作家 - みる会図書館


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1. 群像 2016年9月号

手触りにより深みが増しているように思うのです。非常に都 「こんな一言葉があったのか ! 」という契約をしたこと 合がいいのですけれど、そういう気がします ( 笑 ) 。つまり があります ( 笑 ) 。 作家は案外無意識で書いていることが多いのです。あとから 沼野国際交流基金のデータベースでは、日本文学がどのよ振り返って、なぜこの場面を入れたのか、この一行をなぜ書 うな外国語に、誰に、どういう出版社によって訳されている いたのか、自分ではうまく説明できない。 しかし翻訳者は無 のかが参照できます。これは日本ペンクラブの協力で作って意識に訳すことはありませんよね。ですから一つの作品を海 いるデータベースで、ネット上で誰でも自由に検索できま にたとえると、作家はその表面をパチャパチャ泳いで向こう す。かなり苦労して作ってきた立派なものなんですが、じっ岸にたどり着いたというだけなのですが、翻訳者は非常に深 はこれでも完全ではない。聞いたこともないマイナー一一一一口語へ 、海底の奥深くまで潜って、作家が気づかないものもいろ の翻訳の場合、そもそもエージェントも知らなかったという いろ発見してくれているのではないかと思います。 こともあって、実態を把握するのはものすごく難しいので スナイダーなるほど、そうだと思います ( 笑 ) 。「翻訳者は す。ともあれそのデータベースを見ますと、 小川さんの翻訳ある作品のベストリーダー、一番いい読者だ」とよく言われ は一五四点挙がっています。それをすべてチェックしようと ます。訳者は、本当に意識しながらその作品を読み、それか 思ったらものすごく時間を使いますね。 ら翻訳を始めるのです。 小説が書けません ( 笑 ) 。 沼野 .. 川さん、以前お話ししたときにフランスの訳者が、 沼野けれど、世界の作家の中にはミラン・クンデラのよう作品の地図みたいなものを作っていたと言っていましたね。 に、自分の作品の外国語訳にものすごく神経質にチェックを それと同じですか。 入れる人もいます。 小川さんは、自分の作品が翻訳される場 そうですね。翻訳者と作家の違いは、作家は真っ白な 合、内容が正確であるかだけでなく、自分の文体とか雰囲気状態から始めなくてはいけないのですが、翻訳者はまずすべ が外国の読者にも同じように伝わっているのだろうか、と考ての世界を知ったうえでそこに入って行く。あらかじめ地図 えることはありますか。 を持っている。その違いですね。作家は本当になんにも分か ええ。ただ、私がその小説を書いたのは一回きりなの らずに書いているのです。そして書いてしまってようやく、 ですが、翻訳されることによって解き直され、もう一回編み 「ああそういうことだったのか」と、納得できる。 直されるという手作業が入る。その作業のおかげで、作品の 沼野スナイダーさんが作られた作業の表やメモを公開して 130

