言葉 - みる会図書館


検索対象: 砦なき者
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1. 砦なき者

スツールの足元には機材バッグが置いてある。 長坂はグラスから手を離し、スポット光が氷を溶かしているさまをじっと観察している。 何か言ってほしかった。次に何か言うのは長坂の番だ。 「一人でやるのか」 「何言ってるんですか。俺と長坂さんです」 「無理だ。俺たち一一人で何ができる」 最も聞きたくなかった言葉だった。 「忘れろ。忘れたほうがいい」 それはないだろう。赤松は喉元にこみあげてくる怒りの塊を舌で押さえつける。 「八尋を調べろと言ったのは誰ですか。今さら『できない』はないでしよう」 臨「熱病なんだ」 降 自分を嘲笑う。「不意に襲いかかってくる熱で奮い立つ。三日に一度、五日に一度、周期 的にやってくる熱病だ。分かってくれ。今を静かにしのげば、いっか浮かび上がることもで もう恥の上塗りはしたくないんだ」 章きると信じていたい。 赤松は無力感にがんじがらめにされた。想像してみろ、勇気を傾けてみろと言って赤松を 第 焚き付けたのは、つい一週間前のことだ。眼差しに燃えていたのは種火ではなく、単なる熱 病による充血だったというのか。

2. 砦なき者

118 受け、騒ぎを大きくした。蓮見家に詰めていたマスコミは一斉に動き出した。あと一時間も すれば、あなたが乗ったタクシーの線からこの場所も割り出される。おそらく、西山家を取 材していた数少ない取材班も今頃は町中を奔走している。西山家の前には誰も残っていない ・ : 蓮見さん、これがあなたの狙いだったんじゃないですか ? 」 「何を言ってるのか、さつばり分かんねえよ」 おとり 「あなたは囮なんだ」 「その裏で、誰かが動き出している」 「俺が殺したんだよ、あのガキを」 「爆弾発一 = ロですね、今頃どうしたんですか」 「てめえら、この言葉が聞きたかったんだろ ? 俺があのガキを殺して埋めたんだ」 がかい 額の汗が目尻に流れ込み、蓮見の目に沁みている。瓦解しつつあるものが縣強叩に踏みとど まっている顔つきだった。 かば 「誰のために囮になっているんですか、誰を庇っているんですか、蓮見さん」 質問の先には分かりきった答えがあった。赤松はどうしても蓮見の口から聞きたかった。 部屋の扉が開いた。電話で確認を終えた奈々が、赤松に報告をする。 「ワイドショーの取材班に西山さんの家を訪ねてもらいました」

3. 砦なき者

284 演した。 黒いネクタイをしめた八尋は、長坂の死に哀悼の意を表した。 「長坂さんも、古谷めい子さんと同様、犠牲者なのだと思います」 誰の犠牲となったのか。マスコミと大衆が長坂を殺したという意味か。八尋ははっきりと は言わなかったため、「犠牲者」という一一一一口葉は一人歩きをし、次の日の新聞はこの言葉を見 出しに使った。 出演を終えて帰ろうとする八尋を、赤松は駆け寄り、呼び止めた。首都テレビの玄閣明 八尋を次の場所に運ぶためのハイヤーが待っていた。 「ちょっといいですか」 「急いでます」 八尋は無表情。底知れない無表情だった。 「収録の日、約束をすつばかして、八尋さんはどこにいらしたんですか」 八尋から局に「収録に行けない」と連絡が入ったのは、約束の時間を四時間も過ぎた頃だ っ一」 0 「パソコン仲間が薬物を多量に飲んで、メ 1 ルで助けを求めてきたんです。常日頃から綿 的に不安定な奴でした。仲間たちと手分けして居場所を見つけ出すのに大わらわで、連絡す る暇がありませんでした」

