜日 20 時 ~ 20 時分 「美しい日本に出会う旅」 旅の案内人・語り : 七之助 ※ 7 日は 19 時 ~ の 2 時間スペシャル 7 日 14 日 21 日 28 日 4 つの絶景旅スペシャル ( 仮 ) ※特別編成のため休止 未定 未定 BS 日テレ 毎週木曜日 21 時 ~ 22 時 「片岡愛之助の解明 ! 歴史捜査」 ※ 8 日は 20 時 ~ の 2 時間スペシャル 8 日 15 日 22 日 29 日 3 週連続真田丸への道② なぜ、関ヶ原前に分裂していたのか ! 豊臣政権を支えた 秀吉チルドレンに迫る ! 3 週連続真田丸への道③ 新説 ! ? 関ヶ原の戦いの真実を追え ! 井伊直弼暗殺の謎 桜田門外の変の真相に迫る ( 平成 28 年 2 月 25 日の再放送 ) 街道歴史捜査シリーズ② 甲州街道の謎 ! 家康と江戸城防衛策の秘密 ( 平成 28 年 6 月 30 日の再放送 ) NHK ・ FM ◆ : ◆毎週金曜日 11 時 ~ 11 時 50 分 邦楽ショッキー ( 再放送は土曜日 5 時 ~ 5 時 50 分 ) DJ : 中村隼人 9 日 16 日 23 日 30 日 アンティークショップ隼人 箏曲「雲の峰』 隼人 ' s カフェ① 長唄「都風流』 隼人 ' s カフェ② 清元「吉原雀』 トラディショナルバ 常磐津「菊の ー隼人
川新之助 ( 十一一代目團十郎 ) の「荒磯会」 会」、市川染五郎 ( 現幸四郎 ) ・中村吉右衛 社 - ふなペんけい が二代目尾上松緑の補導で『船弁慶』『鳴 門兄弟の「木の芽会」、坂東玉三郎の「若会 若手歌舞伎と小劇場公演 神』と『新版歌祭文』、片岡秀公 ( 現我當 ) ・ 草座」、中村勘九郎 ( 十八代目勘三郎 ) 、中 秀太郎・孝夫 ( 現仁左衛門 ) 兄弟の「若松村米吉 ( 現歌六 ) 、中村光輝 ( 現又五郎 ) 、 武 会」が十三代目仁左衛門の補導・出演で 中村梅枝 ( 現時蔵 ) 、中村信一一郎 ( 現錦之助 ) すがわらでんじゅてならいかがみくるまびき 0 青年歌舞伎祭 『菅原伝授手習鑑車引・賀の祝・寺子 の「杉の子会」などが、自分たちで選考し なつまつりなにわかがみ 国立劇場の特色のひとつに、さまざまな 屋』『夏祭浪花鑑』『お夏狂乱』、澤村訥升 た番組で参加若手がその時に学びたい役 雄 文 辺 形で若手俳優の研鑽の場をつくってきたこ ( 九代目宗十郎 ) ・精四郎 ( 現藤十郎 ) 兄弟 や演目を取り上げる貴重な場だった。 とが挙げられる。ます、昭和四十三年八月 の「竹生会」が市村竹之丞 ( 五代目中村富 国立劇場の歌舞伎俳優研修の修了生から に第一回が開催された「青年歌舞伎祭」。 十郎 ) と十七代目中村勘郎の賛助出演で なる「稚魚の会」の第一回公演も、第五回曲 ごたいへいきしらいしばなし いろもようちょっとかりまめそのうわささくらの 満四十歳以下の歌舞伎俳優が主宰する歌舞 『碁太平記白石噺』『色彩間苅豆』『其噂桜青年歌舞伎祭 ( 四十七年八月 ) で行われて いろどき 伎研究劇団 ( 会 ) という参加 ( 申し込み ) 色時』を上演。ほかに「東宝劇団若手歌 いる。また、それぞれの一門の会で弟子た獗 こつばみ 資格を設け、出演費や宣伝費などは劇団側、 舞伎研究会」、尾上菊十郎、坂東三津一一郎 ちが大きな役を勤めたり、「小莟会」 ( 六代 劇場費と大道具、衣裳などの舞台費は国立 らの「隼会」、五代目中村もしほの「青芳会」 目中村歌右衛門指導の成駒屋一門の勉強 劇場側が負担、入場料収入は折半という条 が参加した。 