る人種間の遺伝子の関係を示した系統樹は、言語の系統樹 ウイルソンらの出した結果とおおよそ重なっている。この ほば十四万年前という年代も、幾人かの考古学者、歴史家と見事なまでに対応している ( 『文化インフォマティックス ーーー遺伝子・人種・言語』ほか ) 。現生人類はいまや、自らの によって採用されている。 それにしても現生人類の共通の祖先の誕生が、というこ幼年時代の真実に向き合っているのである。 その中心に言語の起源の問題がある。 とは要するに起源ということだが、たかだか十四万年前に すぎない かりに三十万年前だとしても四十億年といわ 動物行動学者ロビン・ダンバーらが中心になって進めら れた英国学士院の共同研究「ルーシーから言語へ」プロ れる地球の生命の歴史においては一瞬にすぎない ジェクトはよく知られているが、ダンバーの立場は、邦訳 うのは驚異である。この共通の祖先がほば七万年前にアフ された『ことばの起源ーーー猿の毛づくろい、人のゴシッ リカを出て世界中に適応拡散したということになっている プ』の表題にも明らかなように、どちらかといえばチョム が、これはもう考古学というよりは歴史学の範囲というこ とになるだろう。農業革命、あるいは都市革命は、一万数スキーの側ではなく、トマセロの側に与しているように見 える。ルーシーというのは、一九七四年、エチオピアで発 千年前といわれる。人類移動の詳細がいずれ明らかになる のは疑いないが、そうなれば歴史を見る眼も違ってこざる見されたおおよそ三百万年前の化石人骨につけられた愛称 とい , つより・も である。ホモ・エレクトスよりさらに古いアウストラロピ をえない。文学史も違ってこざるをえない、 テクスに属す。プロジェクトの名称そのものが人類進化と 文学史の姿、文学の姿そのものが違ってこざるをえないだ ろう。 言語の起源への強い関心を物語っている。 ダンバーの主張の骨子は、一九九二年に専門誌に発表さ 遺伝学者らの研究は、現生人類の一部の集団がほば七万 れた論文「霊長類の集団のサイズが強いる緊張の結果とし 年前にアフリカを出て中近東からインドへ、インドからオ セアニア、オーストラリアへ、さらに東南アジアへと拡散ての大脳新皮質のサイズ」によく示されている。緊張とは むろん社交上の緊張、人間をも含む霊長類の集団における し、また中近東から北上して西行しヨーロッパに入ったこ とを明らかにしている。むろん、考古学者や人類学者、動仲間に対する気配りのことである。これをここでの文脈に そって敷衍すれば次のようになる。 物行動学者らとの共同研究も推し進められている。たとえ 集団の成員は仲間はずれを恐れ、序列を気にする。哺乳 ば遺伝学者ルイジ・ルカ・キャヴァリⅡスフォルツアによ 246
( ん ? え ? あ ? あ ? あっ、ああ あ ? 「起きました ? 」 お前か ? まだいたのか ? 死神が来たかと思った。 「いたきゃいても、 しいと言われたんでーーー」 ああ。年取ると、部屋の隅に「黒い人」がうずくまってる のが見えたりするっていうからさ、それかと思った。 どれくらい寝てたんだ ? 「三十分くらいですかね」 ああ ちょっと、この茶碗に水入れてくんないか ? あ、水道の水でいい。冷蔵庫開けなくていい。俺はペット ポトルの水なんか飲まないから。ここら辺は水道でいいんだ 載説 九十八歳になっこ私 > 。 [ ・ 3 ロポット君の巻橋本ム よ。ここら辺の水詰めてペットボトルで売ってんだから、水 道でいいの。 ありがとうございます。 ちょっと寝るとね、寝る前のことは前世の出来事みたいに なってね、なんだかよく分かんなくなるの。「ああ、いた な」って記憶だけが甦って来たんだけど、君って誰なんだっ 「前に名刺渡しませんでしたつけ ? 」 名刺 ? 前は助手が整理してたんだけど、死んじゃったし な。きっともらったんだな ? 「はい」 180
