クラウス - みる会図書館


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1. UP 2016年9月号

一 8 たちが見出したものもまた、「啓示としてのイメージ , だった。 アンゲロプロスの作品における死んだ時間、死の空間、オフス ス クリーンは、《主の寝室》のグワッシュの層のような、あるい シ ク は、マジック・メモのパラフィン・シートのような、一種の タ 「皮膚 , として機能しているのではないだろうか。そして、ク ラウスが《主の寝室》に発見した「レデイメイドの視野」に / ジ は、空舞台において露呈される「もの (res)_ の次元が対応す タ るよ、つに田 5 われる ン モ クラウスのエルンスト論は『視覚的無意識』と題された著作 に収められている。この書物における彼女の目論見は、伝統的 絵画における「図 (figu 「 e) 、と「地 (g 「 ound) 、の二項から生 の 成されるクライン群のグラフ司 20 ) 〔図 2 〕によって ( とくに ジ 「非ー地 (not g 「 ound) 」と「非ー図 (not figu 「 e) 」からなるその「反一 省 (reflection) 」の軸によって ) 表わされるモダニズム的視覚の スタティックな構造のただなかに、ジャック・ラカンのシェー ている。しかし、クラウスの分析によれば、この「皮膚」は、 マ (-) 司 22 ) が示すような無意識 ( 視覚的無意識 ) のパルスが脈 「距たり・分離・裂け目の感覚」を介して、知覚経験そのもの打っていること ( しかし、それゆえに抑圧されていること ) を示 の脈動を伝えている。そこに「啓示としてのイメージ」が到来すことである。モダニズム的視覚が同時性・直接性と透明性 ( さらにはそれに付随して、時間および偶然の出来事に対する抵抗 ) する。 アンゲロプロスの「犯行現場ー ( ウジェーヌ・アジェの都市写を志向するのに対して、そこで抑圧されたものとは連続性 (se- 真についてべンヤミンが語った言葉である ) としての空舞台的映 riality) 、反復、そして ( ラカンが「オートマトン」と呼ぶ ) シニ 像にあった、みれんや希望、余韻や予感とは、この脈動の表わフィアンの自動運動的反復強迫であるとクラウスは言う れにあたるものではないか。アジェの写真にシュルレアリスト司 75 ) 。《主の寝室》についても彼女はシェーマを用いた分 figure perception reflection not ground not f igure field as "figure" frame retinal surface (inscription Of ( inscript i0 れ 0f transcenden tal empirical viewer) e90 ) 図 2 ロザリンド・クラウスによるモダニズムの視覚性をめぐる グラフ。日 osa ⅱ E. Krauss, The Optical UnconsciOus. p. 20 より。 0

2. UP 2016年9月号

ム独自の体験にとって、決定的なものだった」印 54 ) 。そこに板にあたり、そのうえに塗られたグワッシュの層がパラフィ あるのはすでに何ものかによって充満した「レデイメイドの視ン・シートに対応する。クラウスはグワッシュの皮膚に似た質 野」である 感が暗示しているものこそ、ワックス板からの分離可能性であ 「《主の寝室》の地は潜在状態ではなくすでに満たされた容器るという ( p. 57 ) 。 であり、そのためまなざしはそもそものはじめから飽和したも ここで重要なのは、繰り返されうる ( かのような ) 分離と付 のとして経験され、遠近法的投影は世界に対して開かれた透明着にともなって、印が明滅するという、このシステムのもっパ 性としてではなく、肉のようで、濃密で、奇妙にもそれが定着ルス的な性格である。それはフロイトが、「知覚ー意識 (w- させている物たちから引き剥がしうる皮膚として感じられる。 (w) システム」に無意識から送り出され、すぐに撤回される こうした特徴は伝統的遠近法の完全な反転であると同時に、そ備給的刺激伝達の「急速で定期的なインパルス」と呼んだもの のモダニズム的代替物の全面的拒否でもある視覚的モデルを提に対応している ( ジークムント・フロイト「マジック・メモにつ 示している。」 ( p. 54 ) いてのノート」二九二五年〕、ジークムント・フロイト『自我論 クラウスはここでふたたびグワッシュによる上塗りを「皮集』、竹田青嗣編、中山元訳、ちくま学芸文庫、一九九六年、三一 膚」に譬えている。そのうえで彼女は、フロイトか知覚と記億頁 ) 。フロイトの言葉を引けば、「無意識が、知覚ー意識システ 痕跡のモデルとした「マジック・メモ (wunderblock) 」の構造ムを介して、外界に触手を伸ばし、外部の刺激を試食すると、 を参照する。クラウスはその構造を、土台となるワックスの板急いで触手を引っ込めるかのようである」。エルンストの《主 とそのうえに被せられたパラフィン・シートの二つの要素からの寝室》が表現しているのは、このパルス的な運動そのもので なるものとして、フロイトにおけるよりも単純化してとらえてはないにしても、こうした知覚装置の脈動から生じる「距た いる。マジック・メモのシートのうえから尖筆で印を書くとり・分離・裂け目の感覚」司 57 ) である、とクラウスは言う。 き、シートとワックス板が密着することによって、その印は眼グワッシュの層がマジック・メモのパラフィン・シートに対 に見えるものとなるが、いったんこの二つが離れてしまえば、応するのだとすれば、その皮膚に似た層がいったん剥がされれ 印は消え失せてしまう。しかし、その印の痕跡はワックス板のば、「知覚ー意識システムー上のイメージは消え去ることになる うえにうっすらと蓄積されてゆくことになる。《主の寝室》でだろう。そこに残されるのは「空舞台」としての《主の寝室》 は、レデイメイドのイメージで埋め尽くされた元図がワックスのみである。それはいかにも舞台風の遠近法的な空間を偽装し 57 [ イメージの記憶 ] 45 モンタージュ / パラタクシス ( 3 )