4. 砦なき者

218 変わりはありません」 副社長も有川も身を乗りだし、その言葉に食いつく 「そう言っていただけるのであれば、どうでしようか。近い将来、私どものカメラの前にご 登場願えないでしようか」 あかし 八尋が『ナイン・トウ・テン』を許した証として、そのワンコーナーに出演をする。視聴 率だけでなく、局のイメージ回復のためにはこれほどの企画はない。 「そうですね。前向きに考えさせていただきます」 話がトントン拍子に進む中で、倉科は妙な居心地の悪さを感じていた。 気になって仕方がない。八尋は何故、応接室に座ってもそのコートを脱がないのか。偉ぶ った喋り方ではないのに、八尋の外見から醸しだされるこの威圧的な空気は何なのか。倉科 は百肋に不快な汗を感じていた。 「では、具体的なことは倉科から連絡をさせますので」 有川にふられてしまった以上、倉科は「よろしくお願いします」と頭を下げるしかなかっ た。八尋は携帯電話の誉万を教えてくれた。 「噂を小耳に挟んだのですが」 友好的な雰囲気になったところで、八尋が切りだすタイミングを計っていたかのように言 う。「長坂キャスタ 1 とこちらの若いディレクターが、私の過去について何かと詮索をなさ

5. 砦なき者

凵「ここまでさらけ出したんだ。嘘なんて書かないよ」 信じることにした。 進藤が深い溜め息を一つつくと、おどおどした目を長坂に向ける。 「あの若僧は最初からあんたを狙い撃ちにしていた。そう思わないか ? 」 長坂は「おそらく」と頷く。 「あれは化け物だ。しかも、あんたらが餌をやって育てた化け物だ。始末する義務があんた らにある」 テレビが肥え太らせた化け物。その通りかもしれない、と赤松は思った。長坂は踏み台に つうよう された。同級生を殺し、担当教授をホームから突き落とすことに何の痛痒も感じない八尋 わな は、『ナイン・トウ・テン』が飛びつきそうな女子高生売春の話題を創作し、罠を仕掛けた。 売春クラブがでっち上げなら、古谷めい子の自殺もテレビに報道被害を訴え、悲劇の青年 として注目を浴びるための策略だった。つまり天性の殺人者によって、古谷めい子は殺され たのか・ : 進藤は五万円を財布にねじこむと、そそくさといなくなった。残された赤松と長坂は並ん で座ったまま、衝撃に言葉を失っている。 早く八尋を何とかしないとテレビは食い物にされ、取り返しのつかないことになる。とげ とげした危機感が体に沁みてくる。

6. 砦なき者

「ヤッキ 1 のような男がいたなんて、死んでから初めて知ったよね」 ャッキーとは八尋樹一郎の愛称だ。この頃、女性週刊誌の中吊り広告にこのカタカナ名を よく見る。 「古谷めい子さんって、どういう人だった ? 」 「めい子は花。どこにでも咲くの。あたしたち、一一回か三回しか話したことはないけど、花 だったよ、本物の花」 「花って ? 」 「だから花だってば」 あんゅ 本物の花、という言葉にどういう暗喩があるのか、赤松は掴みきれない。センター街にお ける彼女たちの共通一一一口語なのだろう。 臨「もう一人の子にも訊くんだ」 降 長坂の指小が鼓膜を打つ。赤松は連れの、やや引っ込み思案な少女のほうに体を向けた。 网ネクタイピンに隠されたマイクがうまく声を拾えるように。 章「彼女が女子高生売春の一兀締めをしていたっていう報道があったよね。あれについてどう思 第 古谷めい子が死んだ後、様々なテレビ局がここセンター街に訪れ、同じ質問を女子局生に けかけた。驚くべき新証一一 = 口が出てくるとは赤松も期待していない。

7. 砦なき者

108 蓮見は無雑作に指差した。 「その根拠は」 「カンだよ、ただの」 赤松は懸命に表情を読もうとする。蓮見はいつもの人を食ったような笑顔を取り戻し、真 正面から赤松の眼差しを受け止めた。 「なあ赤松さん。俺もひとっ訊きたいんだが、あんた、この独占インタビュ 1 を本当に放送 するつもりなのか ? 」 見返す目に反撃の態勢があった。「さっきあんたが自分で言ったように、マスコミはロが ニュースを喋っているアナウンサーの 裂けても、ガキは死んでるに違いないとは言えない。 言葉は、いつも楽観的だよな。『最悪の結末でした』と言えるのは、死体が見つかった後だ : だとすりや、あんた、この独占インタビューをいっ流すつもりだ。、 カキが死んでいると 決めつけているのは、俺じゃない、あんたのほうだ。俺が逮捕されない限り放送できないビ デオを、あんたらは撮影してんじゃないの ? 」 「そうかもしれません」 赤松は率直に認めた。自分は確かに先走っている。局は明後日の夜の『ナイン・トウ・テ ン』放送を待たず、今夜のニュースにでもこの独占インタビューを流したいと考えている。 しかし今の会話の流れでは、チ 1 フ・ディレクターの森島一朗は放送に二の足を踏むだろ

