入っ - みる会図書館


検索対象: 群像 2016年9月号
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1. 群像 2016年9月号

男の言葉が側頭に刺さるようだった。・そうしようとわたし 男はまだわしらと言ってくれる。もはや冷静な判断ができ は思った。そうしよう。変な色気を出さず、今までそうして ないわたしは黙っていなかった。代作が行われたんなら、印 きたように、ここでも振る舞うのだ。そうするべきだったのだ。 税を渡すなり、何らかの契約があったはずでしよう。雑誌掲 「おっ」という声が遠くに聞こえた。「四月二日に『とうと 載だけでなく、『片腕』は表題にした単行本も出ているはず う送った』の記述があって、次がなかなか見物でっせ」 です。そのあたりで、何か自分からは言えない事情があるの ではないですか。 四月廿三日。川端先生より手紙来て、歓喜し手を震わせ 「もう川端が自殺して四十四年でっせ ? 」男はここそとばか 有難く何遍も何遍も読む。この傑作は是非とも活字にしな りに眉間にしわを寄せ、深いため息までつくのである。「著 ければなりませんという文面に恐悦し、また震える。筆を 作権もばちばち切れますわ。確かに、他の作品で代作騒ぎに 執るも容易ならず。眠りも然り。また読み返し震える。 なったもんかて、生前は単行本にも全集にも入ってませんけ ども、今さら隠し通す意味もあれへんがな。わしは、そんな 「かわええもんや。当時の川端言うたら問答無用の大作家や 実益のからんだしがらみのせいやないと思いまっせ。金が欲 し、無理もないですけどなー。茨城の田舎でくすぶっとる文 しいなら、むしろ公表した方が何倍もおいしいわ。間氷はん はおとうさんについて、何か根本的な勘違いをしてるようで学青年にしたら神様みたいなもんでつしやろ」 わたしは蚊帳の外で声だけを耳に入れながら、神様、志賀 すなー」 直哉と愚にもっかないことだけを思いながら、一向に去らな 言葉が進むうち、わたしの胸は執拗にねじを回すようにき い体の異変と闘っていた。 つく締めつけられた。その圧迫は一つの塊になり、上半身の 「このあたりで日がずいぶん空きますけども、手紙のやりと 血を真綿のように吸い取りながら、汚物のように体をせり上 りで手一杯ゅうとこでしようなー」 がってきた。喉の奥をこすり上げて吐き気を呼び、がらんど 「直したものをもう一度送るようにと頼まれたのです。川端家 うの頭を重たく揺るがす。全身の臟器が縮み上がるような衝 読 動がきて、わたしは前屈みに倒れそうになるのをなんとかこ先生が伊豆へ行かれる間でした」 らえた。 「なるほど」と男が感嘆の声を発した。「吉永小百合の『伊物 豆の踊子』の撮影を見学したんがこの時でつか。人に書かせ 「こんなこと言いたないんやけど、黙っといてもらえまへん か ? 」 て暢気なもんや。なんでも、吉永小百合のそばから離れんで

