それを小さな君は知っているんだ。 目をじっと見つめる。 とても美しい澄んだ瞳で。 目が合えば、にこりと笑顔。 心もほっと、肩の力が抜ける。 ーオしたたそれだけのことに、 もちろん言葉まよ、 とても大きな力がある。 人と人をつなぐ大切な力。 子育ては大変だ、難しいと肩に力を入れ過ごし てきた。 何を言っても伝わらない。 我がままだ。 すぐ汚す。 すぐ泣く。 ある日、気付いた。 そんな時、いつもその気持ちを楽にしてくれる のが、君の存在だった。 小さな君の言動。 すぐ隣にいる親ですら、見過ごしてしまいそう なくらい小さく尊い心。 君の心に気付いてから私の子育ては終わった。 私の子育てとは、母である私が子供である君を 作り上げるというもの。 私が教え、伝え、君を正しいものに作り上げる。 君と一緒に成長していこうと思った。 一緒に感じ。 一緒に笑い 一緒に見付ける。 今、君は私にたくさんのことを教えてくれている。 私も小さい頃は持っていた、けれど大人になる につれ、どこかに忘れてきてしまった心。 君は思い出させてくれた。 自然な気持ち。 君からもらった大切な心。 君と一緒に育てていきたい。 216
堀山有里子 ズタズタのボロボロ。その日の私にピッタリの「文字通り。親の見習い。子供の誕生でいきなり 『親』じゃ、心が疲れちゃう。何をするにも『親』 言葉だった。夜泣きの徹夜明け。公園のべンチに 座り、咋夜の騒動が嘘のように寝息をたてているだから、『親』なのにつてカんじゃうでしよ」真 に、私の現状そのものだ。 我が子を見ていて不意に涙が出た。 「よろしいですか ? 」声がして初老の御婦人が隣「『見習い』卒業、いっ頃ですか ? 」心の中の問 いが、思わず声になってしまい、驚いた。「子供 に腰を下ろされた。慌てて涙を拭く私。「子育て中 は、皆そうなんですよね」前を向いたまま、そのの成人、就職、結婚、子育てが一段落と、その人 が感じられた時じゃないかしら」笑顔と共に返さ 方は静かに話を始めた。 とまど 「皆、悩んで、迷って、戸惑って : ・毎日、その繰れたその言葉に、私は心が軽くなるのを感じた。 なあ—んだ。それじゃ、私は『親見習い』の中で り返し : ・」私の心の中を、そのまま一言葉にされた 子供が目を覚ま 気がした。「本当、『親見習い』も楽じゃないわよも新米も新米、若葉マークだ : ・ ね」聞き慣れぬ言葉に、つい「『親見習い』って何しグズリ始めるまで、その方とは、その後も色々 なお話をした。話の中の言葉、一つ一つが『親見 ですか ? 」私は質問した。 親見習い若葉マーク
りにして会社に通っていた。 「でも、今までどうやって、やってきたのだろう」 エンジェルか : : 。私は大きなため息をついた。 私は空に問いかけた。気持ちがいつばいで苦しい 彼らと二四時間三六五日片時も離れることのできな時には、決まって電話が鳴った。 ーをおこしそうだ。 い私の心は、もう容量オー 「いや、元気かなと思って」友人のその一言で心 私は乱暴にメモ用紙を一枚破り取り、真ん中に がふっと軽くなった。週末には、実家から段ボー 線を引いた。そして、左に「容量オー ーの原ル箱いつばいの野菜が届いた。「助けが必要な時は 因」右に「対策」と書いた。 いつでもを ! 」添えられたメモに心が温か 三人に泣かれてつらい」「外に出るのがおっく くなった。買い物に行くと、商店街のおじちゃん う」「予防注射はなぜ平日にあるの」「体が痛い」がいすを出してくれた。「あんた、ちっとここで休 せ あ 「時間がない」あふれ出す心の悲鳴で左の欄はすぐ んでいきんさい」その言葉に胸がいつばいになっ にいつばいになったのに、右の欄はいっこうにうて、思わず泣いてしまった。よく考えてみると、今 ぎ まらない。やり場のない思いに、ペンを持つ手にまで挨拶しかしたことのなかった人たちゃ、名前 ん力が入った。 も知らない人たちにずいぶん大切にしてもらった。 ・カ そのとき、あたりがゴーツという大きな音に包「こんなにたくさんの人に優しくしてもらったの まれ、私は空を見上げた。飛行機が悠々とかけぬは、生まれて初めてかもしれない」私は、はっと ーしく。私はその光景にしばらく目を奪われて我に返った。そのとき、携帯電話が鳴った。「双 ヂ・しまった。 子ちゃんは、あなたたちを選んで生まれてきたと 0
