マンションに戻った時、信之はすでにゴルフから帰っていて、居間でビールを飲んでいた。 「この子、親戚の子で秋山崇くん」 と、思いついたまま紹介すると、信之は躾の行き届いたペットみたいに、ソフアからにこ やかに挨拶をした。 「室野です。いらっしゃい 人 恋「ど , つも、こんにちは」 応える崇がどぎまぎしている。 肩「実はね、この子の両親が海外旅行で留守にすることになったの。それで、ひとりで残して おくのは心配だからって、泣き付かれちゃったのよ。しばらくうちで預かってもいい ? 」 「えつ」 萌と崇が同時に顔を向けた。 「崇くん、さっき言ったでしよう。私、バカな生き方っていうの、どういうものか全然わか んないけど、何かいいじゃない。やってみたい気持ちは、私にもわかるもの。そうよ、うち に来ればいいのよ」 しつけ
ひそ るり子はべッドの上で眉を顰めた。握り締めた両の手のひらが汗ばんでいた。 痛い。とにかく、痛し うめ つも口から小さな呻き声がもれてしまう。中 これをするたび、い 何回やっても慣れない。 恋世の拷問にこれに似たようなのがあったはずだ。それでもるり子は我慢する。女ならこんな 痛みぐらい耐えなくてどうする、と自分に言いきかせる。 肩「少一し弱めましょ , つか ? 」 足元から若い女の子の声がした。るり子は首を振り、答えた。 「えつ」 萌は思わず声を出し、慌てて崇を振り返った。 相変わらず、崇は気持ちよさそうに眠っている。 「やばい . 思わず口からこばれていた。 崇はまだ十五歳、高校一年生なのだった。
「もしかしたら、あれからずっとあそこで待ってるんじゃないのかしら」 「シャワー浴びてからでもいいよ」 「君も、そのこと知ってるわよね。そうよね、駅使ってるんだもの、もちろん見てるわよ 「ビールにする ? それともチュー、 ノイ ? 冷酒もあるけど」 萌はソフアから立ち上がり、声を高くした。 「ちゃんと聞きなさいよ、ちゃんと話してるんだから」 キッチンの中で、背を向けたまま崇は答えた。 「ここを出てゆけって一一一一口うならそうするよ。僕はどうせ居候の身なんだから」 「そういうこと言ってるんじゃないでしよ。、 しくらひどい継母とは言え、あの姿を見て何か 思わないの ? 」 「全然」 返事はあくまで素っ気ない。 「でもね、いつまでもこのままではいられないわ」 ふてくさ 崇は不貞腐れた顔をした。 「わかってるよ、それくらい。僕だってそれなりに考えてるさ」 「本当に ? 」 「当たり前だろ」 ね」
萌は息を吐き出した。 「君が家出少年だってこと、忘れるところだった」 「悪かったな」 「そろそろその時が来たのかもしれないわね」 「その時って何だよ」 「いつまでもこのままってわけにいかないことは、君だってわかってるでしよう」 崇は足元に視線を落とす。背は萌より頭ひとつぐらい大きいが、その肩がどこか頼りなく 見えて、ふと愛しくなる。 「とにかく帰ろう」 「 , つん」 崇は素直に従った。 行くことに決めた。 人頭の中でごちやごちや考えるより、とにかく行ってみればいい。柿崎とたくさんセックス して、それからまた考えたって手遅れというわけじゃない ごそれを伝えるために、夜、柿崎の携帯に電話した。 「あ、私」 自分の声のトーンがいつもと違う。何だか妙にどきどきして、高校生に戻ったみたいな気
「つまり、やつばり怒ってるってことよね」 「わかんない奴ね。るり子が手を出したとわかった時点で、もう、 「だから、披露宴の帰り、柿崎さんとやっちゃったの ? 」 「ふうん、そうくるか。言っておくけど、その件に関しては、そこまで面倒な理由なんかな いわよ」 「じゃあ、本当に怒ってないの ? 」 「ぜんぜん」 るり子は思わず声を高めた。 うらや 「ちゃんと怒ってよ、私のこと羨ましがってよ」 しばらく沈黙があって、萌が言った。 「アホらしくて、付き合ってられない」 のんき あっさりと電話が切られ、腹立たしい気分で振り向くと、信之が相変わらず呑気そうに眠 りこけている。今の電話を聞いていて「柿崎って誰だ」と責めるような状況にでもなってく れれば、少しは面白くなるのに。 るり子はべッドに勢い良く乗って、信之の頭を思いっきりひつばたいた。 「何だよ ! 」 信之が悲鳴を上げて飛び起きた。 しいって思ったってこと
