三砂ちづる ( みさごちづる ) 1958 年山口県生まれ。 ' 81 年京都薬科大学卒業。 ' 99 年、 ロンドン大学 PhD ( 疫学 ) 。ロンドン大学衛生熱帯医 学院研究員および JICA ( 国際協力事業団、現・国際 協力機構 ) 疫学専門家として約 15 年、海外で疫学研 究、国際協力活動に携わる。 2001 年 1 月より国立公衆 衛生院 ( 現・国立保健医療科学院 ) 疫学部に勤務、 2004 年 3 月まで応用疫学室長を務める。 2004 年 4 月よ り、津田塾大学国際関係学科教授。専門はリプロダク テイプへルス ( 女性の保健 ) を中心とする疫学。著書 に『昔の女性はできていた』 ( 宝島社 ) 、訳書に『パワ ・オプ・タッチ』 ( メディカ出版 ) など。 オニババ化する女たち女性の身体性を取り戻す しよせいしんたしせい か おんな 発行者 装幀 印刷所 製本所 発行所 電話 メール 2004 年 9 月 20 日初版 1 刷発行 2 5 年 3 月 25 日 12 刷発行 三砂ちづる ーー加藤寛一 アラン・チャン ・一 - 堀内印刷 関川製本 ー株式会社光文社 東京都文京区音羽 1 振替 00160 ー 3 -115347 編集部 03 ( 5395 ) 8289 販売部 03 ( 5395 ) 8114 業務部 03 ( 5395 ) 8125 sinsyo@kobunsha.com 囮本書の全部または一部を無断で複写複製 ( コピー ) することは、著作 権法上での例外を除き、禁しられています。本書からの複写を希望さ れる場合は、日本複写権センター ( 03-3401-2382 ) にご連絡ください。 落丁本・乱丁本は業務部へご連絡くだされば、お取替えいたします。 OChizuru Misago 2 圓 4 Printed ⅲ Japan ISBN 4-334-03266-4
広がってきた「アクテイプバース」という自然出産の波の影響です。 「アクテイプバース」というお産改革は、基本的に、女性を主体にするお産を大切にしよう、 できるだけ女性が積極的に自分のお産に関わることができるようにしよう、とする運動でし た。私はこの動きこそが、日本の開業助産所に新しい動きをもたらしたのではないかと思っ ています。 それまで近代産科学と助産の間で揺れているようにさえ見えた助産婦さんが、アクテイプ ースの波を受けて、女性主体のお産を選んでいきました。それまで出産の姿勢を固定して 性 体 いた助産所も、このころから、女性が自由な姿勢をとることを推進し始めます。地域に根ざ 身 すし、医療管理から離れ、自らの家で産婦さんを受け入れていた助産所という闊達な場が、 取「アクテイプバース」という発想を得て、さらにその持ち味を生かすことができるようにな つってきた、と考えています。 よ 日本の助産所は三百くらいありますが、全部が全部、非常によく女性がからだに向き合え 産 出 るようなお産をしているわけではありません。でも、今一番「いいな」と思うようなお産を 3 している助産所は、やはりこの八〇年代後半からのアクテイプバースの波を受けています。 第 呼吸法も教えず、あるがままでいい、姿勢もそのままでいい、と言います。 かったっ
産科の救急搬送は、予想もできなかった交通事故のようにいわれますが、じつは丁寧な関 係性があれば、そのほとんどは、あらかじめわかり、余裕をもって搬送できることが多いの だ、と経験豊かな助産婦さんは一一一口うのです。 具体的に示すような指標はまだないのですけれども、出産の安全を高めるというのは、医 療介入を整備すると同時に、継続ケアを通じて「産む力」「生まれる力」をより活かすこと ではないかと今は思っており、研究を進めています。 性 体「あと回し」にされた母性保健 す このような、女性に寄り添う助産婦の知恵は、今、世界でも見直され始めています。 戻 私はプラジルにおける ( 国際協力事業団、現・国際協力機構 ) の「助産婦のいな つい国に助産婦をつくる」というプロジェクトに関わりました。このプロジェクトを通じて、 よ 日本の助産婦の「妊婦とともにある姿勢」をプラジルの方たちと共に学びました。この活動 産 出は、ケアされる側だけでなく、ケアする側の変革をも促し、プラジルのお産の場に変革をも 3 たらすきっかけとなりました。プラジルの政策に影響を与えるきっかけにもなり、互いに多 第 くの学びがありました。 111
