子という彫像がある。 「こんにちは」ーーーと小谷先生は呼びかけた。 「ちゃんとまっていてくれましたね」 小谷先生はほほえんだ。 あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。そ れはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。 小谷先生は小さなため息をついた。 長い時間、善財童子を見つめていた小谷先生は、ほっとつぶやいた。 「きてよかったわ」 本堂の廊下は涼しくて広い。ときどき、ここでぼんやり考えごとをしている人がある。 小谷先生もそこにすわりこんだ。きようはだれもいない。五重塔あとや正門が緑にかこま れて涼しそうだ。 「どうしてあんなに美しいのでしよう 小谷先生の眼のおくに、まだ善財童子の姿がやきついてはなれない。 の「美しすぎるわ、どうしてあんなに : 兎どうしてだろうと小谷先生は思った。 とっぜん、なんのつながりもないのに、高校時代の恩師のことばが思い出された。その 教師は生徒たちから東大ポケといってバカにされていた。まるで風さいのあがらないこと
20 -1 9 7 8 4 0 4 5 5 2 0 0 1 5 角川文庫灰谷健次郎の本 兎の眼 優しい時間 ろくべえまってろよ 海の物語 遅れてきたランナー すべての怒りは水のごとくに 海になみだはいらない 林先生に伝えたいこと 子どもの隣り 砂場の少年 われらいのちの旅人たり 島物語—・Ⅱ ワルのぼけっと 子どもに教わったこと いま、島で アメリカ嫌い 手と目と声と 風の耳たぶ 太陽の子 子どもへの恋文 わたしの出会った子どもたち 天の瞳幼年編—・Ⅱ とんぼがえりで日がくれて 天の瞳少年編—・Ⅱ 海の図 ( 上 ) 彷徨の海 ( 波浪の海天の瞳成長編—・Ⅱ 我利馬の船出 天の瞳あすなろ編—・Ⅱ 少女の器 天の瞳最終話 せんせいけらいになれ 大学を出たばかりの新任教師・小谷芙美先生が受け 持ったのは、学校では一言も口をきかない 1 年生・鉄三。 決して心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生 だったが、鉄三の祖父・バクじいさんや同僚の「教員 ヤクザ」足立先生、そして子どもたちとのふれ合いの 中で、苦しみながらも鉄三と向き合おうと決意する。 すべての人の魂に、生涯消えない圧倒的な感動を刻み つける、灰谷健次郎の代表作。 0 6 0 9 0 9 灰谷健次郎兎の眼 灰谷健次郎 兎の眼 4 灰谷健次郎 1934 年、兵庫県神戸市に生まれる。大阪 学芸大学卒。 17 年間の教師生活の後、沖 縄・アジアを放浪。その後作家活動に専 念し、 74 年に『兎の眼』を発表、多くの読 者の共感を得る。 79 年、路傍の石文学賞 受賞。『太陽の子』『天の瞳』等、著書多数。 2006 年 11 月 23 日、 72 歳で永眠。 ISBN978 ー 4-04-552001-5 C0195 \ 600E 定価 . 本体 600 円 ( 税別 ) I<ADOI<AWA 角川文庫 0 装画てぬぐい紅白まんじゅう菊 ( 株式会社かまわぬ ) @KAMAWANU CO. , LTD. AII Rights Reserved 装丁大武尚貴 + 鈴木久美 角川文庫
102 や昼休みにきまって貧乏ゆすりをしながら、かけうどんをたべることなどが、バカにされ る材料だったようである。生徒たちはその教師の前では平気でカンニングをしたり、おし ゃべりをした。 小谷先生はどうしてもその教師を。ハ力にすることができなかった。 授業中ふいにその教師はいった。 「人間は抵抗、つまりレジスタンスが大切ですよ、みなさん。人間が美しくあるために抵 抗の精神をわすれてはなりません」 生徒たちはみんなポカンとしていた。小谷先生もなんのことをいっているのか、さつば りわからなかった。それつきりそのことはわすれていた。 それを、いま思い出したのだ。 「人間が美しくあるために抵抗を : : : 」 小谷先生はロの中でつぶやいて、どきっとした。 鉄三や諭、処理所の子どもたちを思い出したのだ、それから足立先生も。 善財童子になぜあなたはそんなに美しいのと問いかけた、それと同じ問いができるのだ。 わたしはなぜ美しくないの、きのうの子どもたちはなぜ美しくなかったの、と。 処理所の子どもたちのやさしさを思った。ハエを飼っている鉄三の意志のつよさを思っ こ。パンをもってかえる諭のしんけんさを思った。 わたしは
