聞い - みる会図書館


検索対象: 砦なき者
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1. 砦なき者

「大石先生というべテランの監察医だ。彼が古谷めい子の死体を検案した」 話が見えてきた。赤松は身を乗りだす。「擎〕察発表で省略され、歪められた事実が古谷め い子の場合にもあった : : : ということですか ? 」 「話を聞いてみたらどうだ。明日電話を入れておく」 倉科はすでに、その大石という監察医から何か情報を小耳に挟んでいるようだ。 「ただし先生の話も公表はできない。内部告発まで求めるのは酷なことだ。それだけはよく 覚えておいてくれ」 「分かりました」 「八尋の『ナイン・トウ・テン』出演は、決まったのか ? 」 長坂が訊く。自分のホ 1 ム・グラウンドにいっ八尋が乗りこんでくるのか、実は気になっ 臨て仕方がないのだ。 降 「一週間後です。内容や構成については、あちらとファクスのやりとりをして検討している 四ところです」 章首都テレビを許し、『ナイン・トウ・テン』を許す。八尋のポ 1 ズは視聴者にどんな効果 三を及ばすのだろうか。「このたびは申し訳ありません」と番組を代表して謝罪をする論説委 員とアシスタントを前に、八尋は鷹揚な笑みをたたえて何を一一 = ロうのだろうか。 「視聴者の心など簡単に操れる : : : 八尋はそう思っている」

2. 砦なき者

新聞記者出身の有川でも聞いたことがないのか。 「フォー・フームとフォー・ホワットです」森島が教えた。 「どこで」「いつ」「誰が」「何について」「なぜ」の、「どのような方法で」のだけ ではなく、真の報道には「」と「」が必要なのだ。それ を教えてくれたのは自分が駆け出しの映像編隹杢だった頃に知り合った夫だった、と倉科に 語ったのは遠藤瑤子だった。 誰のための報道なのか、何のための報道なのか、この明確な意志によって結果的に客観報 道を大きく踏み外すことになっても構わない。無数にある真実から一人のマスコミ人の強烈 な意志でたった一つを選び出すことが肝心なのだ。それができた時、何かが変わり、誰かが 律変わり始める。 の「その人間は私に言いました。掛け軸にあるような飾り文句として聞いていたその言葉は、 ある時、他の一一一一口葉に置き換えられることを知った。一一つのとはすなわち、想像力と勇気な のだ。そこに思い当たった時、報道の仕事を一生続けていこうと決意したんだそうです」 章遠藤瑤子はしかし、自滅した。映像を武器にして生きていた彼女は、ある人間の撮影した マリスおぼ 四 映像によって悪意に溺れ、犯罪者となってしまった。は忠告もした。警告もした。しか 第 し救ってやることはできなかった。 そういえば、死んだ長坂も「想像力」と「勇気」という一一一一口葉をよく使っていた。「勇気を

3. 砦なき者

168 そしやく その則を口にした時、長坂の唇の端にくつきりと影が現われた。苦いものを咀嚼してい るような表情だった。 「ああ、そうでした」 赤松は思いだした。永和学院大学卒というのが、八尋が世間に明かした数少ない前歴だっ 「ところが姪っ子の話によると、八尋は卒業していないらしい。三年生で中退している」 長坂の姪が大学から聞いてきた情報のようだ。八王子のキャンパス一帯では周知の事 実であっても、世間には広まらなかった。大学中退者だからといって、今の八尋人気に水を 差すことにはならないとマスコミが判断したからだろう。 「で、それが一体・・・・ : 」 「学歴詐称だ」 冷静な口振りではあるが、長坂は鬼の首をとったような気分を胸の中に溜めこんでいる。 「何かあるぞ、あの若僧には」 「大学を卒業していないからですか ? 」 「嘘をついたからだ」 長坂はいっから道徳の先生になったのか。番組降板の引き金を引いた青年への私怨が透け て見えた。

