文「自然一一 = ロ語と自然淘汰」を発表し、言語と遺伝のかかわ 「進化の漸進説」がトマセロの一一一一口語獲得の「使用依拠論的 りを真正面から論じているが、あるいはそれを端緒と見な研究」に対応するとすれば、「進化の断続平衡説」はチョ すべきかもしれない。チョムスキーの普遍文法と、古生物ムスキーの「普遍文法論的研究」に対応する。一一一口語本能と 学者スティーヴン・ i-- ・グールドの進化論を取り上げて、 は、きわめて微小な突然変異が人間の脳の配線をわずかに 文法の起源もまたダーウインの進化論で説明できると主張変え、それがもとで言語機能を担った器官が発生してし したのである。ピンカーらはそういうかたちで、しぶる まったというその器官の機能のことだが、この微妙なしか チョムスキーに方針転換を迫ったのだといってもいい。普 し決定的な飛躍の後には長い平衡状態が続くことになる。 遍文法と進化論はもともと相性が良いということを強く打同じように、人類が誕生し一一一一口語本能が発生するまでの数百 ち出したのである。言語も自然淘汰の副産物だろうがその万年のあいだも同じ平衡状態が続いていたと考えるべきな 詳細はなお明らかにできないとするチョムスキーの逡巡を のだ。生命の進化の歴史から見れば、二十万年、三十万年 論難しているのだから、表向きはチョムスキー批判だが、 など瞬時にすぎない。チョムスキーの立場から見れば、人 実際はまったく逆である。ピンカーはチョムスキー以上に 間はいま、言語本能を獲得した後の、ほとんど奇跡的な生 チョムスキー主義者であるといっていし しかも、チョム命史の一段階を生きているのだということになる。 スキーより一般読者への説明がうまい 管見ではしかし、チョムスキー自身が言語学と生物学の グールドの科学読物はそのほとんどが邦訳されている。 結合を真正面から問題にするのは、世紀をまたいでからで 原著そのものがアメリカでベストセラーだったのだから当 ある。二〇〇二年、進化生物学者のマーク・ハウザー、テ 然だろう。グールドの「進化の断続平衡説」は有名だが、 カムセ・フィッチらと連名で出した論文「言語能力ーーそ これは言語本能説を一般に受け入れさせるにあたってきわ れは何か、誰がもっか、いかに進化したか」が最初ではな めて都合が良かった。突然変異は文字通り突然起こり、場 いかと思われる。専門家ではないので断言はできないが、 合によってはーーーそうでないことのほうが多いがーーその いずれにせよ、その頃から言語の起源と進化について語る 生物種に飛躍的な変化をもたらすわけだが、以後は長く同ことを避けようとはしなくなったように見える。 じ状態が続くというのが「進化の断続平衡説」である。 チョムスキョのこの変化は一般の読者に衝撃を与えたと 「進化の漸進説」に敵対する。 思われる。少なくとも私は驚愕した。ハウザーはその二年
このように見てくると、インタヴューに答えているチョ違、内と外の区別にこだわるようになり、外部からの異物 ムスキーが、いわゆる英米系哲学の伝統に属するというよ の侵入を避けるために、ほとんど偏執的に、人体に空いた りは、ヘーゲル、マルクス、キルケゴールといった哲学者穴の周囲に魔除けすなわち呪物ーーー入れ墨もそのひとっ を付けるようになった。目、鼻、ロ、耳の穴はそれぞ の伝統に属しているように思えてくるのは自然である。こ れに呪物が考案されたが、それらをまとめて首にも呪物が れにニーチェの名も加えたくなってしまうのは、チョムス 巻かれるようになった。これが首輪すなわちネックレスの キーが、言語は何かのきっかけで偶然に発生し、それがた またまコミュニケーションにも使われたにすぎないと考え起源だが、そのネックレスが肥大して垂れ下がったのが上 ているからである。むしろ一一一一口語は、それまでの動物には見着である。