淡島はロを曲げた。そんなことは言われなくてもわかって いる。でも俺だって機械じや無いんだ。全てを把握すること なんてできない。 「今、何が見える」 二三キロあたりで交差点を大きく右に曲がり、すぐに左 「え ? 」 へ。そのまま右への大きなカープ。レースのちょうど真ん中 「言ってみろ。もし走っているとしたら、俺に何を伝えるべ に位置するこの急なクランクが選手たちの走りにどう影響す きか」 るかは未知数だが、短時間で重心を左右に移動すれば確実に 「前方から車が来ます」 体幹のバランスが崩されてしまう。 「いいそ」 明らかに前を行く選手たちのペースが乱れていた。クラン 視覚がないだけに選手は音に敏感だ。特に車が近づく音に は恐怖を感じる。伴走者が何も言わすにいると、選手は自分クと路面の悪さが影響しているのは間違いない。すぐ目の前 だけが車の存在に気づいているのでは無いかと疑心暗鬼に陥では、先ほど第二集団を抜け出していったはずのカイエルが る。伴走者は、選手が車の存在に気づく前に、ちゃんと認識体を捩るようなフォームを見せていた。どこか痛めたのだろ うか。じりじりとペースを落とし、今にも足が止まりそう していることを伝えてやらなければならないのだ。そうやっ 、、こつつ ) 0 て選手の恐怖心を丁寧に取り除いていく。 「前方にカイエル。ロープはこのまま左から抜きますよ」 「道は ? 」 前を行くカイエルの右側には伴走者がいる。内田に声をか 「えーっと、この先に段差があります」 けて進路を左に修正し、瞬間的にペースを上げる。 「どっちの ? 」 「抜きます」 「はい ? 」 他の選手を抜くとき、淡島は常に自分が相手と内田との間 「上りの段差か下りの段差か言わなきやわかんねえだろ」 を走るようにしていた。自分が内田の右側についているとき 「あ、上りです」 には相手の左側から、自分が左側にいるときには右側から抜 淡島は愕然とした。これだけ練習をしているのに、まだま く。前を走る選手が急に左右へ動くと内田には避けることが だ気づかないことだらけだった。普段、いかに自分が視覚に 頼って生きているかを思い知らされる。周りの状況を正確できないからだ。 に、そして簡潔に伝えること。伴走者には言葉の技術も要求 される。ただ人より速く走れるだけでは、伴走などできな
旗の代わりにシャツを脱いで振り回している。 ホアキンの伴走者は世界記録を持っエンリケスだ。本来な 公園を過ぎたところで左側にカープしたあとは三四キロ過らば淡島が戦える相手ではなかった。それでも伴走者として ぎまで長い下り坂が続いている。 なら、俺だってエンリケスと同じ土俵で戦うことができる。 「まもなく下り坂です」 前を行く一一人の背中が次第に大きくなっていく。 下りは上りよりも神経を使う。着地するときに足にかかる 「まもなくホアキン」 衝撃は平地の一・五倍近い。心肺機能にかかる負担は減る もうすぐ。もうすぐだ。 が、脚への負担は大きい。ここで脚にダメージを残すと、そ 「右から抜きます」 の先を走り切れなくなる。 重力に引かれるようにスヒードを上げていく。 「ここから下り。前傾して」 四人が横一列に並んだ。内田はまっすぐ正面を向いたまま 下り坂で体を後ろに反らせてはいけない。上半身が反ると 前傾姿勢を崩さない。エンリケスは平然とした表情でホアキ 脚がプレーキの役目を果たそうとして、大きく消耗する。淡ンに声をかけていた。ホアキンも追いっかれたことなど気に 島はちらりと内田を見た。盲人ランナーにとって坂道を下る もしないかのように、淡々と同じリズムを刻んでいる。彫り のはかなり恐いことだろう。その恐怖心を精神力で押さえ込の深い横顔はプロンズ像のようだ。 み、内田はゆるい前傾姿勢を保ち続けていた。 