人間 - みる会図書館


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7件見つかりました。

1. いまからここから

トンネルを出なくても 三月号に「無明の闇のトンネルを抜けなければ広い仏の世界には出られない」と書きま したが、私はすぐその後で「それができれな理想だが、自分は : : ? 」と問い返してみま した。、 しわゆる生老病死の人生を四苦八苦するトンネルの中から、出るにも出られない私 自身はどうかな ? と考えたからです。 四苦八苦の絶えないトンネルの中こそ、人間 ( 私 ) の生きる場であって、そこを離れて生き る場はないからです。病弱な者は病弱なままで、気の小さいものは気の小さいままで救われ るのでなければ意味がありません。トンネルを出なくても、そのままで、いのちの安らぎが 欲しいのが私たち人間です、そういう人間に本当の安心を与えてくれるのが千手観音です ( 「褝の友」一九八六年七月号より ) そのままでいいよと かんのんさまのこえ 千手観音像 ( 滋賀県栗東市・善隆寺蔵、大本義一撮影 )

2. いまからここから

トンネルを抜けなければ トンネルを抜けると雪国だったーー名作『雪国』の名文句ですが、トンネルを抜けなけ れば雪国には出られない、と私は考えました。トンネルとは、長い長い無明の闇 ( 迷い ) の こと。さまざまな人間の業 ( 行為 ) か織りなす愛憎の苦しみ、愛欲の悲しみ、地獄の嵐の吹 き荒れるトンネルを通ってこなければ、浄らかで広い仏の世界、つまり雪国には出られない。 そして、そういう長い無明のトンネルを身をもって体験された人の慈悲と願いが千手 観音を作らせたのではないでしようかトンネルの中には、迷い苦しんで仏の救いを求め ている人が無数にいます。手か何本あっても足りません。眼がいくつあっても足りません 無数の手、無数の眼が必要なんです かんのん讃歌 なんでそんなに手があるの ? 助けたい人がいつばいいるから ( 「禅の友」一九八六年三月号より )

3. いまからここから

観音の慈悲 如意輪とは如意珠輪の珠を省略したもの。つまり、こころ ( 意 ) のままになんでも生み 出す珠と、人間の迷いを断ち、真実の世界へ導くための法の輪と、二ツを組み合わせた名 まえだそ、つです 如意輪観音は、やさしいお母さんの役と、きびしい父親の役と、二ツを兼ねた人のよう に思われます。子どものことならどんなことでもゆるし、「ハイ、ハイ」と全面的に受け入 れてくれるお母さん。「ダメなものは、ダメ」と、無制限なわがままは絶対にゆるさない厳 格な父親。この両面を持っているのが、如意輪観音ではないでしようか絶対肯定のやさ しさも、絶対否定の厳しさもともに観音の慈悲。二ツの慈悲が子どもには必要なんですね ( 「禅の友」一九八六年八月号より ) かんのん讃歌 いつもやさしいお母さん ときにきびしいお父さん 人ふた役かんのんばさっ 如意輪観音像 ( 奈良県生駒郡斑鳩町・中宮寺蔵 )

4. いまからここから

乍ロリスト ( 上部の数字は掲載ページです ) 詩「馴れ」 2 かはしいとごには : 4 貴きもの : 6 真実 : ・ 8 草野心平の詩にありました : 何を見るといふこともなく : 河下の遠き浅瀬を : 坂道へきたら : ・ 筆を信じきれば : 自転車をころがして : 爲背伸びをすると : 9 間口をひろげると : 幻かねもできました家もできました : 伊津志天出毛 : 水中の陣 幻百萬円以上あれば : 色即是空の眼が覚めて : 色即是空の眼をあけて : 肥佛 3 いとい、つ ) 」には . 自我の根 鬨筆を持っと : 犯予防線張りて警戒する言葉 : ・ あざやかに : 囀おれがわるかった 検事や裁判官はごまかせても : 人間をよろこばすことは : 茜雲 / 聖澤雲天何以報臣心 : 旅の荷物は : わたしは今日の一日を : 旅 永遠の過去 : アノネよくかんかえてごらん : アナタの主人公は : 夢中で仕事をしているときは : どろをかぶらすに : 現代版禅問答 た挽歌『業』 時 土俵のけがは : 爲アノネじぶんのもの : 一切我今皆懺悔・ : まだまだダメとい、つ : 死ぬまでは生きてゆくさと : 新極楽を : 、つしろをふりか、んると : 囲〕帥一匠とは : 2 ノ そっとしておいて 真正面からまともに当たりながら : どんな雑草でも : 生きていてよかった : 一とは原点・ 104

