を抑制し、ひたすらに「はっきりと頭に思い浮かべて書く」という「小説の神様ーの御託 はん 宣を守りぬこうと努めたはずです。なるほど、『小僧の神様』に収められた「正義派」「范 の犯罪」「好人物の夫婦」などどの一篇にも志賀直哉の小説の刻まれ方・磨かれ方がみご とに表われていて溜息が出ます。が、気がついてみると、じつにそれら諸作品の総体が、 何とみごとに「主人持ちーなことかー 何とみごとに、あの時代の受難者たちに加えられ たトラウマに対しての優しい癒しの調べとなっていることかー たど そして同じ思いでわが『兎の眼』を辿って行くのにつれて、例えば「ハクじいさん」が どんなに私たちを泣かせることか。どんなプロレタリア文学が、こんなにも私たちに涙を 流させたことだろうか。いや、もしも私たちの心に『蟹工船』や『一九二八・三・一五』 を読んだ体験が刻まれていたなら、このバクじいさんの告白が、あの時代の受難者たちを どんなに「はっきりと思い浮かべて」書かれているかが分かることか ! しかもあのプロ レタリア文学の時代に比べて、今やわが国の文学そのものの表現力がどんなに成長してい はんすう 工 ることか ! そんなさまざまの述懐がたっぷりと反芻されることでしよう。 の ちそういう文学的反芻は、私たち読者が勝手に繰り返すことのできる悦びであって、作者 者がわざとらしくお膳立てしているわけではありません。にもかかわらず、そんなふうにし 受て私たちのささやかな「文学史ーの中に組み入れることが許される「名作」性が、何とこ の作者によって力強く設定され、構築されていることでしよう。『兎の眼』は、その書か れた最初から、そんな「名作ーでありました。若い日の私は、そんな「名作ーによってど こ
角川文庫発刊に際して 角川源義 第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文 化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。 西洋近代文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、近 代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して 来た。そしてこれは、各層への文化の普及滲透を任務とする出版人の責任でもあった。 一九四五年以来、私たちは再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不 幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎らすた めには絶好の機会でもある。角川書店は、このような祖国の文化的危機にあたり、微力をも顧みず再建の礎石 たるべき抱負と決意とをもって出発したが、ここに創立以来の念願を果すべく角川文庫を発刊する。これまで 刊行されたあらゆる全集叢書文庫類の長所と短所とを検討し、古今東西の不朽の典籍を、良心的編集のもとに、 廉価に、そして書架にふさわしい美本として、多くのひとびとに提供しようとする。しかし私たちは徒らに百 科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化に秩序と再建への道を示し、こ の文庫を角川書店の栄ある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんこと を期したい。多くの読書子の愛情ある忠言と支持とによって、この希望と抱負とを完遂せしめられんことを願 一九四九年五月三日
336 〈第ニ次世界大戦のトラウマによせて〉 妙な「解説」となってしまいました。お断りするまでもなく、前節に名を挙げた志賀直 哉や横光利一や小林多喜二が、わが灰谷健次郎と直接深い関係があるわけではありません。 トラウマ ただ曾て第一次世界大戦がその精神的傷害としての現代文学の誕生を促したように、今ま た第二次世界大戦がもたらしたより深刻なトラウマによって、わが現代文学に何がもたら されようとしているか、何が崩壊し何が再生しようとしているか。そんなことを考えるた めに『兎の眼』はうってつけの「名作。であり、あの志賀直哉にも劣らぬ天性の硬質な倫 理性と潔癖性とを、灰谷文学が総体として具有していると思ったからです。 試みに私は、この解説を記すに当たって、志賀直哉の『小僧の神様・他十篇』と小林多 喜二の『蟹工船 / 一九二八 ・三・一五』の二冊 ( いずれも岩波文庫 ) を読み返し、これら 二冊の「名作ーが、わが『兎の眼』という「名作ーと、どんなに深く歴史的に結びあって いるかを体感することができました。それは、「小説を読む」という悦びを改めて私に思 い知らせ、その私が読者たちに対してそんな悦びの共有をおすすめしたくなるような発見 でありました。 かって若い小林多喜二は、「文学は主人持ちであってはならないと思う」という志賀直 哉の一 = ロ葉に深く啓発されました。ともすれば時代のトラウマを癒そうと願うあまり、勝手 に善玉悪玉を設定したり、正義にばかり軍配をあげたり、弱者に過剰な涙を注ぐことなど
