毛皮が登場した一流ファッションショー ニューヨーク ロンドン 37 ミラノ 9 / 156 51 / 92 2016 年秋の主要な 婦人服コレクションで は、ショーの約 3 分の 2 に毛皮を使った服 が出品されていた。 55 / 65 毛皮動物の飼育禁止は、道徳的に正しいこ とをしたという気分に浸るための単なるジェスチ ャーであり、私たちがそれで大きな犠牲を払う ことはない。なぜなら大半の人々は毛皮製品 など買ったこともないし、おそらく今後も買わな いからだ。その一方で、私たちのほとんどは肉 を食べ、ミルクを飲み、革靴を履き、さまざまな 形で動物からの搾取を続けている。人間が昔 から行ってきたその営みの規模に比べれば、 毛皮など取るに足らない存在だ 毛皮産業に携わる人々は、好んでそうした 暗黙の偽善を糾弾する。業界の人から話を聞 いていると、ほば全員がどこかの時点でこう主 張する。ほかの家畜の生産者たちは、自分た ません。動物の飼育環境に配慮しているかと ちがしてきたような組織的な改善など、ほとん 店頭で尋ね、店側が問題ないと答えれば、な ど迫られてこなかったではないか、と。 ぜわかるのかと質問するでしよう」 私自身は、こんなアイデアを思いついた。毛 私は逆のことを考えながら帰途に就いた 皮動物の飼育を禁じるのではなく、最も悪質な 動物の権利擁護運動は常に毛皮動物の飼育 飼育場を排除するよう圧力をかけ続ける。そ 禁止を目指してきた。英国、オーストリア、クロ のうえで、最も進歩的な毛皮生産者たちを、す アチアではすでに禁止され、オランダも禁止の べての畜産のモデルにするのだ。彼らが実践 方向で動いている。だが、それで人々が毛皮 してきた実行可能な、時には経営上のメリットも を着なくなるわけではない。生産地が規制のな 生む改善策をお手本に、あらゆるタイプの動物 い地域に移るだけだ。オークションの会場で、 生産を変革していくのはどうだろうか。ロ 私は中国にミンク飼育場をもっ仲買人に、動物 の扱いは中国でも大いに配慮されるようになっ 筆者リチャード・コニフ (Richard Conniff) は 2015 年 12 月号「ヒョウと人間縮まる距離」など多くの記事を担当。写 ているのかと尋ねた彼はいら立った様子で素 真家 / ヾオロ・マノレケッティ ( Pa010 Marchetti) はイタリア っ気なく答えた。「大いに、とまではいかないな」 のローマを拠点とし、今回が本誌初登場 毛皮プーム再来の陰で 137 0 0 グラフィック : NGM STAFF. 出典 . FUR COMMISSION IJSA
その現状を確かめるには、ケントン・グルアに ならってグランドキャニオンを全部歩いてみるの が一番だ。ピートと私はそう考えた。 大峡谷の洗礼を受ける 「おい、大丈夫か ? 」ピートがそう言って、私 をそっと揺すった。 9 月後半、トレッキング 1 日目の太陽が沈もうと している。私は狭い地面に大の字に横たわっ ていた。今夜はここで 1 泊する。 グランドキャニオンのトレッキングでは、いきな りの難所が挑戦者に不意打ちを食らわす。し かも初秋の熱波で気温は 43 ℃に達し、重さ 20 キロを超える装備を背負った身にはきつい。 2 日目の朝、ピートは私より悲惨な状態だっ た。全身の筋肉が激しくけいれんしている。ま るで皮膚の下にネズミがいて、腹から肩、背中 へと駆け回っているようだった。 6 日目、ついに私たちは白旗を揚げた。ルド ウたちには、そのまま進んでもらうことにする。 うわごとを言い、方向感覚を失っていたピート は、アリゾナ州北部の都市フラッグスタッフに戻 り、低ナトリウム血症と診断された。暑さのせい で体内の塩分やミネラルのバランスが崩れた状 態だ。放っておくと死に至ることがある。 恐ろしい目に遭ったが、負けを認めたわけで はない。 10 月下旬、ずいぶん涼しくなったグラ ンドキャニオンに戻り、 3 週間前に中断した地点 から旅を再開した。