赤松の言葉はそこから始まった。ことさらに演じなくても、男への憎悪は言葉の端々から 火を放っていた。 「 : : : どちらにおかけですか」動揺は微塵も見せない男の声。いや、語尾に微かな震えがあ っ一」 0 「奥田志保を殺したのは、あんただ」 おび 心臓をわし掴みにしたはずだ。怯えろ。もっと震えろ。「俺は知ってるんだよ。彼女があ んたと付き合っていたのを」 「番号を間違えてませんか」男は邪険に切ろうとした。赤松は切らせてはならないと叫ん 「彼女の手帳に、あんたの則があったんだ ! 」 はったり以外の何ものでもない。則など知らない。 彼方の夜道で、男は棒立ちになっていた。聞く態勢になってくれた。包囲網を狭めつつあ る刑事たちも、男は誰からの電話に耳を澄ましているのかと、遠巻きにしながら怪訝に思っ ているだろう。 「俺は彼女と同期入社の、総務の人間だ。あんたとも会社で何度もすれ違ったことがある。 俺は好きだったんだ、彼女が。あんたは知らないだろうな。彼女に言い寄った男はあんただ けじゃなかったんだ。何度も誘って、やっと会社の近くで一緒にコーヒーを飲むことができ みじん けげん
336 さまよ 線を彷徨っていた時、何とか助けたくて、君のメール仲間のところを虱潰しに当たった。駆 けつけると、君は僕に気付いて涙を浮かべたね。こんな汚濁に満ちた世の中でも、まだ生き たい、生きる希望を見つけたい、あの涙はそういう意味だったんだろう ? 」 八尋のアリバイは新平の証言によって成立した。それは同時に新平のアリバイを証明する ことでもあった。八尋と新平はその運命共同体という絆で精はれたのだ。 「薬物巾毒の後遺症や鬱病が君の犯行を引き起こしたのだとしたら、刑務所ではなく矯正施 設で治療をしてくれる。足と腰の骨を折った達哉君のお母さんには、施設を出た後に、君が 個人的に償えばいい。 僕が間に入ってあげよう」 その言葉にすがりたい自分と、その言葉を吐き気を催すほど嫌悪する自分が同居してい る。 「今、現場周辺でこのテレビを見ている君たちに一一一一口う」 八尋はアパートを取り巻く群衆に語り始めた。「夏祭の延長のつもりでここに集まってき たんだろうが、安西君が連行される時、決して今いる場所から動いてはならない。安西君が 罪の償いをして人生をやり直す第一歩を、君たちも静かに見守ってほしい」 いっ暴発してもおかしくない群衆に、八尋は歯止めをかけてくれた。信じよう、信じるこ とで救われると新平は思った。 「そして警察の皆さんにお願いします。安西君は必ず凶器を捨てて投降してくれます。ムこ しらみ
「誰がいた」 「お爺ちゃんとお婆ちゃんです」 「千草さんは」 「いませんでした。どこに行ったのか、お爺ちゃんお婆ちゃんにも心当たりはないそうで 聞くなり、赤松は「移動します」と紀藤に告げて立ち上がった。そして尻に根を生やした うなが ように座椅子に座ったままの蓮見に、「さあ、案内してもらいますよ」と促した。 「どこに」 ビ「西山千草さんの居場所です」 ン「見当もっかねえよ」 「あなたが教えてくれたじゃないですか。丸印をつけた沼地です」 独 その地図を丸めて手にした。単なるカンでロにした言葉だったが、蓮見の中心を確実に貫 四いたよ一つだ。 章すでに紀藤はカメラを止め、三脚から外している。奈々はライトをたたんでいる。電光石 火の動きだった。 第 おかみ ちょうど旅館の女将が恐る恐る部屋にやってきたところだった。 「ムス東洋テレビさんから問い合わせがあって : : : 皆さんが部屋をお取りになっていること
囲にはならないのではないか。自分は殺人犯ではない、実香ちゃんは今でも生きているのだ と、無意識のうちに訴えようとするはず。つまり、蓮見が犯人であるならば、実香ちゃんは 確実に死んでいるということになる。報道による刷りこみではなく、その実行者として実香 ちゃんの死亡を知っているのだ。 「では、実香ちゃんが死体となって埋められているのだとしたら、その場所はどこだと思い ますか ? ・」 「どうしてそんな質問に答えなきゃいけないんだよ」 「地域住民の方のアドバイスを求めているんです。蓮見さんが犯人の立場なら、どこに埋め るのが安全だと考えますか」 蓮見は地図を黙って見下ろすだけだった。 「追から沼地や雑木林に入っていく未舗装の道路は十一一本です。どの道を通ったと考えら れますか」 蓮見は慎重に言葉を選ばうとしている。 「ご存知かと思いますが、雑木林に入っていくと、その向こうには産廃処理場の建物が見え てきます。人の気配に近付くことになります。沼地のほうを選べば、安全です」 「じゃあ、そっちなんじゃないの」
「それだけは最後まで期待させてください」 「一言ってください、彼の則を」額の汗が目に流れ込み、沁みて涙目になった。 「今晩八時。待っててください」 「一一 = ロうんだ則を」 「私、毎いはありません」 「頼む、言ってくれ」 「話を聞いてくださったことを、感謝します」 「待ってくれ」 「さよ一つなら」 「逢いたいんだ、君に」 「さようなら、赤松さん」 電話は切れた。受話器を耳に当てている報道局員たちは彫像のように動けないでいる。 暗礁に乗り上げた人間たちが、お互いの目を覗きこみ、誰かが言葉を発するのを待ってい 奈々がのスイッチを切った。やっと誰かが受話器を置いた。膨張を続ける静寂に耐 えきれなくなった赤松が、長電話で嗄れきった声で森島に言った。 「専任部長を、呼んでください」
