( 後ろの私に、気付いていたのかしら ) 園長先生も見ておられたようでした。 ある日、一人の女の子が走って来ました。 「また一緒に体操しようね。お約束だよ」 「おばあちゃん、もう体操覚えた ? いつも同じ女の子の可愛い手が、私の手を握ります。 所で間違うでしよう。 ししこ一つよ」 「小さなお手て、大きなお手て、お手てとお手て 私が間違うところを、指導してくれたのです。で、仲良しこ良しのお約束 ! 」 子供のアンテナは全開で、ちゃんとチェックが入私が唄いながら手を合わせると、女の子がとび っていたようでした。大勢の園児が話しかけてく きりの笑顔を見せて、運動場へと走って行きまし れ、私の日常に朝の嬉しい時間が加わりました。 た。 ( さあ、私も頑張ろう ) 風邪を引き、しばらく朝送りを休んだ時のことで 子育ては、千差万別です。子供一人一人の個性 物 宝す。久し振りに園に行くと、あの女の子が飛んでとゆっくり向かい合って、前に進んでいくことだ 来ます。 と思っています。微力ながら、私も少しだけ子育 ん み 「おばあちゃん、風邪よくなった ? てのお付き合いができ嬉しくなりました。小さな も ど 私の肩をトントンと叩いてくれました。 友達を持っ私は、とても幸せなおばあちゃんなの 【第四回最優秀賞】 「お元気になられましたか。また、一緒に体操をです。 なさってくださいね」 0
かけても、入ることが出来ない。 いつの間にか、私も一緒に泣き出してしまった。 「ごめん、ごめんね ! 外で遊びたいなんて、当 他の子供達にも声がかけられない。 何を言っているのか、緊張感も加わってさつば たり前だよね。本当は、私も色んな人の中に入っ り分からない。からまわりして一人で焦ってしまて、楽しくしたいよ」 ど一つしようもない 自覚すると、益々惨めになる。 私は一方通行なのだ。 そんな押し隠していた気持ちが、一気に吹き出 ダメな親、ダメな大人だなあ : ・とひどく落ち込 んだ。 子供と二人で大泣きした。 ある日、子供が外に出たいとせがんだ。 せ あ 「お部屋で一緒に遊ぼう」 数日後、私は一歳の子供を連れて、初めて手話 サークルへ行ってみた。 そう誘っても外がいいと訴える子供。 す ここならば聴覚障害者への理解もあるのではな ひどく惨めな気分を刺激された。 ん いか : ・そんな期待からだった。 「外はダメなの ! 」 サークルの人に手話を習ったきっかけを聞いて 思わず怒鳴ると、はじかれたように子供が大声 で泣き出した。 みると「近所や幼稚園に聴覚障害のママがいて、 そのくしやくしゃの顔を見て、ふいに私の中で話をしてみたいと思ったの」そういう話も聞けた。 火 意外な話だったが、嬉しい意外だった。周囲が 何かがキレた。 149
加藤貴文 「いってらっしゃ— とした幼稚園の準備、授業参観や懇談。これまで 朝、長男が乗る幼稚園のバスを見送る。多くの仕事が忙しいのにかまけて、気にかけたこともな お母さん方に混じって、次男を抱いて手を振る僕かった、これら一つ一つが、その日その日の最優 の姿がある。さあこれから、洗濯・掃除・買い先事項となった。長男が幼稚園で友達と楽しそう 物、いろいろやることがあるぞ : に走り回る、次男が多くの言葉を駆使して一生懸 四月から一年間、育児休業を取った。職場には命に何かを伝えようとする・ : 。子供たちの成長に 迷惑をかけるかもしれないが、我が子の幼い時期自分が積極的に関われることの幸せは、思った以 は一度きり。共働きの我が家だが、できるだけ子上だった。 供たちと一緒に過ごすために、妻から引き継ぐ形以前は、働いている僕と家にいる妻が、互いの で、僕の育休生活はスタートした。 大変さを理解できず、言い合いになる場面が多々 普段の仕事とはまったく違う大変さと、充実感あった。しかし、僕は育休を取ってみて、家事や がそこにはあった。洗濯物の仕分け、夕食の献育児の難しさや奥深さが少しわかってきたし、妻 立、次男の健康診断や予防接種、弁当作りを初めも次男の産休以来久しぶりに仕事に復帰して、職 男もすなる育児休業
それを小さな君は知っているんだ。 目をじっと見つめる。 とても美しい澄んだ瞳で。 目が合えば、にこりと笑顔。 心もほっと、肩の力が抜ける。 ーオしたたそれだけのことに、 もちろん言葉まよ、 とても大きな力がある。 人と人をつなぐ大切な力。 子育ては大変だ、難しいと肩に力を入れ過ごし てきた。 何を言っても伝わらない。 我がままだ。 すぐ汚す。 すぐ泣く。 ある日、気付いた。 そんな時、いつもその気持ちを楽にしてくれる のが、君の存在だった。 小さな君の言動。 すぐ隣にいる親ですら、見過ごしてしまいそう なくらい小さく尊い心。 君の心に気付いてから私の子育ては終わった。 私の子育てとは、母である私が子供である君を 作り上げるというもの。 私が教え、伝え、君を正しいものに作り上げる。 君と一緒に成長していこうと思った。 一緒に感じ。 一緒に笑い 一緒に見付ける。 今、君は私にたくさんのことを教えてくれている。 私も小さい頃は持っていた、けれど大人になる につれ、どこかに忘れてきてしまった心。 君は思い出させてくれた。 自然な気持ち。 君からもらった大切な心。 君と一緒に育てていきたい。 216
