・・ひとりでいいの 227 「どうしたの。え ? 」 星野の優しさが、受話器を通してまどかの心を溶かしていった。 「何か声聞きたくなっただけ。ごめんね」 声だけじゃない、顔も見たい。もうずいぶん長い間、会っていないような気がする。 「星野さん、明日会えない ? 」 「ごめん、ダメなんだ」 一瞬のためらいがあって、星野は言った。寿子と映画の約束があった。 「イヤ。会って。ひとりでいられない」 「津村さんは、どうしたの ? 」 星野の問いを無視して、まどかは言った。 「お願い。星野さんと会いたいの。ね、ね、無理して。ね ? 「ごめん、約束があるからー 「イヤ。会いたい」 「何か急用 ? 」 「あなたと一緒にいたいの。それだけじやダメ ? 」 まどかは、涙のツポを押した。涙があふれ声がうるんだ。 「会いたいの。一緒にいて」
103 ても、津村さんと一緒にいたい」 「気持ちのない男と一緒にいるのは、ビニールの人形といるみたいなもんよ」 の、それでも : : : 」 「それでも津村さんといたいの。いい 僕は、小さい時母親に捨てられた子でね、と津村は言った。それ以来、どうも人間のつ ながりとかってのが信じられなくて、恋愛ってのもしたことがない 私が直すわ、とまどかは思っていた。星野のところに行って拒絶され、津村を好きなこ とがはっきりした。私は、津村さんと恋愛するの、そう決めたの : : : と思っていた。 暖かく晴れた朝である。会社の入り口の近くで、星野がまどかを追い越しながら、唇を チュッと鳴らした。 9 「おはよう ! 僕のヴィーナスー それは、まどかがもはや特別の存在ではなく、その他大勢に格下げされたということで とある。まどかは、少し傷ついた。 「オッ、今日はまどかちゃん、黒いセーターか。黒着ると、もう抱きしめたいほど可憐だ ねえ」 久保係長がほめちぎった。
142 胸から離した。 「こういうバカなことはやめなさい」 「え ? 」 「君がしたいなら結婚はする。とにかく今日は帰って」 津村は面倒臭そうに言った。まどかは必死だった。 「だって私、出てきたの。帰れないわ」 「車拾ってあげる。行こうー まどかの言うことには耳を貸さず、津村はグングン歩き出した。 「待って ! まどかは走って津村の行く手をさえぎった。 「寿子さんが好きなの ? 」 津村の顔に、かすかなかげりが走った。まどかは懸命に言った。 「私の方が寿子さんより若いし、きれいだと思っています。私に足りないことがあるなら 言って下さい。私、何でも努力するし、あなたが楽しく暮せるようにします。だから言っ て。私はあなたと一緒にいたいの。愛情なんていらないから、あなたと一緒にいたいの。 いたいのよ ! 」 自然に涙があふれてぎた。涙のツポなんか、触れる必要もなかった。
・・ひとりでいいの 127 さんがだそ。君には男を愛するなんて、できないよー 寿子が叫んだ。 「やめて ! 」 寿子は、昨夜の津村を思い出していた。子供のように頼りなげだった。一緒にいてくれ という彼を、寿子は拒んだのである。寂しくなるだけの恋を終わらせた以上、絶対に情に 流されるのはイヤだった。 星野は責めたてる目で、まどかを見つめていた。まどかの目に涙が盛り上がり、まどか は椅子の背にもたれて泣いた。もうどんなことをしても、津村は自分のところに戻っては 来ない気がしていた。
「私って、魅力ないから」 ハラハラと涙をこぼしながら、まどかは星野を誘った。今夜だけつきあってくれる ? 悩み聞いてくれる人、誰もいないんだもの : : : 。何も口に出さなくても、すでに星野はう なずいているようなものだった。 「今日ね、星野さんとデート」 退社時刻、ロッカーで着替えながら、まどかはルミ子にささやいた。 「えー円津村さんは ? 」 「冷たいの」 「だからって、星野さんなの ? 「甘えたいの」 「それって : : : ひどくない ? ルミ子は眉をひそめたが、まどかは平然としている。 「誰でもいいから甘えたいって、あなた、ない ? 「あるけど : : : 普通実行しないわよ」 「津村さんと一緒にいたいわよ、私だって」 まどかは、ため息まじりに言った。
