アメリカ映画 - みる会図書館


検索対象: かもめのジョナサン
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1. かもめのジョナサン

五木寛之 ひと月ほど前に、『グライド・イン・プルー』というアメリカ映画を見た。ハ ナレーの凄いオートバイが出てくる一風変った映画である。最後のシーンで、主人公 ナ の小男の警官がヒッビーに撃ち殺されてしまう場面を見ていて、なんとなく息がっ のまるような重苦しい感じがした。ただ重苦しいだけではなくて、どこか虚脱感をと もなった哀切さのようなものもあったような気がする。 その映画を見終って帰る途中、すっと『イージ ー・ライダー』のことを考えてい オイノー・ライダー』では、オートバイに乗ったヒッ。ヒーが保守的な南部の 男たちにショットガンで吹っ飛ばされるのだが、『グライド・イン・プルー』では、 それが逆になっている。白バイに乗った若くて、いささかおっちょこちょいな警官 が、麻薬の運び屋をやっているヒッビーに銃で撃ち殺されてしまうのだ。それも免 許証を忘れたヒッビーに、そいつを届けてやろうと彼らの車を追っかけている最中 132 すご 解説

2. かもめのジョナサン

説 解 にである。ここでは暴力がヒッビーの側から行使される。撃たれた警官の死にざま しつこうにばっとしたものではない。ぶざまな、間の抜けた殺され方なのだ。 それはあのビーター ・フォンダのバイクが弾かれたように空を斜めにすっ飛ぶラス ト・シーンの恰好のよさとは、まるでくらべものにならない。 この二つのアメリカ映画の間にある、ほんの数年間にしか過ぎない時の経過には、 とほうもない深い裂け目がほっかり口をあけているような気がする。ドロップアウ ・一フィ トする若者がアメリカの痛ましい自由と夢の象徴として描かれた『イージー ダー』の時代には、苦しみはあっても、どこかに或る明るさもまた漂っていた。そ こにはまだ確かな脱出口が見えていたはすだ。たとえ犠牲を必要とする途であった としてよも。 だが、『グライド・イン・プルー』に描かれた世界は、私たちの時代が、いやお うなしに直面せざるを得ない、醒めた、不快な、ざらざらした手触りの現実である。 ・ビーセス』をはさめ この二つの映画の間に、もうひとつ、『ファイヴ・イージー ば、そこに余りにも素早く風化して行く私たちの時代の透視図が描けるだろう。そ れは決して後味のいい作業ではない。ここにはまさに「第一二期」のロスト・ゼネレ イションともいうべき精神的な真空状態が広がっていて、何かを強く呑みこみたが

3. かもめのジョナサン

ある「古き良きアメリカ」の姿なのではなかろうか。この物語を翻訳するにあたっ て、私はアメリカから朗読のレコードや、ニール ・ダイヤモンドが作曲し、みずか ら歌っているサウンド・トラック版などをとりよせ、何度となく聞き返した。それ は聞けば聞くほど憂鬱になってくるしろもので、朗読は声を震わせて時代劇のセリ フみたいだし、レコードはまるで古い映画の『ス。ハルタカス』あたりの音楽を連想 させるのである。フルオーケストラはワーグナーでもやりかねない勢いで重々しく ナ響き渡るのだ。偉大、荘重、神秘、高揚、そういった感じを必死になって表現しょ , うとしている具合なのである。かって一九三〇年代に、人々はそういうものを求め のたことがあった。い ま、アメリカの民衆は一体なにを待望するのだろう。いや、そ れはアメリカだけのことではないのではなかろうか。 およそ翻訳という作業において、原作への共感と尊敬が不可欠であることは、私 も知っている。しかし私はただ不満と反撥からこの仕事をはじめたのではなかった。 そこには事実、体を灼くような強い関心もまたあったのだ。私が心を動かされたの すさ は、この短い物語が、いま、この一九七〇年代に、アメリカの大衆の中で、凄まじ いほどの支持と共感を集めつつあるという、疑いもない事実ごっこ。、 オカしま、人々は 何を待ち望んでいるのか ? この物語が『日本沈没』などとは比較にならない多く 138

