121 すうっとカナダに住んでいたい一 19 歳ぐらいのソフィーちゃんが , 一日中働いていて ( 昼間は学校へ行 ってるとの事 ) , 英語もフランス語なまりだがゆっくりと話してくれる ので楽だった。彼女がいつも朝食を作ってくれて ( 私はケベックが気に いって結局 2 泊のつもりが 3 泊してしまった ) , 円いチャイニーズ式の テープル ( ぐるぐる回るやっ ) にフレンチトースト , 工ッグ , フルー ッ , チーズと盛りだくさん飾られ , それに各国の人たちが集まって一緒 に食べるので , 和気あいあいとして楽しかった。ある日の朝は , オース トリアの夫婦 , ドイツ人の若いグループ , ニューヨークから女の人が 1 人 , トロントからの夫婦 , そして私 , とそれぞれのお国自慢や「おはよ う」の言葉のェクスチェンジをしたり , とても楽しかった。そして , い い思い出となった。 ケベックの城壁内は本当に小さいので , ガイドブック片手に何時間か 歩くとだいたい町の様子が把握できると思う。私は特にウルスラ修道院 が気にいってしまい , 2 回も訪れてしまった。というのもそこの女子私 立学校の生徒のユニフォームがとてもかわいら しく ( 右のイラスト ) , フランスつばい洗練さ れた制服で , また子供たちが愛らしいので思わ この修 道院の隣に博物館もあるので , そこで見学する のも良かったけど , 何より感動したのは 1632 年にフランスから来た修道女によって建てられ た歴史的な学校であるということもさることな がら , その当時の建物の一部がまだ残っていて ( 本当はいけないと思うけど , 私はこっそり入 りこんだ ) , もともとは , インディアンの子女 の勉強を教えた場所が今では私立のお嬢さん学 校になっているという事 ( もし自分に子供がい たらぜひ入学させたいと , 変なことを考えてし まった ) 。 ケベックのレストランは , たいてい入口にホ ステスが立っていて中に案内してくれる。どこ のレストランもフレンチ・スタイルで , コース - ぃ升 3 ドの 0 、インヾース勺 - け ライ メニューがそろっていて , とてもおいしそう ! 雰囲気もヨーロッパの ようでオシャレです。私は , 1 日目の夕食はその辺のビストロでフロッ グ ( かえる ) の料理を思いきって食べました。ケベックは小さい通りが 入り組んでいて , でも裏通りとかを歩くとこぢんまりとしたビストロが
110 PART 9 ワーホリ体験記 ためもあって , 多分 1 週間くらいかかったと思う。まず , ポス的存在の ウェイド , 彼は 30 代後半の , ゴルフ場で働く , ちょっと男前の遊び人 で , 前の奥さんとの間に子供が 4 人いる。そのうち一人 , 12 歳のシェ ーンは , いかにもカナダ人らしい , ホッケーとスキーとインディーカー レースの大好きな男の子で , 私の隣の部屋に住んでいた。最初に私を案 内してくれた親切なおじさんはマイクで , ウェイドの仕事の同僚でもあ り , 年も彼と同じくらいだった。マイクもやはり離婚しており , 二人い る子供は , 前の奥さんと暮らしていた。次にアンドリュ 。 24 歳で , 結婚歴も離婚歴もないが , 前の彼女との間に 2 歳の女の子がいた。元ミ ュージシャンで , 今はビル解体作業をしている彼は , プロンドのさらさ らロングへアーのかっこいいお兄さんなのだが , テレビ局で働く元彼女 と , ひと月の半分ずっ子供の面倒をみる , という複雑な生活を送ってい た。最後に忘れてならないのが , 日本帰国を 2 か月後に控えたかおるち ゃん。親切な彼女に , 私はここでの生活のことを色々教えてもらったう え , 友達もたくさん紹介してもらった。 この家には , 「キッズ・ウィークエンド」というものがあった。つま り , それぞれの母親の所で暮らしている子供たちが , 2 週間に一度 , 父 親と週末を過ごすために , 一斉にこの家に大集合するというのだ。皆 , 同じ年頃の子供たちで , その騒ぎと言ったら , 近所の人が苦情を言って こないのが不思議なくらいだった。私はその後 , この家で過ごした 1 年 間の中で , うかつにも数回「キッズ・ウィークエンド」に居合わせてし まったことがあるが , 30 分と持たず , 友達の家などに避難したものだ。 こんな , 異様とも思える組み合わせの 6 人が , トラブルもなくうまく 暮らしていけるわけがない , と私の友達は言ったが , 私達は本当にうま くやっていた。