それがたまたま寒さをしのぎ、暑さすなわち直 られなかった内的思考の次元を、これもまたまさに偶然人射日光をしのぎもしたわけだが、そのことに気づいた瞬間 人間は、原因と結果を転倒させ、上着は寒さをしの 間にもたらしたことによって画期的だったのだとチョムス ぎ、暑さを防ぐために考案されたということにしてしまっ キーは考えているわけだが、これは疑いなく、ニーチェの いう遠近法の哲学のヴァリエーションにほかならない。事たのである。腰紐が垂れ下がってズボンになってしまった のも同じである。ズボンを身に着けてみると、それが草や 実、「言語の機能は自分を苦しめることだ」と、インタ 岩のように肌を傷つけるかもしれないものから身を守るこ ヴューの途中でふと漏らしてしまうその思考は、あえてい とが分かった。そこで、身を守るためにズボンを穿いてい えばほとんどドイツ・ロマン派的であって、これをニー ると考えるようになってしまった。ここでも原因と結果が チェの言葉として収録してもおそらく誰も疑わないだろ 転倒しているのである。 チョムスキーもまた同じような思考を展開しているの チョムスキーがここではニーチェを思わせるというの だ。言語とは何かを問いつめて行って、ニーチェ風の考え は、より詳しくいえば、たとえば次のようなことである。 人は衣装を身に着けてそれにアクセサリーをあしらう方にたどりついてしまったのである。 コミュニケーションのためならばわざわざ一一一一口語を考案す が、衣装の起源はむしろアクセサリーにあったのだと指摘 る必要はない。鳥の鳴き声、猿の毛づくろいで十分であ するのが、ニーチェの典型的な流儀である。事実、スカー る。言語はまったく別個に偶然に発生したのであり、それ トやズボンの起源は腰紐であり、上着の起源はネックレス である。人は自己なるものを獲得した瞬間から自他の相がたまたまコミュニケーションにも役立ったのである。こ 言語の政治学 257
蔔に、トマセロのあからさまなチョムスキー批判といって 能ではない」 ( 一九九五 ) である。真っ向から否定している 『心とことばの起源を探る』 ( 一九九九 ) に 数と地のだ。しかもその最初の頁にピンカーの名はない。代わり 図の能力についての疑義を含むにせよーーーきわめて好意的 にチョムスキーの生成文法 ( Ⅱ普遍文法 ) と言語生得説へ な書評「ホモ・サピエンスよ、おまえもか」 ( 二〇〇〇 ) を の批判があからさまに記されているのである。 書いているのだから、なおさらである。ハウザーもフィッ 「生成文法は言語獲得と言語使用における行動主義理論へ チもほとんど動物行動学者と変わらない。普通ならトマセ の辛辣な批判によって心理学者の注意を惹き、その批判は ロの側に立つのが自然なのだ。書斎の言語学者チョムスキ 認知革命においてひとつの重要な役割を果たした。だが、 いわばその背後に隠れてーー生得説 ーの側に立つのは、したがって野合としか思えない。チョ生成文法とともに ムスキーにしても、共闘する同志として、進化生物学者ハ という奇妙なプランドが姿を現わしたのである。心理学者 ウザーとフィッチを選び、その後、先史考古学者タターソ から見てもっとも奇妙だったのは、言語生得説を論じなが ルを選んだのは恣意的な選択としか思えない。つまり、進らチョムスキーが人間行動と認知の科学的研究における伝 化生物学者であり先史考古学者であって、チョムスキーを統ともいうべき行動観察にまったく信頼を置いていなかっ あからさまに否定してさえいなければ、誰でも良かったの たことである。その代わりに彼はもつばら理論的な議論に だ。私にはそう思える。事態をものごとの本質に即して垂のみ信頼を置いたのであった。」 直に深く考えているのはチョムスキーだけなのだから、人 言語習得の実際を研究し、たとえば幼児におけるその障 選は些事にすぎなかったのではないかとさえ思われる。 碍などに対応している心理学者たちにしてみれば、普遍文 トマセロのチョムスキー批判は徹底的で、先にも触れた 法などという妄想をひねくり回しているチョムスキーには が、チョムスキーが方向を転換するそのはるか以前から始我慢ができないのかもしれない。 トマセロにはそういう地 学 まっている。