お登勢 - みる会図書館


検索対象: 竜馬がゆく 1
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1. 竜馬がゆく 1

「それはご苦労はんどすなあ」 京言葉で大げさに感心されるとからかわれているように聞こえるが、土地ではふつう のあいさつらしい 「二、三日、京見物をしてお行きやすか」 「いや、あす早暁に立つ」 「ゆっくりしてお行きやすな。お登勢がご案内して差しあげますえ。江戸や大坂は活気 があってよろしおすやろけど、京伏見の静けさも、かくべつのものどすえ」 けんげきせいふう その静かな京が、わずか数年のちに剣戟腥風のちまたになろうとは、天下のたれもが 予想もできなかった。まして寺田屋お登勢にとっては、眼の前でにこにこ笑っている青 年が、幕府をふるえあがらせるほどの大立者になろうとは夢にも予想できない。 ただ、お登勢はおもった。 ( なんと可愛らしい若者だろう ) 眉がふとく、瞼が厚く、また顔一面にそばかすがあるのは武骨すぎるが、唇もとが、 異様なほどにあどけない。無愛想なくせに、肌からにおってくるような愛嬌があった。 ( このお人は、おなごにも騒がれるかもしれないが、それ以上に男のほうがさわぐかも へ しれない。この人のためには命もいらぬというのが、多勢出てくるのではないか ) はた′ ) 江お登勢は、旅籠のおかみらしく、品物を値ぶみするような丹念な眼で、竜馬をみた。 後年、竜馬のためにときには死を賭して面倒をみたお登勢とのつきあいは、このときに くち

2. 竜馬がゆく 1

う後家が女手でやっておりますが、これがまた、京女を江戸の水で洗ったような気つぶ の女でございましてな」 「はは ~ め」 「なんでギ、います」 「やはり、お前の泥棒仲間か」 「冗談じゃねえ」 と藤兵衛は急に声を低くし、 きんそううちみ 「これでも表むきは、江戸の薬屋藤兵衛ということになっているんで。金創、打身の薬 なら藤兵衛どんということで、諸国の顧客さまからありがたがられている。本業を明か したのは旦那がはじめてですぜ、恩に着せるわけじゃねえが」 「泥棒に恩を着せられてたまるか」 「いやだねえ」 おかみ 寺田屋に入ると、すぐ女将のお登勢があいさつに来た。 「こちらが、土佐藩の御家中で、坂本竜馬という旦那だ。いまに日本一の剣術使いにな るお人だから、大事にしておくがいし」 「江一尸へ剣術修業どすか ? 」 と、お登勢が、黒い大きな眼で竜馬をのぞきこんだ。 竜馬がうなずくと、

3. 竜馬がゆく 1

あった。 「お登勢さん、いまの浪人、宿帳ではなんという名になっているのかね」 と藤兵衛がきくと、 「さあ」 お登勢も、客としてはじめて見る顔だったから、手をたたいて番頭に宿帳をもって来 させた。 「奥州白河浪人初瀬孫九郎」 「これア、うそ名だね」 「どうしてわかるのどす ? 」 「六本矢車紋は、人間を斬った顔だよ。眼でわかる」 と藤兵衛は大真面目だった。 うって 「人を斬って退転し、いま討手に追われている。あの男はわれわれをその討手とみた。 だからいきなり障子をあけてたしかめたのさ」 翌日、竜馬と藤兵衛は伏見を発った。 途中、雨の日が二日、風の日が二日あった。 へ 戸桑名の渡しでは風浪がはげしくて船待ちに一日を無駄にしたが、あとは東海道は快晴 江がつづき、竜馬にはこころよい初旅になった。 宮 ( 熱田 )

4. 竜馬がゆく 1

R はじまっている。 そのとき、カラリと障子があいた。武士が立っていた。 妙な男である。武士は、障子を明けつばなしにしたまま、だまって一座を見おろして お登勢は気づかぬふりをして、竜馬を相手に他愛もない話をつづけていた。 寝侍ノ藤兵衛だけは、 ( 不浄役人か ) たあきんど 一瞬ぎくりとしたらしいが色には出さず、いかにも堅気の旅商人らしく膝小僧をそ ろえ、小鉢のなかのものをつまんでいる。やがて武士は、 「失礼した」 障子を閉め、姿を消した。 ( おかしな野郎だな ) 藤兵衛は、さすがにその道で苔のはえた盗賊だけあって、武士の人体をそれとなく横 目で観察してしまっていた。 ろつばんやぐるま 浪人であった。旅よごれた黒の紋服を着ており、紋所は六本矢車だったと記憶してい る。まだ若いのに小びんのあたりの毛がむしられたように禿げていたのは、よほど剣術 の修業をはげしくやった男なのだろう。ただ、印象に、ひやりとするような暗いかげが にんてい

5. 竜馬がゆく 1

あっしが見ただけでも、五日は丁字風呂にいた。だから、旦那にもらった金で、いまご ろは豪勢に風呂酒をあそんでるだろう」 「一は ~ ん」 , つ、か」 「うそじゃねえ」 「以蔵め、そいつは面白かったろうな」 以蔵の身になって笑いだした。竜馬はうまれつき明るいはなしがすきな男だから、足 軽以蔵の陰気な話がやりきれなかったのだが、、 しまの藤兵衛のはなしで救われたような 気がした。妙な性分である。腹がたつよりも自分までが風呂酒をのんで陽気にさわいで いるような気分になってくる。 日が傾いたころ、船は伏見についた。 竜馬が荷物をまとめていると、寝待ノ藤兵衛が横からしきりと世話を焼いて、 「旦那、伏見のとまりはどこになさいます」 もう人前だから、お店者の言葉になっている。 「そうだな、別にあては、ないな」 へ 戸「ではこうなさいまし。手前の懇意な船宿で寺田屋というのがございます」 江「ふむ」 とせ 「亭主は伊助と申し、人のいい男でしたが、先年亡くなりました。いまは、お登勢とい たなもの