4. 砦なき者

「つまり、あなたの恋人は他の女性との結婚を控えていて、あなたさえこの世からいなくな れば : ・・ : と考えた」 「ええ、そういう絵に描いたような男女関係が実際にあるんだなって、私、自分でも驚いて るくらいです」 電話の向こうで、嗄れ気味の微苦笑。 「あなたも、その : : : 妊娠をされているわけですか」 「彼にはそう伝えました。もう先月のことです。彼は堕ろしてほしいと私に言いました。君 とは一生付き合っていきたい、だから対等の関係でいたい、子供がいたら僕たちは貸借対照 表を間に置いたような関係になってしまう : : : 何度聞いてもよく分からない理屈だったけ ど、彼は必死でした、私に中絶手術をさせようと」 っ 横で奈々が、男ってやつは、と吐き捨てそうな顔をしている。身勝手な男の論理に、い だって涙する女。この突貫小僧にも身に覚えがあるのだろうか。 「だけどあなたは産みたいと言い張った」 「ええ、一一週間遅れの生理があった後も」 「 : : : じゃ、つまり、妊娠は間違いだった、間違いだったけど彼にはそう伝えていない、と い一つことですか ? ・」 「そうです。彼は『医者に行って確かめたのか』と訊きました。私は『行って確かめてきま お

5. 砦なき者

「そ , つい , っこと」 「あの、差し支えなければ : : : 」 必死にメモをとっていた赤松が、おずおずと切りだす。大石が持っている写真の束を指 「それは警察の現場検証の際の写真ですか」 「駄目だ。見せるわけにはいかん」 赤松は諦めた。大石が見せてくれたたった一枚の写真を手にし、隅々まで見るしかない。 ぶら下がった素足。爪にはペディキュアがある。枕カバーについた大きな分泌液の染み。寝 乱れた跡のないべッド。 そこで赤松は目を凝らす。写真の一角に目を寄せる。 「この数字は何でしよう」 大石も長坂も、テープルに赤松が置いた写真を覗きこむ。赤松が指差したのは、サイドテ ープルにある室内灯やラジオの操作盤だ。三桁の電光数字が見える。 「それはラジオだ。担当の刑事が言っていた。部屋にはラジオがっきつばなしになってたら しい」 「ですね」と赤松は数字をメモする。 ラジオをつけて音楽でも聞きながら、古谷めい子は死の時を迎えたということか。彼女に す。 けた

6. 砦なき者

ともとれる表情が浮かんでいる。足元が崩れ始めている実感と戦っているのかもしれない。 生放送は続いているが、群衆がすぐそこまで迫っているのでボディガードが八尋を安全圏 へと連れ出そうとする。制服警官も八尋の保護にやってきた。背中から手を回して、八尋を 守ろうとする合好だ。 ついさっき聞いた銃声とは違う、乾いた連射音を聞いたのはその直後だった。八尋は足元 から崩れ落ち、支えを失った上体からカ感が失せる。天を見上げる八尋の目から急速に光が 消えていく。 赤松は叫んだ。八尋が撃たれた。八尋のボディガードが襲撃犯を地面に押し倒した。銃ロ から硝煙をあげる拳銃が襲轂工の手から離れた。赤松は目を疑った。八尋を襲ったのは制服 警官だった。 撃っ直前に囁いた言葉を、八尋さんはちゃんと聞いてくれただろうか。 「僕があなたを、神にしてあげる」 八尋さんは振り返る素振りを見せたが、御対面の時間的余裕はなかった。続けざまに引き 金を引いた。射撃練習では成績が悪く、教官に叱られてばかりいたが、この距離で外すはず はなかった。自分の放った銃弾が唸りを上げて八尋さんの体にめりこみ、その内臓をずたず たに引き裂いているのだと思うと、異様な興奮があった。

7. 砦なき者

がある。番号を非通知にしているため、相手が警戒しているのだ。 「もしもし、さんですか ? 」 「首都テレビ報道局の者です。うちのアシスタント・プロデューサーのところに電話をいた だいたと聞きました。用件は私が承ります。『ナイン・トウ・テン』のディレクタ 1 の赤松 と一一一一口います」 まだ無一一 = ロ。怯えた小動物が樹の陰からこちらを窺っているような光景を想像した。 「替ろうか」と長坂が手を差し伸べる。 「ここに長坂さんもいらっしゃいます。初めての人間が信用できないなら、替ります」 長坂に渡し、耳を近づけた。 「長坂です。渋谷の中華料理店でお話を伺いました」 「ああ・・・・ : その節は」 やっと信用してくれた。安堵の声だった。自称会社役員の氏が長坂の長年のファンとい うのは本当かもしれない。 「もう一度インタビューをご希望していると聞きました。あれから << さんの携帯電話に何度 もかけたのですが、番号はもう使われていないということで、連絡の取りようがなかった。 一体何があったんですか」

