たしかに、トランジスタを、このわずかの年月にものにし、生産量でも米国に肩を並べ、世 界的に有名になった事は、日本人の努力や能力を示す証拠になり得るだろう。 ただ、技術の面からみると、トランジスタの誕生以来、一歩先んじていたのは殆ど常に米国 であったという冷い事実がある。私達はそれを理解し、非常に早くそれを追試して行く事はで きた。そこにすばらしい能力は発揮されたけれど、新型のトランジスタは殆ど常に海の向うで 開発されて来た。技術雑誌や学術論文を読む度に、うんざりする程新しい事が次々と出てくる という時期がかなり続いたのである。 この事は、私達が身にしみて感じて来た厳しい現実である。当時の日本の工業が、追試と誤 りのない技術の移植とを技術者達に要求していたとしても、なお技術者というものは、自分の 分身としてのオリジナリティ 1 を持ちたいものなのである。トランジスタ工業を、急いで米国 の後を追いながら建設して行く仕事の中に、技術者達は何かの形でオリジナリティーを寄与し て行きたいと努力して来た。 「後を追う仕事の中にだってオリジナリティ 1 はある」 という意見をきく事もある。まさに、その通りである。しかし、それでもなお、戦後日本のエ 業は、変則の形であった。決して技術者が自分の独創と能力で勝負しながら世を渡る様なオー ソドックスな工業社会ではなかったと私達は考える。 戦後、約二十年は、これで満足すべきだったかも知れない。歪みをいろいろと残しながらも この急速な工業技術のレベル・アツ。フを持った事は偉大かも知れない。しかし、これからも同 252
ていた事は事実であったろう。そして、また、日本の経営者の頭に、エレクトロニクスは、研 究と研究成果を踏まえた技術開発との上にのみ、安定に育て得るものらしいという印象がか なりはっきりしたイメージとなって来つつあった様である。 日本のソニーから生まれたトンネルダイオ 1 ドがその後のエレクトロニクスにかなり大き な波紋をよび起こしたという事実も、こういう点で大きな要因を為していたのかも知れない。 ただ、正直に言って 「研究所を作って、物理学者を養っておけば、うちからも、ああいうものが生まれるかも知 れない」 ェクストラボレーショ / 推に、技術者の立場からびつくりして経営者の顔を という、子供の様に単純で楽天的な類 見直す様な事もあった。 石究所を建てるという事と、そこからの成果を期待する事との間に、かなり厳しく論理的な てつながりを作って行く努力をしなければならない筈だったし、それをやる事によってはじめて 日本の工業の体質が、本当に『近代性』を手さぐりしながらっかまえて行く事ができる筈であ 性った。しかし、現実には建物をたて、物を豊かにし、その代わり、研究のマネージメントには 酳なるべく大手術はしないで、人間関係の方はもとのまま温存するといった傾向が随分強かった 次様である。 けれども、物に両面がある様に、研究所プームに。フラスの面もあった。少なくとも、研究と 5 いうものが、主な寄与をしていない場合には、段々エレクトロニクス工業の利得は薄れて行く
点接触トランジスタは、いわば接合トランジスタが生まれるまでの『触媒』の作用を果して 生命を終えたのである。 時代の要求 -4 技術の歴史には偶然のきっかけから思いも設けなかった様な進歩が起こる事がある。その偶 然のために新しい方向に走り出す例もある。けれど、もう一方に、その時代の技術が課せられ ている要求の様なものがある。その時代、その社会が技術によせる大きな関心事である。 これはいろいろな要素で決ってくる。例えば、現代でいえば公害を解決することであると 開か、交通の危険を減らすといった要求である。その社会が、いろいろなところで直面している 代課題が、組み合わさり、重なり合って、陰に陽に技術開発を方向づけるわけである。 ス先進国とよばれる社会程、この課題がはっきりと技術の分野にひびいて来て、その仕事を刺 戟し、また方向づける。反対に後進性が強くて、科学技術の産物が、物の形で先ず輸入され、 そこからこれを追試し、工業化して行くという社会では、順序が逆になるので、技術者へのこ ク レ ういう課題はいつもぼやけているか、あるいは抽象的な説教調なものに終始しやすい。 接合トランジスタが生まれ、工業化されはじめる頃、米国には明らかな時代の要求があっ た。当然、これは軍の要求と密接につながっているが、軍だけの要求といえない、近代社会の
