女性はからだに向き合うしかない 世代をつないで、どうやって気持ちよく生きて、スッと枯れていくか。どうやって満たさ れた一生を送るか、ということを考えるとき、やはり、女性はからだに向き合うしかないの だと思います。 からだのほかに向き合うものというのはないのです。それしかすることはないのです。今 は精神世界のプームもあり、そこに癒しや救いを求める女性がたくさんいます。精神世界の ことを知ろうとするのはかまわないけれど、そちらに逃げるのは大きな間違いでしよう。ス る きピリチュアル系、とか呼ばれているのですが、からだのことを忘れてしまって、精神世界の をほうにばっかりいってしまう人もたまにいますが、はっきり言えば、そんなからだが無くて 楽もできるようなことは、からだを持っているときにしなくてもいいのではないですか。精神 な世界のことは、それこそ精神世界にいる間にすればいいので、からだを持っているときには をからだに集中することが大事なのです。 代 世 そういう世界のことを知っていようが知っていまいが、とにかく一番大切なのは、「今、 5 からだを持ってこの時を生きている」ということだけだと思います。大切なことはそれだけ 第 です。スピリチュアル系のいう、「精神世界」を知っていようが知っていまいが、気にしょ 259
重ねるごとになるのだと思います。そういうときに、彼女の言うように、自分が結婚してい なくても、近所の子どもたちに対して斜めの関係になって、親が教えられないようなことを 伝えていけるというのは、楽しいことではないでしようか。 結婚していない、あるいは、子どもを持たない女性たちには、彼女の言う「ろくでもない 女性」に自信を持ってなっていただいて、「そういう大人になることもまた楽しいよ」みた いなことを、次の世代にぜひ伝えていただいてはどうでしよう。生活感のない楽しさ、は確 かにありますし、それを自分で味わっているだけではなくて、その立場にいてこそ見えてく る きるものを伝えることにも意味があると思います。 を 先ほどの彼女も、「ちょっと金銭的に余裕のある独身の人に、子どものころから贅沢をさ み 楽せてもらいました。歌舞伎や高級レストランに連れて行ってもらったり。大人になったとき なにマナーや教養がなくて恥をかいたり、尻込みをしなくても済むような経験をたくさんさせ をてもらいました」と言っています。 世 そう考えると、自分の子どもがいないからといって伝えられるものがないわけではないの 章 ですよね。世代として、よその子に伝えていくことができるわけです。そういった斜めの関 第 係というのは、子どもにとってもとても大切なものに違いありません。 215
性と生殖への軽視 女性のからだの声が、忘れ去られている そう思うようになりました。昔から、性や 生殖に関わることは、はっきりと公の場で語られることはあまりなくても、大切なからだの 知恵の伝承として、的確に受け継がれてきていたものではなかったでしようか。人生の中心 となることだったと思います。 しかし今では、自分たちのからだや性や生殖といったことがらを、あまり大事なこととし てとらえていないようです。しかも、上の世代からは、そんなことは考えなくてもよい、あ るいはそういったことに振り回される必要はない、というメッセージが出されているように さえ思えます。 このような状態が、女性のさまざまな生きにくさとしてあちこちに現われてきてはいない でしようか。男性のみなさんも、はっきりと一一一口葉にはできなくても、女性との関わりにおい て、なんともいえない息苦しさを感じることもあるのではないでしようか。 なせ、からだや性や生殖を軽視するようになってきたのでしようか。 女性のからだについて、ここ数十年の日本の状況を振り返りながら、考えてみたいと思い
