じ様にやっていれば良いのだという論理は使えない。いよいよ経済的に世界の仲間入りが始ま ったからである。自由化が、かけ声でなく現実になったからである。自由化になればなる程、 技術者が変則な状態から解放される必要がある。一歩おくれて巧みに追随して行かれない状態 になるから、どんな場合にも、独自のアイデアをもとにした企業でなければ立ち行かない。 私達が他人の論文を理解し、それと似た事をやってみせるという事では失職せねばならなく なって、はしめて本当なのである。ここに、過去二十年とこれからとの本質的な違いがある。 思い切った事をやって失敗をくり返している人の方が、無難に知識をかき集める人よりも尊重 される様にならねばならない。私達が過去二十年を肯定的と同時に否定的に考える理由はこう いう点にある。自由化が進み、また、日本が既に持ったポテンシアルを国際的に認められれば 認められる程、こういう反省は却って大切である。過去の歴史をすべて肯定するばかりが社 ゆえん 会を愛する所以では無いからである。 半導体の既に成立した工業は、くり返していう様にもう限度に来ている。値段の下り方を例 にとってもこの事は明らかだ。香港では六石ー十四石 ( トランジスタの数 ) のトランジスタラ ジオがますます安くなり例えは六石のもので一ドル八五セント、三つの会社で作るラジオセ トの数が、毎日二〇、〇〇〇個であるという。安い労賃で価格競争を考えることなど、もう び む夢にもならない有様である。 一方米国では、アイデアを売るという基本方針に加えて、自動化を使って価格を下げる試み を今でも捨てていない。たから例えば、べンディックス社の % ワット、トランジスタが四〇セ オートメーション 253
という認識。 ま正しいのである。これは技術の面からみても、経営の面からみても、共にいえる 時期にさしかかっていた。 ところが、一九六三年頃から、米国の風潮に若干の変化があらわれて来た。もともと、米国 は、それ以前に既に一度考え方を少し変えて来ている。それは、日本のトランジスタ工業が盛 んになって、生産が米国のそれを上回る月が出て来たりすると、意地になって張り合おうとい う傾向があった。それが、日本には作りたいだけ作らせ、その代わり、技術開発で特許料で取 って行けばよいという態度に変わって来た。 つまり、生産のエネルギ 1 で張り合うのでなく、新しいアイデアの指導料、使用料でとって 行くという方針に近づいて来た。これは。 ( ーセントできいてくるから、日本が張り切って作れ ば、それに比例したあがりが入るわけである。日本の技術者の頭脳をうまく使ってみようとい う傾向が強くなって来たのも、その頃からである。 それが、一九六三年頃から、半導体工業、特にトランジスタ関係の技術開発の方面に、かな り縮小計画がはじまった。先に述べたゼネラル・エレクトリック社のシラキウスの研究所でも、 半導体製品の部局が相当の思い切った縮小をやった。 「そういう事を考えないのは、ベル電話研究所位のものですよ」 という事を、当時まわったいくつかの研究所の技術者達が同じ様に私にいっていた。 「トランジスタは、技術的にみて殆ど登りつめた。進歩のス。ヒードも落ちて来た。そして これは、宿命的な飽和の様にみえる。そういう時、この種の研究の人員は少なくてよいの 180
去った。「これはいくかな ? 」と思われたものが、案外駄目だった例も多い レイセオン社で、『ス。ヘイシスタ』と名づけた装置なども、高周波の特性がすばらしい様だ と思われたけれど、非常にせまいところに針を立てるといった、宿命的な欠陥などのために駄 目になってしまった。米国マサチ = 1 セッツ工科大学のリンカン研究所で、極低温で働く半導 体の電子スイッチを考え出し、十セント玉より小さい結品片の中に数百のスイッチが入るとい う特性までたしかめ、「クライオサ 1 』と名づけてかなり誇りにしていたけれど、実用上の合 格点はまだもらえていない 電場発光といって、硫化亜鉛を油にといて透明電極の間に薄くはさんで電圧をかけると、青 白く輝く現象がある。原理ははるか昔に考えられながら実用化できなかったのが、十年程前か ら新しい息吹きを与えられ、米国ではコンセントの位置を示す常夜燈にしたり、一部の交通標 識にしたり試みたけれど、九十八セントの家庭用のものを時々見かける程度にしか普及しなか った。日本でもかなりの注目を一時は浴びたけれど、それつきり止ってしまった。 め 電子冷凍もそうである。電気冷蔵庫に対抗して家庭に入り込むところまで、総ての問題を解 決する事はできなかった。限られた使い方、例えば工場とか病院でならばとにかく、まだモー ヒじ ターをまわして冷却ガスを使う今の電気冷蔵庫程度に安く使えるところへ来ないのである。 可 2 皆、やや頭うちの状態にある。 これは、米国の技術者達のエネルギッシ = なやり方のせいもある。つまり、彼等は、可能性 が出てくると、猛然とこれを攻撃をする。 1 引
