彼は暗黒の海上を一気に六百メートル駆けのばった。そして翼を固く 胴体におしつけると、その翼の先だけを細い短剣の形をした後退翼そっ くりに風の中に突きだし、失敗することも、死ぬことも全く考えるいと まもなく、、 しきなり垂直急降下に突人した。 風は怪物のような唸りをあげて、彼の頭上におそいかかった。時速百 十キロから百四十キロへ、さらに百九十キロへ、そして速度はなおも上 りつづけた。やがて時速は二百二十キロに達した。だがその速度でさえ、 以前のやり方の百十キロの時よりはるかに楽だった。そしてほんの少し 翼の先をひねると、急降下からやすやすと脱出でき、月下を飛ぶ灰色の 弾丸さながらに波の上を突進してゆくのである。 目を細めて風に立ちむかいながら、彼は歓びに身を震わせた。時速二 百二十四キロ ! それもコントロールをたもちながらー もし , ハ百メー トルでなく千五百メートルから降下すれば、いったいどれ位のスビード うな
「 : : : 八 : : : 九 : : : 十 : : ・見てください、。 ショナサン、どんどんスビー ドが、おちてきます : : : 十一 : : : あなたみたいに、見事にびたっと、停 止をしてみたい・ : 十二 : : : でも、ちくしよう、ばくにはできない : 十三、この、最後の、三回が : ・・ないと : : : 十四・ : : ・ああっー」 最終段階でのフレッチャーの上昇失速は、自分の失敗への腹立たしさ ン と激怒のせいで、いっそう悪い状態になった。彼はひっくり返り、投げ サ ナ だされ、むちゃくちゃに背面きりもみしながら、あお向けに転落して行 ジ のき、そして彼の教師のいるところから三百メートル下で、ようやく体勢 を立てなおし、息をきらしてあえいだ。 「ばくなんかにかまうなんて、時間の無駄ですよ、ジョナサン ! ばく は駄目なやつなんだー どうしようもない間抜けなんだ ! 何度やった って、どうせものになりやしませんよ , 」 ジョナサンは、彼を見おろし、うなすいてみせオ 「あんなに無茶な急上昇をやらかしたりしてる限り、絶対にものにはな 100 ア」 0
Part One 彼は三百メートルの高さから、カのかぎり激しく羽ばたきながら波間 とうして普通 めがけて猛烈な急降下をやってのけた。そしてその結果、・ のカモメが強烈な加速急降下をやらかさないかという理由を知った。そ れをやるとわずか六秒後には、なんと時速百十数キロに達してしまうの である。そのス。ヒードでは、翼を上にもちあげたとたんに、たちまち安 定が失われるのだ。 なんども同じ事態が発生した。細心の注意をはらっているにもかかわ らず、能力ぎりぎりの限界をきわめようとするために、高速時において コントロールが失われるのである。 ます、三百メートルまで上昇。それから最初に全力水平直進。ついで 羽ばたきながらの垂直急降下に移行。するとかならす左の翼を上にあお ったところで動かなくなり、激しく左へ横転しようとする。そこで右の 翼も上にもちあげ、たてなおしをはかる、と、稲妻のように一瞬はげし く右回りにきりもみ状態となって落下するのだ。彼はこれ以上慎重にで
いまや、さっきの誓いのことなど、すさまじい風に吹きとばされ、忘 れ去られてしまってハ した。そして彼は自分できめた約東を破っていなが しつこうに悪いとは思っていなかった。ああいう約東は、世間一般 の連中のものなんだ。真剣に学び、卓越した境地に達したカモメには、 そんなたぐいの約東なんて必要じゃない。 朝日が昇るころには、ジョナサンは再び飛行練習にもどっていた。千 サ ナ 五百メートルの高みから見おろすと、漁船はたいらな青い水面にちらば のる小さな点にすぎす、例の〈朝食の集い〉に群れるカモメたちも、こま もや かかな埃でできた靄となって眼下に渦まいているのだった。 彼は精気に満ち、歓びに身を小きざみに震わせながら、自分が恐怖心 に打ち勝っていることを誇らしく感じた。やがて彼は、むぞうさに翼を たたみこみ、角度をつけた短い翼の先をびんと張ると、海面めがけてま っさかさまに突っこんでいった。千二百メートルを過ぎるころには、彼 はすでに限界速度に達していた。風は、彼がもうそれ以上の速さでは進
きないくらい慎重に両の翼をあおってみた。だが十回こころみて、十回 とも時速百十キロをこえたとたん、回転する羽毛の塊となり、コントロ ールを失ってまっさかさまに水面に激突してしまうのである。 かぎ この問題をとく鍵はーーと、彼はびしょ濡れになりながら考えた。重 要な点は高速降下の最中に翼をじっと動かさすにいることだ。そうだ、 ン 時速八十キロまでは羽ばたいても、それ以上になったときは、翼をびた サ っと静止させてしまえばいい。 の 六百メートルの上空からふたたびやってみた。横転しながら降下には め いり、やがて時速八十キロを突破すると、彼はくちばしを真下に向け、 翼をいつばいにひろげたまま固定した。これにはものすごい力が必要だ ったが、効果は満点だった。十秒もすると時速百四十キロ以上に達し、 頭がばうっとなってきた。まさにその瞬間、彼、ジョナサン・リヴィン グストンは、カモメの世界スビード記録を樹立していたのだー たがその勝利はつかの間のものだった。引き起こしにかかったその時、