4. かもめのジョナサン

説 解 の読者をかちえた、その魔力は何なのか ? それはアメリカをこえて、世界に広が りはじめる傾向なのか ? 大衆の求めるものが、この物語のさし示すものと重なる とすれば、そこには或る怖ろしい予感がよこたわっている。あえて私が不慣れな仕 事に手を出したのは、それをこの手で確かめてみたいという、強い欲求からだった。 大衆的な物語の真の作者は、常に民衆の集団的な無意識であって、作者はその反射 鏡であるか、巫女であるにすぎないとする私の立場が正しければ、この一つの物語 は現在のアメリカの大衆の心の底に確実に頭をもたげつつある確かな潜在的な願望 のあらわれと見なすべきである。いま私の想像力を深いところでしきりにつついて いるのは、この物語が、わが国で果してどのように人々に受け人れられるか、それ ともどのように拒絶されるか、その一点にかかっている。それにしても私たち人間 はなぜこのような〈群れ〉を低く見る物語を愛するのだろうか。私にはそれが一つ の重苦しい謎として自分の心をしめつけてくるのを感ぜすにはいられない。食べる ことは決して軽侮すべきことではない。そのために働くこともである。それはより 高いものへの思想を養う土台なのだし、本当の愛の出発点も異性間のそれを排除し ては考えられないと私は思う。管理社会のメカニズムの中で圧殺されようとしてい る人々が、この物語にひとつの脱出の夢を托するという可能性もわからないではな たく

5. かもめのジョナサン

説 解 暮しているという作者らしく、ジョナサンが未知の飛行技術に挑むあたりの描写は、 何とも現実感があふれていて、中年男の私でさえちょっと胸のはずむ感じもある。 ふんいき しかし、この物語が体質的に持っている一種独特の雰囲気がどうも肌に合わない のだ。ここにはうまく言えないけれども、高い場所から人々に何かを呼びかけるよ うな響きがある。それは異端と反逆を讃えているようで実はきわめて伝統的、良識 的であり、冒険と自由を求めているようでいて逆に道徳と権威を重んする感覚であ る。第二章、第一一一章と、後になるにしたがってユーモラスなところが少くなって行 くのも奇妙な感じだし、奇妙といえば、この物語の中に母親を除いてただの一羽も 女性のカモメが登場しないのも不思議である。後半では完全に男だけの世界におけ る友情と、先輩後輩の交流だけが描かれる。食べることと、セックスが、これほど 注意ぶかく排除され、偉大なるものへのあこがれが上から下へと引きつがれる形で 物語られるのは、体どういうことだろう。総じてジョナサンの自己完成が、群れ のカモメⅡ民衆とはほとんど切れた場所で、先達から導かれ、さらに彼が下へそれ を伝えるという形式で達成されるのも、私には理解しがたいところなのだ。彼の思 ラヴ う「愛」には、どこかチャリティショウの匂いもしないではない。ここにあるのは、 私の思い描く「良きアメリカ」ではなく、アメリカがいまノスタルジーを感じつつ たた

6. かもめのジョナサン

説 解 135 或る先人観のようなものができていて、実際に少しすっ読み進んで行くと、かなり 前に考えていた種類の物語と違っている感じが私をとまどわせたのだろう。アメリ 力は再び英雄を待ち望んでいるのか、と、奇妙な気がしたものだった。この物語の 主人公であるジョナサンというカモメ君は、実際、相当の頑張り屋さんなのである。 しかも頭もよく、向上心もつよい。おまけに「愛することの意味までもちゃんと 知っている大したカモメなのだ。そのジョナサンが、他の仲間のカモメたちを見る 目に、どこか私はひっかかったのだった。ジョナサンにとっては、食一つことよりも 飛ぶことの方が大切なのである。それだけではない。飛ぶだけでなく、飛ぶことの 意味を知り、さらにそれを超えることすら彼の求めるところとなるのである。そし て、さまざまな苦しい困難な自己と外界との闘いの末に、彼は完全な自由を吾がも のとした光り輝くカモメとなって暗黒の大空へ飛び去って行く。 そんな大したカモメに、ただただ感心して、ひとつおれも食うことにあくせくす るのは今日限りでよして、生きることの本当の意味を探る旅へ出発しよう、などと さきにあげた三つの映画を通過 素直に反応するほど現代の私たちは単純ではない。 してきている私たちであればなおさらだ。すでに私たちは恰好よく吹っ飛ぶィージ ー・ライダーの死よりも、間抜けな死にざまをさらす小男の田舎警官の死に強い感

