0 家にも運かある 長寿という運がその人自身の 差配ではどうにもならないよ、つに、 、家の場合も同様だ。 時代ごとに住む人か現れて 同じ場所で生きながらえることは、 めまぐるしく変わる 現代の住宅事情からすれば 奇跡のようなことだ。 はるばる米国から越してきた一家は、 そんな築八十年の京都の町家に出会う 写真・飯貝拓司文・佐野山佳設計・柳沢究 一ー亂辷 庭に面した食堂。古い引き戸やガラスの欄間を通して、新しい床や壁や天井にやわらかな日差しが届く。 43
名前のない道 、つつわのことわり 1 文・赤木明登 あかぎ・あきと 塗師。 1962 年岡山県生まれ。 中央大学文学部哲学科卒業後、 編集者を経て、年輪島へ。 輪島塗を修業後、年独立。 著書に「漆塗師物語』「美しいもの』。 揺さぶられて 三〇〇七年、能登半島地震があった年。春の宵。ばくは久しぶりに「にし ぐち」に酒を飲みに行った。にしぐちは、ばくが三十年前 ( 一九八四年 ) に 初めて輪島を訪ねた日、案内をしてくれた漆芸家の角偉三郎さんに連れて行 かれた居酒屋だった。その人も今はいない。かって、文化人類学者のクロ 1 ド・レヴィ料ストロ 1 スが、輪島の職人文化を調査するために、この店をフ ィールドにしたという伝説が残っている。職人街の小さな木造住宅の建て込 んだ路地の奥の方に確か店はあった。夕方になると、仕事を終えた漆職人が 一杯やりに、そこに集まってくる。あの地震のあと、まだ訪ねていなかった ので、この居酒屋も無事なのかどうか少々心配していた。弟子に車で送って もらい、路地の入り口に立ってみる。 「あれ ? ない」 あの路地そのものがないのだ。暗闇に目を凝らす。「あっ ! 」と小さな声 が出た。 「あった」 確か路地の奥まったような場所にあったはすの店が、広場の真ん中のよう なところにポツンと建っている。両隣とお向かいが全壊して、すでに更地に なってしまっていたのだ。 「よくそれで、ここだけ建っていたもんですね」 「それがあんた、右側の家と、左側の家が傾いて両方うちの方に寄っかかっ てきたもんで、うちは挟まったまんま、真っ直ぐ建っとたんよ。ここなんか いちばんに潰れそうやったのに」 そう言ってにしぐちのママが笑う。カウンタ 1 には、顔を知っている職人 さんたちが何人かいる。並んで飲んでいるのは下地職人と蒔絵師。輪島では、 同じ漆を塗る職人さんでも、工程ごとにいろいろな職種があって分業化して いる。大きく分けると、木地作り専門の人、塗り専門の人、加飾っまり模様 をつける専門の人。下地職は塗りの一工程を担う。蒔絵は、加飾の一種だ 輪島の景気がいいころは、ここにも客があふれていた。狭い店なので、席は おおよその時間、誰が座る場所なのかが暗黙に決まっていたから、余所から きた者が勝手に座る場所などない雰囲気。当時まだ、若かったばくは、立っ 名前のない道 136
暮らしを知るひと 第 9 回 海が見下ろせる高台にある葉山の家は、昭和十五年 に建てられた数寄屋風の屋敷に手を入れた別邸。 夏に家族六人で過ごすことが多い。手間がかかると いう意味ではこの上ない代物だが、ここが最も落ち 着く場所なのだそうだ。 土蔵もある日本建築を、京都から呼び寄せた庭師 や大工、左官を動員して修復し、樹木や草木が生い 茂る庭とともに蘇生させた。夫の写真家、上田義彦 さんは無類の普請好き、古いもの好きで、すっかり アンティークの境地に入ったこの家にはまり込み、 しばらくはこの地に住み込みながら職人と渡り 合い、丁寧に時間をかけて直していったという 基本は日本建築だが、ダイニングルームの床は斜めの 市松模様に大理石が貼られており、台所には中国の 欄間から移したという木のパネルがびたりとはまり モデル女優 桐島かれん K a r e n 一「一 S 一 a