会 ) など弟子たちの会が参加したりと、脇 中 件で、一一、五日以内の公演を国立小劇場で 第二回以降も、尾上菊之助 ( 現菊五郎 ) 、 を支える俳優たちの勉強の場でもあった。 行えるという企画だ。その第一回には、市尾上辰之助 ( 三代目松緑 ) の「あすなろ、つ歌舞伎の未来を担う俳優たちが真夏に切磋 梅 琢磨の汗を流した青年歌舞伎祭は、五十七 、年 美 日 4 00 佐 年の第十回まで開催された。 真 右昭 の会 0 緊密な空間での本公演 郎竹 健 宗 小劇場での初めての歌舞伎本公演は、五階 ね さ 代 十一年八月、鶴屋南北の作品を郡司正勝の 2 の も 補綴・演出で百三十六年ぶりに復活した 訥良 『盟三五大切』である。小劇場で歌舞伎を 場 劇 立 上演することは、開場当時、国立劇場芸能 - 豆 国 四 間 ⑩ 調査室に在籍していた歌舞伎研究家・服部 彡ノ 色月 幸雄氏の悲願でもあったという。大劇場よ写 「船弁慶』市川新之助 ( 十二代目團十郎 ) の平知盛の霊、 六代目片岡芦燕の武蔵坊弁慶、七代目市川門之助の源義経 ( 「荒磯会」昭和 43 年 8 月 ) ⑩ 、◆し 『菅原伝授手習鑑車引』片岡秀太郎の舎人桜丸、片岡 孝夫 ( 現仁左衛門 ) の舎人松王丸、片岡秀公 ( 現我當 ) の舎人梅王丸 ( 「若松会」昭和 43 年 8 月 ) ⑩ しんばんうたざいもん なっきようらん いわいてらこ かみかけてさんごたいせつ ①
周年記念「元禄忠臣蔵」坂東巳之助の大石主税、 松本幸四郎の大石内蔵助、坂東秀調の武林唯七、 澤村宗之助の矢頭右衛門七、中村歌六の堀部安兵衛 ( 平成年肥月 ) ⑩ が中心で、内蔵助は坂田藤十郎十二 月は「泉岳寺」「仙石屋敷」「大石最後の 一日」で、内蔵助は幸四郎この公演 は真山美保さんに演出をお願いしてい たのだが、春まだ浅い頃に亡くなられ た。全幕上演を楽しみにされ、お目に かかる約東は桜狩の頃だったのに、果 たせなかった。三か月の全幕上演は、 たくさんの男性観客の共感もあって盛 4 ごじゅうさんつぎ り上がり、客席に涙の洪水が溢れた。 十九年一月公演の菊五郎と菊五郎 劇団による復活通し上演は『梅初春 五十三驛』で、京都から江戸日本橋ま での五十三驛に化け猫のエピソードを 盛り込んで楽しく賑やかな初春らしい 公演だった。三月も引き続いての記念 はちすのいとこいのまんだら 公演で『蓮絲恋慕曼荼羅』。森山治男 の国立劇場歌舞伎脚本募集の入選作で、 当麻寺に残る当麻曼荼羅の伝説を中心 に中将姫伝説を描いた古代絵巻を、玉 三郎が演じ演出した作品。市川段治郎 ( 現喜多村緑郎 ) や門之助、市川右近、 市川笑一一一郎、市川猿弥、市川春猿ら三 代目猿之助一門の出演で小劇場での公 演が成立した。国立劇場の歌舞伎公演 菊周年記念「開幕驚奇復讐譚』 尾上菊五郎の仙女九六媛 ( 平成年川月 ) 2 たいま うめのはる で傾斜舞台を初めて取り入れた 四十五周年記念は、一一十三年十月か ら翌四月まで行われ、十月は菊五郎劇 力いまくきようきのあだうちものがたり 団による『開幕驚奇復讐譚』、十一月は にほんふりそではじめ 梅玉と魁春の『日本振袖始』、坂田藤十 そねざきしんじゅう 郎の『曽根崎心中』、十一一月は吉右衛門 の綱豊卿・大石内蔵助で『元禄忠臣蔵』、 翌一月は幸四郎の和尚、染五郎のお坊、 さんにんきちさともえのしらなみ 福助のお嬢で『三人吉三巴白浪と舞 やっこだこさとのはるかせ 踊『奴凧廓春風』、三月は團十郎の熊 谷・忠度、三津五郎の義経・六弥太で いちのたにふたばぐんき 『一谷嫩軍記』の通し上演、四月は仁 左衛門の左枝大学之助・立場の太平次 えはんがつばうがっし で『絵本合法衢』が上演された。 