鳩と海 徳治がかえってきた。 鉄三がハエ博士なら、徳治はさしずめ鳩ぐるいというところだろうか。 さいしょにしゃべったのが鳩のことだった。 「キンタロウはどうしている」 キンタロウというのは徳治がいちばんかわいがっていた鳩の名まえである。 「あいつにこまってるねん」 徳治がるすをしていたあいだ。ずっと鳩の世話をしていた四郎がこたえた。 「ほかの鳩をいじめまわすんや。ゴンタなんか、えさも水もよう飲みよらへん」 ゴンタは徳治の飼っている十四、五羽の鳩のうち、いちばんの年寄りだ。 徳治の家の物干しに鳩小屋がある。 みんなで鳩を見にいった。 , 、 眼 徳治が製鋼所の屋根から落ちて大けがをしたとき、鳩小屋はこわされる運命にあった。 の 兎それをきいた徳治は病院で、あばれくるった。こわしてみろ、こわしやがったら死んでや るわいと、そばにあった果物ナイフをふりまわした。根まけした徳治の両親があきらめて、 四郎に鳩の世話をたのんだというわけである。
みんなは遠い眼をして海の向うを見た。そして純がいったことばをみんな考えた。 太陽がまっさかさまに落ちてきて、子どもたちの顔を赤く照らした。 かえりがおそいので、徳治が心配をして見にきた。みんなは徳治の顔を見るのがつらい 「あかんねん。徳ックンすまんなア」と四郎がわびをいった。 「ええねん、おれ気にしてない」 徳治はみんなの気を引き立てるように、わざと元気な声でこたえた。 子どもたちはおそうしきのかえりといったあんばいで処理所へかえってきた。 むだなことだと思いながら、みんな屋根の上を見た。やつばりキンタロウはいなかった。 あいっ本気で家出をしてしもたんや、あほなやつや、おれたちの気持も知らんであほなや つや、あいつ、と子どもたちは思った。 「徳ックン、あれ見い ! 」 四郎がするどい声でいった。 , 、 徳治の家の物干しに、ちょこんと黒い影がとまっていた。 「キンタロウや ! 」 わあっとみんなかけた。鳩をおどかしてはいけないので、徳治だけ、そっと物干しにあ 眼 のがった。徳治がトラップをあけてやると、キンタロウはすとんと身軽に小屋にとびこんだ。 兎徳治は下でまっている四郎たちに大声でさけんだ。 「キンタロウがかえってきたでえ ! 」
よく日、みんな早おきだった。 ねむい眼をこすって屋根の上を見た。キンタロウはまだそこにいナ 子どもたちは安心をして朝ごはんをたべ、そして学校にいった。 その日、学校で落ちついて勉強をした者はひとりもいなかった。四郎は二度、廊下に立 たされていたし、功は先生の質問にとんちんかんな答をして、みんなに笑われた。純は計 算のテストがふだんより悪かったし、武男は給食のミルクかんをひっくりかえして大目玉 をくった。 学校がおわると、みんないちもくさんにとんでかえった。 悪い予感があたらないように子どもたちは祈った。処理所にかえるといそいで屋根の上 を見た。 キンタロウはそこにいなかった。子どもたちはがっかりした。キンタロウをおい出せと いうことばをとり消しても、もう間にあわなくなってしまったのだから。 三時ごろ、全員そろった。このままでは徳治に悪いとみんな思っている。鳩のいそうな 場所を徳治にきいた。キンタロウの特徴もしつかり頭に入れた。手分けしてさがしにいく ことになった。みつかれば徳治にれんらくするつもりなのだ。まだ、からだが十分でない 徳治は残って本部づけというところだ。 四時ごろ、汗とほこりでまっ黒になった顔が、つぎつぎかえってきた。つかれたようす から、なにもいわなくても、だめだったことがわかる。
逃げる鳩をおって、いっそうはげしくくちばしをたたきつける。 「にくたらしいやつやなあ」 いかにもよわいものいじめという感じに、たまりかねて純がいった。 「あれがゴンタか」 「うん。やられている方がゴンタ」 四郎が竹の棒をさしこんで、キンタロウをこづきまわした。 「ゴンタがよわってしまうやん」 徳治は心配そうにいっこ。 巣の方においやられたゴンタは、丸くふくれて羽毛の色つやがさえなかった。ゴンタは、 キンタロウのすきを見て、ふたたびえさ場にやってきた。ひとロふたロえさをついばんだ と思ったら、もうキンタロウの攻撃をうけていた。 「えげつな」 功は顔をしかめた。 「徳ックン、こんな鳩、おい出してしまえ」と、純はいった。 「おい出すか」と四郎もいった。 の 兎「おい出せ、おい出せ。徳ックン」 芳吉も武男もそういうので、なんだか徳治は後へさがれないような気分になった。 徳治はしようちした。
320 さきほど処理所の親たちがぎて話しこんでいった。かれらはいつのころからか、もうし わけないということばを足立先生の前にださなくなった。 そんな他人ぎようぎなことをいうのは、それこそ、もうしわけないと思っているのだ。 「きようは流れ星が多いなア 足立先生はそんなことを・ほんやり思った。 コッコッとへいをたたく音がした。 「先生、もうだれもおらへんかー 「功か、おらんー 「そんなら、そっちへいく」 しばらくして子どもたちは出てきた。それそれ足立先生のまわりに、すわったりねころ んだり、勝手気ままなしせいになってくつろいだ。 「寒いで」と足立先生はとがめるようにいオ 「さっき、ごはんをたべたばっかりやから : : : 」 徳治はいいかけて、あわてて口をつぐんだ。 「気にするな徳治」 足立先生はよわよわしく笑った。 「浩一一を送ってやったで」と功がいった。 「そうか、ごくろうさん」
