人 - みる会図書館


検索対象: 群像 2016年9月号
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1. 群像 2016年9月号

ては真剣にならざるをえない数だろう。いずれにせよダン 類が哺乳の序列、ひいては食事の序列を気にするのは、そ バーは社交を言語の起源のひとっと見なしたわけである。 の序列に生命がかかっているからであって、まさに必然と 「ルーシーから言語へ」プロジェクトも同じ見地から言語 いうほかない。乳を与えられることは子として認められ、 承認されるということであり、子の立場からすれば、結果の起源を解明しようとする学際的な研究になっている。 的に、それこそ泣くことが「承認をめぐる闘争」の始まり にほかならなかったわけだが、要するに哺乳類のその哺乳 という形式がそのまま社会の誕生を刻印しているのであ チョムスキー自身は、言語生得説を標榜しながらも、し る。霊長類の社会、人類の社会も例外ではない。集団が強 かし、言語の起源などには長いあいだ関心を示さなかっ いるその緊張を緩和するのが猿の毛づくろいであり、人の た。いずれ一一一一口語学は生物学に、生物学は化学に、化学は物 ゴシップである。言語の起源もまたそこにあるというので ある。 理学に包括されるというのが、より基礎的な次元へ降りて ゅこうとする科学の必然である。しかし現状では生物学も ダンバーは集団の数の大きさと霊長類の新皮質の大きさ は比例していると考えたわけだが、ちなみにこの考え方を 化学も言語の起源にかかわるほどには進歩していないのだ から、立証困難なーーっまり非科学的なーーー無駄話はすべ さらに推し進めてゆけば、社会の複雑化の端緒は哺乳とい きではないと考えていたのだろう。だが、分子生物学を駆 う形式すなわち母子関係にあったということになる。 ダンバーらの提起している社会的脳という考え方もそこ使したアラン・ウイルソンらの集団遺伝学の成果がこの抑 制を解き放った。分子生物学は科学の最先端である。その から生じる。脳は社会の複雑化にともなって肥大したとい うそのことが、そのまま社会的脳の誕生を意味しているの最先端が、「一一一一口語の起源」という主題を、無駄話の次元か ら科学の次元へと一挙に引き上げてしまったのである。 だ。人が友人として付き合える上限は百五十人までという もっとも、きっかけをつくったのは認知心理学者スティ のがいわゆるダンバー数で、世界的に話題になったが、そ ーヴン・ピンカーの『言語を生みだす本能』 ( 一九九四 ) の立論の根拠にしても同じだ。選挙の票集めーーあるいは だったというべきかもしれない。ピンカーはそれに先立っ 組織の人数ーーは百五十人を単位としてその乗数で考えて ゅ . ナま、、 一九九〇年に、認知心理学者ポール・プルームと共著で論 と、うことになるわけであり、これは人によっ 学 治 政 の 語

