身体 - みる会図書館


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1. UP 2016年9月号

ある。 1 マもさまざまであるのだが、医学の対象としての身体、性的 そして一九六〇年代から、とりわけ一九八〇年代初頭以降、身体、そして絵画や彫刻をはじめとする諸芸術によって表象さ性 能 可 身体史に関わる著作・論文が陸続と登場し始めた。ここでは人れる身体、矯正される身体、鍛錬されパフォーマンス化される の 史 類学の影響がきわめて大きい。アナール派が、歴史民族学・歴身体といった点が、全体に通底している。 史人類学へとシフトして、こころの問題が重視されてきたのと身体史は、まさに領域横断的な分野であって、史料について感 同時に、それとペアーになって、からだの問題が浮上したのでも、公文書のほか、医学・神学・文学・哲学などの文献、芸術 ある。古くは、上述の・プロックの書物のほか、・カント作品や風刺画、日記や書簡など、ありとあらゆる領域の史料を法 の ロヴィッチ、・ギゼーらによる「王の身体」の象徴人類学的駆使していて、現在、もっともスリリングな文化史だと評せよ 学 、つ 史 研究が好例だし、より最近の「教皇の身体」 (< ・パラヴィチー 歴 ・バツリアーニ ) の究明もおなじ流れに棹さしていよう。切 感情史の源流 り刻まれたり、解剖されたり、身体刑に処されたり、矯正や暴 この身体史と不可分の関係にあり、いわば連携して展開して 行・陵辱を受けたりした受苦の身体、伝統社会の身体、象徴と いったのが、感性史 ( 感情史 ) である。感性の歴史は、じつは しての身体、さらには性的な身体や身振り (*-0 ・シュミッ ずっと古い時代にまで遡る。・フェーヴルが、一九三八年六 ト ) の研究にさえ、人類学の影響が濃厚である。 二一世紀に入っても、フランス、イギリスを中心に、身体史月に開かれた第一〇回「総合研究国際討論週間で発表した に関する数多くの書物・論文が、個別の時代・テーマをめぐっ「感性と歴史 , ーー過去の情動生活をいかに復元するか ? 」は、 て書かれつづけているが、他方で、身体をめぐるそれまでのさ仲間の歴史家たちに向けて、歴史研究の中心にまさに感性研究 ' 皮よ、・モースと・ まざまな議論を総括しようという機運が高まった。・ヴィガをおくべきだと訴えて注目を集めた。彳 : レロ、 < ・コルバン、・クルティーヌ監修の『身体の歴レヴィⅡプリュールの人類学、・ヴァロンや 5 ・プロンデル 史』導 s ざ corps ( 全 3 巻 ) が二〇〇五 5 〇六年に出版さの心理学に学びつつ感性の歴史を構想し、普段抑圧されて見え れ ( 邦訳は、二〇一〇年に藤原書店から出版 ) 、ルネサンス期からにくくなっているものの、じつは人びとの集団的な駆動力とし 現代までのヨーロッパの身体を総合的に扱っている。もちろて働いている感生・情動を探り明らかにする意義を唱えてい ん、時代によって身体観は大きく変動したゆえに、扱われるテた。そして知覚やそれぞれの感覚の使用法の歴史、時間空間の