「誰が来るのかって、どうして聞かないの」 「聞いて欲しいの ? 」 「聞くのが普通でしよ。それが会話の流れってもんでしよ。ツッコミがあればポケがある。 ツーと言えばカーとくる。だいたい萌は、私が興味あるのは男か芸能人かプランド製品だけ だと思ってるようだけど」 「それはそうだけど、とりあえず受付嬢も長くやって、会話のエチケットってものぐらいは ちゃんと知ってるわ」 萌が面倒臭そうに肩をすくめた。 「わかったわ、聞ナよ、、 レ。ししんでしよう。で、誰が来るの ? 」 るり子は満足して、たつぶりと笑顔を作った。 「ふふ、内緒」 萌が呆れている。こんな会話をよくまあ二十二年間も続けてきたものだ、と彼女も思って いるに違いない。 人 恋「あ、来たわ」 ようやく待ち人の姿を認めて、るり子が手を上げた。 ここよ」 萌がるり子の視線を追う。
弁護士はるり子を見ると、呆れながらも、どこか親しみを持った目で出迎えた。 「まったくあなたも懲りない人ね」 るり子は首をすくめた。 「次は必ずいい男を捕まえてみせますから」 弁護士が目を丸くする。 「まだ結婚するつもりなの」 「もちろん」 今回は信之の浮気という、原因がはっきりしている離婚なので揉めることはないだろうと 言われた。 「でもね」 と、弁護士がソフアにもたれて、足を組んだ。 「あなたの場合、離婚のことよりも、結婚そのものについてもっと考えた方がいいんじゃな いかしら」 人お説教とも言える言葉だったが、るり子は余裕をもってほほ笑んだ。 「結婚すれば幸せになる、その幻想を捨てない限り、女は自分の足で立てないのよ」 肩 殊勝な顔で頷きながらも、るり子は内心では違うことを考えていた。 女にはふたつの種類がある。自分が女であることを武器にする女か、自分が女であること
「そ , つ」 「あんたのこと、怒ってたわよ」 「ほ′んとに ? ・」 「そりやそうでしよ。せつかく飲みに連れて来てやったのに、突然入ってきた男の子とどっ か行っちゃうなんて、誰でも怒るわよ。それで、あんたたちはどういう関係 ? 」 萌はしばらく考え込んだ。 「まあ、親戚の子みたいなものかな」 「何よ、みたいなものっていうのは」 「親戚の子」 「ほんとなの ? 」 文ちゃんが疑わしい目を崇こ注 「そう、この人は僕の父親の妹の息子の奥さんの妹」 崇がわけのわからないことを言って、調子を合わせた。 「ふうん。まあ、それならそれでいいけど、それであんた、うちで働かない ? 愛いし、きっとあんた目当ての客が増えるわ結構 。ロ、、いバイト料出すわよ」 「それが」 崇がペこりと頭を下げた。 「すみません、実は僕、十五なんです」 若いし、可
「やつばり萌だわ」 翌日は、だらだら過ごした。 ひとりのだらだらもひどいが、三人のだらだらとなると相当のものだ。 萌は住む場所を、るり子はお金を出すわけだから、崇には労働を提供することを提案した。 崇はいくらか不満を口にしたが、自分の立場を考えて、しぶしぶ承知した。 だからもちろん、朝食は崇が作った。昼食はコンビニに買い出しに出掛けた。夕食は焼肉 を食べることになった。駅前でるり子の、いや、信之のキャッシュカードでお金を下ろした。 久しぶりのカルビと石焼きビビンバは、ものすごくおいしかった。 「聞いても、 だらだらと帰り道を歩きながら、崇が尋ねた。 「ダメ」 即座に、萌は答えた。 「ゆうべ、一緒にいた男、恋人 ? 」 どうせ聞くなら、尋ねるなと思う。 「どうでもいいでしよ」 当然のことながら、るり子が口を挟んだ。 「あら、萌、ゆうべ柿崎さんと一緒だったの」
男は、軽蔑に似た目を向けた。 「君、今、本当は僕の意見をもっともだと思っているだろう」 「まさか、そんなわけないわ」 言い返しながらも、るり子は思わず視線を膝に落とした。 「攻撃するしか自分を守る方法を知らないのは馬鹿のやることだ」 私が馬鹿だということは、私が誰よりも知っている。たいがい綺麗と馬鹿はセット売りだ。 賢くて綺麗な女はタチが悪い。そんな女よりずっと愛敬があるではないか。 けれど、馬鹿はいつまでも馬鹿のままなのだった。そうして、綺麗は消耗品だ。どんどん 減価償却されてゆく。どんどん価値がなくなってゆく。 るり子はカウンターにうつぶした。 こぶし それから、拳をカウンターに打ち付けながら、声を上げて泣いた。 カウンターに顔を押しつけて、すっかり寝込んでいるるり子を見て、萌は思わず息を吐き 出した。 「待ってたのよお」