男 - みる会図書館


検索対象: リミット
472件見つかりました。

1. リミット

54 ろ す位置に女は立った。 車椅子の少年は軍隊のアトラクションにも飽きたのか、父親を見上げて何事か訊いてい る。父親がイベント会場のはずれを指差す。公子もそのほうを見た。ポップ・コーンの出店 があり、その向こうにはトイレのマークがある。 一緒についていこうとする父親に「いい よ、一人で行けるよ」とでも言ったか、少年は車 輪を器用に転がし始めた。 しつよう 金髪男は執拗に追跡している。足音もたてずに忍び寄るハイエナさながらだった。 ところがペアで行動していたサソリの女が別の動きを見せた。金髪男から離れ、車椅子の 少年が向かう方角とは逆に移動を始める。公子は躊躇うことなく金髪男のほうを見さだめ た。別行動の女の姿はたちまち視界から消えた。 スタンドの古賀を振り返る。公子が振り返るのを待っていたかのように、古賀が何やら合 図を送ってよこす。耳に当てる受話器の仕草。さっき金髪男が携帯電話を手にしていたこと を言っているのか。古賀は自分のいるスタンドの下のほうをしきりに指差している。家族連 れがべンチを埋め尽くしていた。古賀は何を伝えようとしているのか。 金髪男との距離が開く。見失うまいと公子は前方に向き直った。金髪男の凶手が車椅子の 少年に襲いかかろうとする時を狙って、背後から急襲をかけるつもりだ。右手が尻ポケット

2. リミット

鉐こともある。 教え子と肉体関係になり、体育教師を刺し、次々と一線を踏み越えるうちに、智永は外見 はら 上も肚のすわった女に変貌した。やくざの客同士が目の前で刃物を抜いても、眉ひとっ動か さず、その手を取り、刃先を自分の頬に当てた。 「この店で殺しあうなら、まず私の顔を切ってからやりなさい」と言葉にして言ったわけで はないが、やくざたちは刃をおさめた。 智永が裏社会に引き寄せられていったのか、裏社会が智永を引き寄せたのか、智永は様々 かお な夜の貌にめぐり逢った。 不法就労者の外国人女生をしている密入国フローカーの一人に、グレイ・ウオンとい うチャイニーズ系タイ人がいた 智永の排卵日の渇きを癒す男になった。浅黒い肌のいたるところに宝飾品をちらっかせた グレイ・ウオンは、金の生る木に食らいつくことに関しては天才的で、不法就労者の斡旋だ けでなく、組織的な車泥棒にも一枚噛んでいた。 べッドではひとつの愛撫を飽きずに繰り返す男である。この男にはどんな人生があったの だろうか、と智永は思う。一一十八年の生きざまについて何ひとっ語ろうとしない男だ。故郷 はこの男にどんな傷を与えたのだろうと考えながら愛撫を受け、根源的な憂いとも思えるも のがグレイ・ウオンの無表情の奥から滲みでてくる時、智永は狂おしげな声をあげて中に招

3. リミット

逆らうようにして、直樹を抱いた偽の父親は足早にエントランスを抜け、駐車場に止めてあ る白いハイエ 1 スを目指す。 男の手際は早かった。トイレで薬を嗅がせると、ぐったりした直樹を洋式便器に座らせ、 ポロシャッと半ズボンを脱がせ、バック・パックから別の服を取りだして着せた。ネイビー プル 1 の上半身は白いトレーナーにとって替わり、スワローズの帽子をかぶせると、外見上 は別の子供になる。 次に取りだしたのは、七三に分けられた大人用のかつらだ。男は自分の金髪にそれをかぶ リバ 1 シプルの上着によって黒い上半身に変わ った。真っ赤なプルゾンを脱いで裏返す。 り、うさん臭い横文字の人種からまっとうな市民の姿となった。 直樹から脱がせた服を袋にしまう時、トイレの床にそれが落ちた。カスピ海の怪獣が男を 睨みつけた。その面構えに男はふふっと笑い、自分のポケットにしまった。 直樹を抱き上げ、顔が肩口に埋まるような恰好で「だっこ」し、外の気配に用心しながら はちあ 個室を出る時、中年太りの男が入口からやってきて鉢合わせになってぎくりとなったが、こ の子の父親ではなかった。 足早に園内を通り抜けて、駐車場に辿りついた。 直樹をハイエースの助手席に座らせ、エンジンをかけて発進しようとした時だ。パー グ係の若い女がいきなり目の前に現われ、急プレ 1 キを踏んだ。その拍子に直樹の頭ががく にせ

