顔 - みる会図書館


検索対象: リミット
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1. リミット

425 ケースが積まれた。 白石が運転席に、助手席に楢崎彰一が座ってシートベルトを装着する。 午後三時半、荒れ狂う雨と風に捜査員の傘は役にたたず、車を取り囲む捜査本部の人間た ちは全員濡れネズミだった。 はんらん 都心部で瞬間最大風速一一一十三メ 1 トルを記録し、神田川は例によって氾濫し、首都高でも 各所で入口の規制が始まろうとしている。それでも台風のピークはまだまだ先だということ だった。身代金受け渡し時の大混乱が予想できた。 運転席の窓を細く開けた楢崎彰一に、曽根が強風に負けない声を張りあげる。 「携帯電話にかかってきた指小を無線で伝えてください。追跡班はジュラルミン・ケースに つけた発信器の電波を百メートル後方で捉らえて、びったりあとを尾けています」 そして白石のほうを覗きこむ。「こんな天気ですから、くれぐれも安全運転を」 追跡班の捜査員がそれぞれの車に入った。バケツを引っ繰り返したような雨が、待機中の 車の屋根を打ち続けている。 しまもよう 彰一の青ざめた能面のような顔に、フロントガラスを流れる雨が縞模様を投げかけてい る。白石はその表情の奥にあるものを探りながら、呟きかけた。 「あゆみちゃんを必ず連れて帰りましよう」

2. リミット

5 11 日はおにしい中、比どうもありがとうございました」 ほんりゅう 涙が奔流の如く、香澄の頬を濡らしていた。その隣で放心込態のまま突っ立っていたあゆ か小う みは、最後の最後、母の過剰な涙を不思議そうに見上げた。 出棺が始まる。 斎場へと向かう一行が、教会前の通りを走り去っていく。 霊柩車と親族のマイクロバスのあとに、三台の警察の覆面車両が続く。 公子は会葬者の輪の最も遠い場所で、香澄の挨拶を聞いた。魔性の領域に一度踏みこまな くては平穏な人生に立ち返ることなどできないと、それぞれに自分の人生を削っていた夫婦 だった。楢崎彰一には苛酷な競争社会があり、楢崎香澄には地獄の風景でしか埋められない 孤独があった。ある時点から夫婦が一致協力し、澤松智永の魔性を踏み越えようとした時、 彼らは初めて生きている実感を得られたのではないだろうか。 そして、初めて一一人は本当の夫婦になれたに違いない。 「ここに来ると思った」 会葬者の群れに混じって教会の門をくぐったところで、公子はうしろから声をかけられ そ、」う た。声の主を見て相好を崩す。別れてまだ五日しかたっていないというのに、懐かしい顔に 再会した気分だった。 古賀英寿だった。黒いネクタイをつけてはいたが会葬者の列には入らなかったようだ。

3. リミット

102 気がこちらに忍び寄ってくる。半径一メ 1 トル以内の人間を不安にさせる天才だと公子は思 楢崎彰一氏が繰り広げた関内の徒歩一周について、これまで事情聴取できる時間が限られ ていたため、三十分前に予告もなく片野坂はやってきた。そこで益岡の慰問とぶつかったた め、ややこしい雰囲気になっている。 「例のバンコク時代の同僚三名について、九条物産の総務部の協力を得て内偵を進めている 段階です」という益岡の言葉に、片野坂がふんっと鼻で笑う。幹鄧連中の耳には届かなかっ たろうが、公子にははっきり聞こえた。 見当違いの方向に踏みこんでいる、と片野坂は言いたいようだ。公子はその点については 同感だ。 白石の運転技術をバンコク時代によく知る煮という基準にひっかかった三名の社員だっ た。彼らにとっては迷惑もはなはだしい。捜査本部はとりあえずそのあたりを嗅ぎ回ること しか、やることがないのだ。 片野坂が公子の視線を感じたのか、ふらっと振り返る。中学生時代にニキビを潰した跡 が、頬に無数のクレーターを作っている。ラテン系を思わせる彫りの深い顔立ち。最近の 0 07 映画で、こんな暑苦しい顔の悪役を見たような気がする。 「こいつら、馬囲ッラ下げてやってきやがって、そう思わないか ? ーと公子に同意を求めて