菊周年記念「曽根崎心中」 坂田藤十郎の天満屋お初、 中村翫雀 ( 現鴈治郎 ) の平野屋徳兵衛 ( 平成年Ⅱ月 ) 2 早足に国立劇場の記念公演の足跡を 辿ってみた。開場以来一人の専属演技 者も演奏家ももたない国立劇場だが、 周年記念公演はことさら大事にされて きたように思う。それが実現するには 当然ながら劇場側に明確なコンセプト があり、それに賛同してくれる人がい てくれなくてはならない。それは時に 作者・演出家だったり役者や興行会社 だったりする 「混沌の時代」などと書いたが、国 立劇場ばかりではない。今やどこもが 明確な価値観をもてない時代になった のだと思う。それは歌舞伎だけのこと でもないようで、時代はますます混沌 の様相を強くしているようである。そ んな難しい時代に五十周年を迎えよ、つ としている国立劇場と歌舞伎に、やは り夢を託したいと思う。 菊周年記念「絵本合法衢」 片岡仁左衛門の左枝大学之助 ( 平成幻年 4 月 ) 2 37 ENGEKIKAI.2016.10
勤役員室も兼ねる ) に呼んで直接駄目 を出したのは、坂東玉三郎と林与一の 二人だけだったと覚えている。この時 の駄目出しの内容は同席していないの で不明だ。 昭和四十六年十一月の五周年記念作品 せんごくひとびと は大佛次郎作・演出「戦國の人々』。 家康の奥方築山殿に歌右衛門、徳川家 康に八代目幸四郎、織田信長に一一代目 鴈治郎。他に七代目中村芝翫、六代目 市村竹之丞 ( 五代目中村富十郎 ) 、十代 目海老蔵 ( 十一一代目團十郎 ) といった 出演者たち。 第一部「築山殿始末」、第二部「本 能寺前後」に分かれ、歌右衛門、幸四郎 それぞれに芝居をさせ、そのなかに鴈 治郎の信長を配するという妙もあって 記念公演らしい大きな作品に仕上がっ た。この頃が小見出しにした「作者の 時代」だった。当時の国立劇場の新作 歌舞伎を挙げてみよう。 ゃなぎかげさわのほたるび 四十五年五月『柳影澤螢火』宇野信 夫作・演出。三代目實川延若、七代目 芝翫、三代目市川猿之助 ( 現猿翁 ) 。 かんばくでんかひでよし 同年十月『関白殿下秀吉』舟橋聖一 作、今日出海演出。十七代目中村勘一一一 郎、一代目鴈治郎、四代目中村雀右衛 門、一一一代目猿之助 同年十一月「大老』北條秀司作・演出 八代目幸四郎、五代目河原崎国太郎 ( 前 進座 ) 、延若、六代目市川染五郎 ( 現 幸四郎 ) 、中村吉右衛門、孝夫 ( 現仁左 衛門 ) 、玉三郎 四十七年十一月『高瀬舟』森外原 作、字野信夫脚本・演出。五代目富十 郎、五代目澤村訥升 ( 九代目宗十郎 ) 、 六代目染五郎、吉右衛門 四十九年十一月『戦國流轉記』司馬遼 太郎原作、今日出海・北條誠脚色・演出 六代目染五郎、吉右衛門、富十郎、訥升。 というように、例年新作か上演さ れていた。まさにこの時代は「作者 の時代」とよぶにふさわしいだろう。 四十七年からは初代水谷八重子が牽引 する「新派」も川口松太郎脚色・演出 で泉鏡花作品を手始めに、国立劇場で 年に一度の定期公演をするようになっ ていた。