2. 群像 2016年9月号

持続◎とあまりに強い緊張⑤は私の判断をくらませ、悲しま取った」 ( の二十六 ) といっていて、彼自身が「有能な読 せ、疲れさせる。◎私の視力はかき乱され、散漫になる。⑤者」だったことを暗に語っていたからである。 また、そうした有能な読者の読み方で、もうひとっ指摘し そういうときには私は判断を引き戻して、なんども揺さぶつ ておいていいことは、文章の真実性、あるいはその誠実さと てそれに喝を入れてやらなければならない。 もしもこの本が気に入らなければ、ほかのを手に取る。 いう、ことばの意味とは別に、、わばその行間に潜んでいる それにまた私はなにもすることのない倦怠に襲われるときで著者の人間性までが透視されることである。ことばの表面の なければ本に没頭しない」 ( Ⅱの十 ) 意味しか読もうとしない読者、というよりそれしか読めない 徹底した自分本位の読み方である。彼は本を愛するけれ読者がいまも昔も多いなかで、これは読書の本道を示した読 み方である。なぜそれが本道かというと、もともとことばに ど、間違っても本を崇めるようなことはしなかった。昔から どんなに名著といわれる本でも、評判を鵜呑みにすることは は意味以外のものを読むことを可能にする性質があって、そ れに促されて読むのが自然で、当然の読み方だからである。 なかったから、読んでみて気に入らなければ、そのまま、 モンテーニュはそういう読み方をした。 つまででも放っておく。反対に読み甲斐のある本であれば、 「@言うことは行うこととは別である」と前置きして、彼は 著者が本のなかに書き入れなかったことまでも読み取ること そんな読み方をした自分の例をあげてこう書いている。 ができる「有能な読者」でありたいと願った。 「@古代の人たちの書いたものを読んでいると、自分が本気 「@有能な読者は、しばしば他人の書いたもののなかに、著 で考えていることを言う人は、そのふりをして言う人より 者が書き込んだ、自分で気づいている完璧さと、は別の完璧さ も、はるかに強くこころに訴えかけてくるように思われる。 を発見するものだ。そしてそこにいっそう豊かな意味と顔つ プルー キケロが自由への愛を語るのを聴いてみるといい。 きを与えるものである」 ( —の二十四 ) トウス〔前一世紀のローマの政治家。カエサル暗殺の首謀者の一斎 これこそは有能な読者に許された読む醍醐味である。 書 この「有能な読者」についての考えは、じつは彼が自分の 人。のちに自死した〕がおなじことを語るのを聴いてみるといの 経験に基づいて書いたことだったようである。つまり彼自身 書いたものを読んだだけでも、後者が命を賭けて自由をニ がそうした読者だったのであって、著者が書いたこと以上の買う人間だったことが胸に響いてくる。雄弁の父キケロに死 セネ力におなじことを の蔑視について語らせてみるといし ものを本のなかに読み取る人間だったのである。「◎私は テイトウスリウイウス〔古代ローマの大歴史家で『ローマ建国 。前者が力なくだらけていて、自分で決 語らせてみるといし 史』の著者〕のなかに、 心がついていないことをあなた方読者に決心させようとして 人が読まなかった百の事柄を読み 297 モンテー

3. 群像 2016年9月号

た。所詮自分は、今を生きる日本人たちの間で共有される価 値観や文脈の範囲内でしか、ものごとを認識することができ ない。浩人たちの側、青き変態者たちがなにをどう認識し、 どういう文脈に従っているのかは、まるでわからなかった。 黒いセダンの助手席に座る晶は、無人都市の街並みに目を 奪われていた。札幌市に入ったようだ。軽トラックに残って 鏡には、朱色に染まった全裸体が映っている。典打が良い いたガソリンをセダンへ詰め替え、トランクに食料や荷物も 状態でいるせいもあってか三〇歳にしてはとてもみずみずし く、どこを食べても美味しそうな肉体だと理江は自分のことすべて積み、午後二時頃に水我流武の家を出発した。走り始 めて二時間が経過している。交通量は皆無だが道路上に停 ながら思った。 まっている車が多く、一速度は出しにくい。 ふと理江の頭に、とんでもない考えが浮かんだ。 ハスタオルで身体を拭きながら、悪い冗談だとしてそれを 車の進む先、道路の真ん中にひとまとまりの人影が見え 忘れようとする。しかしなにかもっと建設的な他のことを考た。車が近づくと全員が歩道へ寄り、何人かが手を挙げた。 えようと意識するたび、悪い冗談のような考えは、理江の中十数人いた全員、一〇代から四〇代ほどの人間だった。いず れにせよヒッチハイクも無理な人数で、通り過ぎる。 で強固さを増した。 イチかバチか、やってみるしかないのだろうか。 「スタジアムを目指していましたね、おそらく : : : どこかで 今までの小説家にとって末知の思考方法を体得するには、 情報でも仕入れたんでしようか」 「波動は本州へ向け放射されているけど、敏感な人間は発信デ 彼らの側へ、行ってみるしかないのではないか。そしてその ための鍵を、半地下室にいる浩人はもっている。 源の波動を感じとる。さっきの集団の中にもきっと一人二ザ 部屋着に着替えすぐべッドにもぐりこんだ理江だったが、 人、感じとった人がいたんだろう」 オ なかなか寝つけそうになかった。夜の静けさに意識をもって 首都東京を守るため、本州にいるゾンビや内輪志向の強い いかれそうになるたびに、正体不明のなにかが理江の意識を人々を「北の島へおびき寄せ閉じこめる遮断・隔離プログラ ス ク ム。その鍵となる装置が、道内にいる敏感な人々をも発信地 覚醒中の世界へと引き戻すのだ。それが何度も続くうち、自 テ ン へ導いている。 分はもうこれから眠ることも醒めることもできないのではな コ 日本文脈研究所の上級技術士だったシゲモリは三年前に東 いかと、理江は漂う意識の中でかすかに思った。 京の支部から札幌本部への異動を命じられ、当時一〇歳だっ