この本を読んでくださったあなたはおいくつくらいでしようか。わたしは現在、四十代半 ばです。からだの知恵について意識できなくなった、七十代から数えて二世代目です。私た ちの世代は、いろいろ気づき、考えた一部の人たちは、大きく変わっていくかもしれません が、世代全体として一挙にからだの知恵を取り戻す、ということはできないのではないか、 と考えています。お産の経験にしても、今の二十代、三十代の方たちのお産の経験がすべて、 世代として急に、気づきに満ちたすばらしいものになる、ということも、おそらくないでし よ なぜなら、気づいたからといって、人間は、すべてを経験できる、とは限らないのです。 そういう意味で、私たちの世代は、全体として、もうそんなに変わらないかもしれない、と 思っています。でも、自分ができないから、といってがっかりすることはありません。それ おわりに 249
「ヒューマニゼーション」ということ自体が、保健省全体のめざす方向になったりしました ので、概念は着実に広まったと思います。国際会議のあと、ラテンアメリカネットワークも できて、日本人はすでにそこには関わっていませんが、現地の人たちのネットワークでお互 いに助け合ってどんどん進んでいっている状況になってきています。 出産経験を定義する こうして、プラジルで成果をあげ始めたプロジェクトですが、ひるがえって、日本の今の 性 体お産の場では、まだまだ、非人間的な、からだにしつかり向き合えないようなお産が大多数 すをしめています。日本にはせつかく、ほかの国にはないような自然なお産の場が存在するの 取 に、それがメジャーにはなっていません。日本のメジャーはやつばりふつうの病院のお産で、 て っそこで行なわれているお産は「からだに向き合う」という意味で、必ずしもプラジルよりも いいとはいえないのです。 産 出 人間が生まれるときというのは何があるかわからない : : リスクがある、大出血もあるか 3 もしれないし、何かトラブルがあるかもしれない。そんな気持ちを医療のなかの考え方でと 第 らえると、「危ないことがあるのだったらやはり何か予防しよう」、そういう発想になります。 129
そんななかで、確固たるものとして自分が判断の基準にすべきものがからだの声、からだ の経験、というものでしよう。自分のからだを判断の基準にする、そのためにはどうすれば ーしレと いいのか、というと、私はとにかく自分のからだを整えることだけを考えていれま、 思っています。自分のエゴや気持ちを自分で変えようとするのは、たいへん難しい。ですか ら、自分のからだをいい状態にする、ということだけを考えるのです。 からだをいい状態にするというのは、本当に具体的に言うと、からだをゆるめるというこ とです。からだにこわばりがあって、均等性がなくなると、そちらに歪みが出てきて、やっ ばり言葉にも歪みが出てきますし、感覚にも歪みが出てきます。ですからできるだけやはり 均等で、いつもからだに力が入っていない、ゆったりした状態にしておくと、自分を通じて 流れるものが流れる、とそういう考え方をしています。 基本的に朝は早めに起きて、ゆっくり時間をとって、自分の状態を見るようにするのはと てもいいと思います。そうして自分のからだをゆるめて、良い状態にする時間を持っと、今 日やることみたいなものは全部わかってくるような気がするのです。わざわざ一日のスケジ ュールなど確認しなくても、やるべきことは見えてくる。そうやって自分を整えた上で出て いくということを、私自身もつねに意識しています。 242
たとえば、が起こるためには、どのような条件が必要になってくるでしようか。そ のような条件のことを、疫学のことばで「決定因子」といいます。「出産経験」の定義がで きれば、決定因子の分析もできるのです。また、そのような出産体験が、実際にその後の母 子の健康、母子関係、周囲との関係、虐待傾向、子どもの発達、などに及ぼす影響も、調査 することができるようになります。 出産の場の評価は、現在のところ、妊産婦死亡率、新生児死亡率、周産期死亡率、あるい りびよう は特定疾患の罹病率といった、短期的な死亡と疾病の指標でしか測定されてきていません。 性 体しかし、出産の経験や出産時の出来事 (birthevents) が、その後の長い母と子の人生に すどのような影響を与えているかは、短期的指標だけではうかがい知ることができないのです。 取長期的な影響を考慮しながら、出産の場を考えていくきっかけを提示できれば、と、私は考 て っえています。 よ こ では「変革に関わるような出産経験」 (emæ) とは、具体的にどういう出産経験なので 出 しようか ? これを定義するために、三百一一十八件の出産の手記を検討し、出産ケア提供者 3 とのワークショップを行なって、キーとなる女性の言葉、表現などを拾い上げてみました。 第 そしてそれをいくつかのカテゴリーに分け、それぞれのカテゴリーに、女性が自分の経験を 1 引