道の両側に茂る生垣が、延々と続く一本の青いラインのよ 顔を正面に戻すと、青いウェアから伸びた真っ黒な細い手うに見えた。沿道で人々の上げる声は、淡島の耳には入って こなかった。 足が視界に入った。ホアキンだった。ホアキンたちも下り坂 ではスピードが出過ぎないように抑えているようだ。これな 冫島たちの前には言もいなかった。横にいるのは内田だけ ら抜けるかもしれない。 「スピードを上げましよう」 抜いた。ホアキンを抜いたのだ。 確かに下り坂だが、距離を考えればここで勝負をかけても 「抜きました」 。この坂を下りきれば、あとは内田の得意とする上り坂 ついに先頭に立った。あとは最後まで逃げ切ればい、。 俺 と最後の直線が残っているだけだ。 が内田に金メダルを獲らせるのだ。このままホアキンをでき 二人の足音が大きくなった。脚にかかる衝撃はかなり強るだけ引き離すんだ。 それでもここでホアキンを抜くことができれば。 坂を下るスピードが知らず知らずのうちに上がっていた。 、、つ ) 0 108
ど手つかずの状態にあるたくさんの扉を開けることになる いずれにせよ、言語はコミュニケーションよりもむしろ 問いですね。」 ( 成田広樹訳 ) 思考にかかわっていると語った後に、チョムスキーは、人 言語はコミュニケーションというよりは人間的思考の起 間の言語と動物のコミュニケーションを比較し、両者が 源だと述べているのである。そしてその、発話された一言語 まったく違っていることに、たとえばハウザーの『コミュ を再び内部に取り込んで反芻するかたちで発生した人間的ニケーションの進化』 ( 一九九七 ) に言及しながら、注意を 思考たるや、内省によって掌握できるようなものではない 促している。あえて付け加えれば、要するに、コミュニケ というのだ。つまり、言語によって形成されていると思わ ーションのためだけならば、人間は言語など発明する必要 れる人間の内面的思考の全容はいまなおまったく解明され がなかったはずだと、チョムスキーは主張しているのであ ていないというのである。 る。危険を知らせるためならば鳥の鳴き声で十分であり、 これはほとんど、フロイトからラカンへいたる精神分析仲間うちの潤滑油としてならばサルの毛づくろいで十分で の必然性を擁護しているような発言である。エリザベト・ あって、そういう意味では、一一一口語など余分なものにすぎな ルディネスコの『ジャック・ラカン伝』 ( 一九九三、邦訳一一 。言語は何かのきっかけで偶然に発生し、それがたまた 〇〇一 ) に、ラカンとチョムスキーの出会いとすれ違いを まコミュニケーションにも使われたにすぎない。むしろ一言 描いた滑稽な一節があるが、読み返してみる価値がある。 語は、それまでの動物には見られなかった内的思考の次元 無意識こそ一言語 もたらしたこ つまり発話を再度内面化したもの をーーーそれこそ自分を苦しめるためにー であり、しかもそれは構造化されていると述べたのはラカ とによって画期的だったのだと、自身の見解をいっそう強 ンであり、意識の多くは意識されていないと述べたのは く推し進めているのである。 チョムスキーである。チョムスキーは、要するに無意識は チョムスキーはさらに、一 = ロ語は六万年前を遡ることはな 通常の内省によって到達できるようなものではないーーー精 、そう判断できるのは、まさにその時期に人類の出アフ 神分析によってならば到達できるとフロイトは考えた リカが始まったからである、と、先に述べた集団遺伝学、 と述べているわけだが、そう考えればラカンとチョムスキ先史考古学がここ数十年のうちに明らかにした成果を紹介 ーは一般に思われているほど遠い存在ではないということ している。三百万年前のアウストラロピテクスから二百万 になる。 年前のホモ・ハビリスへ、さらに百万年前のホモ・エレク 252