4. 群像 2016年9月号

「あんさん、ご存知でした ? 」 さない。「ご覧の通り、わしはハッタリの多い人間ですが、 水を向けられてあせりながら、いや知りませんでした、わその淵を覗きこんできた方には、余さず白状することにしと たしはこの人のことは何も知らないのですと口にした。これ るんですわ。せやからあんさんにも白状しますわ」 は、この場におけるいかなる会話においても大叔父上の世話 わけがわからない。わたしは憮然とした表情で相手を見つ を焼く理由は自分にはないという宣言でもあった。 めて返答とした。 「そらいかん。事情は知らんけど、これから人には言われへ 「わしにも大叔父はいるんやけども、あんさんの疑った通 んような場所に二人きりで行こう ? ちゅうんでしよう。まし り、誕生日までは覚えとりませんのや。だから、 Jerome て血もつながっとるのに誕生日も知らんやなんて」 David Salinger の生年月日を言うたんですわ」 こうなると、わたしも言い返さないわけにはいかなかっ 流暢な英語の発音をこてこての大阪弁に混ぜて発する奇妙 た。じゃあ、そう一一一一口うあなたはご自分の大叔父さまの誕生日 さについて指摘するのは憚られた。知らないのに知ってると を知ってるんですか ? もちろんおられればの話ですけれど嘘をついたんですかと問いかけると、男は悪びれる様子もな も。 くむしろ楽しそうな顔を見せた。 「大正八年の一月一日、御年九十七歳ですわ」 「そういうことですわ。そんなもん、覚えてた方がええに決 返す刀に驚きながらも、こんな時にすぐさま和暦と西暦を まってますやろ。ええか悪いかは知らんけども、田中角栄か 対応させてしまうのが、わたしの中学受験以来の特技という て近しい人の誕生日を残らす覚えて人を仰天させたといいま か習慣だった。一九一九年一月一日。サリンジャーと同じ生すやんか。少なくともハッタリは利きますわ。だからわし 年月日ですねとわたしは思わず、日頃の会話では決して出さ も、確かめようもない場面なら生年月日をすらすら暗唱でき ない名を口走った。 るようにして、角栄さながら頭のええャツやと思わせること すると男が、今までにない性急な首の動きでわたしを見返 にしとるんですわ。ただ、当てずつばうで言うとあとあと下 した。土気色の肌に走った細い切り口のような目の奥から、 手を打ちますよってに、小説家から拝借しますんや」 まじまじと見つめる。やがて分厚い唇をつり上げて、にやり わたしはちょっと恐れをなした。この多分に能力のいりそ と笑った。 うな処世術にしても英語にしても、それから立派な外見にし わたしは気味悪くなって、なんですかと訊いた。 てもそうだが、この男は相当なエリートなのかもしれない。 「いやいや、まいりましたわ」と男はわたしの顔から目を離それでも落ち着きを装った声で、しかしどうしてサリンジャ