2. UP 2016年9月号

った。当時は、発言・非発言の基準点に注意しながら、沈黙や 文化史としての身体史 回避に満ちたテクストに浸潤した不安について語らせる方法 が、まだ練り上げられていなかったのである。 フランスの歴史学においては、一九世紀の歴史家ジュール・ ・ : との考え ミシュレ以来、歴史にその血と肉を返してやろう、人間のいる歴史に身体を返し、身体に歴史を与えるべきだ : は、もちろんアナール派の始祖の一人マルク・プロックも抱い 歴史学を回復しよう、というスローガンが度々打ち出された。 そうした中、一九二〇年代から、人間とその身体に直接・間接ていて、『封建社会』 ( 一九三九ー四〇年 ) では「より歴史の名性 能 に関係する生死、食糧、職業などを数え上げ、系列化し、図表に値する歴史が書かれるとすれば、それは、人々の身体が蒙っ 可 にする、つまり系の歴史学 ( 数量史 ) としての身体史が一時盛た転変に然るべき地位を与えるであろう」と述べている ( 邦史 情 んになった。しかしこうした方法だと、生まれ働き死んでいく訳、岩波書店、一九九五年、九六頁 ) 。また『奇跡をなす王』 ( 一 感 人間を、一般的な特性の抽象的媒体にするだけで、生きた人間九二四年 ) も、一種の身体史の達成と看做せるだろう。これは 法 を蘇らせるという目標にはとても近づけなかった。たとえば、プロックが活躍した時期を前後する時代の、精神分析学・ 作 の そこでは性愛も生殖との関係で取り上げられて「人口学」になフロイト ) 、人類学 (ä・モース ) 、哲学 (ä・メルロⅡポンティ ) り、男女関係は、受胎につながるか否かだけが問題となる。行における身体の復権とも相呼応している。それまでの物心二元史 歴 論、身体と精神 ( 理性 ) の対立、前者の後者への従属 : : : が批 政文書、裁判の証人尋問、教会関係の手引き書、医者の報告書 などの古文書から数量史家に伝わるのは、沈黙の身体のみであ判され克服されたことが、歴史家の身体への注視を促したので 歴史学の作法ⅱ 感情史の可能性 池上俊一

3. UP 2016年9月号

るとし、聴覚や嗅覚のあり方の変化、央楽の表象の変化を、医のは、認知心理学、神経科学あるいは精神哲学において、感情給 にー畆言能力と道徳的合理性が備わっており、したがってそれ性 学理論、神学、技術開発やそれに促されたインフラ整備、社会 慣習や新たな欲求、身体衛生規範などとの関係を検討しながは合理性の寄生物ではなくむしろ見張り番なのであり、我々の可 ら、つぎつぎと跡づけ解明していった。新たな感受性は、まさ抱く価値に適合するもの、社会的期待に沿うものは何かをいち史 感 に身体のあり方の変化に同道し、文化的社会的に構築されたも早く教えてくれる、と考えられるようになったからである。 一九八五年に新来の「感情史 , の綱領的な論考 ("EmotionoIo- のだからである。社会的想像力の歴史を、人類学的な五感の歴 法 史にまとめてみよ、つとい、つ試みは、まず一九八二年の『におい】 CIarifying the History of Emotions and Emotional Standards ・・ ) の歴史』 ( 邦訳、藤原書店、一九九〇年 ) に結晶し、また一九世を発表し、専門分野としての確立を求めるとともに、自ら具体の 紀のフランスの田園で音環境がどう変わっていったかを、とく的な個別感情の歴史的あり方を何冊もの単著で示しているの史 に鐘を中心に探査した一九九四年の「音の風景』 ( 邦訳、藤原書が、アメリカのスターンズ夫妻 ( ピーター・ Z ・スターンズとキ ャロル・・スターンズ ) である。また一九九二年に、夫ピータ 店、一九九七年 ) もこの分野の代表作である。 ーは・ルイスとともに一連の印象深い感情史シリーズ The コルバンの仕事は、一種の名人芸的なところがあり、特定の グループや後継者を持たないが、アメリカから、新たな装いで ( 00 、 E ミ 0 を New York University press から出版 この感性史が一大発展することになった。しかも、感性し始め、二〇一三年にはそのシリーズの一冊として『感情史を sensibility を感情 emotion と言い換えている点にも、戦略的な行う』 00 g E きミきという論文集を刊行した。後 意味があろう。この最近の感情史の動向を知るには、 Jan 者では、前近代的感情から近代的な感情への変化プロセスを追 Plamper, The 、 E き 0 ( ~ ・を s. ・ゝ 7 ミ、 od ミ、 ~ ド Oxford 求するべきこと、そのため学際的・国際的比較も可能になるよ University press. 20 】 5 や森田直子「感情史を考える , 『史学雑うな方法で感情史研究を行、つべきことが説かれている。また人 誌』三〇一六年三月 ) が、委曲を尽くして解説しているので参間の基本感情は、歴史的に不変だと看做されがちだが、基本感 情とはべつに、その個人が属す大小の集団や社会が前提とする 照されたい。 感情を理性と対立させて、不合理のレッテルを貼る一九世紀感情のあり方は、他の歴史的変化と結びついて可変的である、 末以来の伝統が災いして、感情研究は長い間あまり進展しなかということも示されている。 ったのだが、 二〇世紀後半以降、その復権が見られた。という アメリカではほば同時期に・・レデイや・ゼルディン

