永井 - みる会図書館


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1. UP 2016年10月号

録している。 を離れて「日の会」に合流した者も多いようだ。「日の会」が 「興国同志会」と異なるのは、一定程度民主主義やリべラルな 聞 翌一月十五日午後一時に「興国同志会」の報告演説会が三考え方そして新人会の存在も認めたうえで、暴力に訴えず論理新 帝 十五番教室であるというので学内は沸き立ち、八角講堂はで闘って行こうという姿勢だろう。ただ後述の綾川武治のよう AJ 殆んど満員になった。ところが同志会員の報告というのが に、「興国同志会」と「日の会」の両方に顔を出している者も 脈 人 全然聴衆を満足させなかったし、クロポトキンの思想の批いたし、決して両者に大きな隔たりがあった訳ではない。 会 判を期待して聴きに集まったのに一言もそれに触れなかっ 永井の回想には随所に「自分たちこそが学生運動の主流だっ の 日 たので講堂内は騒然たるものに化し、中途で閉会を宣するた」というような自信が伺えるか、前記に見たように、まさに 始末になり、聴衆中から出て同志会への反対演説をやる学一九二〇年の左右勢力が失速した時期に「日の会」が漁夫の利 了 井 生が出てきた。 ( 住谷悦治「あるこころの歴史」同志社大学出を得た感がある。 永 版部刊・一九六八年より「想い出の八角講堂」・同書にこの原 大川周明らと「日の会」活動に取り組む 稿の初出が一九三〇年十二月発行の『帝大新聞』とあるが確認 謎 の できない ) 『笠木良明遺芳録』 ( 同刊行会・一九六〇年 ) において永井が 金 資 述べているように、永井了吉は前年の一九一九年頃から、大川 刊 鎌田慧の著書『反骨鈴木東民の生涯』によると、住谷悦治周明・鹿子木員信・笠木良明・綾川武治らと、「日の会」の活 も『帝大新聞』の記者であ 0 た。二高出身で鈴木東民らの友人動に参加していた。永井の『永井了吉氏談話速記録』第一回一 究 であり、またキリスト教徒として本郷基督教青年会寮に暮らす ( 内政史研究会・一九七一年 ) から引用しよう。 研 の 吉野作造の門下生でもある。その住谷が書いた「興国同志会」 聞 新 永井日の会というのがありましてね。私もそれに入ってい の末路の記事だ。 大 ました。大川さんと鹿子木さんが指導者でした。この会は締 永井了吉は「日の会」について、右翼と左翼の中間の、「中 道」的な学生団体であると主張する事があるが、この「森戸事 右でもない。左でもない中正だといっていました。大川さ初 んは始めはクリスチャンだったんですね。彼の思想の遍歴 件」で崩壊した「興国同志会」から分派派生した組織と見るこ を見ると、最後に日本主義になったわけですが、その頃 とも多い。実際に同会の内部でも批判があり、「興国同志会」 吉