0 くれる。 声を出す。 散歩をしていると小石・落ち葉・お花・ : 君にと食は人を幸せにする。 っては何もかもが輝いて見えるようだ。 ごく当たり前のこと。 道端には心を温かくしてくれる小さな宝物がた 私は、忙しさを言い訳に腹を満たすだけの時間 くさん落ちている。 になっていることがある。 また、それを母である私と共有しようという心 知らない人に出会う。 がある。 君は照れくさそうに「ばいばい」という。 笑顔で「はい ! 」と小石。 知らない人も息子に笑顔を向ける、そしてこち 誰も目をむけないような、そんな小石でも純粋らにも。 っ な心を通ると美しいものに変身する。 一言二言の会話が生まれる。 それがまた、伝わる。 知らない人とコミュニケーションをとるのは難 も と と 素敵なことの共有、当たり前だけれど忘れかけしい も どていた けれど、それもまた澄んだ瞳で簡単なものに変 えてしまう。 大好きな、しらすご飯を口にほおばる。 おいしさのあまり、足をばたっかせ顔をくしゃ あいさつが大切なのは大昔から知っていた。 くしやにする。 しかし教えられた。 火 ア 甘いお菓子をあげれば「きやっ」と嬉しそうな安全な地域社会を作るうえでも大切なもの。 215
くから不思議なものだ。 があるのか、カーテンの裏に隠れる格好はするが、 やはり孫は宝物だ ほとんどはみ出している。 小さくても、大きな大きな宝物だ 顔を紅潮させ、時々、ウーと唸り声、気張って その宝が消える日が近い、息子の転勤で五人家 るんだろう、掴んだカーテンが揺れている。「ン、 族から二人、爺婆だけになってしまう。 出たか」離れた所から声をかける。 家族には隆盛期があれば衰退期もある、孫は成 顔から興奮した赤みもとれ、無事終了を示す照 れ笑いをみせた。後は婆さんの担当だから手を出長だし、私らは老いだ。この差を出来るだけ縮め さない、私が手を汚さないですむ分、孫のチンチるよう健康に留意して頑張ろうな、また、一緒に 暮らせる日が来るから。 ンを見る機会もないってことだ。 孫の紙オムツを一枚、大事に自分の引き出しの まあ、婆さんが孫を一人占めだ。 家は確かに円満家族だけど、その裏ではお互い奥にしまい込んでいる婆さんの目が潤んでいた。 老いの道、明日に自信がないのは私も同じだが、 感情を剥き出しにせず、噴火を押さえている分、 たわむ 夢でもいいじゃあないか、孫とのデイト、戯れの 心の底にストレスが沈殿している。 たとえ、心のわがままで一瞬汚れても、孫の持日を : っ陽にあたると浄化され、澄んだ心に変わってい つか 116
きないデザイン、私だからできる仕事 : : : そう思っ 私が心の底から欲しかった言葉がそのメールに はすべて書かれていた。 て続けてきた。その仕事が続けられなくなる。 私が私でなくなるような感覚におそれわる。なぜ私に共感して、私を認めてくれるやさしいやさ 子どもを育てながら今までのように働けないの ? しい、その言葉。 なんとも言えない悲しさ : 「今は子どもを一番に考えてね」とか「仕事と育 夫の優しい言葉も先輩男性のアドバイスの言葉も児の両立がんばれ ! 」 うわっら なんだか他人事のようでまったく心に響かなかった。 とかそういう上っ面の励ましではない、先輩マ 本当に気持ちが沈むところまで沈んで、どうしょマの言葉。心がゆっくり解きほぐされてゆく、そ うもなくなった時にある人からメールをもらった。んな感覚になった。 彼女は私の同僚の奥様で、一一人の子どもを持っマ メール一通で救われるなんて考えもしていなかった。 マ。ここ最近はメールや手紙でやりとりをする仲だ。 「どうしてそんなに私の気持ちがわかってもらえ 「復職の話を聞いて、涙が出ました。会社の判断るんですか ? 」 に本当に腹が立って、悔しくて、情けなくて涙が と彼女に返信をした。 でたんです。あなたの仕事ぶりは夫も私もずっと「私も子育てで落ち込んだ時に先輩ママたちにた ファンです。あなたが今までの仕事をしていなく くさん慰めてもらって、欲しい言葉をもらったの。 てもあなたはあなたですよ」 だから私も同じことがしたいな、と思ったんです」 読んでいてポロポロ涙が出てきた。 ママ同士の言葉の数珠つなぎ。
父も、趣味の乗馬に子どもたちを連れて行ってた近所のお年寄り、子どもたちの帰りを待ちわび くれた。そして、馬にさわらせてもらったり、顔ていた犬のシロとマフィン。 なじみの人たちに声をかけてもらったりして、 わたしが母と過ごしてうれしかった時間とは違 う、たくさんの人の輪に包まれた時間をわたしの 色々な体験をすることができた。 父母と同居していた高齢の祖父母も子どもたち子どもたちは過ごすことができた。 をとてもかわいがってくれた。祖父は裏の畑で育 次男が一年生の時、勤務校の宿泊学習が午前中 に終わって早く帰宅することができ、学校近くま てている野菜の世話や収穫を手伝わせてくれた。 祖父のゆったりとした時間と子どもたちの好奇心で迎えに行ったことがある。わたしを見つけて子 の歯車がうまくかみあって、豊かな時間を過ごさ犬のように駆けてきた次男の姿を鮮明に覚えてい せてもらった。 る。たった一度のお迎えだったから、その場面は 車で一時間ほどのわたしの実家の両親にも、たわたしの心の中で輝き続けている。 くさん助けてもらった。朝早く、子どもを迎えに そんな母親の感傷は置き去りにして、子どもた ちはどんどん成長し、自立していく。そして、そ 来てくれることも度々あった。 幼稚園の延長保育の先生方、お迎えのために早の心の根底には成長を支えてくれた、たくさんの く帰れるように配慮してくれた職場の先輩たち、人々の愛情がつまっている。 鍵っ子で一人で家に入る子どもに声をかけてくれ 242
