あの男 - みる会図書館


検索対象: 竜馬がゆく 1
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1. 竜馬がゆく 1

囲 ( やつばり、田舎者なんだわ ) だてしゃ しかし、ふしぎな模様の入ったはかまをはいていた。一見、寛文のころの伊達者のよ うにもみえる。江戸でしゃれ者といえば大藩の留守居役ときまったものだが、それでも いまどきああいうはかまを穿いている馬鹿はない。 だいつう ( 田舎の大通かしら ) さな子は、おかしくなった。 そのあと父によばれ、重太郎と同席して竜馬にひきあわされた。 「これは、娘のさな子じゃ。剣を少々学ばせてある。女ではあるが、道場では男のつも りであしらってもらいたい」 と竜馬にいってから、 「さな子、ごあいさつなさい」 と、父の貞吉は微笑をむけた。さな子は型どおりのあいさつをしてから、父に、 「あの、お父さま。坂本さまにものをたずねてもよろしゅうございましようか」 「さな子。相変らず、差し出たやつだ」 重太郎は横からたしなめたが、貞吉が機嫌よくゆるしたために、彼女は大きな眼で竜 馬をみた。 「あの、坂本さま」 「なんです」

2. 竜馬がゆく 1

「しかしおどろいたそ。おれは田舎者だからついそ知らなんだが、世間の泥棒というの はお前のように稼業と名前を触れあるいて行くものか」 「冗談じゃねえ、物売りじゃあるまいし、どこの世界に、泥棒のくせして自分の稼業と 名を触れあるく馬鹿がいるものですかい。あっしは旦那が気に入ったんだよ。ちょっと 打ちとけてみる気になったんだ」 藤兵衛のはなしでは、高麗橋の一件のあと、天満八軒家の船宿まで竜馬と以蔵のあと をつけていったというのである。 「それくらい物好きでなきや、この稼業人にはなれやしません。もっとも、あっしは遠 州のほうへ出かける用があって、無駄をしたわけじゃありませんがね」 「京屋のどこにいた」 となり 「お隣室でしたよ」 だから、竜馬と以蔵のはなしは、、 しっさい耳に入ってしまったらしい 「しかし旦那、あんたはだまされたね。あの岡田以蔵さんという人はわるいお方じゃな とっ さそうだし、お父つあんが死んだために江戸から国へ帰るというのもうそじゃなさそう だが、路用がなくなってやむなく辻斬りをしたというのは、あれは下手なうそだ」 「ほ , つ」 こども ちょうじぶろ 「大坂島之内の遊里に丁字風呂清兵衛という名高い家がある。そこの娼妓でひなづる。 いつづけ 女の名などどうでも、 しいが、その女のもとで流連して路用をつかいはたしたはずなんだ。

3. 竜馬がゆく 1

「暗くて顔はみえなかったが、あとで声を思い出してみると、どうもそれが信夫左馬之 助に似イちゅ。、 しや、まちがいないわい。あの男、江戸へもどっちよるのか」 「さあ」 会津城下で町道場をひらいている、という消息までは知っていたが、その後は知らない。 「一種の気違いだろう。わしにまだ遺恨があるらしい」 「ようがす。こういうことは、こっちの得意だ。ねぐらをあたってみやしよう」 二、三日して藤兵衛がやってきて、 「やつばり江戸に舞いもどっています」 「どこにいる」 「やはりもとの本所鐘ノ下でさ。表の造作をすっかり変えて、見ちがえるほどりつばな 道場になってやがった。文武教授・玄明館、そんな名です」 「文武教授 ? 」 「へい」 「武はまだしも、文はおどろいたな」 はやり 「当節流行ですよ。門人をとりたて、食客をごろごろさせておいて、なにか事のおこる のを待ちかまえているのが、ああいう手合だ。文武教授といえば聞えはいいが、体のい いまでき い攘夷浪人の巣ですぜ。本所や深川あたりには、ああいう今出来の道場が多い」