6. 竜馬がゆく 1

わけもなく舌を打ちつつ竜馬の脳裏は、まったくいそがしかった。 しかし奇妙なことに竜馬の腕だけが別の生きもののようにお冴の体を抱きすくめてい ( ほう、これはわれながら、味な。 と自分で思うまもなく、竜馬はお冴を柔術の寝技のような姿勢で絹がわの上ぶとんの 上に押したおしていた。 「そのような乱暴なさると髷がつぶれます」 「どうすればよいのだ」 「冴が、教えてさしあげます」 「教えろ」 竜馬が照れくさそうにいうと、 「だから、すこしその手を放して」 「そら、放したそ」 「お利ロだこと」 「それで、どうすればよい」 「いま、冴が帯を解きますから」 「ああそうか」 「その前に、坂本さまの帯を解いてさしあげましよう」 ねわざ

7. 竜馬がゆく 1

その年も、暮れた。 はたち 嘉永七年 ( 安政元年 ) の年があけ、竜馬も一一十歳になった。 これは竜馬にとってちょっとした感慨だった。 ( 坂本の泣き虫も、はたちか ) と、われながら自分を見あげてみたいような気がする。もはや、堂々たる大人である。 そのころ、竜馬は、鍛冶橋の藩邸から築地の藩邸に移されていた。竜馬だけでなく、 わかい藩士のほとんどが、築地、品川の二つの下屋敷に移されたのである。 歳これは黒船の江戸湾侵入に備えての土佐藩の防備態勢のひとつで、この二つの海沿い + の屋敷に人数を常駐させる一方、幕府の許可をえて品川に台場を築きつつあった。 鍛冶橋屋敷から築地屋敷に移ったために、竜馬には不便なことができた。桶町の道場 が遠くなったことである。 二十歳

8. 竜馬がゆく 1

2 いわば、時勢に対して赤児のように無智だったのである。 、桂小五郎は、自分を魅了するような議論や思想を竜馬がもっていないからといっ て軽侮しなかった。 「あんたには、英雄の風貌がある」 「事をなすのは、その人間の弁舌や才智ではない。人間の魅力なのだ。私にはそれがと ばしい。しかしあなたにはそれがある、と私はみた。人どころか、山でさえ、あなたの 一声で動きそうな思いがする」 「山は動かぬ」 たと 「これは譬えだ」 「安心した」 「どうも土佐衆は冗談が多くてこまる」 「土佐の与太、と江戸の者さえいうからな」 れいり 「そうだ。江戸では、長州の怜悧、薩摩の重厚、土佐の与太」 「どうも土佐はぶがわるい」 「なに、その与太がかえって人の警戒を解かせるから、大事が出来る。そこへ行くと長 州の怜悧は人に警戒されてしまって手も足も出ぬことがあるし、それにもともと怜悧は 人に好かれぬ。ところで薩摩の重厚は、よくない。 ときに鈍重になる」

9. 竜馬がゆく 1

216 世は黒船さわぎで沸いていたとはいえ、天下に憂国の論議がそれほどやかましくなく、 すこしあとのように、尊攘の志士が横行するような時勢になっていなかった。天下の政 道、兵馬のことを一介の神道無念流の若い剣客が、ひとり憂え、ひとり考えていること におどろいたのである。 「桂さん、あんたの藩には、あんたのようなお人がたくさんおられますか」 「いません。長州は、ねむっています」 やかま 「わしの国の土佐にも喧し屋は一人いる」 「喧し屋 ? 」 「つまり論客じゃ」 「どなたです」 「武市半平太という軽格の武士です。剣は鏡心明智流の名人だがもともと学問のすきな 男で、水戸学に心酔し、国もとでは、武市の天皇好き、といってなかなか有名です」 「天皇好きなどという異称は、不敬ではないか」 「わしがいうちよりやせん。国もとの連中がいうちよる」 「その天皇好きということで武市さんは奇人あっかいにされているのですか。失礼なが ら土佐も眠っていますな」 「眠っちよりませぬ」 「まほ , つ」

10. 竜馬がゆく 1

「そうだろう。ばかに早手廻しだとおもった」 「頼みてえのは、生きたあっしのことでがすよ。いまの稼業からすつばり足をあらっち まう心底ですから、このさいきれいに家来にしてもれえてえのさ」 「ことわるよ。むかし、源義経は泥棒の古手の伊勢三郎義盛を家来にしたそうだが、お れにはそんな道楽はない」 もっとも、断わられておとなしくひっこむような藤兵衛ではなかった。 「なにも、こう、食禄を頂戴してえというわけじゃねえ。旦那がえらくなるまで、ただ でお仕え申しあげよう、てこってす。どうです」 「勝手にしろ」 竜馬は面倒になった。 「ありがてえ。きっとお役に立ちますぜ。旦那もしつかりやって、藤兵衛に給金を出せ るようなご身分に早くなってもれえてえもんだ」 「ところで、話はちがうが、先夜、築地のもと雲州侯の控え屋敷だったあたりで妙なや 映っに出逢った」 の「と申しやすと ? 」 一尸 江「辻斬りだ、二人組の」 と、竜馬は手みじかに模様を話し、