ゃんもあっちに連れていっちゃうし、粉ミルクもあげるし、そのせいでしよう、とさらりと 言われるのです。 名栗の出産子育てというのは、このように八十代と七十代でずいぶん異なります。ちょっ とイメージしにくいと思いますが、今九十歳というのは大正三年 ( 一九一四 ) 生まれです。 昭和元年 ( 一九二六 ) の生まれが七十八歳です。昭和十年 ( 一九三五 ) の生まれが今年六十 の こ 九歳 ( 二〇〇四年現在 ) なので、今の六十代、七十代というと戦後子育ての世代です。です まから戦前に子育てをした人はもう八十代になっています。子育ての仕方では、八十代と七十 し て代とで、つまり戦前と戦後とで大きなギャップがあるのです。 「受けとめる存在」としての母親が、だんだん変わってきたのもこのあたりからだったので へ どはないでしようか。 は 恵 知 の 心に届かない近代医療の「知識」 体 身 ところで、私たちは、からだに関する知識を誰から聞いたのでしようか。母親からでしょ 章 1 うか。ほかの女性からでしようか ( 男性の読者は、父親、ほかの男性と読んでもらってもか 第 まいません ) 。誰かから具体的に伝えられてきていることが何かあるでしようか。「月経の手
いのか、ということに関して、確固たるものを持っていないと、子どもをしつけられないわ けですよね。自分が何を大事にしているのか、ということがわからないと。つまり、親の軸 がぶれていると、子どもは育てられないのです。ですから、私はそれがどんなルールであっ てもよいのですが、親の側がぶれなくて、人間に対する思いみたいなのがはっきりしていて、 それをいつも外に出していれば、子どももぶれないのではないかと思うわけです。そこの部 分で親がぶれるので、子どももやつばりぶれてしまうように思います。 でも、どんな親でも、自分が確固たるものを持ったり、ぶれないよう成熟する、というの には限界があります。親自身も成長している存在ですから、初めからその成熟が持てないま ま子どもを持っていることももちろんあります。そこで周囲が、これだけやっていればなん とか大人になれるよ、ということで積み重ねてきたものが、子育てやしつけに関する上の世 代からの知恵だったと思うのです。でも今は、母親自身がぶれてしまっているということに 加えて、そういった共同体の子育ての知恵というものもなくなってきてしまっている、とい うところが問題なのでしよう。子育ての知恵と、子どもを管理することが混在していて、親 になる人に確実なメッセージとして心に響くものを届けられていないのです。 そして今、世の中の親を見ていると、自分の感情のぶれを弱い人に向けているようにしか 220
いうのは、人生でそれほど長くないのです。あんまりややこしいことを考えて悩んでいると、 あっというまに終わってしまいます。 自分よりレベルの高い人がいいだとか、生活レベルがどうだとか、そういったことはから だからしてみると、要するに本質的ではないことです。相手の学歴だとか、お金だとか、そ さまつじ ういうことは、子どもを産んだり子育てしていくことに比べたら、ものすごい些末事なので す。女性にとっては、子どもを産んで次の世代を育てていくということは、女性性の本質な ので、そのほかのことというのは本当は取るに足りないことなのです。逆に、それらのこと の が中心にあるので、ほかのことに意味が出てくるとさえ言えます。 ですから、それよりもほかのことを大事にして暮らすんだったら、四十九を過ぎて後悔し = たって知らないよ、ということなのです。 せ今まで何もかも思うようにできてきた人にとっては、女性としてどうやって生きるかとい は うことも、自在に選択できるように自分には思えているのかもしれないですが、せいせいあ 性 女 と十年ほどの問題です。それから後は、もう選択はないのです。生殖とか子育てというオプ 4 ションはなくなって、自分はそれがない人生を選んだのだ、ということを認識しなければな 1 第 らないのです。
て、より広い視野を持っていろいろなことができるようになるわけで、やはりそれが喜びで あり楽しいから、みなにそういうことをしてほしいと思う、というのが本質だと思います。 とにかく相手を持ったり、子どもを産んだりすることは、女性のからだにとって必要なこと なんだ、と。必要で楽しいことだからやるんだ、というメッセージを伝えずに、いつまでた っても、「妊娠出産子育てはマイナスなこともあるけれども、それをカバーすることを行政 が設けますから、産んでください」ということばかりでは、誰もやつばり子育てしたいと思 かいません。 の 子どもが増えないと産業社会が衰退してしまう、どうやって社会を維持していこうか : という側面からしか少子化をとらえていないから、そういう話にしかならないのだと思いま = す。とはいえ、今、とことんまで、男と女のありようだとか、その性的なつながりだとか、 あっ ぜ自分の身体性みたいなものを意識していくと、今ある近代産業社会というものと、大変な軋 / れき 轢が出てきてしまうだろうことは推測できますから、そこまでやる気はないということなの 性 女 かもしれませんけれど・ 章 一人一人が本当に自分のからだの中心を持って、自分のからだを大事にして、セクシャル 第 な相手を大切にして、子どもを育てることをいとおしむようになったら : そ一つい一つこ A 」 151