2. UP 2016年10月号

経団連出版 最後に出てきた「隈部」とは隈部一雄のことだ。帝大工学部 は、右翼と左翼を否定し中正だと言うのですよ。そして、 「両刃の刀」ということを言って、「右を切り左も切る」、を永井と同じ一九二〇年に卒業し、内燃機関の専門家としてエ 学部教授に就任。そして戦後はトヨタ自動車の副社長にもなっ こういうことがモットーのようでしたね。そこへ私は行っ ておったんです。あの頃誰がいたかね、あまりほくは熱心 た「自動車工学の大家」である。永井が「興国同志会」一 じゃなかった人ですね。新聞やポートの方が忙しかったかっていない」というのも注目される。太田耕造は私が調べた限 ら。七生社とか興国同志会のそっちへはいってないんでりでは「興国同志会」に名前が無いが、近くにいた事は間違い す。 ( 聞き手Ⅱ伊藤隆・東京都立大助教授Ⅱ当時 ) 仲間として 近現代史や満州国の研究者にはお馴染みのように、大川周明 伊藤 はどんな方かいらっしゃいましたか。 以下、永井の「日の会」の仲間である笠木良明や綾川武治らは 永井その頃は世間で知っている人では笠木良明、中谷武大学卒業後揃って南満州鉄道株式会社調査部の編輯課に入社し 世、あれは七生社に近かったかな。綾川武治もいた。鹿子ている ( 大川周明が課長 ) 。永井が『帝大新聞』の編集に携わっ 木さんはギリシャ哲学だった。工科の奴が一人いたね、隈ているまさにその頃だ。のちに大川は満鉄が作ったシンクタン 部というのがいたかな。どういうのがいたかはっきり覚えクの嚆矢と言われる「東亜経済調査局」の理事長にもなってい ていないね るが、これら大川の人脈は昭和史に大きな影響を与えた。 キャリア戦略プロ人材に自分で育っ法組織内一人親方のすすめ 人が育っために必要な「育てる力」「育てる場」「育っ気持ち」のうち、 もっとも重要な「育っ気持ち」が最近衰えてきたといわれています。 本書では、組織に所属するなかで「自分らしさー「専門性」「自律性」を 身につけて自分への信頼を高め、プロフェッショナルと自他共に認め られる人材に育っ法を「キャリア」「リーダーシップ」「戦略」の切り口′ から解説します。 関島康雄 プ臥林こ 自う滝育っ法 組織内一人親方の 関島康雄著 四六判 248 頁 定価 1620 円 keidanren-jigyoservice. 0舅P TEL 03 ・ 6741-0043 29 [ 初期『帝大新聞』の研究ー - 「創刊資金の謎」 ] 7 永井了吉「日の会」人脈と『帝大新聞』

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笠木はこの「満州におけるアジア復興運動」の同志の集まり 永井の敬愛した笠木良明と、満州国官僚群像 に「大雄峰会」という名前をつけた。「大雄峰会」の主張は、 聞 満鉄調査部やまた満州国関係者の、戦後日本への貢献や与え「満州を支那本土から切り離して民族協和による王道楽土を建新 帝 た影響については、最近まで多くの言及や論考がなされてい 設すること」という格調高いものだった。次は永井の文章から る。私が高校生の頃、「週刊朝日」の連載で読んだ草柳大蔵引用しよう。 脈 人 『実録・満鉄調査部』もその一例だ 自治指導部の仕事は誠に東洋的な仁政の典型であって、治 の 日 まず先鞭をつけたのは「東大日の出会」 ( 筆者注・「日の会」 者は民の心と一体となって郷村自治を内から形成してゆ の誤り ) で、大正十年六月、英国官憲の弾圧に抗議して自 く、そのためには身命を抛って指導に当る、義を見て為さ吉 殺した東京外語のインド人教師アタールの追悼講演会をひ ざるは勇なきなりで、今の役人根性とは全く裏ハラであ井 、こが、それをきっかけに、大川周明、鹿子木員信を指 る。規定通りのことを形だけ務めて、なるべく人目の立っ 導者として、「日の出会」 ( Ⅱ「日の会」 ) が誕生した。 ( 中 仕事はやらずに居れば、自然に地位が上ってゆく、さわら 謎 の 略 ) このような「民族主義的学生運動」の動きを紹介した ぬ神にたたりなしで、人民が困ろうと困るまいとうわの 資 のは、ほかでもない。この運動の経験者の多くが満州にわ 空、自分の立身出世だけに忠実な役人のやり方には義憤を 刊 たり、満州建国となんらかの形でかかわるからである。い 感じていたのが笠木君の本領であった。 ( 永井了吉「仁政の わば、彼らは満州のためのク思想的予備軍クであった。 神」、『笠木良明遺芳録』一九六〇年・同刊行会刊より ) 究 ( 中略 ) この大川の主宰する「行地社」から離れていった 研 の 笠木良明は満鉄本社の人事主任となった。人事課長は東大 聞 永井の背後には、笠木・綾川そして大川周明がいた 新 同期の中西敏憲である。笠木は、二高同期の松木侠、東大 大 同期の結城清太郎を同志にした。そのような行動をしなく 「笠木君は或る意味で私の真の知己であったと思います」 ( 永締 期 ても、笠木の周囲にはまるで砂鉄が磁石に引き寄せられる井了吉『わが人生を語る』同刊行会刊・一九六二年 ) 初 ように若い人たちが集まった。 ( 草柳大蔵『実録・満鉄調査 『笠木良明遺芳録』や『談話速記録』でも繰り返し述べてい 部』 ( 下巻 ) 「抗争の思想」・一九七九年朝日新聞社刊 ) るように、笠木は永井了吉が尊敬し兄事した人物だった。永井