4. リミット

うになると、敵に向かって歩きはじめた。金髪男との距離を一歩一歩縮めていく。 自分の腕でも命中できる距離まで近づく。これが公子の選んだ闘い方だった。相手の一発 が致命傷にならないことに賭けて、相手に撃たせ、自分の弾丸を温存し、確実な射程距離に 歩きだす。 金髪男はだらんとつつかえ棒のなくなった表情で、近づく公子を迎える。こんな負け方を することが信じられない様子だ。相手の心にぎりぎりと恐怖が食いこんでいるのが分かっ 公子は立ち止まる。ニューナンプの銃口から相手まで距離一メ 1 トル。 「ここなら、絶対外さない : 一メートル先の的なら絶対の自信がある。金髪男の額を狙い、ロ許を曲げて公子は微笑 む。左の頬を鮮血で染めていた。流れでた血は雨のシャワーによってすぐ洗い落とされる が、傷口はどくどくと新たな血を噴きだし続けている。 「くそったれ」 金髪男は毒づくしかない。 「子供は、まだ、生きてるのね」 「くそったれ」 「案内しなさい」

5. リミット

46 ろ ーのエンジ 金髪男の一一 = ロ葉を無視して、公子は「行って ! 」と腕を振った。ランド・ロー ンが唸り、方向転換をして道の彼方へ去っていく。金髪男は残念そうに舌打ちをしている。 一方のライトがなくなり、ワゴン車のライトを背中に受けてシルエットになった金髪男 が、公子の前に仁王立ちでいる。 雨に打たれ、風に削られ、大地は鳴動している。それ以外は静寂だった。嵐の中の対峙だ っ一」 0 「先に抜かしてやるよ」 金髪男はゆらりと腕を垂らし、公子が拳銃に手をかけるのを待つ。 亥みに震えていた。一一十メートルの距離、一発 銃把を掴もうとする公子の右手の指は、、」 で的に当てる自信はまるでない。相手はこちらの弾丸の行方を見届けてからでも、楽々と撃 てる。公子に勝機はなかった。それでも腰の拳銃を掴み、この一発に賭けなければならな 「どうした。抜けよ」 こんな場所に自分の死体が転がるのか、と公子は想像する。体の中心部を撃ち抜かれ、お びただしい血をぬかるみの大地にぶちまけて絶命する自分の姿が目にちらっく。 公子は腰の拳銃にどうしても手がかからなかった。 「先に抜けって言ってんだよー

6. リミット

504 したドナーから冨家が健康な肝臓を取りだし、大臣の娘に差しだした。移植された肝臓は生 さんさん 着し、余命いくばくもないと言われた大臣の娘は燦々たる陽光の下で走り回ることができ た。権力者が涙をこばして、「あなたは娘の命の恩人だ」と香澄の前にひれ伏す。香澄はな ぜ自分がこの悪事に手を染めたのか、その時はっきり分かった気がした。 香澄は男を憎んでいた。憎悪の歴史には、まず父がいた。愛していない女を妻にした父を 憎んだ。そして、学生時代に自分を捨てた男たち。ひと晩の遊びのつもりが、香澄を孕ませ だたい てしまった今の夫。堕胎することはできないと泣いてすがる香澄を、楢崎彰一は仕方なく妻 にしたのだった。子供を武器にして男を結婚に引きずりこむ自分も憎んだ。 じよさい 夫の出世のために「駐在商社マン夫人」を如才なく演じる役目、母としての役目を憎ん だ。男の性器が侵入する自分の濡れた裂け目を憎み、まだまだ母性を孕みかねないその奥の 子宮を憎んだ。 グレイ・ウオンに内臓が根こそぎ奪われた子供の死体を見せられた時、香澄は自分の歴史 に堆積した憎悪を具体的な形に変える術を見つけたのだった。 ハンコクという灼熱の地にいる限り、この熱病ははてしなく続くように思えた。 肝臓で恩を売ったあの大臣の力があれば、闇で集めた子供たちにビザを与え、飛行機で国 外に連れだすことが可能だった。グレイ・ウオンと、彼の新しい ートナーになった澤松智 永が欲しがったのは、香澄のこの人脈だった。