3. UP 2016年9月号

第、を 304 、 3 す、第 : いや : を第を第 図 1 マックス・エルンスト《主の寝室》、 1920 年。 ュルレアリスムの原光景」と呼んでいる (Rosalind E. Krauss, The 0 ミミ U c ミ ~ sc ~ ・ 0 . Cambridge, Massachusetts 〕 The MIT press. 1993. p. 42. ) 。 《主の寝室》は実際にはコラージュではなくオーヴァーベイ ンティングであり、コラージュのように用意された複数の要素 を支持体となる一枚の紙のうえに貼りつける加算的な方法によ ってではなく、既成の印刷物をインクやグワッシュで上塗り し、いわば減算的に元図の要素を不透明にすることによって、 あらたなイメージを生み出している。《主の寝室》で元図とし て用いられたのは、ドイツの教材用図像力タログの一ページだ った。動物たちから家具までがカタログ的にびっしりと並置さ れたこの元図の多くの部分が塗りつぶされ、遠近法的な室内空 間の枠組みがそのうえに描き込まれることで、消されずに残さ れたや鯨をはじめとする動物たちとべッドなどの家具からな る光景が作り出されているのである ロザリンド・クラウスはこの作品を分析するにあたって、 「他の作品におけるのと同様にグワッシュもまた、どことなく 皮膚的 (skinlike) で、イメージの表面にそのフィルムが凝結し たかのようである」 ( p. 53 ) と述べている。クラウスによれば、 「グワッシュの皮膚を通して時として漏れ出た下の目録の部分 から、土台をなすシートの平板なグリッドはあらたに細工され た遠近法の境界面を越えて露わなままであり」、「この現われこ そ、 ( ・ : 中略・ : ) 啓示としてのイメージというシュルレアリス [ イメージの記憶 ] 45 モンタージュ / パラタクシス ( 3 ) 56

4. UP 2016年9月号

この問題を、他のメデイウムによる作品の分析を通して、異 前回の議論を踏まえて言えば、テオ・アンゲロプロスの映画 なる角度からとらえ直してみたい。具体的にはマックス・エル 作品における「空舞台」 ( 大島渚 ) には、「みれん」と「希望」、 ンストの初期作品《主の寝室》 ( 一九二〇年 ) である〔図 1 〕。 過去の「余韻」と「痕跡」や未来の「予感」と「徴候」が漂っ この作品をはじめとするエルンストのいわゆる「コラージュ」 ている。ワンショットⅡワンシークエンスによって同一の場に 複数の歴史的出来事が重ね合わされるとき、そこに介在するがシュルレアリストたちに与えた衝撃については、アンドレ・ ーンこそが、現前しプルトンのこんな証言があるーー「事実、シュルレアリスムは 「死んだ時間」、「死の空間」、オフ・スクリ 、ただちに ない気配としての異なる時間性、そしてそれに呼応したみれん一九二〇年の〔エルンストの〕コラージュのなかに 利点を見いだしたのである。そこにはまったく未開拓の、だが や希望という情感を喚起するのである。 この「空舞台」が失われるとき、編集 ( モンタージュ ) の詩においてロートレアモンやランポーが欲していたものに対応 「作業台」のようなものとして、諸要素の配置される抽象的なするような、視覚の編成についてのひとつの命題があらわされ ていた、 ( 「シュルレアリスム芸術の発生と展望」、一九四一年、巌 場こそがすべてを支える基底であるかのように見えてしまう。 アンゲロプロスの反モンタージュ的な「リアリズム」とは、こ谷國士訳、アンドレ・プルトン『シュルレアリスムと絵画」、瀧ロ修 フルトンか の抽象的な作業台に抗して、空舞台の死んだ時間と死の空間を造・巌谷國士監修、人文書院、一九九七年、八八頁 ) 。。 「もの ( 「 e 巴 , として露呈させるところにこそある。だが、「作「かって味わったことのない性質の感動。を覚えたと回想する この出会いを、米国の美術評論家ロザリンド・クラウスは「シ 業台」と「空舞台」とを分かつものとはいったい何なのか ノラタクシス ( 3 ) モンタージュ / 。、 マックス・エルンスト《主の寝室》の「皮膚」について 田中純 55 [ イメージの記憶 ] 45 モンタージュ / パラタクシス ( 3 )

