年間 4 万匹以上のカイマンを生産するコロンビアの に役立ち、毛皮の質の向上につながるようだ。 ワニ牧場で、全長 50 センチほどのカイマンが次々 かくして毛皮業界では、かっての。敵 " に押し に水槽へ飛び込む。全長約 1 メートルを超すと縄張 つけられたはずの改善策を、今では自慢の種 り意識が芽生えて争い、皮を傷つけやすくなるた にしていたりもする。 め、この牧場ではそれより前に処理している。 マレンのミンクは驚くほど大きく、健康そうだ った。体重は野生の個体の 2 倍あり、好奇心 が強そうだ。もちろん彼らもいずれは死ぬ運命 「ほかの家畜が殺されるときは、たいてい何 にある。飼育場でミンクを殺す作業を見学した。 百キロも離れた食肉処理場までトラックで運ば 作業員がケージを回り、 1 匹ずっしつほの付け れます。作業自体も血まみれのプロセスです」 根をつかんで持ち上げる。大半はそうした扱 とマレンは言う。「うちの方法は、今ある家畜の 殺し方としては、最も動物思いのやり方です いに慣れた様子で、たまに金切り声を上げるも よ」。その翌日に見学した処理プラントでは、機 のもいるが、それも落とし戸から一酸化炭素の ガス室に送り込まれるまでのこと。ミンクは 1 分 械がミンクの死骸から皮を切り離し、一つなが 以内に意識を失い、数分後には死んでいた。 りにはぎ取っていた。 毛皮プーム再来の陰で 131
一酸化炭素で殺されて標識を付けられたミンクが、ロ ーラーコンべャーに載せられ、皮をはぐ機械へと運 ばれていく。残りの死骸は肥料に加工する以外には ほぼ使い道がなく、廃棄物用のコンテナに捨てられ る。毛皮が厚くなる秋、ポーランドにあるこうしたミ ンク飼育場では 1 日に数千匹のミンクを処理する。
世界のミンクの生産量 ( 単位 : 万枚 ) 9000 2015 年 8400 万枚 ミンクは世界の毛皮 取引の 85 % を占め、 その飼育による毛皮 生産は急速に成長し ている。近年では中 国が毛皮の一大生産 国になった。 4500 1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 年 世界最大の毛皮オークションが行われるデ ンマークの「コペンハーゲン・ファー」では、ロポ ットや X 線装置、画像処理技術などを駆使した 作業ラインに人間も加わり、 680 万枚の毛皮を 仕分けしていた。生産者を特定するバーコー ドを付け、毛皮のタイプ別に 52 種類に分類し、 数千ロットという竸りの単位に小分けする。オ ークション会場ではバイヤーたちがカタログを 検討し、軽口をたたきながら、お目当てのロット を競り落とそうと策を練っていた。 コペンハーゲン・ファーのデザイン工房「キッ ク」では、中国の北京から来たデザイナーの ファンラン 範然が淡い紫色に染めたミンクの毛皮を格子 状にカットして、軽量のベストを作っていた。中 染色技術や縫製技術を駆使すれば、ェアリー 国の消費者は、今や世界の毛皮製品の半分 プルーでもグリーンフラッシュでも望みの流行 近くを購入している。そこで彼女は新たな技術 色に染められるし、より少ない毛皮で多くの服 を学ぶため、キックにやって来たのだ。 を作れる。以前は毛皮と無縁の言葉だった「値 範然のような若いデザイナーを戦略的に取り 頃感」も、普及に一役買っている。「若い人に 込み、若い客層にアピールしたことは、毛皮人 は、まずは毛皮のキーホルダーから。そのうち 気の復活に寄与している。主要な毛皮オーク 余裕ができたら毛皮のバッグを買ってくれるか ション会社は反毛皮キャンペーンの最盛期に デザイナーやデザイン学校の学生への働きか もしれません」と、コペンハーゲン・ファーのユリ ェ・マリア・イーバセンは語る。「そして、いず けを始めた。