「俺の疑いは正しかった訳だ。父親の首吊り自殺が君の原点だ。母親を轢き殺し、同級生を 橋から突き落とし、担当教授を殺そうとし、女子高生のガ 1 ルフレンドを自殺に見せかけて 殺した」 「正確に言えば、めい子の死は事故です。僕は宙ぶらりんの彼女を助けなかっただけです。 ほ、つじよ 事故死の幇助という罪があるんでしようか」 「恋人を踏み台にしてまで、のし上がりたかったのか。何が許せない。社会は君を虐げたの か ? 復讐なのか ? 」 「組織という後ろ盾を持つ人間たちは、どんな戦い方だってできる。汚れ仕事は誰かが請け 負うシステムができている。あとはトカゲの尻尾切りで始末をつければいいというのが組織 の戦い方です。僕は砦のない人間でした。母の亡骸。古谷めい子の全裸死体。そしてあな 臨た。ひとつひとつ、小さな踏み台を自分で積み重ねて戦うしかなかったんです。今のあなた 降 なら分かるでしよう。こんな馬鹿な真似をして、僕を森に引きずりこむしかなかった。砦な き者は敵と入り乱れ、味方に流れる血を恐れず、あがき苦しんで戦うんです。長坂さんは天 章職を見つけたそうですが、あなたに僕の血とまみえる覚悟はありますか ? 」 一一一草を踏む音が聞こえた。長坂が振り返る。 木洩れ陽が放射状に差しこむ森の入口に、四十人以上の集団がいた。森に配置されたオプ ジェのように見える。若者たちは同じ目つきをしている。長坂への殺意を溜めこんでいる。
入谷鬼子母神のバス停に差しかかって大通りを横断しようとした時、タイヤがするどい音 をたてて一台の車が急停車した。傷だらけで車検切れ間近のような赤い車には若者たちがす し詰め状態だった。ばらばらと降り立っ彼らが指さしたのは新平だった。 方向転換して路地に突入しようとした新平は、視界の遠くに交番を見かけたが、そんなと とえはた ころが安全地帯になるとは到底思えない。自分が駆け込んだ交番が、連中によって十重一一十 重に包囲される光景を想像すると、胃がキリキリと痛む。 法律も警察権力も、八尋樹一郎という「国家」の前では無力に等しいことを、新平はこの 一一年で思い知らされた。一一年前の夏、首都テレビのキャスター、長坂文雄を福島県の森で殺 害した新平は四十三人の実行犯の一人として加わっていた。 うつぶん 律肉の塊にアーミー・ナイフを突き刺すことで鬱憤を晴らす日々から、「死ななければなら のない人間がいる」という八尋の「囁き」を受けて解き放たれたのだ。あれから警察権力によ って八尋の牙城は崩されたか ? 長坂はテレビ局という「砦」を奪われ、八尋の取材のために訪れていた福島県の森で衝動 章的に首を吊ったと断定された。 四八尋のアリバイ証言をしたのは新平だった。長坂の死亡進疋時刻には、風邪薬を多量に摂 もうろう 取して意識朦朧になり、「死にたい」とメールを送ってきた新平を助けるために東京中を奔 走していたと、八尋は刑事に語り、すぐに信用された。新平は長坂の首を多くの共犯者と寄
「つまり、あなたの恋人は他の女性との結婚を控えていて、あなたさえこの世からいなくな れば : ・・ : と考えた」 「ええ、そういう絵に描いたような男女関係が実際にあるんだなって、私、自分でも驚いて るくらいです」 電話の向こうで、嗄れ気味の微苦笑。 「あなたも、その : : : 妊娠をされているわけですか」 「彼にはそう伝えました。もう先月のことです。彼は堕ろしてほしいと私に言いました。君 とは一生付き合っていきたい、だから対等の関係でいたい、子供がいたら僕たちは貸借対照 表を間に置いたような関係になってしまう : : : 何度聞いてもよく分からない理屈だったけ ど、彼は必死でした、私に中絶手術をさせようと」 っ 横で奈々が、男ってやつは、と吐き捨てそうな顔をしている。身勝手な男の論理に、い だって涙する女。この突貫小僧にも身に覚えがあるのだろうか。 「だけどあなたは産みたいと言い張った」 「ええ、一一週間遅れの生理があった後も」 「 : : : じゃ、つまり、妊娠は間違いだった、間違いだったけど彼にはそう伝えていない、と い一つことですか ? ・」 「そうです。彼は『医者に行って確かめたのか』と訊きました。私は『行って確かめてきま お