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の「師」は大川周明であったが、兄貴分として笠木良明を慕っ原巌徹 ( 笠木と親しかった満鉄弘報課長・前掲『実録・満鉄調査 ていた。永井了吉は戦争末期まで中国大陸と内地の間を頻りに部』「抗争の思想」より ) が評しているが、私には正に永井了吉 往復し、笠木や満鉄、満州国関係者と交わった。永井は戦後もその人を言っているように思える。また短い紙数では語り切れ聞 ない、笠木良明という人物の特異な思想・行動、また人を引き大 含めて、これら「日の会」の仲間とは一生交流があった。 笠木は自らの「民族協和による王道楽土」建設のため、満州つける不思議な魅力に私も興味を覚える。 AJ そして永井の携わった『帝大新聞』の時代に、永井と同じ脈 に「資政局」を設立し、満州人民の間に飛び込んでいく官僚と しての「県参事官」の養成に努めた。しかし、満州国を対ソ戦「日の会」の仲間たち、大川周明・笠木良明そして後に出て来 会 略の要衝と見る陸軍や、また実務的な満州国官僚にとって、笠る綾川武治らは皆満鉄調査部に入社したが、いずれも東京の事の 木の方針は相容れるところとならず、「満州国六月政変」とも務所にいて、永井との連絡も密であっただろうことは注目すべ 了 称される、「資政局解散」という事態に至る。笠木と「大雄峰き点だ。当然『帝大新聞』への影響も考えられる。 永 会」の一派は一掃され、笠木は退官して内地に戻る。 帝大出のエリートが民衆の中へ 以上、笠木良明に多く触れたのも、永井が『帝大新聞』に関 わった一九一九年から一九二三年頃周囲にいて大きな影響を受また橋川文三は著書『昭和維新試論』 ( 一九八四年・朝日新聞謎 けた人物だからだ。また「笠木派の人物は、純清熱血漢」と石社 ) の中で、「田沢義輔のこと」として、明治末から大正期に 資 刊 究 研 の 聞 新 大 帝 期 へ劬。ん社 いまを生きる江戸思想 十七世紀における仏教批判と死生観 本村昌文著近世前期にお ける死生観の展開とその背景 を、十七世紀の儒者の著作と 仮名草子から読み解き、老い と死後という視点も絡めて江 戸時代を生きた人々の意識 の深層に分け入る。 4800 円 柏木義円と親鸞 近代のキリスト教をめぐる相克 市川浩史著キリスト者として 日本の帝国主義化への反対を 貫き、地域伝道と社会批判運 動を活発に展開した柏木義円 ( 1860 ー 1938 ) 。その思想形成 を出自である真宗寺院および 親鸞との葛藤・内的対話の軌 跡から探り、明治の精神の可 能性と限界に迫る。 2600 円 禅からみた日本中世 の文化と社会 天野文雄監修日本中世の 文化や社会に「禅」がもたら した影響を、文学・美術・ 芸能・建築・社会・思想の 各分野の研究者が最新の研 究状況をふまえて、その新展 開を検証する。 4800 円 長谷川伸の戯曲世界 沓掛時次郎・瞼の母・暗闇の丑松 鳥居明雄著大衆文芸作家 として一世を風靡し、股旅物 の生みの親でもある長谷川 伸。傑作と名高い戯曲三編 を取り上げ、挽歌の視点か ら精緻に読み解き、大衆演 劇の根源を拓く。 3500 円 東京都文京区本郷 1 ー 28 ー 36 容 03 ー 3814 ー 8515 * 税別価格 吉

