ピルンガ - みる会図書館


検索対象: NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号
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1. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

もなれると思っていた」と彼は言う。現実には、 だろう。そこではレンジャーのテオ・カンノヾレカ { 、 金をためて整備工になるのが今の望みだ。シ やはりささやかな希望を抱いている。最近、ル ュクルは商売を始めるかもしれない。 ツル川の岸辺で水浴びをするライオンの母子が プキマ道路は上り坂になって、マウンテンゴリ 目撃された。野生動物が少しずっ増えている ラのいる山に至る。この細い道は、子ども時代 のだ。修繕費さえ手当てできれば、ルウインディ・ の夢より小さく地味ではあるが、穏やかな未来 ホテルも再開できるかもしれない。 に続いている。 こから始まった平和は、その カンバレは道路補修の若者たちに言ってい 北にあるルウインディの管理事務所にも広がる た。「これが人生の始まりだよ」と。ロ 写真家のプレント・スタートン ( B 「 ent なせ、何度もビルンガを訪 コンゴという人類最悪の経験 Stirton) が 2007 年に初めてビルンガ国立 れているのでしよう ? を重ねてきた国にあって、彼 公園を訪れたのは、「圧倒的に不利な戦 最初に出会ったレンジャーた らの存在は光り輝いていま い」に挑むレンジャーたちを取材するため ちと、それに続く人々の熱意 す。その活動をもっと世界に だった。以来ここを何度も再訪している。 伝えたいですね。 に心を動かされるからです。 ピルンガの闘い 85 BYBA SE PITKOVA

2. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

コ シリーズ自然と人間 理想のバランスを探して 文 = ロバート・ドレイバー 写真 = プレント・スタートン ジャーナリスト ンゴ民主共和国の東端に位 置するビルンガ国立公園は、アフリカで最も長 い歴史をもつ国立公園だ。そこに通じる未舗 装の道を、 7 人の若者たちが補修している。工 事監督をしていたパーク・レンジャーのテオ・カ ンバレは、自分も彼らも、置かれた境遇は大し て変わらないと考えていた。生まれ育ったのは 皆、国立公園の内側かその周辺だ。金持ち は一人もいないし、これからなれる見込みもな い。よくわからない理由で始まり、いつ終わる かわからない紛争で、大切な人を殺された経 験を誰もがもっている。 そんな若者たちが、公園のためにせっせと 砂利道の穴を埋めている。彼らが熱心に働く のは、そこに道を補修する以上の意味がある からだ。欧米の観光客は、このプキマ道路を 通って公園南部にあるプキマの管理事務所に やって来る。観光客の目当ては、ピルンガ国立 公園の象徴でもある希少なマウンテンゴリラを 間近で観察することで、彼らの落とす金が公 園の運営資金となる。 14 キロほど続くプキマ道路は、観光客のた めにだけあるのではない。国立公園近辺の農 民と村の市場、さらにはその南にある都市ゴマ 62 N AT 10 N A L G を 0 G R A P H ー C ・ 2016-7 8 年前からビルンガ国 立公園の総責任者を 務めるエマヌエル・ド・ メロード。自然保護の 象徴的存在で、公園に 反発する勢力に殺され かけた 2014 年以来、護 衛がついている。 ャーだった。父親はカンバレが生まれた 1960 から大切に思っている。彼の父親も兄もレンジ は 31 年間もこの仕事を続けていて、公園を心 国立公園に対する考え方だ。 55 歳のカンバレ レンジャーのカンバレが若者たちと違うのは、 る役割も果たしているのだ。 路は、そんな近隣住民と国立公園を結びつけ を敵視し、時に怒りを爆発させるが、プキマ道 一帯の土地を自分たちのものと考え、国立公園 ちが補修工事を担うようになった。彼らはこの しかし今は公園が予算を投じ、地元の男性た ただでさえ厳しい生活をさらに困難にしていた。 転がり、足を取られる深いぬかるみだらけで、 を結んでいる。かっては大きな岩があちこちに

3. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

ベルナデット・カヒンド ( 右 ) と娘のギフトは紛 争の犠牲者だ。レンジ ャーだったカヒンドの 夫は、 2011 年に野生 動物の肉の取引を阻 止しようとして武装集 団に殺された。ギフト が抱いているのは、彼 女が 14 歳のときに民 兵にレイプされてでき た子どもだ。 客の姿はなかった。 年から 13 年にかけてはほとんど、ロッジに宿泊 い。実際、 M23 と政府の戦いが続いた 2012 観光客の数は紛争前の最盛期には遠く及ばな 備が整ったキャンプ場が開設された。だが、 は、キプ湖に浮かぶチェゲラ島でも豪華な設 ホテルのミケノ・ロッジがオープンし、 2015 年に 2012 年には、ゴリラの生息地の近くに高級 からの援助でまかなっている。 連合 ( EU ) 、米国政府、国際的な非営利団体 ている資金はわずか 5 % だ。残りはヨーロッパ 約 9 億円の年間運営費のうち、政府が提供し ている。公園は国有地であるにもかかわらず、 は、 80 人体制の警備チームが毎日見回りをし だがそれからビルンガは復興期を迎えた。プ キマ道路の補修工事をはじめとする複数のプ ロジェクトが始まったのだ。地元住民に、公園 を大切にすれば見返りがあると知ってもらうの が目的だ。なかでもド・メロードが取り組んでい るのが、公園内の河川を利用した総工費約 180 億円の水力発電計画だ。 2020 年までに地 域の 4 分の 1 の世帯に電気を供給し、 6 万から 10 万人の雇用を生み出すことを目指している。 これが実現すれば地域に平和が戻り、観光客 も増えるだろう。それに従って住民たちの所得 も上がり、コンゴ東部を苦しめる悪循環に終止 符を打って、新たな流れをつくり出すことができ ると、ド・メロードは期待を寄せている。 ゆっくりとではあるが、野生動物も復活の兆 しを見せ始めた。 2007 年に、違法な木炭業者 によって 7 頭のマウンテンゴリラが虐殺される悲 劇が起きたが、それ以降は個体数が増加する 傾向にある。公園の中部にあるルリンビ保護区 では、カバの数が急速に増えつつあり、安全な ウガンダ側に逃げていたゾウも、イシャシャ川を 渡って戻ってくるようになった。レンジャーによ る断固とした密猟の取り締まりは、象牙や野生 動物の肉の闇取引業者に向け、「ビルンガでは、 もうやりたいようにはさせない」という明確なメッ セージを放っている。 自然を謳歌した時代 ある日の午後、公園の中部にある廃虚となっ たルウインディ・ホテルを訪れた。カンバレは、 地面をびっしりと覆った雑草に足を取られない ように慎重に歩きながら、「ここはとても美しい 場所でした」と、昔を懐かしんでいた。「野生動 物を観察したり、写真を撮ったりする観光客で、 ホテルはいつも満室だったんです。動物もたく さんいましたよ。アンテロープやイノシシ、さまざ まなサルたちが、駐車場まで何匹もやって来た ものです」 ( 78 ページへ続く ) ピルンガの闘い 73

4. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

ピルンガの闘い 戦火の国立公園 武力紛争に巻き込まれたゴリラの楽園を、救う手はあるのか。

5. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

予定ではビッンピから湖をポートで北上し、 ルリンビにあるカバの生息地を目指すはずだっ た。だが、公園の安全管理責任者から電話が あり、湖で襲撃されるおそれがあるとして、出 発直前に中止になった。その 3 日前に、マウン テンゴリラが生息する南部で、 300 人以上の村 人が電柱敷設の補償金をめぐって暴動を起こ し、道路を長時間封鎖する騒ぎとなっていた。 ルワンダ国軍の兵士がひそかに越境し、 FDLR の戦闘員狩りをしていることも、村人たちの不 安をあおる要因だった。そして 1 週間後に北 部に入ると、べニの北東にあるマヤンゴセ村に 向かう、レンジャーとコンゴ国軍兵士の混成部 隊の姿があった。彼らはその後、不法居住者 800 人を退去させたという。 カンバレの運転する車で、ルウインデイからビ ツンピへ向かった数時間後、私たちが通ったま さにその道をバイクで走り、帰宅途中だった公 園中部担当の経理係が拘東される事件が起き た。待ち伏せしていた 3 人の男に自動小銃を 突きつけられた経理係は、両手を縛られて森 に連れ込まれた。その日の夜、約 55 万円の身 代金を要求する連絡が家族に届いた。 誘拐事件の知らせを受けた公園本部は、レ ンジャーとコンゴ国軍の兵士 100 人以上を中部 に派遣し、さらに偵察機を飛ばして追跡大も投 入した。犯人たちは逃走し、解放されてやぶ の中を歩いていた経理係は、同僚たちと無事 再会することができた。当人にはとんだ災難だ ったが、ド・メロードの迅速な対応が功を奏し た出来事でもあった。カンバレは彼のことを「私 たちの唯一の希望」と呼んでいる。 前例のない改革 しかし、 46 歳のド・メロードの風貌は、映画 に出てくるようなヒーローには程遠い。色白で、 やせていて、物腰は柔らかだ。 およそピルンガの総責任者らしからぬ外見の 彼は、実はベルギー貴族の一員だ。先祖がオ ランダからの独立に貢献し、称号を与えられた のだという。それだけ聞くと、世界で最も激し い紛争地帯で奮闘するよりも、セーターを着て、 暖炉の傍らでワイングラスでも傾ける方が似合 うように思える。だがド・メロード自身はアフリカ 生まれで、幼少時代はケニアで過ごし、人類 学を学んだ後、コンゴで長らく自然保護活動に 従事してきた。 ド・メロードの体には、銃弾が貫通した傷が 二つある。ーっは左肺を、もうーっは胃を貫い た。この傷を受けたのは 2014 年 4 月。ゴマか らの帰路、ルガリの南 5 キロほどのぬかるんだ 道を車で走っていて襲われたのだ。犯人はま た見つかっていない。 ド・メロードが総責任者に就任した 2008 年 のビルンガ国立公園は、まさにどん底だった。 その年の初め、前任者が木炭密売に関与し、 ゴリラの大虐殺を計画していた疑いで逮捕 されていた。公園はそのおよそ半年前から、 CNDP に占領された状態だった。そこでド・メ ロードはいきなり大胆な行動に出た。丸腰で CNDP の本部に出向き、レンジャーが公園に 戻れるよう頼んだのだ。 CNDP の指導者ロー ラン・ンクンダは、これを承諾した。 続いてド・メロードはレンジャーの人員整理 に着手した。人数を 1000 人から 230 人に減ら したが、その代わりに、わずか 500 円ほどだっ た月給を、まっとうな生活ができる 2 万円程度に まで引き上げた。「汚職を遠ざけるには十分な 額です」と彼は言った。 地元住民との関係改善にも取り組んだ。「数 十年前から、公園の入場料の収入の半分は 地域に還元することになっているのに、その金 はどこに行ったんだ ? 」「道路も学校も病院も、 荒れていく一方だ」「おまけにゾウによる作物 被害もなくならない」 ド・メロードはそんな 人々の不満にも耳を傾けた。 ビルンガの闘い 79

6. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

ピルンガ国立公園を地域経済の " 動力源 " にするというド・メロードの考えは、国の指導者 たちが地域の運命を一つの国立公園に委ねて いることを意味する。しかもそれを引っ張るの は、かってこの国を支配したベルギー人の子 孫だ。公園主導の経済発展が成功した場合、 公園に対する住民たちの強い反感が逆に、過 度な依存に変化するおそれもある。ことの成 否は、武器をつるはしに持ち替えて、あのプキ マ道路のような道の補修を黙々とこなす若者 カゞ増えるかどうかにかかっているのだ。 未来へ続く道 プキマでは、 20 代半ばの若者 2 人が道路の 穴を埋める作業をしていた。背が高い方がプ シェ・シュクル、もう一人が幼なじみのガト・エリ ティエだ。武装勢力の襲撃があるたびに、彼 らは銃声が聞こえない場所まで何キロも逃げ、 難民キャンプでお互いを探したものだった。し かし 2013 年の春、まずシュクルが、続いてエリ ティエが M23 に捕まった。腕を縛られたまま 歩かされ、公園南部に近いルマンガポの拠点 で二人は再会した。彼らが入った訓練所には、 同じように無理やり連れてこられた若者が約 連軍が相手では勝ち目はないーーそう思った 1000 人もいた。 彼らは別々に逃亡を図り、同じ月に国連の管理 司令官は若者たちに、コンゴ政府は東部を 施設で再会を果たしたのだった。 見捨てたと告げた。 こで訓練を積み、 M23 彼らが補修に励んだ道路は、コンゴの田舎 の新たな戦闘員となって東部を占領し、さらに にしてはとてもきれいだ。この道を、ウシやヤギ 西進して首都キンシャサを制圧するのだとい を連れた牧夫や農民、学校の生徒や教会に行 う。銃の扱いや隊列を組んでの行進、攻撃や く人が行き交う。どこへ行くにも、所要時間は 撤退の方法を教わったが、うまくいかないと木 今までの半分に縮まった。「直したかいがあっ の棒で激しくたたかれた。そのため、皆の見て たよ」とエリティエが言うと、シュクルもうなずい いる前で息絶える者もいた。また、 1 日の食事 た。「だから作業も苦にならない。地元のため はわずかにカップ 1 杯のコーンミールが配られ になっているからね」 るだけだったので、餓死する者も出る始末だっ コンゴ東部の現実をまだ知らなかった少年 た。そして 3 カ月後、シュクルとエリティエは戦 時代、エリティエは「偉い人間になる」ことを夢 闘に投入された。だが 2013 年 11 月には、 見ていた。「医者とか、もしかすると大統領に M23 の劣勢は明白になった。コンゴ国軍と国 84 NATIONALGEOGRAPHIC ・ 2016 -7 アフリカで最も活発な ニアムラギラ火山 ( 標 高 3058 メートル ) で、 新しくできた溶岩原を 調査するレンジャー 足元の変色した部分 は、最近の噴火で堆積 した硫黄だ。ビルンガ 国立公園には火山の ほか、氷河やサバンナ など、多彩な風景が広 がっている。 BRENTST 旧 TON. REPORTAGE BY GETTY IMAGES

7. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

み、 年に、アフリカスイギュウに角で突かれてこの 世を去った。兄も 2006 年に命を落としたが、 彼を殺したのは野生動物ではなく、 20 年にわ たって国立公園を占領し、荒らしまくっていた 武装集団のメンバーだった。 地元の若者たちは、生まれたときから貧困し か知らない。彼らにしてみれば、肥沃な土地と 天然資源を誇るピルンガを、金持ちの観光客を 喜ばせるために保護するなど、とても不公平な 話だ。そんな若者たちを武力紛争に引きずり 込んだのが、「 3 月 23 日運動」 ( M23 ) という反 政府の武装集団だった。国連の支援を受けた コンゴ国軍は、 1 年半以上に及ぶ戦闘の後、 2013 年末までに M23 を制圧した。冒頭に登 ピルンガの闘い 63 「これが人生の始まりだよ」 カンバレはそう言って、目の前の道を指し示す。 けるよう伝えてくれ。そこに人生はないんだ」。 何も先へは進まない。友達にも武装集団を抜 るようになるさ。だが安全が確保できなければ この仕事をやり通せば、ほかのことだってでき が、今は道路を造っている。ここが出発点だ 「以前は地域を不安に陥れていたおまえたち ちに、カンバレは感心して時折話しかけている。 い。それでも黙々と作業を続ける元戦闘員た 道路の補修は楽ではないし、実入りも少な の 7 人だった。 係者が更生できると見込んだ元戦闘員のなか 場した若者たちは、国連平和維持軍や公園関

8. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

現在、ホテルの周辺は、せいぜいヒヒがや ぶの中に見え隠れするぐらいだ。バンガローも レストランも、ダンスルームもプールも空つほで、 20 年間放置されたまま荒れ果てている。カンバ レが生まれ育ったのは、ルウインディの管理事 務所の近くだ。彼が生まれた 1960 年に、コン ゴはベルギーから独立した。当時の人口は今 の 5 分の 1 の 1500 万人で、土地には余裕があ り、人間が農業をしても野生動物を脅かすこと はなかった。カンバレがまだ駆け出しのレンジャ ーだった 1980 年代は、突進してくるスイギュウ に踏み殺されないよう、木の上に避難すること もあったという。 1997 年までコンゴの大統領だ った独裁者のモブツ・セセ・セコも、釣りをしに こへやって来た。その時は、彼の釣り針に餌 を付けるのがカンバレの仕事だった。「モブツは ビルンガをとても大切にしていました」と語るの は、コンゴ政府の国立公園局で働く弁護士、 マチュー・チンゴロだ。「公園内での耕作や樹 木の伐採は厳禁でしたし、不法侵入をする者 もいませんでした」 しかしそこに、ルワンダから難民が流入して きた。「難民はものすごい数で、銃や弾薬を所 持する者もいました」とカンバレは振り返る。「あ っという間に人口が増え、食べ物も炭もない彼 らは、公園内の樹木や動物に手を出したので 78 NATIONALGEOGRAPHIC ・ 2016 -7 慢性的な不安要素を抱える ピルンガ国立公園では、 観光客が見て回れるのは 全体の 1 割にすぎない。 観光用に整備されている ところはその半分程度だ。 す」。武装集団が次々と結成されて、区別もっ かなくなった。コンゴ国軍兵士は持ち場を放棄 して森に消え、なかにはマイマイの民兵になる 者もいた。マイマイは侵入者を排除するため、 フッ系の FDLR と手を組むこともあった。公園 内で生活の糧を調達させまいとするレンジャー も、彼らにとってはむろん敵だった。 モブッ政権が 1997 年に倒れると、国の体制 も崩壊した。給料を大幅に減らされたレンジャ ーは、賄賂と引き換えに密猟を黙認するように なった。密猟者はスイギュウを仕留めると、手 なずけたレンジャーを呼びつけて回収させた。 炭作りのために公園の木を伐採できるチケット を売り出すレンジャーもいた。木炭の売り上げ の多くは、制服を着たレンジャーの懐に入り、さ らに上層部へと吸い上げられた。 かって公園に来た観光客が最初に立ち寄っ ていたルウインディの管理事務所は、今も立ち 入り禁止だ。この一帯の責任者の部屋の壁は 弾痕だらけで、近くには国連軍の基地がある。 不審な行動をとるレンジャーを見かけたら通報 するように、と呼びかける貼り紙があった。 ある日の昼前、武器を携えたカンバレたち 3 人のレンジャーとともに、エドワード湖南岸の町 ビッンビに向かった。ビッンビは公園内にあり、 おそらく 4 万人ほどが住んでいる。電気も水道 もなく、湖岸に無数の小舟が並ぶだけの半農 半漁の貧しい町だ。 マイマイは、警護の名目でこの町から金を巻 き上げている。レンジャーたちによると、民兵の 背後には政治家がいて、彼らに小舟や武器を やまがたな 提供しているという。「マイマイは、やりと山刀 だけで戦っていたのに、政治家が銃を与えた んです」。ピッンビを担当している若いレンジャ ーがそう言って、左腕に残る銃創を見せてくれ た。工ドワード湖岸でマイマイと遭遇したときに 撃たれたのだという。これまでにレンジャー 1 人 とコンゴ国軍の兵士 7 人が犠牲になった。

9. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

2016 年 7 月号 ビルンガ国立公園でレンジ ャーを務める父と娘。公園 内にいる武装勢力との戦闘 で、命を落とすレンジャー が後を絶たない。 BRENTST 旧 TON ビルンガの闘い 58 多くのゴリラが生息するコンゴ民主共和国のビルンガ国立公園。隣国の武力紛争が飛び火し、 野生動物をはじめとする豊かな自然が脅かされている。公園を救うことはできるのか ? 32 86 124 指紋や毛髪の鑑定結果が 映画『ジョーズ』の世界的 古代ギリシャの人々は、天上 長い海外生活の間に、母国 間違っていたために起きる な大ヒットのおかげで、サ や冥界の神々が世界の万物 が大きく変わっていたこと 誤認逮捕。こうした不幸な に力を及ぼすと考えていた。 メの代名詞ともなったホホ に気づいた写真家のテビッ 事態を防ぐには、どうすれ ジロザメ。その凶暴性はか 死後の世界観は時代ととも ド・グッテンフェルダー。そ ばいいのか ? DNA から作成 りが注目されるが、生態に に変化し、やがて個人の内 こで、ポケットにスマートフ した「似顔絵」など、科学捜 関しては解明されていない 面に根ざした神秘主義的な オンを忍はせて、何気ない 査の最前線を紹介する。 ことが多く、謎のままだ。 米国の日常を記録した。 信仰がさかんになった。 104 古代ギリシャ 有名だけど、謎だらけ 神々への祈り ホホジロザメ 真犯人を追う 科学捜査 スマホで切り取る 普段着の米国

10. NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 2016年 7月号

このメッセージが若者たちの心に届くように と、カンバレは願っている。彼らが悲惨な境遇 で育ったことも、脅されて武装集団に入ったこ とも承知している。腕や背中にある無数の傷 痕は、奴隷のように力で支配されていたことを 物語っている。彼らは 20 代の若さで一生消え ない傷を負ったのだ。カンバレも昔、民兵に右 脚をやりで刺された経験がある。若者たちが 体に残る傷を過去のものと思えるようになれば、 この公園を救えるだろう。 楽園のなかの地獄 よくも悪くも、ビルンガのような国立公園はほ かには見当たらない。およそ 80 万ヘクタール の敷地内には、氷河から解け出た水が流れ込 む川や、アフリカ大湖沼の一つであるエドワー ド湖がある。さらにサバンナや未踏の低地多雨 林が広がり、名蜂マルゲリータ山や、活発な火 山も二つそびえている。鳥は 700 種以上、哺 乳類は 200 種以上生息し、全世界で 880 頭し かいないマウンテンゴリラのうち、 480 頭がこ にすんでいる。工ドワード湖からセムリキ川か 流れ出す地点に立っと、遠くに雄大なルウェン ゾリ山地が見える。昇り始めたばかりの朝日を 背に浴びながら、ゾウが泳ぎ、コウノトリの仲間 のクラハシコウが悠然と岸辺を散策している。 64 NATIONALGEOGRAPHIC ・ 2016 - 7 彼らはこの一帯の土地を 自分たちのものと考え、 国立公園を敵視しているか、 プキマ道路は、そんな住民と 国立公園を結びつける 役割も果たしているのだ。 偉大なる自然と比べれ一よ、人間はあまりにもち つほけな存在だと感じるが、実際にはそんな自 然を人間が脅かしているのだ。 ビルンガ国立公園が紛争に巻き込まれて、も う 20 年になる。 1994 年、フッ系勢力がツチ系 住民を大量に虐殺するに至った隣国ルワンダ の民族紛争が、コンゴに飛び火した。制圧さ れたフツの兵士が、 100 万人を超える難民とと もに国境を越えてコンゴになだれ込み、公園の 周辺は難民キャンプと化した ここに逃げ込ん だフツの人々が結成したのが武装集団ルワン ダ解放民主軍 (FDLR) で、カンバレの兄を殺 したのは、この集団の人間だった。 FDLR に 対抗するため、ルワンダ政府の後ろ盾を得て 結成されたのが人民防衛国民会議 (CNDP) だ。この CNDP の呼びかけに応じ、コンゴの ッチ系住民は M23 を結成した。そして、これ ら武装集団が扇動した報復合戦の影響は、や がて国立公園にも広がっていった。 地域の防衛が責務のコンゴ国軍も含め、戦 闘員たちは食料となる公園内の野生動物を乱 獲した。今もジャングルに数千人が潜伏してい て、さらにそこに、マイマイと呼ばれる地元の 民兵が数千人加わっている。彼らを追い出そ うとする公園側の試みは、血の報復となって返 ってきた。 2016 年 3 月には、レンジャー 2 人が 公園内で処刑され、 1996 年以降の犠牲者の 数は 152 人となった。 ビルンガにはもうーっの争いの影も忍び寄っ ている。石油資源の探査で生態系が脅かされ ているのだ。英国の石油開発会社ソコ・インタ ーナショナルは 2010 年、エドワード湖近辺を含 めた公園の約半分の土地の採掘権を取得し た。自然保護団体の激しい抗議を受け、ソコ 社は 4 年後に撤退したものの、隣国ウガンダの 政府は、エドワード湖岸の自国側での開発に 関心を示し、公園の自然と貴重な資源は安泰 とはとても言えない状態だ。 ( 72 ページへ続く )