と、それを聞いた時、萌は言った。何で関西弁なのかはわからなかったが、その表現は妙 にはまっていて、るり子も自分を「アホだなあ」と思った。けれど、悪いことをしたとは思 っていなかった。幸せになろうとする時に失敗はっきものだし、ましてや罪になるはずもな だからこそ、今度こそは、と思ったのに。 信之は、かって萌が付き合っていた男だ。親友の恋人、というのはそれだけで十分に盛り 上がる恋愛の要素を含んでいたし、何より信用できた。 うすうす るり子は二回の失敗で、すでに自分には男を見る目がない、ということが薄々わかってい た。その点、萌の付き合っている男なら安心だ、間違いはない。だからこそ必死になって信 之の気をひいた。 前に、「何でそんなに結婚したいの ? 」と聞いた女がいる。今時、結婚するより気楽で自 由な独身の方がずっと楽しいというのである。るり子は彼女を可哀相に思った。結婚という ものを全然わかってない。男は女を守り、尽くすために存在している。専属の騎士をひとり 雇ったようなものだ。独身は確かに気楽で自由かもしれないが、結婚を面倒で不自由なもの にしているとしたら、それは相手ではなく、自分自身だ。るり子にしたら、独身の時よりも っと気楽でもっと自由になれる。 萌とは長い付き合いというのに、それまで一度も恋人を紹介してくれたことがなかった。 信之のことも、たまたまふたりが一緒のところを青山の交差点で見つけて、強引に合流した
の自分の情熱を思うとうっとりする。 そこまでして結婚したのに、式を終えて新婚旅行にこのハワイに来た時、彼が知らない誰 かに見えた。あんなに年中濡れていて、五分でもふたりになれる時間があればセックスをし てたのに、自分でも不思議な気がした。 それでも、あれだけ大騒ぎした末の結婚だから、すぐに別れたのでは格好がっかないと、 二年続けた。今も思う。二年もよく頑張ったものだ。 二回目の結婚は、かってのポーイフレンドの付き合っている女を見た時から始まった。 にしあぎぶ 彼とは、西麻布のクラブで偶然に再会したのだが、その時連れていた彼女のウエストが五 こぶし 十四センチぐらいで、脇の下のムダ毛の処理は完璧で、顔は拳ぐらいの大きさしかないよう な女だった。それだけでも腹立たしかったが、るり子がどこを探しても手に入れられなかっ たエルメスの黒のバーキンを持っていたのを見た時、絶対、彼をモノにしてやると誓った。 彼とこっそり連絡を取り、付き合いが始まると、どこで調べたのか、女は時々、るり子の 自宅や携帯に無言電話をかけてきた。そんなことぐらい平気だった。むしろますますやる気 がこかまった。 恋もちろんそう長くはかからず彼女を蹴落とし、彼との結婚はかなえられたが、エルメスの 彼を手に入れるより、その方がずっと難しいとわかっ 黒のバーキンは今も手に入ってない。 , た時、何だか急に彼が安つばく見えて、別れることにした。 アホ。
「どうしてそうなるわけ ? 」 「だって、好きなら、嬉しいに決まってるじゃない。好きな男が独身になるのよ。不倫じゃ なくなるのよ。私だったら、嬉しくてセックスしまくっちゃう」 「私はるり子とは一 , つから」 「当たり前よ、そんなこと五歳の時から知ってるわ」 萌よ、。 ヒカタを口の中に押し込んだ。るり子とどれだけ話をしても、これ以上、理解しあ えることはないと、ため息をついた。 午後、店番をしながら、萌はばんやり考えた。 私はやつばり変だろうか。付き合ってる男が、妻と別れるというのは喜ぶべきことなのだ ろ , つか 柿崎のことは、とても好もしく思っている。会っていて楽しいし、また会いたいとも思う。 それでも、妻が出て行ったと聞かされた時から、気持ちの中に小さなこだわりのようなもの が生まれていた。 どういうわけか、距離を置こうとしている自分がいるのだった。むしろ、そんな思いを柿 崎に知られたくなくて、前よりよく会うようになったという気がする。 柿崎が結婚していることは、もちろん最初から知っていた。知っていて付き合った。けれ ども、少し言い方を変えると、知っているからこそ付き合った、ということでもあるような
「その上、信くんは二十年前の流行り顔で、四十過ぎの総務のおばさんには人気があるとか、 言いたい放題言われたんだから」 萌は噴き出した。 「何で笑うのよ」 るり子が非難の目を向けた。 「ごめん、事情はわかったわ。そう、ひどいことになっちゃったのね。でも、だからって、 何で私のところに来るわけ」 「決まってるでしよう。あんな信くんみたいな男を紹介した、萌に文句を言おうと思って来 たの」 「ちょっと待ってよ」 萌は思わず声を高めた。 「ねえ、崇くん、萌ったらひどいでしよう。親友の私に、そんな男を押しつけるなんて」 るり子は崇の同意を求めるように言った。 萌はそれを遮った。 「私、紹介も押しつけもしてないじゃない。私と信之がいるところに、るり子が勝手に現わ れて、勝手に電話番号聞き出して、勝手に付き合い始めたんじゃない。 この際だから言わせ てもらうけど、少なくとも、あの時、信之は私と付き合ってたのよ。それを横から取ったの、 るり子じゃない」