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今月の新刊 しみすかっとし 們水克俊 ( 名古屋大学大学院経済学研究科教授 ) 金融経済学 あおきひとし 亠冂木人士ハ ( 一橋大学大学院法学研究科教授 ) 日本の動物法第 2 版 現実経済が急速に複雑化するなかで進展著しい金融経済学。扱う領域もコーポレート・ ファイナンス、アセット・プライシング、バンキング、デリバティブ、金融政策と広範 囲に及ぶ。本書は、この一冊だけで、その領域が拡大し高度化する金融経済学の全体を、 日本の金融市場の実態をふまえて着実に学べるテキスト。練習問題・索引も充実。 〈主要目次〉 序文 ( 堀内昭義 ) —部価値評価と企業の意思決定第 1 章投資の価値評価 第 2 章金融資産の価値評価 / 第 3 章企業の資本構成と金融資産の価値 / 第 4 章企業の財務戦略 / 第 5 章コーポレート・ガバナンス第Ⅱ部金融市場 と金融機関第 6 章資本市場と資産価格 / 第 7 章債務市場と利子率 / 第 8 章 デリバテイプ市場 / 第 9 章金融機関の機能 / 第川章金融機関のリスク・マ ネジメント / 第Ⅱ章金融機関の規制 / 第肥章金融市場のメカニズムと制度 第Ⅲ部金融政策とマクロ経済第章金融政策 / 第章金融政策のマクロ経 済学的基礎 <LO 判・五ニ八頁 / 定価 ( 本体六三〇〇円十税 ) 一 SBN978 ー 4 ー一 3 ー 040278 ー一 0 企業分析入門第 2 版パレプほか / 斎藤監訳定価 ( 本体四八〇〇円 + 税 ) 動物法の決定版ー動物愛護管理法の最新の改正をふまえて改訂。や鳥インフル エンザに係る家畜伝染病予防法、外来種に係る外来生物法の改正にも対応。さらに「動 物の権利」について、法学の視点からの検証を試みる。 〈主要目次〉 はじめに第ー部動物法とはなにか第 1 章動物法の歴史 / 第 2 章動物法の 体系ーー・構造的成り立ち / 第 3 章西欧法と日本法ーー動物法の対比第Ⅱ部 人と動物の関係からみた動物法第 4 章人が動物をまもるーー動物愛護管理法 / 第 5 章人を動物からまもるーー・家畜伝染病予防法・牛海綿状脳症対策特別措 置法・狂大病予防法 / 第 6 章人と動物が住む生態系をまもるーー外来生物法 / 第 7 章人が動物をつかうーー身体障害者補助大法 / 第 8 章「まもる」と 「つかう」の法原理第Ⅲ部これからの動物法第 9 章動物法の現状ーー動物 の「福祉」はどこまで進んだか / 第 2 章動物法の未来ーー動物に「権利」は 四六判・ニ八八頁 / 定価 ( 本体三四〇〇円 + 税 ) あるか / 第章動物法の担い手ーー動物保護団体になにができるか / 第章 一 SBN978 ー 4 ー一 3 ー 063346 ー 8 日本社会と動物法おわりにーー第 2 版にあたって