ョンの意義だったのではないかと思います。 そう思うと、やはりこれはお産だけではなくて、医療全体のありように示唆を与えること だ、とも田 5 うようになりました。 お産が怖い産科医 また、このような活動をきっかけに、医療介入も減ってきました。帝王切開率や会陰切開 の率も下がったのです。もちろん産科医には産科医用のコースを設けたり、セミナーを開い たりしました。そこでは現代の問題というのを話し合ったり、模擬出産のような経験をする 場も設けましたが、やつばり産科医は出産を怖いと思っていましたね。でも本当はもっとこ ういうふうにしたいんだ、というような気持ちも聞き出すことができました。 セアラ州の場合は、私たちがパイロット地区としてやっていたところはかなり変わったの ですが、やはり田舎なので、保守的な州の保健局のスタッフは、二の足を踏む人が多かった。 ですからこのプロジェクトの成果は、セアラ州というよりは、そこから広がったプラジルの あちこちで、より大きな変化となって現われるようになりました。 最終的には、プラジル中の、人間的なお産を立ち上げた人たちとネットワークを組んで、 126
革のきっかけをそのプロセスから得たわけです。 つまり、出産というものはひとつの自然な営みで、それにゆっくり付き合うことによって、 関わっている側にも変革が起こる、というような経験を、お互いにすることができたのです。 具体的には、まずは、セミナーを開いて、こういった概念の普及、広報活動から始めまし た。「お産のヒューマニゼーション」といわれるようになりましたが、人間的な出生と出産 に関する情報を普及させたのです。そして、「どういうふうに女性をケアするのか、どうい うふうに女性をいい状態にしてあげるか」ということに関して、トレーニングを行ないまし プラジルには助産婦はいなかったので、病院で実際にお産のケアをしているのは、小学校 を出たばかりで、だいたい三カ月ぐらいのトレーニングを受けただけの准看護婦さんです。 私たちのプロジェクトでは、准看護婦さんたちと、「女性と一緒にあるという気持ちが大切。 女性を受けとめて、やさしくしましよう」そのような活動から始めたのです。本当に単純に、 声をかけたり、手を添えてあげたりといったケアです。 こういうトレーニングをしますと、結局トレーニングを受けた側自身がどんどん変わって いきます。「自分としても、本当は今までのようにバタバタと仕事をしたかったわけではな 124
れる筋肉が弱り、膀胱や尿道をきちんと支えられなくなっているから、ということが指摘さ れています。 この医師は、「日本女性のからだはどうなってるんでしよう。このままでは、何もコント ロールできなくなるんじゃないでしようか。九十代以上の女性は、昔は月経だってコントロ ールしてトイレで出すことができたといいますよ。品質のいい生理用品がたくさん出てきた ことで、女性のからだはそういうものに頼りきってしまってるんじゃないんですか」と言わ のれました。 よ生理用品に良いものができてきたから頼るのか、必要があるから製品が開発されるのかは、 て それこそニワトリが先か卵が先かのようなもので、はっきりとはわかりません。尿漏れと月 し 過経には同様の筋肉が関わっており、尿漏れと月経血のコントロールをめぐるからだの動きは、 やひとまとまりにして考えられるということは想像はっきますが、今までこのようなことに関 をして、具体的に考えたことはありませんでした。 月 月経血のコントロール・ 私は、いわゆる「女性の保健」や「リプロダクテイプへル 章 ス」と呼ばれる分野で国内外で仕事をしてきましたが、そんな話は聞いたことがありません 第 でした。私たちはトイレで用を足します。しかし、女性の月経に関しては、トイレで「用を