それから数日間は、川から 300 メートル近い高さにある、目もくらむような石 灰岩の岩棚をいくつも進んでいった。 毎日の行動パターンも決まってくる。オートミ ールの朝食を腹に詰め込んで出発。険しい岩 場を 1 日に 19 ~ 23 キロ歩き、太陽が沈み始め たら、打ち身や切り傷だらけの疲労困憊した体 で湯を沸かし、乾燥食品を戻してタ食だ。そ して、あおむけになって夜空を眺め、ピートが スマートフォンにダウンロードしたエドワード・ア こんばい ピー著『砂の楽園』の朗読に耳を傾ける。 「砂の楽園」は、キャニオンランズ、アーチー ズという 2 つの国立公園での体験を基に、著 者が自然への愛を書きつづったものだ。その なかに、この本に影響を受けて車で出かけたり しないよう読者に警告する一節がある。私はピ ートに頼んで、そこを何回も聞かせてもらった。 第一に、車からは何も見えない。いまいまし い鉄の箱から降りて、砂岩の上を、とげだらけ の低木やサポテンの間を自分の足で歩く。地 面をはって進むのなら、なおよし。傷ついて血 の跡が地面に点々と残るようになれば、何か見 えてくるかもしれないが、きっと見えないだろう。 第二に、本書に書いたことのほとんどはもう失 われているか、急速に失われつつある。この 本は旅行ガイドというより哀歌、回想記で、読 者が読んでいるのは墓碑なのだ。 アビーがこれを書いたのは 1967 年。彼の 言葉は悲しいほど当たっていた。アーチーズ 国立公園の荒野は、今では観光客であふれか えっている。 2015 年には 140 万人が訪れ、あ まりの混雑ぶりに、 5 月末の連休には入場が制 限されたほどだ。 そしてピートと私は、観光客の増加や金目当 ての開発といった、アビーが警告したさまざま な圧力が、ここグランドキャニオンにも迫ってき ている現状を知ることになる。 ロープウェーの計画地へ トレッキングの開始地点から赤茶けた水のコ ロラド川を下ること 100 キロ。大峡谷で最大の 支流リトルコロラド川に出合う。こちらの水は鮮 やかな青緑色だ。 2 つの川の合流点は「コンフ ルエンス」と呼ばれる。ハバスパイ、ズニ、ホピ、 ナバホなど、大峡谷に父祖伝来の土地をもつ 先住民にとって、きわめて重要な聖地だ。 グランドキャニオン 69
を取り戻さないと高さ 120 メートルの断崖から下 まで真っ逆さまに落ちる。 私たちは 2 時間以上かけて、ようやく断崖の 真ん中までやって来た。そこは斜面から長さ 20 メートルほど突き出た高台で、少し平たくな った場所の先に石が積まれていた。近づこうと すると、ルドウが急に足を止め、頭を垂れた。 「すまない、一こに来ると胸が張り裂けそうに なるんだ」。石の山は、一人の若い女性の死を 悼むものだという。ルドウは静かに語り始めた。 若い女性の死 彼女の名前はイワナ・エリス・ホチオタ。ルー マニア出身だ。当時 24 歳のホチオタは新婚の 夫と 1 区間ずっ歩いてグランドキャニオンを踏 破しようと挑戦中で、完遂を目前にしていた。 2012 年冬、ホチオタはグレート・サム・メサに 近い長さ 30 キロほどの岩棚に挑もうと考えてい た。夫は仕事で都合がつかなかったので、代 わりにホチオタが師事していた大学教授のマテ ィアス・カウスキーが同行した。 アウル・アイズの中ほどに来たところで、カウ スキーは斜面を上から回り込むように歩きだし た。しかしホチオタは直進するルートを選んだ ため、カウスキーからは見えなくなった。その 1 、 2 分後、落石の音に続いて鋭い悲鳴が聞こえ たかと思うと、ドスンと重い音が響いた。カウス キーは崖の縁にはいつくばり、彼女の名前を繰 り返し呼んだが、返事はなかった。 遺体は翌日発見された。話を終えたルドウは 西に目をやる。峡谷の向こうに太陽が沈み始 めていた。「今夜はここで 1 泊だな」 ホチオタをしのぶ積み石の隣に、テントを 2 張 り設営する。