5. UP 2016年9月号

可翁蜆子和尚図東京国立博物館 lmage : TNM lmage Archives 雪舟慧可断臂図 ( 部分 ) いだと見られる作品群が、元初ころまでの禅林で作られた。日本に 数多く伝存し、直翁「六祖挾担図」 ( 五島美術館 ) など人物画におけ る最高の達成であろう。一方、類作の中には、戸田禎佑『牧谿・玉 澗』 ( 講談社、一九七三年 ) が説くように、素材と描写を簡素にする 禁欲性から離れてより饒舌な表現に向かう傾向も認められる。 室町時代の褝宗絵画は、後者の傾向を模倣した。可翁「蜆子和尚 図 , ( 東京国立博物館 ) が、毎日蝦や蜆を取って食べていたという奇 妙な褝僧を表すのに、衣を中くらいの濃さの墨で太めに描き、目と 口に濃墨を用い、毛髪と髭を淡墨でばかしているのは、罔両画の痕 跡をうかがわせる。ただし、やや粗放に描く衣には筆勢がある。 雪舟は、自らもかって試みたそのような描き方から一歩を進め て、積極的に淡墨を使用し、敢えて線であることを否定するような 線で達磨を象ったのだろう。もちろん、それは本来の罔両画のあり ようからは遠く、衣の輪郭は明確な形態として強い自己主張をして いる。それでも、衣を淡墨で筆速を伝えない面的な形象とし、生々 しい顔貌の描写と接続することによって、達磨は画面上のほかのす べてから遊離し、現実に洞窟の中に座っているのか、あるいは彼方 へ消え去ろうとしているのか曖味な、超自然的な存在に映る。神光 は、達磨のそういう霊的で聖なる身体と相似の形態で、しかし異種 の描線で表され、達磨と対比される。彼の精神と身体はまだ現世に あって達磨のいる世界には入っていないことが、その対照によって ( さとう・やすひろ日本美術史 ) も語られているのである。 69 日本美術史不案内 - ー・ 89

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方の原因を骨太に提一小した。関与と警戒という合言葉で推進さ れてきた対中政策も、実質的には「関与」に重点が置かれたも のであった。マンはそれに一石を投じたと言えよう。ただし、 アメリカの学界には、アメリカの現実政治と比較して、全体と してかなりリべラルな傾向かある。この点をもう少し織り込ん で見取り図を描きなおしてもよいようにも思える。 ピルズベリーは中国政府内の力関係の分析を通じて、二〇四 九年から一貫して、かっ秘密裏に遂行されている「世界覇権一 〇〇年戦略ー ( 訳書の副題 ) 仮説を提示し、これまでの対中国政 策の誤りと彼が考えるものを指摘するとともに、今後とるべき登 政策も提言している。ただし、一般読者としては、つねに優越本 的な影響力保持してきたとされる「タカ派」の正体 ( ? ) につ ・カ いて、今一つ具体的な像を結びにくいのではないか。また、一 画 〇〇年計画がどの程度一貫性をもって推進されてきたかについ ても、説得力がやや不十分であると感じられる。あるいは、そ人 れはそこはかとなく共有されている願望のようなものなのだろの一 、つ , 刀 マンとビルズベリー両者の議論を受け入れたとしても、複雑 な相互依存関係の中で、具体的にどのような強硬な対中国政策 を実践するかは、一義的に答えを出しにくい。対中国政策は、 アメリカにおいても日本においても、政策決定者にとってます ます重要な知的・政治的挑戦となるであろう。 ( くば・ふみあき現代アメリカ政治 ) 東大教師が 新人生にすすめる本 2009 ー 2015 東京大学出版会『 UP 』編集部一一 [ 編 ] 2009 ~ 2015 年の『 UP 』 4 月号に掲載された好評アンケー ト 7 年分を収録。東京大学のスタッフが、新入生にいま読 んでほしい本を熱く語る。さらに哲学から生物学まで、 12 名の各分野の第一線の執筆者が、それぞれの学問の 戦後の軌跡を解説。 ISBN 978-4-13-003333-6 B6 判 / 270 頁 / 本体 1 , 800 円十税 67 [ 書評 ] 131 アメリカにおける中国観の変遷 東大教師が 新人生にすすめる ßOOK GUIV)E 200 ラ 2 三 5