5. 群像 2016年9月号

さんと一緒に活動していたことがあるんでせてもよかったんでしようけど、こういうきやとなっても、その「酷い」「変えな すね。そのとき釜ヶ崎や山谷などで野宿者問題について書いていると、ではおまえはきや」といった言葉だけがツィッターなど で感情的に消費されて、結局現実には何も の人たちと触れ合った経験から言うと、非何なのだと「自己」が問われざるをえない 常に丁寧かっリアルに書いているという印わけです。どうしても「ばく」という一人影響を与えずに終わってしまう。この感情 象を持ちました。たんによく見ているだけ称を出さないと、この小説は作品として完消費の連鎖こそが構造的な暴力の本質なの かもしれないのに。とはいえ、それはなか ではなくて、現場の感性が書かれていま成しても嘘になると、作者は思ったのかな す。たとえば中高生が火炎瓶を投げ込む。という気がしました。 なか解決し得ない問題ですし、この小説も もちろん、それに対して怒る人たちもいる メッセージ性については、現実を動かすそこを突き詰めているわけではないんです んだけど、この小説の柳さんのように、自ことが役割なのかというと、ト説にはそうよ。だから、これはいい小説だからたくさ いう面もありますけど、そうじゃない部分んの人に読まれてほしいと思うけど、そう 分たちが受けた暴力を連鎖させてはいけな いと踏み留まる人もいる。彼らの暴力も、の小説性というものもきっとあるはずで素朴に言うだけでは何か足りないという 何かを反映しているのかもしれないというす。ここでは、ある種の権力意識を発揮しか、まだ考えなきゃいけないことがあるな という印象です。 ふうに考えるわけです。また、猫はモノでたときに「ばく」が出てきた。それは言い あり贅沢品だという話になったときに怒っ方を変えれば、一人称の中に含まれている奥泉権力性をはじめとして、問うべき問 て、自立支援や生活保護は要らないと言暴力が剥き出しになったわけですけど、そ題がたくさんあるのは認めます。でも、た う。野宿者の多くは、動物との距離が非常の問題が本質的には問われないまま小説はとえば動物のことで言うと、猫だけじゃな に近いんですよ。だから、動物に首輪をつ終わります。僕が今、社会運動から距離をくてスッポンとかボラとかコウモリとか、 けることは、自分たちにも首輪をつけることってしまっているのは、まさにそういうたくさんの生き物が間近に現れて、人間と とだと考える。そういう感性がちゃんと書ことが原因なんですね。単純に生活状況が共存するイメージが示されているところ に、もっと目を向けてもいいのかなと。そ かれているところが、僕はすごく好きでし変化したということもあるけれど、そうい う自己の暴力性が、社会的な言葉の交換関うやって積み重ねられた小説世界の細部の 途中で「ばく」が顔を出すのは、心情的係のなかで揚棄できるという感覚が、どう厚みは、単純な通俗性を超える力を持って いるんじゃないかと思ったんです。 によくわかるんです。小説として、ある意も持ち難くなった。たとえば、この小説を 味で「作品」として世界を構築して終わら読んでホームレスの現状は酷い、変えな滝ロ「ばくーが出てきてメタフィクショ こ 0

6. 群像 2016年9月号

クリオネ事件 こと。 「えー、そんなにお金ないの 5 ? 」 突然そんな返信が来た。直前までお金の話題などちっとも 出ていなかったのに。チグハグな返答だったので、もしかし たら間違って他の人に向けた返信だったのかも、と思い確か めてみた。 黒木渚 すると、 「いや、渚に送ったメールで合ってるよ。さっき貰ったメー ルの最後に『金欠マーク』が付いてたからお金ないのかなと 自分専用の携帯を持つようになって十数年が経つ。手にし思って」 たばかりの頃は、確かメールなんて機能は付いていなかっ と返ってきた。 た。画面だって絆創膏で覆えるほど小さくて、画像の表示は ・ : 金欠マーク ? そんなものを付けた覚えは無かった おろかカラーですらなかったのに。登場するやいなや、めまし、現に自分が送った文面を読み返してもそんなマークは付 ぐるしい勢いで形を変え機能を増やし、進化してきた携帯電いていない。私が付けた絵文字といえば、びよびよと羽を動 かすクリオネの : 話。進化しまくりにも程があるよ。 : これは ! クリオネじゃないー もはや携帯が登場する以前は、どうやって人と会う約東を そう、それはクリオネではなかった。 したり集合場所で落ち合ったりしていたんだっけ、と思い出 せなくなるほど依存している。携帯電話の成長と共に青春時よく目を凝らして見てみると、お札に羽が生えてバタバタ 代を過ごしたためかも知れない。かえってそのありがたみとと飛び立っている描写だったのである。つまりこれは「金 いうか、事件性みたいなものを当たり前に側にあるものとし欠」とか「散財」とかそういった意味を示す絵文字であり、 てすんなり大人になってしまった。 二人の会話に無関係のチグハグ要素をぶっ込んだのは友人で しかし今更になって携帯電話の登場が、生活もカルチャー はなく私だったのである。 も、果ては人同士の関係性をもガラリと変化させてしまう大私はただ、友人へ向けたメッセージの最後に癒しの象徴で 事件だったのだと改めて意識してしまう出来事があった。 もある妖精クリオネを羽ばたかせておけば、良い感じにゴキ 親しい友人とたわいないメールの遣り取りをしている時のゲンなのが伝わるだろうという、それだけのことだったの