三谷龍二さんと信州で見つける 「すぐそばにある、 特別な場所」 松本で暮らす、木工デザイナーの三谷龍二さん。 散歩の途中に見つけた場所で、みんなで食事をする。 ただそれだけで「特別な場所」になる。 信州の四季のなかで味わう「小さな祝祭」。 三谷さんはいう。 「大切なことは、誰かが用意するものではなくて、 自分で発見するものです」と。 写真・三谷龍一一良品計画 文・田川公子 第参 = のを 企特 画別 4 月。信州の春はまだ足 踏み状態だ。それでも、硬 い針金のような雑木林のと ' ころどころに、ふわっと淡プ ! い色がひと刷毛、ふた刷毛。をイ 地面を見れば小さな緑も目 に入ってくる。そんな季節 三谷さんは川のほとり にみんなを案内した。松本 うしぶせ 市の南の郊外、牛伏川の上 流だ。 「いいところなんですよ 料理ができるような炉もあ るし。なのに人はあんまり 来ないみたい」 三谷さんは、だれも知ら ない素敵な場所を見つける 名人だ。 「少し足を延ばすだけで、 自然を感じられるのが、こ の松本のいいところです。 ーのほとりで
第邸 3 い、、を、 , ゞ当い ーギ , ギ論齢芹学噐い ”瞿器駲畿諸器置第い 第畿黯響畿嚶製要 : 、 Found MUJI 自分で見つける 「大切なもの」 「探す、見つけ出す」とい う姿勢で暮らしを見つめて きた無印良品。 2003 年から は、「 Found MUJI 」として、 世界中のさまざまな暮らし の中から生まれ、使われて きた日用品を、今のわたし たちが求める水準に合わせ て仕立て直してきた。 2011 年には、東京、青山の無印 良品一号店を「 Found MU JI 」の拠点とした。 2013 年から 2014 年にかけ ての「 Found MUJI 信州」 は、松本に暮らす三谷龍二 さんといっしょに、信州の 美しい自然を感じられる、 とっておきの場所を探して、 小さな祝祭をもとうという 試み。信州の食材を使った 料理を、信州の作家がっく った器に盛って参加者と食 卓を囲み、三谷さんの指導 で木を刻んだり、森の中を 歩いたり、野外での音楽を 楽しむなど、ささやかな非 日常の時間を過ごした。 四季を通した活動の総集 編、 Found MUJI 信州『す ぐそばにある、特別な場所』 が、 Found MUJI 青山にて 5 月 29 日から開かれる。松 本の「 10 センチ」で展示さ れた信州の道具「木と竹と 糸とみずうみ」を中心にし た展示と、信州の手仕事の 品々の販売を予定している。 わらじの足先につける 「つまがけ」 販売に使われた 「林檎籠」 山菜の乾燥などに使う浅い 「道具が、その働きを終えして「川センチ」に集めた。 て、ただそこにある物体の 雪深い山で採れる根曲が ように静かな存在になったり竹を使った籠は、林檎を 時、老いた人のように、そ販売するときに使われた。 のものが生きた暮らしの時柄のついたすいのうは、ざ 間のようなものが、より鮮るとともに蕎麦のために欠 明に見えてくる」と三谷さかせない台所の道具だ。大 んはいう。 きな白い紙の袋は繭を出荷 かって信州は、どの家でするときに使われたもの。 も蕎麦を打ち、林檎を育て、屋号が型紙印刷されている。 蚕から糸をとり、湖で魚を装飾することを一切考え 穫って生計をたてていた。 ない形。ただ必要な仕事を 雪に閉ざされる冬の間、するためだけに、ていねい 人々は竹を割き、藁を編み、につくられた形。その用か 木を削って、仕事のためのらも今は解放され、「川セ 道具をつくった。三谷さんンチ」の白い空間に置かれ は、戸隠、木曽、岡谷、諏た道具たちは、静かな美し 訪に今も残る道具を、「竹さを新たに与えられたよう と木と糸とみずうみ」と題に見える。 信州の暮らしの道具 丈夫な紙でつくられた 「繭袋」 茹でた蕎麦をすくう 「すいのう」 しなやかで美しい 「蠅叩き」 ロ期間 5 月 29 日 ( 木 ) ~ 6 月 12 日 ( 木 ) 11 ~ 21 時 ( 日曜・祝日のみ ~ 20 時 ) ロ場所 Found MUJI 青山 東京都渋谷区神宮前 5-50-6 中島ビル 1 ~ 2F Tel. 03-3407-4666 112
込入担 円 6 払加 常金負 通料者 百 9 圭月 一 1 = ロ 株会 替 o 口座記号番号加入者名金額ご依頼人料金備考 記載事項を訂正した場合は、その箇所に訂正印を押してください。 切り取らないでお出しください 0 2 払込取扱 通常払込料金 0 2 東京 加入者負担 金千 : 百十 : 万 : 千百 : 十 : 円 ロ ) 言己・号 : 番一号 0 : 0 : 1 : 8 : 0 6 6 ! 8 6 : 6 . 4 額 4 9 弓 : 6 新泰ル - 第館 季刊『住む。』年間購を申し込みます ご住所〒 芳名 電話番号 通・送り先が振込人住所、氏名と違う場合、また送り先が 複数の場合は以下にご記入ください。 ( 電話番号 裏面の注意事項をお読みください。 ( ゆうちょ銀行 ) ( 承認番号東第号 ) 印 これより下部には何も記入しないでください。 備考 6 田 6 : 6 日附印