母親は自分のやりたいことを大切にしたほうがいいのか、という議論になってしまうのです。 でもそういうことでもないのです。自分 趣味とか、仕事を優先させよ、というような : が人生や人間をどう見るか、というようなことを、それこそ子育てをしながら学ぶしかない わけです。 ブラジルでは子どもをせかさない 私は、まったく異文化であるプラジルで、どういうふうに子どもが育てられているか、と る いうことをじっくり見るという経験をさせてもらったので、それにとても励まされている部 生 み分があります。たとえば、プラジルでは子どもをせかしません。本当にじっと待っています。 楽着替えが遅いとか、何かがスムーズにできない、とかそういうことでも、大人はずっと待っ なのです。ですから、子どもが「ギャーツ」となっているところを無理矢理ひきずって外に出 をていく、という光景は見たことがなくて、きちんと向き合って、子どもの話を聞く姿が見ら 世 れます。 章 本当は、ぐずぐずしている子どもを待っことで時間がかかったとしても、実際は五分など 第 とかかることはなくて、長くて数分待てばよいのです。でも、日本では、一分が事に関わる 225
かっていない存在だ、とは思っていません。子どもは生きる方法も、じつはすでにわかって いるのですが、それを今、全部経験し直すために赤ちゃんとして産まれてきているわけであ って、私たちが型にはめるということはとてもできないと思ったほうがいいでしよう。 親と子、一対一としての付き合いになるわけですが、相手が思っていること、わかってい ること以外は、じつは伝えられない、というのが人間と人間です。母親の側に余裕がないと、 そこまで思いをいたすことはできなくなってしまいます。 しつけの問題というのは、細かいハウッーなどもありますが、じつは大して複雑な問題で はなくて、要するに、お母さん自身がどういうふうに生きるか、ということにつきるのだと 思います。私が出産にこだわるのは、やはりいい出産をすると自分に軸ができるからです。 生きていく上で世の中を見る眼、こういうことが大事なのだという確信、が必ずできます。 それをベースにして子どもに接することができるので、お母さんがすごくラクになるのだと 思うのです。それがないと、何が自分の中でよかったことなのかがわからずに、フラフラし たままやることになってしまいます。だから、出産にこだわるのです。 しかしここで、「しつけは大したことじゃないんです」というのも、すごくあやういこと だとも思います。「お母さんが自分の軸を持っことが大切なんですよ」というと、やつばり 222
て、より広い視野を持っていろいろなことができるようになるわけで、やはりそれが喜びで あり楽しいから、みなにそういうことをしてほしいと思う、というのが本質だと思います。 とにかく相手を持ったり、子どもを産んだりすることは、女性のからだにとって必要なこと なんだ、と。必要で楽しいことだからやるんだ、というメッセージを伝えずに、いつまでた っても、「妊娠出産子育てはマイナスなこともあるけれども、それをカバーすることを行政 が設けますから、産んでください」ということばかりでは、誰もやつばり子育てしたいと思 かいません。 の 子どもが増えないと産業社会が衰退してしまう、どうやって社会を維持していこうか : という側面からしか少子化をとらえていないから、そういう話にしかならないのだと思いま = す。とはいえ、今、とことんまで、男と女のありようだとか、その性的なつながりだとか、 あっ ぜ自分の身体性みたいなものを意識していくと、今ある近代産業社会というものと、大変な軋 / れき 轢が出てきてしまうだろうことは推測できますから、そこまでやる気はないということなの 性 女 かもしれませんけれど・ 章 一人一人が本当に自分のからだの中心を持って、自分のからだを大事にして、セクシャル 第 な相手を大切にして、子どもを育てることをいとおしむようになったら : そ一つい一つこ A 」 151
思います。少し前までは日本もそうでしたね。 からだを張って母親を守る大人がほしい このような話をしていると必ず「お母さんがそんなに若くて子どもが育てられるのか心配 だ」という意見が出てきます。でも、若くて心配なのであれば、周りが助ければいいでしょ う。そういう考え方にしないと、若い人が子どもを産む気になんて、やつばりなりませんよ ね。今は周囲が冷たすぎます。周囲が冷たいのなら、行政主導で助けなければなりません。 る き これはよく言われることですが、主婦の、社会における仕事がゼロになっていた時期とい 生 を うのは、長い目で見ても、ここ数十年ぐらいしかなかったわけです。特に今は、これだけ近 み 楽代的な都会の生活をしていますから、子育て以外がゼロになってしまうのです。やることと いえば、家の中のことだけになっていて、家の中のことだって何でも便利になっているから っ をそう手間はかからない。赤ちゃんを育てるストレスが指摘されたり、「密室の母と子」みた 世 いな状況になっているというのも、数時間外で働かせてもらうことができれば、解決するこ 5 とであったりするようにも見えます。 第 さらに言えば、一番大切なことは、パートタイムであるとか、勉強だとか、そういうこと 191