339 受難者たちへのエール えって , ールの役目を果たさねばならない時を迎えつつあるような気が私にはするのです が、ど、つでしょ一つか。
たという声を聞いたことがあったが、そうではないだろう。本という「証拠ーを残すから、 かえって自分の生きつぶりやら思想といったものを人の目に晒すことになり、かえってし んどいのではないだろうか。しかも、どの作品でも灰谷さんは、。 とうやら「教育者」の姿 勢を崩さないでいるように思えるから、余計そう考えてしまうのである。 そして今度の角川文庫版には、最初の理論社版の編集者をつとめた私が「解説ーを書く というめぐりあわせとなってしまいました。 思えばあれから、ちょうど四半世紀の年月が流れ去っております。その間変りもなく引 きつづいて多くの読者たちによって愛読されてきたことを思えば ( わが『兎の眼』は既に 定評を得て、輝かしい「名作ーの位置を占めてきたことを物語っているのでしよう。 では、それがどんな意味での「名作ーであるのか、今や単なる児童文学の枠を越えて、 現代日本文学総体の流れの中でこの作品の占める座標を考えてみたいとの思いが、改めて うず ル私の心に疼くのです。 工 の 〈第一次世界大戦のトラウマから〉 へ ち 都おおざっぱに現代文学と言えば、何としても第一次世界大戦 ( 一九一四 5 一八 ) という トラウマ おお 受世紀初頭の巨きな社会的ショックを受けて、その精神的傷害のように発生したさまざま の潮流を思わずにはいられません。あの時代の危機感を反映して、ダダイズムだの未来派 だの表現主義だのといったさまざまのモダニズムが、絵画や演劇の世界にはいちはやく開 さら
探偵事務所に勤める辻山、昭歳。女子大生直美の 赤川次郎ベストセレクション⑥ 赤 次郎監視と「おもり」が命じられた。密かに後をつけ 探偵物語 るが、あっという間に尾行はばれて : ハバが死んだ。昨日かもしれないけど、私 今日、 赤川次郎ベストセレクション⑦ 赤 大郎には分らない。でも私は知っている。本当は、マ 殺人よ、こんにちは マがパパを殺したんだっていうことを : あれから三年、ユキがあの海辺に帰ってきた。と 一フ赤川次郎ベストセレクション⑧ ころが新たな殺人事件がーー目の前で少女が殺さ 赤 次郎 セ殺人よ、さようなら れ、奇怪なメッセージが次々と届き始めた ! 楽しい大学生活を過ごしていた純江。ある出来事 ス赤川次郎ベストセレクシ , ン⑨ 若い女性に訪れ 赤 次郎から彼女の運命は暗転していく。 べ哀愁時代 た、悲しい恋の顛末を描くラブ・サスペンス。 紳二は心配でならなかった。婚約者の素子の様子 文赤川次郎ストセレクシ , 、一⑩ 赤 冫良かヨーロッパから帰って以来どうもおかしい 血と【ラ懐しの名画ミステリー 趣向に満ちた傑作ミステリー五編収録ー 角 夜空に消える一閃の花火に人生の空しさを象徴さ 芥川龍之介せた「舞踏会」、憂鬱の中で、見知らぬ姉弟の情 舞踏会・蜜柑 に一時の安らぎを見いだす「蜜柑」ほか十四編。 人間らしさをうたった童話「杜子春」、切支丹も 杜子春・南京の基督芥川龍之介のの傑作「南京の基督」、姉妹と従兄の三角関係 を抒情とともに描く「秋ーなど計十七編を収録。
ので、足立先生のことを思ったわけだが、小谷先生は、ちょっと、ちゅうちよした。足立 先生はあまり評判がよくなかったのだ。 髪を長くのばしていたし、背広ネクタイというきちんとしたかっこうからほど遠い服装 をしていて、小谷先生にはちょっとだらしなく見えた。 うわさ かけごとなどして私生活がみだれているという噂もきいていた。ただ、どういうわけか、 ほかの先生はこの足立先生に一目おいているようなところがあり、それは父兄の評判がい いからだと、だれかにきいたこともあるような気がした。 が、ともかく足立先生のところへもっていった。教室にはいると、足立先生は子どもの 机をならべて、その上でねていた。小谷先生はあきれて、なるほど教員ヤクザというあだ ながあるそうだが、まったくそのとおりだわ、と思った。 「先生はいつもそんなふうにねているんですか」 小谷先生がたずねると、 「まあ、な」と足立先生は乱暴な口をきいた。 それでも子どもの作品をよむときは、ちゃんとイスにすわった。 小谷先生のさし出した作品をよんで、足立先生は笑った。 「いい作品だね。こういう作品が生まれるところをみると、まだ、タカラモノをねむらせ ているかもしれんな」 「どういう意味ですか」