気がする。男が結婚しているという事実は、どこかで安心感を連れて来る。不実が当たり前。 。恋愛はしてもその先には絶対に進まない。そんな決めごとが始め 何の期待もしなくていし からあって、いろんな意味で歯止めになってくれている。 しし」と田 5 , っ というのは、どこかで「この人と結婚しなくても、 この人とは結婚できない。 ことでもあるのだ。 信之のことも、今となってみればそうだったような気がする。 信之は独身だったが、付き合っているうちに、何となく結婚という雰囲気を感じるように なっていた。それをさり気なくかわしながら、今まで通りに付き合ってゆけないかと考えて いた頃、るり子が現われた。るり子は信之を気に入り、横からさっさとさらって行った。他 人からすると、恋人を盗られた可哀相な萌、と映るかもしれない。でも、萌にそんな気持ち はまったくと言っていいほどなかった。むしろ、どこかでホッとしていた。 自分はどこかで、結婚に対して嫌悪を抱いているのかもしれない。 そう思ったとたん、何だか急に不安になった。 人そんなわけはない。そんなことを考えたら、どうして生きていけばいいのかわからなくな 窈ってしまう。萌は慌てて首を振った。 肩
「うん、気持ちいい」 るり子は目を閉じた。 「ねえ、しばらくこのままでいて」 「あったかい。 とろとろしちゃう」 「眠ってもいいよ」 「 , っ ~ ん」 いっか、るり子は本当に眠っていた。 ここのところ、柿崎とよく会っている。 別れ際に次の約束をすることもあるし、店に電話がかかってくることもあるし、バイトの 終了時間近くにひょっこり顔を覗かせることもある。 かと言って、付き合っているというのでもない。「互いに時間が合うならメシでも食おう」 という気楽な雰囲気だ。そういうさりげなさをエチケットとして備え持っているところが柿 崎の魅力だと、萌は思う。
らしい。耳たぶのピアスが揺れている。おじさんつばいおばさんのようにも、おばさんつば しおじさんのようにも見える。 「日 , - ョウ・ . は ? ・」 「さあ」 「さあって、何よ」 「さっき車で迎えがあって出て行ったわ。行き先まではわかんない」 文ちゃんの目が光を放った。 「それって、もしかして黒のジャガー ? 」 文ちゃんの表情を見ていると、言ってはまずいような気になって、言葉を濁した。 「どうだったかな」 「まだあの男と付き合ってるのね。どうせおもちゃにされるだけなのに。ほんとにリョウっ たらバカなんだから」 つぶや 文ちゃんはそれを独り言のように呟いた。 人「そうなの ? 」 窈「何が ? 」 ご「あんなに素敵な男の人でも、遊ばれちゃったりするの ? 」 「どこにでもタチの悪い奴はいるわ。もちろん私たちの世界にもね」 「ふうん」
「じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらいます」 萌はとっとと自分のバッグを手にして、本屋を後にしたが、表通りに出ると、るり子は不 満たらたらの顔をした。 「どうして余計なこと言うのよ、あそこで三人で食べてもよかったのに」 「何を考えてるのよ」 「ところで、あの人誰 ? 」 「店のオーナーよ」 「青年実業家か、なるほどね。よし ! 」 力強く、るり子が言った。何を考えているかぐらいお見通しだ。だいたい自己紹介の時、 旧姓で言うところが何とまあ直接的なのだろう。 「言っておくけど、彼、女に興味はないからね」 「えつ、そうなの」 「ここをどこだと思ってるのよ」 「本当に興味ないの ? 」 「付き合ってるのは男よ」 「信じられない」 「おあいにくさま」 「ああ残念。ねえ、せめてバイセクシャルってことはない ? 」
「つまり、やつばり怒ってるってことよね」 「わかんない奴ね。るり子が手を出したとわかった時点で、もう、 「だから、披露宴の帰り、柿崎さんとやっちゃったの ? 」 「ふうん、そうくるか。言っておくけど、その件に関しては、そこまで面倒な理由なんかな いわよ」 「じゃあ、本当に怒ってないの ? 」 「ぜんぜん」 るり子は思わず声を高めた。 うらや 「ちゃんと怒ってよ、私のこと羨ましがってよ」 しばらく沈黙があって、萌が言った。 「アホらしくて、付き合ってられない」 のんき あっさりと電話が切られ、腹立たしい気分で振り向くと、信之が相変わらず呑気そうに眠 りこけている。今の電話を聞いていて「柿崎って誰だ」と責めるような状況にでもなってく れれば、少しは面白くなるのに。 るり子はべッドに勢い良く乗って、信之の頭を思いっきりひつばたいた。 「何だよ ! 」 信之が悲鳴を上げて飛び起きた。 しいって思ったってこと
萌は男を見直した。あっさり認める態度は、却って感じがよかった。 「どうしてるり子じゃ駄目だったの ? 」 更に尋ねた。 し子さ。すごく魅力的でもある。でも残念なことに、僕の将来に必要なのは上司 「彼女はい、 の娘の方だったんだ」 「挈よっ」 「でも、彼女はもう僕のことなんか忘れてるよ。あの幸せそうな顔を見ればわかる」 「あなたにそれを見せ付けたくて招待したのかもしれないわ」 「それはそれで構わないけどね」 「余裕ってこと ? 」 「少しでも付き合ったことがある女の子に、幸せになってもらいたい、と思うくらいの余裕 はあるつもりだよ」 ふうん、と思った。 海老を食べられない男が、フィレ肉を口に運ぶ。 人 恋「ねえ、この披露宴の後の予定は何かあるの ? 」 言ってから萌はバンをちぎってロの中に放りこんだ。 肩「もしかして誘ってくれてるの ? 」 「聞きたいのはイエスかノーだけ」 かえ