その目的は、毛皮をもっと幅広く れはロングコートを。すべては若い世代に毛皮 使われる高級素材として、専門店や毛皮売り の魅力を伝える計画の一部なのです」 場以外でも扱われるようにすることだった。 毛皮人気の復活を、私たちはどう受け止め こうした取り組みが実を結び、デザイナーた ちは従来の毛皮職人が想像もしなかったやり るべきなのだろう。若い世代は毛皮の魅力を 方で毛皮を使いこなすようになった。最新の 知るべきなのか、それとも動物の権利の擁護 グラフィック : NGM STAFF. 出典 : HENNING OTTE HANSEN. UNIVERSITYOFCOPENHAGEN 0
ド蕚 世界のワニ革の輸出量 ( 単位 : 万枚 ) 200 2013 年 クロコダイル類 世界的な景気後退に 396 , 991 枚 加え、 2005 年のハリ ケーンで米国のアリ アリゲーター類 ゲーターに被害が生 481 , 341 枚 じ、ワニ革の輸出量は 2006 年から 3 年連続 で減少した。 2009 年 カイマン類 以降は回復傾向にあ 1 , 010 , 302 枚 り、 2013 年には 190 万枚近くに達した。 1 OO 2013 年 2004 私の曽祖父は、毛皮用の動物を捕るわな猟 師だった。狩りや漁、生き物を相手にした仕事 は、自然についての深い知識を与えてくれる、 価値ある営みだ。だが現代人の都会暮らしか ら、そうした価値はほとんど失われつつあると 私自身は感じている。その一方で、以前にオ セロットの毛皮を 15 枚も使ったジャケットを相続 したときには、ほとほと困惑した。妻と 2 人で悩 んだ末、ジャケットは啓発用の資料として野生 生物保護区に寄付してしまった。つまり今回の 取材に取り組んだのは、自分自身の混乱した 心の中を整理するためでもあったのだ。 ガス室に送られるミンク ンピューターの計算に従って分配していく。飲 私は毛皮生産のさかんなノバスコシア州に 向かった。ミンク生産者マレンの招きで、彼のミ み水は真冬でも凍らない配管を通して常時供 ふん 給されている。ケージの下の溝にたまった糞や ンクがどう生き、どうやって死んでいくのかを見 尿は自動的に清掃され、肥料にするか、バイオ せてもらう約東だった。 マレンが育ったのは昔ながらのミンク飼育場 ガス発電に利用される。 改善が進んだのは、主として動物愛護を訴 で、細長く狭苦しい木造の畜舎に、小さなケー ジが左右 1 列ずつ並べられていた。マレン自身 える活動家からの圧力に応じるためだ。だが 結果的に、こうした変化は毛皮生産者にも恩 が同じ事業を始めたとき、現在のヨーロッパで 義務づけられているような大きめのケージを導 恵をもたらしている。たとえばマレンのケージに 入した。それを半透明の屋根に覆われた、長 は一段高くなった棚があり、子育て中の母ミン さ 100 メートル以上ある畜舎に 6 列並べた。 クが子どもと距離を置くことができる。そうして 作業員が 1 日に数回、ケージの列に沿って 育児のストレスを軽減された母親からは、より 給餌用の車両を走らせ、科学的に調合された 健康な子どもが育っことが判明している。ケー 餌 ( 見た目は生のハンバーグに似ている ) を、コ ジに簡単な遊び道具を入れるのもストレス軽減 グラフィック : NGM STAFF. 出典 : JOHN CALDWELL, UN ENVIRONMENTPROGRAMME. WORLDCONSERVATION MONITORING CENTRE