そんで、君はなんていうの ? 前に聞いた ? 君塚です」 桐塚 ? 「君塚です」 え ? 「君、塚」 飯塚 ? 「石塚じゃないです」 石塚なの ? 「君塚です」 うん。 「あ、名刺です。キ、ミ、ヅ、カ 1 ーー」 読めないな。もう、こういう字は小さ過ぎて読めないん 「君塚です」 そうね。ずっと前だな。昨日じゃないな、きっとな。いっ だか忘れたけど、でつかい字で名前が書いてある名刺をも らったんだ。熊野のカラスの起請文みたいで、「なんだこれ は ? 」と思ったんだけんどもね。字は、字の形してね工と分 かんね工よな。 「なんですか、その″クマノノカラス″って ? 」 熊野の牛王の起請文に描くカラスだよ。 「なんですか、それは ? 」 が、つばい紙に刷ってあるの。それに誓いを書いて 前回までのあらすじ 二〇四六年、一人暮らしをしている九十八歳の作家が「年を取るの はめんどくさい」と思いながらも、過去を振り返りつつ日本の社会や 現状をほやく。彼のもとには、介護の人や編集者が現れ : な、誓いを破ると、カラスが一羽ずつ死んでくの。 「紙の中のカラスがですか ? 」 そうだって言うけど、俺は見たことないから知らね工よ。 ただな、名刺にでつかく印刷された文字が、熊野のカラスに 思えたってだけ。 「熊野ってなんですか ? 」 神社だよ。俺の子供の頃、お祭りっていうと、熊野神社に 行くんだ。中学入ったらな、学校の目の前が熊野神社なん だ。毎日お祭りがあるみたいで興奮したな。なかったけど。 「その熊野神社に、カラスのなんかがあったんですか ? 」 知らね。そんなもん見たことないし。俺のとこの熊野神社 は支店だから、本店行かなきゃいけないのかもしんね工な。 「神社に本店とか支店てあるんですか ? 」 「あるよ。フランチャイズ化して、熊野神社なんて、全国に あるよ」 君は出身どこなの ? 「和歌山県です」 君は、熊野神社知らないの ? 181 九十八歳になった私
トスへと、人類の進化はきわめて漸進的であって、一万年密に跡づけるには現在の諸学問が提供する証拠だけではな おきわめて難しいことを力説し、即断を戒めているが、考 単位ではほとんど何も変化しなかったように見えていたの え方の大筋として、人類に、六万年か七万年前、何か途方 が、二十万年前にホモ・サピエンスすなわち現生人類が誕 もない変化が訪れたと想定し続けていることは間違いない 生するやいなや、おおよそ十万年前にーーーチョムスキーは 六万年前という言い方を好むのだがーー突然、爆発的な変と思われる。 そのうえでなおチョムスキーは、言語はコミュニケー 化が起こる。「象徴的な芸術や、天文・気象事象を反映し ションの手段ではないと繰り返すわけだが、この言明がき た記録、複雑な社会構造等々、端的に言って創造的エネル ギーの爆発のようなもの」が、たかだか一万年という、進わめて興味深いのは、率直にいって、それがアメリカ分析 哲学の流儀から大きく食み出しているように思われるから 化の時間で言えば無に等しい一瞬にいっせいに登場する。 「ですから、この時系列を考えると、『大躍進』が突然起である。あるいは、分析哲学が標榜する科学主義の流儀か ら食み出しているように見える。チョムスキーとしては、 こったかのように見えます。何らかの小さな遺伝子の変化 あくまでも科学的に探究する過程で明らかになったことを があり、それが何らかの形で脳の配線を微妙に組み替えた そのまま口にしているにすぎないつもりだろうが、ここで のでしよう。神経学についてはほとんど何もわかっていな いのですが、他にどんな可能性があるのか私には想像がっ実際に起こっていることはドイツ観念論そこのけのアイロ きませんね。