4. 竜馬がゆく 1

い。いまのはなし、わるいがみな聴いた。竜馬を道場で撃ち懲 「そこですわっていてよ らすそうだが、お前に出来るかどうか」 「出来ますとも」 「ちかごろ、竜馬と立ちあったことがあるか」 「はて、だいぶ前になりまするな」 「そうだろう。あの男、ちかごろもう一段、別の境地に入ったようだ」 「ムにはそうはみえませぬな」 「まあ、試合ってみるがよい。わしも久しぶりで検分しよう。勝負は三十本がいいな」 「三十本ーー」 これは死力をつくした闘いになる、と重太郎は思った。 貞吉はつづけて、 「先刻、井戸端であの男、素裸でゆうべ一緒に寝た女の一件を大声で論じていたな」 「は、痛み入りまする」 「お前が恐縮せずともよい。わしはあれを遠くから見聞きしていて、容易ならぬ男だと 思った。あの男、あのうわべだけの男ではないそ、奥のさらにその奥に、シンと鎮まり かえっているもう一人のあの男がいる。お前の眼には、それが見えまい」 「は、、見えませぬ」 と、恐れ入ったが、むろんうそである。重太郎は、竜馬の奥にいるもう一人の鎮まり

5. 竜馬がゆく 1

そのときの女の後ろ姿が、道場に帰ってからも竜馬の眼の裏に焼きつくように残って ( いよいよこれは男女の道になるらしい ) お冴をさはど好きではなかったが、 竜馬のいまの年頃にとっては、お冴の誘いは、理 性も何もしびれさせる刺戟をもっていた。 ( 今夜、忍ぶか ) と思うと、決心のきまらぬうちに、身のうちが燃えるようになる。 しかし、さな子の眼の前にいる竜馬は、ただ子供つばい表情で、無邪気に笑っている ばかりだった。 はら さな子は、その竜馬がまさかそんなことで肚の中を煮やしているとは思えないから、 たず 「それはそうと、先日の試合のこと、ついお質ねしそびれてしまいましたが、あれはな ぜあのようにお負けになったのでございます」 「私が弱いからですよ」 「御本家の栄次郎様が、あとで、竜馬の剣をみているとあの勝負にうそがある、と申し 蕩ておりましたけど、もし剣の上で、うそ負けをなさるような坂本さまなら、さな子は軽 蔑いたします」 淫「ムコ、 不カコしのき、」 9 「ほんと ? 」

6. 竜馬がゆく 1

竜馬は、鳥肉が好物である。 「しかし気の毒なような気がせぬでもない」 と、竜馬は下をむいてくすくす笑った。長州陣地の秘密をあかしてもらう上に、鳥肉 までごちそうになる諜者もいまい 「まったく気の毒だな。桂さん」 「いや、かまわぬ。どうもあんたには、そういう御人徳があるようだ」 「ご馳走になる」 「ちょっと待ってくれ。なにか誤解しておられるようだが、私は性分で理屈のあわぬこ かど とはきらいだ。だから少々角があるという人があるが、申しあげることは申しあげてお く。というのは、長州陣地のことは約束どおり明かして差しあげる」 「 ~ めり・・がナ . し」 「しかし鳥の代金は別ですぞ。私はあなたにご馳走する理由はないから、折半にする」 大へんな性分の男だな、と興ざめる思いがしたが、しかし理にあわぬことはせぬとい うのがこの男のいい所かもしれないと思いなおした。 が、竜馬は、相手がこう出る以上、あくまでおごらせてやろうとハラをきめ、金は胴 巻のなかにふんだんにあったが、 のうちゅう 「じつは、嚢中わずかしかない。ここでトリ代をはらうと品川まで帰れなくなる」 「ああそうか」

