第・・第 EXPLORE 地球 世界に広がる大気汚染 ある地域で発生した大気汚染は、すぐに世界中に広がるものだ。こ のほどオランダと米国の研究チームが、温室効果ガスの主な排出 国である中国から汚染物質のオゾンが広がっていく過程を追 跡した。衛星画像を利用した研究の結果、中国のオゾンが 太平洋を越え、米国の西海岸に到達していることがわか った。 2005 年から 2010 年の間に、米国が削減したオ ゾン汚染を 43 % 相殺したことになる。 大気中のオゾンの影響は、高度によって異なる。 オゾンは大部分が地表近くにとどまり、濃度が高 くなり過ぎると植物の生育や動物の呼吸を妨げ る。自由対流圏では温室効果ガスとなるが、 その一方でほかの大気汚染物質を分解する 役割も果たす。さらに上空の成層圏では、オ ゾンが放射線から地球を守っている。 中国では経済成長とともに大気汚染が深 刻化した。一方、ほかの排出国からの汚染 物質も、同じように世界に広がっていく。 「一つの地域から排出される汚染物質が世 界に影響を与え、他国の対策を帳消しにす ることを示したかったのです」と、大気化学 者のビレム・ノヾーストラテンは話す。 ダニエル・ストーン ジ ア ア 中国の経済成長 2005 ~ 2010 年に、中国経済 は 2 倍以上の成長を遂げた。 この間に、中国東部ではオゾン の発生源となる窒素酸化物の 排出量が 21 % 増加した。 中 国 3 の 汚染物質の“幹線道路” 季節によって強さやルートは 異なるが、亜熱帯ジェット気 流は地球規模で大気を循環さ せ、汚染物質を中国から米国 へ、米国から欧州へと運ぶ。 成層圏 ~ 9 km 中国での排出量の増加に起因する オゾンの推定濃度 ( 2005 ~ 2010 年 ) ーシ土ット刄 ) ル 自由対流圏 ~ 3 km 地表付近の大気 15 % 10 % 0 % 5 % 32 ANDREW UMENTUM, NGM STAFF 出典 : WILLEM W. VERSTRAETEN AND OTHERS. NATUREGEOSCIENCE
・マイアミ フロリダ州 , ( 米 ) コ メ キ シ 北米 へキューバ キーウェスト 太平洋 南米 非回帰線 ↓ハバナ↓バラう日・ マタンサス サンタ・クララ . 0 ・ シェンフェゴス↓ 諸島 外国人が 入国可能な地点 空路 ↓海路 : 。・サンゴ礁 ラファ工ル・フレイレ カマグエイ サン、・ルシア ) ↓ ネオルギン 、・ . マンサニョ テ・クーバ グアンタナモ米海軍基地 又 乙諸島ヾ フヘントウド島 工 / い サン・アントニオ呷↓ 拡大図の範囲 アナ・マリア湾 ′ケイマン諸島 ( 英 ) ノ Z シンコ・ バラス群島 カリブ海 0 km 50 米国人観光客の波 2015 年にキューバを訪れた米国人の数 は、一気に 30 % も上昇して 45 万 4000 人となった。観光客の急増は、キューバ のインフラだけでなく、豊かな自然環境 にも負担をかける可能性がある。 ラス・ドセ・ レグアス群島 " 女王の庭 " 国立公園、、 アンクリタス群島 ロス・インディオス群島 ラベリント・デ・ ラス・ドセ・レグアス群島 ヒックス群島 3 Okm 10 シェンフェゴスの青果店では、店員のジャネ う。しかし彼は、「そんなことはないと思います ットが店の前をぞろぞろ歩いていく米国人の一 よ。政府を信じているし、キューパ人はしつか 団をおもしろそうに眺めていた。たまに立ち止 りしている。それに、米国人も悪いことはしない まって店内をのぞき、写真を撮る観光客もいる でしようから」と言っていた。 が、基本的には素通りだ。ハバナ市内で宿を キューバには、「レソルべール」という大切な 営むセニョーラ・マルタも、クルーズ船の客は、 言葉がある。この言葉は、現代のキューバが 彼女の宿にはお金をまったく落とさないとこほ 抱えるさまざまな問題を、自分たちの頭と手を すが、現在のキューバには外国人観光客が 使って何とか乗り切っていくという意味で使わ 必要だとも話した。サンチアゴ・デ・クーバのタ れる。