のちに北條秀司作品も新派で 上演された。真山青果の『元禄忠臣 えどじようそうせめ 蔵』『江戸城総攻』『平將門』なども早 くから上演され、和田勝一の戦前の作 かいえんたい 品『海援隊』なども日の目を見ること ができた。しかし、五十年前後を境に 戦前戦後の演劇界を代表した劇作家は 激減した。残念ながら歌舞伎の新作を 書いた野口達一一氏、榎本滋民一一氏を最 たいろう せんごくるてんき たいらのまさかど たかせぶね げんろくちゅうしん 後に、歌舞伎らしい歌舞伎を書く作家 はなかなか出てこない。国立劇場では 五十三年以来、新作歌舞伎作品の募集 を始めているが、入選・佳作作品の上 演は五十九年十一月の芦川照葉の『北 洲霊異』以来、八作品にとどまってお り、歌舞伎作品の新作には頭を悩ませ ている現状である ニ、役者の時代 作者の時代が終わって次の十年はさ しずめ「役者の時代」ともいえる時代 だった。戦前から大舞台を勤め、明治・ 大正時代に名を成し実を上げた名優の 薫陶を得、その身近にあって修業を 積んだ俳優たちが戦後の歌舞伎界を支 えたというならば、彼らのその最後の 光彩が放たれた時代だった。 昭和五十一年十・十一月、開場十周 年記念公演は一一代目尾上松緑の三役に よしつねせんほんざくら よる『義経千本桜』の通し上演である 十月の佐藤忠信実は源九郎狐・渡海屋 銀平実は新中納一一「ロ知盛を松緑、銀平女 房お柳実は典侍の局を梅幸、静御前を 尾上菊五郎、源九郎判官義経を初代尾 上辰之助 ( 三代目松緑 ) 、御台所卿の 君を玉三郎十一月は、いがみの権太・ しゅうりようい すけ 周年記念「義経千本桜』一一代目尾上松緑の三役 右【新中納言知盛 ( 昭和引年月 ) 、 中【いがみの権太、左【源九郎狐、 初代尾上辰之助の源義経 ( 同月 ) ⑩ 佐藤忠信・源九郎狐を松緑、弥助実は 一一一位中将維盛・静御前を梅幸、娘お里 を四代目雀右衛門、梶原平一一一景時・覚 範実は能登守教経を六代目染五郎、主 馬小金吾武里を菊五郎、源九郎判官義 E 、 GEK ー KAL2016.10 32
宵闇妖鉤』→乱噂鉤鴈一 ) として上演したことも記 作品の江戸の古狂言を復活上演してきた。 十八年の四十周年記念では十月から三か月にわたって 憶に残る。 げんろくちゅうしんぐら こうして半世紀を回顧すると、国立劇場の開場によっ 真山青果の「元禄忠臣蔵』を全編上演し、十月は吉右衛門、 て歌舞伎の演目が実に多彩になったことがわかる。また、 十一月は坂田藤十郎、十一一月は幸四郎が内蔵助を演じ た。そのほかに目立った公演としては坂田藤十郎、富十 この劇場の方針であった通し上演が次々世代に受け継が おぐりはんがんものがたり れていることもわかる。大きな功績であろう。 郎らの上方式演出「小栗判官譚』、仁左衛門が吉右衛門 とは違う台本で演じた「霊験亀山鉾』、猿翁一門による とみがおかこいのやまびらき はでくらぺいせものがたり 『競伊勢物語』、菊五郎一門による「富岡恋山開』 伝承者ど観客の - かいがさやぎゅうしつき かねてきくやなぎさわそうどう とおやまざくらてんはうにつき 三蓋笠柳生実記』『噂音菊柳澤騒動」「遠山桜天保日記』、 養成も大きな功績 しおばらたすけいちたいき 十代目三津五郎の「塩原多助一代記』、染五郎の『乳貰 はなふぶきこいのてかがみ づかむかしがたりうぐいすづか 歌舞伎以外の公演にも触れたい。新派公演は昭和 ( 花雪恋手鑑 ) 』「うぐいす塚 ( 昔語黄鳥墳 ) 』の復活 四十七年の『滝の白糸』から始まった。