S 1 半導体 られ、それらが有機的に協力し合っているという様なこと。或いは例えば、これまで気にしな かった汚れ、つまり不純物に対して特に注意しなければ絶対にやって行けないといった事。そ ういう新しい制約とか条件が入ってくる。これも技術革新の特色である。 そういう意味で、半導体という材料は、全く典型的な技術革新の担い手であり、立役者であ ったという事ができる。近代の電子技術に革新をはじめてひき起こした旗手であったと言えよ う。この事は、私達の様に研究に従事する技術者ばかりでなく、恐らくかなりの数の経営者ま でが、身を以って思い知らされているに違いないのである。 はぐく 少し変わった表現を使うなら、トランジスタ工業が日本で育まれつつある時、地球物理学と か、物理学、化学などの出身者が非常に強い活動力を寄与していたこと、技術出身の経営者 がいろいろな批評を浴びつつも進んでパイオニアの役目を果して来たことなどが、間接的に この革新の嵐の吹きまくった時代を浮き彫りにしていると一一一口う事もできるのである。 過去にこだわり、慣習にこだわり、形式にこだわる人達は、経営の世界でも、技術の世界で も、技術革新の中では一番失敗に近い道を歩まねばならなかった。このことは現在でもあては まるのである。 半導体というものが、後で述べる様に、恐ろしく扱いのむずかしい材料で、一〇〇億分の一 の不純物をすら取り除かねばならないのに、そういった、「全く新しい条件」に対して多寡を くくって手をつけ、物のみごとに失敗する例も、当時いくつか見られた。 技術革新という言葉の乱用が危険であるという理由は、こういう失敗を招く可能性があるか 9
て普及するには至っていない。理由は簡単で、フレオンガスを使った今の冷蔵庫というのは、 すき あれで結構安くて使えるものなので、有能で便利なことの判っている電子冷蔵庫が割り込む隙 か仲々無いということである。 いくつかの限られた例に過ぎないけれど、半導体には、さまざまのヴァラエティがあり、そ れぞれの持ち味が活用されている事、そして、その種類が多い事はおよそ判っていただけたと 考える。 昔は、半導体の鉱石を拾って来て使っていた。鉱石ラジオがそうであった。次に、もっと恰 好な半導体が何であるかを探し出した。ゲルマニウム、シリコンがそれであった。ここまでは 神からもらった材料であった。それが、今日では、半導体を調合し、思う様に製れる様になっ て来た。 この『結品を扱う技術』の進歩が、今日のエレクトロニクスの時代をどれ程力強く支えてい るか知れない。 米国のある研究所では、一〇〇 ~ 二〇〇種に亘る化合物の半導体を作って、その基本的な特 性を殆ど人海戦術で克明に調べあげたことがあった。こういう仕事が、ある面からみて、如何 に大切なものであるかという事が、今や読者にはお判りの事う。
( 部、課の長 ) をやめさせたり配置換えをしたりすることにもなったのである。確実な技術だ ・フライオリティー ー・トランジス けが、最後の勝利を得、優先権を主張できるという見本の様なのが、。フレーナ タであった。フ = アチャイルド社の息のかかった技術者が、今日いろいろの他の会社の中で活 躍しているのも、また、米国らしい一面をみせている。 フレナ ] ・トランジスタの技術は、トランジスタ技術の頂天という印象を与える。ショッ クレ 1 の洞察に端を発した接合トランジスタは、ここに来て、殆ど進歩の道を登りつめたとい う感じすらするのである。 そして、このプレーナ ー・トランジスタの技術は、次の飛躍『集積回路』に引きつがれて行 これは 5 で触れる事にしよう。 ここまで、私は殆どトランジスタを中心にして、この十五 ~ 二〇年の進歩の大筋を追って来 た。しかし、それはトランジスタというものが比較的誰にもよく知られているからであって 進歩がトランジスタに限られていたわけでは決してない。また、トランジスタにしても、高い 周波数での特性がよくなって来ただけではない。 4 一進歩の中の教訓
『技術革新』という一一一一〔葉は、最近少々乱用されている様だ。少しばかり大きな改良が為しと げられたりすると、たちまちそれが技術革新という事にな「てしまう。今日の様に、研究の規 模が大きくなり、研究と工業化との境界線がうすれてくればくる程、こういう乱用は物事の誤 解を起こしやすいから注意する必要がある。 それが革新である以上、何はともあれ 「全く新しい』 ことが必要である。言いかえると、過去の知識、過去の技術が、そのままでは役に立たないこ とが特徴である。ポケットプ〉クが何冊あ 0 ても、それでは困難を解決する事ができない。新 しいアイデアを思いつくか、あるいは、一度物理学に舞いもどって、じ 0 くり現象の本性を考 え直さねばならない破目におちいる。これが革新の特色である。だから、そこには必ず、新し い材料、新しい機械、新しい装置が登場している筈である。 第二に、何等かの意味で 『新しい性格をもっている』 事が注目される。例えは、三つも四つもの、これまでは互いに関係の無かった技術が結びつけ 2 一技術革新の立役者