2. 群像 2016年9月号

十四時間使える飲み物や菓子バンの自動販売機に似ている。 前回のあらすじ 自動販売機とちがうのは、私たちが会釈をするとにこにこし 私はピエタ。高校の時、転校してきたトランジと仲良くなった。ト て軽く会釈を返してくれるところだ。 ランジは頭が良くて、周りで起こる事件を次々と解決する。私は医大 でも、沢田 ( 妻 ) はちがった。沢田 ( 妻 ) はめったに笑わ へ進んだ。医学の知識があれば、今後の捜査に役立っと思ったから。 ・の門限と点 ず、信じがたいことに、寮則に書いてある ジが私と向かい合う向きで手前に収まっていた。 の消灯、【以降の勉強や歓談は一階の共用ラ 「でも、こうして出てきてる」道路をうかがうトランジの目 ウンジで、などなどの現実的でない文一言を、現実のものとす 尻あたりで、白目がぬるっとしてきらめいていた。 ることに全力を尽くしていた。 「まあね、たまにはね。窓があるし」と私は言った。私の部 「大切なお嬢さんをお預かりしているのだから、一私には責任 があるんです」と沢田 ( 妻 ) は静かに、真面目な口調で私た屋の窓の真下に立派なひさしが張り出しており、そのひさし には丈夫な庭木が枝を伸ばしているから、出入りはそう骨の ち寮生に言い渡した。 沢田 ( 妻 ) は本気だった。私は彼女の本気を見誤り、門限折れる仕事ではなかった。「ところでさ、この自動販売機っ て使う人いると思う ? 中のコンドームって、入れ替えされて 時の点呼を二、三度すつばかして、その都度罰則として沢田 んのかな ? 劣化しててもう使っても意味ないんじゃないの」 ( 妻 ) 監視のもとトイレ掃除をやらされた。 「足音」 「あんなの、書いてあるだけかと思った」しよばくれて私は 私はロを閉じた。トランジの頭ごしに、スマートフォンで トランジに愚痴った。 夜中の三時に、連続親指切断魔事件の犯人のあたりをつけ下から眠そうな顔を浮かび上がらせた女の人が、スニーカー の底をアスファルトに軽く擦り付けながら歩いていくのが見全 て、住宅街の電信柱の真後ろに設置してある、ポストみたい えた。私はポリエチレンの手袋をはめた手で金属バットを握 な形をしたばろばろのコンドーム自動販売機のさらにうしろ ジ ン の、家屋とマンションのあいだの細長くて狭い隙間に身を潜り直した。彼女の足音にびったり合わせて、別の足音が近づ いてくるのがわかったから。 めて張り込みをしている最中のことだ。コンドーム自動販売 でもそれは、言ったとおり本当にたまに、のことだった。 タ 機は黄緑色にばんやり光っていて、黒々とした隙間をますま 工 呼ばれて飛んできた私が青あざみたいに目の下にクマをつ す黒々とさせて、私たちの姿を完全に見えなくしていたはず くっていたり、昼間なのにマスカラも塗らずそれどころか眉 だ。ふたり並んで立つどころか、正面を向いて立っこともで きない狭い空間だった。横歩きをして私が奥に入り、トラン毛が半分しかなかったりするのを見て、トランジは私に知ら

3. 群像 2016年9月号

〇分弱で上がった晶はタオルで手早く身体を拭き、着替える 「どうも、あの、長崎から疎開してきた者です。南雲晶と申 と車の中へ戻った。 します」 「そうなの」 生存者コミュニティーでもないかと、霧のたちこめる湖周 辺を探る。アイヌ民族博物館へ車を近づけ、中に誰かいるか 「お一人ですか ? 」 もしれないと降りて散策を始めた。 「そうだよ、ここしばらくは毎日一人」 「毎日いらっしやってるんですか」 人やゾンビの気配が全然しない静けさが心地よく、晶は茅 「家で書いてても昼過ぎには飽きるから、ここへ来て夜まで 葺き屋根の家が並ぶ集落で半時間以上過ごした。泳ぎ続けな書くんだよ」 ければ死んでしまうマグロのごとく車で移動している時とは 書く ? この絶望的状況下で″書く″という、生存のため 別の時間が流れ、自分の行動や考えについて客観的に捉え直の優先順位としては低い文明的行為を「飽きる」ほど行って すこともできた。再び車に乗り、このあたりにはどうしてゾ いるとは、少しポケてでもいるのだろうか 「なにを書かれているんですか ? 」 ンビがいないのかと不思議に思いながら、カタカナの不思議 な地名が書かれた標識や看板の目立っ街の中を車でゆっくり 「小説。それが私の仕事だしさ」 進む。すると、明かりの灯されている建物があった。曇り空 の下、他の建物に人気はないから目につく。図書館だとわか ペテランミステリー作家の自宅一軒家は、図書館から車で り、正面玄関近くに車を停めた。 数分の距離にあった。晶の車に乗った水我流だったが、いっ ザ 竹槍を持ち中へ入ると、閲覧用テープルに座りなにか読ん もは健康維持のため歩いて往復しているとのことだった。 でいるように見えるもっこりとしたシルエットがあった。背 「男ヤモメの一人暮らしだから散らかってるけど」 オ を向けていて、セーターやら半袖ダウンジャケット等厚着し 表札に「水木」と書かれた家に入ると、居間にはガラス扉 ており前屈みで姿勢も悪いため全体的に丸く、おばさんなの つきの重厚なキャビネットや革張りソファーがあり、引き戸ス ク かおじさんなのか人間なのかゾンビなのかもわからない。晶 で仕切られた隣の部屋が書斎になっていた。居間に立ったま テ ン が声をかけようと息を吸うと、人影が後ろを振り向いた。 ま書斎を眺め回していると水我流から「好きに見ていいよ」 コ 「あー、誰 ? 」 と言われ、晶は書斎へ入った。大きな木製デスクとハイバッ 眼鏡をかけた初老男性だった。 クチェアーの他に、壁を覆い尽くすように置かれた本棚に大