5. UP 2016年9月号

今月の新刊 〈主要目次〉 序論フランクフルト学派のアクチュアリティ第—部救済の美学第 1 章 竹峰我和東京大学大学院総合文化研究科准教授 ) 「無声映画の革命的潜勢力」ーー初期べンヤミンにおける〈沈黙〉と〈音楽〉 / 第 2 章解体と再生の遊戯ーーベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」につい て / 第 3 章補論 1 外来語の救済ーー初期アドルノにおけるクラウス的な主 〈救済〉のメーデイウム 題をめぐって第Ⅱ部メーデイウムとしての芸術作品第 4 章芸術の認識機能 ペンヤミン、アドルノ、クルーゲ アドルノのシェーンベルク論をめぐって / 第 5 章破壊と救済のはざまで アドルノ美学におけるキッチュの位置 / 第 6 章補論 2 挑発としての擬 べンヤミン、アドルノ、クルーゲが対峙した映画や音楽、テレビといったメ態ーーアドルノ文化産業論再考第Ⅲ部変容する投壜通信第 7 章投壜通信か ーデイウム。それらはありえたはずの過去と来るべき未来が交錯し、〈救済〉らメディア公共圏ヘーーアドルノとクルーゲ / 第 8 章労働のメタモルフォー の瞬間が顕現する媒体でもあった。彼らのテクストを内在的に精読することゼーーネ 1 クト / クルーゲ『歴史と我意』 ( 一九八一 ) をめぐって第 9 章マ で、そこに孕まれるアクチュアリティを再起動し、〈救済〉の音楽を鳴り響か ルクス主義の死後の生ーークルーゲ『イデオロギー的な古典古代からのニュー せる。 四六判・四七ニ頁 / 定価 ( 本体五九〇〇円十税 ) 一 SBN978 ー 4 亠 3 ー 9 9 39 一 0 政治の美学田中純定価 ( 本体五〇〇〇円 + 税 ) 世界経済に大きな影響力をもつ中国の実態をどうとらえるか。国家の体制が大きく変遷 久保 ~ 甼くばとおる ( 信州大学人文学部教授 ) するなか、いかに成長してきたのか、近代から現代まで通史的に描きだす。アクセスが かじまじゅん ( 横浜国立大学大学院国際社会科学研究院准教授 ) 加島潤 困難な中国の経済状況を、統計的データを用いながら具体的な産業、農業、商業、エネ ルギー産業といった分野ごとを分析することによって、中国の全体像を理解する。 、きごしよしのり ( 名古屋大学大学院経済学研究科准教授 ) 木越義則 〈主要目次〉 序章中国近現代経済史への招待—中国経済のプロファイルⅡ近代工業の発 展綿業 / 製糸業 / 製粉業 / その他の軽工業 / 化学工業 / 機械工業・造船業 / 鉄 鋼業Ⅲ交通通信の近代化鉄道 / 汽船 / 自動車 / 電信鉱業・エネルギー産 業の発展石炭産業 / 石油産業 / 電力産業 > 商品的農業の拡大商品作物栽培 統計でみる中国近現代経済史 の普及 / 米穀生産の増加と商品作物化 / 農家経営と土地制度の変遷Ⅵ商業・ 金融業の変遷商業 / 金融業Ⅶ対外経済関係の構造的変容貿易 / 投資Ⅷ財 政経済政策の展開財政 / 幣制 / 経済政策終章中国の経済発展の趨勢 <L-O 判・一三八頁 / 定価 ( 本体ニ九〇〇円十税 ) 0 中国経済史入門久保亨編定価 ( 本体三八〇〇円 + 税 ) 一 SBN978 ー 4 ー一 3 ー 042 一 44 ー 7 0 現代中国の歴史久保亨ほか定価 ( 本体一一八〇〇円 + 税 ) たけみねよしかす