手足はいつもアカがこびりついているような状態なんです。いろいろ指導しましたけれど、 よくなりません。家庭にも連絡をして協力をもとめましたが、なしのつぶてで、まるで関 心がないようです。そのうち子どもの方から非難の声があがってきまして、浩二くんが給 食当番をしているあいだは給食をたべないというのです。わたしはこれまで子どもに衛生 ということをやかましくいってきましたから、そういう子どものもっともな言い分を無視 するわけにはまいりません。万一、食中毒でも発生すれば、たちまち教師の責任です。わ たしは浩二くんによく話をしました。改めないときには給食当番をやめてもらうと告げま した。その話を学年打合会でしましたところ、折橋先生からそれは差別の教育やといわれ たんです。わたしは二十五年も学校の教師をしてきました。わたしはわたしなりにいっし ようけんめいやってきたつもりですが、そういうことをいわれたのははじめてです。折橋 先生から一方的に差別教育だといわれたことに、わたしは納得できないものを感じます。 この問題をみなさんに話し合ってもらって、こういう場合、みなさんだったらどうするか 教えていただきたいと思いますー 「折橋先生なにかご意見がありますかー 折橋先生はこまったような顔をして、頭をかきながら立ちあがった。 「よわったなア。・ほくは教師になってまだ二年めだから、村野先生みたいにいろいろなこ ししとか悪いとかよういわんのやけど : : : 」 とをちゃんと知っとって、、、 折橋先生はしゃべるのが得意でないらしい。鼻の頭にいつばい汗をかいて、へいこうし
かんのやいうとったんやー この子どもたちがいっせいに両親にくってかかるようすを想像して、折橋先生はいっし ゅんたじろいだ。 「そやけど、おれらかて島ながしはいややもん」 だれがいい出したことばか知らないが、島ながしとは、うまいことをいったものだ。ま さしく現代の島ながしだ。 「先生らに会えんようになるし : : : 」 純がしょんぼりいっこ。 「そいでがんばっとんや」 「すまんすまん、先生がわるかった。ごめんして 大きなからだの折橋先生が小さくなっている。 処理所からかえった折橋先生はすぐ校長室にいった。 「校長さん、ぼく、考えたんですが、処理所の子が学校を休んでいたら、教師は出張授業 眼をせんといかんと思ったんです。子どもが休んでいるのを、教師がじっと見てるというの のは犯罪です。ちがいますか」 兎「あんたのねっしんさはたいへんけっこう。けれど、じっと見てるということばはとりけ してもらいたい。わたしもいろいろ手をつくしている。これでもそうとう苦労をしている つもりだ」
172 らっとさけんだ。それでもまだ、みな子は笑ってポールをおっていたので、山内先生はみ な子の首すじをつかんで、ラインの外へ引きずり出そうとした。 そのときだ。鉄三にとびかかられた山内先生は右の腕にするどい痛みを感じた。おうと さけんでふりはなそうとしたが、しがみついてはなれないので、鉄三の顔を一一、三発なぐ った。太田先生がとんできて、やっとの思いで鉄三を引きはなしたが、一部始終を見てい た太田先生は、鉄三を引きはなすとき、思わず、 「あんたが悪い」 といってしまったのだ。 「なに ! 」 と山内先生がかえして、それでもうれつな口論になった。太田先生は小谷先生と同じで、 ことし教師になったばかりの若さだから、いちど火がついたら、なかなかおさまらない。 子どもの前だったので、さすがに気がひけたか、ふたりは職員室までかえってきたが、そ こからがすごいけんかになってしまった。 山内先生は眼が血走っているし、太田先生はまっ青な顔をしている。昼休みのベルがな って先生たちもたくさん職員室におりてきた。 「礼儀しらず、やめてしまえ ! ーと山内先生はどなった。 やめてしまえとはどういうことだ、やめてほしいのはあんたの方だ、戦場に子どもを送 りこんでおいて、ぬけぬけと教師をしているなと太田先生はやりかえした。山内先生の世