翌朝、目が覚めると、飲み水も靴 も凍っていて、ストープにかざして解かさなけ ればならなかった。 テントを片づけて出発。雪に覆われた残りの 斜面をどうにか横ぎって、ついに平坦な岩棚に 到着した。太陽の下で装備を乾かしながら、 通ってきたルートを振り返る。 ともかく無事に着けてよかった。朝の光が差 し込み、ホチオタが転落した崖の側面が照らさ れて、蜂蜜色に輝いていた。地面をはって進 み、血を流しながらでなければ見えないものが あるとエドワード・アビーは書いたが、その意味 が今わかった気がした。 私が身をもって理解したのは、グランドキャニ オンは遊園地では断じてないということ。手す りなどないし、生命の危険と背中合わせだが、 感動も掛け値なしだ。荒々しい自然のなかに身 を置くと、人間の存在の小ささや、生命のはか なさを痛感する。ホチオタも、そのことを体感で きる場所を求めていたに違いない。それは誰も が必要な場所でもあるはずだ。 4 日後、私たちはいったん大峡谷を離れ、フ ラッグスタッフで物資を補給した。それからま た歩き始め、いくっかの行程を経て、 3 月中旬 には残り 80 キロの地点まで到達した。だがグラ ンドキャニオンは、そう簡単に終わらせてくれな い。ある朝、ピートの腕時計に内蔵された温 度計は、気温 44 ℃を示していた。半年前に彼 が低ナトリウム血症になったときの気温より高 い。 30 分後、私たちは中断を決意した。 足かけ 1 年、 7 回も通って歩き続けたにもか かわらず、まだ終わらないとは。読者がこの記 事を読む 2016 年 9 月頃には、私たちは踏破に 向けて最後の区間を進んでいるだろう。そし て、半世紀後の 2066 年にこの記事が読まれる ときも、グランドキャニオンの手つかずの自然 が、そのまま残っていることを願う。ロ グランドキャニオン 79 ッキングに挑戦中。残すは 1 区間のみだ。 ら端まで踏破する、全長 1050 キロのトレ McBride) は、グランドキャニオンを端か と写真家ピート・マクプライド (pete 筆者ケビン・フェダルコ (Kevin Fedarko)
ド蕚 世界のワニ革の輸出量 ( 単位 : 万枚 ) 200 2013 年 クロコダイル類 世界的な景気後退に 396 , 991 枚 加え、 2005 年のハリ ケーンで米国のアリ アリゲーター類 ゲーターに被害が生 481 , 341 枚 じ、ワニ革の輸出量は 2006 年から 3 年連続 で減少した。 2009 年 カイマン類 以降は回復傾向にあ 1 , 010 , 302 枚 り、 2013 年には 190 万枚近くに達した。 1 OO 2013 年 2004 私の曽祖父は、毛皮用の動物を捕るわな猟 師だった。狩りや漁、生き物を相手にした仕事 は、自然についての深い知識を与えてくれる、 価値ある営みだ。だが現代人の都会暮らしか ら、そうした価値はほとんど失われつつあると 私自身は感じている。その一方で、以前にオ セロットの毛皮を 15 枚も使ったジャケットを相続 したときには、ほとほと困惑した。妻と 2 人で悩 んだ末、ジャケットは啓発用の資料として野生 生物保護区に寄付してしまった。つまり今回の 取材に取り組んだのは、自分自身の混乱した 心の中を整理するためでもあったのだ。 ガス室に送られるミンク ンピューターの計算に従って分配していく。飲 私は毛皮生産のさかんなノバスコシア州に 向かった。ミンク生産者マレンの招きで、彼のミ み水は真冬でも凍らない配管を通して常時供 ふん 給されている。ケージの下の溝にたまった糞や ンクがどう生き、どうやって死んでいくのかを見 尿は自動的に清掃され、肥料にするか、バイオ せてもらう約東だった。 マレンが育ったのは昔ながらのミンク飼育場 ガス発電に利用される。 