5. いまからここから

あいさつ つまづいたりころんだり いつになっても思うにまかせぬ歩みではございますが また個展を開かせていただくことになりました ほんとうにおかげさまでございます 暮のあわただしい時期ではございますが 見にきていただければ幸いです 昭和 44 年 12 月 1 日 相田みつを 自分の歌自分の言葉を書いた書作品 第 9 回相田みつを個展 とき 1969 年 12 月 9 日 ( 火 ) ~ 12 日 ( 金 ) 4 日間 桐生市本町 4 丁目シマ画廊 ところ 第 9 回個展案内状 ( 1969 年 ) 作者の言葉 或時は気負って大いにカんでみたり、 或時は混迷してひどくしおげたり しながら、私は私なりに人生の真実 を求めて一生けんめいに歩いてきた つもりです : : : が 筆は冷酷なまでに厳しく、 貧困で醜い私の姿以外の何物をも表現 してくれませんでした。 これが今日までの私のすべてである かと思うと、恥しさで一杯です 「芸術は所詮人間の表現である」という 昔からの言葉が今更のように身に沁み わたります いまは、自分の裏側にある醜さ、他人 に見せたくない己れの汚なさ、未熟さ の一切をさらけ出して皆様の御批判 を仰ぎ、謙虚に明日への出直しをする つもりです 尚日頃暖い御後援と御声援を賜れた 方々に対して心から御礼申上ます 一九五九年十一月末日 制作を終えて相田みつを ( 第 2 回個展案内状より )

6. いまからここから

相田みつを美術館館長相田人 夏だったと思うまだ借宿町というところに住んでいた頃のことだから、父は四十前後だった。 開け放ったアトリエの片隅に座って話をしていた。相手は親しい人であろう、何故なら仕事場に 他人を気安く入れたりはしなかったから。小学生だった私は母に代わってお茶を出していたので はなかったか。 「こういうことを長くやっているといつの間にか型ができてくるんですよ土台みたいなものか なあいい悪いは別にしてね。上台の上に立っているのは楽ですけど、それじや先に進むことは できないんですね。だから、型ができたなと気づいたら、いったん土台を金槌で叩き割って壊さ ないとだめなんです。でも、またしばらくすると別な土台ができるそうしたらまた金槌で壊す 書くということはその繰り返しです」 その時父がランニングシャツ姿で首にはタオルを巻いていたことは不思議に鮮やかだが、もち ろん一字一句までは記憶してはいないおおよそそんなことを来客を相手に語っていたと覚えて いるだけである 年端のいかぬ子どもに理解できるはすはない。しかし、私はごく当たり前のことと感じたので ある今考えると、父の創作スタイルがまさにその通りであり、絶えず変貌していることを直に 見ていたからだろう。だから、強い印象を残したのではないか。 もしかして父は私を意識していたのかもしれない誰がわかろうがわかるまいが語るべきもの は語る。父はそ、ついう人間だった。 あかねぐも 本書には、出発点である第一回個展の作品 ( 「茜雲」 ) から絶筆 ( 「一とは原点」 ) までが収録され ている構成にあたっては、書家として詩人として相田みつをが何を成し、何を壊してきたのか か判然とするよう心掛けた。父が金槌をふるった跡を見ていただければ幸いである 『おかげさん』『いのちいつばい』に加えて、も、つ一冊ダイヤモンド社から本をと父は約東していた 亡くなって十一一年目の夏、このような形で果たせたことを関係各位に深く感謝申し上げたい。 平成十五年七月編集を終えた日に 壊すー解題に代えて かなづち 105

7. いまからここから

親鸞におきては これは、歎異抄の中に出てくる親鸞のことばです。弱いわたしを常に 支えてくれることばです ひとはど、つ田お、つと おれはこ、つ思、つ 世間はどうあれ わたしはこ、つ信する と、責任の所在を明らかにして、きつばりと言いきる、徹底した腹の すえ方に、男の気はくと魅力を感じます さて、かえりみて私ごと 「親鸞におきては」等という自信は少しもありませんか、また個展を やらせていたゞきます。今回も、これまで同様、毎日の生活の中から 拾い上げた、 自分のことば、自分のうたーーーを 好き勝手に書きました。 相変わらす変りばえのない仕事ですが、恥を重ねる覚悟でご案内 申上げます ちからのない己れを省るとき、我が身の業の深さを感ずることし きりでございます 合掌 昭和五十二年五月一日 ( 第凵回個展案内状より ) ごあいさっ 相田みつを