7. リミット

402 怪我人はいなかったが、救急車も到着していた。体育用具の倉庫から一一人の民間警備会社 の人間が助けだされた。警官に事情を訊かれ、救急車で運びだされるところだ。 片野坂は野次馬と報道陣の輪をかきわけ、立ち入り禁止の黄色いロープをくぐる。なで肩 の男が現場の人込みからやや離れた場所で一人立ち尽くしている姿に出くわした。 益岡だった。どういうわけか、キャリアの本部長が現場にいる。練馬署の警官から事情を 聞いた捜一の刑事が、それを幹部に伝え、幹部が益岡に伝えにやってくるという回りくどい 情報伝達の風景があった。片野坂は益岡の斜めうしろに立って、もたらされる最新情報に耳 を傾けてみた。 捜査本部の会議では益岡と並んで雛壇に並ぶ玉川署の刑事課長が、益岡に告げている。 「銃を乱射していたのは一一人の女と一人の男で、三人は校舎の裏から逃走しました。警備員 も犯人グループは三人だったと証言しています。あとから駆けつけたパトカ 1 が校門を出て くるもう一人の女を目撃しています。妊婦が着るような服で、右手に確かに拳銃を握ってい たそうです。どうやら有働公子のようです」 呻きにも似た益岡の溜め息が聞こえる。我が身に次々と振りかかる不幸を嘆いているよう 。銃弾の嵐を受けた警官の中に負傷者がいなかったことだけが不幸中の幸いである。 「男女三人のグループと有働公子は、リ 男々の方向に逃けたということだな」 刑事課長から捜一の刑事へ、捜一の刑事から練馬署の警官へと質問が駆けめぐる。益岡は

8. リミット

加りと前に傾いた。男は慌てて直樹の上半身をシートに安定させたが、若いパーキング係はこ ちらを注視している。助手席の子供が何やらおかしい、そう感じたかもしれない。 男は「くそっ」と低く呟いて慌てた。誘導棒を持って出口へ案内しようとするパーキング 係の横を、タイヤを鳴らして走り去った。直樹の頭がまた傾き、横の窓にゴッンと当たっ ーキング係が突っ立ったままこちらを見送っている。 た。ミラーを見ると、 ナンバーを覚えられただろうかと、男は不安になった。 五歳男児。身長百五センチ。体重十六・五キログラム。血液型マイナス型。 腎機熊肝機能、共に異常なし。心臓百三グラム。肺臓三百一一十五グラム。腎臓百三グラ ム。肝臓六百十八グラム。 希少価値。 うどうきみこ ひかわだい 営団有楽町線氷川台の地下鉄構内から地上に出てくると、有働公子のうなじに熱波がまと わりついた。つい三十分前に桜田門で感じた外気は初秋の気配があったというのに、九月は

9. リミット

「撃てるもんか、てめえに」 金髪男は腰をかがめ、ぬかるみに落ちた銃弾を拾おうとする。水たまりの中で一発を探り あてた。ミリタリー & ポリスの弾倉を開けて弾を送りこもうとする動きを、公子は冷徹に見 下ろしていた。 「殺してやる」 したたる血で染められた公子の唇がそう呟いた。泥水に跪いて最後の悪あがきを見せてい た金髪男がはっと振り仰ぐ。その顔の中心に温存していた銃弾を与える。嵐に銃声が轟き、 脳天を割られた男が泥水に崩れ落ちる。即死だった。あとは痙攣するばかりの肉体が残され た。脚のばたっきが死を遠ざけようとしているかに見える。その一帯はみるみる鮮血の洪水 によっこ。 公子は体内の熱が一挙に冷めたかのように、その場に崩れ落ちた。何も考えられない。何 も考えたくない。公子は初めて人を殺した。今まで熱い血がみなぎっていた右手は、ただ冷 たく痺れるだけだった。 青葉湖別荘地から走り去ろうとしていたランド・ロ ーバーが、視界に異様な影を捉らえ た。排気ガスをまき散らした一台のバイクが止まり、降りたった人間が背中から長い銃を抜 9 きだす光景を白石は目にした。

10. リミット

461 底知れない狂気の領域が目の前で大きな口をあけて篤志を待っていた。篤志の生涯の夢だ った世界がそこにある。殺さなければ殺されるという丗一界だった。 公子のシャツは肌に貼りつき、下着の線をくつきりと見せている。学校での銃撃戦で散 さつかしよう 弾を食らった肩には赤い染みがある。他にも擦過傷や青痣で全身が傷だらけだった。この場 所に先回りをして、杢の中に潜んで三十分。雨に濡れ、風に吹かれて冷やされているはず の公子の肉体は、怒りの潮流で内側から火照っていた。 「子供を返して」 夜の嵐の真っ只中で、敵を見つめる自分の目がずきずきと痛む。 「あと何発残ってる」 金髪男が問いかけてくる。公子はニューナンプの銃身を持ち上げ、その顔に狙いをさだめ て固定した。公子には一発必中しか生き残る道はないことを金髪男は察したようだ。 「一発だけか ? と笑った。 公子は狙いがさだまらない。どんなに足を踏んばっても、吹きつける風に体が揺さぶられ 金髪男も腰から拳銃を抜いたが、銃口を公子に向けようとはしない。弾倉を開け、一発だ る。