8. 砦なき者

彼女には男がいるに違いない、それを た。彼女が洗面所に立った隙に、手帳を覗いたんだ。 , 確かめたい一心だった。あんたの則と携帯電話の番号があった。次の課長候補と言われる 営業部の花形。彼女が付き合っているのはあんただと確信したよ」 男はただ黙って、赤松の言葉に耳を傾けていた。 彼女を殺そう 「さっきテレビで彼女の声を聞いた。間違えるはずがない。彼女の声だった。 , としているのはあんただ。そうだろ。何とか一一 = ロえよ。それとももう殺したのか。どうやって 殺したんだ。首を絞めたのか、うしろから殴ったのか」 荷の話か分からないな」男は会話を切り上げようとした。赤松は絶叫に近い声で食い止め ようとした。 女 「クローゼットの奥の、宝石箱だ ! 」 れ男は電話を切ることができない。聞かずにはいられなかった。 殺「ゝ ) ゝ、 ししカよく聞け、俺は見たんだ」 言いながら、赤松は筋書を考えていた。奥田志保に偏執的に言い寄っていた男が、どうい う状況で彼女の宝石箱を見たのか。助けを求めるように奈々を振り返った。 一奈々は青ざめ、赤松の芝居を見つめているだけだった。 「一度 : : : そう、一度、彼女のアパ 1 トまで押しかけたことがある。誕生日にゴールドの鎖 をプレゼントしたくてさ」

9. 砦なき者

的に、彼のポケットにも入っていました。帳簿に向かって彼のために数字の改竄をしている と、心の底から生きてるって実感がありました」 利用されていただけなんだ君は、という言葉を赤松は飲みこんだ。 「・に病のことは ? ・」 「話しました。君の人生がどこかで不意に途切れるなんてありつこない、そう教えてくれた のが彼でした。私が突然アパートの床に丸まってガタガタ震え始めると、何時間でも背中を さすってくれました。おかげで、病院には半年通院するだけで病気は治まりました。彼に。 感謝してます。俺と一緒にいる限り、君の人生は次へ次へとつながってゆくんだ : : : 彼の一言 葉に私、救われたんだと思います」 「なら、許してあげればいい」 「え : : : ? 」女は虚を突かれたようだった。 「自分を救ってくれた男性なら、他の女性と結婚するため君に別れ話を持ちかけたとして も、自分を殺させ、殺人犯にさせることで捨てられた恨みを晴らそうなんて考えるべきじゃ ない。できていなかった子供を武器にして、相手を試すようなことをするべきじゃない」 こつけい 同じ年頃の女性に、人生相談のパネラーのように説教している自分が少々滑稽に思えた。 「そうですね : : : 何度、そうやって自分を叱りつけたか分かりません。自分の人生が途切れ るんだとしても、彼の人生まで奪ってはいけないって」 かいぎん

10. 砦なき者

「犯人を告発したいのに、素性は明かせないとおっしやるんですか」 あきら 「彼の素性を知れば、あなたたちは殺人現場の撮影というチャンスを諦めて、彼がこれから 私にしようとしている事を止めるでしよう。さっき言ったように、私は彼に殺されたいんで す。殺人者として彼を告発していただきたいんです」 この女、正気か ? 森島が目尻を歪めて赤松を見やる。悪戯電話だと笑い飛ばすことはできない。森島の耳に すいこう ほころ も、女の一 = 暴には感情の綻びはなく、何度も推敲を重ねてきた文章を読んでいるかに聞こえ る。かといって咸僣を排した棒読み口調ではなく、強調すべき言葉にはそれに見合った熱意 にじ を滲ませている。 女 「分かりました。彼の素性に触れない程度でいいですから、何故あなたは彼に殺されようと れしているのか、話していただけますか」 殺「お読みになったことはありますか。ドライザーの『アメリカの悲劇』です」 ・ : 読んだことはありませんが、どういう話かは知っています」 「日本でいえば、石川達三の『青春の蹉跌』」 一「それも読んだことはありませんが、物語は知っています。映画で見たことがあります」 金持ちの令嬢との婚約を果たした男が、それまで付き合っていた町の女が妊娠したことを 知り、自分の野心のため、邪魔な女を殺してしまう物賜