スタスタ坊主も陽気なもので、青竹のさきに刺し銭をつけてふりまわしながら、変な 経文をとなえてまわる。ワイワイにしてもスタスタにしても一家一門の無事息災を祈る わけだから、かれらが繁昌するのはやはり世間に不安の心理があるからだといっていし しかし竜馬はあいかわらず剣術に没頭していた。 強くもなった。 道場で、竜馬と互角の勝負ができるのは若先生の千葉重太郎だけで、あとは三本に一 本もとれない。 とくにいままで面の上手といわれた竜馬は籠手打ちを工夫して、たちまち重太郎も及 ばぬ上手になった。 「竜馬の泣き籠手」 といえば、神田お玉ケ池の千葉の道場にまできこえたものであった。竜馬の竹刀で上 段からばんと籠手を撃たれると、たれもがとびあがった。厚い刺子を通して手くびの骨 が砕けそうにひびくのである。 暑い夏がすぎて、江戸の露地のあちこちでこおろぎの声をきくようになったころ、ひ さしぶりに寝待ノ藤兵衛が道場にたずねてきた。 「藤兵衛か、めずらしいな」 しよう と、竜馬は、重太郎の部屋を借りて請じ入れてやった。 「どうしていた」
無邪気に跟いてきたのである。 さらに飛びさがった。 同時に、跟いてくる。 島田は、あせって十字を崩し、小刀で竜馬の剣を叩いて、同時に大刀が空を旋回して 竜馬の横面を撃った。 竜馬も、瞬間、左籠手を斬ったが、審判斎藤弥九郎の手はあがらない。 「いずれも浅し」 というのであろう。 が、この双方の浅撃ちがもとで、双方つばを接してのすさまじい撃ちあいとなった。 が、いすれも、 浅し、 竹刀越しの撃ち、 垂れ撃ち、 などで一本がきまらず、さらに数合の撃ちをかさねるうち、竜馬は、島田の面撃ちを 合 試片手で受け、同時に島田の小刀をもっ籠手をつかみ、右腰をわずかに押し入れるや、 諸、ど , っ 安とはねあげて、道場の板敷にたたきつけた。島田があわてて起きあがるところを、 眦「面」
Ⅷ二本目は、やや調子をとりもどして、からくも竜馬の胴を奪った。 ( もはや、おそるるに足らず ) 剣の試合とはそういうものだ。敵を呑んでしまうと、身動きに冴えが出る。まして、 機敏軽捷第一とわれた桂である。 電光のような疾さで竹刀が動いた。 奇妙な試合で、桂は竜馬のまわりを機敏に駈けまわっているが、竜馬は剣を中段にと ったままあまり動かない。 動かんぞ。 と、ことさらにがんばっているような風景であった。桂と一緒に動けば、桂の機敏さ に負ける。そう思っているらしい おおわざ 桂が仕掛けてきても、竜馬はいつもに似ず大業で応酬しない。桂の気合を外してはそ の剣尖をねばねばと捲きあげて籠手をねらったり、軽く応じ返しては、内籠手をねらっ たりする。 いしゆく ( 妙だな。竜馬は萎縮している ) 思ったのは、武市ばかりではなかろう。見物席のたれもが思った。 といっても、桂のはげしい攻勢のためにじりじりと追いつめられてはいる。 動かない、 やはり、桂である。 たれもがそう思った。これが、竜馬が智恵をしばって考え出した手だとは、たれも気
相手はだまっている。うるさい奴だと思ったのだろう。 とにかく無名らしい その無名の星野が、山のように鎮まって馬之助を位でおさえているのである。どちら かといえば、馬之助の剣が浮いてみえた。 馬之助が堪えかねたのか、ばつ、と白装の袴を蹴って右足から踏みだした。 そのとたん、眼もとまらぬ速さで星野の剣がびしりと動き、馬之助の右籠手を襲った。 「籠手あり」 審判海保帆平の手があがった。 あとの二本も、びしびしと馬之助が撃ちこまれて三本とも星野にとられた。 ( あの上田馬之助が ) 竜馬はおどろくほかない。銀座の「松田」の梯子段でふりむきざま天童藩の指南役を 一刀で斬った馬之助が、苦もなく無名の剣士に敗れている。剣とは底の知れぬものだ。 このあと、五、六組おいて、ふたたび立った上田馬之助が、桃井道場の早田千助と立 ちあったが、 これまた早田に面を二本とられてしりぞけられた。 合 試星野も早田も、それほど名のひびいた剣客ではなかっただけに、竜馬ははツと息を吐 諸き、 安 ( 世間には、上には上がある ) と感心した。
( あれだけのわざをみせた男が ) 千葉栄次郎は思い、 「叔父上、これは面妖しゅうございますな。なにか、わけがあるように思われます。こ の試合、中止させたほうがよいのではありませぬか」 と、貞士口に、つこ。 「まあいい。最後までやらせてみよう」 試合はさらにすすんだ。 おどろくべきことに竜馬はなおも負けつづけ、ついに三十本目になった。 双方、刺子の稽古着がまるで水を浴びたように汗みどろになっている。しかしさすが に両人とも呼吸にみだれがなかった。 重太郎が下段にとると、竜馬は、さっと剣先を上段に舞いあげた。姿が豊かで、天衣 無縫といっていい構えである。 そのとき竜馬は、半歩踏みこみざま、 いかん 「如何」 蕩と威圧するように咆えた。 重太郎はとっさに、竜馬が得意の籠手に来るとみた。籠手ふせぎにハッと剣先を右へ 淫片寄せたとき、竜馬の気配は変幻して、 ( 面か )
