武士 - みる会図書館


検索対象: 竜馬がゆく 2
133件見つかりました。

1. 竜馬がゆく 2

102 播磨介らしい人物が、死んでいる。 竜馬は、大刀をつかんで往来へとんで出た。街道を東へ走って、十丁。 河合橋という土橋がある。その下を海善寺川というのが流れているが、水がほとんど 涸れ、河原は雑草が生い繁っている。 「赤蔵、死体はどこだ」 と、竜馬は土橋でたずねた。 「この橋の真下でございます」 「わしがさきに降りる。提灯をもってついて来い」 草を踏みしだいておりてみると、なるほど武士が斃れている。 竜馬はとっさにコメカミの動脈に指をあてたが、すでに脈搏はない。 ( 死んだか ) 淡い縁だったが、竜馬はさすがに胸が痛んだ。これこそ男だ、ともおもった。 竜馬は、少年の日に姉の乙女から漢籍の素読をまなんだが、ひどく感銘したことばに、 こういうのがある。 こ、つがく 志士ハ溝壑ニアルヲ忘レズ げん 勇士ハソノ元ヲウシナフヲ忘レズ か たお

2. 竜馬がゆく 2

たときにおこった。 星はあった。 が、道がやっとみえる程度だ。 その暗い前方から、すっと出てきて、鬼山田につきあたった武士がある。 「何奴じやア」 鬼山田がどなった。 黒い影が、 そそう 「これは粗相を」 と、そのまま行きすぎようとすると、鬼山田は、待て、とどなった。 「名を申さぬか。わしは鬼山田じゃ。上士につきあたっておいて、名も名乗らぬとは無 礼であろう」 相手はだまっている。その様子を鬼山田はじっとみていたが、 「そちは、軽格じゃな」 と、さも軽侮するようにいった。酔っている。それに、軽格の無礼に対しては、おな 夜じ武士ながら上士は無礼討してもかまわぬという他藩にない差別法が、土佐藩にはあっ 前 風鬼山田は、鯉口を切った。 っ ) 0 なにやっ

3. 竜馬がゆく 2

竜馬は、この当時、二十歳の若さだから、むしろ吉田東洋の剛気さに好意をもった。 だじゃく 主人の親戚の大旗本の頭をなぐるなど、懦弱な当世武士のなかでは珍とするに足るでは 十 / 、し、刀 ちつきょ 蟄居四年。 城外朝倉村に住み、のち浦戸の海景のうつくしい長浜村に移り、ここで読書と詩作に ふける一方、名を慕って訪ねてくる上士の子弟を教育し、のちふたたび参政に返り咲い 顕職につけ、強固な学閥をつくって、他の たときは、この長浜村時代の弟子を一せいに 、やり方といい、余談だが、百年後の土佐出 系統の者をするどく排除した。性格といし 身の宰相だった吉田茂に似ている。 これも長浜村時代の余談だが、城下の上士の子弟のなかで、手のつけられぬ腕白者が 二人いた。 ホャタとイノスケという若者で、それそれ城下中島町で隣り同士の仲である。むろん がきともだち 餓鬼友達で、この二人が幼少のころから泥まみれになって遊びまわり、共同の喧嘩相手 がないときには互いに血みどろの喧嘩をしたりして、家中、近所から疫病神のように嫌 老われていた。 家 ホャタのほうは東洋と血縁だから、ある日、東洋はその母親に泣きこまれて訓戒を垂 固 頑れるべく、 「一度、二人を連れてきなさい」