4. 群像 2016年9月号

残った二人で後かたづけをし、字型に配置されたリビング を持ち出したのは晶だ。 のソファーに腰掛けた。シゲモリは焼酎を飲み続けている 「追っ手は来ないんですか ? 」 トランシーヾ ノーがローテープルの上 「来ない。さっきも話した混乱と火事で、四散したから。俺が、顔色は変わらない。 に置かれ、本州のラジオ放送が小さな音量で流れてい のテントも燃えたし、死んだと思われてるだろう。南雲に借 る。たまには頭を弛緩させようと、晶は慣れないウイスキー りバクされたときは腹立ったけど、だからこうして一台だけ トランシーヾ を水割りで飲み始めた。すると、ずっと張り続けていた気が ノーが生きてることにもなる」 突然面倒くさそうな口調になったシゲモリは敷き布団へ横緩み、思いだしたり考えないようにしていたことが急に浮か になり、三分と経たないうちに寝息をたて始めた。ひどく疲んだ。 「最近は走ってくるゾンビより、歩いて襲ってくるゾンビに れがたまっていたらしかった。 遭遇するほうが辛くなってきました。走ってくる連中だった 夕食のメニューは、具沢山のホワイトシチューにサラダ、 ら、なにも考えずに殺せて、虫を叩き潰すのと同じという 白いご飯や酒もある、道内の現状況下ではかなり豪華なもの か、生きるためだったから仕方ないと自己正当化できるんで だった。ペンダントライトの明かりで照らされたダイニング テープルに三人で座りながら、水我流はウイスキーを飲む合すけど : : : 歩くゾンビたちに対しては、自分が殺さなくて も、ただ逃げるだけでもよかったんじゃないかとか、最悪な 間にシチューを食べ、晶とシゲモリは食べ物をむさばるよう のは、あのゾンビたちが人間に戻れる余地も可能性としては にしてロへ運ぶ。温かい汁物にありつくのは、二人とも久し あったんじゃないかと、いつまで経っても後悔の念がっきまデ ぶりだった。 ザ とうところですよ」 「君は、酒飲まないの ? 」 本州から傍受しているラジオ放送では、本当かどうかはわプ 焼酎かウイスキーの二択で、弱い酒しか飲めない晶は茶を オ からないが数日前から″救世主″とされる人たちの話題がと 頼んだ。わざわざティーポットで淹れてもらったレモングラ スティーが出されたとき、晶は自分でも予期しないほどの嬉りあげられるようになっていた。 ス ク 「さっき、ゾンビと遭遇しなかったエリアがあると言ってた しさを感じた。絶望的状況下で、温かい食事をとり、嗜好品 テ ン けど本当 ? 」 まで愉しめている。文明的な行為ができているだけで、こん コ 「アイヌの復元集落あたりでは一体も遭遇しませんでした」 なにも心地よさを感じたり希望を抱いたりもできるのか。 「アイヌ語圏か : : : 」 食事を終え顔を赤くさせた水我流は風呂へ入りに行った。