普段はそれぞれの生活に忙しく , 顔をめったに合わさな いこともあったが , それでも時々 , ルームメイトどうしで , 食事やバー に行くこともあったし映画を観に行ったり , コンサートに行ったり , それぞれの誕生日にはプレゼントもしたし , 感謝祭にはウェイドがチキ ンを焼いてくれたりもした ( ターキーじゃなかったが ) 。かおるちゃん の作ったギョーザに皆で舌鼓を打ったり , ムービーナイトには全員集合 して , リコリスとアイスクリームを用意して ( 彼らはアイスクリームが 堅すぎると言って電子レンジで温めるのだ ! ) , 大騒ぎしながらビデオ て , かわいいこ一シャも去ることながら , このデニースが私は大好きだ アンドリューの子供のミーシャには , デニースというナニーさんがい を観て楽しんだり , 時にはお互いの文化や人生について話し合うことも あった。
160 PART 9 ワーホリ体験記 カナタの子供たちとの交流 小島智子 って プライベートで英語を教わっていた C さんの伝で地元の小学校と中 学校で日本の話をすることになった。 C さんにはよく日本の話をしてい たが大勢の前でするとは思っていなかった。とりあえず , 日本から持っ て来た、 'Make Friend for Japan" や日本人の友達に借りた本等を参考 に一応原稿を作った。でもどちらかといえば大勢の前で話をするのが苦 手な私。まして言葉も不十分と思っていたので面白がりながらも少し不 安な面はあった。 最初は , うちのすぐ近所の小学校。ちなみにわが家は OIympic Park の近くで仏語系の多く住むェリア。通ってくる子供も仏語系がほとんど だ。午後の英語で行われる授業をつかわせてもらうことになった。 C さんと学校に行き , 担任と副担任の先生に会う。二人とも女性で温 かく迎えてくれた。あまり自分では意識していなかったが緊張している ように見えたらしい。「だいじようぶよ ! 」と励まされる。 先生が生徒たちに短い説明をしたあと教室に入ると , 皆一斉にこっち を見た。でも人なっこそうな顔に少しリラックスした。自己紹介をして 黒板に英字と平仮名で名前を書くしみんな珍しそうな目で見た。その 後いくつか漢字を書いたら , みんなでノートにとっていた。 先生や C さんにフォローしてもらいながら前半は東京と日本の話。 みんなが一番驚いたのは日本とカナダの土地の面積と人口の差。電車が 混雑する話をしたが小学 6 年生にはラッシュアワーという言葉は馴染み がないせいか , 誰もわからなかった。 質問コーナーになると一斉に手が上がり , 積極的な子供が多いと感じ ひげ た。よくアメリカのテレビ漫画に出てくるような髭の東洋人の絵をか き , 「こういう人がいるの ? 」ときいた子供がいて「やつばり出たか ! 」 と思い , おかしくなってしまった。 後半は皆で鶴とお菓子入れを折った。折り紙はないので先生が適当な 色紙を用意してくれた。鶴はむずかしいと思ったが , C さんに「きれい だから」と言われて作ることにした。席を回りながら順番にゆっくりや
2 制度と資格について 田歳 ~ 30 歳 絽歳 ~ 30 歳 年齢制限 滞在期間 語学学校 雇用期間 健康診断 医療保険 子供の同伴 伴侶の同伴 出入国 にか月 3 か月以内 ーか所 = 3 か月 ( ただし日本語会 話指導の場合は 6 か月まで可 ) 要 不 自己負担 不 可 不 可 制限なし ビサの発行機関 フランス 田歳 ~ 30 歳 にか月 制限なし 制限なし 要 ( 許可後 ) 自己負担 にか月 制限なし 90 日間 イギリス 田歳 ~ 25 歳 ( 英国政府認可 の場合は 30 歳 まで可 ) にか月 制限なし フルタイム 6 か月 ( バートタイムは 不 自己 不 不 負 担 制限なし ) 不 自己負 制限なし 不 不 担 不 不 可 可 制限なし 制限なし カナダ大使館は「カナダ / 日本ワーキングホリデー・プログラム」を その点十分注意すること。 が , ワーキングホリデー参加者の連絡機関は CCCJ に限られるので , 括部として , 査証部及び , CCCJ と連携し , プログラムの運営に当る カナダ大使館・広報文化部は , ワーキングホリデー・プログラムの統 行は従来通りカナダ大使館・査証部が行う。 申請書の本審査 , ワーキングホリデー就労許可証発給許可の手紙の発 え , 申請書の配布 , 受領 , 予備審査などの一切の業務を委託で行ってい リデー・プログラム」についての情報提供 , 説明 , 問い合わせの受け答 merce in Japan, 略して CCCJ) が「 200X 年カナダ / 日本ワーキングホ 大使館指定の在日カナダ商工会議所 (The Canadian Chamber of Com-
