「組頭にお香奠をあつめていただきましてそれを路用にして参りましたが、島田の宿で かわど かくらん 二日の川留めに遭ったり、浜松で霍乱をわずらったりして路銀をつかい果たし、あとは なりを町人に変え、伊勢のお蔭参りに身をやっして、物乞い同然のことをしながら、大 坂まで参りました」 「大坂の西長堀には土佐の蔵屋敷があるではないか。藩のために金銀を集める役所じゃ。 なぜ路用を借用するという才覚が浮かばなんだか」 「ぬかりはありませぬ。それを頼みにひとすじに大坂までたどりつきましたるところ、 ふぜい 上役人衆は、足軽風情に銀を貸すことはまかりならぬ、知るべで借りるなりしておのれ で才覚せよ、と申され、突き出されるようにして町へ出ました」 「蔵役人がそういっこか 「何者だ、それは」 「お名前は、申せませぬ」 足軽とはいえ、武士のはしくれだというのだろう。人を売るようなまねはできない。 「では、聞かぬわい」 竜馬は、暗い顔をした。ひとごとではなかった。土佐藩ほど上下の身分のやかましい 藩はない。たとえば、郷士の分際の者がいかに英才のもちぬしであろうとも、藩政に参 加する身分にはとうていなれない。学問の師匠になるか、竜馬のように剣技を磨いて城 こうでん
「左様か」 これは、岡田以蔵である。 のちに京洛の町で、佐幕派や穏健派の人士を斬りまくり、「人斬り以蔵」のあだなで 新選組からでさえおそれられたこの若者は、一昨年、大坂で辻斬りをしていたとき、偶 然、竜馬に出会い、「親父どのへの香奠だ」として、多額の金子をもらった。以蔵はそ の恩を感じていて、 ( 坂本さまのためには命も要らぬわい ) とおもっている。 もっとも単純な男だから、地蔵堂の蔭でしやがみながら、 ( これで、大恩の万分の一を返せた ) と、よろこんでいる。 竜馬の夜這いは、竜馬自身、うかうかと馬之助のロ車に乗せられたが、すべてこれら 若衆組の策略であった。 じつをいうと、城下の若者はみな、お徳と、お徳の父親である町医岩本里人に腹をた 変てているのである。 大「あれだけの娘を土佐の若者に呉れんで大坂の金持の妾にするという法があるものか」 寅と、焼継屋馬之助などは、目くじらを立てて、毎日、道場で論難していた。 こうのいけ お徳は、京坂見物のとき道頓堀で芝居を見ていて豪商鴻池善右衛門の目にとまった
むらむらときなくさい血がこみあげてきた。 だいたい、相手の「藤堂」という藩名がよくなかった。 土佐には、 関ヶ原無念ばなし。 というのがある。 竜馬ら土佐郷士は、こどものころからそういうはなしを子守唄がわりにきかされてき た。関ヶ原で負けたために旧主長曾我部家は没落し、家来も貧の底におちたのだが、か といって、勝利側である徳川家や藩主山内家に対して露骨にうらむわけには、か 自然、うらみは、豊臣恩顧の大名のくせに秀吉の死後家康に通じ、徳川家のために裏 面工作をした藤堂家に集まる。藤堂家の家祖高虎は、土佐では大悪人になっていた。 藤堂 ときいただけで血の気がわくのは、竜馬だけではない。むかし元和元年の大坂夏ノ陣 かわちゃお のとき、河内八尾で、大坂方の土佐勢が東軍の藤堂勢と衝突し、「関ヶ原のうらみぞ」 と死にものぐるいで突進してさんざんにうち破った先例がある。 来 ( 藤堂か ) 船こどものころ植えつけられた印象というのはおそろしい。竜馬には相手が講釈などに 黒出てくる悪玉のようにおもえた。 とっさに、棒をにぎった。