ンもあるでしよう。真剣に子どもの数を増やしたいのならば、せひ、こういった若年妊娠を 全力を挙げて社会がサポートする必要があるのではないでしようか。いくつかの取り組みは すでに始まっています。 最近、知り合いの若い保健婦さんが訪ねてきてくださいました。彼女は東京都内で働いて いますが、担当地区で十六、七歳といった若年妊娠の多いことに気づき、何とかこの若いお 母さんをサポートできないか、とサポートグループを立ち上げました。自分自身も一一十代半 ばの女性である彼女は、この若いお母さんたちに心を寄せ、とても温かい雰囲気を作ってい ることが感じられます。 「若いお母さんたちが、虐待をしやすいリスクグループだと一般にいわれていますけれども、 そんなふうに簡単にレッテルを貼るのもどうかと思います。若いお母さんたちは、とても自 然に本能的に子育てをしているようで、見ていてとてもいい感じですよ。子どももとてもか わいがっていますしね。わたしはこの人たちの助けになることができないか、と思います」 と、彼女は言います。 保健所の現場にこんな若い人が育っていることは本当に頼もしい限りです。若いお母さん が誇りを持って子育てできるような環境づくりに向けて、さまざまな取り組みをしていく、
どんなにかわいそうなことか、と書いておられます。まったくそのとおりだといえませんか。 世代から世代へ伝承されていたはずの性の知恵が教科書の「からだの仕組み」教育にとって かわってしまっていることは、文化の貧しさを表わしているようです。 出産を選びとる若い女性の増加 こう考えてくると、私たちが今まで若い人たちに対して、「避妊」ばかりを勧めてきたこ とを、考え直さなければならないと思います。少子化対策にしても、子育てのための保育所 る き整備や子育て支援、そして不妊の人のためのサポート、といったことにばかり注目されがち を です。もちろんそれらも必要ですが、真剣に少子化対策を考えるのであれば、現在、妊娠中 み 楽絶につながっている若年層の妊娠を支援して、積極的に子どもを産んでもらうためのサポー なトをする、という考え方もあるのではないでしようか。 を「子どもが子どもを産むなんて」とか、「勉強はどうするんだ」「生活はどうするんだ」「将 世来は : : : 」といった声が聞こえてきそうですが、それは前にも言ったように周囲の支援と状 章 況の整備があれば、解決可能なことです。 第 子どもを産んでから勉強したり、子どもを育ててから仕事に復帰したり、というオプショ 20 う
女としての生活を楽しめなかった戦後世代 このように、今、ちょうど子どもを産むくらいの世代の女性は、女性であること、女性だ からこそできる経験を肯定的に見ていない人が多いのです。子どもを産むこと、母親として 生きることは、仕方のないこととしてとらえられていて、あまり憧れの対象にはなっていま せん。この原因としては、社会システムの問題もあるのですが、今、子どもを産む世代の母 親や祖母である六十代、七十代の女性の結婚観、出産観、子育て観が非常に強く影響してい るのではないでしようか。 今の六十代、七十代の女性が子どもを産み始めた時期は昭和三十年代に入ってから四十年 代にかけてが多いでしようから、この六十代、七十代は完全な戦後子育て世代です。彼女た ちは、それまでの世代が経験してこなかった多くのことを通り抜けてきた世代です。自分た ちの母親 ( 現在八十 5 九十歳以上 ) の世代とは何もかもが変わってしまったといっても言い すぎではありません。 日本は戦後、高度成長期に入り、生活が大きく変わりました。彼女たちは、高度成長期に 企業戦士となって仕事にすべてをささげてきた男たちの妻です。「プロジェクト >< 」などの 番組を見てもよくわかりますが、夫はほとんど毎日午前様で、仕事と付き合いに明け暮れ、
を離れています。それどころか、もうその子どもが次の子どもを産む年齢といってもいい。 すると女性は子どものことを気にしないで、仕事に専念できるわけです。 じつは四十五歳ぐらいというのは、一番仕事ができる盛りの年齢です。そのころに仕事の ことだけ考えて思いきり働けるというのは、近代産業社会にとっても、非常に貢献できるこ とです。私もその年代ですが、今やっているのと同じようなレベルの仕事を、果たして二十 年前にできたか、といえば、できませんでした。 でも、その二十年前のまだ仕事があまりできなかったころというのは、からだとしてはも る きっとも子育てに向いているころのわけですから、そのころに、本当はもっと子育てをしてい を ればよかったのです。二十歳ぐらいで子どもを産んで、若い間に子どもを育て終わってしま み 楽って、本当に仕事として戦力になるときにフルに復帰したらいいのです。 . な ただ、ずっと社会における仕事量をゼロにしていたのを、二十年たって急に十にする、と っ を いうことはできませんから、女性は仕事をゼロにしないほうがいいでしよう。二十歳とか三 代 世 十代前半とか、子どもを育てている時期にも、一日にほんの数時間でもいいので、仕事をす 5 ることをずっとキープしていけるような環境を周囲が作ればよいと思うのです。 第 それは、けっして、インテリ層のできる仕事、ということでなくてもよくて、どんな仕事 187
はじめにオニババ化とは何か 第 1 章身体の知恵はどこへいってしまったのか 性と生殖への軽視 自分のからだに対する漠然とした不安 子どもを産むのは恐怖である ? 女としての生活を楽しめなかった戦後世代 憧れの「病院出産」 娘の生き方に嫉妬する世代 からだの持つ「子育ての力」 心に届かない近代医療の「知識」 病院がないと幸せになれないのか 産む人と産まない人とのギャップが広がっただけ ポリネシアの驚くべき避妊法 インディオは更年期を楽しみにしている
授かった命は愛するという発想 日本にもいた「早婚の民」 出産を選びとる若い女性の増加 家族の楽しみ 子育てにエロスが足りない 大人になる楽しみを教えよう 子どもは矢にして放つものである 母親の軸がないとしつけができない 子どもはすべてわかっている存在 プラジルでは子どもをせかさない 抱きとめられて育ったからだ からだの欲求と援助交際 おばあちゃんも受けとめられていない 昔話が伝えていたからだの知恵 いつまでも自分のことばかりに関心がある世代 子どもは親を許すために生まれてくる 女性はからだに向き合うしかない 「めかけ」のすすめ ?