「女房と娘のところなんて、一週間といられなかったよ」 根っからの仕事人間である。プロ 1 ドウェイの芝居をはしごして英気を養うタイプではな 鰹料理が連はれてきた。呼びつけられたのは何が目的だろうと探りながら、赤松は箸を運 「先週の『事証』は誰の企画だ」 「森島さんです」 「あの病院は長く看護婦が居つかないことで有名なんだ。どうして以前に辞めた看護婦を当 たらなかった」 患者の点滴に消毒液を入れてしまい、死亡させてしまったという事件だ。一一十五歳の看護 婦の業務上過失致死だったが、病院内の苛酷な労働条件が事件の背景にあるのは明らかだっ 「辞めた看護婦とコンタクトが取れたのが放送前日でした」 「なら明後日の放送で第一一弾をやるんだろうな」 「いえ、数字が良くなかったので、別の企画です」 先週の『ナイン・トウ・テン』のピークの視聴率は十五・八パ 1 セント、激安ショップの 追跡ルポを放送している時だ。番組内の数字の稼ぎ頭と言われた五分間の『事証』は、
した』と答えました。『じゃあ間違いないんだな』と念を押す彼に、『間違いありません』と 迷わず嘘をつきました。いくら説得しても医者に行こうとしない私のことを、彼は時限爆弾 のように見ています。グズグズしている間にこの女の腹の中で命が育っている : : : 日に日に あせ 焦りが募っているのが、手に取るように分かります」 「どうして、そんな嘘を : ・・ : 」 「確かめたかったんです。上司の勧める相手で、決して愛せそうにない女性だけれど、野心 のために結婚するんだと一一 = ロう彼の心の中に、私が本当に存在しているのか、私は確かめたか 赤松の内部で怒りに似た熱がたちこめていた。「子供を堕ろせ、と答えた彼に失望した、 女 愛なんてなかったのだと絶望した、だから自殺するってわけですか」 殺「これは自殺でしよう ! 」 のレ . もとこ 怒りだった。喉元を焦がしながら這い上がってくる。「彼の手を借りて自殺しようとして いるんだ、あなたは。しかも『可愛さ余って憎さ百倍』の恋人に人殺しをさせる。自殺であ 一り、復讐なんだ。付き合いきれませんね。僕たちマスコミを何だと思ってるんですか。あり ふれた男女関係のもつれに振り回されて、復讐の片棒を担がされるなんて冗談じゃない。こ っちは忙しいんだ。切ります」
るのか。 赤松は携帯電話を取り出して、放送センター直通の番号を押した。 倉科がすぐに出た。 「赤松です。今、現場を確認しました。殺人事件です」 「分かった。いいか赤松、今から一一一一口うことをよく聞け。番組のトップ項目でこの事件を伝え る。奥田志保の肉声テープを流す」 今さらそんなことをしても遅いんです、と赤松は言い返そうとしたが、疑問の解消の方が 先だった。「犯人が現場に戻るかもしれないって警察に言ったそうですね。どういう意味で 女すか」 亠「九時からの番組を見れば分かる。たった今、準備が終わったところだ。犯人もどこかで見 れるに違いない」 殺「殺人事件のニュースを見て、現場に戻ってくるって一一一一口うんですか。ありえないですよ。飛 んで火にいる夏の虫じゃないですか、それじゃ」 犯罪者が犯罪現場に舞い戻り、野次馬の陰から警察の初動捜査を見ているというケースは 一確かにある。自分の行為が社会を動かしたことを確認したくなるのだと犯罪心理学者は言 う。それに備えて、警察は必ず現場の野次馬にもカメラを向け、密かに写真を撮っている。 が、今夜のケースがそれに当てはまるとは到底思えない。
346 あなたを神にしてあげると何者かが耳元で囁いた次の瞬間、続けざまに破裂音が聞こえ、 体の中心部を灼熱が通りすぎた。 自分が踏み台を蹴ってやって父親が首を吊った時、死はやはりこんな衝撃を伴ったのだろ うか。バイクで轢いた母親はどうだったのだろう。浅いどぶ川に頭から落ちた渡部も、生的 窒息で死に至った古谷めい子も、こんな咸覺が訪れたのだろうか。 しび 視界が回転して、アスファルトの熱を頬に感じた。電撃的な痺れで全身が覆われるが、何 やら心地よい揺さぶりのように感じられる。五感から遠ざかっていく。 そうか、これが死の正体なのか。 人間ではなくなり、物体になり果てる。 さようなら、この世。 八尋はかろうじて別れの言葉を心で唱えることができた。 とうとう警察の停止線は破られた。彼らの足は銃声で一旦止まったものの、硝煙の中に没 する八尋の姿を見るや、群衆の最前列にいた者たちは喉が潰れるほどの叫び声をあげて殺到 した。 わめ 喚き続けている射殺犯の警官は地を引きずるようにして連行される。ボディガードが八尋