ソ連崩壊後の経済危機やキューバ政府 クシー乗り場では、年代物のロシア車ラーダで の度重なる失政、そして恐ろしく長期にわたる 観光タクシーを営むホルへという運転手からこ 米国の禁輸措置などがもたらした苦境を、実 んな話を聞いた。彼は以前、土木技師だった に多くのキューノヾ国民が、レソルべール精神で が、技師としてもらえる国からの給与よりも、タ しのいできた。一般市民はそのことを誇りに思 クシー運転手の方がはるかに稼げるから転職 っている。 したそうだ。米国人が大挙して来るようになっ 米国人観光客の大波が押し寄せようとする たら、麻薬や売春が横行し、キューパ人は搾 今、キューパ人が最も心配しているのは、彼ら 取されるに違いない、と心配する声を聞くとい がキューバに何を期待してやって来るかだ。 JON BOWEN. NG STAFF. 出 R:IUCN AND UNEP-WCMC,WORLD DATABASE ON PROTECTEDAREAS ( 2016 ) : WORLDFISH CENTER; WORLD RESOURCES INSTITUTE; NATURE CONSERVANCY
北極点 アラスカ州 ( 米国 ) 北 米 汚染物質によって相殺された。 の一部は、太平洋を越えてきた を 21 % 削減した。しかし削減分 国西部では窒素酸化物の排出量 中国経済が急成長した時期、米 帳消しになる削減努力 台湾 , 。 中国 ( 米国 ) 、 、 / ハワイ州 : 自由対流圏のオゾン 化石燃料の燃焼で生じた窒素酸化物と一 酸化炭素が太陽光を浴びると反応を起こ し、オゾンが生成される。ある地域でオゾ ンを削減しても、大気の循環によって他 国の汚染の影響を受けることがある。 国 訛極点 米国 地表付近のオゾン オゾンがどこへ移動するかは、 地形や大気の条件に左右され る。中国で発生したオゾンの大 部分は東アシアに停滞し、スモ ッグの原因となっている。
NATIONAL GEO GRAPHIC 2 016 年 1 0 月号 38 66 84 126 欧州の新しい顔 多摩川 血に染まる キューバ サイの角 大都会のふるさと 変化の大波を前に 昨年以来、欧州に続々と到 着する難民たち。多くが中 今年 5 月、米国のクルーズ 高度経済成長期には、水 闇市場で取引されるサイの 東の戦火を逃れてきた人々 質が著しく悪化し、生き物 角。取引解禁を訴える 2 人 船がキューノヾのハノヾナ港に た。今年に入っても、欧州 の姿が消えて「死の川」と呼 の南アフリカ人の不穏な動 入った。両国の国交回復を はれた多摩川。水質が改 受け、 40 年ぶりに実現した の難民問題は収まりそうに きが、希少動物であるサイ ない。自国の文化を揺るが 善し、輝きを取り戻した川 の未来を脅かそうとしてい のだ。急増が予想される米 は今、さまさまな生き物や す事態に直面した国は、ど る。特別調査チームが現地 国人観光客を、キューノヾの んな反応を見せるのか。 人間を育んでいる。 を取材し、深層を伝える。 人々はどう迎えるのか ? 未来へ伝えるアフリカ系米国人の足跡 米国の首都ワシントンに開設された国立アフリカ系米国人歴史文化博物館。その多彩な 展示品は、黒人たちの苦難と忍耐、勝利の歴史を伝えている。 1 08 ER ルイ・アームストロングのトラ ンヘット。アフリカ系米国人 の足跡をたどる新しい博物館 の展示品の一つた。 GRANTCORNETT
文 = シンシア・ゴー ージャーナリスト 写真 = デビッド・グッテンフェルダー キューバが初めて見えたのは、月曜日、太陽が昇った直後だった。 全長 1300 キロほどの島は、最初のうちは揺らめく水平線と 見分けがつかなかったが、やがて、朝焼けに染まった空を背景に 起伏のある輪郭が浮かび上がり、ついには建物が見え始めた。 船の最上階デッキはテレビ局の取材班です し詰めだった。そのほかの乗客は、すぐ下の 階のデッキに群がった。ハバナの海岸線を走 るマレコン通りが見えてきた。通り沿いの防波 堤と遊歩道には、窮屈な自宅を抜け出して新 鮮な空気を吸おうと、ハバナ市民たちが集まっ てくる。晩にタ涼みの人々でにぎわうのが常だ が、この日は様子が違った。