たとえばピンカーの『一一 = ロ語を生みだす本能』道な研究者の代弁をしているように見えるところがある。 治 政 に対するトマセロの書評は、ピンカー批判である以上に強 実際、いまやチョムスキーの側に立つよりも、その批判 の 烈なチョムスキー批判になっている。ピンカーの著書の原者の側に立っ書物や論文のほうがはるかに多いという印象語 題は端的に『ザ・ランゲージ・インスティンクト』すなわを受ける。だが、にもかかわらず人の思考を刺激するとい ち『一一一一口語本能』だが、トマセロの書評の表題は「言語は本うことではチョムスキーの魅力のほうが大きく上回ってい
ど手つかずの状態にあるたくさんの扉を開けることになる いずれにせよ、言語はコミュニケーションよりもむしろ 問いですね。」 ( 成田広樹訳 ) 思考にかかわっていると語った後に、チョムスキーは、人 言語はコミュニケーションというよりは人間的思考の起 間の言語と動物のコミュニケーションを比較し、両者が 源だと述べているのである。そしてその、発話された一言語 まったく違っていることに、たとえばハウザーの『コミュ を再び内部に取り込んで反芻するかたちで発生した人間的ニケーションの進化』 ( 一九九七 ) に言及しながら、注意を 思考たるや、内省によって掌握できるようなものではない 促している。あえて付け加えれば、要するに、コミュニケ というのだ。つまり、言語によって形成されていると思わ ーションのためだけならば、人間は言語など発明する必要 れる人間の内面的思考の全容はいまなおまったく解明され がなかったはずだと、チョムスキーは主張しているのであ ていないというのである。 る。危険を知らせるためならば鳥の鳴き声で十分であり、 これはほとんど、フロイトからラカンへいたる精神分析仲間うちの潤滑油としてならばサルの毛づくろいで十分で の必然性を擁護しているような発言である。エリザベト・ あって、そういう意味では、一一一口語など余分なものにすぎな ルディネスコの『ジャック・ラカン伝』 ( 一九九三、邦訳一一 。言語は何かのきっかけで偶然に発生し、それがたまた 〇〇一 ) に、ラカンとチョムスキーの出会いとすれ違いを まコミュニケーションにも使われたにすぎない。むしろ一言 描いた滑稽な一節があるが、読み返してみる価値がある。 語は、それまでの動物には見られなかった内的思考の次元 無意識こそ一言語 もたらしたこ つまり発話を再度内面化したもの をーーーそれこそ自分を苦しめるためにー であり、しかもそれは構造化されていると述べたのはラカ とによって画期的だったのだと、自身の見解をいっそう強 ンであり、意識の多くは意識されていないと述べたのは く推し進めているのである。 チョムスキーである。チョムスキーは、要するに無意識は チョムスキーはさらに、一 = ロ語は六万年前を遡ることはな 通常の内省によって到達できるようなものではないーーー精 、そう判断できるのは、まさにその時期に人類の出アフ 神分析によってならば到達できるとフロイトは考えた リカが始まったからである、と、先に述べた集団遺伝学、 と述べているわけだが、そう考えればラカンとチョムスキ先史考古学がここ数十年のうちに明らかにした成果を紹介 ーは一般に思われているほど遠い存在ではないということ している。三百万年前のアウストラロピテクスから二百万 になる。 年前のホモ・ハビリスへ、さらに百万年前のホモ・エレク 252
