「わたしはそういう男のほうが恰好いいと思うけど」 「恰好よくないさ」河崎は不満そうだった。「ただの意地っ張りなだけだ」 「わたしはね、張れる意地を持ってる人間のほうが偉いと思うよ」 「ドルジはどう田 5 う ? 」 「僕たち、女の子と、仲良く、好きです」ドルジも少しは聞き取れたらしい。 「ドルジたちとあんたとでは、種類が違うんだって」わたしは力説をする。「やたらめったら に女を抱いてるあんたなんかはね、性病で死んじゃえばいいんだって」と毒づいオ 河崎は顔をゆがめた。「琴美は痛いところを突いてくる。さすがだ」 「何が、さすがだか。あんたさ、恋愛とか女の人より好きなものってないの ? 」わたしは皮肉 まじりに訊ねた。 「あるよと河崎が当然のように即答したので、少し驚いた。 「何ー 「ドルジと琴美」すぐに彼がそう言った。 わたしは一瞬ではあったけれど、胸に穴を開けられた感覚になった。 「ここで、何、考えてました ? ドルジが丸太作りの椅子を指差した。 「ああ」河崎が顔をほころばせる。よくぞ聞いてくれた、と言いたげでもある。「実はさ、こ この動物たちをみんな逃がしたらどうかな、って想像していたんだ」 211
ごまか わたしは笑って、誤魔化す。 「 ( たしかに、プータンは後れてるけどね。日本にはまったく及ばないし ) 」ドルジが真剣な口 調でつづけた。 かば 「 ( プータンは後れてるわけじゃない ) 」わたしは、彼の国に行ったことはなかったけれど、庇 うような発一一一口をした。 「 ( そうかなあ。後れてるよ。国の文化を守るために、海外の文化を排斥しようともしていた し。最近は、少し、変わってきたけど ) 」 「 ( 海外の文化なんて、いらないって ) 」 「 ( そんなことじゃ、国は豊かにはならないんじゃないかな。中途半端だよ。早く、日本みた しになったほうがいいのに ) 」 ドルジは、プータンと日本の比較について喋り出すと、途端に冷静さを失う。田舎に住む青 年が、都会に憧れて力説するのと似ていた。いや、それそのものだった。 「 ( 日本はぜんせん駄目。馬鹿ばっかり。馬鹿と、退屈な顔した大人ばっかり ) 」わたしは、い つもこんこんと説得するのだけれど、彼は耳を貸そうとはしない。 「 ( 馬鹿はつかりでも、僕は日本のほうが楽しそうに見える ) 」 「 ( わたしの知り合いで、プータンに行った男がいるんだけどね ) 」 しつだってわたし 「河崎さん、ですね」ドルジが微笑む。屈託のない、プータン人の笑みは、、 を柔らかく撫でるようだった。
横には、エアコンの室外機やポリバケツが置かれている。埃や小便が混じったような匂いが、 空気に滲んでいる。 モデルガンを持ち上けなくてま、ナよ、。 ( し ( オし思い出し、慌てて、窓ガラスの位置に、握ってい るモデルガンを近づけた。 地面が揺れている、地震だな、と田 5 ったが、何ということはない、単に自分の足が震えてい るだけのことだった。 情けないな、と悲しく思う。 ポプ・デイランを口すさむ。 かわさき 「椎名のやることは難しくないんだ」河崎はそう言っていた たしかに複雑なことではなかった。どちらかと一一一口えば技術的でもなかったし、誰にでもでき ることだった。 モデルガンを持ったまま、書店の裏口に立っていること。それだけ。ポプ・デイランの「風 に吹かれて」を十度歌うこと。それだけ。一一回歌い終わるたびに、ドアを蹴飛ばすこと。それ 「店を実際に襲うのは、俺だ。椎名は裏口から店員が逃げないようにしてくれ」河崎は言った。 「裏口から悲劇は起きるんだ」 当の河崎はすでに、閉店直前の書店に飛び込んで、「広辞苑ーを奪いに行った。 店内から物音がした。僕は驚き、右足を動かす。靴が雑草を踏んだ。土を踏んだ感触が気色 ほ - 」り・
が正しい し - 」う 出会ったばかりで、趣味や嗜好も分からない相手と、お互いのカードを探り合う。そんな感Ⅱ じだった。自然体を装いながらも、失態やマイナスポイントを見せないように、戦々兢々とし ている。新鮮と言えば新鮮だったし、楽しいと言えば楽しい。疲れると言えば疲れる。シュー ト後の位置取りはまだ続いている。 山田は、しきりに地元とこの土地との差異をあげつらっていた。「うちのほうはな」という まくらことば 台詞を枕詞に掲げて、早ロでまくし立てる喋り方は、どこか攻撃的だった。彼の話を聞いて いると、彼の地元、関西はとてつもない楽園に田 5 えてくるのだが、とりあえす話半分に聞いた。 一方の佐藤は、地元出身の男で、どうやら遊び人と認識されたがっているのか、しきりに、 「女ーと「飲み屋」と「車ーの話をしたがった。 「へえ」と僕はそれぞれに相槌を打ちながらも、取り残された気分になった。「へえ、凄いね」 前へ前へと出ていくタイプではない僕は、相手の話を聞くのに精一杯で、敵地で戦うサッカ ーチームのように守備的だった。下がれ、下がれ、勝ち点が取れれは上出来だぞ。 三人で地下鉄に乗っていると、外国人が座っていることに気がついた。民族衣装のようなも のを着ているので、おそらくはインドかそちらのほうから来た人なのだな、と想像する。 「外人って何か嫌ゃなあーと僕の耳兀で言ったのは、山田だった。 「ああ、俺も俺も」と佐藤が言う。 とっさ 「そうかな」僕が咄嗟に反論するような声を出していたのは、おそらくアパートに住んでいる
りはじめる。 語り手の第一は、冒頭ですでに登場している椎名。大学入学のため関東から東北の町に引っ 越してきたばかりの、一人暮らしにも学生生活にも不安を抱いている普通の男子だ。いかにも 頼りない彼がおっかなびつくり初日を過ごしていると、いくつか年上にみえる男に声をかけら れる。黒いシャツにプラックレザーのパンツといういでたちで、どことなく悪魔じみた雰囲気 をもっこの男が、一一日後に椎名を書店襲撃に連れだすことになる河崎。なんとか安全運転で乗 り切りたい前者とざっくばらんな後煮対照的な一一人のやりとりは微苦笑を誘うが、最初の章 の終わりで早くも、「一緒に本屋を襲わないか」と突飛な犯罪をもちかけられ、椎名はたじた じ。あわれ、 " 僕。の運命やいかに、という喜劇的な展開になる。 ご。。ットショップに勤める 章が替わって紹介される第一一の語り手は、 " わたし。こと琴美ナへ 英語に堪能な一一十一一歳。なかなか勝ち気で、健やかに育った活発な女性というところだろう。 さかのほ 椎名の物語から遡ること一一年前、彼女は夕刻の市街地を、行方不明になった犬を捜して歩い ている。探索の相棒は同居人のドルジ。大らかな心をもつ、プータンからの男子留学生。たど しゅんぶうたいとう たどしい日本語と流暢な英語がチャンポンになった、春風駘蕩たる会話をかわす琴美とドルジ は、轢き逃けされた猫を埋葬すべくはいった立人禁止の公園で、肌が粟立つような三人の男女 に遭遇する。聞こえてくる話の中身からすると、市内で最近連続して発生している " ペット殺 し。の犯人グループらしい。残忍で不気味な連中から、琴美たちは無事に逃れることができる だろうか ?