改善が進んだのは、主として動物愛護を訴 で、細長く狭苦しい木造の畜舎に、小さなケー ジが左右 1 列ずつ並べられていた。マレン自身 える活動家からの圧力に応じるためだ。だが 結果的に、こうした変化は毛皮生産者にも恩 が同じ事業を始めたとき、現在のヨーロッパで 義務づけられているような大きめのケージを導 恵をもたらしている。たとえばマレンのケージに 入した。それを半透明の屋根に覆われた、長 は一段高くなった棚があり、子育て中の母ミン さ 100 メートル以上ある畜舎に 6 列並べた。 クが子どもと距離を置くことができる。そうして 作業員が 1 日に数回、ケージの列に沿って 育児のストレスを軽減された母親からは、より 給餌用の車両を走らせ、科学的に調合された 健康な子どもが育っことが判明している。ケー 餌 ( 見た目は生のハンバーグに似ている ) を、コ ジに簡単な遊び道具を入れるのもストレス軽減 グラフィック : NGM STAFF. 出典 : JOHN CALDWELL, UN ENVIRONMENTPROGRAMME. WORLDCONSERVATION MONITORING CENTRE
るとは限らない。今回の暖水塊が居座ったの は約 2 年だが、地球温暖化はもう数十年も前 から進行している。生物界の異変は温暖化へ の適応やそれに伴う移動の結果とも考えられ る。また、大量死のなかには暖水塊が発生し なくても起きていたものもあるかもしれない。 しかも今後は、さらに多くの変化が訪れる。 海面上昇で海岸線の形状が変わりつつある し、深海では酸素不足の水塊が拡大を続けて いる。海洋の酸性化により、貝類などの殻をも っ生物の生存は難しくなりつつある。未来を予 測することは困難だ。私たちは未来どころか、 現状すらほとんど理解できていないのだから。 ルフェープルは結局、ラッコの死因を特定で きなかった。 2015 年には、近年の年間平均の 5 倍近くに当たる 304 頭のラッコが死に、調べ た死骸の 3 分の 1 から有毒な藻類が見つかっ た。だが大半は連鎖球菌感染症と診断された。 藻類の毒がラッコを袞弱させたのか。暖かい 海水が事態を悪化させたのか。「すべての異 変がどう結びついているのか、まだわかってい ないのです」とルフェープルは語る。 数週間後、ウミガラスの死因を調査している 米ワシントン大学の鳥類専門家ジュリア・パリッ シュと同じような会話を交わした。ウミガラスが 「もっと極端な気候変動やたくさんの異常現象 乏しい食料を求めて見知らぬ土地まで行った が起きて、事態はさらに混乱する」と予測し、 今後は有毒な藻類が、より大規模に頻繁に発 のか、ドウモイ酸に感染して混乱状態に陥った 生し、毒性も高まると考えているという。 のか、あるいは強風にあおられて命を落とし、 海辺に打ち上げられたのか。「まだ謎は解けて こうした事態は人間の暮らしにも被害を及ば しかねない。カリフォルニア州のボデガべイで会 いません」とパリッシュは言う。 った漁師のディック・オッグは、最も稼ぎになる 私たち人間は海を知っていると思い込んで こ数カ月ほとん いたが、実はその変化についてまったく理解し アメリカイチョウガニの漁に ていない。それこそが、これからの新しい常識 ど出ていないという。有毒な藻類の大発生が 終わってしばらくたつが、カニはまだ安全に食 になるのではないかと、私は思った。ロ べられる状態にならず、カリフォルニアではカニ 漁の開始が数カ月遅れ、 4800 万ドル ( 約 48 億 筆者のクレイグ・ウェルチ (Craig Welch) は環境に関す る報道で数々の受賞歴をもっジャーナリスト。写真家のポ 円 ) もの損失を出している。 ール・ニックレン ( Paul Nicklen) は 2015 年 10 月号「海 だが、暖水塊が必すしも何かの前触れであ 辺のオオカミ」など多くの特集を手がけている。 太平洋の熱い波 119 ホーマーの浜で見つかっ たラッコの死骸。死因の 大半は感染症と関連して いたが、有毒な藻類の影 響で弱っていた個体もい たかもしれない。