5. UP 2016年10月号

聞 新 大 帝 AJ 脈 人 の 日 に熱心な者は本格的な社会運動・労働運動の途へ飛び込んだり 前号の連載で、山川健次郎・前総長と国本社の関わりから、 『帝大新聞』の創刊が実はこの雑誌『国本』の創刊と関係してしていった。また「森戸事件」についても新人会はこれに明確了 よ亢義一丁動こよ出ず、逆に「学生の大衆からは反発を買ったと永 いたのではないか、と書いた。自宅の暗闇の中で壁を叩き回っオキ言彳し : ていたら、隠し扉が見つかってこれまで見たことのない別の世いはれる」有様だった。 ( 菊川忠雄『学生社会運動史』一〇〇ペー ジ・一九三一年・中央公論社より ) 界を発見したような気分だ。 の 翌大正十一一年には『帝大新聞』の記者になる菊川忠雄は続け金 一九ニ〇年左右勢力の退潮時に伸びた「日の会」 刊 てこう書いている。「たとへば新人会の如きも大正十一年度に 創 永井了吉の「日の会」と太田耕造の国本社の関係を知る為には ( 中略 ) 数人に過ぎず、学内に於てもその存在を認められな い状態に陥った。その他の団体に於ても、その不振の状態は想 は一九二〇年頃の東京帝大の学生運動の動向をます見ていこ 究 研 像に難くないであろう。」 ( 同書一一五 5 六ページ ) の また一方の右翼「興国同志会」はどうだったか ? 「興国同聞 一九一八年 ( 大正七年 ) の十一月に神田「南明倶楽部」で吉 志会」は上杉愼吉教授と策動して「森戸事件」で森戸教授を大大 野作造教授が右翼浪人会を論破して、「新人会」や「黎明会」 などの左派進歩的なグループは一気に、勢力を伸長した。しか学から追放して凱歌を上げたかに見えたが、一九二〇年一月の期 , 初 「報告会」で学内の学生から猛反発を食い、組織自体も自滅す し彼らも学内での勢力を維持することに注力しなかったので、 ある者は卒業して就職したり学者への道を歩んだり、また運動ることになってしまった。住谷悦治がその当時の模様をこう記 初期『帝大新聞』の研究ーー「創刊資金の謎」 7 永井了吉「日の会」人脈と 『帝大新聞』 清水あっし 吉

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* 山川健次郎 ( やまかわけんじろう一八五四ー一九三一 ) 明治期の物 理学者。日本人として初めて物理学の帝大教授に就任。明治から大正 期、二度にわたり東京帝大総長を務める。 * 永井了吉 ( ながいりようきち一八九三ー一九七九 ) 『帝大新聞』創業 者。大川周明の影響を受けた右翼活動家。日本大学教授、建設会社社 長など。 * 菊川忠雄 ( きくかわただお一九〇一ー一九五四 ) 労働運動家。戦後 右派社会党衆議院議員など。著書に『学生社会運動史』など。 * 住谷悦治 ( すみやえつじ一八九五ー一九八七 ) 同志社大学教授・総 長。経済学者。ジャーナリズム関係の著作もある。著書に「日本経済 学史』など。 * 大川周明 ( おおかわしゅうめい一八八六ー一九五七 ) 思想家。日本 だけでなく、アジア・イスラームをも視野に入れた広範な著作がある。 五・一五事件などで軍部とも関係し、東京裁判では < 級戦犯として起 訴された。 * 笠木良明 ( かさぎよしあき一八九二ー一九五五 ) 大川周明と「猶存 社」「行地社」などで活動。満鉄入社後「大雄峰会」などを組織した国 家主義者。 筆者は公益財団法人東京大学新聞社の役員ですが、内容は個人の見解で あって法人を代表するものではありません。 ( しみす・あっし公益財団法人東京大学新聞社 ) 現役東大生がつくる東大受験本 東大 201 フ とんがる東大 東京大学新聞社編 この 1 冊で東大がわかる ! 現役東大生による、 受験必勝法から合格体験記、入学後の生活のアド バイス、本郷への進学、そして卒業後の進路に至 るまで、徹底的に解説した決定版。東大受験を考 えている高校生や中学生には必読のガイドブッ ク。ノーベル賞受賞者の梶田隆章先生へのインタ ビュー、東大発べンチャー企業特集など、読み物 4 己事も充実。 ISBN 978-4-13-001 300- O A5 判 / 304 頁 / 本体 1 , 500 円十税 ノーヘル物理学實 梶田隆章 ファッションテサイナー 雪浦聖子 村松秀 作家・動物研究家 畑正憲 ( ムツゴ ) 相 現役東大生がつくる 東大受験本 011 画入試 合格者の素類 大生の 実丸わかり 現役生 & 員からの 勉強法 ~ アドバイス 寺集 一三ロ [ 初期『帝大新聞」の研究ーー「創刊資金の謎」 ] 7 永井了吉「日の会」人脈と「帝大新聞』引