キンに頼って垂れ流しで、お産も医療まかせ、人まかせになってしまっている。それでさら にセックスレスです。軸を作るような機会を全部奪われてしまって、子どもができてから、 しつけろ、と言われても、軸がないからしつけられないですよね。 子どもはあふれるのほどの愛情をたくさん与えて、たくさんふれてあげることがなにより も大切ですが、同時に、この社会で生きていくのですから、ある程度の年齢になったらしつ けることも大切になってくる。そういうときに重要なのは、親の側がぶれないということで す。ルールや線の引き方というのは、共同体や家族によってそれぞれ違うのは当然で、大切 る きにするものはさまざまでよいと思います。ただ、親の側がぶれないものを持っているか、そ こだけが大切なのです。 楽しつけをすることと、子どもをコントロールしようとすることは、まったく違います。自 な分もコントロールされたことしかない母親は、子どもも思うようにコントロールしようとす をる。それは間違いです。しつけと、自分の思い通りにしてほしい、ということの違いは、し 世つけというのは、人間として生きていくことのルールを教えるということです。自分の思い 章 通りにしてほしい、というのは自分の都合のいいように動かしたい、ということです。 第 結局、親が、自分がどんなふうに生きていくのか、どんなふうに人と関わっていったらよ 219
女は子どもを産む道具か、などと言われていましたが、もちろん女は子どもを産むための 道具ではありません。女は子どもを産むための、人間です。だから人間として子どもを産む ということをもっと大切にし、そんな大切なことを産業社会の要請で、反故にさせないこと が大切だと思います。 セックスするなという性教育 今の性教育はどうでしようか。若者に子どもを産んでほしいのに、性体験や生殖の喜びと いうものをまったく伝えきれていないのではないでしようか。 今の性教育の目的のひとつは「初交年齢 ( 初めてセックスする年齢 ) を上げること」とい われています。それもいかにも即物的なものになっていて、性教育の効果というのは「初交 年齢が上がった」ということで測ったりします。 若年のうちから妊娠、出産をすると、勉強の妨げになる、生活に追われてしまう。また若 年層の間ではエイズや性感染症も急増している。だから、初めてセックスをする年齢を少し でも遅くすることが性教育が目指すことのひとつになっています。つまり、セックスするな、 するんだったら避妊しなさい、の性教育なわけです。 198
からだは共に生きる誰かを探している 結婚しない人が増えている、ということを取り上げましたが、結婚という制度を大切にす るかどうかはそんなに重要なことではないと思います。パートナーが一人かどうか、という ことも、重要でないかもしれません。フランスのように、事実婚が制度としての結婚の数を りようが 大きく凌駕して久しい国もありますし、離婚や一夫多妻が多い国もある。 かでもとにかく、望む人はパートナーが持て、性生活があって、結果として子どもができた ら子どもを産めて、ということは、人間として生きていく上でとても大切なことのはずです。 どんな人にもパートナーが見つかるように : : : おそらくもともとは、そのための制度として、 オ せ 元気があって自分で相手を見つけてきて、さっさとセックスをしてしまって妊娠したり、 、な させたりするような人たち、また、どんどんパートナーを作って結婚してしまう人たちは、 性 女 問題はないのかもしれません。若くして子どもを産めるような社会環境を整えてあげさえす 章 ればよいのですから。 第 問題は、何度も言いましたが、上の世代からは「必ずしも結婚しなくてもよい」、という = 「結婚」というものができたのでしよう。 155