7. かもめのジョナサン

) もめ ナサ、 リチャード・バック 五木寛之 / 訳 写真 / ラッセル・マンソン かもめのジョナサン リチャード・バック Richard Bach 膩ⅡⅢ川Ⅷ IIII Ⅲ服川 9 7 8 41 0 21 5 9 01 9 重要なのは食べることではなくて、 飛ぶことだ。いかに速く飛ぶかとい うことだ - ーーー飛ぶことの歓びを味わ うために、自由と愛することの真の 意味を知るために、光り輝く蒼穹の 果てまで飛んでゆく一羽のかもめジ ョナサン・リヴィングストン。群れ を追放された異端のジョナサンは、 強い意志と静かな勇気をもって、今 日もスピードの限界に挑戦する。夢 と幻想のあふれる現代の寓話。 新潮文庫のアメリカ文学 ガープの世界 ( 上・下 ) アーヴィング 月ミテノレ・ ニューハンプシャー ( 上・下 ) 幽霊たち オースター 孤独の発明 孤独なハヤプサの物語 ガーゾーン ティファニーで朝食を カボーティ 草の竪琴 夜の樹 ケイ 白い大とワルツを 郵便配達は二度ベルを鳴らす ジェームス・ケイン 地下街の人びと ケルアック ナイン・ストーリーズ サリンシャー フラニーとゾーイー 大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモアー序章ー ノ、ノく・ユーアクレイシー サローヤン かもめのジョナサン R ・バック グレート・ギャッビー フィッシェラ丿レド フィッジェラルド短編集 二人がここにいる不思議 プラッドへリ われらの時代・男だけの世界 ヘミングウェイ - ヘミングウェイ全短編 1 ー 勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪 ーヘミングウェイ全短編 2 ー 蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす ーヘミングウェイ全短編 3 ー 一人の男が飛行機から飛び降りる 1936 年イリノイ州生れ。アメリカの 飛行家。飛行機に関するルポルター ジュ風の作品を書いていたが、 ' 70 年 に「かもめのジョナサン』を発表した。 当初はほとんど評判にならなかった が、 ' 72 年に突如ベストセラーのトッ プに躍り出た。各国語に翻訳され、 日本でもロングセラーとなっている。 Photo ◎オリオンプレス 訳者五木寛之 ltsuki Hiroyuki 1932 年福岡県生れ。 ' 67 年「蒼ざめた馬を見よ」 で直木賞、「青春の門」で吉川英治文学賞を受 賞。著書は「風の王国」「日本幻論」等多数。 1 9 2 01 9 7 0 0 4 7 6 8 定価 : 本体 476 円 ( 税別 ) リチャ 1 ド・バック I S B N 4 ー 1 0 ー 2 1 5 9 0 1 ー 0 C 0 1 9 7 \ 4 7 6 E ュアグロー 9 1 新潮文庫 デザイン新潮社装幀室 カバー印刷錦明印刷 新潮文庫 \ 476

8. かもめのジョナサン

川っているよ一つた。 『かもめのジョナサン』もまた、こういう時代の物語である。現代の『星の王子さ ま』みたいな本だと人づてに聞かされて、手に取ってみると、かなりこれは違った 種類の本だった。たしかにサンⅡテグジュペリも、『かもめのジョナサン』の作者 のリチャード・ヾッ クも、プロの飛行機乗りで、いわゆる作家らしくない作家とは ぐうわ ナいえる。『星の王子さま』と『かもめのジョナサン』とが、寓話のかたちをとった ナ 作品であることも似ているといえばそうだ。しかし、両者の間にはどこか異質のも ジ ののがあって、その違った部分を掘りさげて分析して行けば、、 力なり厄介な仕事にな るだろうという気がしないでもない。 私は最初、この短い物語を読みすすんで行くうちに、何となく一種の違和感のよ うなものをおばえて首をかしげたものだ。この本はアメリカ西海岸のヒッビーたち がひそかに回し読みしていて、それが何年かのうちに少しすっ広がってゆき、やが て一般に読まれるようになった、と何かの雑誌で読んでいた。カモメの写真が沢山 はさまった薄っぺらな本で、大した宣伝もしなかったのに何年かたって爆発的に読 まれるようになった、という話も耳にしていた。そういうニュースから、私の側に