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分の新聞がほば全て、関東大震災などにより灰燼に帰してしまの古新聞の中にも初期『帝大新聞』は残っていなかった。 って、新聞の中身を知ることができない。 そんな中で、東大新聞の前田昭彦氏 ( 都留文科大学教授 ) 一部の再録記事や、 また関係者の過去の回想などで、新聞内容を想像するしかなかが、通算第二十七号から五十六号を発見するという朗報があっ 新 大 った。 た。東京駒場の「日本近代文学館」に所蔵保管されていたの 帝 そこで、復刻版の刊行以降も、東大新聞関係者がこの「帝大だ。寄贈者は誰か、は館側からご教示頂けなかったが保存状態 AJ 新聞創刊号を探そう」と、宣伝キャンペーンを行い、 テレビ東はかなり良く、すべての記事を読む事ができる。大事に保管さ脈 京系列のテレビ番組「開運 ! なんでも鑑定団。にも出演登場しれていたのだろう。前田氏はこの事を、東大の広報誌『学内広 の て、創刊号探しを訴えたが結局出てこなかった。また、東大総報』二〇〇五年二月九日号に寄稿・公表している。 日 合研究博物館において、植物標本保存材料として使用された、 さてこれまでこの「日本近代文学館」保存の新聞を複写し 明治から大正期の大量の古新聞紙が出てきた、というニュースて、本稿にはそこから記事を引用したりしてきた。この「初期了 が学内から入り、東大新聞関係者も「そこに『帝大新聞』創刊帝大新聞」の注目される点は、永井了吉らの初期メンバーが携永 号があるのでは」と期待を抱いた。この数多の「古新聞」は、 わった新聞だからである。次回はこの初期『帝大新聞』の中身 二〇〇四年に東大総合研究博物館の「プロバガンダ 1904 を見ながら、永井の後半生を追うことにしよう。 の ー 45 」展に展示物として結実したようだが、結局そこの大量 資 刊 創 究 研 の 聞 新 大 帝 期 ポイエーシス叢書 69 最後のユダヤ人 ジャック・テリタ著 渡名喜庸哲訳 現代哲学の最先端を疾走して いた晩年のデリダがユダヤ人、 ユダヤ性などをめぐって 1998 年と 2000 年になされたニつの 講演を、盟友ナンシーの緒言と ともに収めた講演録。アルジェ リアのユダヤ人家庭に生まれ たデリダが、晩年にいたってみ ずからの出自と「ユダヤ性」を 問い直し、現代におけるくユダ ヤ〉という問題が呈する諸問題 に正面から取リ組んだ特筆す べき論を展開する。 1800 円 人類の薄明 表現主義のドキュメント クルト・ピントウス編 松尾早苗訳 第一次世界大戦後のドイツで 前衛的な文学・芸術運動として 勃興し、ナチスの擡頭によって 弾圧されるまで、大規模な活動 を展開したく表現主義〉の詩人 たちの詩を編纂した表現主義 の決定版アンソロジー 9800 円 ポイエーシス叢書 67 反原子力の 自然哲学 佐々木カ著 3800 円 ポイエーシス叢書 66 オヘラ戦後文化論 1 肉体の暗き運命 1945-1970 小林康夫著 2200 円 未來社 〒 1 12 ー 0002 東京都文京区小石川 3 ー 7 ー 2 te103 ー 3814 ー 5521 http://www.miraisha.co.jp/ ☆出版図書目録無料進呈いたします ※価格は税別 ☆ 吉