7. 竜馬がゆく 1

376 月を背にしている。真黒な影がふたっ、竜馬の左右三間ばかりのところに立ち、動く くろうと ともみせず、足だけをにじらせて間合をつめている。辻斬りとしては、玄人といっていし ( 馴れてやがる ) 大坂高麗橋で岡田以蔵に襲われたときのことをおもいだした。あのときは辻斬りの以 蔵のほうがおびえていたが、今夜のふたりは、何度も他人の血をみた者しかもたない落 ちつきぶりであった。 右の背の高い男は、八相。 左の小男は、癖のある下段である。 物盗りがめあてか」 竜馬は低い声でいって、すぐ足を跳ねて位置を右へ変えた。声をめあてに敵が撃ちこ んでくるのをふせぐためである。 相手は答えない。 黒船以来、物情騒然としてくるにつれて江戸では町道場が繁昌し、道場の数はざっと 二百軒、流儀は有名無名をまじえて五十流をこえているというが、それにつれて粗暴の 若者が腕だめしをする辻斬りが流行しはじめたという。 「しかし武士をねらうとは感心だな」 なまり あとの証拠を残さないため、土佐訛はおさえている。竜馬は位置を変え、

8. 竜馬がゆく 1

「ところで、伏見の寺田屋で、あっしがあの浪人者について何か旦那に申しあげた一一一一口葉 を憶えていらっしゃいませんかねえ」 「わるいが、憶えちよらんな」 あや 「たしか、あっしはこういったはずだ、あいつア、人を殺めて国もとを退転した男に違 えねえ、と」 「お前、人相も見るのか」 「この稼業を、ね」 藤兵衛は苦笑して、 「二十年もやってれア、人の顔つきに書いてある文字が、こう、厭やでも読めるように なるものでさ。ところで自慢にもならねえが、それがあたったんだ」 「六月の何日だったかな、ちょうど黒船さわぎの最中だったが、あっしが、さる岡場所 へ遊びに行ったと思っておくんなせえ」 「思ってもよいが、藤兵衛、その岡場所というのは何のことだえ ? 」 「おどろいた。旦那はやつばり田舎者だねえ」 「そういうお前は泥棒だぜ」 「待った。無駄ロはあとだ。一つおうかがいしやすが、旦那は吉原てのをごそんじです

9. 竜馬がゆく 1

( 人間を消しやがった ) 竜馬は感心した。 むね 牢は、一棟三室にわかれている。北むきで窓も少なく、風も通らないから、棟のなか に入ると異様な臭気がした。 「ごらんくださいまし。あのすみにすわり寝しているのが、弥次郎でございます」 「居眠っているな」 「呼ばわって起こしましょ , つ」 と利兵衛は牢の鞘格子に手をかけたが、竜馬は押しとめ、 「かまわん。あとでお前から、坂本の権平の使いが見舞にきたと申し伝えてくれ。それ よりも息子の弥太郎はどこにいる」 こち一らに」 西のはしの牢に案内した。そこではじめて牢番がすわっているのを見たが、利兵衛の 鼻薬が十分にきいているらしく、牢番は石ばとけのように横面をむけたきり、知らぬ顔 でいる。 「あれが、弥太郎でございます。かまいませぬから声をかけておやりなさいまし」 竜馬は、格子の間からのそいた。 なるほど、暗いなかに男がいる。 あぐらをかき、異様に太い眉の下から、ぎよろりとした抜け目のなさそうな眼が光っ

10. 竜馬がゆく 1

と思わせた。 重太郎がコプシをあげた瞬間、竜馬の体がとびこみ、籠手でも面でもなく、巨砲のよ うに突きが殺到し、重太郎の体はふたたびあおむけざまにころがった。 「それまでーー」 貞吉は手をあげた。 栄次郎と帆平は立ちあがったが、なんとも腑におちぬ面持だった。 竜馬は三十本のうち、最初と最後を豪快な突きで相手をつきころばしておきながら、 なかの二十八本は他愛もなく負けてしまっているのである。 あとで、別室に休息した栄次郎たちは、 「叔父上、あの試合をどうお思いなさる」 「さあ」 貞吉もさすがにとまどった表情であった。 海保帆平は、 つきわざ 「いすれにしても、前後二度の突きは見事でござったな。あれだけの突技は、正直なと ころ見たことがない」 「しかしそれほどのわざの竜馬が、なぜあとの二十八本の負けをとったか。まさか、相 手が師匠の子であるといって、勝ちをゆずったわけではあるまい。ゆずったとすれば、 兵法者の風上にもおけぬ」