182 の人生をこの子どもたちなりに喜びをもって、充実して生きていくことが大切なのです。 わたしたちの努力の目標もそこにあります』村野さん、このことばをわれわれ教師はじっ くりかみしめて考えんといけません。小谷先生はたぶんこの話は知らないはずだ。しかし、 谷先生がやってきたことは、このことばそっくりじゃないか」 村野先生はかえすことばがない。 「小谷先生はきのうからこちら泣いてばかりいる。なにを泣くことがあるんですか。泣く な小谷先生と、みんながいってあげんといかん。さきほど話したべテルのボランティアの 中には失業者や貧困者、非行少年さえまじっているという。ちえおくれの人たちのことを 障害者とわれわれは呼ぶが、心に悩みをもっているのが人間であるとすれば、われわれと てまた同じ障害者です。小谷先生は、みんなもよく知っている臼井鉄三でさんざん悩んだ、 血を吐くような思いで一歩一歩鉄三の心に近づいていった。小谷先生には問題児も、ちえ おくれも、学校の教師もなにもない、みんな悩める人間だったんだ。きよう、みなさんは 学校からかえるとき、西校舎のうらを見てからかえられるがいい 。そこに二つの作品があ る、じつにみごとですがすがしい作品がある。それは問題児の鉄三が、ちえおくれの伊藤 みな子といっしょに作った感動的な作品です。あの鉄三があのみな子が、と思われるだろ う。ちえおくれといわれ、問題児とかげ口をたたかれた子どもを、小谷学級の子どもたち はあたたかく受けとめ、先生もふくめてみんなが泥だらけになって生きてきた、そういう あかしがあの作品だと思う。わたしはそんな小谷先生を尊敬する、そして泣くな小谷先生
332 〈はじめに〉 《「学校の先生をやめます。きようから、ただのオッサンになります。さようなら」 ほくがそういうと、みんなポカンとしていましたナ。・ほくはそのとき三十七歳。十七年 間みんなの友だちでいて、ある日ふいといなくなってしまったのですから、みんなはあっ けにとられたのでしよう。 一九七四年に刊行された『兎の眼』理論社版の「あとがきーは、そんなふうこ、、 冫カって の教え子たちに宛てた作者自身のことばで書かれておりました。そして一九八四年に刊行 された新潮文庫の「解説ーは、いわば児童文学者として先輩であり僚友でもある今江祥智 さんによってこんなふうに書かれているのです。 《灰谷さんが教師を止めて、こうした″学校もの〃を書いたことについて、現場から逃げ 受難者たちへのエール ーーー名作『兎の眼』の座標 小宮山量平 ( 作家 )
112 るいやつだと思われたりするし : 足立先生はうしろできいている先生たちに皮肉をいっているようだ。 折橋先生がへへへ : : : と笑った。 職員室へおりてきた足立先生は、ご苦労さまとお茶をふるまわれた。 「そんなもんいらんー と足立先生は自分の机からなにか黒いビンをとり出した。 「やめときなさいよ と、となりの先生は、教頭先生の眼を気にしながら足立先生をこづいた。 「ちょっと」 足立先生は赤ん坊みたいな顔をして、その悪い飲みものを一口のんだ。 ほんとうに、この教師はええやっかわるいやっかよくわからない。 「先生、さすがに名授業やわ。すごく勉強になりました」 なんでもほめるので、おほめのアネゴとあだなされている木村幸子先生がいった。 「そうでつか 足立先生はバカにしたようにこたえた。なんでもほめるけど、自分はすこしも努力しな いので、足立先生はその先生が大きらいなのである。 「とても勉強になりました。ありがとうございます」 小谷先生もお礼をいった。
な気がしますわー 「あなただけじゃないけどねー 「足立先生、いっしょに鉄三ちゃんのところへいってくださらない」 「なぜ」 「また、ひっかかれそうだもん」 足立先生はちょっと笑った。そして、教師が子どもをこわがっていてどうする、と小谷 先生を叱った。だって : : : と小谷先生は泣きべそをかいた。わかったわかった、あんたは まだ若い先生やから、まけといてやると足立先生は立ちあがった。 足立先生が処理所に姿を見せると、子どもたちは全速力で走ってきて、バッタのように とびついた。 純だけがなんだかばつの悪そうな顔をして小谷先生の手にぶらさがった。 「アダチやぞオ という声に、小谷先生のときには姿を見せなかったしげ子や恵子、みさえなども出てき た。恵子は功の、みさえは純の妹である。 「徳治、キンタロウはどうやー の 兎と足立先生がたずねた。なんでも知っているらしい 「いま、しつけとるさいちゅうや 「くろうするやろ」