美人のどこがいけないのよ。きれいじゃない女ってひがむからホントに面白いわ。 女にとって美しいものは何だって武器なのよ。顔だって、性格だって、頭だって他人より すぐれているものは何だって美しいし、何たって同じように武器よ。性格が美しいのは正 しくて、顔が美しいのは周囲に気をつかうなんてチャンチャラおかしいわ と心の中でも思っていたし、それを隠そうともしなかった。それが女の同僚たちには、 ごうまん 鼻持ちならないのである。だが、まどかは決して傲慢な女ではなかった。自分の長所を長 所として、率直に認めているだけだった。その長所が、好感を持って受け入れられる「心 の優しさ」や「性格の良さ」ではなく、たまたま反感を買ってしまうほどの「美貌」であ ったというだけのことだ。 「まどかのヤッさ、営業の星野さんと結構いい線なんだって」 若菜がシャクにさわってしようがないという顔で、朱美に言った。 「あのキザ男、女の趣味悪すぎるよオ。まどかを選ぶなんて最悪」 言った朱美の腕を、若菜があわてて引っぱった。廊下の向こうから、その星野がやって きた。 「おはようございます ! 」 今までとはガラリと変わったしおらしさで、若菜と朱美は声をかけた。 「おはよう ! 僕の女神たちー
「あの : : : もしかして、津村課長ですか ? 」 「そう」 まどかは、さっき自分がされたと同じように素早い視線で、津村の全身を見回した。長 身、ほどよく甘いマスク、もちろんおなかは出ていない。仕立てのよさそうなダークスー ツ、趣味のいいネクタイ、ものおじしないまなざし。ニーヨークあたりのエグゼクティ ヴというのは、こんなふうなのだろうか うん、合格 ! まどかは、思わず小さくうな ずいた。 「私の課長ですね。どうそよろしく」 しい男を見ると反射的に媚びた笑顔になってしまう。津村は、たじろぐことなく、それ を受け止めた。 「そうか。まどかさん、総務かー あの : : : どうして私のこと ? 「廊下で、噂話聞いた」 津村は、あっさりと言った。 「悪口ねー まどかは甘い声で言って目を伏せ、表情たっぷりに目を上げた。津村に向かって、早く も自分の魅力の総動員を始めている。男、特にいい男に向かった時の、まどかの習性みた
238 アに額を押しつけ、中の寿子に向かって言った。 「今日の約束、寿子さんは無理しないでって言った。まどかは絶対に無理してって言った。 寿子さん、俺とほんとに会いたきや、無理してって言って下さい」 答えはなかった。無理して、と言えない女の気持ちを、星野は推し量ることができずに 真一は、出勤するまどかを待ち伏せた。丸の内のオフィスまで、まどかは毎朝バスで通 う。バス停へ向かう川べりの道に、真一はべンツを停めて待っていた。まどかが、真っ白 な軽いコート姿でやってきた。 「お兄ちゃん : ・ べンツから降りた真一に、まどかは反射的にあたりをキョロキョロした。大好きな兄だ が、やつばり他人には見られたくない兄なのである。 「津村とどうなったか、気になってな」 二人は、子供の頃のように橋の欄干に寄りかかって立った。 「私ね : : : 抱かれたの」 まどかが淡々と言った。真一は、思わず妹から目をそらした。ついこの間まで一緒に暮 しし気持ちのするものではなかった。 していた妹のそういうなまなましい話を聞くのは、、、
180 笑って言う芳枝を、ルミ子はじっと見つめた。真一がどんな立場の人間か、改めてわか ったような気がした。 積み上げられた商品の中を縫うようにして店の出口に向かっていた真一は、居間から聞 こえてきたまどかの声に、足を止めた。 「私は津村さんしか嫌なんだから。ほっといてよ、もう」 まどかが叫んだ。 「何と言われようと彼しかいないの。そりや私は顔だけの女で愛されてないし、結婚して もらえないかもしれないわ。ただ、津村さんが私以外の人と結婚して、私以外の人とごは んを食べて、私以外の人とキスして、それで : : : かわいい子供を抱っこしている姿を思い 浮かべるのよ、今から。私以外の人が生んだ子供よ。思っただけでとり肌が立つのよ。も しも本当にそうなったら、私 : : : 」 みんなが沈黙した。さっきまで寿子と飲んでいて、まどかが津村に振られたことを聞き、 思わずここへ来てしまった星野が、自嘲するように言った。 「俺、別のヤッ探せって言いにきたんだけど : : : 言えなくなっちゃったな」 「まどかさんの言うこと、わかる。私も同じこと考えるもん」 ルミ子のつぶやきに重なるように、まどかの泣き声が聞こえてきた。真一は、妹の思い の深さを痛いほど知った。面と向かってではなく、陰で声だけを聞いていると、なおさら