100 PART 8 こんなトラブルにあったら ? / ホームスティ 食事が予想していたより , とても質素だったのですが・ 0 0 0 0 0 ぎると居間の電気も消して , それぞれの部屋に引きあげてしまい 通常カナダ人は , 夜 6 時 ~ 7 時くらいにタ食を済ませ , 9 時を過 ますか ? カナダ人は夜寝るのが早いと聞きましたが , 夜遅く帰ると怒られ るようにしておいてください。 入ると後の人は水になってしまうので , できれば 10 ~ 15 分以内で入れ ムは 5 ~ 7 分くらいです。タンク式給湯装置の家庭では , 一人が 30 分も にならないと思いますが , 現地の人はシャンプーをしてもシャワータイ 日本ほど湿気もなく , しのぎ易いのでシャワーのみの生活でも気 通常 , カナダ人はお風呂は利用せず , シャワーのみの生活です。 いると怒られますか ? カナダの人はシャワーがとても短いと聞きましたが , 長く人って ホストファミリーに理由を言って , 相談することです。 手になってほしい等 , 自分の勉強の妨げになるような場合は , 遠慮なく 会話をどんどん学んでいってほしいと思います。ただし , 子供の遊び相 する上では当然のことです。そういった中から , その国の生活習慣や英 ています。ですから掃除 , 洗濯を手伝ったりするのは , ホームスティを 的にカナダでは , 小さい頃から男女の差別なく家事を手伝うよう躾られ しつけ り , ホストファミリーも家族の一員として迎えてくれます。一般 0 もともとホームスティをすることは , 家族の一員になることであ ライバシーがなくて困ります。どうしたらよいでしよう。 0 子供の世話をさせられたり , 掃除をさせられたりして , あまりプ ら現地の習慣・文化を学んでほしいと思います。 ざっぱです。これがカナダの家庭の食事なんだと思い , そういった中か 家庭では食事は質素で , 似たようなメニューが多く , 味つけも大 日本ほど , どの国でも食生活は豊かではありません。ほとんどの
86 PART 7 こんなこともしてみよう アイスホッケーはカナダの代表的なスホーツ ■スケート ラーホッケーも人気だ。 人気の幅も広い。また , 最近は , ローラープレードをはいて行う , ロー ュラーなスポーツだ。国技といってもいいくらいで , 子供から大人まで カナダでホッケーといえば , アイスホッケーのことを指すくらいポビ ■ホッケー トリンクとなることで有名だ。 軽に楽しめる。オタワのリドー運河は冬には凍結し , 世界一長いスケー スケートリンクに早変わりする。靴はレンタルで貸してくれるので , 気 ートもその一つで , 東部のトロントなどは , 公園や広場の池などが冬は 冬の長いカナダでは , 冬を楽しく過ごすスポーツは欠かせない。スケ
163 カナダの子供たちとの交流 っていっても途中で広げてしまい , わからなくなる子もいたりして , ち ょっと大仕事だった。きちんと折り畳むことが大人でもむずかしいよう で , みんないびつになってしまった。が , その中で東洋系の子はきれい に作るなあと思った。あとで聞いたら , 自分の故郷でも paper craft を つくるからということだった。作品はクリスマスツリーの飾りにするこ とになった。 2 時間足らずだったが終わるとどっと疲れが出た。先生に「毎日やれ ば慣れるわよ」と言われ , ちょっと倒れそうになった。 しかしこの後 , C さんの子供の通っている High Sch001 でもやるこ とになった。今度は担任の先生が一人でクラスの人数も多かった。以前 と同じようにやり始めたが , こっちのほうが静かで緊張した。みんなお となしくてあまり質問してくる生徒もいないで , つまらないのかな ? と思ったが , 休憩時間になると , 急に打ち解けて話しかけてくれた。 カメラを持っている生徒がいっしょに写真を撮ろうと言い出し , それ からしばらくは撮影会になってしまった。父親が日本に住んでいたこと のある生徒がいて , いろんな話をしてくれた。 