8. 砦なき者

団ば、テレビ局が淫行条例違反を黙認したことになります」 「偶然見たことにすればいい 「そうはいきません」 長坂が「テレビの良心」を代表するような口調できつばりと一一 = ロう。肩をすくめる < 氏への インタビューが始まった。 関連企業への出向を命じられた氏は、新しい職場でパソコンを覚えることが急務とな り、慌てて渋谷の量販店に出向いた。そこで女子高生に声をかけられた。 「まず年齢を訊かれたんですよ。五十五だと答えると、獲物を捕まえたような顔つきで『月 に三十、払える ? 』って一一一一口うから、『そういうのは興味ない』って逃げようとしたんだ。 つつもたせ 美人局でオヤジ狩りにでも遭ったらエライことだから。そしたら女の子は「話だけでも聞い てくれないか』って食い下がってくる。こっちも助平心はあったしね、品定めのつもりで話 を聞いてみたんだ」 「月三十万の食べ放題っていうシステムを、 << さんはその時知らされたわけですね ? 」 「月三十払って会員になってくれたら、いつでもどこでも女の子を派遣する。好みを言って くれたらどんなタイプでも調達する。金はすでに払いこんでいるわけだから、現場で金を渡 す面倒もない。まるで自由恋愛の雰囲気で楽しめる、なんてね、いろいろセールス・トーク するんだよ」

9. 砦なき者

「女房とも今も話してたんだけどねえ」主人は赤松たちの勢いに押されながら、レジを閉め めもと ている妻を見やった。一日の労働の疲れを目許に滲ませている妻も、困惑の表情だった。 「一一十五歳ぐらいの O—Äで、会社帰りに立ち寄る女の人なんて、ざらにいるからね」 土地柄、都庁の女子職員や、劇場に花を持参する女性がこの店の客層らしい 「配達地域は」 「代々木、元代々木、西原、上原 : : : てところかな。ここら家賃が高いから、多いんです よ、一流企業のっていうのは」 「彼女がここを名指しにしたということは、店の常連客だという可能性もあります」 「いつも買いに来てくれるお客さんだとしても、いちいち住所までは訊かないからねえ」 「声を聞いてもらえますか」赤松は小型のラジオカセットを奈々に持ってこさせる。 からダビングしたテ 1 プを手にしていた。 「分からないと思うなあ、悪いけど」 万策尽きた、と思いながら、赤松は懸命に可能性の芽を探ろうとしていた。「聞くだけ聞 いてみてください。愛知県の出身だと本人は言ってます。訛はほとんどありませんが」 花の水を入れ替えようとしていた店員が、その一一 = ロ葉にびくんと反応して振り返った。店の 前に配達用の軽トラックを止めて、伝票の束を持って店に帰ったばかりのアルバイト風の若 者だった。

10. 砦なき者

大学をやめて、コンビニエンスストアの深夜アルバイトで生活費を稼ぐフリーターとなっ て、もう一年以上たつ。 朝八時に仕事から解放される。賞味期限を過ぎた弁当をふたつもらってきた。通勤通学の 人間たちが通りすぎる。昼夜逆転の生活と慢性の睡眠不足が、青年の足どりを亡霊のような それに変えている。行き交うサラリーマンも O—J も、ちゃんと俺が見えているのだろうか 生きているのか死んでいるのか自分でも判別のつかない時がある。彼らが一瞥でもしてくれ ビたら、存在証明ができそうなのだが。 タ ン 木曜日の朝は、前夜ビデオ録画しておいたあのニュース番組を見てから万年床につく。 占結局、見終わっても寝つけなかった。頭が冴え渡った。叫び出したい気分だ 独 彼らはまたやってくれた。 のらりくらりと質間をかわす狡猾な土木作業員と、独占インタビューをする現場ディレク ターの一騎討ち。心理戦だった。その前夜まで幼女誘拐犯の烙印を押されていた土木作業員 章 しつくい 二は、ビデオカメラのレンズにさらされるうち、漆喰の壁がこばれ落ちていくかのように瓦解 していく。テレビは彼の目線の揺らぎを見逃さなかった。信念を持って凝視する者の勝利だ いちべっ