初代水谷八重子 がある。絶えていた場面の復活としては吉右衛門が「神 れいやぐちのわたし を中心にした一座でゲストに歌舞伎の花形が加わるこ 霊矢ロ渡』の「由良兵庫之助新邸」、翫雀 ( 現鴈治郎 ) せおんどこいのねたば とも多く、『婦系図『日本橋』『白鷺』『不如帰』など、 が「伊勢音頭恋寝刃」の「太々講」を復活している。坂 五十四年の初代八重子没後も六十一一年まで十四回の公演 田藤十郎の「忠臣蔵』七役早替りや、染五郎が一一年にわ をもった。以後中断して、良重の一一代目八重子襲名の翌 たって江戸川乱歩の「人間豹』を新作歌舞伎 ( 『江戸 「浮世柄比翼稲妻」中村勘九郎 ( 十八代目勘三郎 ) の名古屋山三元春、 中村時蔵の茶屋女房お時、十二代目市川團十郎の不破伴左衛門 ( 平成 5 年 4 月 ) ⑩ えどの ちちもら しん 「小春穏沖津白測澤村田之助の三浦屋傾城深雪、 尾上菊五郎の八重垣礼三郎実は小狐礼三 ( 平成 14 年 1 月 ) 「霊験亀山鉾」中村芝雀 ( 現雀右衛門 ) の芸者おつま、 片岡仁左衛門の隠亡の八郎兵衛 ( 平成年月 ) 2 年、平成八年から十三年までに五回、その後また中断し ていたが今年久々に復活した。 文楽は歌舞伎と並ぶ中心の公演で、開場以来小劇場で 年四回の公演を続けてきた。原作尊重・通し上演が方 針で、開場公演に続く翌年三月には「伊賀越』を通し 上演したが、東京の観客には文楽自体の馴染みが薄かっ たため不入りで、六、九月は見取りの狂言立てに切り替 えた。ところが四十三年の文楽初のパリ公演で上演し そねざきしんじゅう た『曽根崎心中』が現地で絶賛されたことで状況が一変 した。若い観客が急に増え始めたのである。そのため再 び通し上演が復活し『妹背山」「廿四孝」「千本桜」「菅 原』などの大作を上演した。一方で五十六年に一一月公演 を「近松名作集」と題して三部制にするなど ( この企画 は六十三年まで続き、以降も断続的に行われている ) 、観 客動員を図る企画を模索した。しかしそんななか、名手 が次々に逝ってしまった。開場翌年に十代目若太夫が逝っ たのをはじめ十年間に八代目綱太夫、三代目春子太夫、 一一代目紋十郎、六代目寛治、一一代目栄三、松之輔が次々 に亡くなった。今思、つと、名手が立て続けに世を去った この時期を境に、文楽の鑑賞法が大きく変わったと思う。 E 、 GEK ー KAL2016.10 40
観も俳優も育った鑑賞教室・・ー亨ー 国立劇場の思い出 さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい 七月「歌舞伎鑑賞教室」の「卅一一一間堂棟由来』を見な 玉はじめ、亡くなった十一一代目市川團十郎、十八代目中 がら、この公演が第九十回ということに気がついた。 村勘三郎、十代目坂東三津五郎ら、多くの俳優が鑑賞教 九十本全部見てきた私自身にも驚いている。「学生のた 室で初役を演じたのがきっかけで歌舞伎座でも勤める機 めの歌舞伎教室」として昭和四十一一年七月にスタート、 会を得て、べテランへの道を歩んでいった。 こくせんやかっせん 「高校生のための歌舞伎教室」「歌舞伎鑑賞教室」とタイ 第一回公演に近松門左衛門の『国性爺合戦』が取り上 トルが変わっても、観客の多くは高校生。平成二十八 げられたのは、高校の教科書に掲載され、学生が熟知し 年七月までに約五百七十九万人が観劇したそうだが、そ ているとの理由だった。