0 し 馬島友一一郎 て か 「まじまさーん」と遠くから声がする。隣に住むんとは疎遠であった。 だ なおくんだ。なおくんの両親が我が家のとなりに ところが、彼が幼稚園に入った頃から急接近。 越してきたのは、彼が生まれた直後だった。自営毎朝「いってきます」。帰ってくると、「ただい 火 . 業の私は、家にいることが多く、近所の子どもたま」、「まじまさーん」と声をかけられる。庭の草 ア〉・ちとはけっこう顔なじみである。しかし、なおく 取りのお手伝いがきっかけで、庭仕事をしている たらいいのか分からなかっただけなんだ " た今までの不満が吹き飛んだ。 そういえば、たまにお風呂にいれれば湯船で子 ーベキューをする 今、我が家はパパの出番。 どもがウンチしたり、オムツを替えれば前後ろ逆のもプールのスライダーを滑るのもパパでなけれ だったり : ・数々のハプニングがあったよなあ : ・とば満足できない娘たちだ。「いつまで一緒に遊べる 思い出す。そして″夫も私と同じくらい必死に子かなあ。このまま大きくならないでいて欲しいな つぶや 育てのことを考え、大変だったんだ。そう思った。 あ」パパが呟くのを聞くととても幸せな気分にな る。 その途端、もっと育児に協力してよって思ってい 隣のなおくんから 教えられたこと 一つ
ろ」と言われたら「私だって『今が一番若い』んのネタは、新鮮なゴーヤの見分け方から近所の火 だ」と反発し、ママ友集団を見ると「群れたくな事の噂までと幅広い。育児の相談をしたことはな いし、アドバイスめいたことを言われたこともな 、おばあちゃん・ママ・赤ちゃん連れを見る と「親に頼るなんて」、とやっかんでいた。そんな いが、私にとっては貴重な「ご近所さん」だ。息 私は、子供ができてからも近所づきあいがほとん子と手をつなぎながら、夕日がきれいだねと歩け どできなかった。 る今、もう彼は私の膝の上ではなく、一人で椅子 親でもママ友でもない人とのたわいもない会話に座り髪を切られている。 び っ 衞藤準 も と と も ど 「一年前が夢のようだ」生後三カ月の次女を「抱に結婚、七年後、不妊治療の末、念願の長女を授 きずな っこする腕」から伝わる絆。大卒後、すぐに高かった。家事は一切やらない古い夫だが、「ワー 校教諭として二二年間、働き続けてきた。日々のク・ライフ・バランス」を取りながら、理解ある 火 . 教壇で、また、全国優勝を目指す部活動の顧問と妻と一緒に一人娘を大事に「育てている」。率直 な思いだった。 アして、土・日もなく教育に打ち込んだ。一五年前 抱っこする腕 197
となんです。 そんな時、仕事であるおじいちゃんと知り合っ 引越しから一カ月。育児休業中は実家で暮らした。茶目っ気たつぶりの、そのおじいちゃんとあ ていて、復職するためにまた実家から遠く離れた いさつを交わすようになり、何気なく住んでいる 勤務地の近くに引っ越してきたのである。のんび所の話をしていたら偶然にも近所に住んでいて、 あわただ りとした生活から一転、慌しく時間に追われる娘とおじいちゃんのお孫さんが同じ保育所の同じ 毎日が始まった。好きな仕事にまた復職できたこクラスに通っていることがわかったのだ。そのお とは恵まれているし嬉しい限りなのだが、引っ越じいちゃん、時々お孫さんを保育所に迎えに行っ してきて間もないということと仕事が忙しくて、 ていて、新しくクラスに入ってきた私の娘も目に 唯一「「ママ友」がなかなかできないことが寂しかしたことがあったそうで、 物 宝 「あんたのところの子どもかあ—。今度一緒に遊 の ママ友って必ずしも必要ってわけではないけれぼうや ! 」 ん み t6 ど、やつばり近所にお友達がいれば子どもを一緒と、御年七〇歳のおじいちゃんに早速デートに も ど に遊ばせたり子育ての相談もできるし、私の実家誘われた ( 笑 ) 。 は遠く離れているので「すぐ来て ! 」もできない よく話を伺うとそのおじいちゃん、地域で長年 から困った時ちょっとお願い ! もできるのに。 ボランティア活動をして子どもと一緒に遊ぶのが・ 火・だから近所にママ友がいれば良いな・ : って思って大好きで、おばあちゃんは以前保育園の給食を作 ~ ) た る仕事をしていたので子どもと接するのにも慣れ