そこでも折り紙をやることになり , 今回も鶴を作ったが , また大騒 ぎ。私はあちこちの席を駆け回り , 最初とは全然違う雰囲気になり楽し かった。中には「ガキッばくてやってられない」という感じの生徒もい たが , 皆自分で作ったものを感心して見ていた。帰り際 , 先生からお礼 にケベックのカレンダーと皆の寄せ書きのカードを頂いた。 また後日 , 小学校のほうでも C さんを経由して生徒から手紙をもら った。 C さんはクラスでコンピューターの授業を持っていて , その時間 に書いてくれたらしい。自分の住所を書いてあって「手紙を書いて ! 」 という子が多く , 喜んでくれてよかったと思った。また , C さんの話だ と , 先の東洋系の子たちは白人のクラスの中では仲間外れになりがちだ ったが , あの時から皆に一目置かれるようになり自分に自信を持てるよ うになったということだった。もし私が少しでもそのことに貢献してい たら本当にうれしい。 あまり , たいしたことはしなかったが貴重な経験だった。東海岸は保 守的でアジアは遠い存在なように聞いていたが本当だと思った。しかし 逆に人に言えるほど私は自分の国のことをよく知っていないこともわか った。そして今回一番感動したのは , まったく面識のない私に貴重な授 業時間を与えて下さった先生たちのおおらかさだった。 000501 ( 10 )
162 PART 9 ワーホリ体験記 ・子供たちからの 手紙 (Part 2 ) To 0 Ⅱー亠 b ー亠Ⅱ ー当 ・、 1 Ⅱ 1 いいⅡ、 佃新一・′を 0 襯を影 0 ′ョ物 23 2 物 滝・影動ツ 0 既 軈ト汐 0 物諸をー 第住佃霈・ .0. れ , 屮Ⅷ•v ーリーれ竑 . 研れ屮“・ ut Ⅷ・ 賜れリュー“リ可ーー , ル " 1 0 れル「 fr . 准れ嬲ーれ嬲 0. m リ happy fr 日 0W20 YO De ーマ 03 ュ、四
平均的な家賃 覚えておくと役にたっ施設・店 電話の引き方 3 仕事を探そう ソーシャ丿レ・インシュアランス・ナンノヾーを取得しよう 仕事探しの武器はこれだ ! 仕事はいつ ? どこで ? 仕事の探し方 応募 , そして面接 税金の払い戻し ( タックス・リターン ) について 主な仕事と平均賃金 PART 7 こんなこともしてみよう ーアウトドア・スポーツにわ戦 ! 2 ボランティアを体験 ! 3 運転免許を取得 ! PART 8 こんなトラブルにあったら ? ー病気・けが編 2 盗難編 3 住居編 アバートメント 4 自動車事故編 5 仕事編 6 紛失編 7 その他 PART 9 ワーホリ体験記 「三人のババと私」 ( 密本雅子 ) ずうっとカナダに住んでいたい ! ( 鈴木直子 ) 自然も , 人も , すばらしい ! ! ( 高村将名 ) 圧巻 ! ! カナダ横断の旅 ( 寺村弘恵 ) カナダは , 格好の人生経験の場 ( 田辺さおり ) 「カナダ」は僕の財産 ( 志水慶太郎 ) カナダの子供たちとの交流 ( 小島智子 ) 朝 死 100 102 1 も 5 108 ⅱる に 9
ー持ち物をそろえよう 両手が使えるという利点がある。ただ少し大げさな感じがするので悩む ところだが , 実際のところは半々のようだ。 スーツケースで行った人は旅行する前に ( ほとんどが帰国前 ) に現地 でバックパックまたはスボツ六ッグを購入し旅行しているようだ。そ して , 住んでいたアパートを引き払って旅行に行く場合はスーツケース に不要な荷物を詰め込んで日本へ船便で先に送ってしまう。バックパッ クの人も荷物が増えたら日本へ送ったり現地で処分し , 身軽に移動・旅 行している。やはり , 移動には身軽が一番である。 お土産を持っていこう ホームスティ先 , 現地で知り合った人たちにあげるお土産を用意して いこう。ポイントは「あまり高価でなく , 日本の文化を伝えるもの」 だ。安くても心のこもったものが一番だ。そして , 軽くてかさばらない せんす ものがよい。例をあげると , 扇子 , ふろしき , 絵はがき ( 日本の説明に もなる ) , 折り紙 ( 折ってあげる ) , 小さなぬいぐるみ ( 子供には喜ばれ る ) , 5 円だま ( 外国で穴の開いたコインは珍しい ) , 切手 , 使い捨てカ イロ ( 現地にはない ) , 雑誌 , 凧 , 紙風船 , げた , けん玉 , お手玉 , 日 本紹介の本 , 日本料理のレシピ , などなど。使い方や遊び方を説明して あげるのもよいだろう。 2 0