2. 群像 2016年9月号

力の出版界には、とくにニュ 1 ヨークの出版界には、日本語 セッション 1 ができる編集者、出版社、エージェントはめったにいません 川洋子 x スティープン・スナイダー が、フランス語ができる人は結構います。 TheNew 東 ・三組の作家と翻訳家 の編集者のデボラ・トリースマンさんも小川作品をフランス 語で読み、それがとても優れた翻訳で、ぜひ The ~ ミ 沼野今回のシンポジウムは、第二回»-ä (Japanese に、短編小説「タ暮れの給食室と雨のプール」の英 Literature Publishing Project) 翻訳コンクールの課題作品と して作品をご提供いただいた三人の作家、小川洋子さん、堀訳を載せたいと、私に依頼してきたのです。 沼野翻訳してみて、小川作品や日本語の手応えはいかがで 江敏幸さん、松浦寿輝さんと、この三人の作品を翻訳してい したか。スナイダーさんはほかにも日本の現代作家はたくさ る世界的に高名なプロの翻訳家の皆様が一堂に会するとい う、めったにない企画です。作家ご本人の観点から自分の作ん読んでいると思いますが、小川さんの特徴、ほかの作家と 品についての話を伺うだけでなく、翻訳者の視点から作品を違う面白さを何か感じられましたか。 スナイダー非常に洗練された静かな美しい文章だとすぐ分 どう読むかなど、作品の本質についてわれわれが日本語で読 かりました。しかし、内 ~ 谷とはちょっと「オ盾とい , つか : んでいるだけでは分からなかった新鮮なものが見えてくると 思います。最初にご登壇いただくのは、トー 月洋子さんとス怖い内容と美しい文章との重なり方がものすごく魅力でし ティープン・スナイダーさんです。スティープン・スナイダ ーさんは翻訳コンクールの審査員でもいらっしや、 沼野表面的には静かで美しいけれど、中身は怖い ます。小川洋子作品だけでなく、非常にたくさんの現代日本スナイダー表面のすぐ下で怖いことが起こっている。 川文学の本質をついているんじゃないで 文学を翻訳されており、英語圏での現代日本文学紹介の第一 沼野まさに、ト ー ) よ , っカ 4 ー .. 、日さんは自分の作品が仏訳されたり英訳された 人者と言って良いと思います。ますスナイダーさんにお伺い 家 します。小川洋子さんの作品との出会い、また小川さんの作りすることに関して、どう思っていらっしゃいますか。 訳 翻 小川私は日本語以外の語学ができないので、英語やフラン と 品を翻訳するようになったいきさつをお話しいただけます ス語になった自分の小説がポストに届くと、不思議な気持ち作 になりますね。知らない間に妖精が魔法の粉をふりかけて、 スナイダー以前から小川さんの作品を愛読していました 私が書いたものを私の読めない言葉に生まれ変わらせたよう が、翻訳を始めたきっかけは仏訳があったからです。アメリ

3. 群像 2016年9月号

の作品を訳したのは結局一冊だけで、トー / 月作品は今、五冊目文体の作家も少なくない一方で、「図鑑の説明みたいなのが いい」という小川さんがいる。面白いですね。スナイダーさ を翻訳中なので、やはりそういう相性のようなものはあるの だと思います。 ん、翻訳者は本当に透明になれるものなのでしようか。 スナイダー透明にはなれないと思いますけれど ( 笑 ) 、透 小川私の理想の文体は、著者名を隠したときに、誰もこれ 明になりたいかどうか、そういう議論もある。ヴェヌーティ が小川洋子の作品だと分からないような文体です。 沼野つまり透明になりたいということですか。 さん自身は、「翻訳者は透明人間であるべきだ」と言いたい わけではなく、むしろ文化の違いや面白さを、透明ではなく 「こういう文章を書くのは小川洋子だよな」と言われ てもっと意識的に伝えたほうがいい、 と述べています。 たくないといいますか。いつも私は図鑑の説明文を理想に掲 げています。 沼野それはヴェヌーティさんの言い方だと、異化、つまり スナイダーよく「翻訳者は透明人間だ」と、そういう意図「フォーリナイゼーション」ですね。つまり日本語の原文に 英語の発想とは違った変わった言い方が出てきても、それを をもつべきだと言われますが、作家である小川さんも透明に なりたいのですね。 あえてそのまま英語に移す、それで英語圏の読者に刺激を与 えることもすべきではないかという考え方もあるわけです。 ですから私も、理想としては誰かが書いた小説を翻訳 だけどそれをすると英語の文章が変になるのでアメリカでは しているかのように小説が書ければ、非常に幸せだと思うの です ( 笑 ) 。 編集者が拒絶するのではないでしようか。 沼野なるほど。「翻訳者は透明である」という表現を聞く スナイダー確かにそうです。とくに商業出版社はフォーリ ナイゼーションが大嫌いで、いつもナチュラライゼーション と、現代の英語圏で翻訳論の第一人者として名高いローレン のほうに進められます ( 笑 ) 。そういう意味で、「翻訳者が透 ス・ヴェヌーティの議論を思い出してしまいます。彼はまさ 明」であることが求められます。 に rinvisible な翻訳家」のことを問題視しているんですね。 その議論にはいま踏み込みませんが、一般的に言って、作家沼野その結果、読みやすいいい訳になるのかもしれません訳 翻 が、原文の持っていた味わいが消える危険もあるわけです レ」 の文体がどのくらい「目に見える」か、つまり作品の書き出 家 ね。ところで小川さんの作品は、すでに相当多くの外国語に しの文章をワンセンテンス読んだだけで「あっ、これは吉田 作 翻訳されていると思いますが、小川さんは全部で何カ国語に 健一だ」とか「これは野坂昭如だ」と分かる作家がいる。 「これは蓮實重彦に違いない」とかね。ものすごく個性的な訳されたかご存知でしようか。少なくとも一〇カ国語以上で