181 入らぬ上士に稽古をつけるときは、相手が打ちこもうとすると、 かゆ 「どっこい、そら、どっこい。それは痒うござる」 と笑いながら、ポンポンとあしらいつつ、頃を見て、 「それ一つ進上」 と猛烈な打ちこみを加える。 ところが、竜馬はちがっていた。 腕の未熟な者には面籠手をつけさせず、それぞれに薪一本ずつ与え、 「庭で振っていなさい」 というだけである。未熟な者がいまにわかに面籠手をつけて稽古したところで、敵の 銃剣をかわせるものではない。それより打ちおろす太刀行きを早くして、確実な斬撃を 工夫するほうがいし 「宮本武蔵は何流を学んだわけでもない。一人で木を打ち、木刀を振ったものだ。薩摩 りゅう じげん すぶ のお家流の示現 ( 自源 ) 流も、ただそれだけを教える。どの流儀でも、素振りを懸命に やれば、それだけで切紙ぐらいの腕にはなれるものだ。とにかく速成にはこれが一番し 歳し」 + 竜馬は、教え方が独創的でうまかったから、かれのもとに多くの藩士があつまった。 竜馬が、品川詰めの家老山田八右衛門にまで名を知られたのは、この警備隊の剣術教 ぎんげき
友情もあるが、土佐藩の名誉のためなのだ。土佐藩士は順次の勝抜きで一人、二人と 脱落して、すでに竜馬しか残っていない。それに武市自身、ちょっぴり自分勝手の都合 でいえば、竜馬がここで倒れれば、御用掛の自分が土佐藩のために防具を着けて立たね ばならない。 森はいいとしても、あとに長州の桂小五郎が残っている。 武市は、桂がにが手だった。 前にも、試合で敗れた経験がある。桂の例の、面にきたかと思えば胴に来る、さらに 退きぎわで籠手を打っといった忙しい剣技は、武市にはにが手なのである。 先般の土佐藩邸での試合でも、主君土佐守豊信が、 いなご 桂ちゅうのは、蝗のようにすばしこい奴じゃのう。 と、三嘆したほどの軽捷な剣なのだ。 ( どうもあの剣は、わしには向かん ) 武市は祈っている。竜馬ならばなんとかこなせるのではないか、と。竜馬の剣は、相 手によって得手にが手のなさそうな野放図な剣だからである。 ( それには、まず、森を倒せ ) ところが、竜馬は、、 しつもの気合がない。 受け太刀が多い上に、退き撃ちが多い。退き撃ちなどは、どうしても撃ち込みが浅く なるから、審判は一本として取りたがらない。
と思わせた。 重太郎がコプシをあげた瞬間、竜馬の体がとびこみ、籠手でも面でもなく、巨砲のよ うに突きが殺到し、重太郎の体はふたたびあおむけざまにころがった。 「それまでーー」 貞吉は手をあげた。 栄次郎と帆平は立ちあがったが、なんとも腑におちぬ面持だった。 竜馬は三十本のうち、最初と最後を豪快な突きで相手をつきころばしておきながら、 なかの二十八本は他愛もなく負けてしまっているのである。 あとで、別室に休息した栄次郎たちは、 「叔父上、あの試合をどうお思いなさる」 「さあ」 貞吉もさすがにとまどった表情であった。 海保帆平は、 つきわざ 「いすれにしても、前後二度の突きは見事でござったな。あれだけの突技は、正直なと ころ見たことがない」 「しかしそれほどのわざの竜馬が、なぜあとの二十八本の負けをとったか。まさか、相 手が師匠の子であるといって、勝ちをゆずったわけではあるまい。ゆずったとすれば、 兵法者の風上にもおけぬ」
102 小柄なさな子が、打ち合うほどにだんだん大きくみえてくるのである。 最後にさな子は、 「やあああ」 とすき透るような掛け声をかけ、竜馬の剣尖をたくみにおさえつつ、二歩進んだ。と みるま、飛びこんで面にきた。 とっさに竜馬は後ろにさがった。虚を撃たせるとともにふりかぶってはげしく籠手に 打ちおろしたとき、さな子はツバもとで受けたつもりだったが、よほど撃ちがはげしか ったのか、さな子の竹刀が、ガラリと手から落ちた。 ( しまった ) あんど とおもったのは、竜馬のほうであった。安堵したとたん、素手のさな子が飛びこんで きて、腰に組みつかれてしまっていた。 ( 女だてらに、なんという娘だ ) 竹刀を落されたときの常法とはいえ、竜馬を組み伏せられると思っているのだろうか。 竜馬はさな子の胴下をつかんで前に浮かせると同時に、深腰を入れてカまかせに道場 の板敷にたたきつけた。 「どうだ」 「まだまだ」 さな子は、倒れたままいった。
す て返しつつ、かろうじて摺れ違いざまに竜馬の胴を撃とうとしたとき、竜馬の変化がわ ずかに早く、切先を沈めざま、重太郎ののど輪をつらぬくほどに突きあげた。 「突きあり」 貞吉が、竜馬に手をあげた。 これで一勝一敗である。 ( 油断がならぬ ) 重太郎は、 「やあ」 どうかっ と飼喝して、左上段にかまえた。竜馬は、中段であった。重太郎は、相手を動きに誘 うために、しきりと奇声をあげたが、竜馬は応じない。 というより、打ち込みようがな かった。技倆はやはり、重太郎のほうが、一枚は上といっていし 重太郎は、間合をつめた。竜馬はそれにつれてさがってゆく。 汗がしきりと噴きでた。 ふたたび重太郎の竹刀が籠手へ落ちょうとしたが、竜馬はとっさにコプシをさげた。 重太郎はその崩れをのがさず、機敏に面をとった。 場 道「それまで」 千竜馬の負けである。 ひやざけ このあと貞吉は、道場としては異例のことだが、竜馬を自室にまねき、冷酒を湯呑に