5. 群像 2016年9月号

たり小説を書いたりといった行為は、フランス文学の研究や てくる。これはいったい何なのだろうと途惑ってしまいまⅧ , さんの、自分の生み出した子はもう離れて 翻訳とはほとんど関係がない。そもそも、改めて考えてみるす。先ほど小 いって、せいぜい遠くへ行って別の体験をしていらっしゃい と、日本語というのはかなり変わった一言語でしよう。書き言 葉にかなと漢字が混在していること一つをとっても、実に特というお話がありましたが、僕の印象もそれに似ています。 異な一一一一口語だと思う。しかし、それを母語として持って生まれ僕自身からいったん遠く離れていき、言語の境界を越えてさ て、生き続けてきたという偶然の巡り合わせで、 , このいつぶまよいだした自分の作品が、あらためて別の言語の相貌をま とって自分の手元に戻ってくる。実に不思議なことだなとい う変わった一一一一口語が、僕にとっては一種の自然となっている。 うのが実感です。 世界のどの言語もそれそれ特異だと言ってしまえばそれまで だけれど、このどこかきわめて不思議なところのある日本語 沼野松浦さんの文体は、日本語固有の可能性を極限まで が、僕にとって、何の不思議もない自然として存在している使っているところがあって、前のお二方もそれそれ独自の文 という、そのこと自体の不思議さですね。その日本語を使っ体をお持ちとはいえ、松浦さんの文章が一番訳しにくそうな て詩を書くとか、小説を書くとかを試みはじめる時点で、自気がするのですが、辛島さんどうですか、苦労はありません でしたか。 然からはやや逸脱した行為に足を踏み入れることになってく 辛島 。し。過酷な翻訳教室みたいでした ( 笑 ) 。刺激的な るのですが、ともあれ『巴』という長編小説を書き始めて、 書き続けて、書き終えてというプロセスの中に自分を住まわ性描写や、詩人ならではのひらがなが延々続く描写や、最後 にはアクションやチェイスシーンまであって、すべてやらな せていたある時間の持続の体験としては、いずれにしても完 くてはいけないという意味では、翻訳の筋肉を鍛えることが 全に日本語の、ーーー何でしよう、システムという一一一一口葉はあま できた素晴らしい機会でした。これは訳して七、八年ぐらい り使いたくないのですが、日本語による思考、日本語によっ て書くという文章行為の中に、とつぶりとひたりきって暮ら経ちます。記憶が薄れているところもありますが、先週、久 しぶりに読み返してとても刺激的に楽しく読めました。実は していた時期なんですね。そして、書き上がって、本にな もう。ハソコンのデータがなくなっていることに昨日気づき、 り、物質として外界に実在し始めてしまうと、これはもう自 。いったん自分とは縁の切れた存在でもプリントした第一校が残っていました。できあがった本 分の手から離れてしまう になってしまいます。ところが、辛島さんによる翻訳が完成と読み比べてみると、やはり書き出しはすごく大切で、第一 して、それが別の一一一一口語になってあらためて自分の手元に帰っ校は、ほばセンテンスの長さを保っているのですが、最終的

6. 群像 2016年9月号

コンテンツに無自覚的にのつかってばかりな文脈頼りの人間 ただ自己顕示欲の発露手段としてだけで、小説を書いている でいるからこそ、浩人を救えないのだ。 のではない。本当に古典作品が好きで、それでもなお、書き 自分が〃救世主″になるには、″純文学みの文脈にとらわ たいと思っている。小説の力を、信じているのだ。古典作品 れない、真に新しい小説を書きあげるしかない。 しかし、過とは違うことを、今に生きる自分が書いてみたいと、本気で 去に偉大なる先人たちが素晴らしい作品を残してきた創作分願っているのだ。 野で、どうすればそれができるのか。本棚に並ぶ膨大な数の それから数日間、理江は本棚に並べられている純文学文芸 古典作品の背表紙を眺めながら、理江は考える。ここに並ん誌を手当たり次第に引っ張りだした。日頃読まない文芸誌だ でいる本はほとんどすべて一〇年以内、つまりは小説家とし が、前衛的とされる作家たちにより書かれた前衛的作品を読 てのデビュー後に買ったものだ。無教養だった当時二〇歳の めば、文脈に頼らない小説の書き方がわかるのではないか。 娘も、形を取り繕い自主的に文学的価値観の矯正を行うう 読み始めて三日目の深夜、文芸誌に掲載されていた前衛的 ち、いっしか本当に古典作品が好きになっていった。ただし 作品を一五作品読み終えた理江は、ぐったりしながら浴槽に かし、これだけ読んできて、一〇年で本を三冊しか出してい 身を横たえた。″ 文脈に頼らない前衛的作品″の定義を文芸 ないとはどういうことなのかという疑問が、最近ものすごく 誌から学ばうとした結果、〃 純文学文芸誌に掲載されるよう 強くなってきていた。 な前衛的作品みという文脈へ逆にどっぷり浸かってしまっ 別の本棚に、ここ半年以内くらいに自分の記事が掲載され た。理江にも途中からその自覚はあったが、もっと読めば答 た雑誌や新聞が、ずらっと並んでいる。素晴らしい古典作品 えは見つかるかもしれないと、現実逃避を続けてしまったの が存在する中で自分が書く意味を考え続けてきた結果、小説だ。 を書いている日より書いていない日のほうが多くなってし 文学の進化とその役割は終わったと言われて久しいこの時 まっていた。いつばう、雑誌で紀行文や映画評やおすすめ料代に、文脈の力に頼らない真に新しい小説など、書きようが 理店紹介等の仕事をこなしたり、ラジオやテレビの・ 0 あるのか ? 風呂から上がって身体を拭きながらも、理江は 番組なんかに出演したりと、小説と関係のない、自分を前 ずっと考えていた。長風呂をしすぎたせいで身体は熱つば 面におしだす仕事を断ったことはほとんどなかった。 、発汗しないよう全裸で脱衣所の鏡の前に立つ。 ただの目立ちたがりなのか。その事実を受け入れつつある 完全変態してしまった半地下室の浩人には、妻の顔や、こ 理江はいつばうで、それだけではないと思いもする。自分は の世界がどう見えているのだろう。理江には想像できなかっ