れから、子どもさんの通学の件でありますが、ごそんじのように通学区域というものはは じめから決まっておることでありまして、わたくしどもの一存ではどうにもならないこと でございます。交通事故のご心配は親ごさんとしてとうぜんのことです。関係方面にれん らくをとりまして、できるかぎりのことはいたしますので、なにとぞ処理所の移転にご協 力をたまわりますようにおねがいいたします」 課長はまた頭をさげた。 「ものの言い方だけはバカていねいやな」 きこえよがしに足立先生はいった。 徳治の父が先日の係員の無礼な態度をなじった。課長はそばの男になにか耳うちした。 男は席を立っていった。 「それは、いまはじめてききました。もうしわけありません。若いものですから、つい口 がすべったと思います」 「それはどういう意味です」 眼徳治の父はいっこ。 の 「つい口がすべったということは、本心はそうだというてるのと同じことではありません 兎か」 「いや、決してそういう : : : 」 「課長さん、あんた息子さんがありますか」
216 みんなつぎつぎ、小谷先生の前にさしだした。貯金箱があったり、封筒があったりした。 芳吉などは自分でこしらえたと思われる木の貯金箱をおしげもなく小谷先生の前においた。 鉄三もひもに通した五円玉を重そうにおくのだった。 この子どもたちが、しし 、あわせたようにお金をもってきたのは、よくよく考えた上での ことだろうと小谷先生は思った。 「先生、ごはんは食べられるか。なんやったらぼくのお金でお米買いよ」と徳治はいった。 そういわれて小谷先生は気がついた。もし自分たちの家にドロポーがはいったら、その 日から食事もできなくなる、徳治はそういっているのだ。 「うれしいわ」小谷先生は涙声で礼をいった。 子どもたちはドロポーを一言も非難しなかった。小谷先生の身だけを案じてくれていた のだった。 夫はでかけるとき、子どもをはやくかえせといった。おれは子どもがにがてだから、と いったが小谷先生はもうそのことばをきいていなかった。 小谷先生は赤いヒョコを思った。 ほんとうの毛がうすよごれて見えるかわいそうな赤いヒョコを思った。
徳治はなっかしそうに眼を細めて鳩を見た。 「タロもおるやん。チョンコもおるやん。おいこらドンべイ、こっち向け。ご主人さまが かえってきたんやでえ」 そのうち一羽の鳩がグルルロロロとなきだした。それにつられて、ほかの鳩たちもいっ せいになきはじめた。 「お・ほえとるやん。おれがかえってきたことをよろこんどる 徳治は顔をまっ赤にして、うれしそうにさけんだ。 「鳩でもわかるんやなあーーー感心したように功がいった。 「どれがキンタロウやねんー 四郎が指さした鳩はなるほど不敵なつらがまえであった。ほかの鳩のようにきよろきょ ろしないで、ひとつのところをじっと見ている。 四郎が水とえさを入れてやった。鳩たちはいっせいにえさをついばみはじめた。 「見とけよ」 四郎がささやいた。 キンタロウは二度三度、目玉を動かした。それから、ばっととび立って、まるで重いも のが落ちてくるような横着なとび方をして、えさ場にきた。すぐ、となりの鳩を一突きっ ついた。つつかれた鳩はちょっととびのいて、つづけてえさをとろうとした。そこでキン タロウの攻撃がはじまった。上にかぶさるようにして、その鳩の首すじをつつきまわす。
304 足立先生はそこでだいぶ長い時間、話をしていた。 「あんたら、あの決議文が否決されて運動がしにくいのやろ。しにくうてもがんばらなあ かんで。おれたちだけに働かしとったら承知しゃへんで」 足立先生は笑いながらいった。どこへいってもこの先生は豪傑である。 五人の先生はその足で処理所にまわった。そしてかなしいものを見たのだった。 浩二の家の前に軽トラックがとまっていた。家財道具をつみこんでいる。そのまわりに 処理所の人たちが手伝うでもなし手伝わぬでもなしといった中途半ばなぐあいで、あつま っていた。子どもたちもそれをじっと見ているだけだった。 「どないしたんや。引っ越しかいな」 なにげなく足立先生がたずねた。 「しいー」と徳治の父が口をおさえて足立先生をものかげにつれていった。ほかの先生も つられてついていった。 「瀬沼の奴、これですワー 徳治の父はくやしそうにいって、両手をあげるまねをした。 「功のオヤジと同じことをいわれたんですワ。わしらだいぶ説得したんですが、相手のな げたえさの方が大きかった」 「そうですか」ーーー足立先生はいかにもざんねんそうだった。 「あかんとわかったら、だまっておくり出してやろうと、みんなで決めたんです。裏切ら
「くろうするワ 「おまえのおかあちゃんも、そういうておまえを育てたんじゃ」 徳治はちえっといって頭をかいた。 「先生だいてえ」 ノュミー ズ姿のみさえが手を出した。 よしよしと足立先生はだきあげた。みさえは足立先生のクラスである。 「なんじゃ、あまえて」 と純は妹の背中をこづいた。いやーんとみさえがいった。かわいい子だなと小谷先生は 思う。 「先生は学校でもこんな調子で授業をなさるの」 きみが足立先生の頭の上へよじのぼっていったことなど考えあわせると、小谷先生には 想像もできない世界だった。 ナしたいこういう感じゃな」 「いちど授業を見せてください」 「いいよ。いつでもおいで」 みさえがやっと足立先生からはなれた。シャツが汗でびっしよりぬれていたが、足立先 生はすこしも気にしていなかった。 鉄三は家のうらでキチに行水をさせていた。キチはシャポンだらけになって、うらめし