事も、極めて教訓的なことである。軍は支持するだけでなく、四つの注文をこの委員会に課し た。それは、トランジスタが次の様な能力を持つべく開発してくれという事である。 高い周波数まで使えること。 ⑤電力をもっと沢山喰わせる事ができること。 他、雑立日がもっと小さくなること。 ④高い温度まで使えること。 そうしておいて、一方では軍隊自身が自分で考える懸賞間題を作った。 『トランジスタを軍用に使うとしたら、 どこに (where) どんな風に (how) 使うのが最も有効か ? 』 こういう一連の大きな進展の中に、人々は 『真空管をトランジスタで置きかえよう』 とい一つことだけでなく、 『真空管にできなかった事を、トランジスタでやってみよう』 という積極的な希望を持ちはじめていたのである。 そして、いよいよ工業化が本格的になって来た。それと共に、忽ちにして点接触トランジス タは急速に地球上から姿を消していった。 14 イ
S 2 物理学と工学との対話 という定義をしようとすると、話が却って判りにくくなる可能性がある。 そこで先ず、半導体らしさということについて説明して行き、その後で全体をふりかえって 表れば、半導体というものの具体的なイメ 1 ジが形成されるだろうと考える。 私達が小さい結品を与えられて、それが 「半導体であるか、そうでないか ? 」 とたずねられたら、先ず電流の流れ方を調べるだろう。 一番簡単な方法は、第 9 図の様に、テスタ 1 を使って、大体の電気抵抗をあたってみること である。テスターの棒の両端を、結品の両端にあてて、メータ ス 1 が大体どの位のふれを示すか調べてみる。 タ もし、針が殆ど振れない様なら テ回 「これは半導体ではなく、むしろ絶縁体であろう」 路をる 回抗み と一応は考える ( 一応はの説明は後でする ) 。 抵て 気っ次にもし針が端まで一杯に振れる様なら、それは殆ど抵抗が 電当 のでないつまり極めて電流をよく流すという事だから、これも 「半導体ではなくて、何かの金属ではないか」 結タ と疑ってみるだろう。 図 この様に、電気の通り方で、第一の目安をつけるわけであ 第 0 る。 5
( つき離しただけでもいけなかった。そして、注目しつつ、次にうつ手を考えるという二段構え 、が必要であった。 日本における—・ 0 についても同様である。この頃は技術革新という言葉を使うと、それで ・問題提起が終わった様な錯覚を覚えたりする。下手をすると、一寸変わった技術があると、皆 ・それが革新の仲間入りをしてしまう。 —・ O には、革新の面と、それ程でない面とがあると私は考える。 製造技術という観点に立っと、トランジスタが生まれた前後の、半導体技術の典型的な革新 に匹敵するものは—・ O には無い。何故なら、。フレナ 1 ・トランジスタまでに蓄積された充 ・分なものが揃っていて、プラス・アルフアがつくだけだからである。 これに対して—・ o を活用した時に生じる効果は、ひろく文化の面に大きな影響を生む可能 ・性がある、これは直空管時代にトランジスタを迎えた様な大きなものがあり得るのである。電 ・子計算機にしても、航空機や字宙用の機器にかなり大きな変革を与える可能性が充分ある。 ところで、第二の問題である。 「日本という条件で —・ 0 がどういう意味を持つか」 つまり、どんな利得を、私達は期待することができるかということである。 簡単にいえば、技術は可能性である。可能性は、あるに越した事はない。何にでも生かせる 筈であるから、日本も大いに—・ O をやるべきだ。という論理もあるだろう。しかし、一応考 えておきたい事がある。それは : 222
これをきいて、トランジスタの生まれる前の彼の失敗の連続がどんなにかこの人にとって痛手 だったのだろうと私は想像した。 そのショックレーが珍らしく将来について何かを述べた事がある。一九六五年十月に、スタ ンフォード大学で行なわれた新しいビルディングの記念式の招待講演である。 「半導体の将来を決める鍵は、材料科学であろう。恐らくこれは輝かしい将来をもつに違い ない。しかし、どんな事が実際に行なわれるかを今指摘する事はできない。 つまり、その将来を決定するものは予想されない突然の発見が作るきっかけであろう。 ただ、どうしても見当をつけろと言われれば、 物質の強さ、特に材料の疲労に対する強さ。 2 ・今よりもっと小さい場所の中で、もっと高い能率で電気的、磁気的な作用を起こせない という様な事を考えるのが大切な課題となるだろう。 ・、、ハンド構造のもっともっとくわしい事を解 一番大切なことの一つは、結品のエネルギー 明する仕事であろう。例えていえば、電子という自動車をつめ込む駐車用ガレージとして びどんなエネルギー構造をもっ半導体がよいか、そしてそれをどうやって作ったら良いかとい す う間題を考える事である」 む ショックレーの一一 = ロ葉を待つまでもなく、こういう仕事は、特に理論家達にとって常に大切な 課題であった。しかし、半導体に関しては、まだ理論家が実験家の隣りに坐る事はかなり難か