るという印象もまた拭いがたいのである。 の基本ーー最終的には脳科学と結びつきうるという信念 なぜチョムスキーがいまなお魅力的に思えるのか。言語 と、言語はコミュニケーションの手段ではない、意識 がーー・そしてそのもっとも純粋な働きである文学がーー人の多くは意識されていないという言明をのぞくいわゆる専 間の本質に根差し、人間を規定しているとすれば、これは 門的な言語理論ーーたいていは文を分割して樹形の図にし 立ち止まって考えるに値する問題である。 たものが入っている論文であるーーーは、少なくとも一般人 には、チョムスキーの思想を理解するためにわざわざ読む 必要などまったくないといっていいほどだ。 コミュニケーションの問題も、意識の問題も、ともにい 二十一世紀になってからのチョムスキーの発言で強い興たるところで示唆され言及されているが、前者については 味を引くのは、言語はコミュニケーションの手段ではない とくに哲学者ジェイムズ・マッギルヴレイのインタヴュー という言明と、意識の多くは意識されていないという言明 に答えた『一一一一口語の科学』の冒頭で断言されている。一一〇〇 の二つである。ともに、トマセロが非難するチョムスキー 四年に行われたものだが、刊行は二〇一二年、二〇一六年 の数学主義からは完全に食み出している。というか、無縁 し。邦訳も刊行されている。また、一〇一四年の日本での である。しかも、認知言語学にせよ機能一一 = ロ語学にせよ、一一一一口講演と福井直樹、辻子美保子によるインタヴューを収録し 語はあくまでもコミュニケーションのひとつであると見な た『我々はどのような生き物なのか』 ( 二〇一五 ) でも、お しているのである。その範囲内で研究を進めているのだ。 よび同題だが二〇一六年に哲学者アキール・ビルグラミの チョムスキーの言明は、そういう潮流に冷水を浴びせるも序文を付して刊行された著書でも、同趣旨のことが述べら のであって、軽々に扱われるべきものではない。 れている。 この二つの言明に比べれば、一九八〇年代に提起された 言語はコミュニケーションの手段ではないとはどういう 原理・バラメータ理論も、その後に展開されたミニマリズ ことか。『一一一一口語の科学』での説明を中心に敷衍してみる。 ム理論も、専門家の技術をめぐる苦心談のようなものだ。 チョムスキーは一一一一口語使用のほとんどはじつは心の中で起 生成文法、普遍文法の必然的な展開、精緻化、単純化にすこっているという。人はいつでも自分自身に語りかけてい ぎないからだ。したがって、普遍文法すなわち言語生得説る。自分と話さないようにするのは途方もない意志を要す 250
トスへと、人類の進化はきわめて漸進的であって、一万年密に跡づけるには現在の諸学問が提供する証拠だけではな おきわめて難しいことを力説し、即断を戒めているが、考 単位ではほとんど何も変化しなかったように見えていたの え方の大筋として、人類に、六万年か七万年前、何か途方 が、二十万年前にホモ・サピエンスすなわち現生人類が誕 もない変化が訪れたと想定し続けていることは間違いない 生するやいなや、おおよそ十万年前にーーーチョムスキーは 六万年前という言い方を好むのだがーー突然、爆発的な変と思われる。 そのうえでなおチョムスキーは、言語はコミュニケー 化が起こる。「象徴的な芸術や、天文・気象事象を反映し ションの手段ではないと繰り返すわけだが、この言明がき た記録、複雑な社会構造等々、端的に言って創造的エネル ギーの爆発のようなもの」が、たかだか一万年という、進わめて興味深いのは、率直にいって、それがアメリカ分析 哲学の流儀から大きく食み出しているように思われるから 化の時間で言えば無に等しい一瞬にいっせいに登場する。 「ですから、この時系列を考えると、『大躍進』が突然起である。あるいは、分析哲学が標榜する科学主義の流儀か ら食み出しているように見える。チョムスキーとしては、 こったかのように見えます。何らかの小さな遺伝子の変化 あくまでも科学的に探究する過程で明らかになったことを があり、それが何らかの形で脳の配線を微妙に組み替えた そのまま口にしているにすぎないつもりだろうが、ここで のでしよう。神経学についてはほとんど何もわかっていな いのですが、他にどんな可能性があるのか私には想像がっ実際に起こっていることはドイツ観念論そこのけのアイロ きませんね。ですから、遺伝子の小さな変化が脳の再配線ニーの発露であって、それが読むものを覚醒させ、思考を 刺激するのである。たとえばアメリカ分析哲学の一典型と を起こし、この人間的な能力が開花したのでしよう。」 ( 同 も思えるジョン・サールの流儀がつねに平板かっ平面的で あるとすれば、チョムスキーの流儀は垂直かっ単刀直入で チョムスキーは突然変異が起こって普遍文法ーーピンカ ある。 ーふうにいえば一言語本能ーーーが発現したと示唆しているの である。他の理由は思いっかない、と。むろん、科学を標 榜する以上、慎重である。その後のたとえば二〇一四年、 チョムスキーは、ハウザーやタターソルらとの連名でコ言 語進化の神秘」という論文を発表し、言語進化の実際を綿 チョムスキーの言明は、たとえば、半世紀を遡る一九六 言語の政治学 253
である。二十世紀半ば、コンピュータは最大の科学兵器と いる。反証を受け付けない仮説など世界の小ぎれいな絵で 見なされつつあった。 はあっても科学ではありえないという論理である。物理学 若きチョムスキーはスキナーの行動主義心理学ーー当時は確かに数学によって支えられているが、つねに実験に もっとも科学的と思われていたーーーを批判することによっ よって証明されるなり反証されるなりしているのだ。 て脚光を浴びたが、だからといって反科学的だったわけで チョムスキーの言語理論は言語能力の生得論であり、そ はまったくない。少なくとも本人の意識としては、行動主れに反駁するトマセロの理論は後天説、いわゆる経験論で 義者以上に科学的だったのだ。先に引用した『認知・機能 ある。二人の対立は、つまるところ、人間を決定するのは 言語学』のトマセロの序文の一節は「『数学』対『心理「氏か育ちか」をめぐる論争の現代版といっていい。人の 学』」と題されている節の冒頭だが、明らかにチョムスキ 能力決定するのは遺伝か環境か、一物質か文化かという問 ーの数学主義を、現実を無視したものとして非難してい 題は、「あの人は親に似て」とか、「彼女は家庭環境が良い る。だがこれは、広い文脈でいえば、数学は形而上学だが から」とか、いまでも誰もが話題にすることであって、学 それは経験を超えている 、しかしその形而上学に 問的というよりは世間的、ゴシップ的である。たとえば よって物理学ーーっまり科学の精髄ーー・ーもまた支えられて ヴィトゲンシュタインは自分が天才でなければ、すなわち いるという逆説が、そのまま普遍文法をも支配していると先天的な才能の持主でなければ、生きてゆく気がしなかっ いうことである。これはプラトンが『メノン』で提示した た。そういう人間もいるのである。 問題であり、チョムスキーは自分がそれを言語論の場で展 チョムスキーは、幼児が母語を獲得する過程を見れば、 開しているということに十分に自覚的であるといってい それが後天的な能力によってなされているとはとても思え ないとする。もちろん外部からの適切な一一 = ロ語刺激が必要で トマセロのチョムスキー批判はポバーのマルクス批判に あることは指摘するまでもないが、三歳児を見れば一目瞭 似ていると述べたが、事実、トマセロは、二〇〇四年に発然、刺激は引き金にすぎないのであって、習得すべき一一一一口語 したがっ 表された短文「どのような種類の証拠が普遍文法仮説を反 にまつわる膨大な知識そのものではありえない。 駁できるか」のなかで、まさにポバーに依拠して、チョム て、一一一一口語獲得の速さと情報量の膨大さを考慮に入れれば、 スキーをほかならぬマルクスやフロイトと並べて非難して人間は先天的な一一一一口語能力ーーーすなわち普遍文法ーーを持っ