7. 群像 2016年9月号

川端「斜陽」を読みましたけれど、別に新しいとか、こ れまでの人には書けない、というような感じはありません ね。ただ連想の飛躍みたいなところは独特で面白いけれど 広津新しい旧いを・ : 志賀何だか大衆小説の蕪雑さが非常にあるな。 月端それはこれから出ようとする若い人たちはもっとそ 一九四八年四月発行の「文芸時代」掲載の「徒党につい うだと思いますね。懸賞小説をだいぶ読みましたけれど て」を、太宰はそんな風に結んでいる。同時期に始まった も、だいたい通俗的ですね。それで作家らしいスタイルと 「如是我聞」は、後に心中することになる山崎富栄の家で いうものがありませんし、デッサンが非常に出来ていな 「新潮」の野平健一記者にロ述筆記させた連載評論である。 内容は志賀直哉を中心とする文壇批判で、絶筆と言っていし 志賀デッサンが出来ていない。 お」っつ , つ。 川端大事なところと何でもないところとの区別がない 「文藝春秋」一一月号で志賀直哉と広津和郎と川端康成による し、非常に無駄が多い。ところどころにその人たちのぶつ 鼎談が行われている。太宰はそこで自分への言及を読んだ。 しいところがありますけれど : かった経験でね、 志賀二、三日前に太宰君の「犯人」とかいうのを読んだ これを受けて太宰は「如是我聞」の中で、志賀直哉へ罵詈 けれども、実につまらないと思ったね。始めからわかって雑一言をくり返す。そして、川端康成と思われる人物について いるんだから、しまいを読まなくたって落ちはわかってい も書く。 るし : 広津太宰君と田村君と、坂口君、ちょうど三つ同じ月に 出た小説を読んだが、それは皆わかっているのだ。そして その間に目標もみなわかっている。それに向かって無理押 しの駈足を三人がしている感じでね。その競争はせつかち を私は知っているのである。 新しい徒党の形式、それは仲間同士、公然い裏切るとこ ろからはじまるかもしれない。 友情。信頼。私は、それを「徒党」の中に見たことが無 あゆっいしよう なお、その老人に茶坊主の如く阿諛追従して、まった家 く左様でゴゼエマス、大衆小説みたいですね、と言ってい の 物 る卑しく痩せた俗物作家、これは論外。 本 この事件と自殺の顛末を語りたいわけではないからこ・のあ