文 = リチャード・コニフジャーナリスト 写真 = パオロ・マルケッティ には雲ーっなく、積もったば かりの雪を太陽がきらきらと輝かせている。凍 てつく寒さの 2 月中旬、私たちは厚さ 20 センチ 以上の氷が張った湿地を歩いていた。 連れは、わな猟師のビル・マコウスキ。米国 メーン州の北部を中心に猟を続けて 60 年にな る。マコウスキは氷から突き出たハンノキの枝 を指さした。最初の寒波が来ると、ビーバーが ポプラを集めはじめるのだという。その上に食 用にならないハンノキを積み上げ、ポプラを氷 の下に沈める。ビーバーは冬の間はずっと、 そうして蓄えたポプラを食べて過ごすのだ。 マコウスキは金属の棒で氷を突き破り、穴を 広げると、水中から何かを引き揚げはじめた。 やがて水面に鋼鉄製のわなが見えてきた。わ なは、大きなビーバーの首にがっちりと食い込 んでいる。こんな上物のビーバーでも、毛皮 はせいせい 25 ドルにしかならないという。それ でも帰る道中、彼はずっと上機嫌だった。はる か遠い昔から、銃やわなで獲物を仕留めた猟 師たちが味わってきたのと同じ満足感が、彼の 心を満たしていた。 毛皮への逆風がファッション界に吹き荒れた のは過去の話だ。かって「毛皮を着るくらいな ら裸でいい」という反毛皮キャンペーンの広告 を飾ったトップモデルたちも、今では毛皮のモ デルを務めている。 15 ~ 20 年前には「さわる 126 NATIONALGEOGRAPHIC ・ 2016 - 9 0 のも恐ろしい」と毛皮を避けていたデザイナー たちも、もはや「そのタブーを乗り越えた」と、カ ナダのノバスコシア州のミンク生産者ダン・マレ ンは言う。毛皮業界では多くの人々が、活動 家たちの繰り広げた強硬な抗議にも一理あっ たと認めている。毛皮用の動物たちの扱いに は、確かに問題があった。だが現在は改善済 みだと業界側は主張し、活動家はそれに異論 を唱える。いずれにせよ、毛皮を着るのは個人 の選択の問題だと考える人が、今は多そうだ。 取引される毛皮の大半は、飼育されたミンク やキツネなどのものだ。その生産量は 1990 年 代の 2 倍以上となり、 2015 年には約 1 億枚に 達した。わな猟による野生のピーバー、コヨー
計画では 1 回の訪問に約 6 時間を費やし、 サンプルとして選んだ 120 のケージについて 22 項目の調査を行う。「最悪の格付けをされる飼 育場が出ないとよいのですが」と生産者がため らいがちに言うと、ムラはこう答えた。「私は最 悪クラスが出ることを願いますね。飼育場の間 に差をつけられなければ、このシステムは使い ヨーロッパの毛皮業界は改善に取り組んで いると主張し、新たに「ウェルファー計画」の導 物になりませんから」 ところで実際に毛皮を買う人々は、動物の扱 入を進めている。そこではまず、数千カ所に及 われ方など気にかけるだろうか。「上海で聞く ぶ飼育場の視察と格付けが必要だ。 かチューリヒで聞くかで、答えはかなり違うでし 計画案の策定に協力しているデンマークの よう」と、コペンハーゲン・ファーのテーイ・ピー オーフス大学の農学者スティーン・ヘンレク・ム ラとともに、同国内のミンク飼育場を訪ねた。 ダスン会長は言う。「だが将来的には、気にす る人が増えていくでしよう。対象は毛皮に限り 視察は非常に徹底したものだった。ウェルファ 136 NATIONALGEOGRAPHIC ・ 2016 - 9 イタリアの高級革製品プランド、ビアンキ・エ・ナル ディのショールームに陳列された優美なハンドバッ グ。 70 年の歴史をもっこの老舗では、オーストリッ チ ( ダチョウ ) やクロコダイル、トカゲやヘビなどの 革から、年間約 8 万点のバッグを製造する。