4 プリティッシュ・コロンビア州の沿岸部を移動するミズダコ。近年の太平洋の 異変により、多くの生物の移動バターンや食料は一時的に変化したが、 海洋生物に及ぼした影響を完全に理解するまでには、まだ長い時間がかかるだろう。 海水温の上昇でスポーツフィッシングの対象 予想もしない、新たな変化を引き起こす可能性 となる魚がメキシコから北へ移動してくると、ロ があるのだ。 サンゼルスの沖合で操業する釣り船は、これま 有毒な藻類の異常発生 でにないほどのにぎわいを見せた。 2015 年 8 月、シェイファーは船をチャーターし、サンディ NOAA の研究者キャシー・ルフェープルと私 工ゴの西の沖へ向かうと、水中銃でヒラマサを を乗せたトラックは、無線で教えられたホーマ 仕留めた。するとそのとき、腹をすかせた 1 頭 ースピットの海辺に着いた。ラッコの死因で近 のアシカが傍らを猛スピードで泳いでいった。 年多いのは、連鎖球菌の感染とその合併症 マイワシが見つからないときなど、アシカはよく だ。ひどくやせたラッコもいたが、今年は一見 大型魚を横取りする。それを知っていたシェイ 健康そうなラッコも死んでいる。アラスカ海洋 ファーは、ヒラマサを引き寄せ、船へと戻ろうと 国立野生生物保護区の研修生たちが解剖を したが、その矢先に、体長 2 メートルのシロシ 始めた。一人の研修生が、その前の週に、け ュモクザメが襲いかかってきた。シェイファー いれんを起こしているラッコを見たと報告する は手首をかまれ、 40 針も縫う大けがをした。カ と、ルフェープルが興味を示した。「アシカで、 リフォルニア沿岸では、シロシュモクザメが現れ 私も同じ症状を見たことがあります」 ることはもとより、人間を襲うことはめったにない 1998 年、米カリフォルニア大学の博士課程 が、海水温が高かった 2015 年には何度もこう の学生だったルフェープルは、体がふるえる症 した事故が起きている。海で生じた異変は、 状が出ている病気のアシカを何十頭も見た。ル 114 NATIONALGEOGRAPHIC ・ 2016 - 9
反対派は「セープ・ザ・コンフルエンス」という 団体を設立した。そのメンバーの一人であるレ ネー・イエローホースは、私たちがここに来る と知り、車をもつ友人の運転で 60 キロ余り離れ た自宅からやって来た。伝統的な羊肉のシチ ューを振る舞い、思いのたけを伝えるためだ。 イエローホースによれば、ホイットマーの一 派は、投資家を募ってロープウェーの建設資 金 10 億ドル ( 約 1000 億円 ) を集める一方、反 対派の筆頭に立っナバホ族代表ラッセル・ビゲ イを通さずに話を進めようと、ほかの議員たち との連携強化をもくろんでいるという。居留地 はそんな墫で持ちきりらしい。「私に孫ができた ら、先祖が見てきたままの景色を見せたい。大 峡谷の端っこに、ディズニーランドなんか欲しく ないんです」と彼女は話す。 車を運転してきたロジャー・クラークという男 性が、詳しい経緯を話してくれた。彼が所属 する自然保護団体グランドキャニオン・トラスト は、 30 年前から大峡谷のさまざまな脅威と戦っ てきた。彼はロープウェー計画自体も憂慮して いるが、それ以上に心配なのは、グランドキャ ニオンがほかにも大きな脅威にさらされ、かっ てない危機が迫っていることだという。 クラークをはじめ多くの環境保護活動家が 問題視しているのは、国立公園の南側入り口 から 3 キロほど離れたツサヤンという小さな町 で一気に下りることができ、ショッピング施設や の動向だ。 こをリゾート地に変える計画があ フードコート、コンフルエンスを一望する円形劇 る。数千戸の住宅が建てられ、広さ 1 万平方 場のような施設もできるという。