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学問の図像とかたち・四イラストカら読む教科書スマイルスイ、 : ンク一寺田寅彦 〔「イスラーム問題」の構築と移民社会ー・ニ 0 一五年バリ危機からその後 03 ホヒュリ . 、スム政ム仙 A 」「移民間題」宮島喬 〔法の森からー、〈 A 〔。 = 。「言ョ呼。「。「。。一。一〔。 w 〉〕 2 世幻ルフ一フンスの「ハン」寸」大村敦志ーー 日本人の情報行動、この一一〇年間の変化を追って橋元良明 フラトンとキリシア五Ⅲ山本巍 〔初期「帝大新聞」の研究ー「創刊資金の〕 7 永井了士ロ「日の会」人脈と『市大新聞』清水あっし 7 0- 1 ” 〔漢文ノート祝」にの秋齋藤希史 〔たまには物理カンタービレ ) 人類の星のと当」太田浩一 〔書評〕〈かのこ、つに ~ 〉の礼マイケル・ピュエット、クリスティーン・グロスⅡロー 〔日本美術史不案内〕枚一平佐藤康宏 すしろⅡ記第約回山口晃 7 執筆者紹介 学術出版 第ロ五巻第十号 ( 通巻五ニ八号 ) ニ 0 一六年十月五日発行 ( 毎月五日発行 ) 定価 ( 本体価格一 00 円 + ) ( 一年分一 000 円送料・税共 ) ードの人生が変わ「 ・ Numbe 「 528 、 Oc ( obe 「 20 一 6 市立文 - ・ 160977583 般 東京大学出版会

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現れた、新しいタイプの官僚像の事を書いている。 神史』 ( 岩波書店・一九九五年 ) の中でも、「青年団運動の情熱 「この頃から、大学を出たばかりの青年を警察部長に任ずる的組織者」としての田沢義輔らのことが紹介されている。田沢 聞 という傾向も多くなった。この郡長も警察部長も、いすれも直は明治神宮の建設に携わった地方の青年を顕彰し、日本青年館新 接に行政の現場に臨むという性格の強い職場であり、それら青を設立したのだが、山口昌男も同書で、また今の時代に「再検締 AJ 年官僚にとっては、かくなる机上の理論をはなれて民衆生活の討されてしかるべき」人物と論じている 脈 渦中に入るという意味をも」った、という訳だ ( 同書一五二 私もこの本で、神宮外苑にある不思議な名称の「日本青年人 会 館」の由来を知った。この「財団法人日本青年館」の設立も一 の 日 これら新しい官僚群像の「満州版」が、笠木良明と「大雄峰九二一年 ( 大正十年 ) 九月であり、当時の青年の精神像が浮か 会」だったのではないか。「帝大出のエリートが民衆の中へー び上がってくる。 了 という精神運動は、穂積重遠・法学部教授や吉野作造らの「エちなみに山口昌男の姉妹篇『「挫折」の昭和史』 ( 岩波書店・ クステンションユニヾ ーシティ ( Ⅱ大学拡張 ) 」という大学を社一九九五年 ) には、笠木良明が取り上げられている。念の為。 会に向けて開放していく運動や、また「セッルメント活動」な 謎 永井が携わった「初期『帝大新聞』」とは何か ? の どでも出て来た特色の一つだ。新人会の学生らを中心に、 「ヴ・ナロード ( Ⅱ民衆の中へ ) 」という言葉が流行して、社会 さて本連載のタイトル「初期『帝大新聞』」とは、私が内容 の労働運動・大衆活動に学生が入っていくという動きがあっと概念を規定したものであって、そのような名称で呼ばれた前 、」 0 例がある訳ではない。 一九二〇年 ( 大正九年 ) 十二月に創刊さ 東大卒のキャリア官僚が中央省庁に就職して、二十代早々のれた『帝国大学新聞』の、その創刊号から一九二三年 ( 大正十研 の 時期に、地方の税務署長や警察署長等の役職につくのは近年ま二年 ) 九月の、通算第五十六号までを、私が仮にそう定義し、 聞 で一般的だったが ( 今も ? ) 、そのルーツはこんな処にあるよ呼んでいるのである。というのは、一九八四年に不二出版から新 うだ。ただ、橋川文三はこれら新しい官僚像が、後に昭和初期『帝国大学新聞』の復刻版が出版されたが、その時点でこの期啼 の革新官僚らの精神風土ににもつながったと、「昭和維新」と間の分の新聞原紙が喪失してしまっていて、現存しないのであ初 の関係を語っているのだが。 る。例外的に第四十六号 ( 一九二三年四月十二日号 ) 、五十二号 さて、「田沢義輔」について一一一一口えば、山口昌男『「敗者」の精 ( 一九二三年六月十二日号 ) は残されていたが、この二年九か月 吉