8. 群像 2016年9月号

6 欠席をしていた、サジャダというイラン人す学生たちの中に、亮太とサジャダはいま 「アジアの純真」横山悠太 の留学生が教室にあらわれます。見るからせん。観客として川田のチャンバラを見た に偏屈そうなサジャダですが、たまたま亮帰り道、亮太は、駐輪場の片隅で熱心に祈 大澤まず、横山悠太さんの「アジアの純太の隣に座ったことが縁となり、また年齢るサジャダを見て、胸を打たれます。と同 真」 ( 「群像」八月号 ) です。 も近かったこともあって、二人は次第に親時に「どうも都合力しし : 、、じゃないか、する すでに三十歳を過ぎている亮太は、北京しくなっていきます。とりわけ、トイレでい じゃないか」という不満も感じます。取 オーラル の大学に語学留学に来ています。「ロ語」礼拝の準備をしているサジャダに遭遇したり残された気がして、自分も何かに専念し のクラスには、韓国、タイ、ロシア、カザ後は、イスラムや『コーラン』についてのようと決め、自習室で勉強を続ける日々を フスタン、フランス、チェコ、コートジボレクチャーを毎週受けることになります。送っていた亮太に、サジャダは突然「帰国 ワールなどからの留学生がいますが、社会同じころ、貿易の仕事をしながら同じ学校することにした」と伝えます。望んだわけ 人経験者は亮太だけです。亮太は、「抑えに通っているミーナという美しい留学生とではない結婚をして、自動車部品の会社で 込まれるような息苦しさに耐えきれず、衝知り合い、亮太は一方的に恋心を募らせま働くようです。彼は「わたしは嬉しかっ 動的に会社を辞めてしま」った後、中国語す。彼女がサジャダと同じイラン人であるた。君がわたしの話を聞いてくれたこと を身につけて再就職しようと考えたのでしことから、サジャダも彼女を好きなのでは が」と言い、亮太にアラビア語のコーラン た。事情の違いだけでなく、おそらく生来ないかと勘ぐり、鎌をかけます。するとサを手渡します。サジャダが帰国したころか の陰気さもあり、「粋がっていて、カッコ ジャダは、「わたしは勉強しに来てるんだ」ら、イスラム関連の不穏なニュースが多く ばかり気にしていて、旅行気分で留学に来と苦しそうに爪を噛み、以後、亮太を避けなり、亮太は、シーア派の慣習である礼拝 ているような輩」との交流を亮太は避けてるようになります。一方で当のミーナは、用の小石を握るサジャダを想像し、彼のこ います。その筆頭が川田という学生です。 川田と知り合いになったらしく、彼を「おとを祈るのでした。最後にの 彼は亮太と対照的に人当たりがよく、クラもしろい人ね」と評し、亮太を激しく苛立「アジアの純真」の歌詞が置かれて小説は評 作 スの人気者ですが、同じ日本人であるだけたせるのでした。 終わります。 に一層、亮太は川田が面白くありません。 中間試験の近づいてきたある日。学校行滝ロサジャダとミーナは、亮太が主要に 第三回のロ語の授業の日、それまで無断事である国別対抗の出し物の発表に精を出接する人物ですが、彼らイランの青年の普