ルミ子は、まどかにそのことを こんなにときめいた人は、初めてなの 問題じゃない。 告げたいと思ったのだが、とうとう果たせぬうちに昼休みは終わってしまった。 風呂上がりのひととき、眠りにつくまでの時間、鏡に向かって顔の手入れをするのは、 まどかの大切な日課だった。ドレッサーに化粧品を並べ、ていねいにマッサージする。家 はごく庶民的な作りの古い日本家屋である。二階のまどかの部屋も和室で、畳の上にカー ペットを敷きべッドを置いてある。家具も決して高級なものではない。だが、カーテンや べッドカ くーは淡いビンク、ロッカーの中には、選び抜いた洋服がたくさん詰まっている。 ドレッサーの他にも姿見がひとつ。チェストの上にも鏡が置いてある。まどかは、自分の 顔を見るのが好きだった。この部屋で鏡に向かっている時が、いちばん幸せだった。けれ ども、今夜は少し違う。 の ラジオのディスクジョッキーが、。ハレンタインの近いことを告げ、ラ・フソングを流し始 めると、まどかは立っていって不快げにスイッチを切った。優しい一一一一口葉ひとっかけてくれ で となかった会社での津村を、思い出したのである。 結婚の約束までしておきながら、あの態度は何なのかしら。確かに私は好かれてな Ⅱいかもしれない。でも私は好き。いっか必ず振り向かせてみせるし、たとえ振り向いてく れなくても私は結婚するわ
266 まどかは、額を押しつけて泣いていた柱から顔を上げた。 「今日、帰りません」 ・ししょ まどかの涙に濡れた顔が輝いた。しかし、それを打ちくだくかのように、津村は言った。 「好きなだけいなさい。僕が寿子の所へ行くから」 かぎ 津村は部屋の鍵をまどかに押しつけると行ってしまった。 なんて嫌な男だ、俺はーー津村は、激しい自己嫌悪を感じながら、寿子のマンションに 向かった。 ドアを開けた寿子に、津村は言った。 「泊めてくれないか。まどかが来て : : : 」 寿子は、黙って津村を見つめた。津村はたたみかけるように言った。 第十章
「私って何てきれいなのかしら」 」川まどかは、 O< 機器のショーウインドーに映る自分の姿を、じっと見つめ、思わず つぶやいていた。 葉の落ちた街路樹が寒そうに立っている朝のオフィス街、人々は皆、コートの衿を立て るようにして急ぎ足に通り過ぎていく。まどかは、ショーウインドーに向かって髪を直す の と、自分の顔にほほえみかけた。 で 女は見た目より心って必ず言うけれど、それってほんとに男の人の本音なのかしら ね ? 私は違うと思うの。誰だって、きれいな女を自分の恋人や妻にしたいに決まってる。 でも、そういうことをはっきり一一一口えるほど、自分に自信のある男なんて、そうはいないで しよう ? ほとんどが、最初から並みでいいやってあきらめてるのよね。でも、もしかし 第一章 えり
248 長野に行こうとする津村にしがみつき「行かないで」と人目もはばからずに絶叫した時、 まどかは憑き物が落ちたような感じを味わった。 「お母さん、私、生き方変えるから」 まどかは芳枝に宣言した。 「津村さんに近づかないって約束したの」 芳枝は怒鳴った。 「ほんとの恋がどうしたとかいって、結局星野も津村もダメにしたわけ ? 」 まどかはうなずいた。 「お前は顔だけの女なんだよ。なまじ頭いいぶってグチャグチャ考えるから、こういうこ とになるんだ」 「お母さん、娘に向かってよくそういうことが言えるね」 コ一一一口えるわよ。人がせつかく幸せ考えてやってんのに」 まどかはため自まじりに一一一一口った。 「お母さん、私の育て方間違ったね」 そんなことをまどかに言われたのは初めてだった。
310 変わらない調子で津村は言った。 「恋人ってことよ まどかは念を押した。 「待ってる。毎日待ってるー それでもまだ信じられなかった。あんなに拒絶しつづけた津村だから、いっ気が変わる かわかったものではない。 「まどかー 津村が、暖かな笑いを含んだ目を向けた。 「人間臭い僕は嫌い ? 」 まどかはすかさず言い返した。 「打算的じゃない私は、嫌い 顔を見合わせて、二人は笑った。 津村と別れて、まどかはひとり家に向かった。並木のイチョウは、まだ芽吹いてはいな かったが、通り抜ける風に沈丁花の香がした。 真一の死も知らず、まどかは笑いが一人でにこみあげてくるのを感じていた。 津村さんとうまくいき始めたこと、お母さんとお兄ちゃんにまっ先に話さなくちゃ
まどかにはもはや返す言葉もなかった。津村は、手渡された紙袋を無造作にまどかの手 幻に押しつけた。 「ありがとう。気持ちだけいただく。もう二度とこういうことはしないで」 ドアが閉まった。そのドアに向かってまどかはつぶやいた。 「負けないもん : : : 」 その肉ジャガとサラダを、まどかは夕食のテーブルにのせた。容器のフタには、注意書 きのラベルが貼ってあった。 「肉ジャガ五分ほどあたためて』 『サラダドレッシングをかけて』 芳枝がじっと見ているので、まどかは照れたように笑った。 「食べ方、わかんないと思って」 まどかは、容器のフタを取った。 「あっためなくても、 しいよね」 箸に突き刺したジャガイモを、まどかはいたずらっぽく笑いながらロに入れた。 「まどか、もうひとっコンセプト」 芳枝が言った。 「いい女は、男に泣かされちやダメ」