7. UP 2016年9月号

今月の新刊 一二、合太良 . ( 東京大学名誉教授 / 日本学士院会員 ) 戦後民主主義をどう生きるか 「戦後民主主義」とは何か。戦後七〇年を経てあらためて「戦後」の意味を問 現代史の深みから日本の民主主義における個人の生き方について考える。 好評既刊「学問は現実にいかに関わるか」 ( ニ 0 一三年 ) 、「人は時代といかに 向き合うか」 ( ニ〇一四年 ) の姉妹編。 四六判・ニ七ニ頁 / 定価 ( 本体ニ八〇〇円十税 ) 一 SBN978 ー 4 ー 1 3 ー 003339 ー 8 に . しのしし上の寺し 西野嘉章 ( リ衛な 未来派・ダダ・構成主義 みたにたいちろう 東京大学総合研究博物館教授 同館およびインターメディアテク館長 〈主要目次〉 政治社会を生きる政治社会の変化と集団的自衛権の問題 / 南原繁と国際政 治 / 岡義武とドイツ・デモクラシーへの問題関心 / 福沢諭吉と丸山眞男 / 幕末 日本における公共観念の転換 / 政党政治はなぜ、いかに生まれたかⅡ知的共 同体を生きる一一人の精神的リーダー / 南原繁百十五歳 / 南原東大総長の米国訪 問と一一人の外国人日本史家 / 亡き師の導き / 丸山眞男先生についての断片的な 回想 / 政治哲学史研究と理念 / アメリカ政治史の全体的考察 / 国際歴史共同研 究におけるリーダーシップ / デモクラシーの安定条件を求めて / 想像力を媒介 とする政治的リアリズム / 政治理論と政治史の一一位一体 / 戦闘者のユーモア / 民主性と貴族性 / 理論志向の学際的な民法研究 / 六〇年来の懸案 / 媒介者とし ての編集者 / 真っすぐに生きた人 / 司法制度改革における道徳的リーダーシッ プⅢ戦争と戦後を生きる「三四郎」の時代と大学 / 吉野作造と吉野信次 / 歴 史としての戦争と記憶としての戦争 / 戦後七〇年の八月を迎えて / 私の「戦後 民主主義」 ニ〇世紀初頭のアヴァンギャルドの時代は、彼らの雑誌が世界をつないだ「メディアの ネットワークの時代」でもあった。美術史に残る主要誌から知られざる貴重な雑誌まで、 詳細な書誌的解説を付した論考篇と、出版デザインを広く収集した美麗な図版篇のニ冊 組 ( 西洋編 ) 。 〈主要目次〉 【上巻 / 論考篇】—未来派カタルーニヤの「フトウリスム」 / ロシアの「フー トウリスティ」 / イタリアの「フトウリズモ」 / パリにおけるイタリア未来派 ロンドンにおけるイタリア未来派 / ベルリンにおけるイタリア未来派 / ロシ アにおけるイタリア未来派 / 日本におけるロシア未来派 / 東郷青児のイタリア ーリッヒ・ダダ / パリ・ダ 未来派 / 村山知義のベルリン未来派Ⅱダダチュ ダ / ニューヨーク・ダダ / ベルリン・ダダ / ポヘミア・ダダ / バルカン・ダダ Ⅲ構成主義ベルリンの国際主義 / 低地諸国の構成主義 / ポーランドの構成主 義 / チェコ・スロヴァキアのポエティズム / ハンガリーの行動主義 / ルーマニ << 判・七五八頁 / 定価 ( 本体三九〇〇〇円十税 ) アの統合主義 / 日本の意識的構成主義 / パリのピュリスム【下巻 / 図版篇】雑 一 SB N 978 ー 4 ー 1 3 ー 080218 ー 5 ノンフレット等カラー図版約一〇〇〇点、書誌一覧、人名索引等。