7. 群像 2016年9月号

ニンフォレプトは、ナポコフの『ロリータ』に紹介される 言葉である。九歳から十四歳の少女で性的魅力を有する者っ まりニンフェットと、そうでないただの少女を区別すること ができる人間のことを指す。 の方を見なかった。代わりに、座席の中年女が手提げバッグ ところでその時、ジーン・ミラーは十四歳だった。両親と からおにぎりを取り出すのを熱心に見た。 ともにフロリダに滞在しており、デイトナ・ビーチにある 「おとうさんはええ時代でしたなー。間氷はんとあの娘は、 シェラトン・ホテルのプールサイドで『嵐が丘』を読んでい 今やったら恋愛にもなりまへんわ。いや実際、間氷はんは寡た。小説の話ではない。一九四九年の冬、少女は実際に読ん でいた。 黙でなかなかええ男やから、やりようによっちゃあなんとか なるかもわかりまへんけど、条例も世間体もあるし、障壁が 多すぎますわな」 『嵐が丘』を読んでいたら、一人の男が「ヒースクリフは わたしは下手を打たぬよう黙っていた。電車がゆっくり加 どう ? 彼はどうしてる ? 」、って話しかけてきた。私は本 速する。男の調子のいい言動がいつまでも娘の面影をこびり に集中していたから、何度訊かれたのかわからないけど、 つかせるせいで、振り向き見たくてしようがなくなるのを、 そのうちょうやく耳に入ってきた。それで、彼のほうを向 窓のサッシに肘をかけた頬杖でもって懸命にこらえていた。 いてこう答えた。「ヒースクリフは問題を抱えてる」 すてき 私は彼を見た。長くて素敵な角張った顔に、深く悲しみ 「間氷はんがうまくやるとしたら、 Salinger や川端康成の手 ですわ」 に沈んだ目をしてた。タオル地のバスロープを着ていて、 うまくやるとはなんだと思いながらわたしは、男が小さな 脚はとても白くて、顔色もとても青白かった。プルプル震 えてたというわけではないけど、このプールにはふさわし 小さなウサギほどの舌で唇をなめるのを視界の端に引っかけ た。それをこの上なく不気味に思った。 くないように見えたわ。 この年の一月一日に三十歳になったばかりだったサリン ジャーは、自分の半分ほどの年の少女ジーン・ミラーと二人 ヒーチを歩き、カモメにポッ家 きりで多くの時間を過ごした。・ プコーンをやり、彼女が側転しながら海に入る姿を喜んだと読 物 本 彼のデイトナでの滞在が終わろうとしていた本当に最後