ですから、遺伝子の小さな変化が脳の再配線ニーの発露であって、それが読むものを覚醒させ、思考を 刺激するのである。たとえばアメリカ分析哲学の一典型と を起こし、この人間的な能力が開花したのでしよう。」 ( 同 も思えるジョン・サールの流儀がつねに平板かっ平面的で あるとすれば、チョムスキーの流儀は垂直かっ単刀直入で チョムスキーは突然変異が起こって普遍文法ーーピンカ ある。 ーふうにいえば一言語本能ーーーが発現したと示唆しているの である。他の理由は思いっかない、と。むろん、科学を標 榜する以上、慎重である。その後のたとえば二〇一四年、 チョムスキーは、ハウザーやタターソルらとの連名でコ言 語進化の神秘」という論文を発表し、言語進化の実際を綿 チョムスキーの言明は、たとえば、半世紀を遡る一九六 言語の政治学 253
走者とともに長い列をつくり、古い街の中を駆けていく。 び出されると、誰にも避けることはできないだろう。住宅地燗 曲がり角の右側には、かってこの国で革命が起きた当時に を抜けて商店の並ぶ区画に差し掛かるまで、淡島は沿道の観 使われた古い要塞が残されていた。見上げるような高い外壁客に注意を払い続けた。 には四角い窓が開けられている。ここから始まる旧市街は革 二八キロを過ぎると道幅が広がった。ここから二九キロ地 命当時の雰囲気がそのまま保全されていて、地面もアスファ 点までは緩い坂を上る。よし、今だ。 ルトから凹凸の多い石畳に変わる。 「抜きますよ」淡島の合図で二人はペースを上げた。 盲人にとってこの凹凸は恐怖以外の何物でもない。恐怖で 登坂でのペースアップこそ内田の持ち味だ。ベトロワを抜 硬直した筋肉が走りの効率を下げれば、それはギリギリのエ き、クリスチャンセンの背後にびったりとっく。このノル ネルギーで走るランナーにとって致命的なダメージとなる。 ウェーの有力選手も、すでに膝は上がらず、体幹が左右に大 だが、内田のストライドに変わりはなかった。石畳に萎縮し きくぶれていた。頭の後ろで結んだ長い髪が激しく揺れてい た選手たちが歩幅を縮める中で、内田は並外れた精神力で恐 る。これならいつでも抜ける。 怖を押さえつけ、ただ前に向かって足を繰り出していた。苦 やはり敵はその先にいるマガルサとホアキンの二人だ。現 しそうだった表情も和らぎ、呼吸は一定のリズムを刻んでい 時点で内田は四位。ごこまでは全て計算通りだ。 ここでは向かい風が僅かに吹いていると内田からは知らさ 淡島の予想した通り、序盤のペースが速すぎたのだろう。 れていた。淡島にはわからない微妙な風を内田は感じ取る。 先頭集団にいた選手たちの姿が、いつの間にか目の前に迫っ クリスチャンセンの体で風を遮りながら、次のチャンスを窺 ていた。トップを走っていたはずのウクライナのベトロワは 手で横腹を押さえていた。ここは勝負どころかも知れない。 道の両側には古い家が並んでいる。長く潮風を受けてきた 勝利に対する内田の執念は並大抵ではなかった。淡島が伴 からなのか、どの家も壁の漆喰がポロポロと剥がれ落ち、中走を始めてひと月もたたないうちから、内田は淡島の持っ最 には廃墟のように見えるものもあった。上半身裸になった男新のトレーニング知識を積極的に取り入れ、練習方法を変え たちが家の前に座り込んで選手たちをばんやりと見つめてい る。その前で子供たちが青い旗を振り、声援をあげていた。 「俺たち盲人が一人でできる練習は限られている」 子供はいっ飛び出してくるかも知れない。 この狭い道で飛 ケガの後遺症が残る足に適度な負荷をかけるには水中歩行 っ ) 0 っ ) 0