ないと予選で落ちてしまうよ。よし、明日は、畑 丁度私も夏休み中で、時間の余裕もあった。 みようが まず、ジャガイモと若芽・大根と揚げなどの具 に茗荷が出ていたから一緒に食べようよ」 と茗荷の味噌汁を作った。 を作り少しずつ一緒に食べた。一口でも食べたら 「なんか、変な味がするよ一 大げさに誉めた。 と言いながらも食べた。思い切り誉めた。 「おばあちゃん、うんこを見て」 そこへ、母親が来て、 毎日、味噌汁を作りうんこを調べる日が続いた。 「まあ、タ真は茗荷を食べるの。凄い。お母さん 「今日のうんこを見ると、ジャガイモとニンジン は大人になるまで食べられなかったよ」 とナスを食べた事が分かる。トマトも少し食べた と、びつくりした。得意そうなタ真の顔。 ね」 そのうちに幼稚園が始まり、うんこコンクール 「おばあちゃんどうして分かるの」 何の事はない。一緒に食べないときは娘に電話の話もうやむやになった。 タ真も小学生になり、 して何を食べたか聞いておけばよい。いろいろな 「おばあちゃん、本当はうんこコンクールなんて 物をたくさん食べるとうんこを誉められることが 無かったんやろ ? 」 分かり食べる事に興味を持ってきた。 とにやにや。二人で顔を見合わせてあっはつは 「もう、そろそろコンクールに出したい」 と笑った。今も、「おばあちゃん味噌汁有る ? 」 と言い出した。 「まだまだ、もっといろいろな物をどんどん食べと食べに来てくれるのが何より楽しみである。 102
'P 呎丁 ' : 子どもはみんなの宝物 ばらっきだした。雨宿りしようにも、店がない。 と、なんでもないように言った。 急ぎ足になる私に「お母さん」との声が聞こえた。 その後保育園に入園ししばらくたった頃、お迎 ふと顔を上げると、車を停め、手招きしている人えに行った私の両肩を後ろから両手でぼんぽんと 力いる。 先生が叩き、言った。 「お母さん、ひいちゃんも赤ちゃんも濡れてしま「お母さん、肩の力をもっと抜いて。子育ては大 うけん、はよ乗って」 変やけど、楽しいけん。ちゃんとせんでいいんよ、 数カ月前、出産のために二カ月だけ預けた保育楽しんだらいいんよ」 園の園長先生だった。先生はてきばきと上の子を ひたすらに頑張ってきた。「自分たちの子どもだ 車に乗せ、私も促した。ひたすら恐縮する私に、 から、自分たちだけでしつかりと育てるんだ」と 「ひいちゃんはうちの大事な未来の園児さんやも思っていた。それなのに周囲は、こんなにもやさ ん、風邪でもひいたら大変よ」 しく一緒に子どもを育ててくれる。いや、子ども そう言って笑った。 を育てる私を育ててくれる。肩の力とともに、意 またある日、買い物の準備をしていた私に、近地とかいろんなものが抜け落ちた。 所の先輩ママさんが「車で連れて行ってあげる 玄関の前にランドセルが置いてある。予定より と声をかけてくれた。悩む私に、 早く下校したんだなと焦る私は、隣のおじいさん 「子育ては体力がいるけん、楽できるときはしたの部屋のチャイムを鳴らす。 ほ一つかいいよ」 「今日はきとらんで」
車に。するとある駅で、赤ちゃんを抱き、荷物をの中から、ポンと息子の肩を威勢よくたたく人が。 たくさん持ったお母さんが、息子の目の前に立ち振り返ると、関西でいうところの見知らぬ " おば ました。 ちゃん〃が「見たで見たで。ええやん、ええや 息子は意を決したように、「ど、どうぞ」と言ん ! 次からも絶対席を譲ってえな」と激励の言 いながら、席を立ちます。若いお母さんは「あり葉をかけてくれたのでした。 がとう。でも立っているほうがいいからね」と返 おばちゃんの勢いのよさがおかしいやら、席を 事を返してくれました。確かに、そのままの姿勢譲ろうとした人に対してのさらなる思いやりの言 のほ一つかノ 、ランスが保てるのでしよう。 葉がうれしいやらで、思わず息子も私も、「ハ 中腰の息子は、どうしたものかとしばらく赤いイ ! 」と即答。とても温かく満たされた気持ちに 顔をしてモゾモゾしていましたが、結局席に戻る包まれたのでした。 ことに。終着駅までは、なんともやるせない表情 そんな息子も現在は中学三年生。最近では、母 をしていました。 と一緒に出かけることすら煙たがる、思春期の真 私はといえば、はじめて見る息子の行動に、「大っ只中。この文章を書くにあたり、「電車で席を きくなったなあ」と喜びを感じつつ、一方で「席ちゃんと譲ってる ? 、と唐突にたずねてみると、 を譲るのなんて、もう面倒と言い出しやしない 「もちろん。おばちゃんに言われたし」という返事 ヾ ) 0 かと、ちょっぴり複雑な心境でした。 さて終点の梅田駅。いっせいに出口に向かう人席を譲れる人にしてくれたのは、大げさに言え 1 刀 228