4. 群像 2016年9月号

へスト & ロンクセラー チェ 1 ホフとは何者だったのか ? チェ 1 ホフ七分。絶望と = 一分。希望 子供、ユダヤ人 ( オカルト、革命、女たち・ : ロシア文学の第一人者が、世紀末を彩るモチーフをまじえ、 沼野充義 最新研究をふまえて描く新しいチェーホフ論ー 美しい話もヒリヒリ苦い話もあります。 楽しい夜 一家に起きた不気味な出来事 ( 「家族」 ) 。大事にしまった電話番号 ~ 序本佐知子編訳の紙切れ ( 「 ? , 。こ「大学時代の女友達一一一人の夜 ( 「を ) ・ = ほか、名アンソロジスト選りすぐりのⅡ編。 あの名作はこうして生まれたー デビュ 1 ト説論を創。た デビュー小説にはその作家のすべてが詰まっている ! 村上龍、村上春樹から町田康まで、 8 人の人気作家の世界を 清水良典 その原点から読み解く、新しい文学案内 ! 沼野充義 清水良典 1 アビュー 小説論 物時代を第のた物またも の絶望と三分の希 ・ 2 200 円 978-4-06-219951-3 ・ 2 , 500 円 978-4-06-219685-7 ・ 1 , 800 円 978-4-06-219930-8

5. 群像 2016年9月号

知っておきたい類の作品か。 釈できる曖昧な法律の読み方を、政局や世論にあわせ大手マ 「出版社の新入社員さんたちも課題図書を読むのが面倒だか スコミ、ネット等を駆使し操作します。国防のための文脈操 らと、毎年かなりの割合でこのサイトを利用されていると作で、政府からは最も重要視されているセクションです」 か。このサイトのアクセス数増加と比例して、にわか映画コ メンテーターが湧いて出たという相関性があります。だいた 夜、はレストランでタ食を須賀と一緒にとっていた。 い二時間前後の映画は見やすく、ストーリ ーや俳優の演技、 の頭から、ツトムの姿が離れないでいた。自分は「緑色 監督の作家性、音楽、様々な切り口があります。どんな馬鹿のヤツ」という、内輪的な作品で文芸誌の文脈にのつかり、 者でもどこか一つの切り口からは語れる間ロの広さを有して書き手として延命したに過ぎない。遅かれ早かれ、噛まれな くともゾンビになるのではないか。 います。そんなにわか映画コメンテーターを我々は″オラが 村のハスミン″ しかし、どうすればいいのだ ? ″ミニミニ重彦″などと呼んでいて、彼らの 実に九割以上が当サイトへ頻繁にアクセスし、七割近くがゾ 文脈に頼り文脈を生み出すことだけに終始するのも駄目 ンビへ変態している事実が確認されています」 で、かといって文脈を共有していない人にも伝わるようべタ には合点がいった。自分がふれたものに対し自分がどう で大味な小説を生み出すことにもまるで書く意味を見いだせ 思うかまでをもネットで検索すれば、とても時間など足りな くなる。検索しなくても、 しいことを検索しているうちに、人 古今東西の全小説により織りなされた文脈に乗らなくては 生などあっという間に終えてしまう。時間などいくらあって : つまりは先人たちや同時代人たちの作る作品に影響を受 も足りないから、検索し続けるにはゾンビにでもなるしかな けたり、盗んだりしなくては、創作などできやしないのでは 他にも、深夜ラジオの有名ハガキ職人たちが多数ゾンビに あるいはーー自分という書き手は、大いなる力により淘汰 なったというデータ、世代的に見ると定年退職しめつきり口 されゾンビになるのを、おとなしく待っしかないのだろう 数の減る六〇歳以降の男性のゾンビ変態率は高めである等、 初めて知る事実をはたくさん教えてもらった。 須賀もまた言葉少なだった。東京では高価な服を小綺麗に 「あのガラス張りの小部屋は ? 」 着こなす彼が、髪もばさばさで髭も伸び放題、ここ数日でさ 「政治的な世論操作をするセクションです。いかようにも解らに痩せ骨格が浮きだし、骸骨みたいに異様な相貌を呈して 226