338 れほど泣かされ、どれほど涙をそそいで編集したことでしようか。 そして、あれから四半世紀が過ぎ去った今になって、老いたる編集者としての私は、し みじみと思うのです。たとえば、あの第一次世界大戦後のトラウマひとつをとってみても、 その痛みの中には、未だに日を逐って新たになる痛みがあるはずです。そんな痛みのある よみがえ 限り、『小僧の神様』はますます甦るでしよう。同様にして、『蟹工船』や『一九二八 三・一五』もますます甦らされずにはいないはずです。いや、日本現代文学をその自浄カ ふしよく を喪失させるまでに腐蝕させている営利主義のために、不当に忘れ去られようとしている うめ あのプロレタリア文学の総体が、今も疼きつづけている当時の受難者たちのトラウマの呻 きとともに新生する日が、やがて必ずやってくるに違いありません。 ましてわが『兎の眼』は、第二次世界大戦のトラウマを生々しく身に帯びて誕生しまし た。ふしぎなことに、その傷の生々しさは、日を逐って深まりつつあるとは言えないでし ようか。とりわけわが国の子どもたちの命運に焦点をあわせて凝視するならば、事態はま こと′」と すます悪化し、致命的なまでに疼きは増大しております。本来ならば作中人物の悉くが、 それそれに前進し、希望を見出し、ほんの少し楽天的な行進が始まるはずでした。 たとい日本の高度成長の歩みが破綻し、・ハブル経済によって挫折するにしても、少なく とも子どもたちは生来の楽天主義の旗をかかげて前進するはずでした。ところがどうでし よう。映画のストップモーションのように、今やその全体が停止し、やがて後退しつつあ ります。そんな受難者たちが増幅されている日本の現状に対し、この小説そのものが、か ざせつ
応じて気の済むまで手間ひまをかけて、硬質に磨き上げるーーそんな「わがままな」作風 こそが、志賀文学に結晶した倫理性であり、潔癖性であったと言えるのでしよう。 だから横光利一のように新しい作風を引っ提けて志賀文学に激突した新鋭も、けつきょ くは何かにつけてただ「はっきりと頭に思い浮かべて書く」というだけの潔癖性に頭を下 げずにはいられなかったのでしよう。そして同じころ、昭和三年から四年にかけて『蟹工 船』と二九二八・三・一五』という二作を発表して、プロレタリア文学の申し子のよう に注目を浴びた小林多喜二が、忽ち特高警察の弾圧のもとに地下に潜入し、そんな社会的 自我に激しく揺さぶられながらも、秘かにわが「小説の神様ーの絶対的な自我肯定ぶりに 対し、つつましい問いかけをしたものです。昭和六年当時の志賀直哉と小林多喜二のその しよかん 秘かな往復書翰が公開された時には、つまり昭和八年二月二十日に東京築地署で既に虐殺 されて、若い作家は二十九歳四カ月の前途ある生命を断たれておりました。そして志賀直 哉のもう一つの簡潔な倫理的な言葉だけが、私たちの心に末長く刻まれて遺ることとなり のました。「文学は主人持ちであってはならないと思います。」 ち第一次世界大戦のトラウマがもたらした貧困や弾圧に対して、プロレタリア文学という ささ 都主人持ちの文学に身命を捧げつくした若い作家小林多喜二は、尊敬する「小説の神様」の 受そんなアドバイスを忠実に心に刻みつけ、その証しのような作品の幾つかを更に残しなが ら、ともすれば忘れ去られようとしているのです。 こ たちま
「あなたが罪にならないために、わたしはなにが 天の瞳あすなろ編 - 灰谷健次郎できますか」。学校での暴力事件に対して一人の 女生徒がこんな言葉を発した。シリーズ第七巻。 おふみおばあさんが亡くなった。支えを失ったシ ュウちゃんを、倫太郎たちは優しく励まし続けて 灰谷健次 天の瞳あすなろ編Ⅱ いく。シリーズ第八巻にして著者の最後の作品。 星泉、歳の高校一一年生。父の死をきっかけに、 一フ赤川次郎ベストセレクション① 赤 冫良弱小ヤクザ・目高組の組長を襲名することになっ セセーラー服と機関銃 てしまった ! 永遠のベストセラー作品ー 赤川次郎ベストセレクション② 歳、高校三年生になった星泉。卒業を目前にし ス ~ ーラー服と機関銃・後赤 冫て平穏な生活を送りたいと願っているのに周囲が それを許してくれない。泉は再び立ち上がる ー卒業ー ひとつのべンネームで小説を共同執筆する四人の 文赤川次郎ストセレクシ , ン③ 赤 冫良男たち。彼らが選んだ新作のテーマは「妻を殺す 悪妻に捧げるレクイエム 方法ーだったーー。新感覚ミステリーの傑作。 角 私は嘘の証言をして無実の人を死に追いやった 赤川次郎ベストセレクション④ 冫良北里財閥の当主浪子は四歳の一人娘加奈子に衝撃 晴れ、ときどき殺人赤 的な手紙を残し急死。恐怖の殺人劇の幕開き ! 急速に軍国主義化する日本。そこには少女だけで 赤川次郎ベストセレクション⑤ 冫良構成される武装組織「プロメテウスの処女」があ プロメテウスの乙女 った。赤川次郎の傑作近未来サスペンス ! 赤