0 「あれ、これって、今のおれと一緒だな」そっ 自分の親の思いを自分が継いで、子供に伝えて か、そうだったんだと気づいた。そういえば、子 いるんだ。「おい、おまえは、お婆ちゃんやおじい 供のころ、台所に立っ母親は、おいしい物は真っちゃんがいたから生まれたんだぞ、ありがたく思 せわ 先に家族にだし、自分は残り物を忙しなく食べてえ」と呟いた。 いた。子供心にもっと落ち着いて食べてほしいな お盆が来た。子供を連れて初めての墓参りをし って思ったものだ。 た。代々続く墓を参りながら、ずっとずっと、こ 今実感できた。子供を育てるって、自分が犠牲んな思いが繋がって、ぼくたちは、生きているん になっていいって思えることなんだ。 だ、この小さな命を大切にして、次に繋いでいか び そんな母は最近脳梗塞で倒れ、体が不自由な状なければと思った。皹の声、苔むした石、爽やか っ態だ。にもかかわらず、まだ子供のために心を砕な風。久しぶりに、子供のころ祖父母、両親に連 き、食べ物などを送ってくれる。もっと、ゆっく れられて墓参りにきた時の夏の匂いを感じた。心 も と りしていてほしいのに、と思って、自分の息子に と がすっと子供のころに戻って、胸に満足感が広が も ど 目をやると、にくたらしいほどかわいらしい笑顔つた。 で微笑んでいる。「おい、おれの分も食べていい 子供への思いに男も女もないと思った。男の子 つぶや ぞ、もっと食べて大きくなれよ」と呟きながら、育て ? ただ親をなぞっているだけです。 火 , 世代を超えて、同じ思いを持てたと感じた。 つな さわ 207
金順愛 : それから二年くらい経ったある日のこと。私 今から一六年前のこと。 一人娘は生後六カ月から自宅団地内にある公立は家でふと「アリラン」の歌を口ずさんだ。「ア リラン」とは朝鮮半島の民謡だ。するとそばにい の保育園にお世話になった。 た娘が一緒に唄っているではないか ! 哀しい歌 丁度母乳は切れ、保育園では粉ミルク。アトピ ーがあったために「ペプチドミルク」を特別に購だからと娘の前では唄ったことがなかったので、 不思議であった。 法入してくれた。 心配性の私に似てしまったのか、他人に抱かれ「先生が唄ってくれたー と 本名のリ・ポンインで通っていた娘のために、 たらなかなかミルクを飲まない娘だった。唯一 が 「パートの佐藤さん」がミルクをあげるたびに唄っ 「パートの佐藤さん」にだけ心を許したようだ。 あ 園では私の娘にミルクを飲ます度に佐藤さんをてくれていたのだった。 呼んだとのことだ。 私の心は春風に包まれるような心地よさを感じ、 離乳食が始まるまでの間、佐藤さんは私の娘の幸せいつばいになった。 火 ・ : 娘が発する言葉が聞き取れないので家庭での 「保育園のオンマ」だった。 アリラン子守唄 173
0 ちを考えると、涙が止まらなかった。 れていたことに気がついた いっからだろう、こんなに小さい子にできる気「ママは、そう君が一番だから。仕事も好きだけ づかいができなくなってしまったのは。 ど、そう君のことが一番大切だから」 忙しいと心を忘れるっていうけど、私は心を忘 今日は、仕事を休もう。何も心配しなくていい れていなかっただろうか。 から、一兀気になるまで、息子の傍にいよう。赤ち 私にとって一番大切なものは、息子だ。仕事のやんのときのように、もう一度ちゃんと話をしょ 代わりはあっても、息子の代わりはない。 う。今からだって遅くないよね。駆け足で来た四 息子が熱をだして、当たり前のことだけど、忘年間の束の間の休息だった。 せ あ 隈部理奈 す ん 今から約一年半前、主人の仕事の都合で知り合 買い物や病院以外は外に出られない生活が続いて いのいない街へ引っ越すことになりました。長女おり、気が付くと私は「パソコン中毒」にかかっ 火 , ~ が二歳一か月、長男が三か月の時でした。ちょうていました。不安なことがあるとすぐにパソコン アどその頃二人がよく交互に体調を崩し、なかなかの子育てサイトで相談。子育てに関する悩みはパ 0 画面より、 子供を見る時間 125