8. UP 2016年9月号

今月の新刊 〈主要目次〉 序論フランクフルト学派のアクチュアリティ第—部救済の美学第 1 章 竹峰我和東京大学大学院総合文化研究科准教授 ) 「無声映画の革命的潜勢力」ーー初期べンヤミンにおける〈沈黙〉と〈音楽〉 / 第 2 章解体と再生の遊戯ーーベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」につい て / 第 3 章補論 1 外来語の救済ーー初期アドルノにおけるクラウス的な主 〈救済〉のメーデイウム 題をめぐって第Ⅱ部メーデイウムとしての芸術作品第 4 章芸術の認識機能 ペンヤミン、アドルノ、クルーゲ アドルノのシェーンベルク論をめぐって / 第 5 章破壊と救済のはざまで アドルノ美学におけるキッチュの位置 / 第 6 章補論 2 挑発としての擬 べンヤミン、アドルノ、クルーゲが対峙した映画や音楽、テレビといったメ態ーーアドルノ文化産業論再考第Ⅲ部変容する投壜通信第 7 章投壜通信か ーデイウム。それらはありえたはずの過去と来るべき未来が交錯し、〈救済〉らメディア公共圏ヘーーアドルノとクルーゲ / 第 8 章労働のメタモルフォー の瞬間が顕現する媒体でもあった。彼らのテクストを内在的に精読することゼーーネ 1 クト / クルーゲ『歴史と我意』 ( 一九八一 ) をめぐって第 9 章マ で、そこに孕まれるアクチュアリティを再起動し、〈救済〉の音楽を鳴り響か ルクス主義の死後の生ーークルーゲ『イデオロギー的な古典古代からのニュー せる。 四六判・四七ニ頁 / 定価 ( 本体五九〇〇円十税 ) 一 SBN978 ー 4 亠 3 ー 9 9 39 一 0 政治の美学田中純定価 ( 本体五〇〇〇円 + 税 ) 世界経済に大きな影響力をもつ中国の実態をどうとらえるか。国家の体制が大きく変遷 久保 ~ 甼くばとおる ( 信州大学人文学部教授 ) するなか、いかに成長してきたのか、近代から現代まで通史的に描きだす。アクセスが かじまじゅん ( 横浜国立大学大学院国際社会科学研究院准教授 ) 加島潤 困難な中国の経済状況を、統計的データを用いながら具体的な産業、農業、商業、エネ ルギー産業といった分野ごとを分析することによって、中国の全体像を理解する。 、きごしよしのり ( 名古屋大学大学院経済学研究科准教授 ) 木越義則 〈主要目次〉 序章中国近現代経済史への招待—中国経済のプロファイルⅡ近代工業の発 展綿業 / 製糸業 / 製粉業 / その他の軽工業 / 化学工業 / 機械工業・造船業 / 鉄 鋼業Ⅲ交通通信の近代化鉄道 / 汽船 / 自動車 / 電信鉱業・エネルギー産 業の発展石炭産業 / 石油産業 / 電力産業 > 商品的農業の拡大商品作物栽培 統計でみる中国近現代経済史 の普及 / 米穀生産の増加と商品作物化 / 農家経営と土地制度の変遷Ⅵ商業・ 金融業の変遷商業 / 金融業Ⅶ対外経済関係の構造的変容貿易 / 投資Ⅷ財 政経済政策の展開財政 / 幣制 / 経済政策終章中国の経済発展の趨勢 <L-O 判・一三八頁 / 定価 ( 本体ニ九〇〇円十税 ) 0 中国経済史入門久保亨編定価 ( 本体三八〇〇円 + 税 ) 一 SBN978 ー 4 ー一 3 ー 042 一 44 ー 7 0 現代中国の歴史久保亨ほか定価 ( 本体一一八〇〇円 + 税 ) たけみねよしかす