朝の 9 時だという のに大勢の人たちが集まり、手にした国旗を高 く振り、歓声を上げている。 日曜日の午後にフロリダ州のマイアミを出港し たとき、これから何が待ち受けているか、誰に も見当がつかなかった。米国のクルーズ船が ほば 40 年ぶりにキューバに入港するとあって、 キューバ国内で反カストロ感情が高まるのでは ないかと心配する声もあった。だが、ハバナに 着いてみると、お祭り騒ぎの歓迎だった。その 熱狂ぶりに驚いて、客船ターミナルで両替する とき、私はガラスの仕切り越しに、窓口の女性 職員にスペイン語で尋ねてみた。 私 : 「いつもこんなに派手なんですか ? 」職員 : 「はい ? 」私 : 「ドラムとか、音楽とか、ダンサー とかでいつも出迎えるんですか ? 」職員 : 「はい っ ? 」職員が仕切りの隙間からペンをよこしたの で、私はレシートの裏に書いた。「米国人が来 るから特別なんですか ? 」彼女は苦笑いしなが らうなずいた。女性ダンサーたちはハイヒール を履き、キューバの国旗柄の水着に身を包み、 髪には大きな銀色の星形の飾りを付けていた。 職員と私は、二人のダンサーが満面の笑みを 浮かべながら、下船してきた短パン姿の男性に すり寄っていくのを見た。職員の顔に一瞬何 128 N AT ー 0 N A L G を 0 G A p H ー C ・ 2 016 -10 かがよぎった。嫌悪感だったと思うが、彼女は すぐにうつむいて、ペソ貨幣を数え続けた。携 帯電話で撮られた水着姿のキューバ美女たち の写真は、瞬く間にネット上で広がり、のちの ち波紋を呼ぶこととなる。 「あんた、私たちの間にお座りよ」。そう声を かけてきたのは、ハビエルとリディアだった。彼 らはターミナルからさほど遠くない、傾きかけた 古い建物に住むご近所同士だ。二人は混み 合う防波堤に並んで腰かけ、釣り糸を海に垂ら しながら、停泊している米国のクルーズ船を眺 めていた。そこに私も座れるようにとスペース を空けてくれたのだ。 そこから見ると、私たちが乗ってきたクルー ズ船「アドニア号」は並外れて巨大な物体に感 じられた。水上に見えている窓は、全部で 9 層 もある ( 写真家のデビッド・グッテンフェルダーと 私の部屋はそれぞれ、 4 層目のどこかにある ) 。 キューパ人から見れば、真っ白に輝く船体は、 こんなことが大きく書かれた巨大な看板のよう に思えたのではないだろうか。「米国人が来る ぞ、気をつけろ」 見方によれば、このクルーズ船の姿は、キュ ーバの将来を暗示しているといえるだろう。キ ューバにとって、クルーズ船は取り立てて珍し いものではない。外国籍の客船がこの国に寄 港するようになって、すでに数十年がたつ。外 国人相手の観光業も以前からある。ソ連崩壊 で経済支援が打ち切られ、不況が深刻化し始 めたとき、キューバ政府は新たなピーチリゾー トの建設を許可し、それがカナダ人やヨーロッ パ人に人気を博したのだ。
20 本☆ 2015 年にインドから違 法に輸出されたサイの 角の数 ( 推定値 ) 中国 カジラノガ 国立公国 ミャンマーラオ タイ カンポジ フーコック島 マレーシア シンガポール 日有 ( 密輸の中継地 てもある ) ブータン ネパール サイの角の違法取引 ( 2008 ~ 15 年 ) ■消費地 ■密猟・密輸に関与 密輸 ( 窃盗を含む ) に関与” ■過去の消費地 カタール 首長国連邦 イエメン インド ・トナム 」、 1 ンドネシア フィ丿ヒ。ン ろリランカ 2100 本☆ 2015 年にアフリカから 違法に輸出されたサイの 角の数 ( 推定値 ) 闇市場に流れるサイの角 ( 2008 ~ 15 年 ) 港湾、空港、道路の検問所で発見、押収された量。 押収量 南アフリカ 821 kgt ( 推定値 ) 中国 527 ベトナム 443 293 ←モサンビーク 7 たケニア 切った角は銀行の貸金庫などで厳重に保管さ たモザンビーク人の密猟者は 500 人にのばる。 れ、売買解禁の日を待っている。 サイの密猟は過去 10 年で急増している。