4. リミット

時だ。 それは天啓だったのかもしれない。グレイ・ウオンから聞かされた商売を、何倍にも拡張 する方法を智永は思いついた。 内臓疾患の子供を抱える親は、喉から手が出るほど闇の臓器を求めているという。しか し、それまでグレイ・ウオンと共犯の外科医が仲立ちした信王。術では、三人に一人の割合 で失敗していた。闇の臓器ドナーを供給しているタイで、去年あたりから新型の肝炎が流行 していて、汚染された臓器で術後一カ月以内に死に至るケースが頻発している。 安全な臓器をどこで確保したらいいのか。それがグレイ・ウオンと外科医の頭を悩ませて 智永は朝の通学路でクリ 1 ンな臓器が群れをなしている光景を見た。 桜並木の下を集団登校する小学生たちだ。飽食の人種。栄養込のいい日本の子供たち。 ドナーはそこら中に掃いて捨てるほどいるではないか。この単純かっ明快な論理。 あの黒々とした髪も、産毛の光るあの肌も、未来に輝く目も、すべてカノ ゞ。、ーツとなって金 に換算される。舗道に突ったって、集団登校の子供たちとすれ違う智永は、ゆったりと顔を ほころばせ、ほくそ笑んだ。 子供を切り売りする女か。ロの中で呟いてみた。 世の中の女連中が最も嫌悪する「悪」に自分を駆りたてることに、智永はいゝ し知れぬ喜び

5. リミット

20 ろ 確かこれは・ : ・ : カスピ海の海賊が闘った怪獣だ。イグアナに似た風貌から牙をむき、緑色 あいきよう の目をむいた顔が愛嬌をたたえている。 どこかで見たことがある、と改めて思った。だからワンダ 1 ランドのキャラクタ 1 だ。映 画のチラシにも出ていたし、デパ 1 トの売場にも陳列されていたから何度も見ているのだ と、公子は内なる疑問に返答する。 いや違う。職業上の記憶として、おばろげながら焼きついていた。 頭が痛む。公子はそれ以上考えることができなかった。キーホルダーをポケットにねじこ んで、座る場所を求めてべンツの運転席に入った。シートに寄りかかると、額と顎と唇の痛 みがほぐされていく。エンジンを切って冷たい闇と生気のない静寂にさらされると、公子の 全身に敗北感がしみ渡る。自分の非力が呪われてならない。片野坂の一一一口うように、調書をと るしか能のない婦人警官だと思った。 そして全身にのしかかってくる貴之の死の可能性。どうすればいいのだと自分を急きたて ても、答えは見つからない。惚けた表情からみるみる血の気が引いていく。 その時、視界の右隅に点滅する光を見た。警察無線のコール・ランプだった。まだ誰かが 自分を呼んでいる。 公子は助けを求めたくて手を伸ばした。無線の相手は裏切った組織。誰が救いの手を差し

6. リミット

197 いとは思えないか ? うかいろ 智永は小径を下りきった。空き地にセルシオを止めてある。工場裏へと通じる迂回路があ っ ? 」 0 しトでつすい 婦人警官が憔悴しきった足どりでべンツに戻ったのを見届けると、篤志は破れた資材倉庫 の窓から侵入し、奥の広間へ急いだ。 蹴倒されたラジカセとスピーカー。その前の床に、グラウンド・コートが死体のように転 がっている。触れてみると感触があった。裏地がすべてポケットになっていて、中綿代わり の札束が顔を覗かせる。おそらく百万ずつの束が百個。数えている暇はない。 「あった。俺たちのもんだ」 篤志はハンド・トーキーに報告をした。笑いが止まらない。「今向かってる」と、運転中 らしき智水からの返答。篤志はコートごと金を持ち上げ、ワゴン車へと運びこもうとした。 車の走行音が聞こえた。やけに早いセルシオの到着だった。裏に止まるはずのヘッドライ トが、食堂跡のサッシ窓全面を燃えたたせる。そもそもやってくる方向が違っていた。高台 を迂回するセルシオは裏の通用門から現われるはずだ。 ヘッドライトの正体はすぐに判明した。車のポンネットがサッシのガラスを吹き飛ばして 突入してきた。きらきらとガラスの破片の吹霓最初に見たのは鼻先のべンツのマーク。一

7. リミット

118 「気にするな。あれでよかったんだ」 曽根がくしやっと顔を崩し、こともなげに一一 = ロう。公子は薄く苦笑を洩らして、曽根ととも にリビングに戻った。 楢崎彰一は置物のように座っていた。向かいあっている持田は、心を開いてくれない相手 を前にしてほとほと困りはてて、特殊班一の聞き上手、という得意技を発揮できないでい あめ た。犯人への取調べでは曽根が「鞭」となり、持田が「飴」を演ずるという役回りになって すいとうがかり いる。度の厚い眼鏡をかけた区役所の出納係のような風貌の刑事だが、彰一と同様にソファ に尻を貼りつかせていた。 この静寂が心地好いのなら彰一をそっとしておいてやろう、と公子は思う。 感情の起伏をあらわにする香澄とは対照的に、楢崎彰一はどんな状況でも声を荒らげた り、涙を見せたりはしない。苦しみや悲しみはひたすら内向する。そうやって問題を一人で 抱えこむことで、このエリート商社マンは海外駐在の激務もこなしてきたのだろうと思わせ るものがあった。 香澄が公子と一一人きりの時、「あの人は取り乱した姿を人に見せたことがありません」と 語った。自分の夫を皮肉ったのではない。そういう人間と理解して接してやってください、 と公子に頼んだのだ。優しい言葉をかけあうわけでもなく、抱きあって辛苦をともにするわ けでもないが、沈黙の中で気持ちの繋がっている夫婦だった。こういう夫婦関係も世の中に むち しんく