がわ 川に入るころには、舟はすでに市街のなかを漕いでいた。 ( ほう ) 高知の城下町でそだった竜馬は、両岸にならぶ蔵、町家をみて目をみはった。はじめ てみる殷賑の府である。お田鶴さまも楽しそうに、 なにわ 「竜馬どの、さすがに天下の富を集散する浪花の地でありまするな」 とましや、、、こ。 そのとき舟は大きくゆれ、東に折れて、せまい運河に入った。 長堀川である。 かつおざばし やがて橋二つをくぐって、鰹座橋の下に舟はついた。 岸に、ナマコ塀をめぐらした蔵造りの堂々たる屋敷がみえる。土佐の大坂藩邸である。 しらが この一帯を白髪町といし 、町名は土佐の木材の産地白髪山からとられた。白髪山から きりだされた木材が、海を渡ってこの川岸につき、大坂藩邸を通して売りさばかれる。 藩邸の両側には、鰹、紙、材木など土佐物産の問屋がひしめいていた。 「竜馬どの、まるで土佐にもどったような感じがいたしますね」 「は ~ め」 竜馬は、ここでお田鶴さまと別れるべきだと考えていた。 お田鶴さまの宿所は、この藩邸のなかの「御殿」とよばれる建物なのである。藩公か 重臣だけの宿所になっており、竜馬は、身分がら、そこにはとまれなかった。 いんしん
「しかし、旦那は戦国のむかしなら、きっと海賊大将にでもおなりになるお方じゃな」 ものと 「物盗りか。ばかにしちよる」 はなし 「高松の講釈場でこんな咄をききました。石川五右衛門がっかまったとき、泥棒がなに がわるい、太閤秀吉こそ天下を盗んだ大泥棒ではないか、と申したげにござりまするが、 盗むなら、やはり天下を盗むほうが、男らしゅうござりまするな」 「お前は、たいそうな学者だな」 はりまなだ 播磨灘は、ほどよく晴れている。 あじかわじり 翌々日、鳴門丸は大坂の海に入り、帆を徐々におろしつつ、安治川尻の天保山沖に入 って、七つの碇をなげ入れた。七蔵老人が、 しようじん 「おわかれでございまするな。ご精進なされてきっと日本一の剣術師匠になられましよ」 「ああ」 竜馬は、もとの旅装束にもどっている。 ふなべり やがて艀舟が、鳴門丸の舷側にむらがってきた。客を岸へはこぶためのものだが、そ へさきみばがしわ のうち一艘は、船首に三つ葉柏の土佐の藩旗をつけている。お田鶴さまのために、大坂 、ま 鶴の留守居役が気を利かせてさしまわしたものだろう。 田 お 竜馬もそれに便乗した。 舟は、いったん尻無川の川口へまわって北上し、九条村中洲の松の岬をまわって木津 いカり
であ 旅に出てから、竜馬ははじめて油断のならない人物に出遭ったような気がした。 「知るも知らねえも、旦那御自身がおっしやったはずじやござんせんか」 「どこで、おれは申したかな」 「大坂の高麗橋のたもとで」 竜馬は、遠い眼をした。とすれば、辻斬りの岡田以蔵との一件を、この男は見ていた のか。 まん 「いったい、お前は何者じゃ」 眼つきから察しても、ただの薬の行商人とはおもえない。 ねまちとうべえ 「あっしですかね。おばえといておくんなさい。寝待ノ藤兵衛と申しやす」 「妙な名だな。稼業はなにをしている」 「泥棒」 闇のなかで、藤兵衛はひくく笑い、 「でござんすがね。けちな賊じゃねえつもりだ。若いころから諸国の仲間ではすこしは 知られた男のつもりでいる」 「おどろいたな、泥棒か」 へ 戸「だ、旦那、お声が高え」 江「あ、そうだった」 と竜馬は声を低め、