6. 群像 2016年9月号

する内容は、フランスもアメリカも日本も変わりません。 ります。ドイツには大江健三郎さんも呼ばれて、いろいろな 沼野そうですか。フランスとアメリカでは国民性の違いも所で朗読されているそうです。フランスは比較的、ドイツに あって反応も異なるのかと思ったのですが。 比べると少ないみたいですね。アメリカでは、本が出たとき 確かに当初英訳がうまくいかなかった原因のひとっ に書店などでイベントをやるのがポピュラーですか。 スナイダー非常にポピュラーです。 に、残酷さに対するとらえ方の違いがありました。「妊娠カ レンダー」を e ~ ミ東に向けて英訳してくれた翻訳沼野小川さんは外国に呼ばれて自分の本のプレゼンテー 者がいたのですが、残酷すぎるという理由で断られたんで ションなどをしたことはありますか。 す。文化的な違い、社会認識の違いかもしれません。毒入り ええ、フランスとドイツで朗読したことがあります。 のグレープフルーツを食べさせることは、その人物の心の中 日本ではあまりやり慣れていませんし、私がずらずらと読ん の出来事なのですが、理由のない残酷さに対する拒絶反応が でいてみんな退屈しないかと、びくびくしました ( 笑 ) 。 アメリカにはあるのかなと思いました。ちなみにその後、二説では文体ということがよく言われますが、もうちょっと違 〇〇五年にスナイダーさんの訳で掲載されました。 う言い方をすると「文章の中から聞こえてくる声に耳をすま スナイダー The ~ ミ胃はむしろ残酷な作品も載せて せている」という体験ができる時、それはいい小説だと感じ いるのですが、アメリカの一般的な読者はそうかもしれませ られる。つまり、朗読したときに引き込まれるような小説で なければ、やつより、、、 ん。しかし、『博士の愛した数式』の英訳は本当に愛読され 。しし 4 説てはないのだろうなと思いま ているんですよ。アメリカには、私立の図書館が一つの小説す。 を選んで一カ月間とか一年間とか、市民に読ませていろいろ 沼野スナイダーさんは小リ , 作品の声をどのように聞き取っ たのでしようか。 なミーティングを開いたり、朗読グループを作ったりする制 度があるのです。『博士の愛した数式』の英訳もたくさんの スナイダー翻訳者としては自分の文体を持っているかどう 図書館で選ばれたので、 小川さんを招待しようとしたのですかは別の問題なのですが、私の根本的な書き方は、どちらか が実現せず、私が代わりにいろいろな所に行きました ( 笑 ) 。 というと小川さんと似ている点が多いと思います。私は静か シンガポールも行きましたよ。 でシンプルな文章を書くのが好きなのです。私は今まで、大 沼野朗読はヨーロッパではドイツがものすごく好きです江健三郎、村上龍、吉村昭、湊かなえなど、独特な強い文体 ね。長編小説をまるまる朗読してしまうなんていうこともあ を持っている作家の文章も翻訳してきました。ですが、彼ら 128