ついに彼はその速度をたもったまま、いきなり上昇し、長い垂直緩横 オ二羽も彼にならって、微笑みさえうかべながら一緒に横 転にうつつこ。 転した。 ジョナサンは水平飛行にもどった。そしてしばらく黙っていたが、や がて口をひらいた。 ン「大したものだ」と彼は言った。「ところで、あなたがたは ? ナ 「あなたと同じ群れの者だよ、ジョナサン。わたしたちはあなたの兄弟 のなのだ」 その言葉は力強く、落着きがあった。 「わたしたちは、あなたをもっと高いところへ、あなたの本当のふるさ とへ連れて行くためにやってきたのだ。 「ふるさとなどわたしにはない。仲間もいはしない。わたしは追放され たんだ。それにわれわれはいま、〈聖なる山の風〉の最も高いところに 乗って飛んでいるが、わたしにはもうこれ以上数百メートルだってこの
Part One めないほどの、激しく打らつける固い音の壁となった。いま、彼はまさ に時速三百四十キロ以上で一直線に降下しつつあるのだ。もしこのスビ ードで両翼をひろげたら、たちまち爆発して何万というカモメの切れは しになってしまうだろう。それを考えて彼は思わす息をのんだ。だが、 彼にとってスヒードはカだった。スビードは歓びだった。そしてそれは 純粋な美ですらあったのだ。 三百メートルの高さで彼は引き起こしを開始した。翼端はすさまじい 風の中で鳴りひびき、感覚がにぶってきた。船とカモメの群れが流星の ような速さで彼の進路にまっすぐ飛びこんできて、みるみるうちにふく れあがった。 彼は、それを止めることができなかった。その速度では、どうすれば 方向転換ができるのか、皆目、見当がっかない 激突すれば即死だ。 彼は目を閉じた。
長い沈黙があった。 「そうですね。こういう飛行法は、それを見つけ出したいと願う鳥なら、 誰でも、いつでもここで学ぶことができるものじゃないんですか。それ は時代とはなんの関係もありませんよ。流行を先取りしてるとはいえる でしようけどね、大多数のカモメたちの飛び方より進んではいますか サ ナ 「そういうことだな」ジョナサンは横転し、しばらく背面滑空をつづけ つぶや のなが、ら・ 1 いた。 「そのほうが、早く生れすぎたなんて言われるより、まだしもだ」 ちょうど一週間目のことだった。フレッチャーは新人生のクラスに、 高速飛行の初歩原理を実際にやってみせて した。二千百メートルからの 急降下から引き起こしを行なった直後、砂浜の上、わずか数センチを長 い灰色の線となって猛烈にすっ飛んでいった。すると、はじめて飛んだ 116
「この世のどんなことよりも、ばくは飛びたいんです : : ・」 「では、一緒においで」と、ジョナサンは言った。 「地面からわたしと一緒に飛びあがるんだ。そこからはじめよう」 「あなたにはおわかりにならないんですか。この翼です。これが動かせ ないんです」 ン 「メイナード。きみは、たったいま、この場で、真の自分に立ちかえる サ , 自由を得たのだ、本来のきみらしく振舞える自由を。なにものもきみを 邪魔だてできはしない。それは〈偉大なカモメ〉の掟、実在する真の掟 かなのだ」 「ばくが飛べるとおっしやるんですね ? 」 「きみは自由だと言っている」 その言葉を聞き終えるとすぐ、素直にしかもすばやく、カークメイ ナードは楽々と翼をひろげた。そして暗い夜空に舞い上っていった。群 れは百五十メートル 上空から、ありったけの声でかん高く叫ぶ彼の声に 112
彼は一瞬だまりこんでから、たすねカ 「お前はえらく速く飛べるらしいな、え ? 」 「わたしは : : : わたしはただス。ヒード が好きなんです」ジョナサンは答 えた。長老がそのことに気づいてくれていたことにびつくりもしたが、 また誇らしい気持でもあった。 ン 「よいか、ジョナサン、お前が真に完全なるスビードに達しえた時には、 サ ナお前はまさに天国にとどこうとしておるのだ。そして完全なるスビード のというものは、時速数千キロで飛ぶことでも、百万キロで飛ぶことでも、 また光の速さで飛ぶことでもない。なぜかといえば、どんなに数字が大 きくなってもそこには限りがあるからだ。だが、完全なるものは、限界 をもたぬ。完全なるスビードとは、よいか、それはすなわち、即そこに 在る、ということなのだ」 不意にチャンの姿が消えたかと思うと、突然、十五メートルほどはな せんこう れた水際にあらわれた。閃光のような一瞬のできごとだった。そしてふ