密 一方、闇取引された角のほとんどはベトナム 猟で殺された南アフリカのサイは 2007 年は 13 と中国に輸出される。角の粉末は、がん、二日 頭、翌 2008 年は 83 頭だったが、 2015 年には 酔い、毒ヘビのかみ傷など万病に効くと信じら 1175 頭に達した。 9000 頭が生息するクルー れ、精力増強の薬としても使われる。グルネパル ガー国立公園では平均 2 ~ 3 日に 1 頭のペー トの話では、シロサイの角の取引価格は、南ア スで殺されている。インドでも、 2016 年 4 月にカ フリカの闇市場では 1 キロ当たり高くて 65 万円 ジランガ国立公園でインドサイが射殺された。 程度だ。ところがアジアでは 5 ~ 10 倍に跳ね 英王室のウィリアム王子夫妻が現地を訪問し、 上がり、末端価格は天文学的数字になるとい 野生動物の保護を訴えてからわずか数時間 う。約 10 キロの角をもっ雄のサイを 1 頭仕留め 後の出来事だった。サイの密猟が多発するク れば、人生が一変するかもしれない。かくして ルーガー国立公園で主任レンジャーを務める 隣国モザンビークからも国境を越えて、一獲千 ゾラニニコラス・フンダは、最前線に立つ彼ら 金を狙う密猟者たちがクルーガー国立公園に にとって、サイの保護活動は「もはや戦争です」 忍び込むのだ。しかし現実には、カラシニコフ と言う。「サイをめぐる闘いは、麻薬戦争のよう 自動小銃を売る武器商人に搾取されることも多 な状態です。莫大な額の現金と賄賂が動き、 いし、当局の取り締まりで命を落とすこともある。 司法制度は無力、裁判では負けてばかり。地 2010 ~ 15 年にクルーガーで当局に射殺され 元の警察も密猟者に協力しているありさまです」 ☆サイの角の約 8 割が市場に出回ると仮定した推定値 ( データ提供 : Esmond Martin, Lucy Vigne) ☆☆地図上にない国 : カナダ、米国す 2009 年時点で同国内のサイは絶滅。 93
アドニア号が接岸したターミナルには、キューバの人々が大挙して詰めかけ、 米国人を熱狂的に迎えた。「こんな船が米国から直接来るなんて、本当にうれしい」。 ある男性は言葉を続けた。「 50 歳になるけど、こんな立派な船は初めて見たよ」 米国の禁輸措置は、現在も米国民に対し、 際空港の掲示板では、「シェンフェゴス ( キュ 財務省が定義する「観光活動」を目的としたキ ーバ ) 」という目的地はおなじみだった。 ューバへの渡航を禁じているものの、 5 年ほど 街角に現れた 700 人の米国人 前から米国人渡航者の数は、目に見えて増え ている。外交関係の再開が発表された 2014 シェンフェゴスは決して大きな街ではない。 年 12 月以前から、オバマ政権はすでに、「教 だが、国際空港とクルーズ船用のターミナルが 育的な目的をもつ人的交流」の団体旅行を許 あり、今回 3 カ所設けられていた周遊先の 2 番 可していた。つまり、ラム酒を飲みながらビー 目の寄港地だった。こういう小さな都市で 700 チでのんびりと寝そべって過ごすのは認められ 人もの観光客を一度に受け入れるのは、そう ないが、たとえば、子どもたちにバイオリンを教 容易なことではない。私は今回の旅の行く先々 える学校を訪ねるなら構わない、ということだ で、防波堤で知り合ったハピエルの言葉を思い そして今年 3 月には、禁輸措置を順守すると 出した。「キューバは少しずっ良い方向に変わ いう宣誓書に署名することを条件に、人的交 っていくでしよう。大丈夫です」。ハビエルはこ 流を目的とする個人旅行も許可された。さらに んなことも言っていた。「米国から観光客が押 8 月下旬には、キューバへの定期航空便が就 し寄せてきても大丈夫。この国は少しすっ変わ 航した。もっとも、チャーター機は以前からフ っていくけど、それはいいことですよ。ちゃんと ロリダから頻繁に飛んでいたため、マイア国 やっていけます」 132 N AT 10 N A G 0 G R A P H I C ・ 2 016 - 10