7. 群像 2016年9月号

なってしまうと、ヘルダーリン宛の手紙で嘆いています。っ いうェッセイがありまして、それを読むと、彼は最初は まり、プルーストの文の長さはフランス語としては異様だけ つまり、明治二〇年代のことですが ロシアの作家を、原 れども、ドイツ語ではあの程度の長さは普通だ、ということ文を尊重してその音調をなんとか日本語に移そうと思って、 なんです。仏独語間の翻訳における文の長さの問題について ピリオドやコンマの数まで原文に揃えようとしたというんで は、ミラン・クンデラも『裏切られた遺一一 = ロ』というェッセイす。ロシア語と日本語では、文法もシンタックスも違います 集で、カフカの仏訳に関して苦情を述べています。カフカの から、本当はそんなことうまくいくわけがなくて、二葉亭も ドイツ語もけっこう長たらしく、セミコロンなども頻繁。 結局は諦めたんですが。坂井さん、日本語の作家の持ってい 使ってくねくね長く続く。ところがフランス語訳は、それを る固有の文体の特徴をなすものは、一長さだけではなくいろい いくつものセンテンスに分解してしまっているというんです ろあると思いますが、フランス語に訳すときにほかにどんな ことで苦労されますか。 ね。クンデラは憤慨して、「これはカフカではない」と一一一一口う わけです。センテンスの長さは、実際に翻訳しようとして初坂井先ほどのお話にもありましたが、翻訳者は透明である べきかどうかという問題も大きいと思います。完全に透明に めて突き当たる問題ですが、これはやはり、文体を構成する 重要な要素なんですね。 はもちろんなれませんし、なるべきかどうかもまた疑問では 堀江そう思います。自分でそのように書いている以上、翻ありますが、原則的に日本文学をフランス語に訳すとき、作 訳者としてもそこは極力崩したくない。一文で書かれている家の持っている声のようなものを、再現しようと願っても、 文は、原則一文で訳す。原作に三行くらいにわたって書かれそれはまったくの幻想でしかないわけです。だから一つのエ もちろん た一文があったら、見た目もなるべく近づけたい。 キバレントみたいなものを作り出すのが、理想なんですね。 これは希望であり、夢でしかありませんが、ますは声を、呼どうすれば作り出せるのかは、総合的な答えはなくて、文章 吸を真似てみたい。身体的な感覚を共有したい気持ちになり ごと、センテンスごと、文節ごとに考えて、手さぐりで探し家 ますね。 ていくしかない。たとえば堀江さんの作品を訳しているとき翻 には、生身の堀江さんは忘れて、文章の作家として、かぎ括家 ■書くことは訳すこと 弧付きの「堀江敏幸」という虚構みたいなものを作り出し 沼野有名な話ですが、二葉亭四迷に「余が翻訳の標準」と て、そのフィクションの人物がフランス語で書いていたらど

8. 群像 2016年9月号

んな声を発するだろうか、というようなことを考えるわけで 沼野面白い視点が出てきました。作家がものを書くのは、 す。一九九〇年代の終わり頃に、スパイク・ジョーンズが確かにそういうことなんでしようね。ただ根本的に違う点は 『マルコヴィッチの穴』という、ジョン・マルコヴィッチの ある。翻訳は違う言語の間を超える行為で、なにしろ元のテ 頭の中に入り込んで : : : という映画を作っていますが、翻訳キストが外国語ですから、坂井さんが先ほど言われたよう をしているときはその映画を思い出して、実際の堀江さんは に、翻訳しようと思って作品を読んだとき、日本語をしゃ すごく迷惑だと思いますが ( 笑 ) 、虚構の人物を作るわけで べっている登場人物がフランス語でしゃべる声が聞こえてこ す。その頭の中に入り込んで、その人物の発し得る声をなん なければいけないということです。それはなかなか難しいこ とか作り出すのが、だいたいの私のやり方です。 とで、私自身も翻訳をしますが、たとえばナポコフがロシア 堀江非常によくわかります。書くときは、括弧付きの「堀語で書いた小説を読めば、ロシア語の声は聞こえてきます。 江敏幸」という人間になるんです。生身の人間ではなく、書ロシア人の登場人物や語り手が日本語で話したらどうなるか き手が作り出した語り手に言葉を出させる点では、翻訳のプ なんて、とても想像できない。プロの翻訳家には、外国語の ロセスとまったく変わりありません。締め切り間際、一息に 原文の声が翻訳先の言語の声になって聞こえてくる瞬間があ るわけですか。 書く。ギリギリの状態でも、一回は校正をします。そのとき の感触は、翻訳されたテキストを原文と対照して、間違いが坂井っーん : 、そういう瞬間を欲しているわけですね。 ないかどうかを確認しながら手を入れていくときの感触とお翻訳家としての私はそのような欲望に動かされている。ただ なじなんです。要するに、翻訳をしているように書いてい し、それを達成できるかどうかはまた別問題です。翻訳して る。 小川さんが先ほどおっしやったのとは少し違うかもしれ何ページか読んでみて、これはやはり不自然だと思うことが ませんが、書いて直すという作業は、ゼロから歩き出した場あります。フランス語が不自然だということではなく、その 合でも、すでに地図があってそこをたどる場合でも、結局は状況描写とか、人物の会話とかももちろんそうですが、単な おなじことになる。書いて、読み直し、書き直して、また読 る叙述のナレーションの部分でも、正確だけれども何か不自 み返すという作業を繰り返しつつ、自分の中の他人の声を調然だという気がすることがあります。そうすると書き直す 整していく。それが「書くこと」だとすれば、翻訳となんら か、書き続けて訂正し続けて。もちろんそのような感触は 変わりはない。そこに区別はありません。 測って分かるものではないのですが、「ああ、だいたいこん 134