、、等は、光というもので情報が伝えられて行 し くだけで、逆に辿る路はついていない。こういうこ 立 とを、回路では互いに孤立している ( アイソレイト されている ) と表現する。回路が完全に孤立してい は て、望ましい向きにだけ必要に応じて情報を流せる 等 という事が極めて重要な場合がしばしばある。その ためには光が大変重宝だという事である。 何故光ならこれができるかというと、量子論では 合。光というのはエネルギーを持って飛んで行く粒と考 場る えるのだけれども、この粒が。フラスやマイナスの電 のい 光て荷をもっていないという理由によるものである。っ 図 まり、中性の粒を送るのに電場をかける必要はな 第 い。その光の粒が飛んで行って、行った先で情報を 伝える、これで回路は互いにアイソレ 1 トされてい る事が可能である。アイソレートされているから、行った先の方から逆にもどってくるものに よって影響を受ける事が全く無いのである。 もう一つ、光を通信に使う事を考えよう。光というのは、波長の短い電波としても振舞う。 その波長は、マイクロ波などよりはるかに短い。マイクロ波は波長がセンチメ 1 トル位、光は (a) S 光 光 226
ばならなかった。 こんな話がある。私達がはじめてトランジスタの報告を知った時、私は室長から命ぜられ て、標本箱の中のシリコン鉱石を使って、追試をやってみた。考えられるさまざまな方法をこ とごとく試み、一月以上っづけても、机の上のトランジスタは、決して『増巾』作用を見せて くれなかった。 今から考えれば当然の事である。標本箱の中のシリコン鉱石は、トランジスタ材料とよぶに はあまりにも粗末で汚いものだったから、トランジスタ現象は到底期待できない筈だったので ある。 だから、半導体材料の処理には、金属学や化学のエキス。ハ ートの主体的な共同作業を欠く事 ができない。半導体と化学との交渉も、いろいろな面から新しい話題を生んで来たのである。 ・たとえは電気工学 半導体が最も強い影響を与えたのは、電気工学であろう。今日の電子工学という一言葉が電気 工学と区別して使われる様になったいきさつがこの辺を雄弁に物語っている。米国も電気通信 学会が、— (The lnstitute of Radio Engineers) から (The lnstitute of EIectrical and Electronics Engineers) と改称され、はっきりとエレクトロニクスとい、 2 一一一日 葉が表記される様になってから、もうかなりになる。 電気工学と電子工学との違いは、厳密には仲々表現しにくいけれど、きわめて常識的に言え ば、電子工学の方にはトランジスタ以来の急速なこの方面の進歩に関連するものが殆どふくま
メラの露出計であればもちろんこれで充分だ。しかし、電子計算機ではこれでは問題にならな 何故なら、今、光で情報を運んでいる電子計算機があるとして、三センチメ 1 トルの距離の ところをその光の情報が走ったとしたら、その間にかかる時間は百億分の一秒である。その情 報を計算処理をしようと思って図の様なものに当てたら、そこで十万分の一秒もかかるとい うのでは、全く話にならない。そんな事なら、もともと光など使わない方がよい位である。 つまり、半導体を使うとすれば、光に反応する速さが、光が情報を運ぶのと同じ位速くなけ れば困るのである。不幸にして、今のところ、これに楽御的な答を与える程動作の早い半導体 の装置はまだ出ていない。 むしろ、普通に電気信号をパルスにして送りこんで、トランジスタやダイオ 1 ドで取り扱う 方が早く、一〇〇〇万分の一秒を切る位の早さまで追随できているから今の段階ではなまじっ か光の信号と電気の信号との変換のために半導体を使わない方がよい位である。これは今後の 研究に期待しなければならない。 そこでもう一つの問題を考えてみよう。通信に使われているのも電磁波、そして光も波長の 短い電磁波だと先に私は書いた。しかし、実はこの二つに非常に大きな違いがある。これが本 質的な事なのである。電波として放送や通信に使われているのは、先ず一定の波長を持ってい る。第図の④の様に、ある波長にだけ成分をもち、こういう波が、空間を伝わって来る。 これに対して、普通のガス入り電球の光を考えてみると、⑤の様に、それはひろい範囲にわ 228