未来へ伝える アフリカ系 米国人の足跡 米国の首都ワシントンに開設された 国立アフリカ系米国人歴史文化博物館。 その多彩な展示品は、黒人たちの 苦難と忍耐、勝利の歴史を物語る。 フレデリック・ダグラスの湿板写真 108 PATRICKWITTY. NGM STAFF( 上 ) 尊厳を伝え、黒人への見方を変える力があると信じていた。 展示品の一つ。自らも奴隷だった彼は、写真には被写体の ( 右ページ ) も、今年 9 月に開館した博物館 ( 上 ) の 1 9 世紀に奴隷制廃止運動を率いたダグラスの写真
1915 年 ワシントンで開催される南北 戦争終結 50 周年式典に出席 する黒人退役軍人を支援す る目的で、黒人市民協議会 が結成される。その使命は 後に拡大され、「米国に対す る黒人の員献を紹介するに ふさわしい美しい建物」を首 都に設立することを求めるよ うになる。 1929 年 ハーパート・フーバー大統領 が「国立記念館」の立案に当 たる黒人指導者を指名する が、予算はつかなかった。 1967 年 スミソニアン協会が、ワシン トンの黒人居住地区に、黒人 の歴史と文化を紹介する博 物館を開設する。 1968 年 黒人作家のジェームズ・ボー ルドウインらが「黒人の歴史 と文化担当委員会」の設置を 連邦議会に求める。 1981 年 議会がオハイオ州にアフリカ 系米国人の国立博物館の設 置を承認。運営は国の支援 なしに行われている。 1986 年 ツアーパスの黒人運転手ト ム・マックが、ナショナル・モ ールに博物館設立を求める 運動を起こす。 1988 年 公民権運動の指導者ジョン・ ルイス下院議員が博物館設 立の法案を提出。 2003 年、 ついに議会を通過する。 や大量虐殺、飢餓、難民、奴隷制などの汚点 をもつ社会は、何を、どのように記憶にとどめる かを決めなければならない。 博物館は人々が共有する記憶を形成するう えで重要な役割を果たす。アフリカ系米国人 歴史文化博物館は、本来なら国民が忘れてし まいたい歴史に目を向けさせようとしている。 200 年以上にわたって米国の法律が公然と認 めてきた奴隷制は、米国人の暮らしの隅々にま で影響を与えてきたが、依然として正統な米国 史のなかできちんと取り上げられていない。こ の新しい博物館は、奴隷制から人種隔離を経 て勝利を手にした、アフリカ系米国人のたどっ た苦難と栄光を正面から見つめているのだ。 この博物館の学芸員たちは、マクベイの祖 父の遺品のような発見をことのほか喜ぶ。 10 年前に展示品の収集作業を開始したとき、市 場価値のない遺品や史料の多くは地下室や 屋根裏部屋、車庫、収納用のトランクにひっそ りとしまわれていると考えていたからだ だが彼らは、今も黒人の歴史の多くが埋も れたままであるという確信を裏付ける、もうーっ 別の現実に気づいた。黒人の家族は往々にし て、苦難に満ちた一族の過去を掘り起こしたが らない。非人間的で屈辱的な人種隔離の制 度がまかり通った時代を生き延びた人々の多く が、前進するためには、過去について口をつぐ むことが最良の方法だと判断したのだ そのためには封印するほかないものがあっ た。マクベイが見つけた祖父の箱の中には、ク ロワ・ド・ゲール勲章のほか、祖国から授与さ れた勲章二つ、フランス政府からの感謝状、 米国陸軍の制服姿の祖父の写真も収められて いた。「なかに 1 枚、上の方に祖母が英雄 " と 書いた写真があり、感動しました。祖父は本当 に勲章をもらっていたのです。私はその場に座 り込み、泣いてしまいました」とマクベイは語る。 こうした思い出を、どうして家族が忘れること ができるだろう。 ニューヨーク市に戻った黒人兵士たちは英 雄として迎えられた。だが凱碇パレードが終わ れば、彼らが戻ってきたこの国は、相変わらず 黒人を対等とは見なさない場所だった。兵士 レッドサマー たちが帰国した 1919 年、「赤い夏」と呼ばれる 人種暴動事件が各地で起き、数百人ものアフ リカ系米国人が白人の暴徒に殺害された。 「当時の状況を知れば知るほど、祖父の過 去が一切封印されてきた理由がわかりました。 それほどっらかったのです」とマクベイは語る。 自ら奴隷の役を演じて 博物館の学芸副部長、レックス・エリスの役 割は、「物語を部分的に、一部の人々が安心 して読める形で伝えるのではなく」、すべてを 包み隠さす語ることにある。だがこの使命は、 反発を招かすにはおかなかった。 アフリカ系米国人の足跡 115 ヒーロー