9. 群像 2016年9月号

、選手だけではなく伴走者の中にも恐怖が芽生える。一度たということは、内田や自分にも何かあるかも知れない。 生まれた恐怖は毒素のように全身を駆け巡り、冷たい汗とと 「お前、何を食ったんだ」不安の表情を浮かべる淡島をよそ もに流し出されるまではしばらく消えない。 に、内田は・ヘッドに横たわる松浦に向かって聞いた。「わ そのタイミングを見計らったかのように、ケニア勢の二人かってんだよ」 がペースを上げて内田に並ぶが、淡島は気にも留めなかっ 「すみません、俺、我慢できなくて」 た。俺たちの勝負は後半だ。 松浦は日本から持ち込んだカップ麺を食べたことを涙なが 給水所のテープルに置かれた水の容器を目にして、淡島は らに白状した。 自分のミスに気がついた。本来ならば特別に調合されたスペ 「このバカが。貧乏人の食い物なんか食うからだ」内田は言 シャルドリンクが置かれているのだが、それを用意するはず葉を吐き捨ててから頬の内側を噛んだ。顔が歪む。 だった松浦は昨夜から腸炎で寝込んでいる。ドリンクをどう 内田は代表選手として派遣されてきたわけではない。あく 用意するかまでは頭が回っていなかった。 までも個人の資格でこの南国のレースに参加しているのだ。 しかたなく普通の水が入った容器を手に取り、まずは淡島 スタッフがどれほど多くとも、伴走者は淡島と松浦の二人だ 自身が飲む。 けで、それ以上の交代要員はいない。 もともとレースの前半は松浦が伴走する予定だった。だ 「どうする」内田は腕を組んだ。明らかに淡島に尋ねてい る。 が、今その松浦はいない。 「俺が一人で伴走するしかないでしよう」 「淡島さん、俺、腹が」 「行けるのか」 松浦がそう言い出したのは昨日の深夜だ。同行している医 不安はあった。 師の診察によれば腸炎ということだった。一 = 調理スタッフの顔 三カ月前から違和感を覚えている左足首は、実業団時代に から色が消えた。明日のレースに備えて、内田たちは夕食に疲労骨折をして以来、今でも丁寧にメンテナンスをしてやら プレーンのバスタしか摂っていなかった。異国での大会で なければすぐに固くなってしまう部位だった。このコンディ もっとも気をつけなければならないのが、食事と水だ。その ションでフルを走り切れるだろうか。今からでも誰か伴走の走 ためにわざわざ調理スタッフが専用のメニューを用意してい できる者をもう一人手配したほうがよくはないか。淡島は るのだ。淡島は恐れた。同じものを食べた松浦に異変が起き そっと手を見た。やれるか。いや、優勝を狙うのであれば、

10. 群像 2016年9月号

要を感じていた。 「何度も何度も読んで覚えたんでしようなー。偶然同じモチ ーフを使って艶ある玄妙でシュールな傑作をものするんやか ら、おとうさんのショックはいかばかりかや。当たり前やけ れども、川端のようには書かれへん。ほんで小説もあきらめ たんとちゃいまっか ? 」男は得意気な顔で大叔父上を指さし お言葉ですがとわたしは反射的に言ってしまった。男の鋭 い目つきにしばしロごもった後で、そんな単純なものではな いかも知れませんよと続けた。大叔父さんが川端康成からの 手紙を持っているという話を、わたしは聞いたことがあるん です。 大叔父上の顔色をうかがっても、特に変わったことはな 「手紙 ? 」と男が細い目をぐっと開いた。「川端康成から ? 」 ええとうなずくわたしに男は笑顔を浮かべて体を起こす。 静かな迫力があり、思わず身構えかけそうになるのをぐっと こらえた。 「間氷はんも人が悪いですわ。おとうさんの秘密、知ってま したんかいな」 いやいやとわたしは首を振り、なんだか鼻で笑うようなし ぐさになってしまいながら、本当のところは何も知らないの ですと言った。ただ、あなたがこうして手を替え品を替え話 してきたおかげで、本当に手紙はあるんだという気分になっ こ 0 つつ ) 0 てきたので : 「それもおとうさん次第ですわ。ただ、ここまでもったい ぶって何もないなら困った人や。せやけど、言わずに心にし まっておくのも難儀なもんでっせ。わしはともかく、お二人 は今後もお付き合いがありますやろ」 「会うのはこれが最後です」と大叔父上はきつばり言った。 「なんでです ? 」 「これから老人ホームに入るのです」 大叔父上はこともなげに言った。数十分前にロごもってい たことは、もはや大した問題ではなくなっていた。 「なんや、そうだったんでつか」男は明るい顔で膝を打っ た。「それで、間氷はんが送ってるいうことですか」 そうですとわたしも言った。 「それで腑に落ちましたわ。滅多におとうさんと顔を合わせ ん間氷はんが、都合よく駆り出されたっちゅうわけですな。 わしの推理は当たっとったわけや。おとうさん、親族の中で も爪弾きにされとったクチやないですか」 「そうかもしれません」大叔父上は無礼を気にする素振りも なく言った。 男はわたしの顔を見て、上を向いてだははと馬鹿笑いして シートにずり下がるように沈み込んだ。男が何を笑っている のか、わたしにはよくわからなかった。 「お二人がよそよそしいのもむべなるかなや。となると、お とうさんにはこれが最後のチャンスやゅうことですなー。お