236 怯えきった < 氏の顔が、赤松の目にも見えるようだった。 「 < 氏の告発が使えないとすると、あとは状況証拠でどこまで奴を攻められるか。単独イン タビューの場では、テレビ人としてのあなたに軍配があがるかもしれない。だが天性の嘘っ きとしては、奴のほうに一日の長があります」 「なら、どうすればいいと一一 = ロうんだ : 「だからこの材料を公表するんです」赤松は力説。 「駄目だツ」 長坂の一喝で沈黙になる。カウンターの中からシェイカーを振る軽やかな音が響いてく る。八尋を追い詰める材料は何一つない空つほの器が、そんな音をたてているように聞こえ る。 「ドキュメンタリ 1 時代に知り合った監察医がいる」 絶望的な静寂を縫って、倉科が口を開いた。 「知り合った頃は鬼軍曹のような医者だった。死体を見て卒倒するような若い医師は、容赦 なく鉄拳制裁だ。最近はたまに酒を飲んでも愚痴つばい。 死体検案から導きだされた事実 が、警察発表で省略され、歪められていることが許せないらしく、そろそろ引退だと言って りゆっいん いる。監察医を辞める時には内幕本でも書いて溜飲を下げたいと思っているようだ」 赤松も長坂も、話がまだ見えない。 いちじっ
ている。涙、頬に流れる涙。女は泣きながら男の殺意を受け止めようとしている。泣いてい ることを悟られまいと、懸命に嗚咽を飲みこんで。 快音が響いた。 常勝チ 1 ムの降格された元四番打者がレフトスタンドにライナ 1 を叩きこんだ。四回表で 一一点差に迫り、そろそろマジックが点灯する首位独走のチームに食い下がっていた。 女はうしろから首を絞められ、突っ伏す姿勢でもがき苦しむに違いない。自殺まがいの死 を受け入れようとしている人間も、生と死の境では抵抗をする。男は両手の力を緩めず、床 に女を押しつける形で息の根を止める。彼女は仰向けでは死ねない。光は一一度と女の瞳孔に 戻らない。 女 死んだ。今、死んだに違いない。 おうと れ七時一一十五分。女の苦しみが伝わってきたかのように、赤松は激しく咳き込んだ。嘔吐し 殺そうなほど咳が出る。涙目になる。 森島が見ていた。倉科も奥のデスクから、空咳で肩が上下する赤松を見つめていた。 「 : : : 俺たちは、間違ってます」 一最後の咳が遠のくと、赤松は大きく深呼吸してから言った。「六時のニュースでテープを 流すべきでした。皆さんが反対するなら、俺の独断でニュ 1 ス原稿を差し替えればよかっ た。担当アイレクターが止めようとしたら、殴ってでも放送させればよかった」 おえっ
「私 : : : 私は自分の命を守ってほしいわけではないんです」 早く気づけ馬鹿野郎、話は核心に近づいているだろうが。赤松は奈々の視界の狭さを呪っ た。こういう時に限って、近くにいるはずのデスク担当の女の子も、トイレかティー・タイ ムか、席を外している。 デスクに手頃な物はないかと物色し、合成糊のスティックを手に取って投げた。それは正 確に、シャギーの入った奈々の頭に命中した。イテ、と頭を押さえた後、投げつけられた合 みけんしわ 成糊のスティックを手に取って、誰だ、と眉間に皺を寄せてあたりを見回した。 やっと赤松の視線とぶつかった。 「今夜、何者かに危害を加えられそうなのに、身を守ろうともせず、されるがままになると 女 い一つことですか ? ・」 れ事情が呑みこめない愚鈍ぶりを演じながら、判の項目メニューの裏に黒マジックで書 殺き殴った。何やら尋常な様子ではない赤松を、奈々はスティックの当たった頭をさすりなが らポカンと見ている。 『このをろくおんしろ ! 』 一漢字を書く余裕もなくその紙を掲け、赤松は目だけで吠えた。 奈々はバネ仕掛けで弾かれたように動いた。白い綿パンに黒のポロシャツを垂らし、ボタ のぞ ンを外した胸元に金色の鎖が覗いている。シャギーの入ったショートヘアと、鎖骨に引っ掛