これは『再現性』が悪いという事である。あるいは『設計可能性』に欠けていると言うこと もできる。再現性や、設計可能性は、近代工業を支える技術として最も要求されるものであ る。だから、点接触トランジスタは、製作工程の中に近代技術としての不適格性がひそんでい るといわねばならなかった。軍の技術者や会社の製造部の人達が、トランジスタの性能に一驚 を喫しながら、なお真剣に工業の対象として考えるのには二の足を踏んだ理由は此処にあった のである。 こういう、悪くいえば中途半端な状態の中で、技術者達は何とかトランジスタを『本もの』 にまで仕上げようと努力した。この段階では、軍もそれ程積極的になっていないし、世間の眼 も批評的な見方が多く、ただ進歩の状態を見守っていたといった方が良い。 呱例えば、当時トランジスタは『ニ = ーズウィーク』に紹介されたりして世間の眼を集めたけ のれども、まだ子供の玩具という批評を受けたり、あるいは、『ひどく製造の時の歩止りの悪い クもの」という風評が人々の間に噂としてひろまったものである。 しかし、点接触トランジスタを、ものにしようとする技術者達の努力は決して無駄ではなか った。結果からみれば、たしかに点接触トランジスタそのものを本ものに仕上げて、エレクト ・ク ェロニクスに革新をひき起こす事はできなかったが、新しいトランジスタが生まれ、それによっ 近て革新を起こす下地を着々を準備する結果になっていたからである。 これが今日であったら、点接触トランジスタの誕生につづいて、その後の新型トランジスタ の発明と開発とは殆ど踵を接して行なわれたろうが、当時の技術水準をもってしては、事はな
という認識。 ま正しいのである。これは技術の面からみても、経営の面からみても、共にいえる 時期にさしかかっていた。 ところが、一九六三年頃から、米国の風潮に若干の変化があらわれて来た。もともと、米国 は、それ以前に既に一度考え方を少し変えて来ている。それは、日本のトランジスタ工業が盛 んになって、生産が米国のそれを上回る月が出て来たりすると、意地になって張り合おうとい う傾向があった。それが、日本には作りたいだけ作らせ、その代わり、技術開発で特許料で取 って行けばよいという態度に変わって来た。 つまり、生産のエネルギ 1 で張り合うのでなく、新しいアイデアの指導料、使用料でとって 行くという方針に近づいて来た。これは。 ( ーセントできいてくるから、日本が張り切って作れ ば、それに比例したあがりが入るわけである。日本の技術者の頭脳をうまく使ってみようとい う傾向が強くなって来たのも、その頃からである。 それが、一九六三年頃から、半導体工業、特にトランジスタ関係の技術開発の方面に、かな り縮小計画がはじまった。先に述べたゼネラル・エレクトリック社のシラキウスの研究所でも、 半導体製品の部局が相当の思い切った縮小をやった。 「そういう事を考えないのは、ベル電話研究所位のものですよ」 という事を、当時まわったいくつかの研究所の技術者達が同じ様に私にいっていた。 「トランジスタは、技術的にみて殆ど登りつめた。進歩のス。ヒードも落ちて来た。そして これは、宿命的な飽和の様にみえる。そういう時、この種の研究の人員は少なくてよいの 180
まれる部品が五〇 ~ 六〇個位のところである。しかし、数年先の一九七〇年の予測によると、 コスト日取トま、 5 ・ロ、、 立ロロロカ一〇〇〇個分程含まれる—・ 0 にみられる事になる。 歩止りの間題も、将来改善されない理由は全くない。このために特にそれ程基礎研究をしな ければならないというわけでもないし、また、これまで使って来た技術に本質的欠陥があると いうのでもない。したがって、エンジニアの努力だけの問題といってよい。 こうして、—・ 0 は、半導体の工業、ひろくエレクトロニクスで大きな影響を与えると信じ られるものの一つである。けれど、日本でのこの方面の技術の将来という事になるといくつか の問題が生まれてくる。「果して、日本でも—・ 0 がすぐに強い影響を生んでゆくだろうか ? 」 技術の進歩を、ここまでと区切ったり、そういう予想を立てる事は非常に誤っている。けれ ど、その技術の影響が大きければ大きい程、私達は時々よく考えてみる事が必要である。 第一のポイントは、日本の技術は今や、 ・ O をこなせる段階に来ている、という事であ る。これは明日から立派に—・ O の商品を米国並みに作って売ってゆけるという意味ではな —・ O を工業化できるポテンシアル ( 潜在能力 ) を持っている 求い。そうではなくて、世界で、 性数少ない国の一つであるという事である。その理由は、日本がトランジスタをこなして来たと ヒ匕 いう、過去の努力と一応の成功の土台の上に立って物を考えられるからである。技術の問題の の 議論を、浅薄な頭でやってはいけないのはこのためなのであって、はじめて点接触トランジス 5 タが生まれた後の、トランジスタの評価の問題と同様である。これはすばらしいと手離しで賞 讃して楽観論をならべるのは、当時として決して賢明ではなかった。しかし、これは玩具だと 221