ことになっているのである。チョムスキー以前の言語学、 るために生まれてきたようなところがある。科学哲学者の ポバーが、しばしば、マルクスやフロイトを批判するため またその直前のアメリカ構造主義以前の言語学はいわゆる に生まれてきたように思わせるのと、それは似ている。ポ比較一一一一口語学であり、民俗学ーーー民族学でも人類学でもない に毛が生えた程度のものにすぎなかった。ソシュール バーにいわせれば、マルクスやフロイトの理論は反証可能 の、言語のさまざまな意味での恣意性をめぐる議論にして 性を封じているーーーーっまり宗教と同じであるーーーことに よって、科学の名に値しないのである。ポバーは使命を貫さえも、この文脈でいえば、科学的というよりはむしろ文 学的というべきだろう。 徹して、いまではマルクスやフロイトを片づけるにはポバ ーの名ひとつで足りることになってしまった。 英国の人類学者クリス・ナイトが、チョムスキーを理解 するには、何よりもまず一九五七年に刊行されて一世を風 だが、アメリカ分析哲学の淵源のひとつがヴィトゲン シュタインとカルナップとポ。ハーというウィーン出身の一一一靡した『統辞構造論』の「まえがき」末尾に付された謝 人の哲学者にあったとすれば、それがほんとうに良かった辞、すなわち「この研究は、アメリカ陸軍 ( 通信部隊 ) 、 空軍 ( 航空研究開発本部科学研究局 ) 、そして海軍 ( 海軍 のかどうか、ときに考え込ませられる。哲学者の木田元 が、このウィーンの三人組にーーー付け加えればフレーゲ、 研究局 ) からの支援を一部受けている。さらに、米国国立 科学財団とイーストマン・コダック社の支援も部分的に受 フッサールをも含めてーー共通する特徴は哲学史的教養の 欠如だと話していたが、それがそのままアメリカ分析哲学けている」 ( 福井直樹・辻子美保子訳 ) という一文を参照す べきだと述べている。 の特徴になってしまっているという印象は拭いがたい ナイトは、このいまや世界を代表する反体制派知識人 これについてはマイケル・フリードマンが『岐路』 ( 二〇 話題にされるのはその面のほうが多いーーが、その出 〇〇 ) で興味深い見取図を示しているが、ここでは話を広 学 ヂ - よ、 。哲学史的教養というより、哲学史的感受性と発点において軍の助成金を受けていたことを揶揄しようと 治 政 しているのではない。そうではなく、チョムスキーの研究 いったほうがいいかもしれない。分析哲学には何かしら思 の が、アメリカ陸海空軍から支援を受けられるほどに科学的語 弁の香りがないのである。 であると見なされていたことに注意を促しているのだ。そ むろん、チョムスキーも大局的にいえばポバーの陣営に れはコンピュータ・サイエンスの奔りと見なされていたの 属する。チョムスキーこそ言語学を科学にしたのだという 243
するには気が引けるが、そこにヘーゲルの影響は歴然とし ている。むろん、キルケゴール自身、意識してそうしてい マルクスにせよキルケゴールにせよ、ヘーゲルの『精神 るのである。 現象学』の、いわば真剣なバロディのようなものだという 気がしてくるが、いずれにせよ、同じように一八四〇年代 人間は精神である。しかし、精神とは何であるか ? に書かれたこの二つのテクストを重ねてみると、コミュニ 精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか ? ケーションをまず自己の自己自身への関係として捉える視 自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する 点の共通性が強く迫ってくる。一一一一口語はコミュニケーション 関係である。あるいは、その関係において、その関係が の手段ではないと語るチョムスキーがこれらのテクストを それ自身に関係するということ、そのことである。自己 思い起こさせるのは、したがって、私にはきわめて自然に とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係思える。 するということなのである。人間は無限性と有限性と チョムスキーが一一一一口語はコミュニケーションの手段ではな の、時間的なものと永遠なものとの、自由と必然との総 いというときのそのコミュニケーションは、情報の伝達に 合、要するに、ひとつの総合である。総合というのは、 限定されている。それが、分析哲学だろうが日常言語学派 ふたつのもののあいだの関係である。このように考えた だろうがーーさらにはトマセロが代弁する認知・機能言語 のでは、人間はまだ自己ではない。 