市川男女蔵 ( 現左團次 ) の和藤 のうち何人が歌舞伎ファンとして残っているのだろうか 内に片岡秀太郎の錦祥女。まだ無名に近かった片岡孝夫 第一回公演を観劇した高校生たちはすでに還暦も過ぎ、 ( 現仁左衛門 ) が伍将軍甘輝に大抜擢された。大阪から 孫のいる年齢だと思うと、観客育成事業の息の長さと四 上京したばかりで東横ホ 1 ルしか出る場がない時に、前 すがわらでんじゅてならいかがみ 十九年という歳月の重みがずしりと伝わってくる 年の国立劇場開場公演『菅原伝授手習鑑』の斎世の君を 「歌舞伎のみかた」の解説は、歌舞伎に興味をもたせ 演じたのが認められて、三度目の国立劇場出演となった。 る重要なポイントになる。第一回から三回までの片岡秀坂東玉三郎との「孝玉コンビ」で人気が出る以前に孝夫 公 ( 現我當 ) は背広姿で登場、大学教授の講義などといわ を起用した国立劇場の目は確かであった。 れた。第三十四回までは六代目尾上菊蔵と十代目岩井半 菊五郎は菊之助時代の四十五年七月、『仮名手本忠臣 四郎らが担当した。半四郎は居眠りしている学生を舞台 蔵』「五・六段目」の勘平を初役で演じた。瑞々しい一一 から叱りつけ厳しかった。最近は若手俳優が友だち感覚枚目の勘平と玉三郎の初々しいおかるはお似合いで、お で解説。袴姿ありジ 1 ンズ姿ありと自由な雰囲気である かるが勘平の膝に手を置き別れを告げる場面は、ひしひ 「歌舞伎鑑賞教室」の演目選びは難しい。何が高校生 しと悲しみが伝わった。 向きかは意見が分かれるが、本公演で手の届かない大役 『俊寛』は高校生に理解されやすい。染五郎時代の幸 を若手俳優が演じる「修練道場」の役割を果たしたこと 四郎も、吉右衛門も初役で演じている。八枯木の杖によ に大きな意義がある。今、歌舞伎を支えている尾上菊五 ろよろと」で登場する染五郎の俊寛は流人の苦しみを背 郎、松本幸四郎、中村吉右衛門、片岡仁左衛門、中村梅負ったやつれた姿、吉右衛門は大柄な体のなかに執念を ぐら しゅんかん かなではんちルうしん 秘めていた。終幕の俊寛の執着心と諦観のこもった岩上 の姿に感動する高校生が多かった。海老蔵 ( 十一一代目團 十郎 ) の「大物浦」の知盛は初役ながら凄みがあり、吉 右衛門の「すし屋」のいがみの権太は初役から合格、勘 九郎 ( 十八代目勘三 いちじようおおくらものがたり 郎 ) の『一條大蔵譚』 の大蔵卿は見事な阿 呆ぶりを初役から見 せていた。現在のべ テランたちが初役で 演じた時の熱気が忘 れられない。 「俊寞市川染五郎 ( 現幸四郎 ) の俊寛僧都 ( 昭和年 7 月 ) ⑥ 「歌舞伎のみかた」片岡秀公 ( 現我當 ) の解説 ( 昭和 44 年 7 月 ) ⑩ お、 GEK ー KAI. 2016.10 42
2 ロ 絶品の阿古屋は、古い言い方だが「満 での稽古から深夜の打ち合わせに、慣 れない国立劇場のスタッフがよく対応 都の歌舞伎ファン」の注目を一身に集 めた。その舞台は玉三郎という稀有な してくれたと思う。実に他の公演とは 才能の真の開花に大きな貢献をしたも 異なる制作の連続だった。 いもせやまおんなていきん の、と思っている 十一・・十二月は『妹背山婦女庭訓』 三十周年記念公演は、国立劇場開 の通し上演。