158 二枚目の書類に、津村があまりにも簡単に判を押したので、まどかは激しいショックを 受けていた。まどかの計算では、驚いた津村と話合いの場が持たれ、改めて愛しあうとい うシナリオだったのである。 「ちょっとコビー室へ : : : 」 まどかは小声で津村に言った。やれやれという表情で津村は立ち上がった。 コビー室に入るや、まどかはニッコリほほえんだ。 「合格よー 「私、あなたが私のセンスについてこれるか、とっても心配だったの。でも、冗談冫を こよ〔几 談で切り返す。うん ! 十分あなたは、私と一緒に暮せるわ」 「まどかちゃん」 第六章
139 突然、まどかが立ち上がった。 「私、津村さんのとこ行く。もう帰ってこないから」 「まどかー すそ 芳枝があわててスカートの裾をつかんだ。 「ほっとけない」 「お前の手に負える男じゃないよ ! 」 言った真一を、まどかは涙をいつばいためた目でにらんだ。 「一緒に暮します」 芳枝が、ふっとスカートをつかんでいた手を離した。 「止めない」 まどかは芳枝を見つめた。 の 「だけど、泣くんなら後にしな。好きな男が見てないとこで、何で泣くの。そんな涙なん かゴミみたいなもんよ しか 芳枝は叱りつけるように言った。 ひ 「そこまで好きなら、さっさと出てってそいつの前で泣きな ! 」 まどかは、手の甲でグイと涙を拭いた。 「私は好きな時にいくらでも泣けますからー
星野は、さっきからずっと眺めていた写真を、思い切ったように段ボールの箱の中へ投 げ入れた。箱の中には、写真や手紙の類が小さな山を作っている。まどかと一緒に写った 写真、まどかからの手紙、まどかからの贈り物。星野は、まどかとの思い出を箱の中に封 じ込めようとしていた。もう別れるしかない。さすがに甘ちゃんの星野も、そう思わざる を得なかった。だが、作業は遅々として進まなかった。捨てるにはしのびないものが多す ぎる : 。やつばり別れなくてはいけないのだろうか : : : 。何とか元に戻る方法はないだ ろうか : その時、ドアチャイムが鳴った。 「はい」と力なく答えてドアを開けた星野の前に、まどかが立っていた。驚く星野の胸に、 まどかが倒れるように抱きついてきた。
306 朱美たち四人組がやってきた。 「私、今日からまどかさんと姉妹になるの」 「ケ、ケッコンするの ? お兄さんとー 「とりあえず、今日から一緒に暮すの」 「今日から ? 」 驚いたのはまどかである。 「ルミちゃん、待ってよ。兄貴がどんな男かわかってるでしよ。あなたの両親に何て一一 = ロう のよー 「反対されても平気。私自身の結婚だもん。それに真一さんは私に指一本触れなかったの よ、昨日。それだけでも信用できるわ」 黙って聞いていた朱美が恥しそうに言った。 「実は私の彼は指を触れつばなしでね、赤ちゃん出来ちゃった」 「えー円朱美、ホントに ? 」 「うん。会社やめて結婚する」 「おめでとう ! 」 公子が真顔で言った。 「私の方は別にめでたかないけど、私も来月会社辞める。それで税理士の学校へ行くこと
267 「明日にでも籍を入れて、一緒に暮そう」 : ごめんなさい。私、やつばり結婚できない」 静かだが、きつばりした口調だった。 「あなただってそうなはずよ。急に籍を入れるなんて言う人じゃないもの」 津村は素直にうなずいた。寿子が優しく笑った。 「初めて女を愛し始めて恐いんでしよ。性格が変わりそうな気がするんでしよ」 「八つの時から女を恨んで生きてきたからな。今さら女を愛したりしたら、俺を支えてき た過去は何だったんだということになる」 寿子はそんな津村をいとおしむように言った。 「もともと意味のない過去だったのよ。愛せる女と会ったんだもの、素直に愛しなさい 9 「嫌だ」 「思いきってあったかい暮し、なさいよ [ 「いらないね、そんなものは」 ひ そう言いきらなければ、自分の中の何かが崩れてしまう。ことさらに冷たく、津村は言 うしかなかった。 「君はやつばり星野と結婚したくなったのか」