9. 群像 2016年9月号

ー松浦寿輝【まつうら・ひさき】フランス文学、 ・沼野充義【ぬまの・みつよし】ロシア・ポーラ ンド文学、文芸評論家。年生。『イリヤ・カ作家、詩人。年生。『花腐し』『あやめ鰈 ハコフの芸術』『亡命文学論』『ュートピア文学ひかがみ』『半島』『』 ■松本次郎【まつもと・じろう】漫画家。間年生。 論』『チェーホフ』訳書に『賜物』『かもめ』 ・乗代雄介【のりしろ・ゅうすけ】作家。年生。『フリージア』『女子攻兵』 ・三浦雅士【みうら・まさし】文芸評論家。恥年 『十七八より』 ーの水脈』『身体の零度』『青 ■橋本治【はしもと・おさむ】作家。年生。生。『メランコリ 『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』『双春の終焉』『出生の秘密』共著に『村上春樹の 調平家物語』『上司は思いっきでものを言う』読みかた』 ・宮城公博【みやぎ・きみひろ】クライマー 8 『結婚』『百人一首がよくわかる』 ・羽田圭介【はだ・けいすけ】作家。年生。年生。『外道クライマー』 ・宮田将士【みやた・まさし】中国マーケティン 『黒冷水』『「ワタクシハ」』『メタモルフォシス』 『スクラップ・アンド・ビルド』 グ。年生。『テレビが伝えない中国人 " 爆買 のウラ』 ・藤野可織【ふじの・かおり】作家。年生。 ・山下洋輔【やました・ようすけ】ジャズピアニ 『いやしい鳥』『爪と目』『おはなしして子ちゃ スト、作曲家、エッセイスト。肥年生。『風雲 ん』『ファイナルガール』 。ジャズ帖』『即興ラブソデイ』『ドファララ門』 ■保苅瑞穂【ほかり・みずほ】フランス文学 年生。『プルースト・印象と隠喩』『ヴォルテー 【投稿はすべて新人賞への応募原稿として取り ルの世紀』『恋文』『モンテーニュ』 ・穂村弘【ほむら・ひろし】歌人。年生。『シ扱わせていただきます。なお原稿は返却いたし ンジケート』『によっ記』『短歌の友人』『ばくませんので必ずコピーをとってお送り下さい。】 【片山杜秀氏の「鬼子の歌」は休載いたしま の短歌ノート』 ■堀江敏幸【ほりえ・としゆき】作家。年生。す。】 ーーー編集部 『熊の敷石』『いっか王子駅で』『河岸忘日抄』 『燃焼のための習作』『その姿の消し方』 群像第九号 二〇一六年 二〇一六年 ( 毎月一回一日発行 ) 八月六日印刷 九月一日発行 編集人佐藤とし子 発行人市田厚志 印刷人金子眞吾 発行所〈な講談社 郵便番号一一二ー八〇〇一 東京都文京区音羽二ー十二ー二十一 電話編集〇三ー五三九五ー三五〇一 販売〇三ー五三九五ー五八一七 印刷所凸版印刷株式会社 郵便番号一七四ー〇〇五六 東京都板橋区志村一ー十一ー一 ◎講談社二〇一六年 本誌のコビー、スキャン、デジタル化等の無 断複製は著作権法上での例外を除き禁じられ ています。本誌を代行業者等の第三者に依頼 してスキャンやデジタル化することはたとえ 個人や家庭内の利用でも著作権法違反です。 ISSN 1342 ー 5552 ◎落丁、乱丁などの不良がございましたら、 小社業務 ( 電話 0 3 ー 5 3 9 5 ー 3 6 0 3 ) までお送り下さい。良品とお取り替えい たします。 ◎最近号のバックナンバーを購入ご希望の方 は、書店にお申し込み下さい。 お近くに書店のない場合、 9 時 5 時に、 ブックサービス ( 株 ) ( フリーコール 012 0 ー 29 ー 9625 ) までお問い合わせ下さ 。電話番号のおかけ間違いにはご注意下さ ◎品切れになりましたら順次締め切らせてい ただきますのでご容赦下さい。 第七十一巻 356