主再 義生 町家に 堆積した 土寸間と改修の 記慮を とどめて〇 北京 区都 食堂側から居間を見歴代住人が重ねた改修の痕跡を楽しみながら、また新たな場所に生まれ変わらせた。 42
住まいと隣り合う仕事場。一階作業場はいま、工事進行中 震災で実家は半壊。原発の避ない、文化も違う場所ですから。んに話しかけている。短い期間 いまはね、もう迷ってません ことだ。場所か変わっても、建 難区域にはならなかっ、たものの、でもまわりの人に、とてもよく に、安藤さんたちかどれだけ人ここへ来て、ほんとによかった物か変わっても、暮らし方は変 直後は線量が高く、当時は一歳してもらいました。住吉は気候 との関わりを大事にしなからこ と思ってます」と晴れやかに微わらない こで暮らしてきたか、その密度笑んだ。 友美さんはいま、故郷の会津 だった創英くんのことを考えて、もよく、台風も少ない下町っ 家族会議の末に移住を決意した。 ほいあったかさもあって、住みかうかがえる 毎年春と秋の田植えと稲刈の木綿を使った小物の制作にもカ 長男は家を継ぐもの、外に出るやすいです」と英寿さんか一一一口う 友美さんは当時のことを「私時期には福島に帰る。英寿さんを入れている。自宅の一角に設 けたアトリエにあるミシンを踏 など思ってもみなかった。けれ安藤さんたちの話を聞いている は正直なところ迷っていました。 は「こうやって三年間、行った ども迷いはなかったという「大と、まるですっと前からそこに 大阪は土地勘もないし、仕事だ り来たりしていると、大阪と福んで、手提げや名刺入れなどを つくる。着物の仕立ての注文も 阪に知り合いがいたわけではな住んでいるみたいに、近所の人ってどうなるかわからないで島は近いですよ」と言った。 も誰のことを一番に考えるのか、 蔵に住んでいたときと同じよ受け、反物の卸しもやっている いんです。できるだけ福島からのことや、大阪や京都のたくさ んの友人知人の話題が出るエそのためにどうするのがいいカ、 遠いところへと思いました」。 うに、自分たちで手を加えなが「会津木綿のよさをたくさんの人 ら住まいをつくってそこで住み に知ってもらえたら」。春に店 たまたま大阪に店舗付き賃貸住房や店舗を飛び出してワークシ と思ったらやはり福島を離れる 宅を見つけたので、ともかく一 ョップを開いたり、仕事の行動ほうかいいんだと思いました。 働く家が働く場所でもあるこ舗が完成したら、ショップ「ク 日も早くと考えて大阪に決めた。 ラニスム」でも本格的に販売を 範囲も広い。四歳になった創英子供の健康には代えられない。 とは、代々の農家の家に育った 「覚悟してきました。友人もい くんが、達者な大阪弁でお母さ ともかく行ってから考えようと。英寿さんにとってはごく自然な始める予定だ
朝 4 , , 。粤朝第ド 誰にでも、ひとり暮らしの高齢者はとくに、自分の家の他にもうひとつ、歩いていけるところに居心地のいい場所があったほうがいい。 苔むした石壁の向こうは高台にある諏訪神社の参道。この路地沿いに住む人々がしているのだろう、間隔をおいて道に盛り塩が 食堂にしたい空き家には小さいけれど庭もある。そこにもテープルを置いてテラス席をつくる。道ゆく人に挨拶されながら食べるんだ。 浦太岐店
1 仕事場の工房スペース。ま だ施工途中。春には完成させる 2 オリジナルの家具もつくる、 修理も受ける。買い付けた中古 の家具を直して、 2 階の店舗で 販売もする。最近は内装の仕事 も増えている。 3 工房の 2 階にある家具のシ ョールーム兼店舗。塗装などは、 友人たちの手も借りて施工した。 4 昭和初期につくられたこの 長屋の、構造がよくわかる。継 ぎ足しの柱や梁が面白い。 5 ディスプレイの一部は、生 活提案のようなコーナーに。定 期的に見せ方も変えてゆく。 6 店舗は、いずれはワークシ ョップなども開けるような場所 にしたいと考えている。