8. 群像 2016年9月号

この恐ろしさこそ人間に本質的なものであることは、そ いで空き家を出、狂ったように走ってゆくと一軒の寺が れが言語とともに古いことからも明らかである。大岡信は あったので、坊さんに「私の体があるのかないのか教え 谷川俊太郎との対談『詩の誕生』のなかで、子供の頃に買 てください」と尋ねる。坊さんは驚くが、話を聞いて合 い与えられた児童文学全集中の『印度童話集』を読んで強 点し、「あなたの体がなくなったのはいまに始まったこ い衝撃を受けたと語っている。なかでも「誰が鬼に食はれ とではない。『我』というものは仮にこの世に出来上 たのか」という話は鮮明に記憶に残ったとして全文を引用 がっただけのもので、愚かな人はその『我』に捉えられ している。長いので以下に粗筋を引く。 て苦しむが、その『我』がどういうものか分かれば苦し みはなくなる」と答えた。 ( 『自選大岡信詩集』略年譜に ある旅人が道に行き暮れて野原の空き家で一夜を明か 収録された「粗筋」による ) す。夜、一匹の鬼が肩に人間の死骸を担いで入ってく る。すぐにもう一匹の鬼が入ってきて、その死骸は自分 児童に与える物語としていかがかと思われなくもない のものだと言って争うが、先に来た鬼が、旅人を指して が、大岡にはそれが益したのである。先に述べたことがこ 証人とし、どっちが担いできたか言えと迫る。旅人はど こに寓話として巧みに語られている。自己が外部的なもの う言っても殺されるに違いないと思い、正直に、先に来であることの恐ろしさを実感的に物語ってみせているわけ たほうが担いできたと一言う。後から来た鬼は大いに怒 だが、この外部性こそ一一一一口語によってもたらされたものなの り、旅人の腕を引き抜き床に投げつける。先に来た鬼だ。「誰が鬼に食はれたのか」というこの物語はおそらく は、すぐに死骸の腕を持ってきて代わりに旅人の体につ 仏典から採取されたものだろう。とすれば古いとはいえた ける。後に来た鬼はますます怒って足を引き抜く。先に かだか数千年を遡るにすぎないが、しかしこの恐怖は根源 来た鬼がすぐに死骸の足を持ってきてつける。こうして的なものであって、現生人類の誕生つまり一一一一口語の誕生とと 旅人の体と死骸がすっかり入れ替わると、二匹の鬼も争もに古いと思われる。 うのを止め、半分ずっその旅人の体を食って出てゆく。 中空に成立したこの自己という現象は、人を恐怖に陥れ 旅人は驚く。自分の体は残らず食われ、いまの自分の体もしたが、どのような対象にも乗り移ることができるとい は誰か分からない人の死骸である。いま生きている自分う能力ーーいわゆる想像力ーーによって、結果的に人類を はほんとうの自分なのか。夜が明けるとともに旅人は急益することになった。その能力が人に、死の恐怖をももた

9. 群像 2016年9月号

子の入った小さな窓の下に机を置き、壁ぎわは本棚を取りつ とであった。古沢博士は、私を最後の患者とされた五年後逝 け、私の書斎を造った。階下は書庫と手伝いの少女の部屋に 去されている。仏教にも深い興味を持たれ、晩年、阿闍世コ 仕分けた。 ンプレックスを提唱された博士は、御自分の最後の患者が、 表座敷の縁側の前にあるせまい殺風景な庭に、石を運び、 その五年後、出家を果そうとは夢にも予知されはしなかった ~ ろ、つ 樹を植え、風情のある庭に変えた。 玄関脇の洋間だけは私に任され、カーテンも家具も私が選 んできた。 質屋の跡に暮しはじめて半年も経たぬうちに、斜め向いの 鉄格子の入った小さな窓の下に坐ると、妙に腹が坐って、 スマートな洋館に、河野夫妻が引越してきたのには呆気に取 られた。その家の持主は画家で、アメリカへ留学したので、 私のペンはよくすべり、次々作品が生れてきた。 空家の留守に住んでくれと依頼されたのだそうだ。それも市 私のノイローゼは、岡本かの子を書くにあたって、太郎さ こさわ んと親しいという柴岡治子を紹介され、治子の旧知の古沢平 川さんの不思議な不動産との縁によるものだったのだろう 作博士を紹介されて、驚異的に快復した。日本精神分析界の そんな目と鼻の先に住むようになっても、河野多惠子と私 泰斗である七十近い老博士は、すでに医学界からは引退さ れ、患者はとらなくなっておられたが、岡本太郎一家の天才は毎日顔を合すわけでもなく、お互い書斎に引きこもって仕 ぶりを研究されていたので、私の書きはじめた「かの子撩事に専念していた。たまに家の前でばったり顔を合わすと、 「表通りの歯医者へ行ったらね、お宅のお向いの先生は、 乱」に興味を持たれていた。柴岡治子から私のことを聞かさ 度々いらして下さるのだけれど、気が短くて、あと二回、と れた時、特別に看てもよいと言われたのだそうだ。生きてい いうあたりでいつでも治療をよしてしまわれるのですよ。お たフロイドから直接に交流のあった日本人で唯一の博士だと いう。美貌で温顔の老博士から、自宅の一室で独特の自由連親しいならお誘い下さい、なんてこばしてたわよ」 など告げてくれる。一本の虫歯もなく大きな白い歯が御自 想法の診察治療をほどこされて、三カ月ばかりで完治するこ とができた。思いがけないこの経験が、まさか出家後の私に 慢の河野多惠子が、なぜ歯医者通いかといぶかると、親知ら 思わぬ功徳を与えてくれることになろうとは、夢にも思わぬずがはじめて抜けたので、その後始末だと笑っていた。 ことであった。古沢博士の最後の患者ということで、その学 方角のせいか何か、質屋の家に引越して以来、仕事がどっ と押し寄せるようになって、私は寝る閑も奪われ、いつでも 界では私の名が記憶されていると知ったのは、つい最近のこ いのち 201