ばれたり自称したりする前提条件になっている。いうなれ 4 「他者たち」のホログラフィー ば「自伝」と「作者をモデルとする小説」の中間地帯に位 置しているフィクションのことを、ひとは「私小説」と呼 んでいるのである。 「私小説」と呼ばれたり、そう名乗ったりしている小説に おいては、本当のことのように書かれている内容には嘘が 堀江敏幸の『アイロンと朝の詩人』には長短さまざまな 混じっていることがあり、その反対に、嘘としか思われな ェッセイが収録されているが、小島信夫との思い出を綴っ いことは本当であったりする。そして「本当」と「嘘」の た「大学の送迎バスに乗り遅れた小島信夫さんをめぐる随 こうした混じり具合は、結局のところ作者の意のままであ想」のひとつ前には、その名も「ホログラフィーとしての り、自由自在である。ただし一点、そこで主人公ないし語 「私」」と題された文章が置かれている。発表は二〇〇三年 り手ないし視点人物として設定されている登場人物が作者の十一月 ( 「草思」に掲載 ) 。ちょうど同じ時期に堀江が上 自身と相似しており、そのことが大方の読者にも読む前か梓した長編評論『魔法の石板ーージョルジュ・ペロスの方 らわかっているという点が、「私小説」が「私小説」と呼へ』にかかわる文章である。堀江は、まず次のように書き 新・私小説論 第八回反 ( 半 ? ) ・私小説作家たち ( 承前 ) 佐々木敦 266
前、淡島は叫んだ。 「ほら ! ほら ! ゴー ! 電子音の号砲が響き渡り、一斉にランナーたちが走り始め 内田健二。二〇代半ばで突如ヨーロッパのサッカー界に現 た。二人の予想通り、周りの選手たちは先を急ぐように前へ れ、大手クラブチームと契約した異端児だった。高校を中退 出た。 してドイツに渡り、地元のユースチームでプレーをしていた 海沿いにあるサッカースタジアムから首都を横断する幹線が、それまで国内ではまったく知られていない存在だったた 道路へと向かう五〇〇メートルの直線は道幅も広いため、集め、海外からのニュースが流れると日本のマスメディアは大 団の前方にいるとついスピードを出しがちになるが、ここで騒ぎになった。あまりサッカーに詳しくない淡島でもテレビ 調子に乗って速いペースになってしまえば、確実にレース後 で特集されていた内田のことは記憶に残っていた。 半に影響する。コースによってはスタート時のスピードに スター選手として頂点に駆け上がりつつあった内田がバイ 乗ったほうが記録につながることもあるが、今回のコースは ク事故による重いケガから辛うじて生還できたのは、もとも 後半に山場がある。まだ誰も走ったことのないコースだけ と持っていた体力だけではなく強運があったからだろう。だ に、どちらの戦略をとるのかが運命の大きな分かれ道になる が、命と引き換えに内田は視力を失った。 が、淡島は抑えることにしていた。自信はあった。あれだけ 「四年かかったんだ」内田の口調は淡々としていた。 しつかり下見をしたんだ。いかにスタートを冷静に走るかが 「リハビリにですか」初めて内田に出会った日、淡島はそう 間違いなくあとから響いてくるはずだ。 聞いた。 「大丈夫です。もっと抑えていい」 総合運動場の控え室にあるべンチに内田は座っていた。大 周りの動きに刺激された内田が、つい前に出ようとするの きなサングラスをかけているので表情までは読み取れない。 を・淡島は制した。 二人とも全身にびっしよりと汗をかいていた。 「わかった」内田は一言だけ口にした。一度レースが始まれ 「そうじゃねえ。まともに生活ができるようになるまでに四 ば、内田は最低限必要なこと以外ほとんど話をしなくなる。 年かかったんだよ」 伴走者からの指示を受けて、路面の状況に集中して走ること もともとサッカー選手時代の内田は、ふてぶてしい態度と だけに全てのエネルギーを使うためだ。内田の状態は、表情物言いで多くのサポーターの神経を逆なでするヒールだっ と体の動き、そして二人をつなぐロープから感じ取るしかな た。実力があるため試合から外されることはなかったが、勝