グランドキャニオ メートル以上もある商業施設が誕生するかも ンでは過去にない規模の開発計画だ。 しれない。 このプロジェクトを強力に後押しするのが、 開発が進めば水の消費量が一気に増える。 ステイロというイタリア系企業を中心とする開発 政治コンサルタントの R ・ラマー・ホイットマーだ 彼はロープウェーができれば地元にお金が落 側は、水は鉄道で運ぶか、コロラド川からパイ ちると、ナバホ族の議員たちを説得した。一方、 プラインで引く方法を検討しているという。だが 計画に反対しているのは環境保護活動家と、 彼らは井戸の掘削権も所有している。大峡谷 地元の先住民だ。ナバホ族の一部を含めてほ の泉や湧き水を潤す地下水をくみ上げることも ばすべての先住民族が反対に回っている。 できるのだ。 ( 78 ページへ続く ) グランドキャニオン 73
リトルコロラド川とコロラド川の合流点 「コンフルエンス」は、地元の先住民にと っては聖地。しかし、ここに商業施設や ロープウェーを建設する計画がある。 米国人は、大峡谷を 守ろうとする一方で、 金もうけの誘惑にも 駆られてきた。 グルアの偉業から 40 年近くたったが、大峡 谷を横断した者は少数しかいない。全行程を いくっかの区間に分け、 1 区間ずつ中断期間 をはさみながら踏破した者で、 25 人足らず。 途中で中断することなく一気に歩き通した者と なると、 2015 年時点でわずか 8 人だ。月面に 降り立った人間の数 ( 12 人 ) より少ない。 ルドウの計画を知った写真家のピート・マク プライドは、同行させてほしいと彼に連絡した。 とはいえピートと私は、グランドキャニオンの川 下りこそ何度もやっているが、トレッキングの技 64 NATIONAL GEOGRAPHIC ・ 2016 - 9
グランドキャニオン・ウェストの遊覧飛行 に参加した観光客。今春、「ヘリコプター 通リ」と呼ばれる地域で本誌が数えたとこ ろ、 5 時間で 262 回の飛行を確認した。 多いときは 1 日で 450 回以上になる。 「大峡谷の端っこに、 ディズニーランドなんか 欲しくないんです」 レネー・イエローホース、ナバホ族の女性 11 月 2 日朝、私たちは川を渡って、高さ 1000 メートルほどの険しい岩登りに着手した。崖を いくつもよじ登り、ようやく着いたのは、ナバホ・ ネーション居留地の西端だ。 このルートを選んだのは、アリゾナ州スコツツ デールの企業グループが建設を計画している ロープウェーの予定ルートと平行しているから だ。完成すれば 8 人乗りのゴンドラで川べりま ・ナショナルジオグラフィック協会支援プロジェクト 今回のグランドキャニオン横断は、読者の皆様の購読料によってサ ボートされています。 72 NATIONAL GEOGRAPHIC ・ 2016 - 9
・をヾ ~ ラ朝当をタ 文 = ケビン・フェダルコライター写真 = ピート・マクプライド いてきた道を戻るにしても、食料が底を突きか を踏み外したら、奈落の底へ真っ けている。前進するしかない。 逆さまだ」。探検家のリッチ・ルドウ が大声で言った。一瞬たりとも気 この数日間歩いてきた岩棚は目の前で途切 を抜けない。私たちがいるのはグランドキャニ れ、その先は深くえぐれた断崖になっている。 オンのサウスリム ( 南側の崖の縁 ) から突き出 ここはアウル・アイズ ( フクロウの目 ) と呼ばれて た、グレート・サム・メサと呼ばれる細長い台地 いる場所だ。断崖の真ん中に開いた楕円形の の突端だ。下を流れるコロラド川からの高さは、 2 つの大穴が、フクロウの目さながらに白昼の 大峡谷をにらみつけている。 およそ 1000 メートル。ここまで来たら、登山用 こは悲劇の舞 具がなければ川に下りられない。 8 日かけて歩 台でもあった。 4 年近く前、ルドウの友人だった 62 N AT 10 N A L G 旧 0 G A P H ー C ・ 2 016 - 9