10. 群像 2016年9月号

記も反転していました。もちろん、反転していることもわ なに質の変化も量の変化もない。ただ、一つ問題として、ド かっていないわけですが、そこになにが書いてあるのか、と クターの学生たちが漫画の翻訳にいってしまう。ドクターを いった単純な質問です。そんなところから日本語に入って辞めて ( 笑 ) 。 いった世代が、もういくつか代を重ねている。一時のプーム 沼野お金が稼げるのでしようね、たぶん。 で終わらなかったんですね。バンド・デシネの国際的な大会坂井そういうことです。 に、漫画好きのフランス人の若者がたくさんやってくる。あ 沼野たとえば堀江さんの小説を翻訳してもあまり、お金は オし力もしれない ( 笑 ) 。 る日本のアニメーションの専門家が、彼らの日本語力、日本稼ガよ、、 の文化に対する理解の深さを絶賛していました。彼らの一部堀江まあ、人生を無駄にすることになりますね ( 笑 ) 。 が、さらに先に進むと、今度は文学に近づいて行くんです。 沼野何をおっしやる ( 笑 ) 。人生は金じゃありませんよ。 坂井現在、フランスは世界の漫画市場の第二位です。第一 とはいえ現実には、たとえば私が指導を引き受けたあるロシ 位が日本で第二位がフランス。データベースがさまざまあり ア人の若者も、最初は村上春樹を研究していましたが、ロシ ますが、その一つがユネスコの lndex Translationum0 あま アに帰って何をしているのと聞いたら、『らんま』という り当てにならないところもありますが、二〇〇〇年代の初漫画シリーズを訳していますと : : : 。堀江さんはフランスの め、日本語からフランス語に毎年訳されている文学という項現代文学の翻訳をかなりしていらっしゃいますが、ご自分で 目に、訳されているものが六〇〇冊以上あるんですね。なぜ翻訳作品を選んでいるのでしようか。特にどういうものを翻 だろうと調べてみると、六〇〇冊超の中、文学と呼ばれるも訳したいと思っているのでしよう。また、日本における現代 のは三〇冊くらいで、あと全部漫画ですよ。全部 ( 笑 ) 。イ フランス文学の状況をどう思われますか。 ナルコに日本語を習いたいと入ってくる子たちの五〇 % 以上堀江最新の状況には疎くなってしまったのですが、訳した は、漫画やアニメから入ってきています。漫画の原文を読み いものを自分で選べるとすれば、それは極めて特権的なこと家 翻 たいと。初めはすごく不思議な感じがしました。そういう学だと思いますね。僕の最初の翻訳出版は、エルヴェ・ギべー と 家 生さんが来たとき、動機がもろいのではないかとすごく心配 ルの『赤い帽子の男』という作品でしたが、エイズで亡く 作 しました。ところがそうでもない。日本語を習い続ける子た なった作家の遺作という触れ込みで、当時はいくらか物珍し ちは、入口が何であろうと習い続けますね。結果的にはそん さもあったと思います。新刊で読んだときに気に入っていた