学派だろうがーーーー英米系哲学におけるコミュ一一ヶーション ふたつのもののあいだの関係にあっては、その関係自 の通常の意味なのだ。したがって、とりあえずは英米系哲 身は消極的統一としての第三者である。そしてそれらふ学の文脈にあるチョムスキーとしては、自分で自分に語り たつのものは、その関係に関係するのであり、その関係かけるときには情報の伝達などなされていないのだから、 においてその関係に関係するのである。このようにし それはコミュニケーションではないと考えたのだろうが、 て、精神活動という規定のもとでは、心と肉体とのあい ヘーゲル、マルクス、キルケゴールといった哲学者は、逆 だの関係は、ひとつの単なる関係でしかない。これに反 に、それこそが自己という現象だと考えたのである。自問 して、その関係がそれ自身に関係する場合には、この関自答がコミュニケーションの、つまり一言語の最大の役割だ 係は積極的な第三者であって、これが自己なのである。 と考えているといってもいい 。チョムスキーもまた結果的 ( 桝田啓三郎訳 ) に同じ立場に立っているのである。 256
おそらく根が率直で嘘で取り繕うことなどできないから る、と。これはつまり自己意識はつねに言語というかたち だろうが、チョムスキーにはしばしば、まったく意識せず をとって現前するということだが、チョムスキーは、それ に鋭く深いことを語るところがある。 らはたいてい「自分は騙されているんじゃないか」とか むろん言語はコミュニケーションにも使われている、 「なぜこいつは自分にこんな仕打ちをするんだろう」と いったたぐいの自問であり、そういう意味では「言語の機と、チョムスキーは語り続ける。だが、表情も仕草も衣装 もコミュニケーションに使われているのであり、言語はそ 能は自分を苦しめることだ」とインタヴュアーに述べて、 しかも、ロなり手なりで のなかのひとつにすぎない。 自身、苦笑している。だが、チョムスキー自身よく意識し つまり手話なりでーー外部に出される言語はきわめて少な ているように、ほんとうはこれは笑いごとではないのだ。 く、そのうえ、ロに出された言葉でさえも通常の意味での 何気なく挙げられた自問の例が二つとも承認をめぐる闘 コミュニケーションにはあまり使われていないのである。 争にかかわるものであることに注意すべきだろう。自問の たとえば、。ハ ーティで聞こえてくる会話などに注意してみ 例を他に挙げても似たようなものになるのは間違いない。 ればそれがすぐに分かる。たいていは意味よりもむしろ無 笑いごとでないというのは、それが人間の本質はむろんの こと、現代文学の核心に潜む問題にあらわに接近している意味に重きがあり、言葉よりも眼や表情、仕草に重きがあ からだ。たとえば、近世都市ーーー都市こそ承認をめぐる闘るのである。このことからも一一一一口語の大半が意識の内部だけ で用いられていることがたやすく納得される。とすれば、 争の典型的な場なのだから、宋代中国でも江戸期日本でも におして 言語の機能はコミュニケーションにあるというのは必ずし 十八、十九世紀ヨーロッパでも同じことだ も真実ではないことになる。 小説が詩から離れ、さらに劇から離れて自立するのは、 「いっか取り組まれるべき興味深い研究課題があるのです もつばらこの種の自問を主題にする文芸領域が必要とされ 学 が、それは、我々の内面的な発話は、いったん表出された たからだといっていい 。小説が現在ひとつの役割を終えっ 治 政 つあるとすれば、この種の自問のありようの機微が、たと発話を再度内面化したものの断片であるという可能性が非 の えば、小説よりもいっそう興味深いかたちで、言語の科常に高いということ、そして、本当の意味での『内面的発語 学、意識の科学によって解明されつつあるからだろう。文話』は内省によって到達できるようなものではない可能性 が非常に高いということです。こういったことは、ほとん 学の守備範囲が大きく違ってきているのである。 251