分かっている。 誰のための報道なのか。何のための報道なのか。 いたずら 二つのが赤松の目の前にそびえ立つ。これでは徒に現実を煽るだけではないのか。で は何も伝えなければいいのか。 「遠くのものを見る」というのがテレビジョンの語源のはずだ。遠くの現実を運んでくる技 術に、五十年のテレビ史が費やされてきた。 ならば伝えるしかない。戦うしかない。 ノ 1 スリ 1 プの少女が八尋の写真にロづけをして、赤く日焼けした頬を涙で濡らしてい る。紀藤は腰をかがめ、できるだけ少女と同じ目線で、その涙が乾くまで見つめようとす 律る。紀藤の腰痛はまた悪化するかもしれない。 の少女とさほど背丈の変わらない奈々が「彼の死によって、あなたの現実はどう変わるので ったな しよう」と、インタビューのためのマイクを向けた。拙い言葉でもいいから導き出すのだ。 遅々として進まぬ葬列に、赤松は歩みを共にするしかなかった。 章 四 第 あお
「会えますか」 「こちらも望むところです。場所を指定して下さい」 氏はあるシティ・ホテルのラウンジを指定した。時間は明日の午前十時。 「ひとっ訊いていいですか。どうして今頃になって、こちらと連絡を取る気になったんです 「保険おに」 氏は無雑作に投げつけるように一一 = ロう。「俺は保険をかけたい。それだけだ」 向こうから切れた。赤松は切れた携帯電話を受け取る。 「何でしよう、保険って」 「明日になれば分かる」 臨考えることに疲れていた。男二人でいるのも気詰まりになっていた。 降 こ寺ち合わせをすることにした。食べ終わ 疋されたホテルのロビーで、長坂とは十分前し彳 ったナポリタンの皿は赤松が洗い、機材バッグを持って引き上げることにする。 章長坂が「赤松」と呼び止めた。玄関で靴をはきかけた時だった。 「感謝している」 第 そんな一言葉を長坂の口から聞くとは思っていなかったので、面食らってしまった。 「もう一度チャンスをくれたことに」
「警察にご同行願えますか」 赤松は頷いた。へなへなと座りこんでいる奈々の腕を取り、無理やり立たせる。紀藤は救 急車に運びこまれる長坂を撮り続けている。 俺が殺したのかもしれない。 赤松はナイフを自分に突き立てる。西麻布のバーで、気弱にバーポン・ソーダをすすって いた長坂に「今さら『できない』はないでしよう。一人でやります」と啖呵を切った。その 言葉が長坂を奮い立たせてしまった。 「どこだ」 赤松は見回す。雨にけぶる森を背に、遠くまで続く田杢譖と、住居が点在するだけのだだ っ広い田園を見渡す。今も八尋がどこからか見ていて、自分たちを嘲笑っているような気が する。 「どこにいるんだ : 救急車の後部ドアが閉じられた。 頸動脈と椎骨動脈が閉塞された自殺なのかどうかを調べるため、長坂はこれから解剖室に 運ばれるのだ。 涙は出ない。 激痛の如き悲しみなのに、赤松の目は濡れるだけで、涙はない。 たんか
このところ精彩がない。 「あの : : : 何かあったんですか ? 」 赤松はじれてきた。世間話をしたり番組の感想を言われるために呼ばれたわけではないは ずだ。 長坂は料理にほとんど手を付けないまま、煙草をくわえた。火をつけて三回煙を吐くと、 長坂はやっと打ち合わせの場で「ツルのひと声」を放つ。長坂天皇が君臨していた頃の放送 センタ 1 の雰囲気が、小料理屋のカウンターに再現されていた。 「大学生の姪っ子が、ワインを手土産にマンションにやってきた。気を落とさないで、と慰 められたよ」 赤松は言葉を挟まず聞く。何の前フリだろうかと探りながら。 臨「姪っ子は永和学院大学の三年生だ。社会学部にいる。旅のサークルに入っていて、大学の 降 : 分かるか ? 」 とも付き合いがあるらしい 网荷がですか ? 」 章「永和学院大学だ」 「もちろん知っています。三年前に八王子にキャンパスが移転して、アメフトが強くて、箱 第 根駅伝では前回一一一位 : : : 」 「八尋樹一郎の出身校だ」
Ⅷが、ディレクターの決断を辛抱強く待っている。 「このままやらせてください」 うなず 赤松は答えた。言葉に迷いを悟られなかったかと、それだけが気になった。紀藤は頷くだ ュー , 」っ一」 0 「あんた、何とか言ってやったらどうだ」 蓮見が紀藤に一一一口う。紀藤は真っ直ぐカメラで蓮見を見据えるだけだった。俺の仕事はお前 の顔を撮ることなんだ、と告げている。 奈々が部屋に戻ってきた。携帯電話はまだ通話中の状態だ。「お願いします。森島さんで その顔つきから『トラブル発生』は明らかだった。赤松は携帯電話を受け取り、廊下に出 てから耳に当てた。 「赤松です。何でしよう」 「取材中止だ」 かなっちたた いきなり森島が冷たく言い放った。立て直しつつあった赤松の闘志を、真上から金槌で叩 き潰すような一一一 = ロだった。「群馬県警からの抗議だ。首都テレビが重要参考人を拉致監禁し ている、すぐに解放せよとのお達しだ」 「拉致監禁とはどういうことですか。蓮見さんの自発的な意志で独占インタビューをやって つぶ