テ、アライグマ、マスクラットなどが例年は数 ミラノのファッションショーで出番を待つモデルた ち。披露するのは毛皮をよく使うデザイナー、シモ 百万枚。このほか牛や羊、ウサギ、ダチョウ、 ネッタ・ラビッツアの最新コレクションだ。ミンクや ワニ類も食肉と皮革の供給源となっている。 キツネのほか、ヤギなどありふれた動物の毛皮にヒ かってはニューヨークの目抜き通りを歩くご ョウ柄をプリントして使ったりもする。 婦人たちや社交パーティーに集う人々の冬の 装いだった毛皮は、いっしかヒップホップ界や 十代の若者にまで愛好者を広げた。今ではク 脅かしていると悪評を呼んだ。そこからいった いどうやって、毛皮は現在のような復活を遂げ ッションやバッグ、ハイヒール、キーホルダー、ト レーナー、家具やランプシェードにまであしらわ たのか。 70 年代の規制導入で、絶滅危惧種 れ、季節を問わず目にするようになった。迷彩 の毛皮はファッション用には使われなくなった。 柄や絞り染めの毛皮コートまである。 だが毛皮復活への流れを作ったのは、毛皮業 1990 年代、毛皮は社会的に激しく排斥され 界が批判を受け入れ、対策を進めてきたという ていた。もっと前、 60 年代には毛皮を目的とし 事実だろう。また中国、韓国、ロシアの新興富 た取引がヒョウやオセロットといった野生動物を 裕層による需要の増大も追い風となった。 毛皮プーム再来の陰で 127
毛皮が登場した一流ファッションショー ニューヨーク ロンドン 37 ミラノ 9 / 156 51 / 92 2016 年秋の主要な 婦人服コレクションで は、ショーの約 3 分の 2 に毛皮を使った服 が出品されていた。 55 / 65 毛皮動物の飼育禁止は、道徳的に正しいこ とをしたという気分に浸るための単なるジェスチ ャーであり、私たちがそれで大きな犠牲を払う ことはない。なぜなら大半の人々は毛皮製品 など買ったこともないし、おそらく今後も買わな いからだ。その一方で、私たちのほとんどは肉 を食べ、ミルクを飲み、革靴を履き、さまざまな 形で動物からの搾取を続けている。人間が昔 から行ってきたその営みの規模に比べれば、 毛皮など取るに足らない存在だ 毛皮産業に携わる人々は、好んでそうした 暗黙の偽善を糾弾する。業界の人から話を聞 いていると、ほば全員がどこかの時点でこう主 張する。ほかの家畜の生産者たちは、自分た ません。動物の飼育環境に配慮しているかと ちがしてきたような組織的な改善など、ほとん 店頭で尋ね、店側が問題ないと答えれば、な ど迫られてこなかったではないか、と。 ぜわかるのかと質問するでしよう」 私自身は、こんなアイデアを思いついた。毛 私は逆のことを考えながら帰途に就いた 皮動物の飼育を禁じるのではなく、最も悪質な 動物の権利擁護運動は常に毛皮動物の飼育 飼育場を排除するよう圧力をかけ続ける。そ 禁止を目指してきた。英国、オーストリア、クロ のうえで、最も進歩的な毛皮生産者たちを、す アチアではすでに禁止され、オランダも禁止の べての畜産のモデルにするのだ。彼らが実践 方向で動いている。だが、それで人々が毛皮 してきた実行可能な、時には経営上のメリットも を着なくなるわけではない。生産地が規制のな 生む改善策をお手本に、あらゆるタイプの動物 い地域に移るだけだ。オークションの会場で、 生産を変革していくのはどうだろうか。ロ 私は中国にミンク飼育場をもっ仲買人に、動物 の扱いは中国でも大いに配慮されるようになっ 筆者リチャード・コニフ (Richard Conniff) は 2015 年 12 月号「ヒョウと人間縮まる距離」など多くの記事を担当。写 ているのかと尋ねた彼はいら立った様子で素 真家 / ヾオロ・マノレケッティ ( Pa010 Marchetti) はイタリア っ気なく答えた。「大いに、とまではいかないな」 のローマを拠点とし、今回が本誌初登場 毛皮プーム再来の陰で 137 0 0 グラフィック : NGM STAFF. 出典 . FUR COMMISSION IJSA