9. UP 2016年9月号

税扣 格 3 可如 宅 5 ◎第一回配本 ( 7 月刊 ) 見失った手状況論箚駅 堤 . ◎第一一回配本 ( 8 月刊 ) ノ . 0 Ⅱ日本の文字文字論新 3 科Ⅳ 山 Ⅲ日本語とはどういう言語か 市ⅲ 言語論 都 @ ニ重言語国家・日本国家論京。 0 ・ ) ・ 1 ⅳ漢字がつく 0 た東アジア 東アジア論 判型・造本判・上製カバー装・刊Ⅵ書とはどうⅵう芸術か書論 推薦 表紙布クロス・特製美麗貼函入 9 一Ⅵ筆蝕の構造書字論 装幀各巻毎に石川九楊作品からの月 石川九楊を推すー山折哲雄氏 侮Ⅶ書の風景作品論 装画による著者自装 頁数各巻平均 680 頁 Ⅸ書の宇宙書史論 雷鳴でありその閃光であるー三浦雅士氏 定価 / 各巻本体 9000 円 ( 税別 ) 下、 ノ男巻—完本・一旦書 刊行・配本 7 月 9 日刊行開始 強靭で鋭敏な身体感覚ー高樹のぶ子氏 以降毎月 1 巻すっ配本予定 別巻Ⅱ中國書史 別巻Ⅲ遠望の地平未収録論考 思考のダイナミズムに魅了ー山室信一氏 ( 〔測本Ⅵ判北色 ) 丿オキイ 世界思想を遠望する視座から 日本近代の文化と学問の淵源を問いなおす ! ( 撮影・本間仲彦 ) ) ミネルウ多書房

10. UP 2016年9月号

朝五時半の羽田空港。出発ロビーは人影もまばらだった。 てくれた」と証言する山川健次郎・前帝大総長 ( 東龍太郎の義 早朝六時二十五分発の全日空機で札幌に向かうのだ。冬の張父でもある ) が実際の資金の出資者ではなかったのか。大学当龍 りつめた冷気の中で、一人私は静かな興奮と幸福感に包まれて局や評議会が反対する中で、つい先日まで総長を務めていた山 月カ資金を提供したとなると、大スキャンダルになるので、 この何か月間か『帝大新聞』の創刊資金の謎を追ってきた「娘婿の東が出した、という事にした」ということだ。「官学中 が、「本件の当事者ーである東龍太郎の一九二〇年 ( 大正九年 ) の官学たる」東京帝大において、山川自身のその後の身の処し の日記が札幌にあるというのだ。電話でその話を聞いた時も、方としても、名前が出ない方が得策だろう。 自分の体内のアドレナリンが急上昇し、身体が細かく武者震い 東自身は長男・克彦が誕生し、また翌年五月からは単身での するのを感じた。この連載のお話自体にもし「起承転結」があ英国留学ということもあって、これら渡航などの準備資金につ るとすれば、「東日記の発見 ! 」は問題解決の大きな転機、ま いて余剰金が出て、それが『帝大新聞』資金に回ったのかもし さしく「転」と位置づけられるだろう。 れない。また大阪で医院を営む東の実家からは当時豊富な仕送 さて、これまでの五回の連載で述べてきた私の「推理」をまりがあった、という回想もある。東が出したとしても山川に当大 とめるとこうだ。通史では東龍太郎が金三千円を出資して、 然相談した事が想定されるので、資金の出し手として、東か山 とい、つ考え 『帝大新聞』が創刊された事となっているが、証言には辻褄の川かはあまり大きな違いではないのかも知れない、 合わない所がある。創業者の永井了吉が「新聞の創刊に賛成しもあった。機内のイヤホンからはヴァイオリンの『チャルダシ 初期『帝大新聞』の研究ーー「創刊資金の謎」 6 札幌で「東龍太郎日記」を発見、 そこに書かれていたのは 清水あっし