キューバの魅力として旅行バンフレットなどで よくうたわれるのが、米国的なもの ( たとえば、 マクドナルド ) が一切見当たらない、ということ だ。ハバナの建築家ミゲル・コジューラが、こん なことを話してくれた。「キューバに来たがって いる米国人の 99 % が口をそろえて言うんです。 今のままのハバナを見たいとね」 そうせん つまり、米国人にとっては古色蒼然とした街 が変わってしまう前に見ておきたいということな のだ。だがキューバはどう変貌するのだろう。 コジューラは観光を敵視しているわけではな い。カリブ海最大の島であるキューバが米国 人観光客を受け入れれば、観光業の発展は 間違いないと考えている。一方、過熱した観 光がいかに危険であるかも明らかだと言う。 ちょうどアドニア号がキューバ沿岸を周遊し ていた頃、観光をテーマにした会議が開かれ、 数十人の学者や役人が参加していた。あるプ レゼンテーションでは、「バイバイ、バルセロナ』 というドキュメンタリー映画が紹介された。観 光客が街にあふれた結果、地元住民がまとも に暮らせなくなったという内容だ。怒れるバル セロナ市民は「テーマパークの中に住んでいる みたいだ」と不満をあらわにした。 キューバは米国からわずか 145 キロしか離 れていない島国だ。パルセロナの状況はひとご とではない。現在カリブ海で運航しているクル ーズ船のなかには、アドニア号の 6 倍もの乗客 を運べる巨大船もある。アドニア号の船主であ るカーニバル社は、目下、キューバ向けのプラ ン作りを進めている。カリブ海に関心を寄せる そのほかの米国のツアー会社も同様だ。 年間 300 万人の米国人観光客 試算によれば、いすれは年間 300 万人の米 国人観光客がキューバを訪れることになるとい う。受け入れる側のキューバの人口は 1100 万 人。その多くが、子どもに十分な粉ミルクを与 えたい、故障したトイレを直したい、べランダが 崩れるのを防ぎたいと、日々、知恵を絞ってい る。彼らの生活改善につながるように、大量の 米国人を受け入れる方法はあるのか。 「そのことをずっと考えてきました」。そう話す のは、ハバナにある大学の経済学教授ラファェ ル・べタンクールだ。「リスクは付き物です。で も私は基本的に楽観的です。ここには独自の 伝統と、確固たる文化と歴史がありますから」 べタンクールとは、例の国旗柄の水着の話も した。写真が出回り始めた当初、国の尊厳を 傷つけ、公序良俗に反するという厳しい批判 があった。ニコラス・ギジェンという作家が 1930 年代 ( キューバ革命よりはるか以前 ) に書 いた詩を引き合いに出して、「恥さらし」と非難 する工ッセイもあった。引用された詩は、ドル欲 しさにヤンキーのクルーズ船に駆け寄っていく マラカス奏者について書かれたものだ。 その工ッセイについて尋ねると、べタンクー ルはため息をつき、彼の知る限りでは、水着の ダンサーたちに腹を立てている人は誰もいな い、と言った。「別に国旗を侮辱しようという意 図があったわけではありませんから」。あのに ぎやかな催しは、「熱烈な歓迎の気持ちを表 す、フレンドリーで踊り好きなキューパ人」という イメージを演出しようとしたものだ。 オが、こうした騒動もあながち無駄ではな い、と彼は言う。「おかげで議論が始まりまし た。これから訪れる変化には十分に気をつけよ う、ということです。注意を怠ってはいけません。 キューバのアイデンティティーが危機にさらされ てはいけませんから」ロ MARKTHIESSEN, NGM STAFF 4 回目のキューバ訪問となった筆者のシン シア・ゴー ー (Cynthia Go 「 ney)o 写真 家のテビッド・グッテンフェルダー ( David Guttenfelder) の船室には窓があったの に、自分のにはなかったと不満そうだった。 キューバ変化を前に 135