十一月は三代目鴈治郎 ( 現坂田藤十郎 ) の太宰後室定高、幸場の折のプログラムに「国立劇場にお ける歌舞伎公演はどんな方針で行な 四郎の大判事清澄、時蔵の久我之助、 われるか」として記された七つの方針 芝雀 ( 現雀右衛門 ) の雛鳥で、「花渡 の六か条までを実現しようとしたもの し」から「吉野川」を中心に。十二月 だった。「原典尊重」と「通し上演」「復 は、四代目雀右衛門のお三輪、吉右衛 門の鱶七、菊五郎の猟師芝六、羽左衛 活上演」は『妹背山』と『四天王』で 門の蘇我入鹿、田之助の求女、芝雀 ( 現 行えた。「適材適所の配役」は『妹背山 が好例で、「上演演目の親しみ易さと、 雀右衛門 ) の橘姫、辰之助 ( 現松緑 ) の淡海といった配役で、「芝六住家」 丁寧な脚本」は『壇浦』で実現した。「演 ねがいのいとえにしのおだまき 「願絲縁苧環」「一一一笠山御殿から奥殿・ 出の統一」は『妹背山』で狙ったもので、 奥庭」という、一一か月での完全通し上 最後の七番目に挙げられた「新作 ( 創 だんのうらかぶとぐんき 演。正月公演は『壇浦兜軍記』で、戦 作 ) 歌舞伎」ができなかったのが残念 だったが、 後東京では歌右衛門以外での上演のな それでも開場以来の国立劇 い「阿古屋琴責」に、前後に山田庄一 場の理念をなんとか通せたのではない だろ、つか、と自負している 補綴台本をつけての上演で、團十郎の 三十五周年の平成十三年は芸能部 悪七兵衛景清、玉三郎の阿古屋、梅玉 に籍を置いていないので詳しく述べ の秩父庄司重忠、片岡我當の岩永左衛 られないが、十月には『大願成就殿 一年前の正月、休演中の歌右衛門 さんを岡本町のご自宅に訪ね、玉三郎 下茶屋聚が吉右衛門の安達元右衛 、富十郎の東間三郎右衛門・片岡造 での上演を許していただいた経緯が 酒頭、梅玉の早瀬伊織・人形屋幸右衛 あった。歌右衛門の阿古屋に長く憧れ ・鵤幸右衛門で、富十郎の監修によ ていたというだけあって、若い玉三郎 がちややむら いかる たいがんじようじゅてん 肪周年記念「大願成就殿下茶屋聚」 中村吉右衛門の安達元右衛門 中村梅玉の早瀬伊織 ( 平成年川月 ) 2 り上演。十一月には團十郎の忠信・知 盛・権太で『義経千本桜』の通し上演、 十二月には幸四郎の和尚、梅玉のお坊、 染五郎のお嬢による『三人吉三廓初 買』、翌一月には菊五郎の小狐礼三で こはるなぎおきっしらなみ 『小春穏沖津白浪』が上演された。 四十周年の真山青果の『元禄忠臣 蔵』は八代目幸四郎で全篇通し上演を 目論んでいたが、高麗屋の病気のため に頓挫していた企画だった。一一十周年 の『仮名手本』が成功裏に終わった直 後から企画として温めていたもので、 ともかく『元禄忠臣蔵』の全幕上演と いう史上初めての企画に挑んだ。昭 さんにんきちさくるわのはっ 和九年の『大石最後の一日』から十六 せんがくし 年の『泉岳寺の一日』 ( 二代目左團 次が前年亡くなって、この場の内蔵助 は初代猿翁が勤めた ) まで、左團次一 座が連続上演してきた全幕をともかく 時間軸を並べて上演したいと考えた。 十部作、一一十四幕四十三場に及ぶ大長 編戯曲をすべて上演するのは無理では あるが、場面やセリフのカットはとも かくとして、できうるかぎり全幕の上 演を試みようとした。十八年十月は 「刃傷」から「第一一の使者」が中心で、 内蔵助は吉右衛門十一月は「伏見撞 木町」と「御浜御殿」「南部坂雪の別れ」 肪周年記念「義経千本桜」 十二代目市川團十郎の新中納言知盛 ( 平成年Ⅱ月 ) 2 おおいしさいご E 、 GEKIKAI.2016.10 36