4. 竜馬がゆく 2

シャンハイ た、上海で当時発行されていた中外新報までとりよせて、それらの活字から西洋事情を 知ろうとした。理化学のことまで調べたという。 儒学的教養をもちながら、思想は徹底的な開国論の立場をとった。この点、幕府の外 交方針とおなじで、武市半平太ら勤王党の攘夷論者からいえば、「神州を汚す者」であ り、醜夷に屈しようとする腰抜け武士であり、幕府に加担する反朝廷派であり、先年、 桜田門外で尊王攘夷論者に斃された大老井伊直弼と同質同型の人物であった。 「土佐の井伊じゃ」 と、はげしくこれをきらったのは、東洋を斬る、という那須信吾である。むろん、党 首株の武市半平太も、これと同意見である。 文久元年、東洋四十六歳。 この年、武市は江戸で、薩長の過激志士とひそかに密会し、たがいに自藩にもどって 藩論を勤王に統一し、三藩の兵をもって京都で義軍をあげるという壮大な密謀をとげ、 土佐に帰国している。帰国後、土佐勤王党を結成し、その圧力を背景に、しきりと参政 吉田東洋に説きはじめた。 老武市は、毎日のように藩庁に出かけては、東洋に面会を申し入れている。 家 郷士仲間では、武市だけが、登庁して参政に会うことのできる身分なのだ。武市家は 固 頑郷士でも、上士待遇の「白札」の身分である、ということは前に書いた。 吉田も、かねて武市の学識の深さだけはみとめている。 しゅう・い

5. 竜馬がゆく 2

滅亡しても大義なれば苦しからず。両藩とも存し候とも、恐れ多くも皇統綿々万乗の君 ごえいりよあいつらめ の御叡慮相貫き申さざれば、神州に衣食する甲斐はこれなきか。 ( 後略 ) 久坂という人物が、この激越な文章によく出ている。長州藩も土州藩も亡んでもいし ではないか、というのは、代々主家の禄を食んできた当時の武士としては、よほどの発 言であった。 「なあ、坂本さん。たがいに脱藩して、天下に志士を募ろうではないか」 と、久坂はいっている。 竜馬が萩に入った夜、久坂が、 大事がある。 といったのは、このことである。脱藩は古来、武士にとって最大の重罪のひとつであ る。主君を見限ることになるからだ。 「本さん、どうだ、どう思う」 「ふむ」 竜馬は考えている。が、表情は明るい。 ( 久坂は、思ったよりすごいやつだな ) ちよとっ この男なら、猪突するだろう。敵の剣電弾雨をおそれまい。平然と砕けて散るだろ つの ほろ

6. 竜馬がゆく 2

内蔵太は立ちあがった。剣をぬき、前かがみになって、 「池田よ。池内蔵太が介錯をするそよ」 「亠めり気がと ) , つ」 と ( 池田寅之進は苦しそうにいった。しかし、内蔵太はなおもいった。 しトでつ・ド ) ルっ・ 「おンしは、その場で弟の仇を討って武士の名誉をとげた。土佐藩ならずば、生々 世々、語りつがるべき武士のほまれじゃ。上士へのうらみは、わしが晴らしてとらせる。 うれしく成仏せい」 「おお、もとよりじゃ」 「御免。ーー」 首は、前に落ちた。 内蔵太は、作法どおり、首を竜馬のほうにむけた。 「たしかに」 さげお と竜馬はいってから、刀の下緒を解き、それを血の中にひたした。 ( 池田、おンしのことを忘れはせぬ ) 夜そのつもりで、それをした。が、たれもが竜馬の意中がわかったのか、みな、下緒を 前 解い 風 たつぶりと、池田の血で染めた。浸しながら、池内蔵太は、また声を放って泣きだし

7. 竜馬がゆく 2

210 池田寅之進は、自分のことから、なかまの軽格に迷惑がかかることをおそれ、とっさ に腹に刀を突きたてた、という。 竜馬は、すべてがわかった。 ど 「内蔵太、退きなんせ」 と、静かにいった。 「介錯してやれ」 と、竜馬はいっこ。 「竜馬ア、お前は」 池内蔵太は、泣き顔をあげた。 「これほどの勇士を、むざと殺すのか。他藩ならば、めでたく仇を討った勇士じゃ。荒 木又右衛門、堀部安兵衛にも比肩できようぞ」 「内蔵太、まちがうな、ここは土佐藩じゃ」 「む , つ」 りようて な 内蔵太は、池田寅之進の傷口を両掌でおさえながら、ほとばしるような声で哭きはじ めた。 「内蔵太、おンしに武士の情けはないのか。勇士をこれ以上苦しませるのか」 「わかった」