をカ一ばいに抱き寄せた。 「痛い」 「手荒はゆるせ。なにしろこちらははじめてだ」 お徳は、だまったままである。 竜馬の腕に腰のくびれを抱きしばられたまま、弓なりに背をそらせ、懸命に吐く息を こらえている。 暗闇でよくわからないが、小柄で肉が薄いわりには、あわあわと湿ったこまやかな皮 膚をもっている。大坂の富豪が眼をつけたのは、このからだっきだろう。 竜馬は、この娘がどんな眼鼻だちなのかふと気になってきて、細い首すじから耳たぶ、 頬、唇、まぶた、にかけてそっと小指の腹で触れてやった。 ( 可愛い むろん、暗中の想像である。 土佐娘にはめずらしく二重まぶたの大きな眼で、鼻は小さく、頬肉が薄いわりには、 したた 変あごが、脂が滴るようにくびれている。 大 ( 見えぬのが、残念じゃ ) の 寅竜馬は、自分でもあきれるほどに落ちついていた。ひょっとするとこの女を知ったあ とは、存外、したたかな女蕩しになるかもしれぬそ、とさえ思った。
「変な女のひとにだまされて、修業を怠っていらっしやるから」 「痛いところだ」 そのまま、重太郎に品川まで送られ、そのあと駈けるように東海道をのばった。 竜馬は大坂天保山沖から海路土佐へむかい、船泊りをかさねて、ようやく船が浦戸湾 に入ったときには、四国山脈の朝もやが晴れようとしていた。 ( もどってきた ) 一年八カ月ぶりの故郷である。 しかし、想像していたより地震と津波の被害は大きく、潮江川の川口の漁村は、ほと んど倒壊していた。 ( 材木屋と大工が儲けちよるじやろ ) 武士といっても竜馬は商人の血が半分かかっているから、被害をみてもついそんなこ とを思ってしまう青年である。 ぎぎ 城下に入ると、天守閣が巍々として冬空にそびえている。 ( 城は無事だったか ) と軽くおもったが、 郷士の子の竜馬にはそれほどの感動はなかった。 江戸へ出ているうちに、し 、つのまにか竜馬には、 ( おなじ土佐藩士でも、上士は山内家の侍であり、郷士は日本の侍じゃ )
下の町道場主になるかが、若者にゆるされたせいいつばいの野望なのである。以蔵のよ うな足軽の分際ではそれさえ望めなかった。 「それで窮したあまり辻斬りをしたのか」 「申しわけありませぬ。高麗橋は船場のお店者が通る橋ときき、橋のたもとで身をひそ めておりました」 「何人斬った」 「滅相な。ひとりも斬りませぬ」 はつもの 「おれが、初物だったか」 「申しわけござりませぬ」 竜馬は胴巻を解いて、たたみの上にざらざらと金銀を盛りあげ、 「ぜんぶで、五十両ある。おれは幸い、金に不自由のない家に育った。これは天の運だ。 天運は人に返さねばならぬという。おれのほうはあとで国もとに頼みさえすればいくら なりとも送ってくれる。このうちの半分をもってゆけ」 「あっ、それは」 〈以蔵は、うまれて小判を手にしたこともなかった。見るだけで肝をつぶして、 戸「なりませぬ」 江「葬式のあと、なにかと物入りがかさんでいるはずだ。持ってゆけ。受けとらぬと、辻 斬りの一件をみなに言い触らす。岡田以蔵は大坂高麗橋で辻斬りを働いた。されば軽く たなもの
けはのこっている。 あるとき、日根野道場の師範代土居揚五郎が、帯屋町の往来をゆく竜馬のうしろ姿を みて、 「あいつは大きい。うしろが斬れぬわい」 と、 いったことがある。 竜馬自身は、この我流の修業をやめてしまっていたが、自分でも気のつかぬ心の ある部分で「岩石」がひそかに生きつづけ、しらずしらず、竜馬を成長させていたのか もしれない。 数日して、阿波の岡崎ノ浦についた。 こなると ふくら この浦は小鳴門にのぞみ、ここから淡路の福良、大坂の天保山沖に便船がかよってい ああ、磯くさいなあ。 つばいに吸いこんだ。 土佐を出てから幾日目かでかぐにおいであった。 へんろ 浜へ出るせまい道の左右に船宿がならび、客引きの女が、お遍路、旅あきんど、雲水 花 のなどに、声をからしてよびかけていた。 竜馬をみて、 「そこの若いお武家さま。お天気は晴れていても沖は高浪じゃ。船はきようは出ませぬ る。 うんすい