10. 群像 2016年9月号

ら始まりましたが、これは翻訳にとってじつは重要な問題で に翻訳もしてこられたわけですが、よくご存知の他の日本作 家達と比べて、堀江作品に違う手応えや、堀江さんらしい特す。いま坂井さんが、プルースト的と言われましたが、フラ ンス語は元来明晰さを重んずるので、あまり長たらしい文章 色、また翻訳の際に注意するべき点とかはありましたか。 を好まないと思うんです。カントとかへーゲルといった哲学 坂井堀江作品の中で、一番特徴的なのは文体ですね。堀江 作品をお読みになっている方はご存知だと思いますが、堀江者の文章は、本来はフランス語では書けないようなものじゃ さんはものすごく長いセンテンスを、ものすごく丁寧に作り ないでしようか。関係代名詞に導かれる従属節がだらだらと 上げていらして、それを前にした翻訳者は、本当に頭が痛く 続いていって。ドイツ語ではそういう文章が書けるからこそ なるような苦労を強いられるんです ( 笑 ) 。翻訳者は相当マ ああいう哲学が生まれたとも一言える。しかし、そういう長い ゾヒスティックだと思いますが、その苦しみを喜びながら苦文章を長いままでフランス語に移すこと自体、フランス語の しんでいるところがあると思います。堀江さんはその文章世書き手としては、大変な文体的な努力が要るんでしようね。 界の中で、感情とか物とか出来事を長いセンテンスの中に取日本語の場合は、『源氏物語』の昔から、どこまでつながっ り込んでいって、総合的に壊さずに捉えていくという書き方ていてどこで切れるのかよく分からない文章を自然に書くこ をなさっている。フランス語にそれを移すとき、同じように とができた。吉田健一みたいに。文章の長さに対する許容度 は、一一一口語別にだいぶ違いますね。長さを保持しながら訳すの 壊さずに、感情とか状況とか物というものを表現していきた は、やつばりフランス語では難しいのではないですか。 いと思って、原則的には堀江さんのセンテンスとフランス語 のセンテンスの長さを合わせています。そうすると、とても坂井そうです。相当文章をこねないと。問題は、適当に長 いセンテンスを作るのならいくらでも作れるわけです。けれ 長い、ある意味ではプルースト的なものを作らざるを得なく ども、それなりのリズムがあり、かっ読んだときに理解でき なります。そういったところに力を入れて訳しています。 る長いセンテンスを作れるかどうかは非常に微妙なところ 沼野堀江さんはその長さは、意識的に作られているわけで すね。 で、そこが一番翻訳者泣かせ、苦労するところですね。 沼野プルーストで思い出しましたが、ペンヤミンがプルー 堀江そうですね。すべてが長いわけではない気もしますけ ストのフランス語を一時ドイツ語に訳したことがあります。 れど ( 笑 ) 。どこで切っていいか分からなくなる、というの が正直なところですね。 そのとき彼は、プルーストの長いセンテンス、フランス語と して強度のある文章が、ドイツ語に訳すと普通のドイツ語に 沼野センテンスの長さという、かなりテクニカルな話題か 132