8. 竜馬がゆく 2

鬼山田につきあたった軽格 ( 郷士 ) というのは、竜馬もよく知っている。 なかひら しゅうどう 中平忠一郎という、若い郷士である。愚にもっかぬ男で、衆道 ( 男色 ) にうつつを ぬかし、宇賀某という美少年を愛している。 この夜も、宇賀某と手をとりあって堤の上を散歩していたのだ。雛の節句の夜だから、 おうせ 闇まで艶である。逢瀬をたのしんでいたのだろう。出来ることなら、名も名乗らず、事 も荒だてたくなかった。しかし、 「軽格」 と、ののしられ、さすがの中平も、かっとした。土佐武士は、軽格のほうが骨つば、。 それに、連れている美少年の手前もある。 男色家は、ばっととびのいた。 「や、やまださま。武士を面罵してそのままで済むとお思いか」 「いうたな、軽格づれが」 鬼山田はツ、ツ、と足を進めた。剣をとっては、上士のなかでは屈指の男だ。それに ぬきがたい階級的おごりがある。 スルスルと刀を上段にあげた。 男色家は、やむなく下段。下段などは半ば防禦の構えで、よほど腕に自信がなければ、 攻撃に転ずるのはむずかしい。男色家には、それがわからない。 鬼山田は、さらに踏みこんだ。腹を心もち突きだし、ぐんぐん押してゆく。 えん

9. 竜馬がゆく 2

竜馬も、知っている。 知っているどころか、竜馬の桶町千葉の道場など、若い論客の巣だった。 江戸には、若い血気の武士の大巣窟が三つある。 神田お玉ケ池・桶町の千葉道場 ( 塾頭坂本竜馬 ) 麹町の神道無念流の斎藤弥九郎道場 ( 塾頭桂小五郎 ) 京橋アサリ河岸の桃井春蔵道場 ( 塾頭武市半平太 ) この三道場はそれそれ千数百人ずつの若い剣術諸生を収容している。今日でいえば、 さしずめ、東京大学、早稲田大学、慶応義塾大学というところだろうか。 かれらは、諸藩の江戸屋敷や、遠くは九州、奥州の遠国の城下町からはるばる出てき た者で、もともと血の気が多い。 剣を学ぶ一方、たがいに国事を語りあい、書物を交換しあい、意見を練りあって、入 塾一年もたてば、ひとかどの志士になってしまう。 維新の志士 ( 佐幕派のたとえば新選組隊士などもふくめて ) の多くは、この三大道場か ら出ているし、もしこの三大道場がなければ日本史も相当ちがったものになっているだ ろう。 かれらの思想は、多くは剣術仲間からきいた耳学問であり、たれを思想の師匠とする せっさたくま よりも、むしろ友人仲間で切磋琢磨しあった。 ところが。

10. 竜馬がゆく 2

竜馬は相手にならず、天井を見たり、首すじを掻いたり、ひざに這いのばってくる蟻 を追っぱらったりしている。 ( 天下の志士をつかまえて剣技実演とはなにごとだ ) そんなつもりだろう。 やがて長州藩の剣術名誉の者で棆崎大五郎という武士が、 「それがし、お先に」 と、スパッと藁束を斬った。 つぎつぎと腕自慢の者が出てくる。斬りそこねる者もあり、力あまって切先で床まで 切り込む者もあり、ひどいのになると、踏まえた左足の指を傷つけてびつこをひきなが ら退場する者もあった。 竜馬は見かねて立ちあがった。 「据え物は、こうします」 抜刀するなり片手で斬りおとし、藁束が板敷に落ちるよりも早く刀を鞘におさめてい 望「さす・が」 みな息をのんだ。 希遅れてやってきた久坂玄瑞もそれをみていたが、この行動力そのものの男は、館生の 中から選士数人をえらび、 ならざき