8. リミット

299 る時だ。 男生の顔に目をやると、額のあたりが白く光っていた。玉の汗が頭髪の生え際から額一面 に広がっている。脳死者にも生理現象はある。暑ければ汗もかく。 もう少しの辛抱だ。この心臓が肉体から切り離されたら、冷や汗や脂汗にまみれた人生か ら解放される。冨家はそう心で語りかけて、メスを握った。自分が神のように思える時。 不意にエルステ・マーゲンの頃が思いだされた。 研修医が執刀資格を得るための通過儀礼。新人の外科医はまず、体表の外傷の治療でメス ちゅうすいえん の持ち方や針糸の使い方を覚え、次に初級クラスの手術として、そけいへルニアや虫垂炎の 執刀が許可される。そして外科医が一人前になるための節目であるエルステ・マ 1 ゲン、胃 の切除手術が待っている。 その日の手術室には、勤務のない先輩外科医が見にきて、どことなくザワザワしたお祭り 気分が漂っている。冨家のメスを持つ手が一瞬たじろいだのを見たのか、当時の副部長の声 とどろ か轟いわに 0 「失敗しても死ぬのはクランケで、お前じゃないぞ。びくびくしないでメスをしつかり持 副部長や看護婦の言う通りに工程をこなせばよかった。エルステ・マーゲンは外科医とし ての技術認定試験ではなく、外科医の仲間に入るための儀式にすぎない。

9. リミット

2 ろ 9 だろうと思った。結婚亠ー年目で子供はいない。 「有働公子、発見」の連絡を受け取ったのは、徹夜の疲れと夫婦関係の疲れが一緒くたにな って気力を奪おうとしていた時だった。 有働公子は外部から擎視庁の情報処理センターにアクセスしたらしい。センタ 1 の管理者 は擎を鳴らし、玉川署の捜査本部にダイヤルインした。すぐに厚木署の刑事課に「管内の パソコン・ショップに有働公子が潜伏中」と報告が届き、厚木市内を警戒中のパトカーに指 示が下ったのだ。 自分自身の血の色を思わせるような赤色灯を偽装車両の屋根につけ、片野坂は一般車両を 徐行させて本厚木駅前に急行した。 ウインドウズ画面に連続幼児失踪事件の一一一件目の資料が載った。 この写真だ。公子は身を乗りだす。五歳の子供がキーホルダ 1 の怪獣と顔を並べるように して立っている。子供はカスピ海の海賊を真似して、ピストルの形にした右手を怪獣の頭に 突きつけている。ミルク・パックに印刷されていた写真と同じものだ。 あゆみと貴之を営利目的で誘拐した犯人は、白いワゴン車を共通項とした三件の幼児拉致 事件の犯人と同一人物 : : : とみて間違いなかった。 トカーの音が遠くから聞こえてくる。 公子は迫りくる所轄の外勤警官の存在を感じた。パ

10. リミット

224 が、よくよく考えてみると、タイでの幼児売買ル 1 ト、そして蛇頭と日本の暴力団の協力 っちか 態勢、自分がこれまで犯罪社会の中で培ってきた人脈を余すところなく利用できることに思 い当たった。 すべての人間はひとつひとつの「部品」として売買できるというグレイ・ウオンの考え に、智永は目を輝かせた。特に子供の場合は需要度が高い。子供を切り刻んで売り物にする という発想を、女が抵抗なく受け入れたことがグレイ・ウオンには驚きだった。母性のかけ らもない女がそこにいた。 闇を飛ぶ黒い蝶。それがグレイ・ウオンが智永に抱くイメージだった。 みだ いくら自分が上になって智永 黒いべッドの上を智永はいっ果てることもなく淫らに動く。 を攻めたてても、自分が抱いているのではなく智永に抱かれているのだとグレイ・ウオンは 感じてしまう。最後の高まりに近づくと、智永の両手の指先が腰に食いこんでくる。男の腰 そうじゅっかん を操縦桿のように引き寄せ、離し、絶頂に導いていく。 智永の次の排卵日はいつだろうか、とグレイ・ウオンは化り数えてみる。一一週間ほどあ とだ。はたして一一週間前の排卵日に智永は誰を抱いたのだろうか、と心当たりの男の顔を思 い浮かべた。 しず 下腹部がズボンの中ではちきれそうになる。熱く脈を打ち始めた気分を鎮め、あやし、グ レイ・ウオンは波の音と頭上の星だけに意識を集中させる。智永が仕掛けた大博打を成功に