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教員を目指す君たちに受けさせたい 新環境政策原理 教員になる 扣永井四郎著これまでの研究を土台として浮上した環境政策理論込 1 面接試験対策講座 覚悟を持っ 会 判・一九五〇円 + 税 」 ~ の問題提起と、解決するための新し〔分析アプ 0 ーチを提示す税 3 立ロ明星大学教職センター編 定価 27 。。円格 版る画期的な書。 版教育の最新事情 学 ~ 日本銀行と高橋是清佐藤政則著出 樋口修資・吉冨芳正・林一夫共著判・ニ三〇〇円 + 税 ・金融財政ガバナンスの研究序説日本銀行における高橋是清の事県 澤 / 金融財政家としての姿を明らかにし、金融財政ガバナンスの視点園葉 日 大実業学校から見た 店から高橋経済論の軌跡を論究する。 定価 2268 円学千 3 0 3 【ト : 1 亠 星近代日本の青年の進路 判上製・ニ五〇〇円十税 め企業倫理と社会の持続可能性明井澤直也著 売幻レ 麗澤大学企業倫理研究センター監修 / 中野千秋・高巖編当セ発〒旺 最新教育法の基礎 ンターの研究成果をまとめた論文集。企業倫理研究は多岐の分野 樋口修資著 にわたっている 定価 28 。 8 円 に択 的選 0 -1- 01 」 体ら 0 語 : 会一大学教育再生とは何か ィーロ刀 主自 0- 8 税 3 〃 大学教授職の日米比較有本章著 園午格 者法ト 応説すト 課判 患方半 学緬 米国と比較した日本の大学や、大学教授職の現状と課題を社 乙療、り 齔学 会学的に分析。長年、高等教育研究に携わってきた著者による、 版 浜刃 生入 一一一世紀への提言。 <LO 判上製・ 584 頁本体 6200 円出喞 学町慧 り基と 学告かへ物学 ゅの造 療納る 療里 " 学生の学ひを測る伏彎 医王 タ践〉会 , 。。 0 ( 0 園たの 岡燔 / る題 アセスメント・ガイドブック粤。 8 2 修す問版 - 4 リンダ・サスキー著齋藤聖子訳 チ参刊 と薬。」ル実一社 4 0 ″ 監解族 3 ループリックやテストなど、ツールの使い方から結果の分析・活 治理家 さ床矼之酌。イ育わ昭 謙をのト 用法まで。アセスメントを大学文化として根付かせる方法を詳 下族代ス 者告剽療 判並製・ 314 頁本体 5000 円 しく解説する。 患臣 く笹治す デ教乃 % 家 木家現キ価 判・ニ六〇〇円十税 立ロー IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII 出版大学出版部協会案内 IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII